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一  《酒匂宗吉|サコウ・ソウキチ》は、寂れた漁村に辿り着き、今時珍しい一時預り所でモータサイクルを保管して貰い、後部席に括りつけておいたナップザックを担ぎ上げた。永年、潮風と灼熱の太陽光に耐え抜いた威厳ある風貌の老人が、無言で手渡して寄こす鍵を受け取り、軽く会釈して海岸へと向かった。  2 0代から4 0代までなら何歳にも見える長身のソウキチは、海岸に放置してある小舟を譲り受け、地元民の誰もが畏れて寄りつかない島を目指して、2本の櫂をゆっくり操った。上陸後、巨大化した食中植物や、地面を這いずり回り樹木に絡みつく蔓草など、植物の鬱蒼と茂った中を掻き分けて進んでいった。やがて、毒虫の攻撃からも免れ、運よく何事も起こらずに、天空に向かって聳える岩山の前に辿り着いた。  熱気の中を彷徨い、消耗いちじるしいにも拘わらず、それでも度胸と体力の幾分かが残っていたソウキチは、垂直に近い急峻な崖を攀じ登る計画を想い立った。だが、暫しの別れを告げてきた両親、姉弟や恋人――同郷の後輩、《阿武桔梗|アンノ・キキヨウ》は切れ長の大きな眼をしている。身長は、ソウキチと似たり寄ったり、贅肉がなくスラっとしていた。派手さはないが、記憶に残る魅力的な女だ――のことが気懸かりになるらしく無謀な思いつきを断念した。代わりに、おのれの経験と頭脳を生かし、内部に進入する手掛かりを探しだすべく、硝子化したように見える奇妙な岩山を見上げた。  どの道、引っ返すだけの気力は疾うに失せていた。冷静になって、現状を把握するのが先決だ――その場で数時間、睡眠を摂るのも好かろう――取り止めもない思案が目まぐるしく頭の中を駆け巡った。ソウキチは、ナップザックの中を引っ掻き回し、何も書いてない紙切れを取り出した。ある研究所で、薄給に甘んじながら助手を務めているソウキチの許に、一通の案内状が届いたのは1 0日前のことだ。手に取ってよく診ると、金属に近い手触りの紙切れだった。不思議に想いながら、その紙切れに精神を集中し凝視したところ、数秒後に何かが見えてきた。紙切れを凝視した直後に、信号を頭脳に送り込んでくる仕組みらしい。  前回同様、見たこともない島を示す地図や古代文字で書いたと思しい説明が現れ、一瞬後には消えてしまった。秘密が第三者に知れるのを、恐れてでもいるかのようだ。  太陽が情け容赦もなく、強烈な放射線を浴びせる。ソウキチは堪らず、近くにある巨木の下に移動して太陽光を避けた。ナップザックから、錠剤を一錠取り出して嚥下し、喉の渇きを癒した。錠剤が口中で溶け始めた直後に渇きは治まり、体温が急激に下がり始めた。熱風吹き荒れる昼日中、木陰に陣取り、ソウキチは襲いくる眠気に抵抗しながら記憶を辿っていた。錠剤が案内状と一緒に届いた日のことが、鮮明な画像を視ているかのように、想い浮かんできた。  ビルディングの地下1 4階にある研究所の一室に、机と椅子だけをなんとか確保できた日のことだ。山積みにした資料の上に、パンフレットの《類|たぐ》いが乗っていた。他部門の研究者との打ち合わせで席を空けた数十分の間に、誰かが旅行の案内状でも置いていったらしい。小ぶりな封筒を手にとってよく視ると、表面に洒落た活字が踊っていた。  夕刻の退出間際にその封筒を《憶|おも》い出し、ショルダーバッグに放り込んで帰途についた。疲れがドッと襲ってきてしばし《微睡|まどろ》み、気がつけば何時の間にか、例の封筒を開封し一枚の紙切れを手にしていた。最初は何も見えなかった白紙上に、何世紀か前の古めかしい地図、および古代文字が出現した。旧式なモニターのように、薄ぼんやりしていた画像はやがて鮮明になり、そして唐突に消え、元の白紙状態に戻った。  細部を確かめる暇もなく消えてしまった地図や文字は、ソウキチの脳内に漠然としたデータとして焼き付いたものの、消した直後に瞬間的に残るモニター画面の残像に等しかった。しかし、現在の状況は恰も夢でも見ているようで何処かが変だった。両眼に強烈な――暗がりから眩しい世界に飛び出しでもしたかのような――刺激を感じ、ソウキチは手で光を遮るかのようにしながら顔を上げた。  浮遊状態にある自分に驚きながらも、若者にありがちな興味津々の面持ちで周囲を見渡した。日没直前の砂漠を想わせる、鈍く光る金属質の広々した空間が何処までも広がっていた。紫色の光が、取り囲むようにしながら、ソウキチの方に近づいてきた。初めは点のようなそれらの光は、見る間に巨大化し、瞬く間に1 3人のヒューマノイドに変身した。空間に冷気が漂い、振動となってソウキチの全身を覆い、束の間、不快感が纏わりついた。  彼らが同時に、ソウキチに理解できる――古代日本で使用していたと思しい――言語で語りかけてきた。奇妙に響く声が、音声として一言も発することなく、頭に直接入ってくる。長くもあり短くもある時間、彼らとソウキチとの間にデータ交換が起こり、双方合意に到った。合意に到るとは契約の成立を意味する――後刻、ソウキチはその時の記憶が蘇ってくるのを覚えた。  水平線の彼方に太陽が沈みかけ涼風が吹く中、ソウキチは櫂を操り、寂れた漁村を目指した。新たに乗り組んだ3人を加えて4人――年齢、身長、風貌等は似ているようでいながら何処かが異なっていた――は、今にも転覆しそうな小舟に乗って平然としていた。  打ち合わせは陸地を目指す洋上で、声に出して話すことなしに済ませてしまい、銘々がおのれの役割を頭の中に焼きつけていた。上陸後、無言のまま4人は散会し、闇の中へと消えていった。  ソウキチはナップザックを後部席に括りつけ、モータサイクルに跨った。プラズマ・エンジンの、小気味好い高速回転音を聴きながら、驚愕の事実を想い返した。人類の生存に危機が迫っているだなんて……真かそんなことがあるだろうか。どうやら、汚染は相当に深刻らしいのだが、にわかには信じ難い。お世辞にもよいとはいえない舗装の田舎路を精一杯飛ばしながら、ソウキチはヘアピンカーヴの多い峠越えを楽しんだ。僅か4人で立ち向かって行ける相手であるはずはないだろうから、当然、他にも同様の任務を負った戦闘員がいるにちがいない。 二  翌朝、ソウキチは早めに起床してシャワーを浴び、大き目のマグカップに入れたエスプレッソを堪能した。《生|き》の儘の強烈なエスプレッソの苦味が、睡眠不足気味の頭脳に刺激を伝え、草原を一陣の冷風が吹くように気分を一新した。今では嗜む者の少ない、紙巻煙草を《喫|す》いながら暫しくつろぎ、恋人に想いを馳せた。キキョウに連絡したいのを《堪|こら》え、モバイルP C を起動して、口座に8 0 0万ツアッポの振込みがあるのを確認した後、モータサイクルの後部席にショルダーバッグを括りつけ、プラズマエンジンを始動してA PMラボに向かった。  A PML (拡張精神医学ラボラトリ) とは、なんとなく胡散臭い名称だ。主に生命体の意識を研究し、研究成果を季刊誌に纏め、会員に配布していた。会員からの寄付で運営の成り立つ、今時珍しい研究所だ。月曜日から金曜日、9時から1 7時までが一応拘束時間になっていた。退出時刻がきたら研究を切り上げて帰るも、残って研究を続けるも研究員の自由だった。  多くの通勤者が往来する表通りを避けて、裏通りを中速で跳ばし、ビルディングの裏側駐機場にモータサイクルを駐めた。ショルダーバッグを肩にかけて、地下1 4階まで階段を駆け降りた。筋肉トレーニングは機会があるなら、できる限り実行するに越したことはない。モータサイクルを乗り回してばかりいたのでは、下半身の筋肉は衰えるばかりだ。そうなっては、いざという時には役立たない。  地下1 4階に到達、通路を大股で歩き研究所前のドアに辿り着いた。ソウキチは、手をかざして掌紋認証機能を作動させ、ドアを通り抜けた。認証が確定するまでは、動かずにいる必要があった。さもないと、この世から綺麗サッパリと蒸発してしまう――そう入所初日に担当者から説明を受けた。  ソウキチが確保した一室の出入口にドアはなく、研究所員であれば誰でも勝手に出入りできる。そのかわり、ソウキチの顔をアイコン化し、金属プレートに焼き付けたのが、柱にボルト締めしてあった。ハイテク技術にどっぷり浸かっているかに見える研究所ながら、職人技を忘れていないのは流石とでもいうべきか。  山積みになっていた資料は、何時の間にか、机上から綺麗に消え去っていた。研究員が数人、私語を交わすことなく通路を行き来していた。入所以来、打ち合わせに出たぐらいで、研究らしい研究をしていないし、不思議というよりは奇妙な研究所だ。  壁に貼り付いたモニターが勝手に起動し、画面上にメッセージらしい文字が一瞬ひらめいて遮断した。聴き覚えのあるような、辛うじて知覚できる声が脳内に反響した。地下3 3階にある分析室に直ぐ来るように――そう解釈できた。階段を駆け下りながらソウキチは、こういった処がA PMラボらしいところなのかと感心した。  最後の一段を降りた先には、真っ暗闇が拡がり――縦横無尽に通路がある洞窟の中――脳内にイメージが勝手に浮かんできた。無数にある通路を、脚の赴くままに歩いていった先に、薄ぼんやり輝く青白い表示灯が視えた。冷風を頬に感じながら大股で急ぐ先に、床から4 , 5 メートルはあるかに見える巨大な扉が目に跳びこんできた。  右手を翳して掌紋認証を試みるが、まるで無視するかのように、何ら反応せず微動だにしない。顔を近づけ、両眼を見開いて睨みつけてみたが開かない。これではならじと、島の内部で遭遇した1 3人のイメージを、壁のような扉に向けて投射してみた。青白い光が菫色に変化し、たちまち眩く輝き始めた。  扉が開くか開かない中に、ソウキチは自分がテレポートしたのに気づいた。日没直前の砂漠、何処かで視たことのある光景だ。プラチナのような、金属質の鈍い光が巨大な室内を満たし、上下左右の空間把握を不可能にしていた。ソウキチが近づく気配に、同じ任務に就くことになった3人――地元の漁師が畏れて寄り付かない島で一緒だった――が同時に振り向いた。  もうお馴染みって感じの4人、挨拶は「やあ」とか「よお」で済んでしまった。矢鱈と背丈が高く饒舌なフランツ・トラークル、痩せてはいるが強靭な筋肉の持ち主で無口なゲーザ・デジェー、皮肉の中にユーモアを加えるのを忘れないダリウス・ダムロッシュ、最強の4人組かどうかは今後の行動に懸かっていた。皮膚の色は白から褐色までバラバラだが、一見しただけではその違いに、誰も気づかなかった。共通項は――同年齢、特殊能力、モータサイクル・マニア――それぐらいだ。  特筆すべきなのは、4人が4人とも当人すら驚き恐れる特殊能力、しかも念動力を持っていたことだ。どの両親も、幼い息子の周囲から、不要品が消えてしまうのに不審を抱いた。両親らは、息子達が《神憑|かみがか》っているのを知って畏れをなし、全寮制の学校に入れてしまった。それでも、息子は両親の仕打ちをなんとも想わず、大学を卒業する頃には、自由におのれの特殊能力を制御できるまでになっていた。もちろん、4人の両親は見違えるほどに成長した自分の息子に、少なからぬ違和感を抱きながらも、良好な関係を保つまでになっていた。つまり、大人は大いに成長し、息子のまっとうな理解者になったのだ。  空間に冷気が漂い、揺らぎ始めたかに見え、黄金色の光が周囲に漲った。直後に、小柄ながら威厳に満ちた人物が現われた。その神秘的な人物は、肩まで届く長髪から黄金の光を、また水晶のようにキラキラ光る眼からは緑色の光を発散していた。不思議なことに、性を超えてしまったか、女性、男性の区別がつかない。  4人の脳内を光量子から発する、不快な信号が縦横無尽に駆け巡り、しばらくして音声に変わった。「知っての通り、この広大な宇宙に、いま奇っ怪な異変が起こりつつある」バリトンだが、中性に近い声が脳内に反響した。「抵抗感はあるだろうが、寄生生物に感染したあなた方の仲間を、地球から排除しなければならなくなった」  ソウキチは、脳内に一瞬閃いた殺人の光景に衝撃を受け、身体が小刻みに慄えるのを覚えた。ソウキチの動揺は、他の3人の頭脳に伝播し戦慄が走った。「精神的に首肯できないのは尤もだが、これは避けては通れない。最早、見てみぬ振りのできないほど、深刻な問題だ。人類存亡の危機といってよい事態に到ったのだ」  殺人が悪であるのは、出来の悪い人間にさえ理解できる。本来、具わった倫理観がその行為に手を染めるのを抑制するのだ。それとも、抵抗を取り除く方法はあるのだろうか。  「治療法が確立していないため、排除するしか方法はない。殺人が手っ取り早い方法だが、あなた方には抵抗があろうかと想う」  あるどころの騒ぎではない、そんな大それたことなど、これまで考えたこともなかった。4人の頭脳の中には躊躇や不安が渦巻き、逃げ道を探して彷徨うおのれの姿が垣間見えるようだった。 