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 火花が長いどう火線をみるみる短くしていく。立ちこめている白いけむりのなかからおれのほうへかけよってくる《にょろ》。  百万円用意しろ。さもなければキサマの家も家族もコッパミジンコだ――にょろがおれの耳もとでバクハ予告をする。いい終えると同時にドカン。なにもかもがはじけ飛ぶ。  すげえな、おい――飛び散る砂や板。立ちこめる白いけむり。  すごいだろ、《怜|れい》ちゃん――おれたちにふり注いでくる砂や木のかけらたち。  砂浜――めったに人の来ない、ほとんどおれたち専用の場所。そこに積みあげられた古い材木の何本かを、にょろがバクチク花火や理科室にある薬品で作った特せいのバクダンでふっ飛ばす。おれたちはくちたボートの底に身をひそめ、ひさんな世界の様子を虫食いの穴からのぞき見る。 「いつか駅とかビルとか東京タワー、ふっ飛ばしたいね」  にょろが体をゆっくりとのばす。 「いくらなんでもそれはやめといたほうがいい。つかまって死刑になる」  おれも体をのばした。 「死刑? やだね、それ。バクハ事けんやる人たちこわくないのかな、死ぬの」  きちがいみたいな燃えかたをする太陽を麦わらのあみ目ごしににらみつける――五秒でクラクラしてきた。 「つかまらないって思ってんだろ」  おんなじだ、ぼくと――ばかみたいなカンカン照りだというのに黒目がちなにょろ。おどろいているのか、うれしいのかよくわからない顔でいうと、自分のきんちゃくぶくろをごそごそやりだした。たぶん次のコッパミジンコで使うバクダンを選んでいるにちがいない。  こしのベルトにぶら下げていたラジオ=ソニートランジスタのスイッチをひねった。ラジオはおれの宝もので、もうひとりの親友だ。  やきそばのせん伝と、聞いたこともない歌手のコンサートのお知らせ。それから《時ほう》のチャイム――二時。セミの声も波の音も聞こえない、まっ白な時間。おれは立ちあがり、着ていたシャツをぬいだ。 「どうしたの?」 「ちょっと日本からはなれる」  いって、波打ちぎわのほうへ歩く。ラジオはベルトから外して手に持った。 「なんで!?」 「水浴びだよ。暑くて死にそうだ」 「なんだ」  いちいちまじめなにょろ/いつだって不まじめなおれ。  運動が苦手なにょろ/あばれることと逃げ足だけは一級品のおれ。  いろんなことを知っているにょろ/なんにも知らないおれ。  バクダンが作れるにょろ/それも作れないおれ。  父さんしかいなくてビンボーなにょろ/父さんも母さんもいるけどビンボーなおれ。  ビンボーと団地に住んでいること以外、なんにもおんなじところがないおれたち。団地のやつらはみんなビンボーだった。でもおれは金持ち――いつか大金持ちになりたい。なる。なってやる。  ラジオをサンダルの上へ置き、外国に向かって走りだす。くずれた波がくるぶしや足のこうをぬらした。さっきよりも《はで》なドカンが連続で鳴りひびく。地球人の声とは思えないさけびがそれに重なり、さらに別のなにかもそこにまじって聞こえた。 〝怜ちゃん!〟  ギリギリ地球人の声=おれをよぶ連続バクダン魔のそれ。ふり返ると、けむりの向こうににょろじゃないだれかがぶったおれていた。  だいじょうぶか!――かけよりながらさけぶ。 「怜ちゃん、どうしよう⋯⋯」  泣きそうな顔のにょろ。知らない女がおれたちの前で動かなくなっている。  目に見えている部分でケガをしているところはなかった。白い服が血でにじんでいるということもない。おれはおそるおそる女をあお向けにし、それから肩をゆすってみた――起きない。 「おい、しっかりしろ!」  白い女はうんともすんともいわない――やばい気分が胸のなかをせんりょうする。 「どうしよう、ねえ、怜ちゃん、ぼく、どうしよう⋯⋯」 「静かにしろ」 「だって、この人死んじゃったかもしれないよ⋯⋯」 「まだ死んだって決まったわけじゃねえだろ!」  死体かもしれない女を見つめたまま、にょろをどなりつける。 「ばちだ⋯⋯ぼくたち、ばちが当たったんだよ!」  海風が麦わらをぶっ飛ばす。あごひもがおれの首をしめあげる。