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一  いうなれば、新兵は平時も戦時も戦力外であるばかりか、足手纏いの木偶の坊、何奴も此奴もただの穀潰しに過ぎない。甘ったれたショボクレ社会にドップリ浸かり、15歳にもなって親の臑齧りで生きてきたグータラ共だ。入隊したての新兵は、俗界で沁みついた夾雑物をそぎ落とされ、如何なる危機にもたじろがない強靭な精神力を具えるべく、徹底したスパルタ式訓練を受ける。宇宙空間での超光速航行が可能になった現代でも、軍隊は相変わらず古いしきたりを厳格に守る。一兵たりとも戦地で不運な死に方をしたり、捕虜になる等の不名誉に苦しむことのないよう、専任軍曹は手抜きせずに新兵をシゴくのだ。  艦内の壁に警報音が反響し、ライトが深紅の光を点滅させ、特務分隊隊員を浅い眠りから叩き起こした。居住ポッドから作戦室に向かう間、隊員はまだ睡眠状態から脱けきれていなかった。地獄の特訓を耐え抜いた2階級特進戦闘員17人は、腕組みをして一同を睨みつける《渡会|ワタライ》特務曹長の眼前に、ふらつきながらもどうやら整列した。ワタライ輩下の隊員は、前線で自ら個々に戦況を把握して適格な判断を下し、果敢に敵戦力の殲滅に挑む軍隊内でも勇猛な精鋭揃いでなければならず、さらに過酷な戦闘に怯むことなく、一兵卒としての任務をも果たさなければならなかった。彼らは指揮官を必要とせず、厳しい軍規にがんじがらめになる通常の戦闘員とはまったく異なる特務分隊員なのだ。  「おい、俺たちは何処に漂着したんだ。やっと眠りに就いたら、たちまち起床ラッパのお出ましかよ」精悍な顔つきの上等兵コンチャロフスキーが、まだ眠りから醒めきれない表情で、陽気で活発な同僚の上等兵マッケンナに話しかけた。  「銀河系の中心から最長300万光年、最短1万8千光年離れた楕円軌道上に存在する惑星だ。我が戦闘艦は当該惑星の軌道に到達したんだ」反射神経の良さが自慢のマッケンナ、寝不足の所為か大きな欠伸をしながら、コンチャロフスキーのぼやきに応えた。  「なんだって!銀河系の直径はせいぜい10万光年だろ、一体どうなってんだ」切れ長の眼を《瞠|みひら》いたコンチャロフスキー、抑え気味の素っ頓狂な声を出した。  コンチャロフスキーの発する甲高い声に慌てたマッケンナ、声を潜めて話しながら相棒の二の腕を掴むと、なにやら気配のする方を振り向いた。コンチャロフスキーはマッケンナ同様、腕組みをして二人を睨む曹長と眼が遭ってしまい狼狽えた。曹長の厳つい顔つきから、訓練時の鬼軍曹を連想したのだ。二人はなんとか平静を取り戻したものの、敬礼をした姿勢でその場に《鯱張|しやちほこば》ってしまった。  「貴様らの中には、今回の任務をよく呑み込んどらん隊員もおるようだ。再度、脳神経学博士にして当該任務の発案者でもあるヒックス伍長に説明して貰う。伍長、頼んだぞ」ワタライ特務曹長は元の位置に戻り、一同をギョロッと睨むとヒックス伍長の方を向いて手招きした。  高校教師然とした初老の男が、なんとなく戸惑い気味に隊員の前に現れた。長身、痩せ型だがよく鍛え抜いた体形をしており、高音気味だが落ち着いた声音には哲学者の趣すら漂っていた。  「伍長としてこの特務分隊に着任する以前、私は年金暮らしをしながら脳神経の研究を細々と行なっていました。ある時、数百万光年と覚しい彼方からメッセージが私の元に届いたのです。発信源は、銀河系の中心を軸として楕円軌道を描いて周回するルシファーなる惑星からです。その信号には、何と評したらよいか、その……」ヒックス伍長はそこでいい淀み、口を両手で覆うようにして咳払いをした。17人の隊員には、伍長が全身を小刻みに震わせているように視え、それが恐怖心からなのか単なる性癖なのか分からなかった。  特務曹長がいい淀んでいる伍長の傍に近づき、何やら耳打ちをした。いくぶん、蒼ざめたかに視える顔色のヒックス伍長、軽く会釈をすると想い返したように、上官に敬礼をしてそそくさと退場した。  「いま伍長から説明あった通り、我々は1時間後ルシファーに着陸を決行する。それまでの間、いつ如何なる事態にも対処できるよう、各自装備をよく点検しておけ。いざという段になって、兵器、機器が正常に作動しないようでは任務を遂行することなど出来やせん。それから、当官はこれまで通り特務曹長だが、以後、階級のことは気にするな。隊員同士で相手に話しかける際には、相手の階級名を省略し、ジャックとかジェーンとか呼べ。当官の場合にはワタライ、それが気になるならオイとかナアとでも呼びかけてくれ。重要なのは各自の的確な判断および行動だ、いいな」  軍隊でありながら階級を無視して構わないとは、新米の隊員にとっては有り難いことだ。地獄の特訓に耐えた甲斐がある、そう誰もが想い、密かに歓声を上げたのはいうまでもない。軍隊の階級意識やら絶対服従には息が詰まる。ワタライは偉い奴だ、俺たちより階級が上なのに少しも威張らない。それとも、これには理由があるのだろうか。数人の隊員は、上官の指示に疑念を抱いたが、それはほんの束の間だった。  銘々装備の点検に大童で、ボンヤリしている暇はなかった。17人の戦闘員は通常戦闘員12人、電子戦戦闘員5人から成り、各自が3人分の役割を担っていた。  「ヴォルコフ、さっきカイサン前にトクム・ソーチョーがノタマッた意味な、ドー想う」モーテンセン上等兵が小型励起震動砲の点検をしながら、隣の相棒に話しかけた。  「どうって、上官の《仰言|おっしゃ》る通りだろ。特務曹長が宣言したからには、全員対等だあな」震動砲の整備に余念のないヴォルコフ上等兵は、思考回路内のデータ転送速度を通常よりも、数倍加速してモーテンセンの理解困難な北欧訛りを聴き取り、徐ろに咀嚼してから2,3拍おいて応答した。  ヴォルコフの破れかぶれなプラス思考は、時にはモーテンセンを奮い立たせる効果があった。しかし、今回ばかりは、相棒の投げ遣りな返答に納得できなかった。初っ端からあのような指示を出すとは、曹長は死を覚悟しているからではないのか。モーテンセンの頭の中には懸念が渦巻き、どうにも遣り切れない気分だった。昔気質のワタライ曹長には、武士道精神を堅持しなくてはならない理由でもあるのだろうか。隊員の不安を払拭しようとして、己れに自己犠牲を強いているのかも知れない。科学技術の飛躍的に発達した今時、武士道やら騎士道なんて何の役にも立つまいに……。 二  特務曹長およびパウリが見守る中、通常戦闘員12名、電子戦闘員5名の計17名が索敵強襲艦に次々乗り込んだ。母艦にはヒックス伍長の他、バックアップ要員として3基の通常型ロボットが留まり、緊急事態に備えて監視強化、臨戦態勢堅持の任務を負うことになった。  パウリは量子コンピュータを内蔵し、大気組成の分析や外界の通信を傍受して迅速かつ適確な状況判断を下すヒト型ロボットだった。ロボットに高名な物理学者パウリの名前を?人間ではないと分かった段階で隊員の誰もが抱く疑問だが、パウリの驚異的な機能に敵う者は1人としていなかった。人知を超える思考回路を内蔵したパウリは、また最強の戦闘員をも凌駕する防御力を備えた頼もしい相棒だった。のちに、17人の戦闘員はパウリの潜在能力に驚愕することになる。 人工知能システムが自動操縦の最適化を完了後、索敵強襲艦は母艦を離れて軌道を1/3周し、惑星ルシファーに向かった。母艦を離れる15,6分前、ワタライは伍長から受け取った報告書を読み、その尋常ならざる内容に瞠目した。戦闘員17名全員が、アブダクションに遭ったことのある被害者なのだ。しかも彼らは一人残らず、生体よりも霊体レヴェルでの体験をしていた。  特にワンダ、遠山、ディキンソンのアブダクション体験は特筆に値した。太陽系外から飛来したと覚しい異星人と接触し、UFO船内で霊体実験の被験体になっていた。彼ら自身、憶い出したくもない悍ましい体験は、各自潜在意識の奥底に蔵い込み、公けになる気遣いはなかった筈だ。  ワタライは伍長との対面の様子を回想する――自室のベッドに寝転がって考えるともなくボンヤリしていたワタライは、躊躇うようにドアをノックする《微|かすか》な音が聴こえたような気がした。不審に想いつつ、ドアを開けたワタライの眼前に、報告書を手にした伍長が直立の姿勢で立っていた。その表情には、張り詰めた糸のような緊張が読み取れた。  「ワタライさん、アナタに是が非でもお知らせしなければならないことがあります」ヒックスの報告書を持つ手が心なしか震えていたのを、ワタライは後になって憶い出した。  「その手に持っている文書はなんです」  突然、ヒックスは文書を左手に持ち替えると、ぎごちなく気をつけの姿勢をとり、ワタライに向かって敬礼をした。軍務に着く直前まで年金で研究生活を送っていた伍長は、緊張をほぐすために敬礼をしたようにワタライには想えた。  「アナタにこの報告書を読んで欲しいのです」そこまでいうと、ヒックスは報告書をワタライに押し付け、回れ右をしてあたふたと立ち去った。  輩下の17人もの隊員が、今もってアブダクションの精神的外傷に苦しんでいる事実を知ったワタライは、己れの体験と照らし合わせて愕然とした。彼らのような精神的に未熟な若者が、高度の機密性を要する任務につくことになってしまった裏には軍上層部の作為があったに違いない。そう想うと、ワタライは怒りに震えた。  誰にも語ったことのない己れの体験を、上層部の何者かは、どのようにして知るに到ったのか。