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 シミュレータとはいえ、中身はあの杏色のエアバイクと同じ形のものが使われていた。実際にホバーするわけではなく、三六〇度全天型のシミュレータ内部ディスプレイに画像が映し出され、露駐されているエアバイクからの映像が再現されている。  リオは新を球形状のシミュレータに放り込み、マイク付きヘッドホンを投げてよこした。 「最初は指示するから、言う通りに操縦してみて。はい、まずはエアバイクに跨って」  新は急いでヘッドホンを装着、シミュレータとはいえ初めてエアバイクに跨る。  シートは柔らかくもなく、硬くもない。逆三角錐に足を突っ込むときは緊張したが、中はスポンジで覆われており、意外と通気性も悪くはない。 「足着いた? じゃあ、後は外から指示出すね」  そう言って、リオはシミュレータ内から退出する。  キュイン、と近未来的な音を立ててシミュレータの扉は閉まった。これが最先端のシミュレータなのか、と新は感動しきりだ。  だが、感動に浸る間もなく、指示が飛んできた。 『ハンドル握って、前に少し倒す。やってみて!』  リオの指示通り、新はエアバイクのハンドルグリップを握り——バイクとは違って、アクセルは回すのではなく、『前に倒す』のだ。その辺りは動画で何度も見たところだ。新はゆっくりとハンドルを前に倒す。  すると、全天型のディスプレイ映像が動き始めた。微速で、だが滑走路に出たエアバイクを遮るものは何もない。 『よしよし。じゃあハンドルを真上に引っ張る。それで飛べるから』  新は唾を飲み込む。  飛べる。このハンドルを真上に引っ張るだけで、空中だ。  新は意気軒高、思い切ってハンドルを上に引いた。  まあ大体、予想は付くことだった。  エアバイクは急上昇し、制限速度百二十キロ近くで上空へと突進していく。即座に警報が鳴る。上昇可能空域を超えているというアラームの赤い文字が目の前に現れる。慌てて新がハンドルを元に戻したところで、待っているのはホバー能力を失った機体が今度は急降下していく運命だ。ご丁寧に機体の下からは勢いよく空気が流れ出てきて、リアルな空中落下が演出される始末だった。 「こ、この!」  新は咄嗟にハンドルを前へ倒した。エアバイクは前へ進む。つまり、滑空していく形に持ち込むことができた。雲の隙間で新がもたもたしていると、リオから有り難い天啓が下る。 『何やってんの! ハンドルは軽く握るだけ! もう一度真上に引っ張る!』  返事をする暇さえ惜しい。新はもう一度ハンドルを握り——軽く、硬いゴム製のグリップであることを忘れ、柔らかいものを想像しようとする。  結局、再度の上昇可能空域侵犯の警報が鳴り、新はタイムアウトとなった。  盛大に墜落の演出がなされ、ディスプレイには墜落の二文字がデカデカと表示されていた。癪だが、下から吹き上げてくる空気が冷や汗をかいた新には心地よい。  キュイン、とあの近未来的な音が鳴る。リオがシミュレータ内に入ってきた。と思ったら、リオは嵌めていた右手グローブを外し、新の右手を掴み、軽く握手する。  いきなり何事か、と新が驚いていると、リオはこう言った。 「握り返しちゃだめ。ほんの少しでいいんだよ、エアバイクは繊細だから」  リオの素手は形こそ華奢だが、女の子の手にしては硬かった。当たり前と言えば当たり前だ、何十何百時間とエアバイクに乗ってきたタコが、リオの手に刻まれているのだ。 「ね? 女の子の手を握るときはギュッじゃなくて、そっと握るの!」 「お、おう」  リオの説明もどこへやら、女子と初めてまともに手を握った新は、そっぽ向いて応える。目の縁に映るリオの顔がニヤついている。お見通しなのだろうが、何も言ってこない。  しかし、こうしていても何も始まらない。  気を取り直して、新はリオの手を、言われた通りそっと握る。リオの手がエアバイクのハンドルグリップだとすれば、ギュッと強く握ると折れてしまいそうだ。想像するとかなり痛い。いや、リオが痛いのであって、新は痛くないだろうが。  この感覚を忘れまい、と新はもう一度エアバイクのハンドルを握る。 「リオ、もう一回シミュレータやっていいか?」 「当たり前だよ! 次は墜落しないでね!」  リオは満面の笑みを浮かべて、シミュレータから出ていった。  