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現在編・序③―前へ①  《古月|こつき》自身が《国主|こくしゅ》に関して知っていることといえば、歴史学の一端であったり、政治学の一端であったりと、義母からの学びの範囲を出るものではない。  国城内部に入ったのも生まれて初めてのことだし、悟の説明によれば、東西南北に四つの殿があるとのこと。  土地勘のない自分が一人で無闇に室外に出るのは、得策ではないと言えた。  それに何より、今いる場所は、城内に士官している他の人達の居住区でもあるのだ。  自分の姿を見られたりしたら、昼間以上の大騒ぎになる。  そうなったら、また、自分ではない人に、迷惑がかかる。  あの人にも、迷惑がかかってしまう。  だから古月は、布団の上ではなく、陽射しの入ってくる襖の陰に座り直し。  襖をほんの少し開けるだけにしておいて、夕焼けから夕闇に光の色が変わるのを、膝を抱えてじっと見ていた。  あの人、嘘を言うような人には見えなかった。  わたしのことも、真正面から見ても、それでも驚いたりもせずに、蔑んだり罵ったりもせずに、《××××|化け物》とも呼ばずに、お爺様につけて貰った名で、ちゃんとわたしのことを名前で呼んでくれた。  わたしのことを、わたしでいいのだと、わたしだからいいのだと、悟や《間宮|まみや》の人達と同じように、そう言ってくれた。  あの言葉は、嘘なんかじゃないと思う。  わたしに笑ってくれたのも、きっと、嘘なんかじゃない。  また、会えるかな。  もう一度、会えるなら、会ってみたい。  でも、会って、何を話したら良いのだろう。  お爺様と話す時も、お義母様やお義父様と話す時も、わたしから率先して話をしたことが、今までにほとんどない気がする。  詩織さんや《間宮|まみや》の人達は、いつも自分から色んな話をしてくれるから、話を聞くことは多分出来るだろうし、相槌ぐらいは打てるだろうけれども。  悟はその場その場で必要以上のことは、自分からは滅多に話さない性格だから、その点はあまり参考にはならない。  会ってみたい。話をしてみたい。 でも、何を話せば良いのだろう。  何を話したら、嫌がられないんだろう。 「────ま。《古月|こつき》様。遅くなって申し訳ありません。《夜霧|やぎり》様からの言いつけで参りました。悟さんから、暗い所と唐突な大声が苦手だという話も既にお聞きしております。明かりをお持ちしましたので、宜しければ中に入れていただけませんでしょうか」  挨拶と同時に、襖の隙間から、明かりの灯された火受け皿が室内に置かれる。  気付けば、思考に浸っている間に外から射し込む光は大分仄暗い。  小さな明かりでも、《古月|こつき》にとって、安心するには十分な明るさだった。  おそるおそる《古月|こつき》が襖を開くと、廊下に正座したままの女性が、微笑んで返事を待っていた。  腰まで垂れている真っ直ぐな黒髪がとても綺麗な人。  以前義母に見せられた、《古月|こつき》からすれば何枚も重ね着をして、動く時に重くないのかなと感じた、女官服を着崩れもなく身に着けている。 『城内に詳しい同性の者を寄越す』とあの人が言っていたのは、この人のことかもしれない。  悟と直々に話をするぐらいだ、この人も位は高いに違いない。  《古月|こつき》が首を短く縦に振ると、女性は室内に入ってきて、幾つかある灯篭にも同じように火を灯した。 「あ、あの、様付けはなくて、その、大丈夫、です。わたし、あの、その」  ぽつりぽつりと、最早言葉になっていない《古月|こつき》の声も、女性は黙って最後まで聞き、《古月|こつき》の正面に正座し直すと、再度微笑んだ。 「では、《古月|こつき》さんとお呼びしますね。ご挨拶が遅れました、私は《原田奈々|はらだなな》と申します。悟さんと同じく、《夜霧|やぎり》様直属の側近の一人です。私の事も、どうぞお気軽に様付けなしで呼んでください。実は側近がもう一人いるのですが、その子は諸事情で少し遅れてくるみたいです」 「えっと、その、奈々、さん。《国主|こくしゅ》様から…………その、わたしのことを命令されたから…………だとは思うのですが…………あなたもその」 「何でしょうか?」 「その、わたし、こんなだから、あの、えっと、その」  《××××|化け物》だから、嫌じゃないですか。  その台詞は何度となく頭の中で反芻していても、いざ自分の口から言おうとすると、今回は言葉にはならなかった。  何故言えないんだろう。  わたしは皆とは違う、違う生き物だから、そう思って、ずっと生きてきたのに。  自分は《××××|化け物》だって、何で今更になって、言えなくなってしまったんだろう。  何も変わらないのに。  わたしが《××××|化け物》であることは、皆と違うことは、変わらないのに。  どうして、言えなくなってしまったんだろう。 「だーもー! くっそ忙しい時に騒ぎ起こしたど阿呆共を後ろから蹴り飛ばしたいっちゅーねん!! あーくっそあいつら、もう絶対に許さへんからな、次に南で見かけたら水ぶっかけて追い返してやる」  奈々とは違う女声と荒々しい足取りが近付いて来ると、襖が外からがらりと勢いよく開かれた。  顔を覗かせた女性は、奈々よりも大分動きやすい服装をしており、上着の袖口も肘まで捲られ、束ね糸で落ちないようにされている。  項程度で切りそろえられた短髪と日に焼けた肌の色、そして意思の強そうな瞳が印象的な人だった。 