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 幼い頃、オレはひどく病弱な子どもだった。起き上がって外に出られることは本当に稀で、しょっちゅう熱ばかり出していたらしい。間違いなく、オレにとっても、家族にとっても、生よりも死に天秤は傾いていた。  季節が廻る度、庭に植えられた樹が薄紅色の花を咲かせ、また盛大にその花びらを散らす。幼いオレは、その光景が怖かった。その花の名前が「桜」だということを学校で知った時には、少しは体は丈夫になっていたけれど。  それでも、体育は見学が当たり前で、どこか誰にも馴染めず、ひとりぼっちでいることが当たり前。そして季節の変わり目の度に、入退院を繰り返していた。  桜が、綺麗なはずの薄紅色の花が咲く頃に決まって体調を崩す。外の光を浴びる事もできずに、暗い病室に繋がれる。その花は苦しみの象徴となり、そして儚く散る様子は自分自身と重なって。いつかオレは、「桜」という花が嫌いになっていったのだった。 ――  桜はもう、散り始めていた。桜の季節が終わるというのは、オレにとってはまた明るい世界に戻れるということだ。  退院日を数日後に控えたオレは、病院の中庭を貫いて流れる小さな川沿いのベンチに座り、ぼーっとしていた。花冷えから一転、初夏のような陽気で、羽織っているカーディガンを腰に巻き付ける。パジャマ姿ではあるけれど、ここは病院なので誰も気にしない。 「ふう」 伸ばしっぱなしの髪が風にふわり、と舞った。 「おい、お前」  後ろから声をかけられて、少しびくっとしながら振り返るとそこにはハンカチを手にした赤紫色の髪の少年が立っていた。黄緑色のジト目系三白眼で目つきが悪い。ただ、性格が悪そうな感じはしなかった。 「これ、落としただろ?ほら」 「あ、ありがとう」 そう言って手渡されたのは青緑色のチェック柄のハンカチ。落とした事にまったく気付かなかった。 「隣、座ってもいいか?暑くて喉乾いたからジュース飲みたくてさ」 「あ、うん。確かに今日は暑いよね。別にいいよ」  彼はありがとう、と小さく呟くとベンチに座り缶ジュースの蓋を開けた。ぷしゅっと小さな音がする。 「お前も飲むか?実はもう一本持ってきてて」 「え、あ、ありがとう……」 (ひんやりしてて気持ちいいな……)  缶ジュースに限らず、誰かからものを貰ったのは初めてでひんやりする指先と対照的に、胸の中はぽっと暖かくなる。 「あ、そういや言ってなかったな。俺は今出川 長春。三日前に体育で足捻って、通院してたんだ」 「あ、ボクは……青磁っていいます。もうすぐ、退院……します」 「そりゃよかったな。しかし、ここの桜は綺麗だよなあ」 長春はそう言って笑う。 (ボクは……桜が綺麗だなんて思ったこと……ないや)  むしろ当時のオレにとっては、桜は苦しみと死の象徴で。 「……こんなに綺麗ってことは、死体が埋まってたりして」 「へ!?」  思わずびくっとなったオレを見て、長春はにやりと笑う。 「冗談だよ。昔っからある迷信というか……元は文学作品だっけ?よくわかんねーけど」 「……そ、そうなんだ……確かに桜って色々伝説残ってたりはするけれど。コノハナサクヤっていう桜の女神様もいるから」 「詳しいなーお前。そういや今やってるゲームにもそういう精霊がいたっけ」 「く、詳しくはないよ多分。ボク、すごく体弱くて家ですること本読むぐらいしかなくて……だから……」 その瞬間風がさあっと吹いて、花吹雪が舞う。 「うわ、いいね桜吹雪!綺麗!」 「う、うん……」  今まで桜は嫌いだったのに、どうしてかこの瞬間だけは桜がひどく綺麗なものに思えた。 「これだけ散ると、花筏になってないかな。お、ここに階段がある、行こうぜ!」 「え?ちょっ……」  彼に手を引かれて、土手の下へ降りる。川面は桜の花びらで埋め尽くされていた。そしてそれがゆっくりとまだ見ぬ海へ流れていく。 「おーなってる。これは川沿いの桜でしか見れないんだよなあ」 「これが……花筏?」 「そう、花筏。こうやって桜の花びらが筏みたいに海に流れていく様子のこと。これだけ大きい筏だとふたりで乗れそうだな」 「……そうだね」  普段のオレならきっと、乗れないよ、と冷たく言っただろうけれど、その時は笑う気にはなれなかった。彼の笑顔がとても無邪気で、そしてもし花びらと沈んでも彼ならば冷たい水底から引き上げてくれるようなそんな気がした。 何よりもオレ自身が信じたかった。 ――いつか、海へ。自由な場所へ流れていける未来を。 ―― 「今年もまた、桜が咲いたな」  それから数年が経って、オレは今年から、華茶花学園の高校一年生になる。あれほど病弱だったのが嘘のように、中学に入った頃からすっかり健康体になった。 今では桜の季節の頃に体調を崩す事も無い。桜は好きな花のひとつに変わっていた。  あの日、花筏に願ったように、オレは少なくとも病気からは自由になったのだった。今でも桜を見るたびに、あの日の手の温もりとジュースの冷たさと彼の笑顔を思い出す。  あれから、彼には二度と会う事はない。だけど別れ際にした約束を今でも心のどこかでオレは信じている。 「いつかもう一度会えたら、ふたりで海を見に行こう」 ―― 「くしゅんっ!」 「花粉症ですか?ご主人様」 「誰かが噂してんだろ。それか埃か。俺は別に花粉症じゃないからな、煙水晶<モリオン>」  引っ越しの段ボールを片付けながら、今出川長春はくしゃみをひとつした。 「それにしても桜、綺麗ですねえ」  掃除のために開け放した窓からは暖かな春の風と、何枚かの桜の花びらが吹き込んでくる。 「ああ、綺麗だ。あの子は元気にしてるのかな……」 「あの子……ああ初恋の女の子ですか。今も美人な彼女がいるのに……嫉妬されますよ」 「初恋ってものはずっと覚えてるものなんだよ。ま、狸にはわかんねーかな」 「失礼ですねご主人様。わたしは何年生きていると思ってるんですかまったく」 そういうと肩に乗った狸が、長春の頬を尻尾でひっぱたいた。 「わかったからひっぱたくな!」 (またいつか会えるかな……青磁)  儚げな雰囲気を纏う桜の季節に出会った女の子、そして交わした幼い約束。あれから、彼女に会う事は二度となかったけれどまた、会えたら。 「いつかもう一度会えたら、ふたりで海を見に行こう」  ふわり。 祝福するように離れた場所で同じように桜の花びらが舞う。やがてふたりは、巡りあうだろう。
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