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― 「結構人が多いなー」  七月十四日の夕方。京都市内は暑さなどものともしないかのような大勢の人に埋め尽くされていた。 河原町の大通りは歩行者天国になり、出店が軒を連ねている。 古都に夏のはじまりを告げる祇園祭は界軸大災後も変わらずに毎年続けられている。祭のハイライトとも呼べる「宵山」は本日から始まるが、祭自体のはじまりは一日からだ。  瑠花たち「桜導(さくらしるべ)」のメンバーは夏らしい浴衣や甚平に身をつつんで歩行者天国を歩いていた。ちなみに「桜導(さくらしるべ)」というのはつい先日真赭が命名した、彼直属のグループの名称だ。  華茶花学園は前に述べた通り特殊能力者のための学校だが、その中でも選ばれた者たちで構成される集団がいくつか存在している。選抜条件は校長やクラス単位など色々あるが、その中に生徒会枠というものが存在する。月輪真赭はこの学園の生徒会長であり、生徒会枠として直属の部下を選び指揮する権限が与えられている。そして彼がメンバーに選んだのが瑠花、紺、臙脂、浅黄、青磁の五人だったというわけだ。  かなり突然のことだったが、この五人は二年、三年と同じクラスで仲が良かったので今の所トラブルは起きていない。戦闘面に関してだけは実戦経験がほぼないという弱点はあるが、こればかりは回数を重ねて慣れて行くしかないだろう。  「あ、林檎飴……」   浅黄が甘い香りを漂わせている林檎飴の屋台の前で足を止める。 「ああ、浅黄は林檎飴好きだもんな。ちょっと待ってろ」  臙脂はそう言うと人の波を器用にわけて歩いて行き、数分後に両手に一本ずつ林檎飴を持って戻って来た。 「ほら、浅黄。こっちは青磁な。お前甘いもの好きだろ」 「あ、ありがとう……あ、後でお金払います」  浅黄は細い指を伸ばして林檎飴を受け取る。口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。 「ありがと、気が利くね。臙脂は。ま、紺の怪我にいち早く気付けるぐらいだし」 青磁はぱっと林檎飴を受け取ると、そのままぺろっと舐める。 「何でそこで紺のことが出るんだよ」 臙脂はそう言うと少し顔をしかめる。 「一週間前に建物の影で白昼堂々いちゃいちゃしてたよね?」 「してねーよ!あれはただ傷の治療してただけだろ!お前だってあの時紺が怪我してたの知ってただろうが!」 「ま、そうなんだけど。昔っから臙脂って紺の怪我の治療よくしてるよね。しかも放課後にシャツはだけて」 青磁がからかうように臙脂と紺を交互に見る。 「そんなに紺って怪我ばかりしてるの?もしかして放課後の教室で別のことをこっそり……」 「別?怪我の治療以外に何をすると言うのだ?」 瑠花はきょとんとした顔で紺を見つめる。 「あ、えーと……る、瑠花は知らなくていいと思うよ」  紺は慌てたようにそう言うと手をぱたぱたと動かす。 「そ、そうだな。世の中には知らない方がいいことがあってだな」 紺と同じように手をぱたぱたと動かしながら臙脂もそれに続く。 「そうだね。どうしても知りたかったらオレの家でこっそり教えてあげてもいいよ?」 対照的に青磁は悪戯っぽく笑うと瑠花にこう囁く。 「え……」  瑠花は戸惑いながら彼を見つめる。それは普段では全く見せない表情だったから。 「……なーんてね。暑いから喉乾いちゃった。あそこの冷房効いてるお店に入ろうよ。ほら瑠花も」  次の瞬間、彼はもういつもの彼に戻っていていつものような笑顔でファーストフード店を指さした。 「さんせー。ほら、瑠花も」 「あ、ああ」 (何だったんだ?