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 私にはストーカーがいる。  それも心優しいストーカーさんだ。 「うーん、肌が荒れてるなぁ……。明日は、えっと」  視線を手鏡に映った肌から、壁のカレンダーに向ける。指で日を確認すると、私はテーブルに置いていた無地の封筒を開けた。  中から綺麗に三つ折りにされた便せんを取り出す。書かれている文面を見て、明日が燃えないゴミの日であると思い出す。  マンションにひとりで暮らしているので、規則にそって毎週決まった日にゴミを出さねばならないのだけど、つい日を忘れたり、分別が適当になってしまうことがある。そんな私の悪い癖が気になるらしく、手紙は毎回細かくゴミのことを言う。 『ペットボトルは専用の捨て場があるので、必ずそちらに捨てること。分別はきちんと行うこと』  例えば今日は、明日のゴミ出しについて。それと一緒に、前回の燃えるゴミのことを指摘した。それを見て、私は「専用の捨て場、そういえばあったなー」と他人事のように思う。住んで二年以上にもなるはずのマンションなのに、どうしてかつい忘れてしまう。 「よし、オッケー」  手紙に従ってゴミ出しの用意をすませると、明日の講義の用意をした。時計を見ると十時過ぎになっていた。まだ欠伸も出ない早い就寝だけど、早く寝てしまえばメールや電話が来たとしても、寝ていたことを理由にすることができる。そういうわけで、早速スマホをマナーモードにしようとしたが、着信履歴が既にあった。しかし、私はそれを見なかったことにし、パジャマを取りに行く。その途中にスマホは鞄の奥に入れ、手紙はゴミ箱に入れた。  * * *  翌日は早くに目が覚めた。五時だった。  着替えると、ゴミを片手にエレベーターを降りてエントランスに向かう。日もまだ昇らない朝の澄んだ空気が、辺りに漂っている。これならばゴミ出し一番乗り確実。  うきうきとした気分でゴミ置き場に着く。が、先客がいた。私は愕然とする。私以上に早起きがいるとは!  ……これはきっと先日のうちに出したに違いない。そうに違いない。  そんなことを思いながら、私は先客の隣にゴミを置いた。帰り際に郵便受けを覗くと無地の封筒が入っていた。  とんとんと軽快に階段をのぼっているときに、そういえばと思い出す。ゴミの前日出しについて。本来はしてはいけないのだけど、私もよくしていた。そして、その度に手紙で叱られていた。  部屋に着くとベッドに寝転び、封筒から便せんを取り出す。 『肌荒れについて。ジャンクフードを控えること(特にファーストフード。最近食べ過ぎなのでは?)。また、ホルモンバランスに影響されやすいタイプなので、いまは一時的に悪化している可能性も考えられる』  手紙の長さは、いつもだいたい三行程度だ。稀にそれ以上となるけど、私が読むのを放棄するような長さには決してならない。上手い配慮だなと、つくづく思う。  それに字が、いつ見ても綺麗だ。縦書きの便せんを使い、流れるような上品な字。ボールペンで書かれた字は、とめはねがきっちりとしており、どことなく繊細さを感じさせる。きっと育ちの良い人なのだろう、と私は思う。 「でもそんなに食べていたっけ?」  手紙を読み終えると私は疑問系で呟く。しかし、彼が言うのだからそうなのだろう。彼は私のことをとても知っている。もしかすると、私以上に知っているのかもしれない。  だが、好きなものは簡単にやめられない。手を伸ばすと、私はテーブルの上にあったポテチの袋を掴んだ。誘惑に負けてつい食べてしまう。  * * * 「もー、てっきり遅刻かと思ったよ」 「それが寝過ごしちゃってー。でもまだ始まってないよね」  講義室は多くの生徒で満たされていた。早起きのせいで結局は二度寝をしてしまった私だけど、幸いにも講義はまだ始まっていない。  私は用意の整っている友人の隣に座った。 「ところでさ」 「ん、何?」  友人の声を聞きながら、私は遠くにある教壇の様子を確認する。