上級理学コースに進級する何箇月か前から、ワタライは同一の不気味な夢を、何度も繰り返して視た。それは何十年も続くことになり、現在も偶にではあるが悪夢に《魘|うな》される。ワタライの体験を誰も知らなければ、同一の精神的外傷に苦しむ17人もの隊員を、特務曹長である自分に押し付ける筈などない。軍上層部には、何人かの異星人が潜入しているとの噂が持ち上がったことがある。そんな眉唾もののバカバカしい噂なぞ、いったい誰が信じるだろう。  しかし実証不可能にしろ、噂は本当なのかも知れないとも想う。なぜなら状況証拠が事実であると告げているからだ。軍上層部はアブダクションの実行者、異星人から情報を入手したのに違いない。  「曹長、もなく着陸、着陸態勢に、間もなく着陸態勢、に突入で、突入であります、ありま、す」通常戦闘員の1人、モーテンセンが万力のような手でワタライの肩を掴み、乱暴に揺さぶった。何秒間か、ワタライは放心状態に陥っていたのだろう。耳を《劈|つんざ》くようなモーテンセンの甲高い声が、猛烈な勢いで導管内を転げ落ちていく空き缶のたてる、鋭い金属音のようにワタライの頭の中で反響した。  「あー着陸態勢に入るんだな、うむ了解したモーテンセン」そう反射的に応えはしたものの、ワタライは一瞬だが、自分が現在どういった状況に陥っているのか判断できずにいた。ワタライは、またアブダクションにでも遭ってしまったかと錯覚し、身構えようとして想いとどまった。  微かに伝わってくるエンジン音以外に聴こえることのなかった艦内に、眠りから醒めたドラゴンの立てるような騒音が拡がり始めた。大気中に充満する陽イオンに電子が激しく衝突しているのだろう、索敵強襲艦は惑星ルシファーを包むオーロラ内部に突入したのだ。  戦闘員17名が一斉にもぞもぞ動き出し、互いに何かを語り始めた。さらに彼らの高揚した気分が艦内に充満し慌ただしくなった。電子戦闘員カヴァーロは、船体が揺れるのも構わず座席から起ち上がり、気勢を上げた。  「カヴァーロ、運動神経のよさが自慢なのは分かるが、着陸するまで座席にしがみついてろよ。夕飯はまだだぜ」隣の座席にどっかり座っている同僚の電子戦闘員ディキンソンが、左腕を伸ばしてカヴァーロの戦闘服を無造作に掴んだ。  「なあディキンソン、着陸したらサイファバーガーでも喰いに行こーぜ。ハンバーガーなんてものがあればの話だが……おまえ《交際|つきあ》え」ディキンソンの長い腕に捕まえられ、カヴァーロはそれでもまだ気勢を上げようとしていたが、胃のあたりを抑えるとその場に座り込んだ。いうだけいって気がすんだか、しばらくしてカヴァーロは起き上がり、大人しく座席に戻った。  艦内では3食が3食とも合成食で、粗食に慣れている質実剛健な古参兵のワタライでさえウンザリしていた。ましてや精鋭とはいえ、まだ新米の彼らが、入隊前に味わっていた本物を懐かしむのは当然だ。焼きたてのビーフ・ステーキに、タバスコを効かせたソースをかけ、無造作に切り取った一片を噛む時の歯ごたえのよさ――菜食を《宗|むね》とするワタライは、理解しがたい戦闘兵の嗜好を批判するつもりはなかった。 三  オーロラ内部に突入した索敵強襲艦は、激烈なエネルギーを放出する乱気流に捉えられ、錐揉み、上下動を繰り返しながらルシファーに向けて下降していった。電子と陽イオンの衝突音は、鼓膜を劈くのではないかと想えるほどに激化した。パウリを除く17人の隊員と1人の指揮官は、それぞれに精神的外傷を抱えながら、猛烈に揺れる艦内で悪夢の攻撃に耐えていた。中でも、深刻な精神状態のワンダやトオヤマ、それにディキンソンにとっては地獄の苦しみに等しかった。  「キャリー、顔色が青ざめてるぞ苦しいのか。なんとかこの難局を越せさえすれば、楽になれるぞ」通常戦闘員の村井が、隣席で歯を食いしばって苦痛を《堪|こら》えている電子戦闘員のキャリーに、大声で語りかけた。  「あんたこそ顔色が好くないよ、シッカリしなっ」それまで眼を《瞑|つむ》っていたキャリーは、片眼を明けてムライを視ると、食いしばっていた歯の隙間から甲高い笑い声を漏らし、ムライの方に向かって中指を突き上げて視せた。  「なあムライよ、キャリーにからかわれてるんだぞ、おまえ」キャリーとは反対側の座席にドッカリ腰掛けていた負けず嫌いの、通常戦闘員ヤンケロヴィッチがムライの脇腹を肘で小突き、抑え気味の笑い声を上げながらいった。  そう言われてムッときたムライは、本当は誰よりも怖がりのヤンケロヴィッチを横目でジロリッと睨んだ。  「そんなこたあー百も承知だーな、相棒」地獄の底からでも響くような低音でヤンケロヴィッチに応えるが、ムライの頭の中には鳥の大群が金属を引き裂くような甲高く囀る声が渦巻いていた。それは、まるで聴く者を圧倒してしまうキング・クリムゾンの、究極的なまでに透明感のあるロック音楽『太陽と戦慄』に似ていた。  鳥の大群が発する破壊的な鳴き声は、ムライの頭脳内だけで響いているのではなかった。天空を埋め尽くす電子と陽イオン、さらに索敵強襲艦の外殻との激越な衝突から発生していた。今や《凡|あら》ゆるものを擂りつぶす勢いの金属音は頂点を超え、深宇宙をも浸食し破壊しそうな勢いだった。  指揮官以下隊員は、限界を超える苦痛に耐えきれずに昏倒していった。何の影響も受けずに平然とすまし込んでいたのは、隊員の誰よりも頼り甲斐のあるヒト型ロボットのパウリのみだった。  パウリには感受性の鋭い人間のような恐怖心はなかったが、一寸した懸念、心配を抱く感情は具わっていた。電子回路内を0、1の電荷が目まぐるしく行き来し、パウリの頭脳として機能する拳大のCPUが膨大な量のデータを瞬時に処理していた。  索敵強襲艦はオーロラ内で揉みくちゃになりつつ、惑星ルシファーの陸地に接近していった。目下のところ、隊員に一寸した異変が生じていたが、艦そのものに損傷はなかった。艦内に緊急事態が発生していないのを確認し、パウリは機能を監視モードに切り替え、所定位置で待機した。  どれだけの時間が経過したろうか、それまで激しい揺れに分解するかに想えた索敵強襲艦の艦内に静寂が満ちた。隊員は、悪夢からでも醒めたかのように昏睡状態から意識を回復し始めた。モニター上に、ルシファーの大気組成の検出結果が現れた。クリプトン同位体:数%、窒素および酸素:微量、ヘリウムおよびオゾン:無視して差し支えない含有量――だった。放射性同位体による大気汚染が極限状態に近く、およそ生物が生存できそうにない環境だ。隊員は一斉に座席から起ち上がり、一同の動作を凝視するワタライ特務曹長の前に整列した。  「これより我が隊を3グループに分割、第1グループは地上で待機し、監視に専念する。それと共にパウリの行なう状況分析結果を基に総合的判断を下し、母艦にデータを転送する。何時でも戦闘態勢に入れるよう、おさおさ怠るな」そこまでいうと、ワタライは少し間を置いて続けた。「では、第1グループはパウリ、キャリー、ワンダ、第2グループは当官および……、第3グループは……」ワタライは淀みなく全員の名前を読み上げて行った。  「第2、第3グループは着陸後、発信源を突き止め調査するに留める……肝心なのは其処だ。敵性生物の捕獲やそれとの戦闘は、できる限り回避する、いいな。防護スーツに着替え、武具を装着したら直ちに出撃するぞ。急げ」  艦内に、隊員が装備を点検する音やヒソヒソ声が静かに浸透し、やがて兵器の機能を確認する金属音が拡がって行った。出動が間近かに迫り、緊張感が隊員から隊員へと伝播するが、誰ひとり表情一つ変えない。 ワタライを先頭に、隊員はシャフトからゴツゴツした岩石上に降下した。引力が非常に小さく、装備の重量感は艦内での軽装時と変わらない。問題は放射性物質による汚染がどの程度なのか、状況次第では、成果なしのまま速やかに引き上げなくてはならない。  眼前に拡がる悪夢を想わせる世界に、隊員らは恐怖に近い緊張感を味わい慄え戦いた。頭上を振り仰いだ一同は、異様な巨岩が天に向かって聳え立っているのを目撃し、その場に凍り付いた。彼らを載せた索敵強襲艦は奇しくも、洞窟の真ん前に着陸したのだった。  豪胆なことではワタライも一目おくヴォルコフが、照射しながら洞窟に近づき、中を覗き込もうとして仰け反り、尻餅をついてしまった。ワタライがヴォルコフを抱え起こし、照明具をもぎ取ると、直角に降下している《窖|あなぐら》に向けて照射した。地獄にでも通じていそうな、その直径2m程の窖は今にもワタライを呑み込んでしまいそうだった。  「オグレディ、レーザー光で深度測定をしてみてくれ」そういいながらワタライはオグレディを手招きした。特務曹長の命令とあらば、たとえ地獄だろうと突撃する意気込みでオグレディは前へ進み出てくると、窖の下方に向けてレーザー光を照射した。  「地上から地底までの距離は、かっきり5千8百メートルであります」そういいながらオグレディは、膝がガクガク震えるのを抑えようにも抑えきれずに、《竦|すく》み上がってしまった。  「よーし、これより第2、第3グループは洞窟探査の任に就く。なお、第1グループは地上で支援に回る、いいな」  ワタライの力強い号令に、隊員一同、否やもなく行動を開始した。手近の岩石にワイアーロープの先端を固定後、日頃の訓練通り素早く高速移動体を装着し、ワタライを先頭にして真っ暗な窖に降下して行った。 四  直径2メートルに過ぎない六角形の窖は、途中から急激に拡がり始め、フラスコ状の奇妙な形状をしていた。漆黒の闇に等しい地下に到達直後、隊員同士が直ちにデータ交換をしなければ、全容は掴めなかっただろう。