さっきの青磁、いつもの青磁じゃないみたいだった)  青磁に促されて五人は通り沿いのファーストフード店に向かった。 ―― 「ぷはー……生き返るぜ……」 「生ビールを飲むおじさん……みたいです」  ファーストフード店「Penバーガー」の店内は冷房が効いていてとても快適だった。祭の期間中ということで店内は大賑わいで、学生らしい姿も見える。  Penバーガーは学割制度があり、学生の場合料金が少し安くなるために余計に学生人気は高い。瑠花たちはこの夏の新商品「南極フラッペ」を頼み、二階の窓際の席に座っていた。 「『南極フラッペ』は一応全部制覇したけどオレ的にはやっぱりマンゴーかな」 青磁はそういうとフローズンドリンクをずずっと音を立てて太いストローで吸った。  住んだことのある者や真夏に京都に行ったことのあるものはわかるだろうが、京都の夏はとにかく暑い。それは盆地と言う地形のせいだと言われている。そのため涼を取るために河床や打ち水などが文化として定着したのだろう。そしてそれらは二〇四〇年でも続いている。 「とりあえずこれからどうする?まだ陽が落ちるまで時間もあるし鴨川の方にでも行こうか。この辺りや新京極は人が多そうだし」 紺の提案に瑠花が頷く。 「それがいいな。静かならお囃子の音もよく聞こえるだろう。それに確か一方通行だったからな」 こうして五人は鴨川へと足を向けた。  後に思えば、この時にもしも五人が鴨川に足を向けなければその後の運命は少し変わっていたのかもしれない。 否、おそらくこの出来事は初めから決まっていた。瑠花という少女が「彼と出会う」ことは必然だった―― ――  陽が落ちて、夕闇につつまれ始める鴨川沿いを歩いていた5人は小さな屋台の前でふと足を止めた。風に乗って聞こえてくるお囃子の音と、淡いオレンジ色の光を放つ提灯。 その時に瑠花は何故か「ああ、祭が始まったのだ」と強く感じた。  日常がケなら祭りはハレ。そしてハレというのは非日常だ。そしてハレの時には異界との壁は薄くなる。祭りに関する不思議な話のいくつかを瑠花は耳にしたり、本で読んだりしていた。  世界ががらりと反転する。もしくは境を無くして朧に溶ける。特にこの京都という街では祭りの時にそう感じた。 「いらっしゃいませ」 店主に声をかけられて瑠花ははっと我にかえった。 「へえ、金魚すくいか」  紺の言葉に顔を上げると、確かに木の看板に「金魚すくい」と書かれていた。 「お嬢さん、ポイをどうぞ」 「あ、ああ。いくらだ?」  そう言って財布を出そうとする瑠花の手を店主がそっと押しとどめた。 「お代はいらないですよ。そろそろ店じまいをしようと思っていたところだから」 「そ、そうなのか?見るからに高級そうな金魚たちなんだが」  水槽の中を泳ぐ金魚は一般的な金魚すくいで見られるものとは違う。色は何色も混ざっており尾びれはまるでドレスの裾のように優雅に揺れている。その姿はまるで泳ぐ宝石。淡い提灯の光を反射して鱗が金色に輝く。 「さあ、どうぞ」  にっこりと笑った店主に勧められ、瑠花はポイを水に浸ける。すると一匹の金魚が引き寄せられるようにポイの上に泳いで来た。 「瑠花、今!」 「それ!」  瑠花がポイを水からあげると一匹の金魚が手に持った透明な器の中で泳いでいる。ポイは破けていた。 「瑠花さん、どうか『彼』を大事にしてあげてくださいね」  店主はそういうと金魚鉢に瑠花がすくった金魚を入れて手渡してくれた。 「……待って下さい。貴方、なぜ瑠花の名前を?」 「おや、さすが紺くん。鋭いね。いずれわかるよ。とりあえずこれだけは最後に――」  店主はそう言うと紺の耳元で何かを囁く。それを合図に空間がぐらり、と揺れた。 ―― 「瑠花、紺。大丈夫か?」 「う……」「んんっ……」  鴨川沿いのベンチの上で瑠花と紺は目を覚ました。