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 酷く美しく、鮮やかな赤。そのとき僕が最初に見たのはそんな光景だった。  艶やかに僕を魅了する紅。僕を呑み込んでしまうような朱。  美しくも残酷なその光景に、僕はただ見惚れていた。  本来なら恐怖を覚えるであろう光景に、僕は安らぎすら感じていたのだ。     テレビとテーブル、ソファだけが置かれている八畳くらいの平凡なリビングの一角に、悍しく咲き乱れる紅の華。その鮮やかな華は、恐ろしい速さで繁殖していく。その勢いは止まることを知ろうとしない。  部屋の東側である窓際に、一つだけ置かれている大きな白いソファ。そのすぐ脇を拠点とし、悍しい華々は全てを飲み込んでいく。    テレビではアナウンサーが淡々と今日の天気を伝えている。 『皆さんおはようございます。八月二十日、今日の天気です。今日の藺草市はとても暑く、真夏日となるでしょう…』  そうしている間にも部屋は悍しい華々で満たされていく。窓の外では、セミが必死になって木にしがみついて、叫び声をあげている。短い命を嘆いている。  部屋の中に人影はなく、誰もその様子に気づくことはない。開け放たれた窓からは夏の朝の爽やかな風が入り込み、真っ白なカーテンを揺らす。部屋の外からは、ラジオ体操のハキハキとした声と、夏休みの小学生たちの騒ぎ声が聞こえて来る。  カーテンの隙間から、太陽の光が部屋に朝を告げる挨拶をする。日の光に照らされて、紅の華たちはてらてらと耀き、自らを主張する。その華々に囲まれて、まだ熱の残ったたんぱく質の塊が一つ転がっている。目からは、涙がこぼれている。  その近くには、持ち主を失ったペティナイフが一本。   ――――――――――  あんなことがあったのに、空は何事もなかったかのように澄みきっている。  空だけじゃない。近所の子供たちはいつも通り飽きもせずにボールで遊んでいるし、おばさんたちも長い立ち話をしている。鳥だって、街だっていつもと変わらない。  「当たり前か…君が死んだところで、街や他人に影響があるわけがない。」  世界が変わるわけがない・・     懐かしい街並みを、僕はバスに揺られて進んでいく。僕、藤沢 光助は顔を歪めながらバスに身を委ねる。涙は出ない。  僕は今、工場へと向かっている。タンパク質の塊になってしまった君を、牛や豚と同じように焼いて加工し、死者の国へ出荷するための工場だ。    しばらくすると、バスは街を抜けて山道に入った。工場は、となり街に向かう途中の山の中にある。それも、山を二つほど越えたところだ。工場に着くまで、まだまだ時間はあった。僕は君のこと、佐伯 桜花のことを思い出していた。    僕と桜花は、小学校が同じであったが友達ではなかった。僕たちの関係を表すのなら、クラスの両端の関係。そんなところだろう。    彼女は中学一年生のある日、長い間続いていた元親友によるいじめに終止符を打ってくれた。それは当時自殺を考えていた僕の人生を大きく変えたと言っていいだろう。そして、彼女が僕の人生を変えた日、僕と彼女は友達になった。 「君、いつも教室で本を読んでるよね。」  桜花がそのとき、僕にかけた言葉だ。その言葉に僕がどのような言葉を返したかはもう覚えていない。 「私もよく本を読むんだけど、周りに本が好きな人がいなくて、本の話が全然できなかったんだ。よかったら、私と本の話とかしてくれない?休みの日とか、暇なんだ。」  愛想がよくて明るい彼女が、休みの日に友人との約束がないなんて、ありえないなと思いながらも、僕は照れ隠しにそっけなく「いいよ」と返事をした。これだけは覚えていた。  それから休日のたびに、僕らは互いの家の近くの公園に集まり、本について語り合った。好きな本だとか、好きな小説家だとか、本当に他愛ない話だ。でも、そんな僕たちの関係は学校の無い休日だけの関係でしかなかった。  学校のある日は互いに声をかけることは無かった。そもそも、僕から彼女に声をかけること自体が無かった。それは休日であろうと平日であろうと同じことだ。おそらく、友人と遊ぶからだろうが、彼女は学校のある平日に僕を誘うことは無かった。  もちろん例外はあった。夏休みや冬休み、春休みなんかは平日とか休日とか関係なく公園に集まった。もちろん、桜花が誘ってきた時に限られるけど、だいたい1週間当たりの4日程度は会っていたと思う。    僕は多分、桜花のことが好きだった。友達になるまでほとんど話したことは無かったが、彼女の眩しい笑顔に惹かれていた。