三  恐るべき作戦に関わる破目になってしまった結果、4人の頭の中ではそれぞれに葛藤が渦巻いた。ソウキチは、どのようにして地下3 3階から、地下1 4階の自室に戻ったのかを覚えていなかった。気が付いたら、山積みの資料に手を翳して内容を精査していた。ソウキチは、研究の誤った箇所を指摘し、代案を示しながら午前中を過ごした。  昼休みは、4階まで吹き抜けになった巨大なカフェに出かけた。食べることにさしたる想い入れのないソウキチ――とにかく強烈な苦味のエスプレッソと燻らせるだけの葉巻があれば満足だった――エスプレッソを味わい煙を漂わせ、司令官からの指令を脳内で反芻した。  今朝のように、一同に会する事態が、今後もやってくるかどうかは不明だった。しかし、少なくとも意識のネットワークで繋がっている限り、《態々|わざわざ》会って話し合う必要はなかった。意識内自由思考下ならではの、当事者さえ予想しないような解決策が見つかる可能性はある。それが、4人の共通認識となった。 皮肉交じりのユーモアを忘れないダムロッシュが、開口一番、ソウキチの燻らせる葉巻の煙に、わざと《噎|む》せた振りをして接触してきた。  そこへ、饒舌なトラークルが割り込み、さらに普段は無口なデジェーが、3人の中に潜り込み、いきなりまくし立てた。みんな勝手気儘に、言いたいことをいって笑った。これから、どんな事態になるかを予感しながら、おのれの不安感を《払拭|ふっしょく》するかのように陽気に振舞っていた。それがお互い、手に取るように分かった。  何処からともなく、超光速で伝わってくる微かな波動が、4人を繋ぐ意識ネットワークに進入してきた。その波動は、やがて4人の意識内で激越な震動に変わり、知性を持った獣ででもあるかのように、次々に4人を襲い始めた。相変わらず葉巻を燻らせ、エスプレッソを味わうソウキチの外見には、何処にも変化は現れない。しかし、襲いかかってくる何者かの憎悪が渦巻き、ズタズタに引裂きにかかっているのを、意識内部で知覚していた。  4人の意識が絡み合いながら敵を捉えて捩じ伏せ、4倍の威力となった念動力が作動して標的を鷲掴みにすると、銀河系の中心から3 0 0万光年離れ、楕円軌道を描いて周回する惑星、ルシファーにテレポートさせてしまった。4人はしばし茫然自失、精神的混濁状態に陥っていた。しかし、店内を行き交う客で、誰一人その異変 に気づいた者はいなかった。時間が止まってしまったかのような1 ,2秒後、4人は何時もどおりの自我を取り戻していた。直後、意識内で一斉に語り始めた4人、中でも普段は無口なデジェーが声を張り上げた。  「攻撃してきた奴は一体何者だ。何がどうなった、おれたち4人がテレポートさせた?何処へだ、分からんな。ソウキチ、おまえどうだ知ってるか。トラークル、ダムロッシュ、おまえたちは?殺人は駄目だが吹き飛ばすのは構わんのかな、ヒック、ヒック。すまん、サンドイッチが喉につっかえた、ヒック、グフッ」速射砲のようなデジェーの問いかけは、喉につっかえたサンドイッチの所為で途絶えてしまった。  皮肉屋ダムロッシュが、何時もに似合わない神妙な顔つきに、ちょっぴりユーモアを湛えた目を輝かせていった。「ああ、おれたち4人の念動力が同時に威力を発揮したんだ。今日は祝杯を上げてもいいんじゃないだろうか。おいおい大丈夫か、デジェー?」  ソウキチが3人を眺める素振りで周囲を見回した後、興奮を抑えるかのようにエスプレッソをぐいっと飲み、葉巻を燻らせながら話し始めた。「テレポートさせる直前の時間に遡って、残存意識を精査し、移動先の座標を調べてみた。銀河の中心から3 0 0万光年離れた軌道を、楕円を描いて周回するルシファーという名の惑星だ。不気味な波動を感じる……どういった惑星なんだろう」  アドレナリン過剰による興奮からやっと醒めたか、何時もなら饒舌なトラークルが、慎重な口調で切り出した。「其処には何があるのかな、おれたちはどうやってルシファーを知った?」  やっと、喉につっかえていたサンドイッチを飲み込んだか、デジェーが嗄れ声で一語一語、噛み締めるようにいった。「これは司令官がぁおれたちにぃ課した試練じゃあないんだろぉか?」  饒舌なトラークルは意気消沈してしまったか、いつもの勢いは何処へやら、言葉数も少なくボソリと呟いた。「そうだろな、まだ未熟なおれたちには助言どころか、助力さえ必要だ」  ソウキチが、葉巻の煙に噎せながら、エスプレッソを流し込んでどうにか軽い咳払いをした後、とつぜん甲高い声でいった。「試練だとしたら、おれたちが吹き飛ばした標的は、アンドロイドかも知れない」  デジェーは、喉のつっかえが取れてすっきりしたか、普段の無口なのを返上するかのように一気にまくし立てた。「まだ生身の標的を扱えるほどの力はおれたちにはないってことだ」  ソウキチと繋がっていた3人が、唐突に意識のネットワークから、次々離脱し始めた。これまでにない経験だから、合図もなしに離れて行ったとて止むを得なかった。3人の居住する夫々の環境に激変が起こらない限り、如何なる時にも造作なく繋がるだろうとソウキチは想った。  4人が等しく、さらに高度かつ強力な念動力を修得できるかどうか、それが当面の課題だった。もし、一人でも次のレヴェルに到達できなかったら、以後の行動に著しい影響が起こるだろう。誰かが敵の捕虜にでもなり、作戦に齟齬を来たすような事態が……それだけは避けなければならない。  日々、精神および肉体の鍛錬に励み、また警戒を怠らず行動するのが4人の責務だった。一旦関わった以上、逃げ出すことはできない。たとえ敗北し奈落の底に堕ち行く運命であろうと、正義を貫かなければならない。ソウキチは急に恋人の声が聴きたくなり、意識を通してキキョウを呼び出してみた。  一瞬、ソウキチの意識内を電気信号が過ぎり、初春の涼風のような、よく澄んだ声が聴こえてきた。「はいキキョウです、どなた?」ソウキチは、そのまま意識を閉ざそうとしながら想い直し、何気ない風を装って話しかけた。「あァおれだ。キキョウの声が聴きたくなって、電話した」  受話器の向こうから、キキョウの驚いた様子が伝わってきた。「あらっ、ソウキチさん、直ぐ傍で話してるようだわ、どうしてかしら?」ソウキチは、想わず口を滑らしそうになりながら堪え、意識内で言い訳を組み立て始めた。「そうだな、偶々接続状態がよかったのかも。キキョウの声が聴きたいというおれの願いが、天に届いたんだろう、多分」  受話器の向こうで、キキョウが涙ぐんでいる様子が窺えた。しかし今は、どうすることもできない。立ち寄り先を敵に察知されるような、愚かな真似は避けなければ。「キキョウ、会いたいけど今はちょっと無理なんだ。また連絡する」カフェを出たソウキチは、混雑を避けて裏通りに入り、周囲に通行人のいないのを確かめると、路上から地下1 4階自室にテレポートした。 四  夕刻、研究所を出たソウキチは、モータサイクルを駆って繁華街を抜け、地平線の彼方に沈み始めた太陽を追った。マシンと一体になり、夕日の眩い中を海の見える丘を目指したのだ。1千年前、太陽系の古くは地球という名の、辺境にあるこの惑星には、広大な大陸や島々が存在していたという。しかし今では、見渡すかぎりの海に点在する僅かな陸地に、たかだか4千万人の人類が住んでいるに過ぎない。地球には、かつて1 3 0億人以上の人類が《犇|ひし》めき、戦争に明け暮れていたとの記録が残っている。  数世紀足らずの中に、人口が1 3 0数億人から4千万人にまで激減したのは、核戦争が原因だったとしか考えられない。いつまでも地球に居座る人類に下った天罰か、人類自らが選んだ愚かしくも呪わしい為政者のなせる業か。人類絶滅に近い中、またしても地球に異常事態が発生したのは、どうしてなのか。今回の闘いは、僅かな人類をも絶滅させようと目論む邪悪な存在との、存亡をかけた最終戦争なのだ。  今回の戦争相手は、4千万人の人類にとって正体不明の存在なだけに、通常兵器の使用が難しい厄介な戦争だった。人類には過去の戦争で、通常兵器から戦況次第では核兵器まで使用してきた歴史的事実がある。外交交渉の場での威力誇示、謀略を用いた心理的侵略、通常兵器を使用した武力衝突、核兵器による最終的解決――外交交渉を除き、話し合う余地のない闘いだった。  人類が過去に造り出してきた凡ゆる兵器は、今回の戦争ではなんの役にも立たないばかりか、あるだけ邪魔な存在だった。眼に見えるような、日常の状況が激変するような戦争とはまったく異なる、想像つかない謀略戦、しかも意識伝達、念動力、テレポーテーション等々が主力の心理戦争だ。数十万年の人類史上、想像を絶する心理戦が始まったのだ。  物理的な破壊は起こらず、何時もの風景にあからさまな変化はない。しかし、徐々に周囲から顔馴染みが消え、この辺境にある惑星で最後の独りになる。生命の躍動する世界とは異なり、死神さえも寄りつかない牢獄が現出し、絶体絶命の孤独地獄に陥るのだ。凡ゆる生命の死に絶えた世界で、孤独を楽しめるほど達観した超人 などいはしない。  太陽が水平線に沈み、漆黒の闇が訪れた。砂浜に押し寄せ、引いて行く波の音が、ソウキチの耳許に囁き声のように聴こえてきた。その囁きはやがて咆哮となり、耐え難い騒音を撒き散らしながら、襲いかかってきた。複数の邪悪な存在の吐き出す死臭が辺りに漂い、心臓の鼓動が高鳴り、濁った大気を吸って窒息しかけた。  おのれを見失いそうになりながらも堪え、強靭な精神力で邪悪な敵を絡め捕って捩じ伏せようとした。しかし、海の方から吹いてきた一陣の突風が、ソウキチをその場に打ち倒した。満点の星々が高速で回転しながら接近してくるが、眼を凝らして視るとそれぞれの位置で瞬いているに過ぎなかった。ずきずきする《顳顬|こめかみ》を指で抑えながら起ち上がり、モータサイクルに跨って丘を後にした。  生命進化に、善の力のみならず悪の力も不可欠なのは、いまさら議論するまでもない。遠い過去に、善のみで政治を行ない、国民を不幸に陥れた為政者が存在した。プロテスタント派神学者のフランス人ジャン・カルヴァンは、1 5 0 0年代に3 0年間、都市国家ジュネーヴで神権政治を行なった。  おのれに厳格な統治者であるカルヴァンは、同時に国民の日常生活にも厳格な戒律を求めた。異性に対して、性的な考えを抱くのさえ怪しからんというのだから度が過ぎている。善の側に与しているはずのカルヴァンは、意図せずに悪に加担していたことになる。愚かの極みといわざるを得ない。  敬虔なカトリック教徒にして厳格な統治者、アントニオ・サラザールは、1 9 0 0年代の3 6年に亙り、ポルトガルで独裁体制を布き、秘密警察による反体制への弾圧を続けた張本人だった。  両者はおのれに厳格なばかりか、国民にまで厳格な生き方を要求し、時には弾圧するなど、他者を不幸に陥れるだけの悪者になってしまったのは皮肉なことだ。極端な善は悪と見分けがつかなくなる好例ではないだろうか。  モータサイクルと一体になって風を斬って疾駆しながら、ソウキチは、《目眩|めくるめ》く広大無辺な宇宙に縦横無尽に張り巡らされた、ネットワークの存在を意識せざるを得なかった。我々は孤独ではないが、宇宙のネットワークに参入できるだけの、知的レヴェルに達していないのではないか。  神とは一体なんだろうと考えたところで、明確な解答なぞ何処からも出て来はしない。神は悪魔だ、神はサディストだ等々、人は勝手なことをヒステリックに叫ぶ。しかし、それでは何の足しにもならないし、誰かを救うどころか自身をも救うことはできない。  改心せよ精神修養せよなどと、いくら唱えてみたところで誰も耳を傾けはしない。唱えている当人さえ、本心から信じているかどうか怪しいものだ。拝金主義が人間を堕落させた――なるほど如何にも尤もらしい説だ、しかし堕落する要素なんてゴマンとあった。  たとえ、凡ゆる俗界の雑念と隔絶できたとしても、おのれ自身の誘惑にだけは勝てまい。誘惑に抗して品行方正に生きた挙句に、他者を苦しめる愚かな為政者になるのが関の山ってものだ。物質世界の束縛から逃れ、精神的な高みに到達するのは至難の技にちがいない。それができたら誰も苦労しないって訳だ。ソウキチはモータサイクルのエンジン音に合わせ、際限なく堂々巡りしているおのれの思考に気づきハッとした。  善の中に潜み隠れる悪および悪の中に潜み隠れる善は、互いに入れ子になり、繋がっているように想える。我々は、一体全体、何者を相手に闘おうとしているのか。自分の中の敵をなのか、それとも、敵の中の自分を相手にしているのか。未来永劫、自問自答は続くにちがいない。闘いを放棄したら、どうなるだろう。キキョウを救うことはおろか、自分自身をも救えないとしたら、愚かにもほどがあるってものだ。  「モータサイクルを乗り回しながら、意識内で呟くのやめろよ。カフェで熱いコーヒーでも飲んで、少し落ち着け」デジェー、ダムロッシュ、トラークルの声が、三重唱になって、同時にソウキチの意識に進入してきた。  