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 目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。  タオルケット一枚で寝るのもそろそろ限界らしい。冷えた身体を起こしカレンダーを見ると、もう九月も半ばに差し掛かっていた。暑さ寒さも彼岸までと言うし、もう少し夏の余韻に浸っていても良かったと思うのだが――今年の夏は猛暑と騒がれた割には、足早に去って行ってしまったようだ。  クリーム色のカーテンを開け放つと、高くなった青い空が広がっていた。雲一つない、気持ちのいい秋晴れだ。これから世間はきっと、暖色に彩られ、暑くも寒くもない日和にかこつけて人々は趣味に励み、感受性豊かな誰かは心に吹き込む冷たい風に気付かない振りをしながら、豊穣の恩恵に満ち足りるのだろう。けれども私は――どうも毎年、その気になれない。  いや、毎年と言えば語弊があるのかもしれない。ある年を境にずっとそうなのだ。――そう言えるほどの年月が経った訳でもないが。  それに、結局のところそれは感情論で――明確な理由になるわけじゃないのも、分かってはいる。  それでも、高く遠い空を吹き抜ける冷たい風が、銀の雫と化した望月の郷愁が、鈴虫の哭く音の狂気が、尽きてゆく生命の断末魔とその残滓が、記憶と心を掻き乱し、ざわつかせるから――  ――私は、秋が嫌いなのだ。         ◆ 「あー…………先輩? なんか、その……大丈夫、ですか?」  部室にたった一つ置かれた長机、その真ん中を占拠して突っ伏す私の顔を覗き込み、戸惑ったような声を発する後輩。彼の声に感情が滲むのは珍しいな、などと思いながら私は苦笑する。 「君に心配されるようじゃ終わりだねぇ。そんなに分かりやすかった?」 「いえ……そんなふうに突っ伏してたら誰でも分かりますって」 「それもそうか」  私はもう一度苦笑する。開け放った窓から吹き込んだ風のひんやりとした感触が頬を撫で、心を掻き乱していった。 「で、どうしたんです? 話聞くくらいならしてあげますよ。感情の絡まない問題なら解決策も考えられますし」  して「あげる」というこの後輩らしい物言いに、何とはなしにほっとする。こんなことに安堵を覚える自分には心底呆れるしかないが――この季節が嫌いな理由を鑑みれば尚更だ――だが私は、後輩に訳を語ってみてもいいような気になっていた。  ――もっとも、彼にはどうにとできない問題だろうけれど。 「残念ながら感情しか絡んでないんだよ、後輩くん。それに解決策もたぶん無い。君が一番苦手とするタイプの話なんだよねぇ」 「はい?」 「私はね、後輩くん。秋が嫌いなんだ。とりわけ初秋と中秋はね」 「は、はい……?」  わけが分からないといったふうに眉をひそめる後輩。そりゃあそうだろう。この辺りの感情が分からないことこそが、彼が文章を書かない理由なのだから。 「いや、俺がその感情を理解できないのもそうですけど。……先輩、この間『悪いけどぉ、私の得意分野は初夏と初秋なのよぉ』って言ってたじゃないですか」 「待ってそれ私の真似?」  明らかに悪意ある物真似に、思わず本題を忘れて突っ込んでしまう。何もこのタイミングで茶化さなくてもいいじゃないか。 だが――もしかして、と思い当たる。もしかして、要らぬお節介を焼いたことをまだ根に持っているのだろうか……幾ら話したとはいえ彼の心中に土足で踏み入るような真似をしたことを怒っているのだろうか。 思い付きでやった晩夏のあれこれを思い出して少し後悔し、黙ってしまった私の様子を見て、しかし、後輩は―― 「…………ふっ」  ――思わずといったふうに、笑みを零したのだった。 「えっ……と、後輩くん?」  訳が分からず首を傾げることしか出来ない私を見て、後輩は尚もクスクスと笑い続ける。可笑しそうに目を細めている彼の顔から――私は、目が離せなかった。  なるほど、確かにそれは傍から見ればただの日常会話の風景で、ごくありふれた普通の光景だったのかもしれない。けれど重要なのは、今私の目の前で笑顔を見せているのが、あの日、感情を識れないと言ったあの後輩だということだ。あの初夏の日、あれほど淡々と、それでいて翳を含んだ声で感情を判れないと言ったあの後輩が――今、私の目の前で、こんなに可笑しそうに笑っている。 「後輩、くん…………笑える、んだね」  思わず正直な感想が口をついて出た私の物言いを、しかし後輩は気に留めたふうでもなく、笑顔のまま返した。 「何すか、それ。言ったじゃないですか。別に俺、全くの無感情じゃないですよ」  そう言ってから、でも、と少し考え――続ける。 「でも――こんなに笑ったのは、大分久し振りかもしれないですね」  ――開け放ったままの窓から、一陣の風が――ひんやりと冷たい秋風が――吹き込んできた。けれどそれが、私の記憶と心を掻き乱し、郷愁を掻き立てるようなことはなく――この時に限って秋風は、ただ過ごしやすい季節の涼風に過ぎなかった。  高くなった快晴の秋空。蟲の鳴く聲。窓の外を朽葉四十八色が舞うのも――きっと、もうすぐだ。 「――……文芸部にいると……少しだけ、俺にも感情が解る気がします」  酷く小さな声で呟いた後輩の言の葉は優しく色付いて、秋風に乗って消えていった。 「で? 先輩。今日は俺のことはいいんですよ。どうしたっていうんです? まあ俺にはどうにもできないでしょうけど、とりあえず話してみて下さい」  切り替えるようにそう言った後輩の言葉で、やっと本題を思い出す。こんな後輩の笑顔を見ることが出来て、私のくだらない感傷と思い出など最早どうでもいいような気になっていたし秋もそんなに嫌いじゃないと思えていたが、それでも後輩に心配をかけてしまった以上は話すべきだと分かっていた。  ――それに、後輩が解れないと言ったあの感情を、この狭い部室で抱き続けている為に――そして、後輩がいつかその感情を識る為に――例えその相手が私である可能性がなくなってしまうような話だとしても――話しておくべきなのだと。  本当は、知っていた。                             《To Be Continued……》
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