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 三月十五日。  私立星辰高等学校、卒業式の日だ。桃華の先輩である荒井大樹も無事東京大学に合格し、卒業する。  今年も異常気象なのか、上着がいらないほど暑い。気温は二十度を超えている。桜の蕾も膨らみ、来週には咲くだろうという予報が発表されていた。  卒業式では、生徒会長などではなく成績首席が答辞を読む慣習から、当然のごとく大樹が卒業の答辞を読んでいた。二メートル超えの大男が出現したときの父兄のざわつきも当然のことと思われる。  一方、桃華は卒業式の大半で寝こけていた。式典では途中からつい寝てしまう派なので、かっくんかっくん船を漕ぎ、隣の男子や女子にクスクス笑われていたことを桃華は知らない。やがて卒業式が終了すると、大歓声が上がり、それで桃華はやっと目覚めた。  わちゃくちゃにパイプ椅子をなぎ倒し、卒業証書片手に暴徒化する三年生一同。  そして部活の後輩たちがそれに混ざり、胴上げまで開始される。  やっと体育会系の部活の担当教師たちが止めに入り、少なくとも胴上げは一旦中止された。が、今度は担当教師たちが胴上げの対象となり、秩序も何もあったものじゃない状態に突入する。  毎年のことだ。桃華はそっと席を立ち、蒸し暑い体育館から出て外の空気を吸いに行った。  渡り廊下の自販機前で、桃華はベンチに腰掛ける。  約二年前、桃華が純にタックルをかました場所だ。  今年そこに現れたのは、純ではなく、大樹だ。 「よう、桃華。サボりか?」 「息抜きです」 「それをサボりって言うんだよ」  大樹は笑いながらどさりと桃華の隣に座る。卒業証書片手に。 「あー、何だ、広瀬じゃなくて悪かったな」 「何で純なんです?」 「あいつのほうがよかっただろ」 「毎日メールしてますし、登下校も一緒ですから」 「家、隣だしな……どうだ、最近は?」 「純とは上手く行ってますよ。嫌味言わなきゃいいんです、嫌味」 「確かになぁ。口は災いの元ってやつだ」 「純の人生の大半はそれですよ」 「悪かったな、悪い人生で」  そう言いつつ現れたのは、純本人だ。約二年前の記憶を辿って、ここにたどり着きでもしたのだろうか。  大樹はおもむろに立ち上がる。 「彼氏のお出ましだ。俺は体育館に戻らねぇとな」 「ええー」 「首席が行方不明じゃ格好つかねぇだろ。お前が心配で出てきただけだしな」  大樹はぽんぽん、と桃華の頭を大きな掌で叩く。 「じゃあな、桃華。たまには連絡しろよ」  小さく頷き、桃華は去っていく大樹の実に大きな背中を眺めた。  ——あの大きな背中に何度助けられたか。そしてラーメンを奢ったり奢ってもらったりと貸し借りを何度繰り返したか。   桃華はちょっとじーんと胸が熱くなったが、よく考えると家も知っているし連絡先もばっちり把握しているので、いつでも連絡を取り合えることに気づいた。 「荒井先輩、いい人だよな」 「う、うん」  純は素直な性格すぎて、色々忘れて余韻に浸っていたため、桃華はとりあえず返事をしておいた。  ここ数ヶ月で、純の性格は本当に素直になった。小学生のころ、いや幼稚園のころくらい素直だ。嫌味も言わなくなってきた。たまには言うけれど、それはご愛嬌というものだ。  ——恋で女は変わるというが、男も変わるものだ。  桃華は不意に目の前に影が落ちるのを確認して、顔を上げる。  純が桃華の顔を神妙に覗き込んでいた。 「桃華」 「何?」 「目、閉じとけ」  言われたとおり、桃華は目を閉じる。  桃華の顎に手が添えられる感触、そして暗い視界が一層暗くなっていき、ほのかに温かいものが唇に触れる。  何となく、桃華は純の言葉の意味を察していたが——ここは黙っておこう、と思っていたそのときだった。 「見ーちゃったー!」  大声で校舎側からヒューヒューと冷やかす声が聞こえ、桃華は目を開ける。すでに純は桃華から離れ、大声を出した犯人に目星をつけていた。  拓真だ。校舎の二階から一人で手を振りつつ、賑やかしている。 「拓ちゃん!?」 「おまっ、覗くなよ!」 「そんなところでキスしといてそれはないっす、先輩」  冷静な指摘だ。背後以外全方位開放的な自販機横のベンチでキスという、教師にでも見つかったら即アウトな状況下、第一発見者が拓真でよかったのかもしれない、桃華は恥ずかしながらそう思うことにした。  一方の純は怒りが収まらない様子で、拓真と言い合いをしている。純の顔は真っ赤だ。そんな純を、余裕綽々の拓真は軽くあしらっている。 「でもなー、今年一年またいちゃいちゃしてるの見せつけられるのかー、と思うとちょっと気が重いっていうかー」 「お前が見てるだけだろうが! さっさと彼女作れ!」 「じゃあ桃ちゃんより可愛い子がいたら紹介してくださいよ」 「却下だ!」  ——ん? 私より可愛い子がいたら紹介するのを却下? 純、乗り換える気?  ——拓ちゃんは私より可愛い子を彼女にしたいってこと? あんな告白劇やっといて?  純と拓真の言い分を即座に分析した桃華は、立ち上がって叫ぶ。 「ちょっと待って、私より可愛いってどういうことよ!?」 「あははー、桃ちゃんお幸せにー」  ふははははー、とどこぞの怪盗よろしく逃げ果せた拓真の声が、誰もいない校舎に響き渡る。  純は校舎前まで走っておきながら、追いかけるのを諦めた様子で、よろよろと桃華の前に戻ってきた。 「逃げ足早いな、あいつ」 「私よりは遅いよ」 「そうじゃねぇよ」  桃華の答えは純の意図した答えとは違ったらしい。  桃華が首を傾げていると、手が差し出された。  純の右手だ。一瞬、女性の手かと見紛うほどとても白くて長いのに、ちょっとゴツゴツとしたその手は、間違いなく約二年前にも差し出された手だ。 「ほら、行くぞ。そろそろ教室に皆帰ってくるころだ」  ——ああそうだ。卒業式はもう終わった、在校生は教室に戻る頃合いだ。  桃華はそっと純の右手に、二回りは小さな左手を差し出す。 「うん」  愛おしげに握りしめ、握り返した二人の手は、まるで小さな子供のようで、確かに過去を乗り越えて。  恋人同士となった今、二人は変わらず、お互いの手と手を握っていたのでした。  おしまい。
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