硝子化した滑らかな床面を持つ地下は、レーザー測距により、一方の壁から他方の壁まで500メートルに達する洞窟と判明した。  「怪我をした者はおらんか?」ワタライの声が洞窟内に、通常とは異なった金属的な甲高い声となって反響した。  「おらんようであります」ワタライを除く第2、第3グループのメンバー全員が一斉にキンキン声で返答、周囲の壁に大音響となって跳ね返った。  「どうやら音声での会話は禁物のようだ。防護スーツの音声機能を無効にして、これより意識波で連絡し合うことにする。全員、意識波増幅器を起動しておけ」  「了解であります」  隊員の一人が照明具で照らした壁には、なにやら意味不明な文字や記号に加え、謎めいた図像が浮かび上がった。壁全体は血のように紅く、その中に黄金色の文字がクッキリと、さらに青っぽい記号や図像が邪悪な光を周辺に放っているのが視えた。  「キャリー、これより映像を転送する。何か分かったら、教えてくれ」ワタライが地上で待機するキャリーに向けて意識波を送った。  最初、脳内にノイズと間違える音声が微かに響き、直後にワタライの声が明確に聴こえたキャリーは「了解しました、曹長」と応答した。  深紅の壁に浮かぶ黄金色の文字は、現代の如何なる文字とも異なっていた。視るからに奇妙な、地球上に存在したかどうかも見当つかない文字だ。  キャリーからの返答は、驚くべきものだった。「母艦で待機中の伍長に、データベースへのアクセスを依頼したところ、古代の地球に存在したアラム語の原型ではないかといってます」  「キャリー、でかしたと伍長に伝えてくれ」アラム語とは何ぞ、そう想いつつワタライはキャリーに返答した。  その時、壁を這いずり回る黒っぽく巨大な影が隊員をその場に釘付けにした。竦み上がってしまった隊員の眼には、増幅した恐怖から生まれる想像上の怪物、ドラゴンあるいはヒュドラが触手を伸ばして蠢く姿に視えた。何万匹もの百足が、足下から這い上がってくるような感触に囚われ、電子戦闘員のオグレディ上等兵が絶叫を上げて手足をばたつかせた。それを皮切りに、隊員が次々に絶叫を上げて転げまわり、辺りは阿鼻叫喚の凄まじい地獄の様相を呈し始めた。  頭を両手で抑え、恐怖と苦しみに顔を歪めて悲鳴を上げながら、全身を激しく前後左右に揺さぶる隊員が続出した。脳内に不快感が広がり、ワタライの全身は抑えようもないほど目まぐるしく回転し揺れ動いた。ワタライは、異形のものが体内を這いずり回る想いに囚われ、絶叫してしまいそうな嫌悪感を催していた。  ワタライの意識内に鋭い信号が割り込んできて、何かを頻りに伝えようとしていた。「ソーチ、ソーチョー、ダッ、ダッシュ、ダッシュツしてくだ、くだサイッ」キャリーの急を告げる金切り声がワタライの脳内で繰り返し反響した。「曹長、全隊員を脱出させてください。繰り返します、ただちに脱出を、脱出を、脱出」  全身を覆い尽くした不快感を鉄の意志で払いのけ、ワタライはキャリーの意識波を捉え、咀嚼した。「アラム語の原型を解読した結果、警告であることが判明いたしました。曹長、速やかに現状回避に移ってください。繰り返します、ただちに回避行動をとってください。脱出して、逃げてーッ」悲鳴に近いキャリーの鋭い声が、ワタライの意識内で増幅し、木霊となって反響した。  ハッと我に返ったワタライ、フラつきながらも隊員を次々と手際よく洞窟内から脱出させ、最後に自分ひとりなのを確認、移動体を作動させて上昇して行った。  窖から出てくるワタライを緊張した面持ちのキャリーとワンダ、懸念を示しながらも冷静なパウリが、洞窟の入り口で敬礼をして出迎えた。  「出向かいご苦労だった。隊員は全員艦内に戻っているのだな?」体内を百足が這いずり回るような不快感に襲われ、全身が強ばっていたにもかかわらず、ワタライは不屈の精神力で敬礼を返し、労いの言葉を発した。  「はい曹長、ひとり残らず収容いたしました」今にも恐怖に圧し潰されそうになりながら、蒼白な表情を引き締めてキャリーは応えた。  「よし、では母艦に戻り、善後策を検討する。撤退するぞ」ワタライはふらつく身体をたて直すと、索敵強襲艦に乗り込んだ。  ワタライ以下18名の隊員と一体のロボットを乗せた索敵強襲艦は、軌道上で待機する母艦に向けて、惑星ルシファーから飛び発った。艦内に漂う不快感、恐怖感が隊員を著しく内向的にしてしまい、冗談をいう者は一人もいなかった。  座席の中で胎児にでも戻ってしまったかのように丸まり、虚ろな眼で虚空を睨んでいる隊員は一人や二人ではなかった。豪胆なワタライですら、顔を引き攣らせて押し黙り、死んだも同然の様子だった。  洞窟内に侵入した隊員に何かが襲いかかり、肉体、精神の両面に攻撃を加えた挙句、憑依した可能性がある。そもそも、憑依とは霊体に取り憑くのだろうから、得体の知れない敵が肉体に激しい攻撃を加えない限り、被憑依体が外傷を負うことはない筈だ。  ワタライは自分自身が精神的に参っていたにも拘わらず、座席から伸び上がると辺りを見回し、心配そうに隊員の様子を窺った。少なくとも、外見を観察する限り、一人も激越な肉体的攻撃に遭った者はいないように視えた。  眼に視えない敵を相手に闘う困難性に直面し、勇猛果敢な特務分隊隊員は一人残らず意気消沈していた。だが、邪悪な敵には強固な意志で対峙し、闘わなくては我が方に勝ち目はないだろう。思考するだけで、此方の意 図が敵に筒抜けになるとしたら、精神的バリアを張り巡らす必要がある。敵が悪辣なだけなら、此方に僅かながらも勝機はあるだろうが、邪気のない純粋知性体だとしたら厄介だ。敵を叩き潰すのに後ろめたい想いを抱いたりしたら、負けてしまうのは眼に視えている。ワタライは、雑念で思考をカムフラージュしておいて打開策を考えた。 五  母艦に戻ったワタライ以下18人は、医療機器による徹底した検査を受けたが、精神的ショックによる軽い欝の症状を示したほか、とりたてて異常はなかった。だが、最新鋭の医療機器といえども検知不可能な異常は存在するに違いない。17人の隊員が一人残らず、検査結果に安心し切っているのをワタライは横目に視ながら、己れを含めて密かに監視することにした。  母艦の操縦、整備等に携わる3体のロボットを除き、作戦室に全員を非常呼集したワタライ、「ルシファーの洞窟壁面に刻み込まれたアラム語の原型なる文字に就いて、ヒックス伍長より説明して貰う。一同、居眠りせずによく聞いておくように。伍長、頼むぞ」といい、伍長を手招きした。  長身の伍長が出てきて一同と向き合い、「アラム語は、イエス・キリスト生誕以前、地球上に存在した古代語です。ですが、この言語が地球上で最も古い言語ではなく、おそらくシュメール語の方が古い。その歴史を辿れば、気の遠くなるような悠久の太古より存在していたのでしょう」といい、ヒックスは息つぎのために少し間を置いた。  その時、後列に陣取ったムライ上等兵が質問をした。「シュメール語って、どのくらい古いのでありますか?」  ヒックスは躊躇するかのような素振りを示しながら、暫らく思案した挙句、意を決したかのように、「一説では、シュメール語は地球に到来した異星人の言語であるらしいので、彼らの進化度から逆算して、恐らく1億年以上前に誕生したことになるでしょう」と応え、大きく呼吸した。  周囲からどよめきが起こり、隊員は口々に堰を切ったように、一斉に私語を交わし始めた。一同をギョロッとした眼で睨むワタライを無視して、しばらくの間、隊員同士の議論が続いた。しかし、ワタライのよく通るバリトンの大声が、隊員の騒がしい声を圧倒して艦内に鳴り響き、いつもの静けさが戻った。  静まり返った艦内に、ヒックス伍長の甲高い声が響いた。「ですが、シュメール語よりも古いのは、アラム語の原型であったと想われる、例の洞窟内で見つかった文字です」そういいながら、伍長はまたしても大きく呼吸し、続けた。「ひょっとすると、見かけがアラム語に似ているだけで、まったくそれとは異なる言語であるのかも知れません」  ここで、伍長は息を深々と吸い込んで吐き出し、説明を再開した。「もし、それが事実なら、あの言語はシュメール語を超え、数百億年前から何処かの宇宙に生存する、異星人の言語かも知れないのです」  静かな溜息が、恰も退いて行く汐のように、さわッさわさッさわさわッと艦内に浸透して行った。人類の起源を探求する最善の策は、言語の歴史を調査することから始まる――それが隊員一同の共通認識になった。寄せては引いて行く潮流が、海の起源を人間に伝えるきっかけになった如く、隊員間に伝播して行った溜息は、隊員各人に、人類の起源に就いて再認識させるきっかけになった。人類の起源を識ることができた暁には、それを手掛かりにして、宇宙誕生の謎を解くこともできるようになるだろう。  伍長は頃合いを見計らって誰にともなく敬礼し、特務曹長に向かって軽く会釈した。ワタライは伍長に会釈を返し、前に進み出て一同を見渡すと徐ろに口を開いた。「たいへん貴重な見解、ご苦労だった伍長。さて、貴様らもこれでよく納得できただろう。洞窟内の壁面に我々が目にした言語は、未知ではあるが、我々人類にまるっきり無関係でもなさそうだ。冥王星基地暗号解読班の行なう、可及的速やかなる解析に期待して、一同解散」  作戦室から出て行きながら呟くように話す、隊員の私語が到る処から沸き起こり、艦内が騒がしくなった。  「原初、至高な存在の”光あれ”の一言から現宇宙が生まれた」通路をどかどか歩きながら、誰にともなしにサンディジ上等兵が、よく通る声で呟いた。  