まきあがる砂。そいつが目や耳の穴へおかまいなしにぶちこまれる。両手の親指を耳へつっこみ、残った指で目のまわりをおおった。指のすき間から女を見る。 「⋯⋯おい、にょろ」  いっしゅんだが、女のまぶたと口もとにさざ波みたいなけいれんが走った――ように見えた。 「なんだよぉ⋯⋯」 「動いたよな? 今」 「動くわけないじゃん!」  そういわれると自信がなくなる。にょろは砂の上にひざをついて、しゃくりあげはじめた。 ――泣いてる場合じゃないだろ、連続バクダン魔。  おれは《なみだ》の代わりに大量の汗を吹きだしながら、女の鼻に耳を近づけた。息をしているかどうか⋯⋯わからない。潮さいと風のせいだ。くそ! さっきまでないでたくせに。《みゃく》をみるために女の手首をつかむ。こきゅうと同じぐらい、こっちもわからなかった。 「ぼくたち人殺しだよ、怜ちゃん」  ジョーダンじゃない。おれは心ぞうに手のひらを当てようとして、やめた。女の胸なんか生まれてから一度もさわったことがない。今はだけど、そんなことを気にしている場合じゃなかった。人ひとりの命がかかっている。おれはしかたなく白い女の左胸に耳をおしつけた。 [*label_img*] 「死体の上に重なったってしょうがないじゃん!」  しっ――聞こえる。ちょっとだが、こ動のような音としん動が耳に伝わってくる。おれは飛びはねるようにして女から頭をはなした。 「おい!」  さっきよりも強く肩をゆすってみた――反応がない。続けてほっぺたやでこをたたく。くちびるが開いて、閉じた。よし! 「だいじょうぶだ、生きてる⋯⋯と思う。死んじゃいない」  だめだよぉ――だめじゃない!  なみだと鼻水でひざの前の砂を黒くしているにょろ。その肩をつかんで、いった。 「にょろ、水だ! 冷たい水!」 「⋯⋯水ならそこに山ほどあるじゃん。山じゃないけど」  そうだった。おれは今、自分でもわからないくらいにあせっている。 「だけどどうやってくんできたらいいの? 入れものないよ」  せなかへぶらさげたものを取ってにょろに渡す――すぐさまつっ返された。あたりを見まわす。バケツのようなものはどこにもない。 「なんかねえか、な⋯⋯」  からからにかわいたのどのせいで声が詰まった。目玉が勝手にちがうものを探しはじめる。 「あれだ、にょろ!」  いって、小道の先に人差し指をのばす。 「自動はん売機? あんなの重くて運べ――」 「ちがう!」  もんくをさえぎる。ポケットというポケットを手探りする。まさぐる。ほじくる。 「キンキンに冷えたコーラかなんか買ってこい! タンサンならなんでもいい!」  つかみだしたありったけの小ぜにをにょろの手のひらへ。 「全然足りないじゃん」 「出しとけ!」  ぶったたくみたいにしてせなかをおす――いいから早く買ってこい!  めったにしない神へのいのり――だいじょうぶ。ただ気を失ってるだけだ。ケガだってしてないし、心ぞうだって動いてる。だから神様!  力いっぱいに手を合わせていのった。願った。たのみこんだ。白い女を助けてくれ! おれたちを人殺しにしないでくれ!――早口で何度も何度もつぶやいた。  だけどもし意しき不明の重体だったら⋯⋯心ぞうだって放っておけばそのうち止まるかもしれない。その場合、おれとにょろは正真正めいの人殺し。二度とふつうの小学生にはもどれない。そして人を殺したやつにはもれなく死刑がついてくる。バクハ事けんのほとんどが死刑なのは人が大ぜい死ぬからだ。おれたちの殺した相手はひとりだったが、そいつをやっちまったかもしれないと思うと急に寒けがしてきた。  立っていられなくなったおれはその場へしゃがみこんだ――人を殺しかねない直しゃ日光。頭の後ろへそいつを浴びながら白い女の首すじやうで、ふくらはぎなんかに目をやる――汗ひとつかいていない死体のできそこない。こっちは暑くて、寒くて、こわくて、泣きたい気分だっていうのに。 『ゆうれい』という言葉が頭のなかに浮かんで消えた。寒けがまたきた。首から上は汗まみれのくせに、ほかはふるえが止まらない。焼けた砂の上でへんてこなことになっている自分の体が、なんだか他人のものみたいに思えた。