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 時は江戸。将軍のお膝元。家の間を歩く一人の男がいる。その背は高い。 人だかりを見つけ、軽い気持ちで見にいく。 小料理屋の前を通りかかると、岡っ引きと定町廻り同心が駆けつけていた。殺されたのはこの店の看板娘らしい。殺した人物が武士だと分かると同時に、騒ぎが起こるまでの一部始終を見ていた別の女が、この場所にいると言い出し、野次馬の端の方を示した。誰かがその場から逃げ出したのを目にする。あとは捕まえればいいだけだが、定町廻り同心はそれをせず、ことが漏れないように厳重なかん口令を敷いた。 「どうして捕まえないのでしょう?」 隣にいた小柄な女がそう言った。 そんな同心を不思議に思いながら、男はその場を後にした。 店に帰り、水につけておいた刀を取り出し、砥石で何度か研ぐ。そのたびに出来栄えを確認しながら慎重に研いでいった。 だいたいの仕事を終わらせ、男――《幻鷲|げんしゅう》《霊|れい》《斬|ざん》は休憩していた。すでに日は傾き始めている。刃傷沙汰のことを考えていた。 すると、戸を何度か叩く音がする。 引き戸を開けると、一人の武士が立っていた。 「幻鷲殿とお見受けする。ひとつ、頼みを聞いてもらえぬか」 「では、こちらへ」 霊斬は武士を部屋に上げた。 部屋の真ん中に、霊斬とその武士は向かい合って座った。 「それで、頼みとは?」 「この刀を直してほしい」 武士はそう言って、床に置いていた刀を差し出した。 「拝見いたします」 霊斬は断りを入れて、刀を手に取って鞘を抜き、刀身に目を走らせる。 丁寧に扱っているのはすぐ分かった。刀は武士の魂というほど、大切にしていることが、ひしひしと伝わってきた。 「承りました。一週間後に、またお越しください」 霊斬は刀を仕舞うと、そう言って深々と頭を下げた。 「こちらの都合ですまぬが、代金は先払いでよいか?」 武士が袖から金貨五枚を出し、差し出した。 「はい」 「では、これで」 「お待ちください。こんなにはいただけません」 霊斬は慌てて、金貨を返そうとする。修理ならばここまで高額にはならない。銭と銀貨があれば十分だ。 「そなたが幻鷲だから、これほどの額を払うのだ」  霊斬はしぶしぶ金貨を受け取った。 「……分かりました」 「では、失礼する」 そう言って武士は店を出ていった。 霊斬は武士を見送った後、修理を頼まれた刀を《一瞥|いちべつ》して、外に出た。 近くのうどん屋の暖簾をくぐる。 「ごめんよ」 「空いてる席にどうぞ。お待ちになって」 この店のおかみが言いながら、奥に引っ込んでいった。 それなりに客は訪れていた。 「おや? 刀屋じゃねぇか! 仕事はいいのか?」 「少しくらい休んでも、罰は当たらんさ」 霊斬は知り合いに軽口を叩く。 「幻鷲の旦那は、真面目だからな!」 その一言で周囲がどっと笑いだした。 「そう見えるか?」 霊斬はそれに負けないよう、声を張り上げた。 「おうよ! 真面目じゃなきゃ、鍛冶なんて務まらねぇだろ!」 「まあ、人によるかもしれないな」 霊斬はそう返すと、奥の席に腰をかけた。 しばらくすると、お盆にお茶を乗せた一人の若い女が顔を出した。 「いらっしゃいませ。ご注文は?」 「醤油うどん」 「かしこまりました」 女が立ち去った後、霊斬はその女が昼間見た刃傷沙汰の現場に居合わせた者だと気づいた。 それからしばらくしてうどんが出てくる。 うどんを《啜|すす》っていると、女――《千|ち》《砂|さ》に声をかけられた。 「もしかして、昼間、刃傷沙汰のあった場所で通りかかったお方ですか?」 「ああ」 向こうも霊斬の顔を憶えていたらしい。 「嫌な事件が続かなければ良いのですが」 「そうだな」 霊斬はそう言って、うどんを啜った。 店に戻り、一時間ほど眠った。 武士に頼まれた刀を直しながら、違和感を覚えた。 ――あのときはなんとも思わなかったが、どうしてあの武士は名乗りもせずに、修理を依頼した? 刀の状態もそこまで悪くない。霊斬が一週間と猶予を持たせたのは、その武士が怪しかったからだ。それに修理だけで、あれほどの金を積んだことも気になる。 武士の放った一言からも、霊斬の別の顔を知っているような気がした。 疑問はいくつもあるが、それに囚われているわけにもいかない。霊斬は刀を直す手を早めた。 刀を直し終えて、伸びをすると霊斬は夜が明けていることに気づく。 よくあることなので気にはならないが、少ししか寝ていないので、さすがに疲れが溜まる。眠気覚ましに顔を洗って、仕事を再開した。
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