「それじゃ何か、呪文が宇宙創生の起爆剤なのか?」横を歩いていたモーゲンソー上等兵が、サンディジの呟きにガラガラ声で応答した。  「おそらく、深い眠りから醒めた意識、それが至高の存在ということだろうと想うが、ソヤツがこの宇宙を創ったんだろ」  モーゲンソーの前を歩いていたウィンツインガー上等兵が振り向きざま、モーゲンソーにいった。「ソヤツってオマエ、神を呼び捨てにして罰当たりめ」並んで歩いていたメイヨール上等兵が、ニヤニヤ笑いながら冗談ぽく、ウィンツインガーに毒づいた。  「罰なら俺同様にオマエだって、もう当たってるぜ」ウィンツインガーも負けずにいい返した。  「ハッハアー、そいつはいえてるな。お互いさまってとこだ」愉快そうにメイヨールが応えた。  「どうでもいいが、一杯やりたくなったぜ。オマエはどーだ?」ウィンツインガーが、呑む真似をしながらメイヨールにいった。  「ああソーダな。しかし、残念なことに、俺たち精鋭は飲酒禁止ときている」残念そうな表情でメイヨールが応えた。  「ソヤツはいった、”バーボンあれ”とな」サンディジが、右手の人差し指で天を指す仕種をしながらいった。  「俺あー、バーボンなんて要らねえ。ブラック・コーヒーで、何時も頭すっきりってのがいい。今の俺たちに一番必要なのは禁欲だ、うん?」前を歩くメイヨールが振り向いてサンディジに、左手親指をおっ立てて視せた。  冗談をいいながら所定部署に戻った隊員一同は、洞窟での恐怖体験を内奥に抱えながら、各自の居住ポッド内で暫しの眠りに就いた。しかし、極度の緊張感から熟睡していた者は皆無に近い。仄暗い艦内の一点を凝視 したまま身じろぎしない者、絶えず向きを変えて落ち着かない者、眼を閉じてロック音楽の楽章を口ずさむ者――誰もが一触即発の不安感や恐怖心との葛藤に、惰眠を貪るどころではなかった。 六  艦内パトロール中の通常型ロボットRB-1からヒックス伍長に通報があったのは、母艦が惑星ルシファーの周回軌道を離れ、太陽系を目指して光速航行への切り替え準備を始めようとしていた矢先だった。伍長の非常呼集を告げる甲高い声が艦内に反響、隊員が居住ポッドから作戦室に続々集合してきた。隊員の誰もが最初に発した疑問は、ワタライ特務曹長はどうした、何かあったのか――だった。  隊員17名を前にして伍長は開口一番、「これより、当官が特務曹長殿の代行役を勤めることになった。諸官は承知されたい」それまでにない断固としたヒックスの宣言に隊員は色めき立った。曹長に何があったのか、憶測が憶測を呼び、隊員間を小波のように私語が伝わって行った。  ムライ上等兵が腕組みをしたまま、「曹長殿に何があったのでありますか、伍長殿」と大声でヒックスに質問をぶつけた。ムライの第一声が、全隊員の疑心暗鬼に火を点けたか、質問が大合唱になって作戦室内の壁に反響した。  ヒックスが隊員一同を確認するように見回し、高音のよく通る声で「当官宛てにメモを残し、小型舟艇でルシファーに向かっておられる。余程、自信があってのことと文面から察せられる」そういいながら、メモを持つ手を掲げて視せ、大声で読み始めた。  「”これよりルシファーの洞窟内に侵入し、タキオン・ビーム兵器を仕掛けるつもりだ。所要時間として12時間を予定している。それを過ぎたら周回軌道を離脱し、速やかに太陽系第3惑星への帰還の途につけ。成算は五分五分といったところだろう。貴様らは余計なことを考えず、己れ自身のことを第一に案ずるように。それから、伍長の命令は俺の命令と想って従うこと……では行ってくるぞ”」  ヒックスがメモを持った手をひらひらさせながら、「曹長殿の強靭な胆力および決断力には、諸官らも当官同様、感服していることだろう。要らざる心配をせず、曹長殿の凱旋を待とうではないか、以上」そういい終わり、伍長は小刻みに震えているかに視える全身を抑えつけるようにしてメモを胸ポケットに入れ、一同と敬礼を交わすと回れ右して立ち去った。置き去りになってしまった17名の隊員は、伍長の眼に光るものを視たように想い、普段から寡黙な隊員はもちろん饒舌な隊員も、無駄口きかずにその場を立ち去った。  キャリーは居住ポッドに戻った後、硬直してしまったように身じろぎもせず、アラム語の原型と考えられる洞窟内の文字を想い浮かべていた。なぜ解読結果が警告と出たのか、コンピュータによる解析結果を報せるヒックスの口調には、いずれとも取れる意味を含んでいた。今にして想えば、キャリーの懸念に呼応したかのようだった。ワタライ特務曹長から送ってよこした映像を、キャリーの意識は聖書の一文をそっくり倒置させた呪詛もしくは愚弄と解読し、解釈した。  キャリーはコンピュータが解析を終える前に、その文字群から不吉なものを感じ取っていた。自分の意識が母艦のコンピュータに何らかの操作を加えてしまったのではないか。もし、伍長がキャリーから受信した映像内の異形の文字を入力する直前、データの配列に未知の力が作用したとしたら、何の変哲もない文字列が不吉な呪いに変わってしまった可能性はあり得ないことではない。  洞窟内でワタライ以下、隊員が得体の知れない存在に精神的攻撃を受け、兵器を持っていながら反撃もできずに苦しみ藻掻いた――邪神の嘲りをキャリーが無意識の中に中継し、母艦のメイン・コンピュータに送信してしまったのが影響したのかも知れない。ワタライはそれに気づいていながら、単独でルシファーに戻って対決する決意を固めたのだ。  キャリーは自分が洞窟に潜む邪神の恰好な、霊媒になっていたのかも知れないと恐れた。神秘的な現象に憧れる少女期に、キャリーは隣近所のなかよし数人と、両親がしばしば外出するリザヴェータの家に集まり、よくウイジャ・ボードで遊んだのを憶い出した。ボード上を動きまわるハート形したプランシェットに、指を軽く接触させながら質問し、YesかNoの返答を得てはしゃいだものだ。リーザの恐れ多い質問に応えるかのように、ボードのアルファベット上を滑っていくプランシェットの動きを、キャリーは驚きの眼差しで眺めるばかりだった。  ウイジャ・ボードは、雑誌にでもついてきた付録の類らしく、ボール紙の粗末な造りだったが、今にして想えばそれなりに威力があったことになる。ある日、そのボードを持っていたリーザの家が火災で全焼、一家が一人残らず亡くなる事故が起こった。天文学者を目指していたリーザの口癖だった、宇宙の謎が解けそうな段階に達しかけていたとしたら、無念の死を遂げてあの世に行ったに違いない。キャリーは謎めいた惑星との一電子戦闘員としての関わりに、信じたくはなかったが因縁のようなものを感じざるを得なかった。  リーザを死に至らしめたウイジャ・ボード――キャリーは未だにそう想っている――のボード上を辷るように動きまわるプランシェットを操っていたのは、実際にはどのような存在だったのだろうか。リーザのなかよしの中、成人に達するまで生き残ったのはキャリーだけだった。金色の瞳に黒髪のチグハグな容貌のリザヴェータは、利発なばかりか表情ゆたかな愛くるしい少女でもあった。キャリーはいつも背後に何者かの気配を感じながら、恐怖の悲鳴を上げることもなく開き直って生きてきた。なかよしの誰かが守ってくれていると信じていたからかも知れない。  ワタライはまだ実戦段階に達していない、タキオン・ビームを発する威力未知数の小型兵器を、洞窟内に持ち込んでどうするつもりでいるのだろうか。  タキオンが時間を逆行させ、邪悪な霊体を惑星ルシファーの深淵に、封じ込めるだけの威力を発揮できるのか。それを知る者は17人の戦闘員の中に誰一人いない。 七  ヒックス伍長以下18人の隊員は、戦闘艦の操作、監視任務を4基のロボットに任せ、各々居住ポッドに籠ってワタライ特務曹長の帰還を待つしかなかった。しかし、伍長が調べた結果、ワタライは通信機能を装備しない小型舟艇で惑星ルシファーに向かっているのが分かった。母艦、小型舟艇間で意識波を利用して通信し合うには、母艦の装甲板が妨げとなり絶望的だ。  数キロメートルの範囲内でしか役立たない出力の弱い増幅器では、アンテナを最長に伸ばしても、ワタライの意識を信号化したところでルシファーから母艦へは到達しない。何か秘策があるのか、それとも生還の可能性ゼロを覚悟しての行動なのだろうか。  強靭な精神力を持ったワタライだからこそ、通信不可能な極限状態で小型のタキオン・ビーム兵器、併せて己れの精神的能力を試す絶好の機会と捉えているのかも知れない。それは、隊員全員に共通する唯一の極めて穏 便な結論だった。居住ポッドの中で悶々とする最中、17人の戦闘員は非常呼集ライトの点滅に気づき、一斉にポッドから跳び出して作戦室に集合した。  整列した戦闘員一同は、すでに到着していた伍長とともにパウリの空間に映し出したホログラフィに瞠目した。洞窟内部にタキオン・ビーム兵器を仕掛け、さらに受信機らしい装置を設置し、脱出して小型舟艇に乗り込むまでのワタライの行動がコマ送りのように空間に映っていた。如何にして微弱なワタライの意識波を捉え、ホログラフィ化しているのか、一同はパウリの隠れた機能に驚愕するのみだった。  背後に人の気配を感じ取って振り返った隊員の眼前に、腕組みをしながらギョロッとした眼で一同を視ているワタライがいた。一瞬、誰もが幽霊でも視るようにホログラフィと本人を見比べ、今にもその場から逃げ出してしまいそうに身構えた。  