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一  《石郷岡喬一|イシゴウオカ・キヨウイチ》、《松原真之介|マツバラ・シンノスケ》、《沓掛孝次朗|クツカケ・コウジロウ》の3 人は、好奇心旺盛にして怖いもの大好きな高等理学学院理学部に在籍する学生だった。  似たもの同士の彼らは、幼い頃からホラー小説、ホラー映画にのめり込み、幽霊屋敷や心霊スポットの探検に首を突っ込んできた。普通の理系学生にそこまでどっぷり浸かる物好きはいなかったが、この世に生を受けて以来、想像力逞しい3 人は規格外の学院生だった。  幼い頃に観た古い映画『ヘルハウス』に登場する、物理学者が屋敷に機材を持ち込み、幽霊の正体を暴こうと奮闘する様子に興奮した。邪悪な霊体を究明する冷徹な科学的手法に、キョウイチはもちろん、シンノスケもコウジロウも拍手喝采したものだった。最後に悪霊の正体を暴いたのが、物理学者に同行した物理霊媒師だったのは、ちょぴり不満ではあったが― ― 。映画鑑賞後に興奮して、感想を語り合ったりしたのが、懐かしい思い出になった。  中等学科時代はそれぞれ別の学習コースに進級、一時的に音信が途切れた。数年して偶然にも、学院で互いを見つけるにおよび、再会の喜びも束の間、心霊スポットの話題で活気づいた。  「インターネット上の某サイトに、いつ頃とも知れないほど古びた、空恐ろしい幽霊屋敷の話題が載っている。それが今、ホラーオタクの間でちょっとした話題になってるんだ。厄介なのは、誰でも近づける観光地に在るわけではないということ」開口いちばん、コウジロウがとっておきの話題を持ち出した。  「ああ、その話題なら知ってるぞ。幽霊屋敷といっても単なる家屋ではなく、城砦かなにかのように途方もなく巨大な建築物だ。全容が分かりにくいので、余計にオタクらの想像を刺激するらしいな」自信満々の表情をしているコウジロウに向かって、シンノスケ、キョウイチの2 人は同時に応えた。  「なんだ、2 人とも知っていたか。会話を盛り上げるのに、丁度よい話題を見つけたつもりだったのにな」  「そうガッカリすることはないぞ。久々の話題に相応しい幽霊屋敷のお出ましだ」 「都合がついたらってことだが、間もなくやってくる秋季休暇を利用して探検に出かけようじゃないか。それぞれに都合がつかなければ次回ってことにしてもよいし」  「お互い、《交際|つきあ》ってる相手がいるなら、今から予定を告げておいた方がよいだろな」  「両親、兄弟、姉妹にはもちろんだが、交際相手にも予め言っておくのはそう難しくはないさ」  「もちろんだとも。口実はいくらでもひねり出せる。まるっきりの嘘をいうのではないから気にすることはない」  「フィールドワークなら尤もらしい口実になるぞ」  「そうとも、理系の強みはそこにある。器材を担いでゆけば言い訳にはなる。もっとも、あまり重量が嵩んでは探検どころではないだろけど」  「まずは行けるところまで… … できるなら四輪駆動車で行って、後は徒歩で進むしかないな。銘々、モータバイクで行ってもいいけど、野宿を想定するなら積載に余裕のある四輪駆動車が最適だろ」  「まったくだ。並木道ばかりならモータバイクの方が楽しいが、藪だらけの森林地帯をいく羽目にでもなった日には、掻き分けないと辿りつけそうもないだろし… … そうなったら厄介だ」  「そうとして、我々の中で誰が四輪駆動車を用意できるか。問題はそれだ」  「親父が乗りもせずに、野ざらしの儘で放置している中古車があるから、そいつをちょいと手入れしたら、使えるかもしれない。損傷がどの程度によるが」  「そいつは願ってもない、よろしく頼むぜ」  「その替わりといってはなんだが、整備やら修理が必要になったら手を貸してくれ」  「任せておけって、その件なら心配無用だ。ホラー・マニア、モータバイク・マニアの3 人組、がっちりスクラム組んでいざ突撃だ」  理数に強く学業成績優秀な彼らが、なぜホラー小説やホラー映画、挙げ句の果てに心霊スポットになど夢中になるのか― ― 。自身を納得させることもできず、生まれついての性癖としてそれ以上追窮したことはなかった。