そう思えたついでに、おれやにょろじゃないだれかの体と、この心だけを入れかえてもらいたいとも思った。 「子どものまま死ぬのか、おれは⋯⋯」  目をつぶって考えた。死刑はきっといたい。それにこわい。だいたいおれはまだ死にたくない。殺される前にどこか――カンベツだかネンショーだかいうところへぶちこまれるって話も聞いたことがある。  いやだった。死ぬなんてまっぴらだった。ぶちこまれるのだってごめんだ。あと百年は《のびのび》と生きたい。  逃げだしたくなった。すべてをにょろひとりのせいにして⋯⋯いや、だけどあいつは親友だ。血のつながっていない兄弟だ。だめだ! だめだ! だめだ! 目を開けてさけぶ――動物園のゴリラのように。  まっ白な世界が目の前に広がっていた。海にも砂にも女にも色がない。線だけでかかれた世界。おまけになにもかもがゆっくりだった――放っとかれたラーメンみたいにのびちまった時間。風も、波も、海鳥も、みんながみんなスローモーションで動いている。もしかしておれは今、死にかけているんだろうか。  変なものが見えていた。半分白くて半分黒いなにか。こっちへ近づいてきている。どういうわけかそいつだけはゆっくりじゃなかった。  来るなとさけんだ。来ないでくれと願った。ごめんなさいとも思った。それなのに変な白黒はせまってくる。知ったことかと向かってくる。やばかった。まずかった。とんでもなくおっかなかった。だけど逃げることができない。かかっていくこともできない。おれの首から下は地ぞうのようにかたまっている。 〈しね。ひとごろし〉 「いやだ!」  死ぬのをことわっているのに、そいつはおれのうでをつかまえてきた――あっさりと終わる人生。そして《かくご》のしゅんかん。この世じゃ九年ぽっちしか生きられなかったが、あの世じゃ百年⋯⋯いや、九百年は生きてやる。くそ! 〝どうしたの、怜ちゃん!〟  うでをつかまえていた手がにょろのそれに変わる――ギリギリセーフ。どうにかもとの世界にもどれたおれ。 「死神を見た」 「なにそれ」 「人をぶっ殺す神様だ」  天国のような地ごくのような景色は、太陽の光を照り返しているただの海で、カンやビンやごみのうまったいつもの砂浜で、さんざん見あきた赤と白のエントツで、おれたちにやりたい放題やられている黒い材木置き場だった。 「怜ちゃんまで死んじゃったら、ぼくひとりでふたり分の殺人犯じゃん!」  夏の太陽は気軽に人のノーミソをぶっこわしてくれる。にょろもそいつにだいぶやられている感じだ。 「それよりちゃんと買ってきたか?」  親指の関せつでまつ毛が取れるぐらいまぶたをこすりながら、いった。 「うん、ほら。ものすごく冷えてるよ」  宝ものでも手に入れたような口ぶりでにょろがいう。タンサンさえあれば問題はすべてかい決するとでも思っているのか。 「安心すんのはまだ《早|はえ》えぞ」 「わかってるよ。はい」  差しだされてきた赤むらさき色のカン=ドクターペッパー。おれはそいつを引ったくり、自分の体をその場で三百六十度、時計まわりに回転させた。 「だれかいたか?」  おれたちのいじょうに気づいた大人たち。子どもたち。カンを上下にふりながらあたりを見まわす。目げき者なんかいたら、それこそおしまいだ。 「知らない」 「あ?」 「タンサンに夢中でまわりなんか目に入らなかったよ」 「それぐらい目に入れとけよ!」  見えているところに人かげはない。はるか水平線のかなたに石油タンカーが見えているだけだ。おれたち三人以外、ここにはだれもいない。今はそう思いこんで、この後をどうするか考えるしかなかった。 「いいか。こいつが――この女がこのまま目を覚まさなかったら⋯⋯」  にょろののどが音を立てる。 「おれたちは死刑だ」 「そんなのこまるよ! 怜ちゃん、お願いだから生き返らせて!」  黒目をうるませたにょろのむちゃな願い。 「そんなことは医者にだって無理だ」 「なんで!?」 「なんでもだ。いいか、にょろ。もしものときは⋯⋯」  続きの言葉がのどのおくでつっかかる。 「⋯⋯ときは?」 「うめるしかない」  声をしぼりだすようにしていった。 「やだよ、そんなの! ぜったいに悪いことだよ、それ。