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 この奇妙な逢瀬も、もはや何度目なのだろうか──考えながら缶を煽る。  駅から歩いて十五分くらい。すこし背の高いマンションの前を通り過ぎて、小さな公園の向こう側に、古ぼけた安アパートがある。女の一人暮らしにはいささか不用心なんじゃないかと母も父も言うけれど、これはこれで味があって良い。住んでからわかったことだけれど、ご近所さんも温かな人ばかり。大学を卒業してからこっち、職場からすこし離れた土地ではあるけれど、暮らし住むには申し分のない土地だった。  その日は、風のない、穏やかな日だった。太い道路もほど近いこのあたりは、夜になると騒音が撒かれることも多いのに、その日は特にそういったこともなく、警察も頑張っているのかしら、それとも時代の流れ? ……なんて考えながら、職場からの家路を急いでいた。  なにか、予感がした。虫の知らせとも違う。けれど、なにかが呼んでいる気がした。ざあ、と風が木々を凪ぐ音が耳に届く。  いつもは通り過ぎるだけの公園に目を向けた。入り口と、公園内の中心付近に一本ずつ立っている電灯が夜に照る。  だから──その奥に人影がみえたとき、すこしだけ後退ってしまった。  休みの日、特に日曜には母親か父親と連れ立って、こどもがわあわあと騒いでいるのをときどき見かけているから、どこになにがあるのかは、だいたいわかっているつもりだった。そうでなくても、かすかに灯りで影がついている。人と、ベンチ。それから、  ──転がっている、空き缶。  こどもの飲み散らかしではない、大人のための、アルコール飲料。それも五〇〇ミリリットル缶が、二本、三本と地に伏しているのが見える。  散らかした本人と思しき人影はくるぶしを膝にのせるように脚を組んで、右手にロング缶を持ってアルコールを煽る。豪快なのに、その影の線は細い。その飲みっぷりは、酔いつぶれてその場で眠りこけるようなことを想像させないけれど、でもやっぱり、女性の夜の一人飲み、それも人通りのあまりない公園では、すこし危険なのでは、と老婆心がつつかれる。  土をざりっと蹴る音が、妙に響いたような気がした。一歩一歩と影がはっきりと人のかたちになっていく。スウェットパンツにスカジャンの、ある意味で想定通りの服装。 「ぁ、あのっ、」  声が上ずったのがわかった。でも止められない。これは勢いというやつだから。乗りかかった船からは降りられない。 「……お酒、美味しいですかっ」  ただ、乗り方を間違えたことだけは、はっきりとしていた。 「最初はさ、静かで、なーんにもなくて、これは飲まなきゃやってらんねえな、って」  三五〇ミリリットル缶を片手に、かははと彼女は笑う。  リナと自称するその女性は、単にオンオフのしっかり切り替わる人で、仕事が終わるや否やすぐさま帰宅、着替えて心身ともにラフにするのが元気の秘訣という、よくいえば豪快な性格の持ち主だった。 「いい番組もやってなくて、ケータイぽちぽちいじる、みたいなこともしないからさー、やることったら酒飲んでアテ食って、そんで、肴に満月ときた。酒が進まないわけないじゃん」  からからと言って、彼女はまた、缶を煽る。  ペンキのはげたベンチに腰掛けて、どころかすこし緩んだ足を浮かせるように身体を踊らせながら、アルコール飲料とおつまみとを行き来する。ともすれば不審者と通報されかねない行為なのに、リナさんは構わずにぐびぐびと飲み進める。  わからないでもないなぁ、と口にせずに、リナさんに比べて大人しめに──というより、飲める量の多くない私がぐびりといったらまずい──こきゅ、と喉に発泡アルコール飲料を流し込む。 「そしたらさー、べつに寒くもないし、かといって暑くもないし、みたいないい感じで、やっぱり飲むっきゃねーなって、コンビニまでダッシュよ」  ま、店出た瞬間に缶開けてたけど──アルコールがまわりはじめて笑い上戸に拍車がかかっていくのを目に耳にしながら、うんうんと相づちて空を見上げる。  雲ひとつない真暗闇のカンバスにかすかに散りばめられた幾多の星々。それらを飲み込もうとする月の濃い黄色に、意識が吸い込まれそうになる。きらびやかで、でもすこし、物悲しげな。 「ねぇー、きいてるぅ?」 「きいてますよ、歩きながらレジ袋振り回しちゃって、ビールが泡吹いたって話でしょう?」  もー、そういうとこばっかり聞いてんだなー、とリナさんが言うのを、やっぱり空を見ながら聞いてしまう。ベンチの背もたれに体重をかけて、足を地面に投げ出して。  ──月が、綺麗ですね。  言ってしまえば、この風景が陳腐に成り下がる気がして。思考して、また一口、くぴり、と飲み流す。 「──ちゃんはさ、ないの、そういうの」  こちらに傾いてそう聞くリナさんの表情を、ちゃんと見ることができない。  やっぱり、名前で呼ばれるのは、馴れない。 「……そういうの、というのは?」 「酒飲まないとやってらんねー、みたいなの、ないのー?」  そっちですか、失敗談ならいくらでもあるんですけど──丸めていた背中を伸ばす。んー、と喉から音が漏れるのを聞きつつ記憶をまさぐる。 「……ないですねえ」  うそだー、と隣から漏れ聞こえるのを、なんとなく遠くに聞いてしまう。  だって──だって、仕方ない。下戸で、職場の飲み会だって、最初に生ビールを頼んだ後はずっと烏龍茶か炭酸飲料で場を濁すような女で、アルコールを入れすぎてトイレとお友達になるのも嫌だし、それで誰かに迷惑をかけるのも嫌だし……そもそも、あんまり美味しいと思わないし。  だけど──だけど、そう。目の前に居る貴女が、美味しそうに飲むから。楽しそうにお酒を飲むから。 職場の飲み会は、みんなストレスの捌け口にアルコールを入れる。でも違う、この人のお酒の飲み方は違う。世界をより楽しむために、お酒を飲む。だから──  空を仰ぐ。ああ、やっぱり今夜は月が、  月が、綺麗ですね。
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