前世のカルマを引き摺ったまま転生したのなら、いずれ納得のいく回答に《出会|でっく》わすかも知れない― ― そう考えることで解けない謎を記憶の奥に蔵いこんでしまった。  理学学院での彼らに共通するのは、卒論が「科学と神秘学の統合― ― 可能性への一考察」なる主題に、落ち着きそうだということだろう。ニュートンは、一方で科学的な思考力の持ち主であるばかりか、他方では「神秘学」で自明な精神世界に理解を示していた。かの二十世紀の偉大なる科学者・思想家について、これまで 一度も話題にしたことはなかったが、会話を交わす中、論文のテーマが偶然にも一致しているのに、内心では互いに気づいていた。  自然を探求するにしたがって、科学的な理論ではなんとしても解けない謎にぶつかる。科学者として数式で割り切れない精神世界を垣間見るにおよび、ニュートンは自然界への神の介在を想定せざるを得なくなった。  二流の科学者は、持論擁護に固執するあまり、数式の成り立たない世界を無視してきた。しかし、一流の科学者であるニュートンは、無視することで一件落着させてしまう安易な手法に与しなかった。  物理学者は大抵、宇宙は有限であり、有限の彼方には何も存在しないという。科学は「有と無」の定義を不可能と断定し、物質世界をのみ研究対象にして澄まし込んでいる。見えないから有限なのであって、見えているなら無限ということに気づくだろう。一流と二流の違いは、見える世界、見えない世界を同列において考察で きるかどうかなのだ。  「昔の譬えに『幽霊の正体見たり枯れ尾花』というのがあったな。枯れ尾花だろが見つかってよかったとしか応えようがないんだが、実はその枯れ尾花の陰には、実体のある何かが隠れていたのではないかと思うんだ」  「幽霊なる存在の、本当の正体は何なんだろな」  「そいつが分かれば、誰も怖がったりするものか。大気に浮遊する黴の胞子と同じで、気にする奴はいなくなるだろ。実際には脅威的な存在であったとしてもだ」  「ある意味、鈍感になるのも生きる上では必要なことだろ。四六時中、恐怖に戦いていたのでは生きた心地もしないしな」  「幽霊は謂うなれば、素粒子のようなものではないのか。理論物理学者や実験物理学者が、新しい素粒子を発見し、その存在を立証したところで、それが究極の粒子かどうか怪しいものだ」  「巨大な粒子加速器を建造し、新種の素粒子を叩き出せたところで、それで一件落着になるやら… … 」  「結論― ― 幽霊も素粒子も正体不明のままがよい。そうしないと、科学者の研究対象がなくなった時に、困った事態が発生する恐れがある」  「そんなに悲観的に考えなくともいいんじゃないかな。『窮すれば通ず』っていうだろ」  「そうとも、どんどん巨大な粒子加速器を造っては、未知の粒子を叩き出したらよい。人類発展、科学振興のために反対者を抑えて税金投入だ」  「そのための税金投入なら偏狭な一派を除き、誰もあからさまに反対はしないはずだ」  「歴史の語るところによれば、太古の地球には無数に国が存在したそうだ。その時代の地球には、根本的な原因を隠蔽しておきながら、人道的支援が発展途上国の貧困問題を解決できるかのように主張する一派がいたらしい。そいつ等は、利権漁りの強欲者やら働けるのに働かない怠け者を、擁護する詐欺師だったに違いな い」  「人道とか人権とかをやたらに主張する連中は、それだけで何かを企んでいるのではないかと疑われてしまうのに、気づいていたのかいなかったのか… … バレても平気な奴らなのかもしれないな」  「過去の地球というのは想像つかない世界だったんだな。そういった歴史が事実なら、現代のわれわれは理想的な世界に住む、幸運な人類ということになる」  「歴史が事実かどうかは、そう簡単には検証できないだろな。素粒子の世界と似ているかもしれない。表面をなぞっているだけでは、実体は見えてこない」  「考えれば考えるほど、宇宙というのは広大にして深淵、捉えどころがない。いくら知識を蓄積したところで、人間の浅薄な思考では、宇宙の全体像を識るどころか、想像することさえ不可能だ」  「そう悲観することはないだろ。