「いまさら、哲学でもないだろうっていいたいのか、思案するより実行が大事だと?」ムッとしてソウキチは、3人に食って掛かった。  「ま、そう怒るなソウキチ。独りで苦しむことはないぞ、おれたちは似たり寄ったりの悩みを抱えているんだからな」  「ああそうだな、ご忠告通りカフェで熱いブラック・コーヒー飲んで、一息つくことにする。態々アクセスしてくれてアリガトよ」 五  ソウキチは意識を分散して、満天に輝く星を眺めながら、歓楽街を気紛れに《彷徨|うろつ》いた。夜に活躍する妖しい女達と、彼女らに群がる男共の溜まり場、現世に存在する死臭漂う異世界は何世紀過ぎようと、あまり変わり映えがしない。毒々しいネオン・サインが蠱惑的な光を映す路上に、三々五々屯ろする若者達は、モータサイクルを操りながら横を擦り抜けるソウキチに、注意を向けるでもなくボンヤリ辺りを眺めていた。ゾンビかヴァンパイアに見えそうな、メイキャップした出演者が映画撮影を終え、休憩しているかのようだった。 ソウキチは、通行人に注意してゆっくりモータサイクルを走らせていて、舗道に群れる数人の男女から強い視線を感じた。今にも飛びかかって、獲物に食らいつこうとする《獰悪|どうあく》な化物じみた獣の視線――純粋に狩りをする野生動物の、獲物を襲おうとするのとは異なり、憎悪の篭った視線だった。  その獣じみた殺気は、次の交差点でソウキチが右折するまで執拗に追跡してきた。獣が知性を持ち始めたか、それとも人類が獣化し始めたのか、ソウキチは右折しながら想像を巡らした。バックミラーで背後を確かめるソウキチの視界に、髪振り乱して追いかけてくる獣の群れが飛び込んできた。モータサイクルそのものに、あるいはライダーであるソウキチに反応したか、その形相の《悍|おぞま》しさには化物じみたところがあった。  プラズマ・エンジンを高速回転に切り替え、速度を上げて、何やら《喚|わめ》いている追手を引き離した。奴らの意識に潜入できたら、何を考えているのか分かるかも知れない。しかし、いまはまだ単独行動をとるのは賢明ではない。《逸|はや》る気持ちを抑え、なんとかその場を切り抜けることにした。  ソウキチはバックミラーで獣の群れを確かめながら、さらに速度を上げた。遥か後方に諦めの悪いのが2人、息切れ寸前のように喘ぎながら追ってくるのが見えた――完全に引き離したと確信、速度を中速にシフト・ダウンした。  ソウキチは、暗黒世界の入り口に位置する歓楽街から脱出し、《余所者|よそもの》を寄せ付けない高級住宅街に迷い込んだのに気づいた。高い塀で防護している宮殿のような住宅が連なる通りをゆっくり走らせながら、意識内で現在地から帰宅先を割り出す作業にとりかかった。  ゾンビやヴァンパイアが好みそうな歓楽街と、閑静な高級住宅街とが直結しているかに視える街並みは、《恰|あたか》も天国と地獄が切れ目なく続いているようだった。それはまた、コインの裏表にも等しい構造を想起させた。しかし、善悪が混在する現世には、天国や地獄の実在を証明する証拠は何処にもない。  単なる妄想、幻想の類に過ぎないのだろう。愚かな人類自身が構築した世界――それが現世だ。慈愛と愛欲を混同し、嫉妬に駆られて他者を憎悪する愚かな人類に、生き残る機会は殆どないも同然だった。  現世から異世界に行く破目になった時こそ、おのれの所業に応じた世界に上がって行くか、堕ちて行くことになるのかも知れない。詰まらぬことは考えるな、もっと輝かしい未来を想像してみろ――結構なことだ、しかし未来が薔薇色の世界かどうか想像しようにも想像できない。おのれの貧弱な想像力を嘆くしかない――そんなことではいかん、何を考えている?ソウキチは、心地よいエンジン音に合わせて、自問自答を繰り返しているのに気づき身震いした。  妖しい歓楽街を彷徨いたばかりに、邪悪な想念に取り憑かれそうになり、際どい処で踏み留まった。こんな迷路のような街並みをモータサイクルで走り回るなんて、それこそ飛んで火に入る夏の虫ってものだ。一瞬の油断がとんでもないことになった。それに気づいた時には遅すぎた。無重力感覚が襲ってきて、視界から街並みが 消え、モータサイクルごと空中に飛び出し、落下していた。色鮮やかな光が乱舞する中を、地獄の底に向かって突進する。落下しながら自問する――これは、夢なのか?  胸部から腹部にかけて激越な痛みが襲い、間髪を置かず猛烈な吐き気が襲ってきて、ソウキチは抑えきれずに、口から火焔を吐き出した。その時、目が醒めて見渡せば、いつもの自分のベッドの上に寝ていた。一体、どうなっているんだ、まるで悪夢のようだ。  時空の壁を突き破り、異次元を通って現次元に戻ってきたのだろうか――。激しい頭痛と眩暈に襲われ、呻きながらフラつく足取りで浴室に行き、熱いシャワーを浴びた。体温が上昇し、頭痛と《眩暈|めまい》が薄らぐとともに、猛烈な喉の渇きを覚えた。熱風で身体を乾燥させて浴室を出た。ソウキチはラックからウイスキー瓶を取り出すと、大きめのグラスにタップリ注いで一気に呑み干した。  火が点いたように身体が熱くなり、野獣にでもなったかのように、獲物に襲いかかりたい欲求が《滾|たぎ》り立った。何もかにもをご破算にしたい――その方がすっきりするのではないか。この宇宙を構成している根源そのものを、徹底的に破壊し盡くしたら、嘸かし胸の支えが取れて安穏になれることだろう。  それこそ、破壊と建設の軍神マルスの考えなのにちがいない。だが、ソウキチにはそんな大それた力はないばかりか、想像するだに恐れ多く竦み上がってしまう。所詮、先のことなぞ分からずに突っ走るだけの、単なる戦闘要員に過ぎないのだ。雇用主が、善の側に付いているのか悪の側に付いているのか、ソウキチらには知る必要もないことだった。 六  何かがチリチリ音を立てているのに気づき、ソウキチは微睡みながらも音の出処を眼で追った。やがて朦朧としていた意識から徐々に這い出し、小鳥の囀るのが聴こえてくるのを耳にして跳ね起きた。目覚まし時計の音が、室内に反響し小鳥の合唱になっていた。酔っていても、目覚ましをセットするのだけは忘れなかったか……。  腕時計に付属する遠隔操作ボタンを押して、壁に埋め込んだ目覚まし時計の音声を切る。ソウキチは、なんとなく何かが起こりそうな予感がしながら、気が進まず起きようかどうしようか愚図愚図していた。予感が外れれば好し、当たったらその時はその時で迷うことなく対処するしかない。一旦、覚悟を決めてしまえば行動の速いソウキチは、ベッドから跳ね起き、浴室で熱いシャワーを浴びると素早くスーツを身につけた。  室内を点検し内部からロックして、車庫にテレポートし、モーターサイクルに跨って研究所を目指した。早朝の人通りの少ない住宅街を抜け、不気味な廃墟を通り過ぎて右折した途端、2台の4輪駆動車が道路を遮って待ち構えていた。愈々お出ましか――そう想ったら、武者震いが体中を駆け巡るのを感じた。  4輪駆動車に何者が乗っているのかを、外部から視認するのは容易ではないが、第三の眼を持つソウキチにとっては造作なかった。狂気じみた獰悪な顔つきの若者が4人、2台の毒々しく飾りつけた車に分乗しているのが視えた。ニヤついた表情とは裏腹に、内心では怯れ慄いているのが手に取るように分かった。こっちから攻撃を仕掛けたら、尻尾を巻いて逃げて行く意気地なしどもだ。  プラズマ・エンジンをフル回転させ、モータサイクルで2台の車を飛び越える瞬間、連中の仰天して慌てふためく様子が視えた。地上を走行するに過ぎないモータサイクルが、眼前で突然浮き上がるとは想像できなかったとみえる。  2輪で走行するモーターサイクルの、物理現象を理解するまでもなく、無心になって操るだけで走行できるのは、ライダーなら誰もが経験することだ。しかし、物理現象を理解するだけでは、肉体、物体の両方を同時に異次元移動させることはできない。先天、後天を問わず、精神力を鍛えなくては、テレポーテーションを会得するのは難しい。  おのれと同時に物体をも瞬間的に移動させるには、マトリックス理論を完全に修得しなければ実現できない。科学的であると同時に精神的でなければ、発生源であるマトリックスを理解できない。瞑想を正しく行ない、マトリックスへのアクセス法を修得する必要がある。無念無想の境地に達するまで精神を鍛えなければならない。 ソウキチは間髪をおかずテレポートして、研究所地下3 3階にある分析室のバリアを突破し、内部に進入すると同時にエンジンを止めた。普段は無口なデジェー、一見紳士のダムロッシュ、ノッポで饒舌なトラークルを前にして、ソウキチは仲間内でしか通じないサインを発した。数十世紀前、ロック・コンサート会場で、観衆が誰にともなく送ったサイン――秘密結社のメンバー同士で交わす、人差し指と小指を突き上げる挨拶だ。4人が偶然、そういった大昔のコンサート映像を視て、記憶に焼きつけていたのは確かだ。  コンサート会場に結社員が紛れ込み、サインを送っているのを目撃した普通の観衆が、何時しか真似るようになったのだろう。映像には利き腕を突き上げ、サインを送るロック・ファンの姿が、熱気の漲る会場に頻繁に現れていた。そのサインに如何なる意味があるのか、手振りで挨拶を交わす4人には、漠然とした知識しかなかっ た。だが、彼らにとっては言葉を交わすよりも、強い結束力を感じさせる挨拶になっていた。  その結社なる組織が善悪いずれに属していたのか、ソウキチにとって大いに気になるところだった。ロックファンのライダー4人の雇用主の正体以上に気がかりな点だ。ソウキチを除いた3人の中に、手振りについて詳しい者がいるのかどうか、機会があったら訊いてみるのもよかろう――テレポート中の数秒間にソウキチの考えは手振り一色に染まっていた。それは、勝利の雄叫びを意味するのか、それとも皆殺しのサインなのか――。  ソウキチの頭の中に、悪魔ベリアルの正体を指した「ヤハウエとはバールのことなり」の一節が唐突に閃いた。古代に《汎|ひろ》く伝わっていた『旧約聖書』なる有難い教えは、羊のように従順な人間を騙していたのかも知れない。莫迦正直なだけではなく、自分で考える意志を放棄してしまった、本当は只の怠け者でしかなかった愚者の群れだ。ソウキチは、自分を含む4人が羊の群れでないことを祈るしかなかった。  モータサイクルを端の方に移動させて一箇所に集合した直後、周囲の大気が揺らいで日の出間近の砂漠が出現し、地下室内に涼風が吹き始めた。殆ど同時に、方向感覚を麻痺させるプラチナのような、くすんだ金属色の充満する空間が4人を包み込み、見覚えのある威厳に満ちた人物が登場した。  4人は、頭脳の内部で目眩く光が乱舞し始めると同時に、軽い眩暈が襲ってきて光エネルギーが音声に変わったのに気づいた。例によって小柄ながら威厳に満ちた神秘的な人物は、黄金の光を放つ長髪を光量子の流れに靡かせ、緑色の光を発散する眼を一同の方に向けた。バリトンの、性別を意識させない声が、4人の脳内に反響した。  「気づいたと想うが、相手は単独ではなしに、必ず群れをなして襲ってくる。今回の体験に《基|もとづ》き、戦略、戦術にさらなる工夫を凝らすよう期待するとともに、我々は、あなた方が必ずや危機を打開でき、次回の会合時に4人が全員この場に姿を見せるものと信じている」  そういった時の司令官の声は、複数の音程の異なる人物が同時に話しているように聴こえた。さらに、この或いはこれらの司令官は話し続けた。「今後、予想外の事態が次々に起こってくるだろうが、《怯|ひる》むことなく4人が一体となって冷静に対処するよう期待する。また、絶体絶命に陥る場合も時にはあるだろう。だが、我々はあなた方を全面的に信頼しているし、手に負えないようであれば、それなりに助力も厭わない」  それなりにとは、どの程度を指しているのか、4人には想像できなかったが、内心では誰もが胸を撫で下ろしていた。結束して事に当たればなんとかなると想ってはいるが、果たしてこれまでの経験を活かせるかどうか、誰にも自信はなかった。  「不安があって当然ではあるが、どうか《虞|おそ》れないでもらいたい。蛮勇は危険だが、事態を把握した上で発揮しうる勇気なら、如何なる危険をも突破できるだろう。あなた方には、それだけの資質が先天的に具わっているのだ。どうか、怖気づかないよう……」何時の間にか複数の人物の声から単独の声に変わっていた。 そろそろ訓示も終わりに近づいた模様――4人が同時にそう想った瞬間、司令官は唐突に新兵器に言及し、光とともに闇の中に消えた。次回に提供してくれるという、その新兵器とはどのような兵器なのだろうか。  足下に広大な宇宙のパノラマが、広がっているのに気づいた4人は絶叫こそ上げなかったが、想わず《仰|の》け《反|ぞ》りながらもどうにか踏み止まった。一歩踏み出したら断崖絶壁を、底なしの深淵に向かって《真逆|まっさか》さまに堕ちていきそうな錯覚に陥ったためだ。