傍らには店主から渡されたのと同じ金魚鉢が置かれている。金魚鉢の中の金魚もあの店ですくったのと同じ更紗和金。 「金魚すくった直後に急に倒れる……から……心配したんです……」 (夢……ではないのか) 「大丈夫。ちょっと暑さにあてられちゃっただけ。それよりその金魚どうする?」  紺は立ち上がり、瑠花に問う。 「そうだな、祇園祭が終わるまでにはまだ日にちがある。今日のところはこの子を連れて帰ろうと思う」 瑠花の言葉に全員が頷く。 「それがいいぜ。あんまり連れ回すと水がぬるくなっちまう。瑠花のとこは湧き水があったよな」 「水道水なら一晩置いてカルキを抜かないとだけど、それなら大丈夫だね。じゃ、駅で解散かな」  その後五人は最寄り駅まで一緒に地下鉄に乗り、そこで別れた。瑠花と紺はそのまま一度瑠花の屋敷に寄って湧き水を金魚鉢に注ぎ、そしてまた学園の寮へと戻って行った。 ―― その夜夢を見た。 「ごめんね……ごめんね……」  ぽろぽろと涙をこぼす黒髪の少女。その傍らにはもうひとり金茶色の髪の少年が付き添っていた。眼前には土を盛り上げて作られた小さな墓。ふたりの手には野草の花が握られていた。 (これはあの時の……)  微かに覚えている。幼い日の夏祭り。宵闇に浮かび上がる淡い光たちと祭りの笛の音。 紺とふたりで出かけた時に瑠花はどうしても金魚が欲しくなって紺にすくってくれと頼んだ。紺は瑠花の願いを見事に叶え、袋に入った金魚を瑠花に差し出した。  瑠花はその金魚に金紅石(ルチル)と名前をつけた。透明な水の中できらきらと光に輝く鱗がまるでその石のように見えたから。紺とふたりで毎日世話をして可愛がり、金魚の方も彼女に懐いていった。だが、その夏の終わりの夕暮れに金魚は死んだ。  そしてそれと時を同じくして、ふたりを優しく見守ってくれていた瑠花の父も姿を消した。 ――それが、幸せな時間の終わり。 (どうせ夢の中なんだ……泣いたって……いいよね……)  瑠花の目から一筋涙が落ちる。  父が姿を消してから生活は一変した。  ある日いきなり瑠花の屋敷にやって来た若い男は自らを叔父と名乗った。その後から紺が怪我をしてくることが増え、幼い頃よりさらに痛覚が鈍くなったのは気のせいだろうか。  瑠花自身も当主としての振る舞いや戦闘技術を叩き込まれ、幼い頃のように上手く笑うことができなくなった。  だから、紺とふたりで逃げるように華茶花学園にやってきた。手続きは父の友人と名乗った男が全て行ってくれた。ぶっきらぼうで目つきは悪いものの、父と同じく優しい瞳の持ち主だった。  そしてそれからまもなくして叔父と名乗っていた人物は姿を消す。  今は瑠花の住んでいた屋敷は空き家同然となっている。 風の噂では美しい婦人が住み着いた、とも……  不意に柔らかな指が瑠花の頬に触れる。 <泣かないで> そして優しい声がした。 「君は?」 <僕があの時死んだのは僕の体が弱かったから。瑠花はそんな僕に愛情をくれた。紺だって同じ> ぱしゃん、と小さく水の音がした。 「……《金紅石|ルチル》?」 <そうだよ。だから、今度は僕がふたりの力になる。明日の夜は満月……紺とふたりで屋敷に僕を連れて来て……話したいことがあるんだ> 「ああ、わかった……」  遠くでちりん、と鈴が鳴る。綺麗で透き通ったその調べが夢の終わりを告げた―― ―― 「瑠花ちゃん、起きて!こ、このままだと遅刻します!」 「あ、ああ……おはよう、浅黄」 「や、やっと起きてくれた……って早く着替えてください!」  慌てる浅黄に急かされるように服を着替えて慌ただしく寮の玄関をくぐる。1限目にはなんとか間に合った。その後いつもよりすっきりしない頭で午前中の授業を消化し、昼休み。  