何回死刑にさせられるかわかんないよ!」 「おい、声がでけえよ!」  おんなじセリフを小さな声でいいなおそうとするにょろ。死刑のところで無理やりに止めた。 「つかまりたくなかったらバレないようにするしかねえだろ」 「だからって⋯⋯」 「だからもかかしもない!」 「『か』しか合ってないじゃん⋯⋯」  そんなことはどうでもいい。問題はいきなりあらわれて死んじまいかけているこの女だ。死刑も、死体をうめなきゃならなくなったのも、もとはといえばこいつのせい。こいつさえいなければ今日はぜったいいい日になっていたはずだ。 「で、どうすんの? それ」  にょろが指差してきたドクターペッパーは中身をふっている感じがしないほどパンパンになっていた。 「ショックリョーホーだ。こいつをこの女の鼻んなかへぶちまける」 「それで生き返った人っているの?」  はげしいいたみで意しきがもどる――でたらめに近いおれのカン。 「たぶん、二、三人はいると思う」  白い女の顔にドクターペッパーを近づけながら、輪っかのすき間に人差し指をねじこんだ。 「⋯⋯ん、ん」  死体になりかけの頭がごろんと動いてこっちに向いた。人差し指が輪っかからすっぽ抜けそうになる。にょろはその場へしりもちをついた。 「怜ちゃん! ねえ、ほら、見てよ! タマシイもどってきたよ!」  白い女が目を開けるのと、空中にあわの柱ができるのがほとんど同じタイミングだった。 「あんな近くで爆発なんか見たのはじめてだったから、ちょっとびっくり⋯⋯しすぎた」  砂の上にわれた貝の先で書かれたきれいな反対向きの文字=《阿南|あなみ》《佳奈子|かなこ》。白い服を着た女のみょう字と名前。その下にきたない字でおれとにょろの名前が書いてある。  ほんと、悪かった――おれとにょろのセリフ。にょろはこれに、ごめんなさいをくっつけた。  夏休みでじいさんだかばあさんだかの家に帰省中。住んでるところは横浜。年は十一才と四か月=小学五年。つまり、おれたちよりふたつ年上。タコノマクラだかなんだかいう貝みたいなものを拾い集めているうちに、おれたちしか知らないこの浜辺にたどり着いた。白い女=佳奈子のいい分。 「いいわけじゃねんだけど、ここへはめったにだれも来ねんだよ。だからおれ、あんたがいるなんて全然――」 「あんたじゃない。阿南佳奈子。阿南さんとか佳奈子さんでしょう。あと、服を着て」  いわれてハダカだということに気がついた。あわててシャツを引っかぶる。 「佳奈子さん、ごめんなさい。怜ちゃんよりぼくのほうが悪いんです」 「キミはなかなか素直でかわいい。んっと、トク、ヨシ、ジン⋯⋯なんて読むのこれ。ジンロウ? ニンロウ?」  《徳吉|とくよし》《仁朗|じろう》。おさななじみじゃなければ、たぶんおれにも読めない。 「ジロウだよ。変わった読み――」 「でもいいんだ。みんなそういうよ最初。ニロウってね。で、いつの間にか『にょろ』ってよばれてる」  おれがしゃべっている横からわりこむようにして自分のことを説明するにょろ――楽しそうだった。十分かそこら前に起きたことなんかもう完全にわすれている。 「ふうん、ジロウくんがニロウ、ニロ。で、にょろくんね。ますますかわいいじゃない。キミは?」  キミもあんたもたしかに気分のいいよばれかたじゃないな、と思った。 「書いてあるとおりだ。にょろにくらべりゃかんたんだろ」 「んっと、《三尺木寸|さんじゃくもくすん》⋯⋯《小令二|これいじ》? なんか、すごいね」 「そんな名前のやついるわけねえだろ。にょろだってさっきから怜ちゃんて――」 「冗談よ。なんで小令二はそんなすぐムキになるわけ? お腹空いてるの?」 「コレイジじゃねえよ。あと、よびすてすんな」 「だってわたし――」  ツバの広いぼうし――どこからか取りだしてきた、たぶん服とおそろいのそれを頭へのっける佳奈子。 「五年だもん。キミたちどうせ年下でしょ」 「どうせってなんだ。年とか関係ね――」 「そう、ふたっつ年下」  またしてもわりこんでくるにょろ。 「来年の次にならないと佳奈子さんと同じになれない」 「来年の次はもう小学生じゃないわよ、わたし」 「そうだよね。佳奈子さんはずっとお姉さんのまま。