すぐにもう一度、全天型ディスプレイが露駐状態になる。  新はリオの教え通り、わずかにハンドルに手を掛け、指先だけでついと上に持ち上げる。同時に、手のひらでハンドルを前に押した。  ふわり、とエアバイクは宙に浮く。胃の腑が持ち上がる感覚が、ディスプレイによって再現される。  そのままディスプレイの映像は少しずつ空へと上昇しつつ前進、これはいけると確信した新は、エアバイクのハンドルを徐々に上へと持ち上げ、右ハンドルを押す力を弱める。すると、エアバイクは右向きに旋回し始めた。  映像の中の雲間を、エアバイクが駆ける。ハンドルを正位置に戻し、滑空。前から吹き付ける風がリアルだ、新の髪の毛が後ろへ持っていかれそうになる。  新はそこで、ブレーキを弱く引く。同時に、両ハンドルを最初と同じように、わずかに指先で触れながら、滑空の速度を殺していく。  雲から抜け、すぐにディスプレイに滑走路が見えてきた。着陸もやってみせる。新はブレーキを引く力をほんの少し強め、やっとまともに見ることができるようになってきた高度計の数値が、五十を切っていたことに気付く。 危なかった、地表まで五十メートルもないところだった。ブレーキを引きながら、同時に、ハンドル自体に最低限の出力を維持させて、ゆっくりと、しかし確実に地表へと新の乗ったエアバイクは降りていく。  プシュウ、と地表に空気が当たる音がする。シミュレータだからか、オートで三点スタンドが出て、着陸は無事に成功した。 「ふう」  新はようやく、一息つけた。自分に才能があるかは分からないが、少なくとも今、新はシミュレータを成功させた。墜落もしたし、リオの助けが大きかったと分かっている。それでも、素直に喜びたい。  あの近未来的な音がして、シミュレータの扉が開く。新はエアバイクの機体から両足を引き抜き、おそらく出迎えてくれるリオを待ち構えた。  だが、そこにいるのは、リオではなかった。 癖っ毛が凄まじい、白衣を着た男性が仁王立ちをしていた。黒縁眼鏡をかけ、白衣の中には作業服を着込んでいる。さっきの作業員の人たちの中にはいなかったはずだ。 「君!」  白衣の男性は新に向けて大声を張り出す。腹から出したような大声だ。 「な、何でしょう……?」  新は問いかける。しかし何でしょうも何もない、勝手に部外者がシミュレータを使っているのだ。そのことを咎められては、新は何も申し開きができない。リオが勝手に、という言い訳も、気分的なものだが言いたくはない。  数秒間、睨み合いが続く。  沈黙を破ったのはリオだった。 「陣間博士! 大声うるさい!」  リオはそう叫んで、白衣の男性の膝裏を思いっきり蹴飛ばした。  膝かっくんだ。短い悲鳴とともに白衣の男性はそのまま倒れこみ、リオは何事もなかったかのように白衣の男性を避けて新の元へとやってきた。 「すごいね! このままシミュレータで練習すれば、試験受かるよ!」  それは嬉しいが、それどころではない。新はリオの後ろから目が離せない。案の定、白衣の男性はゾンビよろしく起き上がって、リオの頭を掴む。 「リーオー! よくもやったな!」 「博士がうるさいからでしょ! 離せー!」  仲良く二人がリオの頭を離せ離さないと騒いでいると、外から凰子と響助が覗いてきているのが新にも見えた。  凰子は両手でサムズアップ、響助は腕を組んでうんうんと頷いている。  新がシミュレータに悪戦苦闘している間、外では何があったのだろうか。とりあえず、新はまだ暴れているリオと白衣の男性の二人をまあまあと落ち着かせた。   「陣間音師だ。ここで開発主任をやっている」  白衣の男性はそう言って、新の手を取って強引に握手をした。  リオはそれが面白くないらしく、とう、という掛け声とともに二人の手に手刀を割り入れた。 「何をする、リオ!」 「別にー」 「お前の機体は整備済みだ。あっちに行っていろ」 「新は私の弟子なんだから、私が見てないと駄目でしょ!」  いつの間に俺はリオの弟子になったんだ。  新はすかさず突っ込む。 「弟子って何だよ」  しかしリオはけろっとした顔で、至極当然のことを言ったまで、と顔に書いてあった。 「私が指導した以上は私の弟子じゃない。ほらほら、博士、新に何の用よ?」 「まったく……無限新君、リオと違って身長体重操縦技術の上達速度ともに平々凡々な君に、モデルをやってもらいたい」 「モデル?」 