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 空を見上げる、ということがおおよそなくなった。  建物の入り口脇に篝火、やむなく出歩かねばならないときはそれから火を移して掲げて歩く。世が世なら野盗に襲われたいと言わんばかりのそれも、けれど現代ならば問題はない。 「や、元気?」  かつて学校として用いられていた建物の玄関扉に腰掛けてくる影がひとつあった。昼間にしか会うことのないから、火の爆ぜる音しか聞こえぬ静かな夜に改めて聞くと、なんとなくノイジィというか、ぼくを不安にさせてくるような《音|こえ》だなあと思う。  少女は続ける。 「今日、狩場に来なかったから、気になって、来ちゃった。なんだ、案外元気じゃん」  死んじゃったかと思ったのに──あっけらかんと話す少女に、ぼくはなにも返さない。火の、あるいは薪として用いられている木々の焼け爆ぜる音がどうしてこんなにも落ち着くのか、隣に座り込んで来た少女の声がどうしてこんなにも心をざわめかせるのか──ぼくはそれを考えるのにいっぱいいっぱい、のフリ、をする。 「こっちのほうが人が多いかなって思ったけど、そうでもないんだね、ウチとあんまり変わんない」  ざわり、と肌に走る寒気。暦を数えなくなって──意味を半ば失ってから、どれくらいだろうか。そろそろ秋か、あるいはもう冬か。ばたばたと生きていたから、防寒着を用意しなければならないかも。《主導者|リーダー》に相談してみよう。 「それに、若い男があんまり居ないのもおんなじ。……ま、数が居たところで、ハンショクするのかー、って言われたら、きっとしないんだろーけどさー」  ぱちり、と篝火の一層爆ぜる音が聞こえた。林間学校に行く機会でもあったら、きっとこれは見慣れた特別だったのだろうけれど、そうなれなくて、ならなくて、ほんのすこしだけ、ぼくはほっとしている。  過去の特別に、すがりたくなるから。  子供達のわいきゃいと騒ぐのが背後の遠くで響いて、隣の彼女は反響に驚く。学校というのは案外と──そう、ぼくたちが普通に暮らしていた住宅と違って──声や音やが反響しやすいというのを、どうやら知らなかったらしい。  結構いいとこのお嬢様だったのか──なんて、口にだす愚行は犯さない。だって、それはもう意味のないものだから。 「……静かな夜」  喋らないと、どうやら死んでしまう性質らしい。山で出会った時にも思ったが、この女はすこしばかり落ち着きがない。それで生きてこれたのだから、まあ環境がよかったのだろう。目も口も、物を言ったところで問題にならなかった環境で育てば、なるほどこんな、他人の心をざわめかせるような女になるのか。  知る必要のない見識がひとつ増えてしまった。残念だ。狩りの技術や情報のひとつやふたつだったなら、喜ぶこともできたろうに。 「こんなところで、あんたは生きてんだ」  湧き立つ炎に埋められていた視界が、一人の少女の、端正な顔で埋められる。こいつはどうやら、人の逆鱗に触れたがる性格をお持ちの人間らしい。  よくもまあ、こんなやつが今日まで──思って、表情に出そうになったのを自覚して、閉じる。  そんなことに、エネルギーを使っていられない。  視界から動いたと思えば衣擦れの音。土を蹴るのが聞こえたと思ったら、少女の全身が、畳まれて、屈みこんで、篝火を隠すように、座りこんできた。太ももとふくらはぎが特にくたびれたトラウザーズの右膝に頬杖をついて、ぼくににっと笑いかけてくる。 「あんた、やっぱしかわいーね」  言って、自分のその言葉に照れを覚えたのか、すぐさま立ち上がって篝火の影に隠れるのにぱたぱたと歩き去った。  呑気な子── 「あんたもこっち来なよ、あったかいよー」  そして能天気。火なのだから暖かい、けれど近づきすぎれば、その熱に身を灼かれるのに、気づいているのだろうか。  気付いていなくても良い。そのまま灼かれていく姿を、そのみすぼらしい末路を観劇してやるのも悪くない。  などと。などと思いこそすれ、体の冷えてきたのを自覚してしまったぼくとしては、たしかにその熱に当てられて、暖まりたい欲が勝ってしまった。  火というのは、古来、──そう、とても古くは、制御のきかない、テクノロジーではなく神罰のひとつだった。それを、ぼくたち人間の祖先は、どうにかこうにか支配下においた。ぼく自身はそれを直接《熾|おこ》したことはないけれど、それでもそれが大変な労力を伴うものなのはわかっている。  ふう、と吐息が漏れる。積極的に寒いということもないけれど、とはいえこうして暖まるのに、やっぱりというべきか、体内の冷えた空気を抜いてしまうらしい。  靴や服やに火の粉の飛ばないくらいの距離に陣取るように、膝を抱え込んで座り込んだ。  瞼を伏せて、眼も畳んで。宵闇に溺れるように、《微睡|まどろ》むように。その熱を一身に染み込ませる。これでぼくが  でなければ、きっとこのまま五体投地で眠ってしまうような、そんな穏やかさ。 「あったか、ぁい……」  左耳に入ってくる声も気にならないくらいの、静かな夜。暖かな空気。  校舎の内部、奥から主導者の声と、聞き知った若い男女数人のそれが聞こえてくる。なにやら取り決めらしいものができたらしいけれど、それだって── 「ね、ね、あんた、起きてる、起きて!」  肩を掴んで、ぐらりぐらりと揺らされる。その反動でか地面に押し倒された。これは良いとばかりに彼女の声が跳ねる。 「空、みて、月じゃないの、あれ!」  ──月。  その名詞を聞くのは、いったいいつぶりだろう。まだ学校が生きていて、家族という集団が生きていて、ぼくがまだ、なんとなく人間、で居られた時期の《詞|ことば》だ。でも、それは。  目を開く。空の遠くに、その大きな大きな、黒い画板には、たしかに星々とは違う、ひときわ大きな光がみえた。一等星や二等星なんてメじゃない、古文書にあるような、その灯があれば闇夜も歩けるというほどの明るさ、  には、すこし足りない、ような──  ぼく自身が火という灯のそばに居るから、というわけではない。古来から伝わるそれと考えるには、いささかばかり以上に小さく、心もとないほどの光量。たしかに星々、何百、何千光年と離れた平面上から届けられる奔流よりははっきりと大きく煌びやかで煌めいているけれど。  けれど。嗚呼、得心いった。あれはたしかに、月だ。けれど、月ではない。かの傲慢な人間が、その不遜な行いの果てに行ったそれの残滓。その機能を持たせようとして、けれど失敗したひとつの結果。  あれは、そう──
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