いずれ何もかにも、全てが明らかになる時代がやってくるとも」 二  スウェーデンはバルト帝国出身のエマヌエル・スヴェーデンボリは、レオナルド・ダ・ヴィンチに匹敵する科学者、思想家だった。十八世紀に、顕界と霊界を往来したスヴェーデンボリは、『霊界日記』なる大著を残している。  さらに、十九世紀から二十世紀にかけ、日本に2 人の心霊学研究家が現れ、心霊現象について驚くべき事実を発表し始めた。しかし、生きることに精一杯の時代に、どれだけの人々が彼らの研究を理解できただろうか。  二十一世紀に、合衆国の一脳神経外科医が、それまで、自身がまったく信じていなかった「死後の世界」の存在を主張し始めた。この世界的権威の大転換ともいうべき説は、電子的媒体を通じて一般の人々の間に遍く広まった。だが、幽霊の存在について主張する、勇気ある研究者の声は誰の耳にも届かなかった。幽霊の正体は、悪の限りを盡くしながら、生に執着する往生際の悪い死者の怨念か。それとも、未練を残したままあの世に去った被害者の残像が、幽霊なる現象となって現れるのか。  3 人の理学学院4 年生は、心霊スポットを目指すかたわら、四輪駆動車の中でそれぞれの知識を持ち寄っての討論に余念がない。オンボロ車とはいえ、自動走行できる四輪駆動車であり、運転にさほど神経を使う必要がなかったからだ。  車が激しく上下動しながら走行しようが、知識や考えを互いに披瀝する彼らは一向に頓着なしだ。幽霊の存在を証明できる映像を記録に残せるなら、舌を噛むほどの揺れが起ころうと気にしなかった。  森林地帯に入ってから暫くは走行がスムーズになり、討論が一段落して気が緩んだ直後、車に何かがぶつかる衝撃があった。一瞬ののち、寛いでいた表情は驚愕の表情に、次いで興味津々の表情へと変わった。  話に夢中だったのは確かだが、前方に注意していたのだし― ―ぶつかったのが何であるにしろ― ― 直前に何かが見えなければならない。しかし、3 人の中で視た者は一人もいなかった。ブレーキをかけて急停止し、車から降りてフロントグリルを確かめる。両側のヘッドライトが潰れ、バンパーが内側にめり込んでいた。エンジン部分に影響がなかったのは幸いだが、フロントグリルは今にも車体から脱落してしまいそうだった。  「話すのに気を取られてはいたけど、前方に注意していたのは確かだ。自動走行システムが、警報を発しなかったのはどうしてかな。試運転した時には間違いなく作動したのに」  「それにしても、車の鼻面がぺしゃんこだってのに、正体を示す何物も残っていないのはどういうことだ。撃つかってきたのが野生動物だとしたら、それらしい毛が付着してそうだが。痕跡は何もなしか」  「とにかく、此処で愚図愚図していたのではまずい。日が沈んでしまわない中に、廃墟にできるだけ近づいておく必要がある」  「この状態で動くかどうか試してみよう。損傷してしまったバンパーは取り外すのに手間はかからないが、潰れてしまったヘッドライトは放ったらかしておくしかないな。暗くなる前に目的地に少しでも近づいておこうぜ」  「そうだな。真っ暗になってからでは、自動走行だろが何だろが不安だ」  車は何事もなかったかのように動き、電気系統に不安のあった自動走行システムも作動した。低速で走らせる分には、電力を使い切るまで車は走り続けるだろう。舗装道路が途切れ、車はいつの間にか山道にはいっていた。さすがに、いくら進んだ自動走行システムであろうと、チップを埋め込んでいない山道では自走はできない。キョウイチはマニュアル運転に切り替えた。  日が陰って気温が下がるとともに風が吹き始めた。道路の両脇に生える《拗|ねじ》くれた巨木は、今にも地面から抜け出し、ちっぽけな人間に襲いかかってきそうだ。都会のど真ん中で生まれ育った3人にとって、自然が見せる別の貌は想像すらできない。  それまで穏やかだった自然は、突然、人間に向かって牙を剥いて襲いかかってくる。いわくつきの心霊スポットを目指す都会育ちの彼らが、いくら度胸のすわった若者だったとしても、早々に事故に遭遇してしまったことで内心びくびくしていたのは確かだ。  得体の知れない化けものが跳び出してきたら― ― いつ停止してしまうか分からない車で森の中に分け入り、強がってはいたものの恐怖を募らせていた。  