食堂は学生で混み合うため、瑠花たちは桜導に選ばれてから常に与えられた部屋で昼食をとるようにしている。防音設備も優れているため、気兼ねなく作戦会議が出来る点も大きかった。 「瑠花が遅刻ぎりぎりなんて珍しいよね。どうしたの?」 青磁が不思議そうにこういって瑠花の顔を覗き込む。 「そういや紺、大丈夫かお前。朝からずっと顔色が良くないよな。早退するか?」 「大丈夫だよ臙脂。ちょっと嫌な夢を見ただけだから……」  紺はそう言って笑ってみせるがいつもより顔色は悪い。体調を崩すほどの悪夢とは何なのか瑠花は少し気になったが、尋ねることはしなかった。 「瑠花ちゃんも……顔色良くない……ふたりともゆっくりしたらいいかも」 「え?わ、私は別にいつも通り……」  そう言ってゴミを捨てに行こうとした瞬間、ぐらりと視界が揺れた。咄嗟に太い腕に抱きとめられる。 「って言ってるそばからじゃねーか。瑠花、紺お前らは早退しろ。紺、瑠花を送っていくぐらいはいけるか?」 「うん。じゃあ俺たち早退させてもらうことにするよ。ノート頼むね。あと先生にも上手く言っておいて」  昼食を食べ終えた瑠花と紺は教室に戻って鞄や必要なものを取った後でそのまま校舎を後にした。 ――  曇り空から雨が降り注いでいる。紺の差す傘の中で瑠花は口を開いた。 「あのな、紺。不思議な話だと思うが聞いて欲しい。今日の夜に屋敷に来て欲しいと……夢の中でルチルに言われたんだ」 「ルチル?俺たちが可愛がってた金魚の名前だね。でも今はお盆でもないのにどうして」 紺は不思議そうに尋ねる。 「紺は信じてくれるのか?こんな不思議な話を」  少し恥ずかしそうに言った瑠花に、紺は微笑んでこう返す。 「この古都ではよくある話だし、マヨイゴが闊歩してる世の中だよ?何があったって不思議じゃない。それに瑠花は嘘なんかつかないから」 「じゃあ」 「うん。寮長さんに事情を話して今日は屋敷に泊まる許可をもらうよ。俺も瑠花とルチルを信じる」  その後安静にすることとの条件付きで外泊許可はすんなりと取れ、瑠花と紺は屋敷へと向かった。 ―― 「あら、おかえりなさい。瑠花はんに紺はんやったね」  無人のはずの屋敷の前でふたりを出迎えたのは美しい紅色の着物を身に纏った黒髪の女性だった。 「そうだが、貴方は」 「ああ、ごめんなさい。私は夜月緋色。これでも一応売れっ子のBL作家なんやけど、知らへん?」 「びーえ……?」  瑠花と紺の頭上にはてなマークが浮かんでいるのが見えたような気がして、緋色は続ける。 「簡単に言うと男同士の恋愛ってとこ。まあ、そういうの苦手な人もいはるし作家ってことだけ覚えといてくれればいいんやけど」 「お、男同士?」  その言葉に瑠花と紺は目を丸くする。 「……瑠花はんはわかるけどな、白昼堂々、物陰で臙脂はんといちゃついてた紺はんは驚いても説得力ないなあ」 「……な、なな」  ふたりの反応が面白いのか、からかうように緋色は更に続ける。 「おかげで新作のネタが浮かんだから感謝やなあ。モデルは臙脂はんと紺はんでいくわ。……今は昔よりはそういうの、普通になったけどな。昔はそういう思考は徹底的に排除されてきた。江戸時代ぐらいまでは男色は普通やったから、戦国武将には男に向けてラブレターを送ったような人も……」 「……な、なるほど興味深いな……」 「瑠花、真剣に聞かなくていいって!」  紺が慌てて瑠花の耳を塞ごうとするが、その手を緋色が止めた。 (……な?この感じは……) 「……いつの時代も異端や人と異なる者は排除されてきた。迫害され、差別され、社会の贖罪の羊(スケープゴート)として……所詮歴史なんてもんは『勝者』のものや。『敗者』は化け物にされる。