精神に異常をきたした患者が、ショック療法を受けているような気分になり、4人そろって絶句したまま、その場に暫らく凍りついてしまった。 七  一瞬、ソウキチは何処にいるのか分からずに辺りを見渡し、モーターサイクルに跨ったままなのに気づいた。奈落の底を覗いてしまった直後の、精神的衝撃からまだ恢復していないのか、いつもの寛いだ気分になっていなかった。冷気が吹き出し口から額に当たるのに刺激を受け、遅まきながら記憶が蘇ってきた。先刻まで、4 人揃って地下3 3階で司令官の訓示を聞いていたのだった。  そうと分かったら、地下1 4階にある研究所に戻り、資料の山を前に日常業務をこなすに限る。ソウキチは、駐機場から所定部署にテレポートし、座り心地の悪い椅子に腰掛けて資料の上に手をかざした。凍りついていた意識が徐々にほぐれ、いつもの活気が戻ってくるのが分かった。頭上から微かに信号が意識内に進入してきた。最初、ノイズの多い周波数にでも合わせたラジオに近かったが鮮明になった。  「昨日、捩じ伏せて惑星ルシファーに放り込んだ、連中のことでも明らかになるかと期待してたんだが、司令官は何もいわなかったな。其処にいるんだろう、ソウキチ?」一見したところ紳士に見えるダムロッシュ、大分つかれた話し方でソウキチに接触してきた。皮肉にいつもの鋭さがないのは、足下に広がる宇宙の果てしない深淵を眺めた衝撃から、まだ完全に立ち直っていないのだろう。  「ああ聴こえているとも、由緒ただしいダムロッシュ君。それにしても、いつもの皮肉をこめたユーモアは何処へやら。おれ同様、さっきの体験からまだ回復してないようだな」そういいながらも、ソウキチ自身まだ衝撃から完全に立ち直ってはいなかった。  「そうなんだ、司令官はおれ達にショック療法を施したんだろう。悪い夢でも見た直後のようで、まだ脳の何処かに映像がこびりついているような気分だ」  「どんな事態に遭遇しても狼狽えるなと、司令官はいいたかったのかも知れないな。それほど、手強いのを相手にすることになるのだろう。今から心の準備をしておけってことだ」  「ああ、おれやおまえ、それにデジェーやトラークルも……覚悟してるだろ?すべて、最初からお膳立てが揃っていたんだよな、おれ達がこの世に現れる前から」  「2人でやけに深刻な話をしてるじゃないか。なあダムロッシュ、騎士道精神を敵に求めたりはしないだろうな?そんな奴らでないのは、もう明らかになったんだし、後は如何に相手を倒すかを考えるだけだ」普段は無口なデジェーが珍しくまくし立てた。  「そう、友好関係を結ぶなんぞできない相談だ。昨日4人で退治した奴らは、まだ序の口だろうと想えるぞ。昨日の夕方、海辺で襲ってきた連中は手強そうな相手だった。なにもなかったのが不思議なくらいだ」  「なんだなんだ、独りで早々と危ない目に遇っていたのか。それでどうした、どんな奴らか正体つかめたのか?」饒舌なトラークルが、今まで眠っていたかのようにノッソリ話しかけてきた。  「いや結局、分からずじまいだった。直後に一陣の強烈な突風が吹きつけてきて、しばらくその場に倒れていたからな。息を吹き返してから、モーターサイクルに乗って暫くしてご忠告通り、カフェの熱いブラック・コーヒー飲んで一息入れ、それから歓楽街を彷徨いてみた」  「で、どうなった、其処でも何かあったのか?」  「若い連中が数人ゾンビさながら追いかけてきた。ま、プラズマ・エンジン噴かして、奴らを巻いてしまったがな。連中の馬鹿さ加減ときたら、2本足で死に物狂いになって追いかけてきたって、高性能なモーターサイクルに敵うわけないのに」今にして想えば、追い駆けてきたゾンビもどきはゾンビそのものだったのかも知れない――ソウキチにとってそれは確信に近かった。  「お互い注意おこたりなく、敵に向かっていこうぜ。四六時中、神経を張りつめているのは無理だろうから、相互に監視、補完することにしよう」普段は無口なだけに、いざとなったら的確な意見をいうデジェー。  「そうだな、相互監視、相互補完……それにつきる」3人は至極まっとうなデジェーの意見に、同意を表するべく頷くと同時に復唱し、意識ネットワークから次々に離脱していった。  ソウキチは、昨晩の経験から、敵の組織形態が朧気に分かってきたように想った。姿を隠して襲ってきた連中は2種類の階層化した組織にそれぞれ属し、さらにその下に無闇矢鱈と脚力に物を言わせて追いかけてくる歩兵が存在する。個々には強そうだから、念動力を使わずに素手で立ち向かったのでは《敵|かな》いそうにもない。しかし、原始人と大差ないと分かってしまった以上、恐れるに足りない文字通りのゾンビだ。  解散前に、司令官が仄めかした新兵器とは如何なる兵器なのか。4人の念動力だけでは、敵を倒すには非力ということなのかも知れない。古代の地球には、一般民が銃器を所持し自衛していた国が数多く存在したという。銃そのものが悪いのではなく、それを使用する人間に問題があるから、銃を規制するべきとの意見もあったが規制は実現せず、ことあるごとに銃による解決が留まることなく起こった。狂気の社会だったといわざるを得ない。  そんな狂気の社会で、若者は過激なロック音楽にのめり込み、ドラッグ漬けになって早死する者が絶えなかった。ロックやドラッグも規制の動きがありながら、銃同様の理由から野放し状態のままだったが、ロックにはもちろんドラッグにも責任はなかった。  責任があるとするなら、それは専ら人間側にあったにちがいない。善と悪がバランスよく機能するなら、多少の問題を抱えながらも、社会は上手く動いていくだろう。人間の程々にしておくことを知らない欲望が、社会のバランスを崩し生存を自ら脅かしているのだ。  若者を熱狂に駆り立てる数十世紀も前のロック音楽の、あらゆる既成概念、社会通念を破壊するエネルギーは何処から生まれてくるのだろう。ロック音楽に熱狂する若者は減ったとはいえ、いまでもその破壊的エネルギーには凄まじいものがある。ソウキチ自身、ロック音楽の破壊力には驚嘆せざるを得なかった。 八  それから数日間は何ごともなく過ぎ、山積みになっていた資料は気づかない中になくなっていた。例のカフェで、食欲をそそらない形ばかりの昼食を摂り、苦味の強いエスプレッソを味わい、葉巻を燻らせる日々がゆっくり過ぎていった。ソウキチには、元々食べることに格別の想いはなく、間食程度の食事で間に合っていた。人によっては、昼食を摂るか摂らないかで、午後からの仕事ぶりが決まるともいうが、ソウキチにとってはどうでもよいことだった。  何時頃から、栄養を口から摂取するのが減少し始めたのか――今となっては憶い出せないほど、遠い昔のような気がする。太陽からの放射エネルギーを、毎日短時間浴びるだけで、生体に必要なエネルギーを摂取できるようになったのは、親元を離れて寄宿舎生活を始めた頃だったろうか。  同時に、念動力の能力が飛躍的に進歩したのも、その時期だったかも知れない。同室者の前で、うっかり念動力を発揮してしまうのではないかと、何時もひやひやしながら生活するのは容易ではなかった。  友人の考えているのに先回りして、相手の想像つかない行動を起こしたりしたら、よからぬ噂の対象になるのがオチだった。なんとか、周りに気づかれることもなく大学を《卒|お》え、キキョウに出逢っておのれの特殊能力を抑制できるようになった。キキョウを前にしての自然な振る舞いは、ソウキチに精神的安定性を維持するのに影響を与えていた。  資料を参照している最中に、床からかすかに震動が伝わってきた。いよいよ、司令官からの呼び出しがきたのだろう――ソウキチが少し緊張気味に、身構えると同時に涼風が顔に触れた。ラヴェンダー色の夕焼けが見え、地下1 4階から地下3 3階にある、例の分析室にテレポートしていた。見渡せばダムロッシュ、トラークル、デジェーの他に、もう一人図抜けて背の高い中年の《厳|いか》つい男がいた。その男の風貌は機関室で、調子の悪いエンジンの調整に、悪戦苦闘しているエンジニアのようだった。  「司令官は本日のっぴきならない事情のため、諸君らにお会いできなくなった。いまより、司令官から仰せつかった言伝と、新兵器の装着、使用法についてお伝えする」  印象通りの話し方、予想通りの声音に、4人の戦闘員は初対面にも拘わらず、そのエンジニアに親近感を抱いた。エンジニアでないにしろ、印象がエンジニアならそれでよい――4人の考えは一致した。  「お察しの通り、私は司令官の許で機関長をしている……名前は適当につけて貰って構わない。われわれは、そのような世界の存在なので、諸君の抱いた印象を尊重している」  柔軟性があるというか好い加減というか、何事にも囚われない大らかな考えに、4人は全身から緊張感の抜けていく想いだった。  「われわれは、諸君らを全面的にバックアップし、共通の敵を粉砕することに決定した……以上が、司令官から諸君らへのメッセージだ。どうか、弱気にならずに前向きになって、共通の敵を排除することに傾注していただきたい。次に、新兵器について若干の注意と使用法を説明する」  共通の敵ということは、善悪2元論でいう悪の存在を指しているにちがいない――4人の考えはここでも一致した。しかし、懸念がないでもなかった。車の両輪に当たる他方の、悪の存在を抹殺してしまって、物質世界がなんら支障なく機能するものだろうか。機関長が空間から何かを、取り出す素振りを示し、次の瞬間にはその何かを手に握っていた。  「さて諸君、これから新兵器をお渡しする。各自に合うよう適正化してあるので、装着したと同時に機能し始める。注意を要するのは、無害な生物を凝視してはならないという一点だけ。それさえ守るなら、深刻な事態には到らない。合図をしたら、掌を私の方に向け、0から4 まで数えて欲しい」  合図もなにも、4人は気づいたら自然に利き腕側の掌を、《翳|かざ》すように機関長の方に向けていた。4人は掌が熱くなるのを感じ、互いに顔見合わせて驚いた表情を示すと同時に、利き手全体に何かが貼りついたのを知覚した。  「驚くのも無理ないが、諸君の身体に異常が生じる等の、懸念はないので心配しないで宜しい。見た目はいつも通りの掌、そこがこの新兵器の最大の、諸君らの表現を借りるなら売りになっている」  機関長はそう言いながらニヤリと笑った。「売り」という表現が、殊のほか気に入ったような表情だった。地球より遥かに高度な文化、文明を持つ彼らの世界には、経済概念そのものが存在しないのだろう。商業活動上の業界用語「売り」が、彼らの音感にはどのように響くのだろうか――。  「当該兵器は、装着してしまった以上、如何なる理由があろうとも、撤去はできない仕組みになっている。もし、それを望まないのであれば、この場で申し出て頂きたい。諸君らの世界でお馴染みの、クーリングオフ制度ではないが、正当な理由があるなら、装着後7 、8分の間であれば撤去は可能だ」  今更そんなこといわれたところで……4人の考えはもう決まっていた。あの離れ小島で契約を済ませた段階で、後戻りのできない任務を負ってしまったのだし、誰もが後戻りをするつもりはなかった。  「諸君らの決心が揺るぎないことは、我々にとって多大なる励みになる。司令官以下、我々一同は感謝に耐えない。代表して、衷心よりお礼申し上げる」機関長は4人を前にして、気をつけの姿勢で深々と《頭|こうべ》を垂れた。古代の忘れ去られた神道国家、「ヤマトにほん」に浸透していた礼儀と似通っている――ソウキチは漠然とながら、機関長のお辞儀なる儀礼からそのような印象を抱いた。  「最後に、新兵器の使用法というより、諸君らにお馴染みと想われる、マニュアルについて説明しよう……とはいえ、ここで説明していたのでは、何時間もかかってしまう。もう、気づいていると想うが……」  そういうことだった。使用法について、頭の中で質問するだけ――後は、イメージが湧いてくるまで待てばよいのだ。4人は機関長を見上げ、それから徐ろに顔見合わせて笑い、久々にすっきりした気分になった。  「では諸君、これで御暇しよう……また会おうぞ」そういうと、機関長は4人の前から忽然と消えた。いよいよ、事態が切迫してきたと想わせる退場ぶりだった。 九  手に装着した後、身体の一部になってしまった新兵器は、あくまでも、敵性生物を対象にした兵器だった。物体の破壊は、各自に具わった念動力が受け持ち、役割分担を明確に別けてあった。敵を排除するために銃器を持ち歩く必要がないだけでも、任務遂行の重圧から免れることができそうで、4人の新米戦闘員にとってはありがたい。少なくとも、目立たないように行動できるのは助かる。  4人の装備する兵器の正体が、敵に見破られはしないか――最大の懸念はそこだろう。機関長の一言「凝視するな」が、耳の奥で何時までも反響する。敵を欺くには、まず味方に気取られないようにするのが重要なのだ。