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 あ、え、い、う、え、お、あ、お──校舎中に声が響くのが、私にはとてもすごいことに思えた。  雪のようやっと解けて、桜もあと数週すれば咲き誇る、なんて頃。まだまだ着慣れない、ぎしぎしの制服に身を包んで、私はなんとなく、入学したばかりの高校の校舎をあちこちと歩き回っていた。  校舎の西に行けば各教科の実習・研修室の集まっていて、対して東には、ホームルーム教室が寄せられてある。東や西やというけれど、物理的に繋がっているから、あくまで便宜上、そうでなければ、気持ちの問題というやつ。その、校舎西側の、多目的教室が、どうやら音源らしいとまでは掴んだ。  なにせ、西側に近づけば近づくほど、彼らの声は大きくはっきりと聞こえるのだから、仕方ない。それに、新入生歓迎公演と思われる──そうじゃなくとも、新入生勧誘の、だとは思うけれど──ポスターがちらほらと張られているのも見えることだし、根城になっている教室は簡単に割り出せる。  ブラスバンド部の、さまざまな楽器の音が、きっと体験入部の、私の同級生も居るのだろう、ときどき壊れたスピーカーのような音が響いてくるけれど、それに負けないようなしっかりとした声。窓の向こうからは運動部の、サッカーか野球だろうか、どちらにしても野太い声がこだましているのがわかる。そちら側は、私はパス。  二階、教職員室の横に進路指導室と、図書分室。参考書や問題集、一部一般書籍化された学術論文が置いてある、とたまたま居合わせた担任にきいて、もう受験のことを考えるなんて、と頭を横に振る。BGMには、演劇部の発声練習。「あめんぼ赤いな」と、部分的には知っているけれど、すべては知らない例のアレが聞こえてくるのを聞き流して、上級生に渡され続けている勧誘のちらしを両手で掴んだまま歩く。  三階。生徒会室にバタバタと人が出入りするのが見える。挨拶と、すこし冷やかしとで顔をひょこっと出してみると、追加で張ったり配ったりするチラシやビラの承認印を求めて、ということだった。精力的なんですね、と相づちてみるも、いいやあの部はギリギリまでなにもしてこなかった駄目なところだ、なんて苦言が漏れてきた。  そこそこに挨拶をして、生徒会室を出てみれば視界の端に引っかかってしまった。多目的教室。角度的にみえにくいけれど、どうやら入り口を開け放しているようで、なるほど、声が響くわけだ、と納得した。  入り口の脇から覗き込んでみると、部員は二桁も居ないくらいで、全員ジャージ姿。互いの顔がみえるように円卓状になって、お腹に、腰に、手を当てて、口を大きく開いて。顎を精一杯に使って、声をしっかりと張って早口言葉。苦手らしい人がすこし湿った表情をしながら、それでも声量は出ているのがわかる。びりびりと扉が震えるのが、他の部活の声や音やに紛れるはずなのに感じられて、すごい、と漏らしてしまった。 「……あれ、新入生だ?」  続けてて、と言って上級生らしい人が私に駆け寄ってくる。入部希望とかじゃないんですけど、ずっと声が響いてて、気にはなってて、と、心にはあるけれどここには在らず、な言葉を吐き出す。 「あはははは、うるさいでしょ。ごめんねー」  あっけらかんと、気にしていない、あるいは気にしないで、というように上級生──短髪で声もすこし低めだけれど、どうやら女子らしい。ジャージの姓刺繍が赤だ──は言う。言ってしまえば商売道具のようなものなのだから、そりゃ投げ捨てるにもいかないし、こういう対応になるよね、なんて私は心中に留める。 「もしよかったらなんだけど、明日また来てくれる? 今度はもうちょっと早く。掃除当番が終わったくらいに」  これからゲネリハだから、体験入部とか興味があったら、でいいんだけど──と先輩、いや、先輩、で良いのか、先輩が言う。新歓公演のものだから、ネタバレになっちゃってもいいなら今からでもいいけど、なんて汲まれるものだから、私はすぐさま、今日はこのあたりで、と切り捨ててしまった。  不躾な私の言葉を気にしない風に先輩は、じゃあ明日ね、と送ってくれた。ジャージも持ってきて、という言葉がすこしだけ気になったけれど、私はそこで切り上げるほかなかった。 「お、」  授業が終わって。荷物をまとめて、他の用事もないからと多目的教室に入ると男子生徒が其処に居た。  上半身裸で、だ。こういうことがしばしば起こるから──そう、男子生徒は女子生徒より気軽に露出してしまう風潮がこの学校にはあった。