どんどんお姉さんになっていく」 「そうね。にょろくんたちはずっと年下。でも背丈や力はそのうち抜かれちゃう」 「抜かないようにするよ」 「だめよ、いつかは抜いてくれなきゃ。男の子なんだから」  にょろと佳奈子の軽やかなやり取り――完全にふたりの世界。おれが口をはさむすき間なんかどこにもなかった。 「にょろ、だまれ」 「え? なんで」 「いいから口を閉じろ」 「⋯⋯怜ちゃん」  言葉とたい度でにょろをだまらせ、それから佳奈子のほうへ顔を向けた。 「お前――」 「キミだけ感じ悪いよね。さっきは謝ってたくせに」 「それとこれとは話が――」 「そうだよ、怜ちゃん。ちゃんとごめんしようよ。佳奈子さん悪くないもん」  二対一。団地へこしてきてからずっといっしょだったにょろが会ったばかりの女に味方する。ばかくさい。こんなことなら死神に殺されておけばよかった。敵ふたりと敵の敵ひとりの名前が書かれた砂の上へおれはつばをはきつけてやった。 「汚い」 「うるせえ、ブス」 「そんなこといっちゃだめだよ、怜ちゃん!」 「サイテー」  めったにしないことはぜったいにしないほうがいい。こんな女をちょっとでも助けてほしいと思った自分に腹が立った。おれは波にさらわれそうになっているサンダルとラジオのところへ行き、そいつらを拾いあげた。  怜ちゃん!――ほっときなよ、あんなやつ。  にょろと、もしかしたらバクダンで死んでいたかもしれない女のやり取りをせなかで聞きながら、二度三度とつばをはく。  おさななじみじゃねえのかよ――心のなかで《がなる》もんく。  きたなくてサイテーのつばはぬれた砂がすいこんでいた。弱々しい波がその上をなでるようにしてすべっていく。小さなあわたちがはじけ終わると、砂はまた黒光りしはじめた。 ――友情なんて、あぶくみたいなもんだ。  おれはたった今、佳奈子が大っきらいになった。  国道へ出て《養老大橋|ようろうおおはし》をわたり、《緑化帯|グリーンベルト》をつっきった。川岸を上流に向かって歩く。目についた石ころや空きカンをかたっぱしからけっ飛ばしてやった。ふと、麦わらのことを思いだしたが、今さらあそこへはもどれない。そんなものははじめからかぶってなかったと思うことにした。 「あー、つまんね」  にょろはいない。あの女にくれてやった。今ごろはふたりでもりあがっているにちがいない――おれの悪口で。  サビだらけで穴だらけのバケツをけった。ネコジャラシをけった。《じゃり》や、なんだかわからないものもけった。 「いて!」  地面にうまった石をけっ飛ばしたせいで右足親指のかさぶたがはがれた。母さんがよっぱらってタバコをおしつけてきたところだ。血が出ていたが、そんなものは別にかまわなかった。人殺しにくらべたらなんてことはない。  石ころをさらにけりつける。今はとにかく、なんでもけっ飛ばしていたい気分だった。  どれだけ力いっぱいにけっても石ころは川面にとどかなかった。どいつもこいつもいきおいがいいのはカセンジキまでで、その先の草むらあたりで地球の引力につかまる。ムシャクシャした気分をキック力に変え、今度こそはと足をふりまわしてみるも、あと少しが足りない。なんだかおれの願いごとみたいだった。  海から遠ざかるにつれて、風の種類もちょっとずつ入れかわっていく――べたついていたそれからかわいたそれへ。相変わらずなのはきちがいめいた日ざし。夕方まではニッシャ病との戦いだ。 「あっちいな、もう」  川へ飛びこもうか考えたが、それはすぐにやめた。かこうに近いこのあたりはヘドロがひどい。ましてや今は潮が満ちてきている。そういうとき、川の水はあまり流れない。つまり、ヘドロがいつも以上にうじゃうじゃしている。そいつが体にくっつくと、くさくてたまらない。おれは水浴びをあきらめ、トランジスタラジオのスイッチをひねった。  流れてきたのは道路交通情ほう。いろんなところでこみあっている、と女のアナウンサー。おれはダイヤルをまわして次の局に電波を合わせた――ニュース。ニッチューヘーワユーコーなんちゃらがどうたら。次――今夜のナイター中けいの見どころ。次の次――二十四時間テレビのせん伝。