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 桜がさざめくのを、僕はベッドから眺めていた。  三月も終わりそうだという今。新学期にそわそわとしている同年代の男女を横目に眺めつつ、僕の腕からはチューブが一本伸ばされて、可能なかぎり安静にするように、と担当の《医者|せんせい》から言いつけられていた。僕としては、特段どこの調子が悪いということはないのだけど、医者に言わせると、けっこうな無茶をしている状態、らしく、両親にだけ病状が伝えられていて、本人が蚊帳の外、なんていう笑い話だった。  ざぁ、と音の鳴るのが、窓の外から響いてくるのがわかった。からっと晴れていて、花見をするには、さぞ良い日頃なのだろうと思う。可動式のベッドを起こされて、開かれたカーテンから外の風景を見ることを仮に花見を呼べるのなら、まさに絶好の環境だと、僕は皮肉か考える。  どれだけ病棟内が騒がしくとも、ここは腐っても病院で、当然、花見をするにしてもちょっとお茶と、栄養バランスに影響の少ない程度の菓子や甘味が、雀の涙ほど提供されるだけで、きっと面白みもなにもないのだろうけど、花見くらいしかすることのできない入院患者にとっては、風で木々の揺れる様の、一分一秒、刹那というときだって、娯楽になりえるのかもしれない。  みっつ隣の病室に入院しているおじいちゃんを見舞いに、奥さんであるおばあちゃんが来ているのがわかる。どちらも耳がそこそこに遠くなっているようで、お互いによく叫ぶから、廊下に会話が筒抜けになる。反対側、ふたつ隣の病室には僕と同じくらいの年齢の女の子が暮らしていて、快活で教養のある子なのだという。快活とはいっても、そこは入院している程度のそれなので、張られた声が響いてくることはまるきりない。どちらも担当しているという見崎《看護師|さ ん》は、可愛い子だけどお近づきになんて考えないほうがいいゾ、なんて冗談めかして言ってくる。きっとそういうことなのだろうなと至ってしまった程度には、僕もこういう生活が長引きつつある。  病棟に響く戦争な喧騒は、子守唄にはならないけれど、とはいえ、はやりのポップスやバラードよりはずっとバラエティに富んでいて聞き飽きることがない。同じ楽器、同じプレイヤーなのに、毎日毎回、奏でられる音色が違う。それらのアンサンブルをバックに、僕は日々刻々と変化する風景、桜の花の靡くのを、開くのを、散るのを、目の当たりにして、楽しむ。まして、今日はそれらにほどよいスパイスまでかかっている。 「お、起きてるね」  見崎さんがノックもせず──といっても、そもそも扉を締めていたわけでもないので、それをする理由もきっとないのだろうけれど──病室に入ってくるのを、僕は右手を上げて歓迎する。昼食の下膳のためだろう、そして道中にいろいろとあったのだろうことを推察しながらも、僕はなにも言わずに視線を窓の外にずらした。視界の外でかちゃりちゃりと食器の鳴る音がアクセントとなって、なんとなく、縁側で盆栽を眺めるおじいちゃんのような気分になってしまって、すこし笑った。 「桜、そんなに面白い?」  カートに食器を載せ終わったらしい見崎さんが窓枠の近くまで寄り歩く。僕はベッドに据え付けられたテーブルを指で二度叩く。ふぅん、とわかるような、わからないような声ののち、見崎さんは外を見下ろす。誰も、あるいは何も居ないのを確認してか、僕に向き直って言う。 「これから風が強くなるみたいだから、閉めちゃうね」  名残惜しいけれど仕方ない。僕はテーブルを二度叩いて、ベッドに重心を寄せる。途端、窓ががたがたと揺れ、見崎さんの悲鳴が遅れて聞こえてくる。できるかぎり急いで向き直ると、前髪のみだれた見崎さんと、きちんと閉められた窓、そして── 「……もしかしたら、贈り物、かもね」  僕はそれを右手で持ち上げる。……いつぶりか、こんなに近くで、これをみることができるのは。 「来年は、外で見られるといいね」  膝のうえには、一輪の花をともなう、一本の枝が居る。
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