『敗者』の神々たちは悪魔や妖怪に零落する……」 緋色は淡々とそう言って、紺の手をぱっと離す。 「……つまり『語られざる歴史』にこそある意味で『真実』は宿る。そして彼らにも『歴史』はあり、恨みは消えることなく積もって行く……」 緋色はそう言ってそっと目を閉じる。 「大きな運命の歯車の中で人は小さく儚きもの。けれども不思議なことに愛や絆の輝きはとても強く美しい。それは男女であれ親子であれ…… はたまた男同士であれ女同士であれ……人と人ならざる者であれ同じこと。……だからその素晴らしさを描きたいと思うんやろうね」 彼女はそう言うと柔らかく微笑んだ。 「さてと、長話に付き合わせて悪かったなあ。私はちょっと前からこの屋敷の一室を借りて執筆作業をしてるんよ。あ、もしたまに目つきの悪いジト目系三白眼の青年が屋敷を訪ねてきても追い返さんでな。彼は……優秀なアシスタントはんやから」 「あ、私たちは滅多にここには帰ってこないので……むしろ緋色さんが住んでいてくださるなら安心です」 瑠花はそう言って微笑む。 「ふふ。そう言ってもらえて嬉しいわあ。私は今日の夜は帰らへんし、おふたりでどうぞごゆっくり」 緋色はそう言うとそのまま立ち去った。 「……今の人は……」 「……なんというか、面白い人だな」  そう言って微笑む瑠花に、紺は言いかけていた言葉を呑み込んだ。 「まあ、瑠花がそう言うなら。とりあえず夜までのんびりしようか。不思議だけど、さっきまでの具合の悪さがなくなってるし」 「あ、私も。そうだな、のんびりしようか」 ――  坪庭に面した縁側で紺は横になっていた。その傍には瑠花。さらにその片隅には金魚の入った金魚鉢が置かれている。主がいないわりに下草も生えず、植物が枯れた様子も見られないのはもしかすると緋色の手によるものかも知れない。  雨は止んだようで、蝉の声が聞こえる。遠くからは風に乗ってお囃子も。祭りはまだまだ続いている。ハイライトともいえる山鉾巡行もまだ行われてはいない。 「何だかこうして紺とふたりきりでのんびりするのなんて久しぶりだな」 「そうだね。ふたりともずっと寮生活だったし……それこそルチルがいたあの夏以来かも」  紺はそう言って笑うと、コンビニの袋からアイスクリームを取り出して瑠花に渡す。 「食べる?」 「ああ、もらうよ。ちゃんと私の好きないちご練乳味だな」 「瑠花の好みは昔から知ってるから」  紺は瑠花に向かって微笑むとアイスクリームのパッケージを破り、宇治抹茶味の棒アイスをかじった。 ちりん。  縁側にかけられた風鈴が澄んだ音色を奏でる。空は茜色に染まり、夜は近付いていた。小さな世界の中で、時はただ穏やかに優しく流れて行く。 「ねえ、瑠花。変な話をするけど……もし俺が人間じゃなかったらどうする?」 不意に真剣な表情で紺が尋ねる。 「どうって……別にどうもしないな。紺は紺だ。それにこの京都という土地ではそういう者たちが隠れ住んでいても不思議じゃない気もするし」 「瑠花……ありがとう」 彼はそう言うと少しだけ寂しそうに笑う。 その時、ぱしゃん、と水の音がした。 <瑠花、紺……えっと……久しぶり……でいいのかな> 「……ルチル……なのか?」  ようやく顔を見せたばかりの満月の光を浴びて、赤みがかった橙色の髪を持つ少年が立っていた。全身に水を纏い、額には大きなルチルクオーツ。耳の部分はひれのような形状で、足は金魚のような鱗に覆われていた。着ているのは着物のような衣服。年は十四〜十六才ぐらい。 <うん。えっと、時間がないから単刀直入に言うね。厳密に言うと僕はルチルではあってルチルではない。鏡界(カクリヨ)から現世(ウツシヨ)にやって来た存在なんだ> 「鏡界(カクリヨ)と言うと、マヨイゴたちと同じ世界から?」 紺の言葉にルチルは頷く。 <そうだよ。