屋内練習をするらしい陸上部の上級生が廊下で着替えているのを既に目撃している──共学というのは、なかなかにスリリングだなあ、なんてのんきに思いながらも、入り口を占領するのもということで内部にずけずけと這入りこんでやる。  そんな私を見て、男子生徒もまあ良いかと気にしない風に白いTシャツを被り着る。 「悪いね、みっともないカッコ見せちゃって」  彼の言う。みっともないなんて、そんな、とか、オトメみたいなことを言ってやろうかと思って、やめた。確認せずに入った私が悪いので、としおらしくはする。 「帰りのショートが早く終わったんで、先に着替えだけでも、って思ってね。なんせ基礎だけは毎回やらなきゃならん」  突然知らない男子の着替えなんて見せられて──なんて拾うものだから、私も話し口に乗ろうとして、からと背後から音がきこえた。昨日の上級生女子。 「……もう若い子に手をだしてるの、あんた」 「人聞きの悪いこと言うなよ、ルゥ」  いっぺん死んだら良いのよこのスケコマシ──前時代的な、というより、小説や漫画くらいでしか聞いたことのない言葉が飛び出すのに、私は驚かざるをえない。それでもルゥと呼ばれた先輩はパーティションで区切られた向こう側の扉の鍵を開ける。 「君もこっちにおいで。そいつの近くにいると触ってないのに犯されるから」 「新入生に変な嫌疑を持たせないでもらえますかねえ」  仲が良いのだなあ、と思う。でも、その二人の関係性は、仲が良いだけでは、なんとなく、説明がつかない気がした。なんとなく。  荷物ももって、と手招きされた奥に入れば、音響の機材や衣装の一部、データ整理用らしいパソコンに、劇作集の並べられた本棚がひと竿あった。  それらに目を回していると、ルゥ先輩も先の男子先輩同様にしれっと脱ぎだした。……昨日ジャージ姿だったのは覚えているし、彼もジャージ姿だったし、そうする理由があるのはわかるけれど、こうも恥もなくブラウスを脱いでスカートのファスナーを下ろされると、なんというのか、自分がおかしいのかと錯覚させられてしまう。  着替えて多目的教室の教室部分に戻ると、喧騒に紛れていたのか男子生徒がふたり増えていた。最初に居た彼がやや細身だったのに対して、こちらはどちらもすこし太い。身長も高低差があるふたり、ないし三人だから、なおのこと体型差が大きくみえた。 「じゃあ紹介だけしとこうかー。そこのスケコマシは袴田大輔、ダイスケだからスケコマシでも十分通じるから覚えておいて。そこの背のおっきいのが天田龍。お前どこまで昇っていく気だってことでショウって呼ばれることもあるよ。で、ちっこくてふといのが間田一実。いっつん、って呼んでやって」  ……と紹介をされているうちにしれっと無言で背後を女子生徒が四人すり抜けてすぐさま着替えていた。忍者か。  全員揃って、私も自己紹介をして、トータル九名。顔合わせと自己紹介を終わらせて、私にひとつ紙束が渡される。 「これ、あとで使うから。発声練習のまとまったやつね」  じゃ、まずストレッチから──ルゥ先輩の号令でストレッチ。体育でやったものと同じだから、これは問題なくクリア。すこし床が痛いのだけ、つらいけれど。 「九人だから……スケ、あんた一人でやって」  ういうい、と大輔先輩の返事とともに、流れるように二人一組が組まれていく。 「じゃ、まずは腹筋から」  筋トレ──というには、もしかしたらゆるいのかもしれない。あるいは私が軟弱なのか。腹筋。腹筋か……なんて思っていたら、視界の隅で大輔先輩のしゃっしゃっと音の鳴るような早い腹筋運動が見えた。後ろに下げられた机を支えにして、かと思えば今度は中空にVの字を描くように身体を起こす腹筋も。 「はい、見てないで新人ちゃんもやるー、いーち」  腹筋、背筋と続いて、腕立て伏せの始まる頃には、私はへばり倒していた。  体力がない、なんて思ったことはないけれど、筋力は人一倍にないのかもしれない。所詮、中学三年間帰宅部の筋肉なんてそんなもの、自信をなくす。 「まあ最初はこんなものでしょー。アレが筋肉フェチなだけー」 「スケコマシとかアレとかひでーな、おい」  女子の小さな笑いが教室にこだまする。言った彼はシャツの裾で浮いた汗を拭う。ちらと見えた腹筋の、マッチョではない、締まっているそれが、すこしだけかっこよくみえた。 「駄目だよー、筋肉は良いけど、性格は破綻してるから」  見透かすように、ルゥ先輩の言うのを、筋肉だけは良いですよね、と返すことで、場を取り持つことに成功するのだった。  ──(了)
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