戦闘員各自の意図を、たとえ最も親しい関係にあろうと、味方から隠し通す必要がある。過度の緊張からおのれを解放し、何事もないかのように、振る舞い続けなければならない。  機関長の立ち去った直後、4人は互いの健闘を約して散開、次々とその場から姿を消した。ソウキチは、地下3 3階の作戦室から地下1 4階の自室に戻り、山積みの資料に注釈をつけ分類していった。  新兵器の威力を試すなら、できるだけ早い方がよいだろうから、1 7時を回ったら仕事を切り上げ、例の歓楽街に参上――いよいよ決着をつける時が到来したのだと想うと、武者ぶるいを止めるのに一苦労した。  終業を報せる館内放送を聴きながら、ソウキチは手早く資料を整理、分類し、係員が搬出しやすくしておいた。その場から、駐機場にテレポートし、モータサイクルのプラズマ・エンジンを始動、ゆっくり路上に乗り出した。日が陰ってきた夜道には、帰宅を急ぐ勤め人が何処からともなく溢れ出てきた。人通りの少ない裏道を低速で走らせながら、今夜の作戦を脳内でシミュレーションしてみた。  例によって、ネオンの毒々しくも蠱惑的な灯りの瞬く舗道上の《彼方此方|あちこち》に、ゾンビやヴァンパイアもどきのメイキャップをした若い男女が屯ろしていた。そのままでも映画の一シーンになりそうな、顔つき身振りの怪しい一団が、喫煙したりウイスキーを回し呑みしている。ソウキチが、ゆっくりモータサイクルを走らせ、素知らぬ風を装って窺った限り、ゾンビやヴァンパイアもどきの、誰もが気づいている様子はなかった。  前回、脚力にものいわせて追ってきた連中は、何処かに潜んでいるのか、それともまだ出番ではないのか、それらしい視線は舗道に屯ろする連中からは気配すらなかった。どうやら出撃時刻を間違えたか《逸|いっ》してしまったかも知れない――そう想いながら走らせる中に、前方から憎悪むき出しの視線が伝わってきた。視線を無視して突破するのをやめ、裏道に入ってそれとなく様子見をすることにした。  微弱だが剥き出しの憎悪が伝わってくる――こっちの正体に気づいているのかも知れない。強い憎悪が頭上から伝わってきたと想った直後、廃墟同然の複数のビルディングから、黒づくめの獣めいた連中が襲いかかってきた。ソウキチは危ういところで躱し、プラズマ・エンジン全開でその場から脱出した。裏道から大通りに飛び出し、坂道を一気に登っていって中途でU ターンし、スロットルを絞ると同時にシフトダウンして減速しながら、利き手の左手をハンドルから放した。  次いで、坂道をゆっくり下りながら、駆け上がってくる黒服連中に向かって掌を翳してみた。それまで道幅いっぱいに散開して、駆け上がってきた黒い獣が、隊列を整えたのを見たソウキチには、連中が狂ってしまったように想えた。元々狂っているのかも知れないが、そうなると増々狂ってしまったのだろう。  《蜈蚣|むかで》のように曲がりくねりながら、1列縦隊になって突進してくる様子は、恰好の標的であると教えているようなものだった。適当に狙い撃ちするだけで、狂乱状態にある敵を薙ぎ倒してしまえるのだから造作ない。何者かの支配から逃れるためなら、敵であるソウキチに喜んで生命を差し出す覚悟があるようだ。  自殺行為にも等しい連中の行動を目の当たりにして、ソウキチは些かたじろいだものの、それが奴らの狙いだとしたら一瞬の逡巡が致命傷になるだろう――そう想ったら吹っ切れてしまった。跳びかかってくる獣の群れに、ソウキチは掌を翳してタキオン粒子を浴びせた。  連中は粒子をモロに全身で受けとめ、その場に斃れることなくゆっくり前進し、時間の経過とともに動きが鈍っていった。鉤爪のついた手でまさに掴みかかろうとしたまま、けものはその場に立ち止まり、次には回れ右をして隊列を崩しながら、坂道を転げ落ちるようにして下って行って姿を消した。  目撃者がいたとしても、何が起こったか理解できなかっただろう。蜈蚣が散開して姿を消すと同時に、ソウキチはその場からテレポートし、海岸線に沿ってすっ飛ばしていたのだから――。タキオン粒子が敵の血管内に到達後、緩やかに赤血球を凍らせていき、最悪の場合には全身に壊疽が広がって死に絶えるにちがいない。  ソウキチはおのれの指示通りに、新兵器が作動した結果を想像して慄いた。どうか冬眠程度で済みますように……それが無理なら、敵に苦痛を伴わない緩慢なる死が訪れるよう願わずにはいられない。ソウキチは、トンデモない間違いを犯してしまったような、後ろめたい気分に陥り、憂鬱になってしまった。  黒い獣に救いがたい罪があるなら、報いを受けることになるだろうから、それについてソウキチが陰々滅々と悩む必要などあるはずない。任務遂行の一貫として、避けては通れない試練なのだ。一介の新米戦闘員が要らざる罪悪感を抱くなど言語道断、贅沢の極みだ。  「そうとも、悩み無用だぜぇ。おれ達は一介の戦闘員、しかも新米ときてる」普段は無口なゲーザ・デジェーの声が脳内に反響、ソウキチは一瞬ピクリと痙攣を起こし、エンジン出力を上げすぎて危うく転倒しそうになった。  「断りなしに他人の意識を傍受するとは怪しからん!一体、いつからモニターしていたんだ」おのれの臆病なのに怒りながら、ソウキチはデジェーにその忌々しさをぶつけた。  「ああ悪かった、癪にさわったんなら謝る。だがな、一時はどうなることかと3人で心配したぞ」何時もは饒舌なフランツ・トラークルが、ソウキチに神妙な口調で話しかけてきた。  「なんだなんだ、3人そろって俺の行動を逐一モニターしてたのか?」ソウキチは、むっとした口調でトラークルに返した。  「ま、そう怒るなって。なにかあったら加勢しようと待機していたんだからな。一人でも脱落するようなことがあったら、おれ達はおしまいだぜ」デジェーが自嘲気味に、ソウキチを宥めにかかった。  「分かっているとも。想像もつかない結果になりそうでちょっと怖かっただけだ。今はだいぶ落ち着いてきた。心配かけてすまん」ソウキチは3人に向かい感謝をこめて話しかけた。  「今夜配信する深夜の、ネットニュースを見逃さないでくれ。おれは奴らがどうなったか、一部始終を記録に収めたからな」一見紳士風の、ダリウス・ダムロッシュの落ち着き払い、さばさばした声が意識内を駆け巡った。  「ありがとよ。おれはこれからカフェにでも立ち寄って、熱々のストレート・コーヒーを飲むつもりだ。では、またな……」そういうとソウキチは、プラズマ・エンジンを噴かして自宅方向を目指した。 十  ソウキチは帰宅途上、カフエで火傷しそうに熱い珈琲を飲み、煙草を吹かして一息ついた。店内に、いつか何処かで聴いたことのあるような、懐かしくも静かな曲が流れていた。戦闘疲れの一兵士にとって暫しの休息の訪れとはありがたい。おのれの行為が、死後の世界でどのような裁きの対象になるのか「神のみぞ知る」 ……だろう。今後、どんな事態に発展するのか、まったく予測がつかないながら、吹っ切れてしまったからには覚悟はついている。  帰宅後、熱いシャワーを浴びてスッキリしたソウキチは、キッチンに備え付けたカウンターバーのラックから、大きめのグラスとラム酒を一瓶取り出した。居間に入っていって灯りをつけ、ソファに腰掛けてサイドテーブルにラム酒の瓶を置いて封を切り、グラスに適量を注いでひとくち呑んだ。火が点いたように口中が熱くなり、続いて喉から胃にかけて燃え広がっていった。  1 7世紀に海賊の町といわれたポート・ロイヤルを拠点に、海賊はカリブ海を股にかけて暴れまわった。その海賊が好んで呑んだというラム酒――砂糖黍を原料とするカリブの陽気な酒――は、西インド諸島のバルバドス島に住む原住民の間では、酔って「興奮」(rumbullion)することから先頭の3文字が「R u m 」( ラム酒) を意味するようになったという。原語は今となっては死語になってしまっているが、ラム酒として生き残りソウキチの味わうところとなった。  「ダムロッシュがアップロードした映像な、奴らは妙なことになってるじゃないか。視た感想はどうだい、ソウキチ、そこに居るんだろ?」デジェーが興奮気味の口調で語りかけてきた。  「いや、まだ見ていない。今、ちょっと一盃やってたとこなんで……それにダムロッシュが何か言ってくると想って待機中ってたところだ」そう言いながら、手に持ったグラスからまたラム酒をひとくち呑んだ。  「やあ、おれもぉちょいろ一盃やっれらぁとこなんれ……おくれれすまん。デジェーがぁいうぅ通り、どうもぉ理解できない事態にぃなっれるぅ。おれろしてはぁ、結構インパクロある映像にぃかなり戸惑っれるんだぁ」呂律の回らないダムロッシュの思考波が、ソウキチの意識内にもやもやした状態で漂った。  「お互い、アルコール依存症にならない程度に嗜んでおこうぜ、ダムロッシュちゃん」ソウキチは吹き出しながら、「ラムロッシュ閣下、アクセスするにはどうしららいいんれありますか?」また吹き出しそうになり、ソウキチは慌てて口を手で塞いだ。  「ああ、さっきぃデジェーに説明しらろおぉり、あのぉ離れ小島のぉ洞窟内で視ら最初のぉ光景だぁ……それがぁアクセスするためのぉ鍵になるぅ。ま、びっるりぃしないでくれぇ。そのぉ映像を視れぇ、なにもぉソウキリが罪悪感にぃ囚われる必要はないららなぁ、そのことだれはぁ強調しれおくぅ」そういうと、ダムロッシュは意識ネットワークから離脱し、続いてデジェーもなにやらぶつぶつ言うと離脱した。  ソウキチは、徐ろにダムロッシュのアップロードした映像へのアクセスにとりかかった。モニター画面に向かって、地元の住人が一人も寄りつかない、離れ小島での光景を想い浮かべてみた。紫色の光がソウキチを取り囲んだ直後、回れ右して散り散りばらばらになり、坂道を転げるようにして下って行く黒い獣の群れが目に飛び込んできた。獣の群れは隊列を乱しながら坂道を下り、裏通りへと入って行って、雑草の生い茂る空き地に集結し、その場に根が生えたように立ち止まってしまった。  身体を揺らしながら立ち続ける黒い獣に、除々に異変が起こり始め、その様子を視ていたソウキチは我が眼を疑った。頭のてっぺんから足の爪先に到るまで、レモン色のペンキを塗りたくったように真っ黄色になってしまい、やがて徐々にくすんだ黄色に変色していったのだ。  しかし、それだけで終わった訳ではない。さらに、身につけている衣服までもが真っ黄色に染まり、身体同然にくすんだ黄色に変色していった。一体全体、奴らに何が起こり始めているのだろうか――暫く呆然としていたソウキチは、想わずあげた素っ頓狂なおのれの叫び声に驚き、口に含んでいたラム酒を無理に呑み込んで噎せかえった。  しばらく激しい咳をした後、呼吸を整えてゆっくりグラスを口に持っていってラム酒を要心深く呑み込んだ。内心の動揺を抑えるには、ひたすらラム酒を呑み続けるだけ――ダムロッシュに要らざる忠告をしたのが仇となった。今は、とにかく、信じられない事態を目撃した衝撃を鎮めるには呑み続けるしかない。ダムロッシュも同じような衝撃を受けたにちがいない。後の2人はどうなのだろう……。  「ソウキチ、ダムロッシュのアップロードした映像を視たか?」トラークルの、興奮気味の声がソウキチの脳内に反響した。いつもの饒舌なトラークルにしては、衝撃が大きすぎたか、言葉かずが極端に少ない。話し始めたら止まらない何時ものトラークルらしくなかった。  「ああ視たとも、こんな衝撃的な映像をこれまで視たことがない。現実とは想えない……何かトンデモナイことをやらかしてしまった想いだ」ソウキチはそう応えながら、手を翳した時に、何を考えていたのかを憶い出し愕然とした。連中が坂道を駆け上がって、まさに襲いかかってこうようとしていた時、ソウキチは交差点にある信号機の黄信号を視ていたのだ。遠目にでもそれとなく見分けのつく、レモン色した黄信号の眩しい光が眼に飛び込んできたのだった。  「なにが起こったんだと想う?」あまりの興奮に言葉を失ってしまったか、何時もは速射砲のように、口から次々に言葉の飛び出してくるトラークルが、今は聞き役に徹してしまっていた。  「連中がまさに襲いかかってこようとしていた直前、坂の下に小さく見える交差点の、黄信号がやたらくっきり見えたんだ。まるで、眼球に黄色の光が突き刺さったかのような、強烈な刺激だったのを憶えている」トラークルにそう応えながら、ソウキチはラム酒をグラスに注いで一口呑んだ。もうかなり酔っていて当然のはずだが、頭はストレートのエスプレッソ・コーヒーを、《強|したた》かに飲んだかのように醒めていた。  中世紀のヨーロッパと称する大陸では、人々は黄色にあまり好ましいイメージを抱いていなかったという。その最たるイメージは狂気であり、虚偽、卑劣、裏切り、下劣と続き、さらにスペインなる国では娼婦を象徴する色であり、罪人の家の門やドアを黄色に塗ったりした。1 9世紀に到っても芳しくはなく、密告者やら裏切り者のイメージとして捉える習慣があった。  