「《千里|ちさと》ったら。お客様のお部屋に入るのに、いきなりそれはないでしょう。《古月|こつき》さんだって、状況が飲み込めずに目を白黒されていますよ」 「んあ? あ、ごめんごめん、本来の目的をすっかり忘れとったわ、ごめんなー《古月|こつき》」  千里と呼ばれた女性は、最初から呼び捨てに敬語なしときた。  だが彼女の独特な口調と、纏っている雰囲気は、決してこちらを邪険にしようとしているわけではないようで。  奈々の隣に腰を下ろした時も正座ではなかったので、まるで正反対な二人だなと、《古月|こつき》は改めて思った。 「うちは《柏原千里|かしわばらちさと》な。口調は、元々の生まれの国が違うから堪忍しとって。それにしても、《夜霧|やぎり》様も言うとったけど、ほんま硝子細工みたいに綺麗やね、《古月|こつき》は。ええなぁ、うちなんて南の暑い国の生まれやけん、日焼けしまくった肌がこの国に来ても染みついてこのままやもん」  綺麗。  同じ台詞を言ってくれた先の人物のことをふと思い出して、《古月|こつき》は胸の中で一つ、鐘が打つのを感じた。 「で、何の話してたん、二人で」 「《古月|こつき》さんが何かを言いかけてらした所に、千里が飛び込んできたんです。それで、《古月|こつき》さん、お話の続きは」 「あ、えっと、その、あの、」  上手く言葉に出来ない。  言えなくなってしまった理由も、今しがた胸が鐘を打った理由も、《古月|こつき》本人にもよく分からない。  だから、何て言えばよく分からない。  それが本音だ。  その時、くぅ、と、《古月|こつき》の腹が小さな音を立てた。 「────!」  《古月|こつき》が慌ててお腹を押さえたが、もう遅い。  身体は正直だ。  二度目の空腹を告げる音に、奈々と千里が揃って笑みを零した。 「頃合ですし、夕餉に致しましょう。きっと《夜霧|やぎり》様もお腹を空かせてお待ちでしょうから」 「そうやで、腹が減っては戦が出来ぬと言うしな。今の時間なら、他の皆も大半が夕飯の時間やから、外に出ても何も心配することはないで、《古月|こつき》。さー飯にしよ飯」 「は、はい」  先に千里が部屋を出ていき、火受け皿を手にした奈々に背中を軽く押されるようにして《古月|こつき》は廊下へと出た。  赤い欄干が道なりに連なっている廊下には他に人気がなく、ふと見上げた夜空には、屋敷で見るものと同じ月が、騒めく木陰から隠れて見えた。                ────────  道すがら、二人が話してくれたのだが、《北方殿|ほっぽうでん》は《国主|こくしゅ》一族の居住区とのこと。  日中帯は《国主|こくしゅ》の仕事場も兼ねているので、そこそこ人も訪れるが『特定の部署並びに超過勤務を申し出た者以外は、就労時間は夕食が提供されるまで』という決まりがあるらしく、朝夜は許可を得た者しか殿自体への立ち入りは許されていないらしい。  そんな所に自分が入って良いのかと悩みつつも、《古月|こつき》が先導されながら入った広間は小さかった。  既に上座に座っていた《夜霧|やぎり》は、奈々や千里を労う言葉をかけてから二人の報告を聞き、幾つかの対応策を伝えると、それで前座は終わりだったらしい。  丁度よく厨房の者が運んできた夕餉の膳が上下左右、それぞれの前に置かれると、三人揃って手を合わせて食事の挨拶をしたので、慌てて《古月|こつき》もそれに倣った。  《間宮|まみや》の屋敷でも『食事は食物そのものに感謝をして、作ってくれた人に感謝して食べるもの』と、食事中は必要最低限の口を開かない雰囲気で躾られてきたので、時折三人が何か話すのを黙って聞いているぐらいで良いのが、今は有難い。  暫くして皆の膳が空になった頃合に、また厨房の者が現れて膳を片付け、食後のお茶とお茶請けを置いていった。 「────あ」  菓子皿に乗っているのは、数粒の金平糖だ。  青、黄色、桜と、星型をしたそれを見て、思わず《古月|こつき》は笑みを零した。 「《古月|こつき》は金平糖が好きなの?」 「はい。昔、お義父様に読んでいただいた詩集の挿絵が、星型の金平糖だったんです。とても綺麗な挿絵で。それを見てから、まるで本物のお星様が掌に落ちてきたらこんな感じなのかなって思っていて、それなら、とっても可愛いなって思っていて」  《夜霧|やぎり》の問いに、今度は、すらりと言葉が出た。  だが、あまりにも子供っぽい理由なことに思い当たり、また変なことを言ったかなと、《古月|こつき》がおずおずと上座に視線を向けると、《夜霧|やぎり》は笑っていた。 「そんな風に考えた事はなかったけれども、確かに空から落ちてきた星に似ているから、作った者もきっと、こんなに綺麗な形の物にしようとしたんだろうね」  とくん、とまた、《古月|こつき》の胸の中で、鐘が一つ鳴る。  この人は、わたしの話を最後まで聞いてくれて、それでも尚、子供っぽいとか、馬鹿馬鹿しいとか、無下にしたりせずに、ちゃんとわたしのことを肯定してくれる。  昼間言ってくれたあの言葉の数々は、わたしがわたしでいていいのだということは、やっぱり嘘なんかじゃ、なかったんだ。  わたし、わたしでいて、いいの、かな。  再度かち合った視線を受けることが出来ずに、思わずそっぽを向いてしまった《古月|こつき》の中で、じんわりと温かいものが広がった気がした。
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