「ある長編S F の中に、幽霊の正体について僅か二、三行だったが、説明した箇所があったような気がする。記憶が曖昧なんだが、太古に存在した大英帝国なる国の有名な作家だ― ― 『触ってみると、手に電気のような感触があった』とか描いてあったな。その作家は実際に幽霊と対面でもしたに違いない」  「では、何者かが電気信号で幽霊を空間に描いたのか。その何者かが問題なんだが、いったい何のために幽霊などという捉えがたい映像― ― そう呼んでも差し支えなければ― ― を我々に示す必要があるんだ」  「意図はなにか… … そこが肝心ってことなんだな」  「知能程度を測っているのではないか? 連中が地球の人類を創ったのであれば、当然、調べてみようとするのではないかな」  「おいおい、イルファン・モルディカイ様のお出ましか? 人類を創世した宇宙人って、どんな連中なんだろな。地球の文明なんぞ到底およばない高度な文明を持っているのだろけど、連中の勝手にさせておいていいんだろか」  「なかなか残酷な一面を持った連中なのかも知れない。連中は善悪で判断するのを、疾っくの昔に止めてしまったのだろと思えるフシがあるぞ」  「幽霊なるこけ脅かしで、我々を試そうなんて単なる精神病者としか思えないな」  「心霊スポットに行ってみたら、今までの謎が解けるかも知れないぞ。期待してようぜ」  「無事に還ってこられたら、早々と卒論ができあがってしまいそうだな」  「おいおい、脅かしっこなしにしようぜ。論文が完成するかもしれないとしても」  「びびってんじゃねーぞ。論文がまとまるなら、少しぐらいの痛手はなんでもないだろ」  「3 人しかいないのに、早くも仲間割れでは先が思いやられる。まだ道のりは長いんだ。結束して行かないと《何時|いつ》なんどき災難に遭わないとも限らない」 三  沈みゆく太陽からの光は、鬱蒼と茂った森林地帯には届かない。ヘッドライトを《灯|つ》けずに運転するのは、いくら度胸の据わったキョウイチにさえ《躊躇|ためら》いがあった。月明かりが差す中を低速で走らせ、いよいよ運転できなくなったら徒歩で目的地に向かうしかない。  2 人に見張りを頼み、キョウイチは慎重に車を走らせる。ナヴィゲータの表示に間違いがなければ、目的地まで余すところ8 キロメートル足らずだ。窪地に嵌まったり崖下に転落しなければ、いよいよ最凶の心霊スポットに辿り着けるのだ。  藪を掻き分けるようにして進む中、タイヤが空回りして前進できなくなってしまった。ヘルメットに装着したライトで前方を照らして見たところ、丈の高い柵が前進を《遮|さえぎ》っているのが分かった。車から降り、近づいてよく視ると頑丈な金網が頭上高く聳えている。  柵の内側、立ち入り禁止区域には、いわくつきの廃墟が待ち構えているのだ。G P S システムで現在地を確かめ、目指す心霊スポットに近いのが判明した。3 人は急に疲れを感じ始め、背負っていたリュックサックを降ろして《叢|くさむら》に寝そべった。  「柵の内側はそこそこに手入れが、行き届いているように見えるな。この時刻に監視員がいたりしたら、見つかった時には厄介なことになるぞ。上手く立ち回わろうぜ」  「まずは進入口を捜さなければ… … 噂では何処かに柵の途切れた箇所があるそうなんだ。最初に誰かが出入り口を造ってくれたってことだろな」  「よし、探してみよう。いよいよ第六感を試す機会がやってきたぞ」  「我々に強力な第六感が《具|そな》わったのは、この日のためだったのかもしれないな」  「理系にしては、チョイと運命論に《偏|かたよ》りすぎてはいないか? 」  「ふむ、そうかもしれない。なにしろ、専攻が天体物理学だからな… … 人間が如何にチッポけか痛感せざるを得ないんだ。運命論に傾きすぎかもしれないが」  「なに、そう卑下したものでもないぞ。人類の未来は明るい」  「おいおい、それは大企業の宣伝文句に近いのではないかな」  「明るかろと暗かろと、我々にはただ前進あるのみだぞ」  「そうとも、此処まできて、調べもせずに引っ返したのでは、臆病者の仲間入りだ」  銘々、埒もないことを勝手にいい合い満足したか、叢からのっそり起ち上がり、内側への進入口を探しはじめた。