「代任を淡々と果たしてくれたヒックス伍長、ならびに何ごとにも動じない戦闘員一同に感謝する。特攻を極秘に敢行せざるを得なかった、当官の行動を冷静に見守ってくれたことにも、併せて礼を述べる」驚きのあまり半ば浮き足立っていた一同の間を縫って、伍長の横に並んだワタライは力強い声でそういいながら眼を瞠き、愉快そうに笑った。  ホログラフィに驚いた直後に忽然と現れたワタライの肉声を聴き、一同の想いはそれまでの一触即発の緊張感から開放感に変わった。それはまた、今にもその場にへたり込んでしまいそうなほどの、身体全体から力が抜けてしまうぐらいの安堵感だった。ヒックスがワタライと敬礼を交わし、解散を宣言してからしばらくの間、誰ひとりその場から立ち去ろうとはしなかった。空気の抜けてしまった風船のように、身体をしゃんとできずにその場に力なく留まり続けるばかりだった。それでも、ショックから立ち直った直後のこととて、抑え気味に私語を交わしながらぞろぞろ作戦室から出ていった。  しかし、棒立ち状態で眼を瞠ったまま、絶えず身体を小刻みに震わせていたヒックス伍長の驚きに比べたら、戦闘員の動揺は大海原のゆったりしたうねり程度に過ぎなかった。  「本人と気づくまで1,2秒はかかったが、ホログラフィで観た時の衝撃ほどでもなかったな。それにしても、特務曹長の帰還が予想より早かった、いや早すぎたのは意外どころか驚きだったぞ。そう想わんか」通常戦闘員フマーソンが、右隣を歩く同僚のヤンケロヴィッチに話しかけた。  「ああそうだな、そのタキオン・ビーム兵器ってどの程度の破壊力があるんだ?今回の作戦以前に、当該兵器の存在を知っていた者がいたのだろうか。とにかく、タキオンそのものがこの世に存在する通常の物質なのか、それとも光量子でもあるのか……そいつが分からん」そうフマーソンの方に向きながら、応えるヤンケロヴィッチは半ば放心状態だった。  「ひょっとして電子戦闘員の中に、訓練を受けた者がいる……あるいは、特務曹長しか知らないのか。タキオンの正体は粒子なのか波動なのか、そいつさえまったく分かっていない。架空の世界にしか存在しない何かだったりしたら、おれたちは軍上層部の嘘に、引っかかっているのかも知れないぞ」腕を組みながら難しい顔をして独り言のようにぶつぶついうフマーソン。  「太古の時代遅れ然とした核爆弾同様、爆発するだけの莫迦莫迦しい兵器じゃないだろ。俺たちより強力な精神力を持っている特務曹長は、そんなもの抱えてのこのこルシファーの地下遺跡を破壊しに戻った?」諦めきった表情で応えるヤンケロヴィッチは、先刻よりも少しは考えがまとまってきたかのような表情をしていた。なにか想い当たるフシでもあるかのような――。  「特務曹長殿にはテレポートの特殊能力があるらしいぞ。今回の作戦に加わる以前に、同僚から噂として聞いたことがある。だからこそ、単独で生命の保証もない危険に立ち向かって行ったのだろう」何ごとにも真剣に取り組むので有名な、電子戦闘員のオグレディが通常戦闘員2人の会話に割り込んできた。  「それではなにか、地下洞窟に侵入したのは、得体の知れない相手を確かめる……俺達は怪物をおびき寄せるための単なる食料だったのかよ」憤然としてまくし立てるフマーソン。  「まあそう憤慨するこたーないだろ。特務曹長みずから危険をもかえりみず、我々全員の安否を確認してから最後に脱出したのだし……臆病で独りよがりな指揮官なら、率先して命からがら逃げ出していただろうよ」同僚の怒りを鎮めようと、ヤンケロヴィッチはフマーソンを宥めにかかった。  「その通りだ。実戦どころか訓練すら経験したことのない将官には、今回の栄えある作戦を率いる資質などある訳ない。ワタライ特務曹長だからこそ、最適任者として当該作戦の重責を担う栄誉に浴することができたのだろう。それともなにか、上層部の連中が何かを隠蔽するために、俺たちを巻き添えにして厄介払いしたとでも?何か知ってるなら教えて欲しいものだ」オグレディは、ワタライの名誉回復のためなら、如何なる危険をも顧みない真剣な面持ちで話した。  「ああ、俺だって今回の作戦に参加できたのを、誰よりも名誉あることだと想ってるさ。言いすぎたかも知れん」そう応えて、フマーソンは己れの憤激を恥じたか、ワタライの居住ポッドの方角に向って詫びるかのように《項垂|うなだ》れてしまった。 八  ヒックス伍長は、己れの果たさなければならない役割の重大性を前にして、発狂寸前の状態にあるのを自覚していた。軍上層部の特定部署との繋がりが、ワタライ特務曹長輩下の隊員に知れたら、八つ裂きだけでは済まないだろう。脳神経学会での研究発表が、マスターなる存在と接触するきっかけになろうとは想像だにしなかった。細々と年金ぐらしをしながら、脳神経学を研究していた己れが標的になると知っていたら、学会に出席するのを躊躇うことなく断念しただろう。  霊体レヴェルでの拉致被害者の名簿を受け取る寸前、胸の内でしめたと想ったのがそもそもの間違いだった。そう想った瞬間に己れの霊体自体が、拉致被害に遭ってしまったのに気づかなかった。悪魔に魂を売る行為を犯してしまった以上、もう引き返すのは不可能に違いない。こうなったら、とことん突き詰めていくしかない。宇宙の神秘を知るためなら、悪魔に魂を売り渡したって構うものか。発狂をいつまで抑えておけるか、最後の砦となっている己れの良心や信仰心の防壁が決壊する前に、なんとしてでもルシファーの正体を暴いてやりたいものだ。  悪には悪の役割があるとするなら、悪の仕組みを明らかにせずにはおかない。ヒックスは居住ポッドの中にあって、善悪両面からの視えざる攻撃に耐えながら、意識内で自問自答を繰り返していた。悪にはもちろん、善に執着することさえ悪の誘惑であるなら、人類は永遠に連鎖状の善悪無限ループから逃れることはできない。太古に存在した東洋なる世界に、無我の境地に到達した修験者がいたというが、善悪両方の束縛から自由になるのは重力を制御するよりも難しい。  間断なく攻撃してくる未知の霊体を前にして、修行途上にある修験者が誘惑の罠に陥る危険を、如何にして回避したのかを知ることができたら、今陥っている窮地から脱出できるかも知れない。17人の若い隊員が、正体不明の存在から部分的憑依の影響を受けているのは明らかだ。特務曹長はこれまで隊員の誰よりも、邪悪な力の激越な攻撃に遭遇してきたにしては、影響を受けたようには視えない。武士道精神を修得したあっぱれな軍人だ。  ワタライは居住ポッド内で浅い無我の境地に入り、錯綜する眩い光の中を彷徨いながら、無意識に惑星ルシファーに仕掛けてきたタキオン・ビーム兵器の最終調整を行なおうとしていた。邪悪な存在をはぐらかすには、己が精神を無我の境地に保つ必要がある。精神を善悪両面からさらなるレヴェルに引き上げ、均衡を保ちながら果てしなく無の――影を完全に排除できる透明な――状態にもっていくのだ。  少しでも邪念に囚われたりしたら、微妙な状態にある均衡は崩れてしまい、忽ち幽界の邪悪な存在の餌食になる。それは、太古の悪魔祓い師が少しの油断から、邪神の仕掛けた巧妙な罠に嵌まり、破滅同然の無残な結末を招いたのに等しい。もちろん、善なる力の加勢なくしては邪神に対抗することはできない。惑星ルシファーの邪悪な存在に対抗するには、善なる力の結集を無心に祈り続けるだけだ――強く《直向|ひたむ》きな信仰心のみが悪魔祓いを成就させたように。  銀河系の中心から離れること300万光年の、楕円軌道上を周回する惑星に何者が堕天使の名を付けたのか。軍上層部に複数の悪魔主義者が紛れ込み、軍を内部から切り崩して支配しようとしているか、すでに支配が完了している可能性もある。西暦2010年代、地球の衛星「月」でそれらしい儀式を行なっていた一派が、存在したというがあながち嘘とは断定できない。  ワタライは無限に存在する霊体と対面しながら、自問自答しているような奇妙な感覚に囚われていた。ワタライの全身を覆い尽くした眩い光が、渦巻きながら一瞬後には身体を透過し、それを一瞬も休止せずに際限なく繰り返すのだ。古代の修行僧が到達した無我の境地とは、自己の存在をまったく意識しなくなる状態を指すに違いない。宇宙に充満する無意識こそ神の正体ではないか、神は自ら無我の境地に入り、存在を意識せずに存在しているのだろう。  すべてを認め、すべてを宥す存在こそ、神の名に相応しい存在なのかも知れない。善なるものも悪なるものも須らく、神の許では別け隔てなく存在することができるのだ。してみれば、タキオン・ビーム兵器が設計者の思惑通りに威力を発揮するなら、標的を破壊せずに無力化できる究極の兵器ということになる。最終調整が終わり次第、愚図愚図せずに試してみる価値はあるだろう。光の中に埋没してしまったワタライには、己れを取り巻く無数の霊体の賛意を表する様子が感じ取れた。  居住ポッドの中で待機する戦闘員17人の関心は、惑星ルシファーの存在よりもタキオン・ビーム兵器の方に集中していた。故意に無関心を装おうとしたところで、識閾下では誰もが威力未知数の新兵器に関心が向いてしまうのを抑えようがなかった。17人の意識は一点に集中し始め、両手をプランシェットに触れているような感覚に囚われた。各々、ウイジャ・ボード上を動きまわるプランシェットの動きのままに、タキオンの存在する想像を超えた世界へと入っていった。  各自の意識内に時間の存在しない世界が、ホログラフィを視ているように目まぐるしく展開していく。