そして、中学に入って彼女と時間を共有することが増えていくにつれて、僕は彼女に恋心を抱くようになった。と思う。    僕は、できることならば君の特別になりたかった。でも、そんな僕の想いは叶うことなく、時間だけが虚しく過ぎ去り、僕たちの関係は何も変わることのないまま、高校二年生の夏を迎えた。     そして、夏休みも終盤に差し掛かる八月二十日に、僕から近くも遠いところにいた桜花はある日突然。なんの前触れもなく。僕が手をのばす間もなく。死者の国へと向かう特急列車にかけ込んでしまった。    自殺をする人間は、直前になって態度や性格が変わる傾向にあると聞いたことがあるが、彼女が死ぬ直前の一週間を思い出しても、不思議なことは特になかった。    八月十三日、僕は彼女に呼び出されて、いつも通り本の話をした。  八月十四日、彼女からの連絡がなかったので、家で本を読んでいた。  八月十五日と十六日は、十三日と同じような日常を過ごした。  そこからは、彼女が自殺をする前日に呼び出されるまで、彼女からの連絡が来ることはなかった。    唯一気になったのは、自殺前日の夜に彼女から電話が来たことくらいだ。  それまで、僕らはメールでしか連絡を取っていなかったものだからすごく驚いた。  僕は、君の現実を見ることができなかった。いや、見ようとしなかっただけだろう。きっと、僕は君の現実を知ってしまうのが怖かったのだろう。 「だって……」  僕は無意識のうちに呟いていた。 「だって、君の見ている現実を、僕が知ってしまったとしたら、僕はきっと…」  きっと、君に対する想いが、全く別のものへと変わってしまう… 「僕は最低な人間だからな。」  気づけば、再び声が漏れていた。   僕は、最低な人間だ。面倒なことには関わりたくないからと逃げ、目を逸らし、自分は関係ありませんよと両手をあげて、だんまりを決め込むような人間だ。だから僕は、何も知らないままで君のことを想いつづけたんだ。  でも、君は死者の国へと向かってしまった。誰に強制されたわけでもなく。誰に背中を押されたわけでもなく。自らの意思で、自らの足で死者の国へと向かってしまった。自らの手で、自らの首に深紅の花を華々しく咲かせて…  桜花に会いたい。桜花と話がしたい。桜花の声が聴きたい。でも、それはもう叶わない。こっち側では。    考え事をしているうちに、気づけば街の面影はすっかりなくなっていて、道は荒れた山道になっていた。僕はそこから工場までの道のりを、持ち合わせた本を読んで過ごした。  木々の隙間からチラチラと顔をみせる太陽が、本を読む手元をいい感じに照らしてくれた。バスに冷房はなく、額に汗がにじむ。開け放たれた窓からは、ぬるい風が気休め程度に入ってきて、窓際の風鈴を揺らす。  風鈴の音に耳を澄ませながら本を読んでいると、外からセミの鳴き声が聞こえてきた。僕は、セミの鳴き声はどうしても好きになれない。まるで短い命を嘆いているかのように感じられるからだ。  しばらくすると、山側である右手の景色が、ほんの数秒の間だが変わった。コンクリートで舗装された山肌は消え、大規模な墓地が広がっていた。墓石があるものもあれば、木の板に名前を書かれているだけのものもあった。  お盆明けとあって、どの墓に添えられた花もまだ生き生きとしており、本来は物寂しいはずの墓がカラフルに染められていた。赤い花。黄色い花。白い花。備えられている花々はそれぞれ違うが、そこは確かに花畑になっていた。  今日は、太陽がまぶしい八月二十一日。君が逝ったのは、昨日のことだ……。  ガタガタと激しい音を立てて荒れた道を進むバスに揺られ、僕は本をめくる手を止めた。窓の外を見ると、すでに工場の近くにまで来ていた。    それにしても、今バスが通っているこの道だが、地元の人々が獣道という愛称で呼んでいるくらいに荒れているのに、市営のバスがこんなところを公式のルートにしても良いのだろうか。いつか運転を誤って、山の下へ向かって落ちてしまいそうだ。    そんなどうでも良い事を考えているうちにバスが止まった。バスのアナウンスを聞くと、どうやら工場に到着したようだ。 「すいません。降ります。」    僕は百円玉を二枚財布から取り出し、精算機に投入してバスを降りる。これから、君が加工されて死者の国へと出荷されるのを見なければいけないのだろう。そう思うと憂鬱だった。相変わらず空に雲はなく、太陽は微睡みはじめている。  腕時計で時間を確認すると、桜花はあと十分ほどで来るだろうと分かった。桜花を加工するまで、残り三十分程度だったからだ。建物の前にある看板を見ると野村斎場と書かれている。