マヨイゴと僕らの本質は同じ。ただ、マヨイゴはこの世界に溢れる負の気で狂ってしまった存在なんだ。……そしてこれからが重要なんだけど……瑠花はどうしてマヨイゴを滅ぼさずに還すのか疑問に思ったことはない?> 「ああ、それはな。絶対に倒すなと会長には念を押されたが」 <それはね、君たち『人間』が現世(ウツシヨ)と鏡界(カクリヨ)に実質ふたり存在することで成り立っているからなんだ。現世(ウツシヨ)の人間が死ぬと鏡界(カクリヨ)の存在も『星の闇』へと還り、再び生まれ変わるときを待つ。それは絶対に変わらない理のはず、だった……> ルチルの表情が曇る。 「だった?」 <鏡界(カクリヨ)には魂鎮めの巫女姫がいて、その理をずっと果たしていた。だけど現世(ウツシヨ)で界軸大災が起こったから鎮めきれなくなった。暴走した界軸石からあまりに大量の負の気や魂が流れ込んで来て巫女姫は……倒れてしまった。その時現世(ウツシヨ)でも鎮めの儀式が行われたから、ふたつの世界はなんとか壊れずに済んだけど、現世(ウツシヨ)で儀式を行った者もただでは済まなかった。そして境界の壁は薄くなり、マヨイゴたちがこちらの世界に迷い込むようになった。それが昨日瑠花たちが戦った相手だよ> 「つまりはマヨイゴを滅ぼすことはその人間を滅ぼすということなんだね」 ルチルはこくりと頷く。 <そうなんだ。マヨイゴにも色々いて、自我がないようなものはもう現世の存在が失われた亡霊みたいなものなんだけど、意志を持っている者は基本的には現世(ウツシヨ)の 自分を助けたいとか、心配で見てみたいというのが界渡りの動機だから……残念ながら負の気で狂ってしまう者が多いけど……彼らを滅ぼすと現世の彼らがおかしくなってしまう> 「わかった。充分気をつけるとしよう」 <ありがとう。……僕もね存在的に言えば『マヨイゴ』なんだ。だけど、鏡界の中でも石の力を強く持って生まれた存在は界渡りをしてもマヨイゴのようにならない。負の気にもある程度は耐えることが出来る。そして僕らの存在を統べる『姫』さまは現世(ウツシヨ)の人間に僕らという新たな力を与えると決めたんだ> ルチルはそう言うと瑠花にルチルクォーツの勾玉を差し出す。 <瑠花。僕と契約して欲しい。僕は金魚としての生は終えたけど今は石妖『金紅石』となってここにいる……これから戦いは激しくなる。ふたりの力になりたいんだ> 「……わかった」  瑠花は少し考えるとその勾玉を受け取った。 <うん、これで契約は成立。僕らは満月の時にだけこの世界で長時間実体化することができる。普段は契約者が強く望んだ時に一時的に力を与えることくらいしかできないけど> 「それで充分だよ。金紅石。俺も感じてたから……戦いが激しくなることは。だから瑠花をよろしくね」 <紺もだよ。紺は痛覚が鈍いからって無茶しすぎだよ……昔からずっと。でも、少しは気付いて> 金紅石はそう言うと紺の耳元で小さく囁く。 <君が――だから痛覚が鈍いことは君自身がもう良く知ってるよね?だけど、君が無理をして傷付くことで傷付く人もいるんだから>  ぱしゃん、と小さく水の音がして、金紅石の姿はその場から消えた。金魚鉢の中にいたはずの金魚も、それ以来戻って来ることは無かった。 「新たな……力、か」  瑠花は月に手を翳す。もう片方の手の中には小さなルチルクォーツの勾玉が握られていた。 「……どのみちやることは今までとは変わらない。紺、今までと同じように力を貸してくれ」 「もちろん。俺はいつだって瑠花の力になるから」  その夜、紺が満月の光の下で真っ直ぐに見た瑠花の姿は、溜め息が出るほどに美しかった。
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