2 0世紀から2 1世紀に到り、やっと陽の目を見るようになったとはいうものの、交通信号でいう黄色は警戒を意味するように、なにかと警告を発する色のイメージからは抜け出ていない。一部の国には幸福感を表す色として定着した地域もあり、特に子供の間では好ましい色だったとかいうが、それは限定した地域だけの稀な例でしかない。  「ふむ、交通信号でいう注意、警戒……ということは、連中にピッタリ当て嵌まるイメージじゃないか。偶然にしろ故意にしろ、適確な選択をしたことになるな」そういうと、トラークルは意識のネットワークから離脱した。トラークルの神妙な話し方には、何処か未知の力に対する畏怖のような感情が籠っていた。 十一  ソウキチは世界全体がくすんだ黄色に染まってしまったイメージを拭い去ろうと、封を切ったラム酒を一瓶あけ、それで足りずにもう一瓶のラム酒の封を切って呑み続けた。数ヶ月前、『黄衣を《纏|まと》った死神』を読んだ時の恐怖がじわりじわりと、身体全体に拡がるのを意識しながら、グラスに注いだラム酒を煽った挙句に酔いつぶれた。  軽い嘔吐感を催しながら、無重力状態の中を上下左右にゆらゆら揺れながら《彷徨|さまよ》った。周囲が揺れているのか自分自身の身体が揺れているのか、《強|したた》かに酔いの回ったソウキチには見当つかなかった。  黒ずんだ黄色い宇宙空間に一人で浮遊し漂流している――その孤独感が総身に沁み渡り、一層孤独感が強まる。世界中の誰からも何からも徹底的に疎外された存在――それが、この酔っ払ったおれソウキチ様だ、なにか文句でもあるか?レモンやグレープフルーツのような明るい黄色なら、たしかに黄金に近く、希望を表す色にも見えるだろうが、暗く淀んだ黄色では不吉な存在の象徴にしかならない。死臭を放つ黒ずんだ黄色い沼地――そこは奈落の底に到る入り口か――の上をソウキチは漂っていた。  生物、無生物を問わず、善悪ひとしく《凡|あら》ゆるものが、渾然一体となった沼地からは、天空に向かって死臭漂う悪臭が噴き上がっていた。  ソウキチは込み上げてくる嘔吐感を抑えながら、悪夢とも幻覚とも見分けのつかない世界を浮遊していた。誰かが、そーっと手を伸ばしてきてソウキチに触れた。姿が見えないにも拘わらず、その誰かがキキョウなのはソウキチには分かった。いい香りが辺りに立ち籠め、それまで《噎|むせ》せ返るようだった悪臭を消し去った。  ソウキチとキキョウの2人は、抱き合ったまま光の満ち溢れた空間に浮いていた。特別な感情が2人の間を往来し、甘美な想いが全身を《蕩|とろ》けるような快感で満たした。キキョウの表情に歓喜が漲り、怒涛のように押し寄せてくる快感に全身がふるえた。キキョウの快感はソウキチに伝播し、2人は自身の存在を忘れてしまうほどの大いなる歓喜の渦の中で恍惚となり、お互いに意識の融合が起こり始めたのを知覚した。そして、唐突に2人の意識は分離すると同時に相手を見失った。  後にはいいしれない寂寥感が残り、ソウキチは光の薄らいで行く世界を彷徨った。虚しくキキョウを探し求め続ける中に、岩山を頂上目指して登っているおのれに気づいて驚愕した。辿り着いた眼前に、岩石を刳り抜いた二階建ての住居があり、一階には砂が押し寄せて入り口を大方ふさいでいた。砂をかき分けて住居に入って行ったソウキチの眼前に、半ば砂に埋もれた奇妙な形状の器械があった。  薄闇の中に、その器械が発する時報が静寂を破って轟いた。ソウキチは砂を両手で掻き除け、時報を発している変形した時計を掘り起こした。時を刻む耳障りな音が反響し、辺りの薄闇が後退していって夜明けがやってきた。目が覚めると同時に、おのれが何処に居るのかが分かり安堵した。前夜、強かにラム酒を呑んでいつ の間にか酔い潰れてしまったのだ。にも拘わらず、何時もの習慣からきっちり着替えを済ませ寝室で寝ていた。枕元に置いた腕時計の遠隔操作ボタンを押して、壁に埋め込んだ目覚まし時計の時報を切った。  寝室を出て居間へ行ってみると、ソファーの横にあるサイド・テーブルに、ラム酒の空になった瓶とグラスが置いてあった。昨夜は、二瓶のラム酒を空けたことになるが、それにしては宿酔いにもならふつかよず爽快そのものだった。そこで、夜中の幻覚とも夢ともつかない体験――キキョウとの意識の共有感覚が、如何に強力だったかを憶い出した。それは肉体を超越した快感、歓喜に近い凡ゆる夾雑物を排除した一体感だった。  居間のカーテン越しに眼下を見下ろしたソウキチは、見渡す限り腐乱死体を想わせる、どす黒い黄色一色に染まっているのを見て跳びのき、洗面所に駆け込んで前夜に呑んだラム酒を大量に嘔吐した。アルコールと胆汁の混合した嘔吐物はどす黒く淀んだ黄色をしていた。鏡を覗きこんだソウキチは、あまりにも違った顔がこっち を凝視しているのに驚き、想わずのけぞってしまった。よくよく見ると、それはおのれの顔なのだが、眼球が異常に大きく膿み爛れていた。その時、「感染」の二文字が頭の中を、よぎったのを《夢現|ゆめうつつ》に意識しながら深い眠りに就いた。  ソウキチは砂の中から奇妙に捻れた器械――時を刻む器械を取り出して眺めている自分に気づいた。文字盤上を長針、短針が目まぐるしく逆回転を繰り返し、時間の流れが逆行しているのを想わせた。  「新兵器の使用法について、諸君らは十分に会得できたであろう。私からはもうくだくだしく説明する必要はないな。如何なる場合にも、味方に向けて手を翳し凝視しないように、そのことだけはくれぐれも注意して欲しい。手に負えない時には、何時でも支援に駆けつけてくるので無用な心配はせぬよう……では諸君、これで御暇しよう、また会おうぞ」そういうと、機関長は4人の前から忽然と消えた。いよいよ、事態が切迫してきたと想わせる退場ぶりだった。  「おいどうしたソウキチ、顔色があまりよくないようだぞ。何処か具合でも悪いのか?あまり、ストレート・コーヒーやら、度の強い酒精を呑み過ぎないようにな。ま、お互いさまってことなんだが……」ダムロッシュが何時もの皮肉を忘れたか、ソウキチの顔を心配そうに覗き込んだ。  「酒精とは、これまた《仰言|おっしゃ》ったものだな。古風な表現を知っているとは、流石というかジェトルマンというか。これは失礼、心配してくれているダムロッシュ殿に俺としたことが……」いささか戸惑ったような表情で、そう応えるソウキチは内心では冷や汗を掻いていた。一体全体、時間の流れが狂ってしまったのか、それとも自分自身が錯乱状態に陥ってしまったのか分からずにいた。ソウキチはおのれの精神状態を怪しんだ――機関長が説明している間に違った時間軸に迷い込んでいたのだろうか?  「お互い、他言できないような体験をしてきているんだ。なにもソウキチだけが苦しむことはないぞ」このところすっかり無口になってしまった、元々饒舌なトラークルがぼそりと呟くようにいった。  「そうとも、独りで悩んだり苦しんだりする必要はない。おれ達は一心同体、いうなればお互い気心の知れた四つ子のようなもんだ」普段は無口なデジェーにしては明けっぴろげな言い方で、落ち込んでいるソウキチを励ました。  「ありがとよ、いつも三人に励ましてもらって、おれは何とお礼をいっていいやら……」ソウキチがいい終わるか終わらない中に、三人は次々に地下3 3階分析室から姿を消した。何かが彼らを駆り立てているのか、単なる気紛れなのかは遠からず判ることだろう。事態が切迫してきているのは確かだし、ソウキチの幻覚とも夢ともつかない戦闘体験が、三人を大いに刺激したのは紛れもない事実だった。 十二  ソウキチは、地下3 3階分析室から地下1 4階に戻り、何時も通りに日常の作業をこなした後、モータサイクルを駆って歓楽街に出かけた。もちろん、幻覚とも悪夢ともつかない戦闘体験が、実際に起ったのかどうかを確かめるためだ。いつもなら、路上に若い男女が屯ろして喫煙したり飲料を飲む姿は、ゾンビやヴァンパイアにしか見えなかったし、蠱惑的なネオンの照り返しが毒々しい光を辺りに散乱させ、路上に屯ろする若者ばかりか行き交う連中までが、なにやらおどろおどろしかったものだった。  だが、今宵は歓楽街全体がひっそりと静まり、屯ろしている若者や通行人からは凄まじいまでの敵意は伝わってこなかった。想像していた以上の違いように、ソウキチはいささか拍子抜けした。しかし、却って強烈な違和感を察知するに到り、恐怖に近い感情の込み上げてくるのを覚えた。なにかが起こる前兆か、それともすでに起こってしまった後の束の間の休息なのだろうか。そうだとするなら、油断せずに身構えながら様子見をするしかない。  ソウキチはモータサイクルを駆って、例の廃墟に近いビルディングの立ち並ぶ裏通りに行ってみた。ひっそり閑とした表通りとは異なり、なにやら這いずり回る音というか震動が伝わってきた。エンジンを絞って、なるべく音を立てないようにしながら、最初に黒尽くめの獣連中が襲ってきた雑居ビルに近づいて行った。地獄の底からでも吹き上げてくるような異臭が鼻をつき、ソウキチは想わず咳き込み、その拍子にエンジンを噴かしてしまい、猛然と空き地に向かって突進、その瞬間に浮遊感覚が襲ってきた。  足下を見下ろしたソウキチの眼に、黄色く淀んだ沼地のイメージが飛び込んできた。一方の眼で足下を見下ろし、他方の眼で前方を睨みながら深淵を飛び越え、廃墟ビルを危ういところで躱して着地し急停止した。モータサイクルから降り、深淵の縁に近づいて下を見下ろし、ソウキチは想わず悲鳴に近い驚きの声を上げてしまっ た。何もない空間の向こう側に、ダイアモンドのように星の輝く天空が広がっていたのだ。あのどす黒く淀む黄色がかった沼地のイメージは、いったい何処から生まれてきたのだろうか。  そのとき後ろに人の気配がして振り向いたソウキチの眼前に、ダムロッシュ、デジェー、トラークルの3人が近づいてくるのが見えた。  「やあ、だいぶ驚いたようだな。おれ達も最初は、おまえに劣らず驚いたぞ。なにしろ、最初に描いたイメージが増幅して、予想外の結果になってしまったのだからな」普段は無口なデジェーが、晴れ晴れとした表情で、まだ驚いたままのソウキチに向かって話した。  「最初おれたちは、ソウキチが無意識に描いた黄色のイメージが、原子の崩壊を意味しているのではないだろうかと考えたんだ。当てずっぽうだったんだが、結局はそれで間違いではなかった」そう自信たっぷりに話す、一見したところ紳士風なダムロッシュだったが、なんとなく意気消沈しているようにも見えた。  「身体の一部になってしまったこの新兵器には、どうも当人の人間性が現れるのだろうかな。おれにはとても殺人ができそうもない、なんとかして血を見ずに済ませられるなら……そう想っていたのは確かなんだが」 ソウキチは最悪な事態を避けようとして、今回のような結果に到ったのをおのれの責任と考えざるを得なかった。血を見ないで済んだことは確かだが、ひょっとしたらもっと悪い結果を招いてしまったのではないか――そう想うと、またアルコールに溺れてしまいそうだった。  「おいおい、ソウキチともあろう快男児がアルコールに逃避してはいかんだろう。ホットなストレート・コーヒーでも飲んで気を休めろ。なにも、おまえだけの責任ではないぞ」トラークルが、ソウキチの心理を見透かしたかのようにそういった。いつもなら、話し始めたら止まらない饒舌なトラークルにしては、言葉かずは少ないが、今のソウキチにとっては有り難くも的確な助言だった。  「そうだな、アルコールはやめておいて……そのかわり」そこまでいうと、ソウキチはキキョウの優美な肢体を頭の中に想い描き、「トラークル、親切心にはとても感謝しているが、もう俺の心の中を読むのをやめてくれないか」そういいながら、ソウキチは相手を凝視しそうになり、危ういところで眼を逸らしてあらぬ方を見た。  「了解した……悪気があった訳ではないのを分かってくれ。只もう心配だっただけなんだ。おれには一つちがいの弟がいたんだが、親密になって話す機会が殆どなかったために、どれだけ苦しんでいるかを理解してやらず、みすみす死なせてしまった」  「そうだったのか……おれのいったことは忘れてくれ。心配かけてすまないと想っている。もう大丈夫、自分の仕出かしたことについて、余計な悩みをしないことにした。すべて、天の命ずるままに行動する覚悟はできた」  「もう悩んでなんていられない。おれたちは結束してかからないと……戦闘はまだ始まったばかりだからな」  「敵勢力がどの程度なのかも分からないし、結束してかかろうぜ。反撃を喰らったら、今度はこっちが敗走するかも知れないしな」  「そういうことだ。油断は禁物、最初が上手くいったからといって、これからも勝ち続けるとは限らない」  「おれ達は最強の兵器で武装した、最強の戦闘員だってことは確かだ。恐れることなくかかれば、敵を殲滅するのは不可能ではない。