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 少女が一年六組三十六番と書かれたシューズロッカーを開くと、そこには小さな封筒が置かれてあった。  ──は……?  一度ロッカーを閉め、周囲を見渡して、改めて内部を確認する。たしかに自分のシューズロッカーで、たしかに封筒の下には自分が履いてきた革靴がある。すこしくたびれてきていたそれに、桜色のこれ。  まさか自分に、などと考えてはいけない──人の居ないことを確認した少女は便箋を手にとり宛名や差出人が書かれていないか確認する。封のために張られたシールは定番のハート型でなく、便せんに合わせるように桜だった。  女性的、というよりは、女学生的な、すこし丸みのある文字で、笹山拓司様へ、とある。そこは差出人の名を書くところよ、などと小言を言おうにも、相手は目の前に居ないのだと少女は小さく息を吐く。  仕方ない、と桜のシールを剥がし中身を開く。笹山拓司という男がこのシューズロッカー近辺を使っていないことを少女は知っていて、もし詳細が便箋にでも記載されていれば、そこに投げ入れてやろうと、そういうつもりで。  笹山拓司様  突然のお手紙、申し訳ありません。本来であれば面と向かってお話することではありますが、私に意気地のないばかりに、このようなかたちでの伝えることになってしまい申し駅ございません。  読んでいる少女のほうが赤面しはじめるほど、わかりやすいラブレターの書き出しだった。誤字まであってそれに気付いていないところも、『意気地のなさ』や、あるいは自信のなさの表れか、などと思いつつ、少女は読み進める。目的は他人へのラブレターを読み添削することではなく、笹山拓司が誰で、差出人が誰かということ。  本当に、定型文みたいな──最後の最後に所属学級と名前が、二年C組、新堂深雪、と発覚するまで、出会い、恋に落ちたきっかけやいきさつ、あなた──これは勿論、読み手となった少女ではなく、宛先である笹山少年を指す──のどこが己にとって好く見えるのか、そして、  ──恋人に、なってもらえませんか。  その一言。嗚呼、と読み手の、読んでしまった少女の溜め息がまた伸びる。仕様のない、と少女はスクールバッグから筆入れを取り出して、ロッカーを台座にかりかりと文字列を付与する。  ……でも、これ、どこに置いておけばいいの──結局、自分のシューズロッカーに再投函して、少女は帰路についた。 ──  たしかに笹山拓司の靴箱に入れたはずのレターセットが、自分の内履きの上にぽつねんと置かれている状況に、新堂深雪はその場にへたり込む他なかった。  一晩、あるいは二晩と文言を考えて、考えに考え抜いたそれが、そのまま──しかも封にしたはずのシールは一度剥がされた跡がある!──自分のところに返ってきているのだから。  そうはいえども、と深雪は立ち上がる以外に道はない。朝のショートホームルームまであと二分という段で、周囲もばたばたと靴を履き替えている中で、自分だけへたりこんで、それも、ラブレターを出したら読むだけ読まれてそのまま返送された、なんて理由で、校内に居たのに遅刻した、など笑い種以外の何物でもない。  内履きを履き、ひとまずと仮置きしていた封筒を靴箱から己の手の内に入れる。封の切られ身を浮かせていたそれを改めてよく見てみれば、乱暴、あるいは達筆な、笹山拓司のものでない字で、「間違えて私のところにきたようなので中身を確認してしまいました。想いを告げることは難しいと思いますが、もうすこし落ち着いて書きましょう」とある。  教室で、担任教師からの連絡事項を右から左へと聞き流しつつ、数日かけて自分の書いたラブレターを、何者かわからない人からのメッセージと合わせて読み直す。深雪の──書いた本人にでさえ──目にもたしかに、太細を問わずに文章のミスが多くあるのがわかった。こんな恥ずかしい文章を、笹山少年に読まれなくてよかったのか、あるいは悪かったのか。  けれども、はて、と深雪少女は思考する。ではいったい、誰のもとに届いたのだろう。善意の名無しさん、ということでもないだろうし、けれど笹山拓司という名前がわかった以上、封を切ったことを厭わずにそのまま笹山少年の靴箱に入れ直すことだって可能のはずなのに。  まさか、笹山くんのストーカー?──なんて、夢見がちなことを考える。そんなことは世界が三回ねじれてもないと少女は心中で断言するが、けれども結局、それに結論は出ないまま、今度は落ち着いて、改めて、ラブレターを書き直して渡そう、と決意をあらたにするのだった。 ──  またか、と一年六組構成員の使用するシューズロッカー前で少女は溜め息をついた。今度は同じ部活動の同輩に聞かれてしまい、どうしたの、なんでもない、というやりとりまで交わしてしまった。  みながみな自転車通学でよかった、と思いつつ、先に帰ってもらうよう叫ぶ。手元にはまた、桜の封筒。今度は表に宛名、裏に差出人が記名されてあって、少女はすこしほっとする。内容は先日と変わらない。誤字や脱字のなくなり、文字の大きさや改行が整ってすっきりしている。ただ一度の失敗から綺麗に修正できたことにすくなからず感嘆するも、結局、宛先たる笹山拓司には届いていないことには、少女は憐憫の情を抱いてしまう。  ──本当に、笹山くんとやらのロッカーに入れているんでしょうね……?  そもそも不自然なのだ。少女の通う高校は学級呼称がローマ字でなく数字。それが学力の優劣であることも明に暗に生徒には知れ渡っている。けれども、便箋にはたしかに二年C組とある。学年で呼び方が変更になっているということも少女の学校では、当然、ない。  マユツバもののオカルトみたいね、と少女はのんきに笑う。  今度は綺麗な便箋のまま──封は切ってしまったからそこはよれてしまうけれど──返してやろうと、少女はスクールバッグからノートと筆入れを取り出し、最後のページをちぎって走り書きを残す。  オカルトみたい、と脳が反芻する。もし、笹山拓司少年のロッカーと自分のロッカーが一方通行に繋がっていて、そしてこちらからは、この新堂深雪という少女のロッカーに片道切符で繋がっているのだとすれば。 ──  何度目のやりとりになるのか、もう少女は数えていなかった。結局のところ、この新堂深雪という少女は、誰に仲介を頼むでもなく、笹山拓司という男子生徒に、シューズロッカー越しに恋慕の告白をしようというのを頑として退けずに、何度だって少女のロッカーに手紙を投函し続けた。そのたびに、少女は律儀にも走り書きを綴って送り返していた。  根比べは深雪が勝った。いつしか奇妙な文通が始まった。学校生活のこと、その日の食事や家族のこと。小さな小さな交換日記。笹山拓司に宛てたものと別に、少女に宛てた封筒が付随されるまで、そう時間はかからなかった。  あるとき。べつの地域では雪が降ると云われ始めた頃だった。それがついにぱたりとやんだ。少女は訝しみながらも、これが普通なんだと心に綿を詰めた。  そうして、そのやりとりはすべて、記憶の彼方に追いやられていった。  二十五年という月日は、少女にとってあっという間だった。高校を卒業して、専門学校で経理の技術を身に着けて就職。結婚して一人娘を授かった。  ある日、少女の娘が友人を連れてきた。照れくさそうに、けれどとても、幸せそうに。すこし粗暴な雰囲気はあったが、娘になにか危害を加えるような子でないのは、なんとなく元・少女には見て取れた。 「彼氏、なの。新堂拓司くん」  嗚呼、この人が──不意に口をついたそれにもっとも驚いたのは、それを発した母親自身だった。
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