膝に置いた鞄を覗き込み筆記用具を探した。 「亜樹ってば、もしかして最近忙しい感じ? 前は講義外でも、電話をしたら結構な確率で大学内にいたじゃん。それに全然サークルに顔出さないし。昨日もすぐに帰ったって聞いたよ。だから、みんな気にしてるんだよ。どうしたんだろうって」  言い方から、友人に悪気が一切ないことは分かっていた。にも関わらず、私は嫌な気分になる。友人が言う『私の動向』は誰から聞いたのかは分かっていた。だから、弁解……あるいは話題を逸らしたくなった。 「えーっと、それはね……」  筆記用具を探していた手が止まった。  偶然、スマホに表示された着信メッセージが目に入る。 「あっ! 気にしているといえば、そういえば文学部の」  友人の気楽な声を止められなかった。聞く一方の私の息が詰まる。  瞬間、友人の言葉を遮るかのような音がした。ざわつく部屋ではかき消されるほどのものだったが、私は大きく顔を上げて音がした方を見た。すぐそこの通路にノートや教科書が散らばっていた。私と通路を挟んで座っていた人は、立ち上がり、しゃがみこんだ。落としてしまったそれらを無言で拾い始める。 (上品そうな時計……)  ものを落とした。  単にそれだけのことだ。けれども、その男性がものを拾う度にストライプの長袖シャツの隙間から時計が見えた。黒いベルトでシルバーの時計盤。私は足下にまで来ていたブックカバーのついた本を拾い上げた。 「あの、これ……」  私が声をかけると、彼は拾ったものを抱いたまま私を見上げた。その瞳があまりにもまっすぐで、私はぎこちなく笑うしかない。本を差し出すと、その人は受け取るとすぐに席に着いて教壇に向き直った。彼は背が高く、きっと私よりも遙かに高い。 「ありがとうの一言くらい言えばいいのにね」  むっとした声が、隣から聞こえた。友人の声だ。  私は空笑いをし、しかし心の中で首を横に振る。確かにその人は何も言わなかったし、表情も終始無愛想であった。だが、本を受け取ったときに、口元が微かに優しくなった。きっとそれが彼の「ありがとう」だと私は思う。それに、私も本を渡すときに彼に「ありがとう、助かったよ」と心の中で呟いていた。  * * *  いまから一ヶ月ほど前。私はサークルのコンパで彼と知り合った。彼は明るくムードメーカーで良い人だと周囲は言った。それに彼は私のことを気に入っているらしい。だからだろうか。彼は私に頻繁に連絡をし、私とふたりきりでどこかに出かけようと誘った。 「ごめんね。ふたりきりはちょっと……」  私がそう言うと彼は一瞬驚いた表情をしたが、すぐにこう言った。 「恥ずかしがり屋さんなんだね」  その笑顔はとても純粋だった。  一日は長い。なぜならば、そんな彼から逃げるように私は一日を過ごす。誰かに相談すれば良いのだろうが、私は出来なかった。何度も相談しようとは思ったが、自意識過剰とか思い過ごしとか、そんなことを言われるような気がして言えなかった。  それに比べると、手紙の彼は……ストーカーさんは良い人なのかもしれない。もちろん私はストーカーさんがどこのだれか一切知らないし、初めて手紙が来たときは気味悪いと心から思った。でも、手紙から漂う優しさにほだされてしまったのだろうか、いまでは少なくとも悪い人には思えなくなっていた。  私は手紙を開くと、まるで新聞を読むかのような気分で目をとおす。読めばすぐに破棄し、返事も書かない。だが、これまでに来た百通近くの手紙の内容は、なんとなくだが覚えている。その手紙には私の動向やアドバイスだけでなく、彼のことについて書かれていることも稀にある。 『和食は体に良い。ちなみに自分も和食が好きです』  控えめなその自己主張には何となくだが好感が持てる。可愛いとすら思ってしまうこともある。 「いただきますー」 その日の夕食に私は煮物を作った。慣れない料理だが頑張った。出来上がった煮物は、少ししょっぱかった。おそらく醤油の量が多かったのだろう。そうして私は部屋でひとり食事を取る。ひとり暮らしをしていてたまに思うのだが、ひとりで取る食事は味気ないものである。