凡ゆる現象が同時に存在しながらも同時に存在しない世界を前にして、17人の戦闘員は己れの意識の凍りつく恐怖に慄えおののきつつ、現実とも幻覚とも判断できない異界を目のあたりにしているのに気づいた。数字や文字の無限かつ複雑な組み合わせが、一瞬にしてホログラフィ化し物質世界を形成していく。果てしなく続く問いかけに呼応して、途切れなく現れ出る回答が物質化し、戦闘員各自の意識に浸透し侵蝕していく。意識が物質を捉え物質が意識に溶け込み、複雑怪奇に絡まりあった光の渦が夢幻世界を具体化していく。  夢幻世界に浮遊する各自の意識は、離合集散を繰り返しながら徐々に銘々の居住ポッドに戻っていった。タキオンの世界では数字や文字が創造の源泉であり、それらの数字や文字が宇宙を生成し消滅させている。コンピュータは人間の頭脳を模倣したものではなく、宇宙の根源に存在する集合意識を模倣したハードウエア、ソフトウエアの集合体なのだ。意識を取り戻した17人は、最適解を求めて計算し祈り続けるることによって、凡ゆる物質、生命を具体化しうるという結論に到達した。  タキオンが神の遣わした天使もしくは使者であるとするなら、隊員全員の無私の願望が祈りとなり具体化するに違いない。それでは、惑星ルシファーと深く関わってきた、ワタライやヒックスの役割は如何なるものなのだろうか。  特務曹長が指揮官として今回の作戦の、最適任者なのを否定するものは一人もいない。また、脳神経学の研究者である一民間人のヒックスが、臨時的であるにしろ、軍に入隊して何らかの重要な任務を担っていたのは、ワタライ配下の隊員間では周知の事実だった。  隊員にとって不可解きわまりないのは、周知の事実であるはずの任務にも拘わらず、肝心な核心部分が巧妙に隠蔽されていることだった。 九  天空全体が暗く淀む朱色を帯び、遠くから火災警報とともに大勢の人々の、怒鳴り声や悲鳴に近い叫び声が聴こえてくる。阿鼻叫喚の地獄絵図さながら、人が人を踏み越えて逃げ惑う光景が世界中に視える。これは、単なる幻覚かそれとも悪い夢でも観ているのか?17人の戦闘員は怪訝な表情を浮かべ、作戦室に集合している己れに気づいて互いに顔を見あわせた。  いったい何がどうなってるんだ、まるで夢遊病者のようだな、居住ポッドの中にいたはずだが……ことごとく呆然自失の状態だった。それでも、腕組みをして睨みつけているワタライに気づき、上官の隣で小刻みに全身を震わせているヒックスに気づいた者は少なくなかった。  「貴様らは、まるで墓場からでも這い出してきたようだな……まあ無理もないが。タキオン・ビーム兵器を作動させてから8分と少々が過ぎたところだ」  そういいながらワタライは、ヒックスの方に向いて発言を促す素振りを示した。  「特務曹長殿のいわれた通り、8分以上経過した現在、この戦闘艦は太陽系第3惑星に向かって航行中……」いい淀んでしまったヒックスは、戦闘員に聴こえるか聴こえない小声でワタライに何事かを告げた。  「伍長が説明に詰まったのも無理はない。我々は目下の所、座標上では我が第3惑星目指して航行してはいるが、どうやら別次元の宇宙に突入してしまったらしい」ワタライは、鈍感なほどにまったく動揺を視せずにいった。  「別次元の宇宙とは……タキオン・ビームの影響が原因しているのでありますか?」悪声の持ち主モーゲンソーが、ゾンビ顔負けの嗄れ声で質問した。  「ま、そういうことになるかな。今回の作戦で不完全な兵器を使う事態に到ろうとは、軍上層部はまったく予測していなかった。当該作戦指揮官として、諸官にお詫びする」初期の目的を達成したかのような表情を視せ、ワタライは17人を前にして深々と頭を下げ、「なお、データの収集、解析は引き続きパウリが行なうものとし、解析データを元に当官以下全隊員で判断の任に当たる。また、ヒックス伍長は判断の是非を決定する責任を負い、当官が最終的責任を負うものとする。各自の配置については追って通知する、以上」そういうと、ワタライは後をヒックスに任せて退場した。  「特務曹長殿よりお聞きの通り、諸官は各自の持ち場が決定するまで居住ポッドで待機し、今後どのように行動するのが最適か……妙案があるなら申し出て貰いたい、以上」ヒックスはそこまでいうと、戦闘員の前から引き下がった。  解散して居住ポッドに戻る途中、隊員は容易ならない事態に直面したのを悟り、深刻な表情をして私語を交わした。別次元の宇宙に突入してしまうなど、戦闘員の中の何人が予測していただろうか。明らかに敵と分かる相手に、軍事兵器で向かっていくのとは勝手が違いすぎる。戦闘訓練がまったく役立たないのではないか――戦闘員の間に漠然とした不安が拡がっていった。実体のある敵と闘う方がどんなにか楽だろう。未知に対する不安に比べたら、勇猛な敵に遭遇した時に味わう恐怖なんて何ほどのことがあるだろう。  惑星ルシファーの洞窟内で味わった苦しみなど、今となってはとるに足りない体験に過ぎなかったのではないかとさえ想えてくる。SFに登場するようなマシンを操り、間違えて過去の地球にでも行くならまだしも、はるか未来の何処とも知れない広大な宇宙空間の、真っ暗闇の中に単独で《ウオープ|w a r p》した日には生きた心地もしない。生死の感覚をも喪失してしまいながら、どのようにしたら自己の存在を認識できるというのか。  「この別次元の世界にきていながら、俺達は幸いなるかな……」そういいながら、トオヤマは天を仰いで十字をきる仕種をして、「まだ戦闘艦の床を踏みしめ、我が家を目指しているんだから結構なこった」  アブダクションのトラウマを抱えるディキンソンが、トオヤマに近寄ってきて話しかけた。「トオヤマよ、我が家って居住ポッドのことか?ま、ささやかな我が家ではあるが、住めばなんとかだよな」トオヤマに劣らない重度のトラウマを抱えているにしては、あまり自覚がないのかディキンソンは落ち着いたものだった。  「ああ、住めば都とはよくいったものだ。何がどうなろうが、俺達には安住できる家があるんだぜ、そうだろうディキンソンちゃんよ」  「おい、ホントに安住できるなら結構だが俺もおめえも、トラウマを引き摺ってるってことを忘れちゃいめーな」ディキンソンはそういってしまってから、咄嗟にトラウマを口にしたのに気づき、呆然自失の態だった。お互い、アブダクションを話題にしたことがなかったにも拘わらず、相手の心中を読み取ってしまったとは驚きだ。  「そうとも、俺達は重度のトラウマを抱えた戦闘員だーな。別次元の世界に迷い込んだからって、いまさら慌てふためく小便タレ小僧とは訳が違うぜ」晴れ晴れとした顔つきで応えるトオヤマ。  「二人だけでそんなに威張ることないよ。ワタシだって、深刻なトラウマを抱えてんだから」ワンダが近寄ってきて囁いた。  「おおそうか、よろしくな」トオヤマ、ディキンソンの二人は、大柄なワンダにハイタッチしてニャリと笑った。  忍び寄ってくる不安や恐怖を押し返すかのように、三人はささやかな我が家「居住ポッド」の方へと艦内を横並びになって行進していった。その後をキャリーがムライの手を引き、サンディジに追いつこうとしていて、さらにその二人の後ろからヤンケロヴィッチが随いて行った。  「ねえ、サンディジ上等兵」キャリーは前を行くサンディジの肩に手をかけ、上官が部下に対するような口調で話しかけた。  「これはこれは、キャリー上等兵どの、いつから俺の上官になったので?」普段、罰当たりな物言いをするサンディジ、場違いな世界にきてしまって戸惑ったか返答は皮肉っぽいだけで鋭さがない。  「あっごめん、態度が一寸えらそうだったかしら。そのー、聞きたいことがあるんだけど」キャリーは慌てて握っていたムライの手を離し、すまなそうな表情を視せて笑った。  「なに、気にすることはない。罰当たりを吐き散らしてきた俺にとっちゃ、今回のような異次元世界での体験はいい教訓になるだろう。不遜な態度を改める好機かも知れないな」先刻とは違った神妙な口調で応えるサンディジ。  「あなた、今回の作戦に参加する前は、神父様だったとかいってなかったかしら?」サンディジに劣らない、神妙な口調で訊ねるキャリー。  「むむっ、そんなことを冗談めかしていったかも知れん。厳密にいうなら、神学をちょっぴり噛ったことがあるってだけなんだ。天体物理学が主で神学が従……またぞろ不遜なことをいってしまったかな」太古の仏教徒のように、両掌を合わせて応えるサンディジ。  「そうなの、この世界であなたの経歴が役立つといいね。特務曹長殿のいわれた通りであれば、前よりも高次元の世界かも知れないもの」そういうと、キャリーは軽く頷いてムライの手を引き、サンディジを追い抜いて行った。 十  SF世界にしか存在しないはずのタキオンを発見、兵器への応用に成功した軍は、17人の戦闘員を率いる指揮官にワタライ特務曹長を任命した。さらに一民間人を軍に引き入れ、分隊を編成した上で一か八かの賭けに出た――惑星ルシファー探索を命じ、新兵器の実験を行なわせようというのだ。  タキオン・ビーム兵器が核兵器のような、従来型とはまったく異質の兵器なのを、辛うじて理解できた科学者、軍人、政治家はほんの一握りにすぎない。  それどころか、開発に携わった科学者、技術者の中、その途方もない威力を想像できた者がわずか数人なのを、一般大衆はもちろん関係者ですら殆ど知らなかった。唯一、軍人の中に突出した思考力の持主が一人存在した。それが作戦を指揮することになったワタライ特務曹長だった。ワタライの進言が通らなかったら、太陽系全域がとんでもない事態に遭遇していただろう。  