それから数分もかからない中に、獣道に続いていそうな箇処を見つけた。  一人がやっと入れるほどの出入り口を丈の高い雑草が覆い隠していて、念入りに調べなければ分からない。車から小型、軽量器材ほか野営に必要な装備を降ろして適当に配分、それぞれリュックサックに詰め込み、最後に食糧を入れて背負った。  日が陰ってから一時間以上が経ち、大気は乾燥していて涼しかった。リュックサックは重くはなく、徒歩で進む3 人にとってさほど負担にはならない。  この時刻に、監視員が見回りをしているはずもなく、見つかったとしても「フィールドワーク」なる口実を持ち出し、道に迷ったと言い訳できる。そう考えたら、急に気楽な気分になり、声を低めてはいたが誰彼とわず饒舌になった。  「まだ初等教育学校生になりたての頃、親の留守を見計らい、大昔の『ブレアウイッチ・プロジェクト』という映画を観たことがある。女ひとり、男ふたりの3 人組がカメラを持って、曰くありげな森の中に分け入っていくんだ。観たことないか? 」  「いや知らんな。コウジロウはどうだ? 」  「タイトルを知ってはいるが、内容がどんなだったか… … 観たかどうか記憶にないな」  「森の中を《彷徨|うろつ》きながら、たえず大声で喋り続けるんだ。ドキュメンタリー・タッチの映画なんだが、延々と喋り続けた挙げ句に仲間割れを起こし、ちりぢりばらばらになって、一人ずつ行方不明になり、最後はカメラだけが残って終わりだ」  「すこし憶いだしたぞ。そのカメラを見つけた何者かが公開に踏み切り、全米を恐怖の渦に巻き込んだというヤツだろ。映画を観たのなら気づいたと思うが、どの映画でも最後にスタッフ、キャスト、製作に《携|たずさ》わった関係者などを記録した『エンディングクレジット』とかいうのが画面に流れる。その映画にも、映画終了後に、例外なくクレジットが出てきたはずだ。ドキュメンタリー・タッチの造りものだったのは間違いない」  「その通り。さすが映画に詳しいだけのことはある。その映画を話題にしたのは、今の我々の状況が著しく『ブレアウイッチ・プロジェクト』に似通っているからだ。対立してない点は違うけど、大声で議論したり … … 」  「我々が目的地に辿り着かないうちに、一人ずつ消えていって最後にカメラだけが残ることのないよう結束してゆこうぜ」  「まったくだ。映画の3 人には結束力が欠けていたのだろ。我々は違うぞ。一人も脱落者を出さない」  それまで話に夢中になっていた彼らは、両脚の筋肉に痛みを感じ始め、それとともに疲労感が襲ってきたのにようやく気づいた。銘々、リュックを下ろして手頃な草地に寝そべり、満天に輝く星々を眺めながら、未知の宇宙に《蠢|うごめ》く高等生物を想像してみた。  この禁止区域に進入する前、地上を照らしていた月はいつの間にか見えなくなっていた。雲の中にでも隠れてしまったか、それとも― ― シンノスケが素っ頓狂な声を出し、コウジロウ、キョウイチを驚かせた。  「満天に星が見えているのに、月は何処へか隠れてしまったぞ。雲間から顔でも出すかと待っていたが… … 確かめるまでもなく、星が全天に輝いているんだ。雲が視界を遮っているはずはないし」  「そういえばそうだな。いま、我々が眺めている天体は、別世界のそれではないのかな。だとしたら、気づかない中に我々は禁止区域ごと、テレポートしてしまったんだ」  「天球そのものが別なのだとしたら、あの進入口は異次元に繋がっていた可能性がある。考えられないことが現実に起こってしまった」  パニックにも陥らず現況を淡々と語る3 人― ― 持ち前の好奇心が、思考の全領域を占有してしまったかのようだ。危険を眼の前にして、状況を分析しようと周囲を熱心に観察する。 四  地平線から光が差し始め、風に乗って鳥の《囀|さえず》るのが聴こえてくる。星々に見とれてからそれほど過ぎているはずはない― ― 時刻を確かめ、3 人は鳥に劣らない甲高い声を上げた。時計が狂っていないとするなら、まだ夜中であって当然のはずだが、現実には― ― 夢でないことを祈る― ― 明け方に近づいていた。明けの明星、金星が見えないのは、天体が違うためなのだろう。