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それから五日後、霊斬は横向きのまま、うっすらと目を開けた。 「ここは……診療所か?」 霊斬が小さな声で言う。 「そうだ。大丈夫か?」 四柳の優しい声が耳朶を打つ。 「……なんとかな」 「霊斬!」 四柳の助手から知らせを受けた千砂が、急いできたのか肩で息をしながら、入ってきた。 「千砂か」 霊斬は無意識に千砂に向かって手を伸ばす。 その様子を見ていた四柳はそうっとその場を後にした。 その手を握った千砂は、安堵のあまり、涙する。 「泣いて、いるのか?」 霊斬が千砂の顔をよく見ようと、目を細めて聞いた。 「心配させるからだよ、馬鹿!」 「悪かったな。今回は妙な疑いをかけられちまったが、次からは気をつける」 「そうしてくれないと困る」 霊斬と千砂はそう言って笑い合い、手を離した。 「なぁ、お前の話が聞きたい」 突然、霊斬が言った。 「あたしのなにを話せっていうんだい?」 「昔のお前が知りたくなった」 「寝るんじゃないよ」 「痛みが酷くて寝れん」 霊斬は苦笑して、即答した。 「あたしは忍びの里で、いじめられていた」 千砂はそう言い、遠い目をした。 千砂は里親の許で生活をしていた。 家の裏手で、同じ歳の男子ら五人に囲まれ、殴られていた。 「なんでお前が」 「女が忍びになんかなれない」 「ここにいなければいい」 などと暴言を吐かれ、暴力を受けた。 彼らへ喧嘩を売った覚えはない。普通に日々の生活を送っているだけだ。女らしく、普通の生活を送ることも考えた。けれど、彼女には忍びになるだけの才があった。 ものは試しで取り組ませた、勉学、武術、体術ともに素晴らしい結果を叩き出したのだ。 大人達はこれ幸いと、千砂にありとあらゆる武術や知識を叩き込んでいった。 喧嘩などやり返すこともできた。それをしなかったのは、自分が偉いと認識させることは違うと気づいていたからだ。 ――殴って気が済むのなら、それをやらせるまで。 幼いながらも、固い意思を持っていた。 千砂がめきめきと腕を上げていっても、男子らに暴力を受ける日々は終わらなかった。 むしろ酷くなっていった。 それから数年経ち、十五歳になっても暴力は続いていた。 「女のくせに、調子に乗っているんじゃねぇ!」 罵声とともに、腹を蹴られ、頬を殴られる。武器を持っていれば、殺されてしまうような勢いがあった。 いつもは修業が終わった午後から日暮れまで続けられる暴力だったが、この日は違った。 「お前ら、そこでなにをしている!」 誰かの怒鳴り声が聞こえてきた。 「やべぇ! 早く逃げるぞ!」 その一言を合図に、千砂の目の前から男らがいなくなった。 「ったく、なんでこんなことが起こってんだ?」 溜息混じりに言った男は千砂に手を差し出す。 「大丈夫か?」 千砂よりも五つ上くらいの青年だった。その手を取ることはせず、ふらふらと立ち上がった。 「お前さんが《女子|おなご》の忍びか?」 千砂はこくんとうなずく。 「仲間達から話は聞いていたよ。だけど、どうしてあんなことに巻き込まれていたんだ?」 「あなたは……誰ですか?」 千砂は痛む口を強引に動かして尋ねた。 「おれは《飛|ひ》《虎|こ》。最近まで長い任務があってな。帰ってきたところなんだ。べっぴんさんの顔が台無しだな」 飛虎は言いながら苦笑する。 「あいつらは……女の私が気に入らないだけ。自分達の方が優れている、って示したいだけかもしれない」 「そうか。また殴られるようなら、おれに言いな」 「どうして?」 千砂は首をかしげる。 「放っておけないからさ」 飛虎は笑って見せると千砂の前から去った。 その日の夜、千砂は里親に尋ねた。 「飛虎さんって人に会ったんだけど、知ってる?」 「その人って……。ああ、最近戻ってきた精鋭の忍び集団の中で二番目に強い人じゃないか」 ――そんなにすごい人だったのか。 千砂は里親達と会話をしながら、そう思った。 ――たしかに女というだけで殴られ続けるのは辛い。けれど、喧嘩など本気で相手にしてはいけないとも思っている。女だからと舐められ続けていいのか? 彼らに反撃する術はもう身に着けた。一度くらい、反発してもいいのかもしれない。 翌日の同じ時間、同じ場所で、千砂は一発殴られた。頬が痛い。逃げたところでこいつらは追ってくる。それは長い間殴られ続けた千砂だからこそ分かることだった。 千砂は深く息を吐く。 「どうした? 怖くなったのか?」 男達の耳障りな猫撫で声が、千砂を苛立たせた。 掌を握り、それをその男に向かってぶつけた。その動きに隙はなく、他の者達は一瞬、その動きに見惚れてしまった。 「女が偉そうに……!」 「知らないでしょ。私がどれだけの修行をしてきたか」 千砂の修行は誰の目にも触れない環境で行われていた。だから、実態は里の者の一部を除いてほとんど知られていない。 「やっちまえ!」 人数で有利だと思ったのだろう。男達が一斉に襲いかかってくる。 最初に襲ってきた男の攻撃を躱すと、男の手首をつかんで捻り上げる。それを隙と思われたのか二人同時に拳を繰り出してきた。それをしゃがんで躱すと、お互いにぶつかってしまい、痛みに悶絶する。 その様子を見ていたこの集団の中で一番偉ぶった奴が、忌々しげに舌打ちをする。 そいつは、隠し持っていた苦無を引っ張り出して、襲いかかる。その手首をつかんで止めた者がいた。 一瞬、時が止まる。 いつからそこにいたのかは分からないが、飛虎がいた。手首を捻って苦無を落とさせると、地面に落ちたそれを拾う。 「これはおれが預かる」 飛虎はそう言い、苦無を懐に仕舞った。 「差は分かっただろ。とっとと帰んな」 飛虎は男達に向かって冷ややかに言い放つ。 男達は悔しそうな顔をして、その場を後にした。 「いつから……見ていたんですか?」 「最初から。前みたいにぼこぼこにされるなら、助けに入ろうと思っていた」 そんな必要なかったかもしれないが、と言わんばかりに飛虎は苦笑する。 「修行、辛くないか」 「……今は、楽しいです」 千砂は初めて笑顔を見せた。自分にできることが少しずつ増えていく。それが嬉しかった。 飛虎は千砂の頭に手をやると、よしよしといった具合に撫でた。 突然のことにぽかんとする千砂だった。 それから五年後、千砂は里から出て、江戸に向かった。 「それからずっと、情報を売り捌いているのさ」 千砂は苦笑して言った。 「……そうか」 霊斬は低い声で言った。 「話は終わり。もう眠ったほうがいいよ」 「気遣い感謝する」 霊斬はそう言って、目を閉じた。 千砂は霊斬をちらりと見てから、診療所を去った。
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