当該兵器の開発が最終局面に差しかかった段階で、軍上層部の中でワタライの存在に気づいた人物が、脳神経学学会と繋がっていたのは偶然ではなかった。ちょうど新兵器の完成間近にタイミングよく、脳神経学研究家ジ ョン・ロード・ヒックスが何者かを仲介して、惑星ルシファーからのメッセージを受信した。すべては共時性のなしうるところ、善なる神もしくは邪神の手の内で進行していたのに違いない。  キャリーがムライと手を繋いでいたのは、そうしている限り他者に知らせたくない会話ができるのに気づいたからだ。今ではもう手を繋ぐ必要もないぐらい、二人の間には精神感応での意思疎通が可能になっていた。  異次元世界に突入して以来、二人は盛んに意見を取り交わしていた。そこには、普通に存在するべき男女間の特別な感情は介在していなかった。よくいうなら達観、わるくいうなら異性への無関心だったろうか。  しかし、たがいに惹きあう感情がなければ、精神感応は起こらなかっただろう。あの物質世界の厄介な「しがらみ」ってやつと無縁なのが心地よく、性の違いを超越してしまえるこの異世界の、なんとも表現しようもない素晴らしさに感心する二人だった。  「もう気づいているだろうが、二人の楽しい会話に割り込ませてもらうぞ」そういってワタライがキャリー、ムライの語らいに割り込んできた。  「あっ、これは特務曹長殿ごぶさたしてます。我が軍がどう対処するのが、この異質な宇宙で最適かをムライ上等兵と……」キャリーは着替えている姿を、ワタライに覗き視されてしまったかのようにドギマギしながら応えた。ひょっとしたら、特務曹長への思慕の念を感づかれたかも――。  「いまさら、殿呼ばわりは硬っ苦しいから止めてくれないか。以前にもいった通り、階級を付けて呼ぶのは無しにしようじゃないか。呼び捨てでかまわんぞ」そう応えるワタライもまた、精神感応による意思疎通に慣熟していないらしく些かぎこちない。  「特務曹長、自分は想うのであります……名前の呼び捨てでは恐れ多く、階級呼び捨てが無難かと想うのでありますが、構わないでありますか?」ムライが落ち着いた口調でワタライに話しかけた。  今となっては、大仰な軍隊口調には滑稽味しか感じないが、現環境に適応し切るまでは止むを得ない。この世界では、もっと効率よく意思を伝達できるはずだから、時いたるまで現状維持もよかろう。  「おー、ムライ上等兵か、話し方は自分で気づかない中に変わる……この世界の仕組みに、我々が適応できないと判れば、別の世界への移動指令が、何処からか出るだけだろう」音声を発することなく会話ができるってのは、慣れさえすればこんな効率のよい意思疎通は他にはあるまい?  「当官もしばらくの間、階級呼び捨てで対処させていただきます、特務曹長。いずれ、名前呼び捨てに抵抗なくなったら、そっちに転向したいと考えます。以上です」キャリーは、まだ心臓の動悸がおさまらず、意識内でそれだけいうと深々と深呼吸した。  「キャリー、その件については了解した。これから何ごともなく、もし地球に帰還できたら上層部に進言してみよう。帰還が実現するようならだが……」そこまでいうと、ワタライとの繋がりは切れた。  「特務曹長との交信が途切れてしまったようだな、キャリー」ムライが、いま眠りから覚めたといった調子でボソリと呟いた。  「そのようね……」キャリーは其処までいうと、考えこむように黙り込んでしまった。  ムライも気づいたに違いないが、唐突にワタライとの繋がりが切れてしまったのは、何かが起こる前兆か、それとも起こってしまったのが原因かも知れない。キャリー、ムライの二人は、意識内にざわめきが湧きおこり、他の戦闘員が互いに交信しはじめたのに気づいた。と同時に、居住ポッド内のライトが点滅を繰り返し、全戦闘員に作戦室への非常呼集を報せた。  間髪を置かず全戦闘員はワタライ、ヒックスの、待ち構えているはずの作戦室に引っ返した。無駄口きかずに黙々と急ぐ様は、激戦地に突入して行く戦闘ロボットに酷似していた。事態の急変が浸透してしまった今となっては、たとえ地獄に向かって進撃する破目になろうが誰も恐れはしない。作戦室に整列した戦闘員は、眼前のホログラフイに息を呑んだ。パウリの映し出すホログラフィ上のワタライが、難しい表情をして何かを戦闘員に向かって伝えようとしていた。  「さて諸君、わたしはもう指揮官でも特務曹長でもなく、一介の放浪者に過ぎない身分になった。わたしの役割は、諸君を太陽系第3惑星に無事送り届けることだ。なお、ヒックス伍長は元の古巣である惑星ルシファーの洞窟に戻ったことをお知らせする」そこでワタライのホログラフィは、躊躇するかのような素振りを示したがふたたび語り始めた。  「元々、ヒックス伍長は民間の一研究者であった訳だが、惑星ルシファーに存在する上位の意識との間に繋がりを持つようになった。ことの発端は、ヒックスが脳神経学学会で何者かに接触、我々戦闘員のリストを入手した時に始まる……」ワタライは先刻の躊躇いを払拭し、決然とした表情で語り続けた。  「研究者として純粋なヒックスに、邪な考えがなかったのは確かだ。すべては、最初からお膳立てが揃っていたのだろう。天使か悪魔の意志によらずに、今回のような事態は起こり得ない。その意味からするなら、我々はすべて天使か悪魔の掌上で踊っているに過ぎないともいえる。善悪いずれに与するか、それは個々人の意識しだいということだ。私としては、自分を善の側に属しているものと想っているが……」  戦闘員同士の交わす私語が、艦内に静かなざわめきとなって拡がっていった。ワタライ元特務曹長が一放浪者とやらになってしまった現在、指揮官不在の戦闘艦をいったい誰が取り仕切る……そんな重責を担える者がいるか。なかば、テレパシー交信をまじえた私語は続いた。  「昔から案ずるより産むが易いという通り、まずは適任者を想いつくままに列挙してみたらどうだ?総意によって最適任者が決まるなら、それに越したことはないだろうし、無理なら少々時間をかけて絞り込んでいくのもよいぞ」そこまでいうと、ワタライのホログラフィは唐突に消え、パウリが戦闘員を置き去りにして作戦室から退場した。 十一  パウリの退場直後、17人の戦闘員は適当なグループに別れて作戦室から出ていった。もともと指揮官を必要としない戦闘訓練で、自らを鍛えぬいた戦闘員一同は内心の動揺を抑えこみ、状況の激変に速やかに適応し始めていた。銘々居住ポッドに戻り、半ば夢想、瞑想状態で投票でも行えば、誰が適任者かを決めるのはそう難しくはないはずだ。どうしても決まらないとなったら、あの仮想ウィジャボードにお伺いを立てることだってできる。  これまで、支配層に寄寓する学者やら似非知識人は、瞑想を危険な行為と見做して一般大衆から遠ざけてきた。確かに、精神的防御を会得していない初心者が、気安く瞑想に耽るのは危険この上ない。雑念を払い、坐禅を組んでおもむろに精神世界へと入っていくのが肝心だ。ただ恐れているだけでは、物質主義の虜になったままで生涯を無駄に過ごすことになる。  既得権益の喪失を恐れた支配層は、学者、宗教家、似非知識人を動員して、一般大衆に欺瞞を広めた。その結果、一般大衆は精神的に成長せず、企みに気づくことなく死んでいった。瞑想に危険があるとするなら、実践者が余計な想念を抱いたまま瞑想に耽るためだ。余計な想念――雑念やら邪念がないのであれば何も畏れる必要はない。初心者にとって重要なのは、雑念、邪念を払い去って純粋な想念を抱くコツを会得することだ。  そのためには、単に知識を蓄積するのではなく、真偽を峻別できる思考力を身につけなければならない。 17人の戦闘員は訓練中に精神的鍛錬を積み、中にはかなりの高みにまで到達した者もいた。宇宙空間での活動期間が長引くにつれ、誰もが物質主義に囚われることなく、自由奔放な精神的飛翔を経験するようになっていった。偶々キャリーが想い描いた仮想ウィジャボードは、戦闘員全員の共有する想念にまで拡大、成長していた。  戦闘艦ごと別次元の宇宙に迷い込んだ戦闘員は、己れの五体を以前通りに動かし、生存できているのを当然のように考える。夢に視る世界とは異なり、実在感の鮮明なのが理由だったろう。夢の世界はあまりにも茫洋としていて捉えどころがなく、現実味に乏しく、夢はしょせん夢でしかなかった。この世界が霊界の一部だったとしても、誰ひとり慌てふためいたり、恐れ慄いたりはしないだろう。  「そろそろ、指揮官を決めるべきかも知れねーぜ」誰かが、居住ポッド内で夢想しながら胸の内で呟いた。  「そう、決めた方がよい」最初の呟きに呼応して誰かが応えた。  「誰が指揮官として適当かは、もう決まってるんじゃなかったか?」何人かが同時に応え、その返答が合唱のように銘々の意識内で谺した。  「ああそうとも、キャリーこそ最適任者だ」また何人かが同時に応えた。  「わたしが指揮官って……他にもっと指揮官に相応しい人物がいるでしょ。気はたしかなの?」キャリーが夢うつつの中で呟いた。  「キャリーで決まりだ」16人が一斉に呟き、大合唱になって意識内を駆け巡り、「ワタライ元特務曹長から暗示があったのは確かだが、軍隊内に女指揮官が誕生してもなんら問題はない」と断言口調で締め括った。  全員一致でキャリーが指揮官に決まった件について、ワタライは押し黙ったまま異論を差し挟まなかった。周辺にも、艦内の何処にも元特務曹長の存在を示す気配は皆無だった。新指揮官が決定したばかりにも拘わらず、 17人の間に漠然とした不安がジワジワ浸透していった。