例えば食堂で友人等とするような、誰かとわいわい喋りながら取る食事の方が私は好きだ。  食事を終えると、鍋に残っていた煮物を小鉢によそった。山盛りとまではいかないが、そこそこ多めに盛ったものにラップをかけて冷蔵庫に入れた。そうして私は洗い物を済ますと、お風呂の用意をした。  湯船に浸かれども一日の疲れは落ちない。お風呂に入る前に見たスマホにはまた着信がいくつもあった。私は怖くてそれを拒否出来ない。見て見ぬ振りをするのが精一杯だった。このことをストーカーさんは知っているのだろうか。だが、手紙にはこれまでに一度も触れてきたことはないので、おそらく知らないのかもしれない。 「ね、ストーカーさん」  浴室に弱々しい声が響いた。私は湯船に顔をつける。 『どうしたの?』  そんな声が聞こえた気がした。 「……一緒にお風呂に入る?」  顔を上げた私が言うと、しんとしたなかに水滴が落ちる音がした。 「冗談だよ」  ストーカーさんはきっと恥ずかしがり屋さんである。きっと、積極的に異性とお風呂に入るような人ではないだろう。だから、私にはストーカーさんが顔を赤くしている姿が見えた。私は笑うと天井を見上げた。水滴がひとつ、顔に落ちた。このまま、湯に溶けてしまいたいなと思った。  * * *  翌日、講義を終えて帰る頃には日が沈みかけていた。朝から講義を受けっぱなしだったので、私はとても疲れていた。ポテチに思いを馳せ、コンビニに向かう為に路地を歩いていた。今日も私は逃げるようにサークルを休んだ。むしろそろそろサークルを辞めようかとも考えていた。  辞めたところで彼は私への連絡を止めるのだろうか。物事はそんなにも簡単ではないことくらい、私にも分かっていた。だが、どうすれば良いのか分からない。 「はい、もしもし?」  スマホが鳴り、私は耳に当てる。 「立野さん」  声が、スマホと背後から同時に聞こえた。私はゆっくりと振り向く。浮かべた口元だけの笑みが、写真のように私の脳裏に焼き付いた。 私は何も言えなかったし、何も出来なかった。 「ようやく出てくれた。どうしてずっと会ってくれなかったの?」  少し苛立ったような彼は、軽く私の肩に触れた。触れられただけなのに、まるで地面に引っ張られるかのように私は大きく尻餅をついた。だが、その痛みすらまったく感じなかった。彼は私のこれまでの態度を嘆いた。そして一回、二回と何度も叩いた。叩かれるにつれて、少しずつ状況が私の頭に入ってきた。このままじゃ殺される。彼は叫び続けていた。何を言っているのかは分からなかったが、私への思いが異様であることだけは分かった。  私たち以外に人の気配はなかった。私は手や腕で頭を庇いながら泣いていた。次第に感じる痛みや彼の思いに堪えながら、ただ縮こまっていた。  慌ただしい足音が聞こえた。悲鳴が聞こえ、痛みが止まった。  こちらを見下ろすまっすぐな瞳があった。そしてその瞳の持ち主は、しゃがみ込むと私を強く抱きしめた。  走ってきたであろう息。 「申し訳ない」という切なげな声を何度も繰り返す。  私の頬に手を添えると言った。 「ひとりでも歩ける?」  私は彼の背後に横たわるものを見て、小さく頷いた。 「俺も後ですぐに向かう。こちらのことは大丈夫。心配しないで」 「でも……」 「大丈夫。もう二度とあなたが怖い思いをしないようにする。だから安心して。約束だから」  そっと彼が差し出した小指に、私は指を絡ませた。袖口から見えた時計から視線を上げると、彼の口元が小さく動いた。 「あと……今度は薄めに作ってくれると嬉しい」  もちろん、あれはあれで美味しかった。  その言葉を聞いて、私は自然と顔を綻ばしていた。そして立ち上がると視界がぐらついた。だが、横たわるものがいまにも起きあがりそうだったので、私はすぐに背を向けて走り出した。その去り際に、彼が小さく手を振ったのを見た。あの優しい笑みを浮かべて。
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