この周辺の街で唯一、火葬をすることができる建物だ。    彼女は斎場の中にある火葬場で焼かれる。僕は敷地内のベンチに腰を下ろし、桜花が来るのを待った。辺りを見ても人は僕しかいない。 「みんな遅いなぁ」   そういえば、葬儀の時も皆いなかったな。と、半日前のことを思い出す。あの時いたのは、桜花の祖母と近所の人々、親戚、僕、そして住職だけだった。あれだけいつも一緒にいたクラスメイトの姿は無く、彼女の両親の姿さえ無かった。     十五分ほどして、豪華な装飾を施された黒塗りのベンツに乗り、桜花はやってきた。車の運転手が降りてきて、両開きに改造された後部のドアを開け放つ。そこには、汚れというものを知らないのではないかというほどに、文字通り真っ白な箱があった。  運転手は、係りの人に手伝ってもらいながらそれを建物の中へと運んで行く。僕はそれを追って、建物の中へと向かう。     しばらくして、最後の挨拶を受け取り、桜花は炎の檻の中へと入っていった。彼女の祖母は泣き崩れていたが、僕はどう頑張っても涙が出てこなかった。建物の中には、人を箱に入れて焼くためのスペースが四つあるが、今、動いているのは僕の目の前の箱だけだ。     君は加工されていく。    次に箱を開けた時には、君はすでに死者の国へと旅立っているのだろう。今、この瞬間がすごく恐ろしい夢のようにも感じる。 「夢なら覚めればいいのに。」    特に深い意味は無く、ただなんとなく思ったことを呟いた。何をつぶやこうと、現実に変化があるわけでもなく“ピーッ”という機械音によって、加工が終了したことを知らされる。    警備員のような服装をした担当の人が、中から箱を取り出してきた。白色にコーティングされていた箱は、布のコーティングが焼け落ち、鉄がむき出しになってしまっている。箱が開けられるが、中にはもう君はいなかった。カルシウムの塊がパラパラと崩れ落ちているだけだ。     桜花の肉体は無事に、精神を追いかけて死者の国へと行くことができたようだ。常に多くの人に囲まれていた桜花を見送っていたのは、僕と彼女の祖母だけだった。  佐伯家は親戚が少ないらしく、その少ない親戚ですらあまり深い仲では無かったそうで、住職がお経を読み終わると彼女の祖母が親戚を帰らせた。  クラスメイトの皆に関しては、彼女の死を受け入れることができなかったのだろう。だから誰も彼女の葬儀や火葬に立ち会わなかったのだろう。    桜花に並ぶほどの美人で、学校のアイドル的存在であった山沢 あかねも。クラスの皆の頼れる学級委員である江口 佑也も。きっと、桜花の死を受け入れることができないのだ。    いつも桜花と一緒にいたそいつらが、彼女の葬儀に来ない理由なんてそれくらいしか思いつかない。    まぁ、僕にはクラスメイトであるという事以外には、何の関係も無い人達だからどうでもいいのだけれど。     僕は、桜花だったものが入れられた小さな箱を両手で抱え、重い足を動かして工場を出た。何故僕が箱を持っているのかというと、彼女の祖母が体調を崩して病院に向かってしまったからだ。    僕は彼女の祖母に変わり、彼女と共に帰路につく。辺りはすでに闇に包まれていた。その中で二つの黄色い目を光らせていたバスに、僕は乗り込んだ。    帰りのバスの中で、山の上からの景色を見ていた。眼下に広がる街を見ながら、彼女の祖母が言っていた事を思い出す。 「桜花から預かっているものがある。」  体調が悪い人とは思えないくらいに冷静な口調だった。彼女が僕に何を残したのかは全く見当がつかない。明日、彼女の家に行こう。    木々の隙間からは街を見渡すことができた。眼下の街では家々に灯りが点っていて、山の上から見ると光の海のようだった。過ぎていく家々の灯りが、桜花を死者の国へと送り出している灯篭流しのようにも見えた。空も人々も桜花の死には無関心だったようだが、街だけは彼女の死を惜しんでいるのだろうか。    僕は眼下に広がる光の海を眺めながら、ふと浮かんだ疑問を頭の中で繰り返していた。 “どうして彼女の両親は来なかったのだろうか。”  バスを降りた僕は、桜花の残骸を持って家へと帰った。    家に着くと疲れがどっと押し寄せ、眠気が誘ってきた。僕は彼女を机にそっと置き、そのまま倒れるようにベッドに横になる。    彼女がどうして自殺をしたのか、その理由を考えたのだが、強く迫ってくる眠気に勝てることは無く。考えようとする自分の意思とは反対に、両のまぶたが静かに幕を下ろした。  
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