「そうだ。リオはテストライダーとしては極めて優秀だが、一般人と比較するとどうしても……身長やら耐G能力やらが違いすぎて、市販機に乗せても意味がない」  身長。言われてみれば、リオは十六歳にしては、かなり小さいほうだ。平均的な身長の新より頭一つ分低いということは、今時の小学生より小柄かもしれない。  では、耐G能力はどうだろうか。一般的には戦闘機乗りやレーサーなどに必要とされる資質だ。もちろん、エアバイクも同様で、ある程度は必須の才能と言われている。 「耐G能力に関しては、リオは特殊体質でね。こう見えて君ぐらいなら軽々お姫様だっこできるぐらい筋力がある」 「すげぇ!?」 「わざわざ米国まで出向いて、現役の戦闘機乗りからお墨付きをもらったくらい、耐G能力が高いんだ。つまり、そんな特殊な人材にいくらテストしてもらったところで、市販機とされるエアバイクが、一般人が本当に耐えられる機体なのかどうかは分からないわけだ。なら他に人材を、と思ったが、希望者がいなくてね」 「どうしてですか? エアバイクに乗れるなら、集まりそうなものですけど」 「簡単だよ。まだまだエアバイクには信用がないの」  すかさずリオが口を挟む。  信用がない、すなわち人類にとって未だ現れて日の浅いエアバイクは、乗れる人間が限られる上に、運用のノウハウもまったくなく見切り発車で発売が決定した代物だ。エアバイク特区指定も、遠雁財閥の後押しがあったからこそスムーズに進んだだけで、特別世間的に注目が集まっているわけでもない。新のようにエアバイクに憧れる人間はいても、実際に乗るとなるとハードルが高すぎるせいでもある。  そして、遠雁重工としては遠雁財閥のお嬢様の後押しが欲しいからこそ、お嬢様一行をここまで歓待したようなものだ。そうリオが教えてくれた。  陣間博士は大人気なくもムッとして、リオを押しのけて新の前に出る。 「そもそも、エアバイクは米国との共同開発だった。だが、JF型発動機がすぐに軍事転用できないと分かった途端、開発費高騰を理由に手を引きやがった! おかげで、世界的に売るはずのエアバイクは、遠雁財閥の目が届く空奥限定発売が精々の少ロット生産しかできず! しかもフィオナのやつはJF型発動機から名前を外せと言ってくる始末だ!」  憤怒のあまり、陣間博士は舞台俳優のような大振りな動きで頭を掻く。新には何のことやらさっぱり分からないことを早口で言われても、ただひたすら困るだけだ。  しかし、リオはあっさりと陣間博士を無視して、新に説明をしてくれた。対応に手慣れているのだろう。 「あ、フィオナっていうのは、米国のフィオナ・フィールズ博士のことで、陣間博士とはJF型発動機の共同開発してたの」 「へー……?」 「その顔は分かってないね、うん。あのね、まず空気中のF2粒子を発見したのがフィールズ博士で、その利用法を確立したのが陣間博士。だから、F2粒子による空気発動機、正式名称は『ジンマ・フィールズ型空気発動機』って言うんだよ。要するに、エアバイクの心臓部に当たるエンジンを開発した二人のうちの一人が陣間博士。オッケー?」 「お、おう」  なるほど、新の理解の及ばない範囲のことだったことが、新は理解できた。 「フィールズ博士はね、元々陣間博士の婚約者だったの。それがまあ、喧嘩して婚約破棄になって、挙句エアバイクの開発計画にまで影響させちゃう、っていう馬鹿みたいな話のせいで、私が米国で何回からかわれたか」  リオは容姿に似合わない、大きなため息を吐いた。確かにそれは馬鹿みたいな話だ、新は口には出さないが。  一方、陣間博士はやっと自分の世界から戻ってきたのか、肩で息をしていた。感情の起伏が激しい人だ、と新は思う。 「とにかくだ。凡人のテストライダーが欲しい! そういうわけで、お嬢様!」 「はいはーい」  そこにやってきたのは、黙して語らずの姿勢を今まで貫いていた凰子だった。相変わらず気軽に返事をする。そして響助にしばかれる——かと思いきや、響助は凰子の後ろに控えたままだった。 「そういうわけだけど、新ちゃん、テストライダーのバイトしない?」 「安全は保障されないがな」  突然の提案に、新はこう答えるのが精一杯だった。 「ちょっと待った。少し、考えさせて」
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