太陽系から他の星系に、なぜ変わってしまったのか、彼らの中で明快に説明できる者は一人もいない。  これまで、心霊スポットの正確な位置を知る上で有用だったG PS システムが、使えなくなったとするなら、各自が持っている山勘やら霊感やらに頼るしかない。勘の鋭さでは誰にも負けないと、自負するコウジロウはこういう事態を予測していたか、直感力の鍛錬には人一倍はげんできた。いよいよ、その勘を働かせる時がきたのだ。  「我々3 人が太陽系から他の星系に、テレポートしてしまったとするなら、勘を頼りにするしかない訳だ。しかも、心霊スポットそのものだって、見つかる見込みは限りなくゼロに近い状況だし… … 」  「ふむ、そうなったらなったで万に一つの可能性に賭けるしかないぞ。天体だけが変わったと仮定して、心霊スポットを探し出すだけのことだ」  「ま、そういうことになるだろな。此処で嘆いていたところでどうなるものでもない。ただ前進あるのみ突撃あるのみだ。そうと決まったら、エネルギーを補給し老廃物を排出して出発だ」  「我々は何者かの指示にしたがって行動する、できそこないの生体ロボットのようなもんだな」  「そう悲観したものでもないだろ。まだ思考力が鈍ってはいないようだし、この不可解な世界から脱出する方策を考えようぜ」  「なにが何だか分からんことになってしまったが、頭の中から下手な考えを追い出し、明るい未来めざして出発だ」  リュックを背負って見落としがないかを確かめ、それぞれが目標を定めて歩き始めた。散り散りになったのに気づいたのは、数十分が経過してからのことだった。互いに相手を無視して話し続け、ふと振り返えり、独りなのに気づいて驚いた。  はぐれてしまってパニックに陥り、消えてしまった2 人を捜し回っても無駄なことだろう。目指すところは共通しているのだし、無駄に探し回って疲れ果てるより、目的地を目指すのが賢明だ。何処かでいつの間にか合流しないでもない。3 人はそれぞれに、落ち着きを取り戻し黙々と歩き続けた。  大気が揺らいで見え、直後に複数の何かとすれ違い、遠ざかって行く気配がした。コウジロウは幻覚ではないかと疑り、振り返って確かめたい気持ちを抑えた。キョウイチやシンノスケは似たような感覚を味わっただろうか、何処かで合流できた時にでも聞いてみよう。  おなじ頃、2 人はコウジロウと似たような体験をしていた。大気が揺らぎ、何かがすれ違いざま肩にぶつかって消え去った。はぐれた2 人が同じ体験をしただろうか、互いに今はいない仲間を思いやる。  鳥の甲高い啼き声は風とともに遠ざかり、それほど時間が経ってもいないのに辺りが暗くなってきた。地球の2 4 時間周期とはまったく異なり、一日が何時間にも満たないとは如何なる世界なのか。なにはともあれ、心霊スポットに近づいている思いが強まってきたのは― ― 幻覚でなければだが― ― 彼らにとって幸先よい兆候だ。  太陽が沈んだ直後から、それとなく分かるほどに気温が低下しはじめ、呼吸するたびに鼻や喉に痛みを感じる。体感温度ではせいぜい摂氏マイナス2、3 度にしかならないのに、呼吸器官に痛みを感じる気温とは一体どれほどなのか。大気の成分構成が地球と異なるとしたら、今までは気づかなかったが、天体どころか今こうして歩き回っている惑星も、いつの間にか別の惑星とすり替わってしまったに違いない。  あるいは、3 人そろって未知の世界にトリップしてしまったか。そんなことが現実に起こるなどと、これまで想像もしたことはなかったが、悪夢の世界に嵌まりこんだのかもしれない。一般的観念では、人は寿命が盡きたら死後の世界に行くことになっている。その世界が如何なる世界なのか、臨死体験者の証言に共通するのは、物質世界のような時間は存在しないということだ。  S F でいうパラレルワールドとは、物質世界と半物質世界なる対になった宇宙をいうのではないか。死後の世界にも住む家があり、人々は衣服を身に纏い、隣人との交流や、気の合った者同士の婚姻が可能なばかりか、食べるものさえ存在するのだとか。肉体は死滅しても霊体は残り、別の世界である半物質世界に移り住む。完全な霊界ではないが、物質世界とも異なる世界、それが半物質世界らしい。  