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―アカシュリア九七六年 新緑の月 十三― 「ねえ、ポチ見なかった?」  城内をうろうろとしていたセリナ姫が、通りかかったメイド兼教育係のマーゴットに尋ねる。 「ポチ様でしたら、ファウス様と《大学|カレッジ》へ向かわれたはずですが」 「もう、またなの!?」  先日の戦から帰城後、あのロクタームの若者に勉強を教えたいと、ファウスから申し出があった。  確かにポチには、《端|はた》で見ていても驚くほど世間知らずな面があるし、セリナとしても《傍|そば》付きとして優秀に越したことはないので、少々ならば構わないだろうと許可を与えたのだが。  それ以来、毎日のようにファウスは彼を《伴|ともな》って、大学へと出かけていく。  ただでさえ朝と夕には騎士宿舎に《赴|おもむ》いて、騎士に混ざって鍛錬をしているポチなのに。 「ファウスといいギナゼッド様といい、男の人ってみんな勝手ね。ポチは私のペットなのに」  ぷくーっと膨れる姫君を前に、マーゴットが《呆|あき》れたような視線を送る。 「ポチ様がご不在で寂しいのでしたら、すぐに来て、傍にいて欲しい、とお願いすればよろしいではありませんか」 「さっ、寂しくなんかないわよ!別に、ポチが誰と仲良くしてたって、私には、関係ないもん……」  意地を張るセリナの声が、だんだんと尻すぼみになっていく。  セリナはこの三年間、女王候補の筆頭として、なるべく弱みを見せないように、女王らしくあれと振る舞ってきた。  だがそれ《故|ゆえ》に、妹姫やマーゴットのように昔から信頼を寄せる者以外には、どうにも素直に人に甘えたり、頼ることを不得意とする。  特にあの若者に対しては、無理矢理首輪をつけて城に連れ込み、大切な《護|まも》り《髪|がみ》まで切り落としてしまったことに、姫君は随分と負い目を感じていた。  ワガママ放題に接しているように見えるが、命の危険が及ぶこと以外は、なるべく彼の好きにさせてやりたいのだ。  時折切なげにニーザンヴァルトの方角を見やり、故郷に帰りたいと願う、おそらく彼の一番の望みを、彼女には叶えてやることが出来そうにないからこそ。 (そういうお顔を、もっとポチ様の前でお見せすれば、あの方の《頑|かたく》なさも変わられますでしょうに)  姫から、あの敵騎士を連れ帰ると連絡があった時は、とうとう姫様も《伴侶|カエーヌ》を見繕われるお歳になられたかと、《城中|しろじゅう》さざめきあったものだった。  コックと大工、庭師、そして警備の兵くらいしか男が常駐することのないシエイラン城に、姫様自ら殿方を呼び込むというのは、そういう意味に取られかねないのである。  だが、姫様はともかく、肝心の若者の方には、一向に姫君に《絆|ほだ》されるような気配がない。  連れてこられたばかりの頃に比べれば、セリナの体調を気遣うような優しさを見せることも増えてはきているが、どうにも男女のどうこうといった雰囲気にはほど遠い。  年頃の青年が、毎朝美少女の《艶姿|あですがた》を拝んでいるというのに、欲情どころか意識するようなそぶりも見せないのだ。  ……いや、艶姿自体には、動揺を見せてはいるようだが。 《   |「あの顔で女慣れしてないとか、普通ありえませんでしょう。ヘタレめ」》 「マーゴット?」 「いえ、こちらの話です」  とはいうものの、マーゴットとしては、ポチをあのまま姫の《御側|おそば》に置いておくには、少々懸念する部分もある。  幼馴染みの宮廷魔術師が教育を施そうとするように、あの者は良家の出としては、知らないことが多すぎる。  母国でまだ未成年とはいえ、あの歳の騎士階級の男子であれば、当然知識として得ている社会情勢や《政|まつりごと》のあれこれについてなどは、《疎|うと》いどころか完全に欠落している。  かと思えば、小説や《寓話|ぐうわ》で語られるような事柄に関してだけは、やけに詳しい。まるで、本を丸々暗記でもしたかのように。  もちろん、甘やかされて育ったボンボンという可能性もあるが、であれば逆に、着替えや湯浴みといった使用人任せになる部分を、全て一人で行えるという不審さが残る。  更に、彼を城に置くと決まってすぐ、八方手を尽くしてあのものの素性を調べ上げたが、ニーザンヴァルトの貴族・騎士階級に『ラド』という二十歳前後の若者は、存在しないことが判明したのだ。  彼は本当にニーザンヴァルトの騎士なのか。  姫には捻くれた態度を見せるものの、基本的には純朴で、ともすれば歳より幼さすら感じられる彼の言動は、とても演技には思えない。  何より騙すつもりの芝居ならば、もっと上手く騎士になりすますだろう。  では、あの教育を放棄されたかのような、知識や振る舞いの偏りは何なのか。  いったいどのような育ちをすれば、あんなにも《真率|しんそつ》で極端な人物が出来上がるというのだ。  全てが気がかりではあるものの、本人やゲイン家の者を問い詰めた所で、おそらく素直に白状はしないであろう。 「マーゴット!ねえ、話聞いてる?」 「……失礼、姫様の拗ねた仕草がお可愛らしくて、少々見とれておりました」  しれっと返すメイドの言葉は、ますます姫のご機嫌を悪くしたらしい。 「もう、マーゴットまで馬鹿にして!もういいわ、お茶の準備をしてちょうだい。久しぶりに貴女の入れた、美味しい紅茶が飲みたいわ」 「かしこまりました」  身支度と湯浴み以外の姫様の身の回りの世話は、この所殆どあの若者の仕事だった。  では久々に、腕を振るうとしましょうか。寂しがり屋で意地っ張りな、愛くるしい我が《主|あるじ》のために。
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