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 僕は今月から玉ねぎを食べている。 「汚いでしょ! やめなさい!」  母さんがいった。 「僕はそう思わない」  いつものショッピングモール。母さんは二階を見てまわるのが好きで、僕は一階の香ばしいにおいのなかにいるのが好きだった。今は母さんのターン。ブティックダンジョンでのアイテム探しに僕がつきあっているかたちだ。 「汚いに決まってるでしょう。なに馬鹿なことをいってるの」  僕は今日で十歳だけど塾ではもう中学の勉強をしている。勉強だけじゃない。少しは大人の世界のしくみも知っている。なにが汚くてなにが汚くないのか。見ためや古くさい考えでそれを判断――いや、決めつけている母さんは、僕からいわせてもらえばなにもわかっちゃいない大人だ。 「根拠は」 「え?」 「これが汚いとされる根拠」  そうやってまた理屈をこねて――表情から読み取れた心のなか。 「お母さんは常識の話をしてるの。わかる?」 「それが常識になった根拠を聞かせてよ」  ショッピングモールの床はばい菌だらけ。特にトイレを使ったあとの靴底なんて想像するのも嫌なぐらい汚いわ――母さんなりの根拠。 「そうかな」  いって、僕はやり玉にあがっている、甘く香ばしい好物にかじりついた。 「だからやめなさい! もう!」  実力行使に打って出る母さん――子どもに対する大人の一番悪いくせ。僕の好物は床へと叩きつけられ、今川焼とは呼べないなにかになり果ててしまった。 「母さんは清潔なものしか好きじゃないの?」  冷気系の魔法呪文を唱える気分でいった。 「当たり前でしょ!」  短く吐き捨てた母さんは近くの店員さんに声をかけ、お店の床を汚してしまったことについて謝りはじめた。僕も脇に並んで同じことをする。店員さんは大丈夫ですよと笑顔で応えつつも、商品の洋服に餡や皮がついていないか、さりげなく確認をしていた。  今川焼としての運命をまっとうできなかった彼の亡きがらをティッシュペーパーでつかんだ。温もりの残るそれを床から剥がし、もらったポリエチレンの袋へと詰めていく――先月、長い箸で祖母の骨をつまみ、白い壺へ納めたときのように。  食べもの粗末にしたらあかんで。ねぎは体の毒消しや。食べ――カレーやシチューの玉ねぎを皿の端へよけておくと決まっていわれた言葉。もう聞くことはない。 「どうしたの。急に黙っちゃって」 「お葬式の日のことを思いだしてた。こうやってひとつひとつ、お祖母ちゃんのかけら拾ったなって」 「やめなさい」 「お祖母ちゃんも汚いの?」 「そんなこといってないでしょう」  顔がいっていた。親指についた餡を気づかれないように舐める。大好きだった祖母の骨も僕はそうやって食べた。 「老人、死体、床、靴底、トイレ、落とした今川焼。ほかにはなにが清潔じゃないんだろうね」 「もうお父さんに叱ってもらうから。誕生日プレゼントもなし」 「父さんは汚くないの?」 「いいかげんにしなさい!」 「ねえ、母さん。父さんは――」  頬を張られた。 「わかったよ母さん。父さんが汚いか汚くないかは友だちに聞くことにする」 「またぶたれたいの!?」 「啓介くんちのお母さんはお父さんのおしっこ飲むのかな」  DVDデッキのポーズボタンを押したときのようなかたまり方をする母さん。 「飲むとすれば不潔と思ってないのかな。落とした今川焼を食べても叱らないかな」 「な、なにをいってるの……」 「うそばっかり。聞かなくたってわかってるくせに」  母さんはゆうべ、蛇口から直接水を飲むみたいにして父さんのおしっこを飲んでいた。 「……裕太、あんな時間に起きてたの」 「トイレに起きただけだよ」  父さんは飲ませるのに、母さんは飲むのに夢中で、僕のことなんかちっとも目に入ってやしなかった。 「あんな時間はいつも父さんのおしっこを飲んでるの? 母さん」  店員さんの耳にも届く声で僕は聞く。 「ちょ、ちょっと、裕――」 「父さんのおしっこは汚くなくて、軽く落としただけの今川焼は汚い。やっぱり納得いかないから啓介くんのお母さんに聞いてみる」  僕はポケットからふたつも前の型のiPhoneを取りだし、LINEのアイコンをタッチした。 「や、やめなさい!」 「命令しないでよ、母さん」  右へ左へ体をねじる。妨害の手をかわしながらのフリック入力はなかなか大変だ。 「やめて、裕太! 謝るから! お母さんほんとに謝るから!」 「今さら遅いよ」  年に一度のプレゼントをふいにされた僕の心は火炎系の最強魔法なみに燃えさかっている。 「じゃ、じゃあこうしない?」  ポケットモンスターの『サン』と『ムーン』ふたつとも買ってあげる――最初よりよくなった誕生日プレゼント。僕はiPhoneをポケットへしまった。  だけど本当は知っている。十年前の今日、なにがどうなって僕がこの世界に生まれてきたのかを。そして母さんに教えてあげたい。汚いってのは僕が今使ったような手で得をすることなんだよって。  僕は来月も玉ねぎを食べる。
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