《沢田研二|ジュリー》の歌はどこからも聞こえてこない。スイッチを切った。 「あのやろうでもかまいに行ってみるか」  あのやろう=《樫野|かしの》《大地|だいち》。今年から同じクラスになった友だちでケンカ相手。おれとおんなじぐらいのばかだが家はビンボーじゃない。行けばそこのおばさんがアイスクリームかなにかごちそうしてくれるだろう――と、あまい考えを起こしかけてやめる。たしかあのやろうはこの夏のどこかで家族とホッカイドウだかに行くとかいっていた。こんなくそ暑いときにむだ足なんかさせられたら、おれはきっとやつをぶっ殺さなくちゃ気がすまなくなる。 「あーひまだ。どっかに冷しチューカでも落っこってねえかな」  一分に十メートルかそこらのスピードで歩く。砂浜にいたときよりはマシな暑さになっていたが、動いているせいか汗の量は反対にふえていた。たまに足のうらとサンダルの間ではさむ小石もじゃまくさかった。 「いってえな、くそ!」  空中で足をふりまわす。角ばった小石がサンダルのすき間から転げ出る。そいつを左足でけ飛ばした。ろくに飛びもしないうちになにかとぶつかる音。おれは音がした道わきの草むらのほうへと歩いた。  小石が体当たりを食らわせた相手は、夏草に取りかこまれたドラムカンだった。まんなかから半分にぶった切られている。なかをのぞきこむと炭になった木っぱやプラスチックが、油の浮いた雨水につかっているのが見えた。おれは自由に生えまくっているギシギシやらエノコロ草をふみつけ、ドラムカンのまわりを平らにした。  サンダルのかかとがドラムカンの腹をこすった。水面に波もんが広がっていく。ゆがんだ空と雲と小ぎたない顔の下で、ボウフラどもがいっせいに体をうねうねやりはじめた。気持ち悪かったがこいつらは親とちがって血をすわない。だからなにも問題はなかった。作業を続ける。  ドラムカンのわきへ立てかけてある何まいかのベニヤ板のなかから、あまりくさっても焼けこげてもいないやつを引っこ抜き、そいつでドラムカンの口をふさいだ――ちょっとしたこしかけの完成。さっそく《どかっと》やり、カセンジキをながめた。けっこう人がいる。  野球のかたづけをしている中学生。意味もなくはしゃぎまわっているガキども。その向こうにはつりざおと、でかい箱を肩からかけて草むらをかき分けているおっさんがいた。あいつらは暑くないんだろうか。  海鳥といっしょになって飛びまわっている飛行機――ラジコンのそれが目ざわりで耳ざわりだった。だれが飛ばしているのかはわからない。こっちへ飛んできたら小石をいっぺんに十つぶぐらいぶん投げてやろう。さっそくハカイリョクのありそうな石ころを選びにかかる。  サワムラくん――せなかに飛んできたおれのみょう字。声のしたほうへ顔を向ける。 「このあたりよく通るの?」  こむたん=《古室|こむろ》⋯⋯下の名前はわすれたが、学校じゃたまにしゃべる。頭がよくてドッジボールもうまい、同じクラスのやつだ。 「いや、たまたま」 「食べる?」  緑色のスポーツバッグから取りだされてきた《かし》=レンガのような色とかたちをした食いもの。遠りょなくもらってかぶりつく。 「散歩」  おれへのしつ問なのか、それともこむたんがそのさいちゅうという意味なのかわからなかった。 「ふぉえ?」  自分の顔を指差しながらいう。うなずくこむたん。特急で赤いかしを飲みこんだ。口のなかの水分が一気になくなる。 「朝からさっきまで、この先のかこうにいた。石油コンビナートの近く」  《口中|くちじゅう》のつばを引っかき集めていった。こむたんがおれの指差した方向へ顔を向ける。 「赤いタンクが並んでるあたりかな」 「そう。たまに《ちっせえ》船が通るぐらいで、ほとんど人が来ない浜辺」 「⋯⋯でも、そこ学区外じゃない?」 「ガックガイ? ああ、そうかもな。川の向こうだし」 「そこへはよく行くの? なにしに?」  タンニンかだれかに詰めよられているような気分。にらみつけそうになるのをこらえ、おれはカセンジキのほうへ顔を向けた。 「そこばっかじゃねえけど、遠出はよくするよ」  はぐらかし半分の答え。バクダン遊びの話だけならまだしも、人を殺しかけたなんていったら、どんな顔をされるかわからない。 