なにしろ、いざという時には頼りになる味方が待機してくれているのだからな」  「そうとも、恐れる必要など微塵もない」  4人は銘々、自分に言い聞かせるように話し、互いを鼓舞し合って勇気を奮い立たせた。通常の軍隊でいうなら、彼らはこれから訓練で徹底的にしごかれなければ、使いものにならない初年兵も同然だった。社会経験はあるとはいうものの、敵を相手にして生死を決するのだ。スポーツで対戦相手を倒すのとはわけが違う。戦うからには、必ず勝たなければ戦う意味はない。そこが、スポーツとはまったく違うところだろう。  「ところで、お互い《交際|つきあ》ってる相手がいることだろうし、ここらで最後の盃ではないが会っておいた方がよくはないかな?」ダムロッシュが古い表現を使い、他の3人の方を向いてニヤリと笑った。  「酒精とか別れの盃とか、日本古来の表現を知っているんだな、ダムロッシュ」普段は無口なデジェーが、何時もよりさらに言葉少なにそう呟いた。  「日本古来だなんて、日系のおれでさえ知らない表現をどうして知ってる?」怪訝そうな表情で、ソウキチは2人を交互に見やった。  「それは、おれ達白人世界では、日本の研究が盛んだった一時期があったからなんだ」そういいつつ、トラークルは一同の表情を伺い、「おれたちの立ち寄り先、特に親密に交際っている相手の住居周辺に結界……」と言って黙りこんでしまった。  「なんだなんだ、結界を張ってくれていると……機関長からメッセージが届いているではないか」ソウキチはそういって、安堵の表情を見せて眼を輝かせると《相好|そうごう》を崩した。  4人の脳裏には交際相手の姿がチラつき、それと同時に機関長がすべてを、見透しているのに今更のように驚嘆した。 十三  束の間の寛ぎだったが、キキョウ、ソウキチ共々、両親公認下でのいささか照れくさくも楽しい一時をすごした。ソウキチはキキョウの、想わずはっとするような艶然たる笑顔を憶い出し、敵との戦闘中にも拘わらず独り遠くに眼をやって考えに耽った。他の3人がその時のソウキチを見たら、大和系民族というのは何万年すぎようが、武士の魂を失わないものなのかと妙な誤解をしたにちがいない。  敵の反撃は凄まじく、4人の装備する新兵器をも凌ぐほどに戦闘は熾烈を極め、戦火は地上のみならず天空にまで拡大した。通常兵器はもちろん核兵器を超える強力な兵器まで登場、予め結界を張ってある地域にまで深刻な影響をおよぼしはじめた。異星人をも巻き込む、正真正銘の「ハルマゲドン」――最後の決戦に突入した のだ。  一惑星をも造作なく破壊してしまうほどの、狂気じみた兵器を敵味方両軍とも戦闘に投入した結果、太陽系第3惑星「地球」は、軌道をふらつきながら太陽の周囲を回り、分解消滅はもはや時間の問題という深刻な状況に陥っていた。従来の均等な軌道は、遠日点が伸びるにしたがい、近日点の方は極端に小さくなり、極寒と灼熱 の地獄を地球にもたらした。  味方の戦力は敵以上に絶望的なまでに低下、いたずらに戦死者を増やし続け、強力な結束力を誇る4人にも戦死者が出てきた。一寸した油断から、まずゲーザ・デジェーが、続いてフランツ・トラークルが敵の銃弾に斃れた。敵が持っていない高度な新兵器を装備していながら、過剰な優越感から敵の狙撃を許してしまったのだった。  「敵が狡知に長けた油断ならない連中なのは、2人とも薄々気づいていたはずなんだがな。いまさら、嘆いてみても始まらないが、どうして過信してしまったのだろうかな」いまにも泣き叫びそうになりながら、ダムロッシュは全身を震わせながらソウキチに話しかけ、うなだれてその場に屈みこんでしまった。  「うむ、俺はむしろ俺自身が過信したばかりに、2人を死なせてしまったような気がしてならない。もちろん、俺たちには新兵器への絶大な信頼感があったし、絶対死なないという過剰なほどの自信があった。とくに、おまえと俺にはトラークルやデジェー以上の……」そこまでいうと、ソウキチはこみ上げてくる感情の激発を抑え込もうとして話しやめ、顔をそむけると全身を強張らせた。  「ソウキチ、煙草を持ってないか?禁煙してからもう随分になるが、久しぶりに喫いたくなった」  「あるとも、紙巻煙草も……久しぶりならいっそのこと、葉巻でも吹かしてみたらどうだ。まだ、結構な本数を確保してあるからな」そういいながらソウキチは、戦闘スーツの内ポケットから葉巻を取り出し、2本の中の1本をダムロッシュに手渡した。2人は戦闘の合間を縫って葉巻を吹かし、束の間にすぎない休息に安らぎを見出した。  それにしても、初めの中は簡単に敵を殲滅できるはずだったのに、地球どころか太陽系全体にまで戦闘が拡大してしまったのはどうしてなのか。香ばしい葉巻の煙を吐き出しながら、どうしてこうなったのか2人は無言で相手を見ながら訝しんだ。心を読まなくても、考えてることはお互い手に取るように分かった。最初、4人に接触してきた司令官、次に現れた機関長は善の側に属する天使なのにちがいない。ならば、敵の側は悪魔の軍団に属しているのだろう。あまりにも単純な構図だが、太古より天使と悪魔は宇宙の何処かで激戦を繰り返してきたのだ。  中世紀、ヨーロッパ大陸はフランドルなる国の版画家、ブリューゲルの描いた天使と悪魔の戦う図は、悠久の時を超えた未来である現代の、星間戦争を描いたとしか想えない。ブリューゲルは、何処からそのような発想を得たのだろうか。偉大なる版画家ブリューゲルは、遥かな未来までをも見透す幻視者でもあったのかも知れない。  ダムロッシュとソウキチは葉巻を燻らせながら、口から吐き出した煙の漂う中に、一瞬ではあったが天使と悪魔の天空で戦う姿を垣間見た。  「おれ達はひょっとすると、天使と悪魔の闘いに狩り出されたのかもしれんな。そう想わないか?」ダムロッシュはそういいながら、微風に舞いながら大気中に拡散して行く煙を眺めていた。  「うむ、おれもいま同じことを考えていたところだ。頭の中に、むかし観たことのあるブリューゲルの一枚の絵を想い浮かべていた……天使と悪魔の闘う」そういうと、葉巻をスパスパ吹かして頭上に眼を凝らした。天空の何処かで今まさに、雌雄を決する最期の闘いが繰り広げられている。何れが勝利しても太陽系は壊滅的打撃を被り、2度と昔に戻ることはないだろう。昔に戻らないだけではない、凡ゆる生命の死に絶えた無の世界になってしまう可能性だってある。  数発の銃弾が下方から風を切って跳んできて、2人の隠れている横を掠めて行って付近の岩石を砕いた。森の中に敵の複数の狙撃兵が隠れ、何時でも狙撃できるように、2人を含む味方の戦闘員を狙っているにちがいない。2人は煙が恰好な標的になっていると気づき、慌てて喫煙をやめ、下方に広がる鬱蒼と樹木の茂った森林地 帯に意識を集中した。  「早晩、おれ達もデジェーやトラークルのように一瞬の油断から、敵の原始的な兵器で斃れないものでもない。2人がかりで、敵の狙撃兵とかやらを探り当てようぜ」  「そうだな、意識を増幅して探り出せたら、惑星ルシファーにでも叩き込んでやろう。あの惑星なら、やつらにとって恰好の死に場所になるだろう」  手頃な岩陰に身を潜め、2人は眼下の鬱蒼と樹木の茂った、森林のなかに意識を集中し精査し始めた。一通り精査し終わり、風に揺れる枝から枝へと意識波で、探りを入れている最中に樹幹の一部に揺らぎを発見した。擬態した巨大な複数の触手が、幹に沿って動く様子が見えてきた。触手の先端に、2 0世紀に普及したライフル銃を握っているのがハッキリ分かる。銃までが樹幹の一部を装い、肉眼では見分けがつきにくいが、意識を集中してみると明瞭になった。  「前方の左手にある巨大な樹木に、複数の触手を具えた怪物が銃を構えて、何処かの標的を狙っているのが見える」  「よしそれでは、あの不細工な生き物を引っ捕らえて、ルシファーの窖に放り込んで二度と出てこられないようにしてやろうぜ」  見るも《悍|おぞま》しい伝説の怪物ヒュドラが、樹幹から九つの頭を《擡|もた》げて、辺りを探るかのように見回し始めた。生体ロボットだろうか、一見したところ本物の生物に見えるが、ギリシャ神話に登場する海蛇の化け物に似せたところから人工の生物にちがいない。以前に、4人がかりで惑星ルシファーに敵を放り込んだ経験を活かせば、2人でも十分にあの化け物に対抗できる。  2人は気取られないよう、ヒュドラが注意を向けていない上方から、統合した意識波を密かに接近させていった。気配を感じて見上げたヒュドラの九つの頭を、巨大な万力で締め上げるようにして捕まえ、遥かな天空に向けて放るとともに、意識をルシファーの窖に集中し、天空に電磁波が乱れ飛び火花が散るのも構わず、強引にヒュドラを六角形の狭い入り口から奥へ押し込めてしまった。  その間、どれほどの時間が経過したかまったく分からない。意識を取り戻した時には、それぞれの家族や兄弟姉妹、恋人の見守る姿を、死んだはずのトラークルやデジェーに司令官や機関長までが、笑顔を向けているのを見上げて驚くおのれに気づいたのだから。 十四  「どうやら意識を吹き返したようだな。どうだ気分は?」トラークル、デジェーが2人の《横臥|よこた》わるベッド風にしつらえた膨らみ――床を迫り上げた急拵えなのは、床と色が同一なのから間違いない――に近づき、ハイタッチの真似事をして顔をくしゃくしゃにしながら無邪気に笑った。  怪物をルシファーに押し込めた直後、天空が真っ黄色に染まって光波や電磁波が乱れ飛んだ挙句、2人は擾乱の中で無闇矢鱈に手足をばたつかせた。天地が逆転したかのような狂風が吹き荒れ、身体が空中に浮き上がって行くのを制御できず、どす黒く変色した重苦しい大気中で、抵抗も虚しく窒息し意識を失った。それからど れだけの時間が経過したか、別次元からでも戻ってきたかのように、2人の記憶には欠落部分が残っていた。  「うむ、まだ完全に眠りから醒めていない気分だが悪くはないぞ。そういうおふたりさんこそ、あの旧式な銃弾で斃れたのではなかったか?」まだふらつく頭を軽く両手で抱えるようにしながら、ダムロッシュ、ソウキチの2人は起き上がって擬似ベッドの端に並んで腰掛け、トラークル、デジェーに負け惜しみをいった。  「ああ、一寸した油断から死ぬ破目になってしまったが、司令官殿と機関長殿の尽力によって生き返った。2人であの怪物を仕留め、ルシファーに叩き込んだのをとくと見せてもらったぞ」碌に戦闘行動も取らずに敵の銃弾の餌食になった残念な想いと、ソウキチ、ダムロッシュへの称賛の念とが、複雑に入り混じった表情で、トラークル、デジェーは応えた。  「おれたち2人の力だけでは、到底かなわなかっただろうと想う。司令官殿、機関長殿による加勢がなければ……」伝説の怪獣ヒュドラに等しい生体ロボットに対抗するのは、2人が念動力の達人だとしても到底不可能だった。  「ダムロッシュ、ソウキチが力を合わせたからこそ、強大な敵勢力を敗走に追いやることができた。我々は背後でただ見守っていたに過ぎないのだ。よくやった!しかし、これで戦闘が終わったわけではない。敵は戦力を蓄え、これまで以上に死に物狂いになって闘いを挑んでくるだろう」  今までにない険しい表情で語る司令官、機関長の様子から、今回の闘いこそ世界最終戦争「ハルマゲドン」なのに違いなく、こうして一同が会して語り合えるのも、束の間に過ぎないのを痛感した。六人の間に会話の途切れた丁度そのとき、ソウキチの恋人キキョウ、ダムロッシュの恋人で意外と小柄なクルィスティナが近寄ってきて、2人とそれぞれに抱き合い無事を祝した。  キキョウがソウキチと抱擁を交わしながら、ソウキチの耳許でソッと囁いた。「ソウキチさん気づいた?この乗り物、土星に向かって航行中なのですって」そういいながら、キキョウはソウキチに小ぶりな胸を押しつけてきた。  「そ、そうなのか。どうも先刻から、何処かで見たことがあるように想って……」そこまで言って、ソウキチは司令官、機関長との接触場所――地下3 3階の分析室――を想い浮かべていた。  「ソウキチさんったら、意外と鈍感なのね。その通りよ、あの地下33階こそ、いま私たちが乗っているU F Oそのものなのお」といって、キキョウは自分の熱くなった身体をさらに強く、どぎまぎしているソウキチに押しつけてきた。この大胆なキキョウの行動は、いったい何を語っているのだろうか。原初的な感情の《滾|たぎ》り立つのを感じながら、ソウキチはキキョウの今までにない大胆な振る舞いに戸惑った。  あまりにも静かなのに気づいて、辺りをソウキチが見回せば、周囲には誰もおらずキキョウと2人きりになっていた。「おやおや、みんな何処へ行ってしまったのかな?どうもまだ意識が元通りになっていないのだろうか。キキョウ、どうしておれたち2人だけが此処に……」  いままで周囲を取り巻いていた、戦闘仲間やら両親やらがいないのに気づいたソウキチは、一人でキキョウを守ってやれるかどうか不安に囚われ狼狽した。  「まあ、大きな迷子さんのようね。ご両親や友人が見えなくなったところで、いいではありませんか。