キャリーに不満がある訳でもないのに、キャリー自身を含め、不安が募っていくのを抑えることができなかった。雑踏の中で親と《逸|はぐ》れてしまった、幼児にでも還ってしまったかのような気分になっていた。  「俺は迷子になってしまったんだな」誰かが消え入るように呟いた。  「そうかも知れねーけどよ、厳しい訓練を耐えぬいた精鋭でもあるんだ。俺達はな」確信のなさそうな応えが数箇所から湧き起こった。  「そうとも、大宇宙髄一の戦闘員だぞ。そいつを忘れちゃーいけねえ」真っ暗闇の深淵からでも、這い上がってきたような声が全員の意識内を《掠|かす》めた。  「なんだ今のは、俺達の中の誰かにしちゃ、声の響きがまるで違ってるぞ」到るところから、恐怖心を抑圧した妙に落ち着いた呟きが出てきた。  「やあ諸君、驚かしてすまない。わたしだ、ヒックスだよ。ひょんなことから惑星ルシファーに住みつくことになった。すでに、特務曹長殿から聞いたと想うが……」ヒックス元伍長の声から、やっとのことで陸地に辿り着いたかのような安堵感が伝わってきた。  互いに異なった次元の宇宙にいながら、意識による繋がりができるとはどういうことなのか――。まるで、意識の世界には不可能はないかのようだ。時間も空間も存在しないのが意識の世界だとしたら、肉体そのものは必要ないはずだが、一人残らず肉体の中に留まっているとしたら矛盾も甚だしい。ひょっとすると、死んだ後に違う次元に迷い込んでしまったのに、誰も気づいていないのかも知れない。  17人ことごとく、気づかないまま死の世界に迷い込んだ?ワタライはもちろんだが、ヒックスはどのようにして肉体を具えたままルシファーの洞窟に移動できたのか。テレポートでもできるならまだしも、物質界では架空の域を出ない移動手段が、広大な宇宙空間では実現できるとでも?銀河系の中心から300万光年離れた、軌道上を周回する惑星ルシファーが物質世界にではなく、霊界に存在する惑星なのだとしたら、ヒックスは明らかに肉体を捨て去った存在なのかも知れない――戦闘員の誰もが同じ結論に落ち着いた。  戦闘員はなぜ肉体を持ちながら、それを捨て去ったヒックスのように、霊界に属する惑星ルシファーに着陸した挙句、地獄に通じる洞窟に進入できたのか。太陽系を離れた時すでに何らかの事故により、一人残らず死んでいたのだとしたら――考えたくもないが、その方が筋道が通っていそうだ。キャリーは頭を擡げてきた疑惑に慄きながらも半ば確信を抱き、己れを含む全員の過酷な運命の行く末を案じた。 十二  「キャリー、気づいたら部屋中が火の海なの。両親は寝室に閉じ籠ったっきり出てこないわ。助けて、キャリー」  12月の凍てつく午前1時過ぎ、リザヴェータが悲鳴に近い声でキャリーに電話してきた。炎が暗黒の天空に向かって、暴れまわるドラゴンのように噴き上がっているのがカーテン越しに視えた。キャリーは父親の引き止めるのを振りきって通りに跳び出し、自転車に乗って熱風の襲ってくる方向に向けて急いだ。リーザの住む2階建ての豪壮な邸宅は、建物全体から激しい炎を噴き出し、防火服を身につけた消防隊員さえ近づけない状態だった。消火栓から出る水の水圧が低い上に、不慣れな消防隊員が多いためか消火に手間取り、消火どころか類焼を防ぐのさえ危うかった。  キャリーはウイジャ・ボードを使って、悪ふざけをしたのが火災の原因だなんて考えたくなかった。ハート型したプランシェットの動きに任せただけなのに、どうしてリザヴェータに災いが降りかかり、自分をも含む他の仲よしには何も起こらなかったのか。それとも、これから次々と――。  「他の子にも、何か降りかかったりしていないかしら?」キャリーはそう胸の内で呟きながら天を仰ぎ、自転車のハンドルに掛けた手に力を入れ、方向転換しようとして勢いあまり、その場に自転車ごと倒れこんでしまった。誰かがキャリーの腕を掴んで助け起こし、「大丈夫か、怪我しなかったかな?」  その男はよく通るバリトンの声でそう囁き、何分の一秒間かキャリーの顔を注視した。  「はい、どこもケガしてません。ありがとうございます」そういいながら見上げたキャリーの眼前に、紅い炎の照り返しでそれとなく分かる、日焼けした角刈りの青年が立っていた。「ふむ、それはよかった。ご両親が心配しているようだから、気をつけて帰りなさい」といってにっこり笑い、野次馬の群がり集まる中に消えていった。  何処かで遇ったことのある人だろうか、なんだか以前にも似たような人と、話を交わしたことがあるような――。ギョロッとした眼つきの厳つい顔、バリトンの落ち着いた話し声、きびきびした軍人らしい仕種……まるで生々しい夢を視たような気分。キャリーは自転車を押して帰宅する道すがら、遥か彼方の宇宙に想いを馳せ、現実世界らしい今の世界にかすかな違和感を覚えた。  現実ってなに?この世界だけが宇宙だなんて、大人はみんな子供を騙しているだけなのかも知れない。両親が心配そうな表情で玄関口に立ち、自転車を押しながら戻ってきたキャリーを出迎えた。両親がいうには、キャリーが自転車に乗って飛び出して間もなく、イサドラ、マルレーネ、ズザンナ他4,5人から電話があったらしい。みんな何かひどく怯えていたとかいうけど、もう午前3時に近いから眠っているかも知れないし、朝になってからでよければ電話……それとも今の方がよいかしら。そうだわ、熱いシャワーを浴びてパジャマに着替えたら、電話してみよっと。そんなことを胸の中で呟きながら、両親の眠そうに話すのを上の空で聴き流し、汚れた上着を脱ぐのももどかしく浴室に飛び込んた。  キャリーは熱いシャワーを浴びながら、リーザの家でウイジャ・ボード遊びをしていた友だちの中に、ワンダって子が一緒にいたのを憶い出した。背が高くておっとりした子だけど、それは上辺だけで本当はとっても神経質な子だった。何かから逃げるかのような素振りを示したり、そうかと想ったら突然笑い出したり、何時も群れの中に隠れていないと落ち着かない子だった。誰よりも大きな子だもの、隠れたってどうせ直ぐに視つかってしまうのに。  浴室を出て自室でパジャマに着替えたキャリーは、手当たりしだいに遊び仲間に電話してみた。しかし、両親が話していた7、8人ばかりか、他の誰からも応答はなく、呼び出し音が虚しく響くだけだった。なんだかトンデモナイことになっているようで不安だったが、朝になったらリーザよりも遠くの地域にに住んでいる子らのとこへ、自転車に乗って確かめに行ってみるしかない。  キャリーは微睡んだ程度で眼が醒めてしまい、5時に起きてみたらすでに両親は出かけていた。自室に閉じこもり、熱い珈琲を飲みながらTVを点けてニュースを観た。燃え上がる住宅を背景に、報道局の男はカメラ、女はマイク片手に、リザヴェータ一家の行方不明を伝えていた。他の子たちは無事なのだろうか……ウイジャ・ボードで一緒に遊んだ子らに電話してみたが通じなかった。リーザが行方不明なら、他の子だってどうなっているか分からない。  珈琲を飲み終えて外出着に着替え、キャリーは自転車に乗ると路上に飛び出した。とにかく安否の確認を、手近な子の家から始めるしかない。神様どうか、みんな無事でありますように。途中で危うく一台の黒っぽい車と打つかりそうになり、運転している男が虚ろな眼つきで睨んだのが不気味だった。  公園の横を通り越し際に視たら、キャリーと同じ年頃の男女が十数人集まっているのに気づいた。引っ返して公園の中に乗り入れると、そこに見覚えのある子どもが16人、整列してキャリーを迎える仕種をしていた。  近づいて行くキャリーと整列している16人の眼と眼が合うと同時に、キャリーは特務分隊の全隊員が揃っているのに気づいて呆然とし、その直後に気を失ってしまった。遠退いていく意識の中で、キャリーはなんだか悪い夢でも視ているのではないかと想いつつ、安眠の中に逃避しようとしている自分を笑った。キャリーの笑いに呼応するかのように、周囲からクスクス笑いが起こり小波のように広がって行った。  「どうやら地球周回軌道に入ったようだぞ」夢の中で、遠くから誰かの声が響いてきた。  「地上との交信を始めようぜ。みんな無事であればの話だがな」同時に2,3人の呟きが合唱のように広がった。  「救難信号が誤報であってくれればよいのだがな」何処からか悲嘆にくれる低い呟きが割り込んできた。  「信号を受信してからすでに、地球時間で48時間も過ぎて何の応答もないとはな……」不安と苛立ちが同時に呟きとなって広がった。  「とにかく連絡が取れないのであれば、しばらく軌道上から様子を観るしかないわ」決然とした響きの声が全員の耳に届いた。「最新の探査結果から視ると、陸地らしい陸地は地球上から消滅したようね」作戦室に整列した16人を前に、新任の指揮官キャリーが、パウリの示すホログラフィを視ながら善後策を伝えた。「唯一、残った小さな島に着陸するしかないでしょ。島に少しでも生存者がいるよう祈るしかないわね」  17人の戦闘員とヒト型ロボット1基、通常型ロボット3基を乗せた戦闘艦は、せいぜい数百万人しか住めそうにない小さな島へと接近し、着陸態勢に入った。地球にいったい何が起こり、百数十億人を超える地球の住民はどうなってしまったのか。地球文明の再興は可能か、惑星ルシファーの探索から帰還した乗組員には、かすかな期待とともに不安、恐怖といった複雑な感情が怒涛のように押し寄せてきた。[完]
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