「いいなあ、遠出かあ」 「こむたんはしないのか」 「なにを?」 「遠出さ」  差しだされてきたカンロアメ。こいつも遠りょなくもらう。 「うん。学校と家と塾ばっか。どれも近い。あはは」 「んじゃ、今は家とジュクの間だ」  カンロアメを包みごと口にくわえ、結びめのところを強く引っぱってみた――うまくいかない。アメのまわりがとけだしてべたついているせいだ。口から出してふつうにむくことにした。 「そう。夏期講習の帰り。一回、うちに帰ってご飯食べて、それから夕方また別の塾」 「死にたくなるようなくらしだな」 「ほんと、死んじゃう。もう一個なめる?」  またしてもカンロアメ。そんなもの、いくつも連続で食えるもんじゃない。 「別にジュクなんか行かなくたって成せきいいだろう」  ふたつめのそれを手でことわりながらいった。 「親がね、うるさい。『おれが子どもの頃は勉強したくてもできなかった』って。たぶんそんなのはうそだと思うけどね」 「大変だな、こむたんも」  かすかに聞こえてくるラジコン飛行機のエンジン音。さっきよりもずっと川下のほうへ《い動》している。おれは出番のなくなった小石たちを右手ににぎりかえ、意味もなくごりごりとやった。 「でも、それに応えてる自分がいやになる。最近は特に思うかな」  じゃ、ジュクなんかやめちまえばいい――いおうとしてやめた。代わりにあいまいな返事をする。こむたんがなにをどう思おうがこっちには関係ない。おれがなにかやらかしてタンニンに引っぱたかれようが、い残りさせられようが、こむたんには一ミリも関係ないのと同じように。 「――みたいよ」  こむたんの口が動いていた――聞きもらし。セミたちの大合唱のせいだった。 「悪い。聞こえなかった」  人差し指で耳のうらの汗をぬぐいながら聞きなおす。 「高学年になると全国模試ってのがあってさ。そのための塾なんだけど、でも夏休みぐらいは勉強休みたいって話」 「そうだな。がんばりっぱなしは体によくない。勉強ばっかしてるとばかになりそうだ。あ、おれの場合な。おれの」 「《沢村|さわむら》くんと話してるとなんか気が楽」  笑いながらこむたんがいう。話し相手ぐらい、いつだってなってやるぞ――おれがいうと、こむたんは首を横にふった。 「私立の中学へ入るにはどんなに勉強しても足りないんだってさ。これも親がいってるんだけどね」  どれだけ勉強しても足りないなら、そんなものはやるだけむだだ――と、こむたんは思わないんだろうか。頭のいいやつの考えることはどうもわからない。 「まずはそこでそこそこそこの⋯⋯あれ? そこそこのこで成績⋯⋯あはは、口がまわらない」 「そこで、そこそこの成せき」 「そうそうそれ。口がうまいね、沢村くんは」 「こういうのを口がうまいっていうのかどうかわかんねえけど、うそとかでたらめなら昔から得意だ」 「あはは。ボクはだめ。うそもごまかしもすぐバレる。だから本気でやるしかない」 「本気出しても、おれなんかいつも三十点とかだ。出さなきゃたぶん三点」 「そんなことないさ」  そんなこと――ある。  ばかはどうしたってばかじゃないやつには勝てない=父さんの口ぐせ。  勉強していい学校へ行ってベンゴシか医者になれ=母さんのむちゃくちゃ。  お前は父さんの子だからきっとばかにちがいない=父さんのいい分。  じいちゃんは英語がペラペラで算数の天才だった。だからお前もできる=母さんのむちゃくちゃ、その二。  いってることがまるでバラバラのふたり。じいさんは天才かもしれないが、ばかな父さんと天才じゃない母さんの間に生まれたおれがじいさんと同じなわけがない。 「トンビはトンビしか生まないし、カラスとスズメの合いの子じゃどうしようもない」  ばかはばかのなかで勝てばいい。ばかじゃないやつとは勝負しない=おれの考え。口のなかで小さくなったカンロアメをガリガリやる。ラジコン飛行機はいつの間にかどこかへ消えていた。 「え? どういうこと?」  用なしになった小石を左手ににぎりなおし、カセンジキに向かって全力投球する。風を切って好き勝手な方向へ飛んでいく石のかけらたち――そらっ、川までとどけ! 〝痛た!〟  川の手前でなにかに命中。 