わたしではご不満?」キキョウはそういいながら、ソウキチに屈託のない表情を見せて微笑み、「さあソウキチさん、わたし達も参りましょ?」といった。  「行こうって何処へ?」なんだかキキョウを相手にすると、こっちはまるで子供にでも還ったような気分になるな……などと想いながら、ソウキチは手を引かれるままに《随|つ》いていった。  以前に目にした日没直前の、砂漠を想わせる光景が前方に広がっていた。それは、司令官や機関長との接触時にしばしば見かけたことのある光景だった。やがて全体がプラチナ色に変じ、上下左右の相対的な位置や距離の把握を不可能にする感覚に麻痺状態になった。一点に立ち止っていながら、周囲が勝手に動いて行く。次いで、球状の移動体に乗り込み、シリンダー内を滑り降りて行くような感覚が襲ってきて、気がついたら何時の間にか奇妙な個室の中に2人仲良く収まっていた。  周囲に人の気配がないところから、ソウキチは個室を連想したが、実際には仕切りも何もない単なる空間なのにちがいないと推測する。空間そのものを屈折させて、光や音の波動が拡散しないよう閉じ込め、閉鎖空間を形成しているのだろう――。いまさら、プライヴァシーの有無を心配したところでどうなるものでもない。気がつけば、キキョウは衣服を脱いで、擬似ソファの上にある、地球でいう布の中に潜り込んでいた。寛いだキキョウの表情から察するに、すこぶる感触のよい布と呼んで差し支えない製品らしい。  ソウキチは衣服を辺りに脱ぎ散らかし、キキョウのくすぐったがるのも構わず布の中に滑り込んだ。それからの数十分、数時間は無重力空間での夢の様な絶頂感の連続だった。実際には、束の間の快楽であったかも知れないが、2人にとっては永遠に等しい天にも登る心地だったろう。キキョウのため息がソウキチの耳をくすぐり、ソウキチの囁きがキキョウの耳をくすぐり、けだるい快感に何も考えず性的な欲望の中に埋没して行った。  2人が夢現の中で互いを確かめ合っている間に、どれだけの時間が過ぎて行っただろうか、気がつけばソウキチは何時の間にか天空を駆け巡る戦乱の真っ只中にいた。地球の軌道に乱れが生じ、灼熱と極寒の世界が目まぐるしく変転し、敵味方が入り乱れる中で4人の戦闘員は結束して闘った。何時の間にか、宇宙全体がどす黒く黄色味を帯びた死の世界に変貌し、そして邪悪な勢力が消滅して唐突に戦乱は收まった。  後には圧倒的な静寂と死臭漂う世界が残り、勝利した側にも壊滅した敵同様の疲弊感が浸透していた。正義の側が勝利したとはいうものの、4人の念動力で修復できる程度を遥かに超え、今や宇宙そのものが死に体同然の状態に陥っていた。地球が元通りになるかどうか、本当の正念場はこれからやってくるのだ――4人は同時に同じ認識を持った。日没間近な砂漠の光景から一転して、方向感覚を失わせるプラチナに近い金属色の空間が辺りを満たし、眼前に司令官,機関長の他、最終戦争に加わった大勢の戦闘員が現れた。  「今回の戦争こそ宇宙全体を巻き込む、最終戦争であったのを認識されたことと想う。勝利したのは確かではあるが、しかし楽観視してはいられない深刻な状況に陥っている。どうか諸君、今後は銀河系全体の修復のために、今いちど起ち上がって頂きたい」司令官は相変わらず、性別を超えた中性に近いバリトンで、集結した戦闘員に向かってそう告げると機関長に目配せした。  「只今、司令官が話された通り、銀河系全体の復旧にかからなければならない。まず、太陽系がもっとも被害甚大であるので、地球軍の諸君らは地球の修復から手がけて頂きたい。手に負えない部分については、我々が協力するので安心してくれて結構である、以上」といいながら、機関長は大きい図体を古代の日本式挨拶で締めくくった。 十五  宇宙考古学者の説によれば、太陽系内の複数の惑星上、特に火星ばかりか地球にまでも、古代核戦争の痕跡が見つかるという。古代インドの2大叙事詩『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』に登場する神々の戦闘場面には、核戦争を彷彿とさせる、強烈な光と熱を放つ「アグネアの矢」――神々すら恐れる、核兵器を超える究極の兵器か――の描写がある。  人類が太古より数限りない戦争によって滅び、蘇ってきたのは遺跡に記録が残っている以上、否定し難い事実だった。今回の最終戦争で決着がついたのなら、無益な消耗戦は未来永劫に《亙|わた》って起こらない――生き残った人類の切実な願いは果たして実現するだろうか。  太陽系の修復作業は困難を極め、何時果てるともなく続いた。しかし、幸いにも土星の衛星タイタンは、核兵器による攻撃から免れ、生き残った地球人類はそこに基地設営を急ピッチで進めた。ドーム状の密閉した居住空間の中に、銘々に適した聚落を形成、一般の人々は修復作業に従事する元戦闘員全員の後方支援に回った。  地球の直径一万二千七百四十二キロメートルに対し、五千百五十キロメートルのタイタンは、地球の半分にも満たない小さな衛星ながら、気候が地球に最も似通っており住むには適していた。  極端に狂ってしまった地球の周回軌道は、少しづつではあったものの元に戻り始め、極寒と灼熱の過酷な環境から脱しつつあった。だが、人類がふたたび地球に住めるようになるのに、何世紀を要するか想像すらつかなかった。修復作業が完了するまでは死に絶えた惑星のままだろう。  地球周回軌道上に作業用ステーションを設置し、そのステーション内で放射性物質の除去装置を組み立てるのだ。次いで、遠隔操作によって装置を地球に送り込み、荒廃してしまった陸地や汚染いちじるしい海洋を、元に戻さなければならない。  運がよければ、わずか数世紀の間に住環境が整い、入植可能になるかも知れないが、計画通りに進捗するかどうか――。絶望的といっても過言ではないほどの荒廃ぶりだった。それでも、地球の少ない生存者は未来に希望を抱き、命取りにもなりかねない過酷な修復作業に取り組んだ――永遠なる平和を願いつつ。  今回の最終戦争終結後、4人の前にしばしば登場した司令官、機関長はふっつりと姿を現わさなくなった。それと同時に、ビルディングの地下3 3階そのものがU F O と判明して以来、土星の衛星タイタンに地球の生存者を護送した後、U F Oは司令官、機関長ともども姿を消した。  4人が互いに知ることなく同一の研究部門に所属していたビルディングそのものが、異星人の設営した地球上の基地だった訳だ。最終戦争で基地そのものが敵の攻撃に遭って消滅してしまった今、異星人は別の惑星に新たな基地を設営した可能性はある。  ソウキチ、ダムロッシュ、トラークル、デジェーの4人にとって、それまで頼りにしていた庇護者を失った精神的喪失感は幼児期以来の経験だった。とはいえ、ソウキチの弟妹はもとより両親も無事のみならず、他の3人の親兄弟姉妹も生存が確認でき、ほどなくして再会できたのはなによりだった。設営隊による3交替制での居住ドームの建設は、異星人の助力もあり支障なく進捗、タイタン上に巨大なドームが矢継ぎ早に出現した。  4人の処遇については、正規軍内で賛否両論が入り乱れ、最終的には放射性物質除去部隊に編入ということで結着をみた。軍隊内での厳格な身体検査の結果、4人は異常とも想えるほど放射性物質への耐性を具えているのが明らかになったからだ。それは、通常の食物を摂取するよりも、太陽が降り注ぐ強烈な放射光をエネルギーとして、体内に取り込む特異な体質から判明したことだった。  ほどなくして、数あるドームの中でも比較的こじんまりとしたドーム内に、仮住まいしていた4人にしかるべき部隊に出頭せよとの通知が届いた。今時、文書の形式で出頭命令をよこすとは、どれだけ時代遅れの頑固者が担当部署を取り仕切っているのだろう――4人の間でしばらくはそれが話題となった。いずれにしろ、放射性物質を除去するには一筋縄ではいかないだろうから、当該部隊の部隊長が如何なる人物なのかを、とくと観察できる楽しみが増えたのは結構なことだ。  その文書に、当該部署の所在地を座標で表示してあったのは、4人がテレポート能力の持ち主であるのを見越してのことだろう。ならば、期待通りにやってやろうではないかということになり、次々と仮住まいから、放射性物質除去部隊へとテレポートして行った。しかし、4人の誰もが一瞬ではあったが戸惑いの表情を表わした。以前に何処かで見たような光景が眼前に拡がっていた上に、司令官と機関長さらに大柄な人物が、待ち構えているのに気づいたからだ。  「やあ諸君、しばらくだったな。どうだ、以前のように快活な気分が蘇ってきたかな?」長身の厳つい機関長が、横で笑顔を見せる司令官を差し置いて第一声を発した。  「さて、ここにも一人おるのは諸君らの中におるソウキチの父君、ご本人が乗り気でないのを是が非でも、部隊長を引き受けていただいた」そういいながら、機関長は愉快そうに肩を揺すって笑い、部隊長の方にしゃちこ張った敬礼をした。機関長に劣らず長身の部隊長――ソウキチの父親――が、これまた厳つい風貌に笑みを浮 かべ、4人に向かって軽く会釈をすると話し始めた。  「機関長どののいわれた中、半分は誇張であって後の半分が仰言るとおりわし……元へ、わたしは退役軍人であり、未曾有の危機に臨んでいる地球人類の一員として、微力ながらなにがしかの戦力にでもなれればと考え、隠居の身から現役に帰り咲く機会を与えていただいた。司令官どの、ならびに機関長どのにはまことに感謝に耐えない次第である……こう堅苦しく語ったのでは面白みがないとは想うが、そこのところは適当に解釈いただきたい」年の割にはしゃきっとした姿勢で語る父親の姿に、ソウキチはある種の感動さえ覚え、無意識に拍手しかけたが辺りを見回して想いとどまった。  部隊長の挨拶が終わったのを機会に、司令官が例によって中性に近い声で話し始めた。以前とは違う霊格と入れ替わったかに見える司令官を前にして、4人はなんとなく違和感を覚えながら神妙な面持ちで聞き入った。  「諸君等の活躍により、危ういところであったが、なんとか難局を切り抜け得たのは天命に従ったればこそ。我々の助力が幸いしたと、諸君等は想っていることであろう。がしかし、4人の強力な結束力がなければ、敵側に分があった可能性を否定し難い。結界を張った地域におられた、部隊長を含む諸君等の家族が無事であったのは何よりであった。それと、諸君等の頼りになるモータサイクルを、無傷で回収できたのをこの場で報せ得るのは望外の喜び」といいながら、司令官は後ろに上体を向けた。そこに、ライダーを待つ4台のモータサイクルが光りを放ち、何時でも発進できる態勢にあるのを、目撃した4人は想わず喊声をあげてしまった。  司令官の最後に発した数語は、4人にとって家族の無事を知った時に次ぐ嬉しい報せだった。なかば諦めていただけに、愛車に巡り会えたのは地球人類の生き残りが僅かにも拘わらず、漆黒の闇に一条の光が射したような安堵感をもたらした。彼らの喊声が合図にでもなったか、司令官、機関長、部隊長は敬礼する一同に向けて頷きながらその場から去った。  「驚いたな、あれだけの激烈な戦闘で破壊が半端でなかったのに、モータサイクルが無事に戻ってくるなんて信じられん。いったい、どうやって回収したのだろう。ソウキチ、想像できるか?」ダムロッシュが興奮を隠しきれずに、浮き浮きした声に力を籠めて第一声を発した。  「ふむ、結界を張ってあったのは確かだろうけど、それにしても無傷なのはどうしてなんだろう……想像つかんな。どうだデジェー、なにか想い当たる節でもないか」腕組みをしながら半ば放心状態で、デジェーに訊くソウキチ。  「まるで分からんし……それはさておき久しぶりに乗ってみたくなったな。そこいらをちょいと乗り回してみないか?こういう時に不謹慎かも知れんが、短時間なら何処からも叱責は出てこないだろう」そういいながら武者震いをするデジェー、いまにも愛車に飛び乗りかねない様子だ。  「やめておいた方が賢明だぞ、デジェー。現在は非常事態の真っ只中なんだし、いつなんどき緊急に呼集がかからないでもない。上官の意向は天の命令だろうし……そうだろうソウキチ?おれたちは新米戦闘員でもあり、常時待機していなければならない」トラークルのその一声で、モータサイクルに向かって突進しかけていたデジェーは踏みとどまった。  そういった4人の遣りとりから間もなく、部隊に地球への派遣命令が下り、少しばかりの待機時間内に一同揃って愛車を乗り回せたのは幸運だった。地球上にどんな事態が待ち構えているかを想像するまでもなく、モータサイクルを持ち込むなどどだい無理なのは明らかだし、家族や恋人にしばしの別れを告げるついでに保管を頼まざるを得なかった。しばしの別れが永遠の別れにならないよう祈るしかないのだが――。[完]
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