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 サクラサク。  もうそんな時期になった。  一年と少し前までは皆と一緒に合格発表に沸いていた。だけど今は。  咲きはじめの桜が白く、ほんのり紅色に染まっている。  《綱刹那|ツナセツナ》は、かぶりを振った——どうせ自分は落ちこぼれだ。せっかく進学高に受かったものの、地元の中学ではトップの成績だったという天狗の鼻は易々と折られ、以来赤点と追試と補講に追われる日々だ。今日だって、春休みだというのに午前の補講を受けてやっと解放されたばかりだった。 「はあ……」  何とか留年だけは免れたものの、周囲の目はことさら厳しい。両親すらも息子に関心を寄せなくなった。落ちこぼれるということは、こういうことか、と実感してみて初めて分かる。刹那よりももっと早く落ちこぼれてしまった同級生たちは、今頃どうしているだろうか。中学生の時分、刹那は落ちこぼれに対して確かに厳しい態度を取ってきた。努力をしない、実力を向上させようとしない、明確な目標もないと心の中では軽蔑すらしていた。  だが、自分が落ちこぼれの立場になってみると、努力はできない、実力は向上しない、ゆえに目標も持てない。当初の期待は《重石|おもし》のように刹那を押しつぶし、誰の視界からも見えないほど深い穴に落としていった。  高台の上にある高校からは、桜の隙間から下の街が見える。刹那は金網フェンス間際に近づき、春風を浴びる。誰もいない麗らかなこの時間だけは、ここは刹那の独占場所だ。  そのはずだった。 「あ、《セスナ》くんだ」  腑抜けた声で、刹那を《セスナ》と思いっきり言い間違えた相手を、刹那は振り返って睨む。  《河津七滝|カワヅナナタキ》、刹那と同級生、同じクラスの男子だ。クラス分けは成績順に行われるため、一週間後には別のクラスになるが……。 「こんなとこで何やってんの? 僕花見に来たんだー」  刹那が喋る前に七滝はベラベラと言葉を紡ぐ。 「花はいいよね、特に桜は最高だよ! 僕の名字も河津だから河津桜も捨てがたいけどソメイヨシノのほうが一般的だし、僕的には昔見た奈良の吉野山の野生の桜の大木なんかも超感動的だったよー。あ、《セスナ》くんは空飛ぶ感じだから」 「セスナじゃない、刹那だ」 「あれっ?」 「さっきから何回も他人の名前を間違えて」 「ごめーん、僕名前覚えるの苦手だからさー」  七滝はテヘッと自分の頭に拳骨を落とす。  この七滝、傍から見て相当馬鹿に見えるが、いわゆる天才だ。一度見たものは忘れない、一度習ったことは修得できる、一度聞いた音楽は再現できる、と天からいくつギフトをもらったのか分からないほどの多才な、外見はごく普通の男子高校生だった。  ただし、七滝は自分の意見を頑として変えない。『名前覚えるの苦手』というのも嘘だ。刹那の名前をわざと呼び間違えている。  なぜ刹那がそれを知っているかと言うと……職員室で聞いたからだ。教師に、落ちこぼれの刹那に近づくなと七滝が注意を受けているところを。  しかし七滝は自分の意見を曲げない上にこう答えた。 「刹那くんはいい人です。僕は彼のようになりたいと思います。先生にいくら言われても僕は僕の考えを変えません」  正直、馬鹿だこいつは、と刹那は思った。七滝は案の定怒り狂った教師に殴られかけていたが、ひょいひょいと躱して職員室から逃げ出した。七滝、武術の心得もあるのだろう。そのくらい余裕を持って対処していた。  七滝は刹那の隣に来て、フェンスに手をやる。 「絶景だね! あ、絶景かな! 見て見て、向こうの公園も桜まみれだ」 「七滝」 「何?」  刹那は口を開いて、思い直したように閉じた。  刹那は思う。正直、この一年は苦痛だった。  落ちこぼれの自分、何も達成できない自分、とにかく何をしても上手くいかない。隣の席にいた七滝がオール満点を取るテストで、刹那は赤点か平均点ギリギリの点数を取るだけだった。  こいつには勝てない。その思いが膨らむたび、刹那は心を苛まれ、いつしか成績はクラス最下位が定位置になった。  それでも、刹那は七滝を嫌いになれなかった。  刹那の隣の席に居座り続けた七滝は、天才だが馬鹿だった。いつでも刹那の後ろにくっついてきて、昼食さえ一緒に食べると譲らない。クラスメイトからは、まるでカルガモの親子だ、と揶揄されていた。  だが、それももう終わりだ。 「七滝、違うクラスになってもちゃんと一人で飯食えよ」 「え?」 「俺がいなくても体操服忘れたりすんなよ」 「うん」 「あとは」 「そんなことより、桜見ようよ!」 「お前、分かってんのか?来週からクラス違うんだぞ」 「クラス、違うの?」 「お前は成績トップだからA組、俺は落ちこぼれだからE組だ」  そう、クラス分けは完全な成績順だ。この高校では留年生を除いて、成績上位からA〜Eに振り分けられるシステムを取っている。そのほうが教える側も便利なのだろう。  七滝は少し悩む素振りをして、ぽんと掌を叩いた。 「なーんだ、それなら毎日会いに行けるね!」 「はあ?」 「《セスナ》くん、僕の画像スマホの待ち受けにしていいよ? 背景も桜で綺麗だし……寂しいんでしょ?」 「《阿呆|アホ》か!」 「あはははは!」  七滝は笑う。刹那は追いかける。  桜を揺らす風の元、二人の男子高校生は子供のように追いかけっこをしていた。  一週間後の桜舞うころになっても、二人はきっと同じことをしているだろう。
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