「さ、沢村くん、なにを⋯⋯」  つり糸をたらしていたおっさんが後ろを向いてきょろきょろしはじめる。 「こむたん百メートル、何秒?」 「え? 今いわないとだめ?」 「おれ、もうちょいで十五秒台の十六秒」 〝こら、お前らか! くそガキども!〟 「見つかった。こむたん、逃げるぞ!」  川上に向かってダッシュ。おっさんもアシやガマをかき分けてこっちに向かってきている。こむたんだけがぼうっとしていた。 「なにやってんだ!」  ダッシュしたきょりをもどってこむたんのうでを引っぱった。 「と、とにかく逃げなきゃだね」  《ふがし》やカンロアメの入ったスポーツバッグをわきにかかえたこむたんのダッシュ――おれより速い。アディダスかどこかの青いスポーツシューズが砂ぼこりの向こうで地面をけっている。サンダルじゃかなうわけがなかった。 〝こら待て! 止まれ!〟  そういわれてそのとおりにするやつがいたら、お目にかかってみたいもんだ。 「待ったほうが、いいんじゃ、ない?」  そういわれてそのとおりにしようとするやつがおれのななめ前にいた。世のなかはあんがいせまい。 「ジョーダンいってるひまがあったら、足動かせよ」  二百メートル、三百メートル。そろそろ横っ腹がきつい。走りながら後ろを見た。魚つりのかっこうをしているわりにはなかなかのダッシュだ。 「あの、おっさん、けっこう、手ごわい、ぞ」 「やっぱり、謝った、ほうが、いい、かな」 「そんなのは、ばかの、すること、だ」  さらに二百メートル、ペースを落とさずに両足をぶんまわした。ダッシュに次ぐダッシュに横っ腹が悲鳴をあげはじめる。おく歯をかみしめて、こしから下のきん肉にガッツをぶちこんだ。 「うちの家族――」  こむたんを追い抜きながらいった。 「ばかばっかり、なんだ」  おっさんにつけたリードは百五十メートルかそこら。もう追いつけやしないだろう。どこかでわき道へそれちまえばおれたちの勝利。逃げるが勝ちはやっぱり正しい。 「ばか、なの? だれが?」  土手をかけ下りながら右へ首をひねる。こむたんが大まわりする感じでおれに続いた。反対がわへも首をひねる。おっさんは、はるか川下。もう走っちゃいなかった。 「父さんと、母さん。おれも、だけど。あはは!」  そんなにおかしいわけでもないのに笑いがこみあげてきた。 「あはは⋯⋯笑ったら、いけないん、だろうけど⋯⋯お父さん、なに、やってる、人?」 「チンピラ、ヤクザ、ロクデナシ!」 「え?」 「パチンコ、ケイリン、マージャン、シャッキーン! あははは!」 「あははは。全部、意味、わかんない。はあ、はあ⋯⋯」  おれたちはぞう木林を抜け、神社のしき地に入ったところで走るスピードを落とした。 「母さん、バイタ、ヒステリー、キャバレー、ミズ、ショー、バーイ。あはははは⋯⋯おえっ、気持ち悪い」  ふたりがケンカをはじめると決まって飛び交う言葉たち。おれたちは走るのをやめ、中ごしのひざの上へうでをまっすぐにしてのばした。 「はあ、はあ⋯⋯びっくり、したけど、なんか、楽しい、ね」 「だろ。やばいとこから⋯⋯逃げだせた、ときって⋯⋯スカッと、すんだよ、いつも⋯⋯」 「いつも、スカッと、できるとは、限らない、んじゃないの、ふう⋯⋯」 「だから、おもしれんじゃ、ねえか⋯⋯あー、のどがはりつく」  けずられてぶっこわされた山=石切り場の上あたりに月がうっすらと浮かんでいた。昼間見るそれは、なおりかけのかさぶたみたいだ。 「⋯⋯アメ、なめるかい?」  いや、いらない――すぐにいった。 「じゃあ⋯⋯」 「ふがしもいらない」 「ちがうよ、ジュースがあるんだ」 「それならもらう。そのバッグは食料入れだな」 「あははは。ちょっとだけ参考書も入ってる」  よく温まったサンキストオレンジがおれたちののどをすべり落ちていく。ジュースはやっぱり夏が一番うまい。  こむたんはメシとジュクをすっぽかして。おれはにょろをほったらかしにして、いろんな、くだらない、どうでもいい話をした。空のまんなかで、かさぶたが光りだすまで。
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