フォントをダウンロード中
ページの左右でマウスを左クリックします。
または、 キーボードの左右の矢印キーを入力します。
ページ上で指先を左右になぞると、 前/次ページへ移動します。
メニューはページをタッチすると現れます。
× ヘルプを閉じる
 春になると、桜は眠りから覚める。 「おはようございます」 「春風さん! おはよ~」  すれ違う同級生に声をかけていく彼女は、にこやかだった。桜色のカールを揺らしながら正しい姿勢で歩き、病的に白い手を小さく振る姿は、どこかの国のお姫様のように上品だった。彼女の隙のないその姿は、さすがと言うべきか。 「ねえ! 今日の放課後、ショッピングしない?」 「あ~いいね~! 春物ほし~!」 「私もご一緒してよろしいですか?」 「もちろん! 春風さんも行こ!」  クラスの女子との、仲睦まじいお喋り。始業のチャイムが鳴るまでそれは続いた。教師が教室に入ってくると、ピタリと会話をやめ、何事もなかったかのように授業の支度を整える。教科書、ノート、筆箱、それらを机に出し、彼女は教師の話に耳を傾ける。教師が板書をし、クラスメイトが必死にノートに写す中でも、彼女はその細い指を動かすことはなかった。  いつだって、彼女のノートは白紙のままだ。  ノートに写したって無意味―――それが彼女の言い分だ。  春といえば、新学期新学年。そこではじめの体育の授業は、大体が体力測定になる。運動が得意な生徒もそうでない生徒も、全員が数字に一喜一憂する時間、彼女だけは教室の窓からそれを見下ろしていた。その口元には笑みが浮かんでいる。 「一つくらい、何かやってみたら?」  僕が声をかけると、彼女は首を横に振った。 「無意味ですから」 「僕もそう思う」 「《咲|さき》。あなたはやらなければならないですよ」 「公開処刑されるくらいなら、後で一人きりで受けた方がマシだ」 「あなたはそうやってすぐサボる……良くないですよ?」  言っておくが、僕は優等生だ。ただ、この時期だけはその化けの皮が剥がれる問題児というだけである。 「私のことは、気にしなくても良いんですよ」 「そういうわけにもいかないだろ。何が起こるか分からないんだし」 「……ごめんなさい」  気落ちした謝罪に、罪悪感が生まれた。ストンと席につく彼女の隣に、僕も座る。 「ごめん。でも僕は本当に大丈夫だから」 「そうですか……それなら明日、一緒にお花見に行きましょう?」 「ああ、いいね。君が言うとおかしな感じがするけど」 「ふふっ。楽しみです」  花が咲いたような笑顔―――彼女にはそれが最も似合う表現だ。この笑顔を散らせたくない。幼い頃から親しくしている僕がそう思うのは当然である。  彼女のために何が出来るだろう。足りない頭で思い付いたのは、勉強することだった。その結果、専門分野にも特化した知識を得ることが出来た。父はそんな僕を、恐ろしいといったような目で見てくる。 「お前の執念、凄いな」  いつしか父にそう言われた。だから僕はこう答えてやった。 「当たり前だろ。桜は春にしか咲かないんだから」  桜が連なり生えるこの公園は、春には大勢の人で賑わう。満開の花の下で、自前の弁当でランチをとる者達や、酒を含んで騒ぐ者達など、様々な人間が花と共に楽しんでいた。  平日の昼間だというのに、ここまで集まるのも考えものだな―――そういう僕も大概だ、と一人でツッコんでおいた。 「咲! あそこにしましょう!」  偶然にも空いていたベンチを指差し、彼女は駆けた。勢いよく座り、早く早くと僕を手招く。隣に座ると、彼女は花を見上げた。 「綺麗ですね」 「そうだね。君のよりはかなり小さいけどね」 「うちのは樹齢が凄いですからね。たしか今年で五百年……でしたっけ」  植物の生命力は凄まじい。特に彼女のうちの桜を見ていると、何が何でも長生きしてやるという執念が感じられる。  ―――だからこそ僕は、彼女を助けようと決めたのだけど。 「ねえ咲。あなたは普段、何をしているの?」 「さあ。テキトーに生きてるよ」 「お付き合いしている方、いないのですか?」 「いるわけないだろ。僕の顔面偏差値は五十にも満たない」 「そんなことないですよ。咲はとってもカッコいいです」  恥ずかしげもなくそんなことを言えるのも、彼女の良いところだ。その代わり、僕は恥ずかしくなるんだけども。  彼女は桃色の花を儚げに見つめている。何を思っているのだろう―――もう何年もの付き合いになるが、彼女の思考は一向に読めない。たまに突拍子もないことを言ったりして驚かしてくる。 「……咲。私の我儘、聞いてくれますか?」 「何? その内容にもよるけど」 「もう私に構わないでくれますか?」  何を言うんだと、反射的に返してしまった。彼女は僕のことを見ず、まるで独り言のように呟いた。 「私なんかに時間を使わないで、もっとやりたいことをやってください」  ―――ほら、こうやって突拍子もないことを言い始める。 「私、なんか? それ、本気で言ってるのか?」 「……はい」  頷く横顔を、両手で包んでこちらに向かせた。桜色の瞳は潤み、必死に笑みを浮かべようとしている。 「その方が、咲のためになります」 「なんで?」 「私に縛られないからです」 「縛られるって何? 僕はやりたいからやってるんだけど」 「……違います。幼馴染だから、父様の頼みが断りにくいのでしょう? 私からよく言っておきますから、もう気にせず生きてください」  こんなことを思わせてしまうような態度を取っていたのだろうかと、自分自身に腹が立った。それでも、優しすぎる君のせいでもあるぞ―――僕は彼女の頬を軽くつねった。 「いっ痛いです! 咲!」 「あのさ、たしかに娘を頼むってお父さんから言われてるけど、その前から僕は行動してたから。むしろその成果を知って、お父さんは僕に頼んできたんだよ?」 「えっ……そ、そうなのですか……?」 「そう。僕は誰かに強制されてるわけじゃない。心の底から、君を助けたいって思ってる。だから……」  彼女を抱き締め、耳元で囁いた。 「もう二度と、そんなこと言わないで。絶対に君を救ってみせるから」  春風桜の家には、大きな桜の木が生えている。樹齢は推定五百年。桜と共に育ったと言われる春風家だが、代々受け継がれる恐ろしい呪いが一つある。  桜病―――彼らはそう名付けている病気だ。  庭の桜の花が散り、再び花を咲かせるまでの間、その病にかかった者は眠り続ける。花が咲く間は目を覚まし、普通に生活出来る。このことから、開花のために桜の木にエネルギーを吸われているのではないかと言われているが、謎が多く詳しいことは分かっていない。  桜もこの病気にかかっている。だから僕は、彼女の病気を治そうと必死に勉強した。あらゆる医学書を読み漁ったが、役立ちそうな情報は未だに見付かっていない。それでも僕はまだ諦めていなかった。 「ありがとう……咲」  しばらく抱き締めていると、桜が離れようと胸を押してきた。彼女は涙を流していた。 「私、待ってますね。咲が助けてくれるのを」 「ああ。必ず治してみせるよ」 「私、海で泳いでみたいです。紅葉狩りもしたい。雪だるまも作ってみたいです!」 「分かった分かった。じゃあ、やりたいことを書き出そうか。泳げないけど、明日海にも行ってみる?」 「はい! 行きたいです!」  笑顔が咲いた。この花を護り続けたい。そのために僕は、彼女の病気を治すヒーローにならなくては。  いつか君と二人で四季を感じたい―――そんな希望を胸に、僕は今年も春を満喫する。桜の料理の腕は毎年変わらず、お弁当はとても美味しかった。 桜のヒーロー 完
1
15
シリーズ一覧
感想を送る
作品を紹介
ブックマーク
しおりを挟む
作品情報
使い方
登録が完了しました!
確認事項
戻る
実行