ユミットなる異星人のいうのが事実なら、連中はその半物質世界を経由して地球にやってくるのだ。秒速 3 0 万キロメートルで数年、数十年、数百年もかかる宇宙の彼方から、U F O は度々地球を訪れている。ユミットのいうように近道でもしなければ、地球へはそう頻繁にこられる訳はない。では、幽霊はいったい何処からやってくるのだろうか。幽霊には時間の観念はなさそうだし、夜になったら眠るという習慣もなさそうだ。昼夜を問わず、それらしいのを目撃や撮影した、幽霊情報がウエブ上には数多く載っている。  互いにはぐれてしまった3 人は、脳内で独り言を続けながら、急ぎ足で同一方向を目指していた。体温を上げるには、一箇所に留まっていないで、ともかく動き回る必要がある。疲れたら小休止し、体温が低下しすぎない中に歩く。  時間の観念を失ってしまいそうだが、正確に時を刻む時計がそれを防いでいた。彼らは物質世界にどっぷり浸かりながら、異世界へと思考を拡大してきたお陰で、状況が一変してしまってもなんとか発狂せずにいられた。 往生際の悪い連中なら、疾っくに気が狂ってしまっただろう。だが、彼らは自分たちの嵌まってしまった窮状を、朧気ながら把握し冷静に対処しようとしていた。どう足掻いても脱出できないとなったら、何者かに向かって白旗を掲げるのも厭わない3 人だったが― ― 。  心霊スポットに格別の興味がなければ、全員そろって今回のような災難に遭うことはなかっただろうか。自身に問うてみたところで、彼らの中で明快な回答を呈示できる者はいない。運命論者のいう処にしたがうなら、そういう羽目に陥るきまりになっていたのだろう。問題は、何者がお膳立てしたのかということだ。こういった窮状を試練と考えるなら、なんとしてでも解決の糸口を掴まなければならない。  諦めるにはまだ早すぎる、老いさらばえるまでとことん突き詰めるのだ。巷間でいうような、「神か悪魔か」ではなく「天使か悪魔か」でなければならない。神と悪魔を同列に置いたのでは、辻褄が合わないだろうに、そういった間違った表現が罷り通っている。 五  体温の低下を少しでも抑えるには、疲れようと眠くなろうと、疲労困憊して倒れてしまわない限り歩き続けるしかない。3 人はそれぞれ、食肉植物の密生する草原を抜け、毒虫の棲息する窪地を迂回しながら、邪悪な霊気が刻々と強度を増す中、拗くれた樹木の繁茂する森林地帯を同一方向に向かっていた。  ヘルメットに装着したライトを消し、霊気を頼りに真っ暗闇を手探りしながら進む。今では、前方を目視せずに霊気の強弱を感知しながら歩いていた。まるで、邪悪な何者かの罠に嵌まり、抗いもせずに従順に従っているかのようだった。霊気がますます強まり、それにつれて歩みは速まった。  ほとんど駆け足に近い状態になり、とつぜん弾力性のある壁にぶち当たって倒れた。悲鳴がそれぞれ二方向から聴こえ、己れの悲鳴が加わって大気を振るわせた。呻きながら起き上がり、たがいを照らして安心すると同時に、鉢合わせしたのに気づいて苦笑した。  「いててて… … コウジロウ、シンノスケ、怪我しなかったか? 」  「そういうキョウイチこそ大丈夫か? 」  「ぶつかった瞬間の衝撃ときたら… … 真っ暗闇の中に閃光が走ったようだったな。こんな風に、たがいの無事を確かめることになろうとは想像もしていなかったぞ」  「まったくだ。それにしても、この凶悪な霊気は何だろ。こんな霊気をいままで感じたことはなかったな」  「最凶の心霊スポットが近い証拠じゃないのか。なにしろ、一度は散り散りになりながら、こうして一箇所に集合できたってことは、何かの力が働いたからだろ。何かが、何者かが我々を引き寄せたんだ」  「そっちに《窖|あなぐら》があるぞ。真っ暗なのに、下へと続く石段のようなものが見える」  「よし、此処まできて退散してしまっては、我々の名折れになろうってもんだ。小休止したら洞窟探検といこうぜ」  銘々、窖を囲んで手頃な岩に寄りかかり、眠気を振り払うべく缶珈琲を飲んだ。一陣の風が鳥の啼き声を運んでくるとともに、辺りが見えるようになってきた。相変わらず、明けの明星は天球の何処にも見つからない。  一陣の風と鳥の啼き声は、単なるサインなのか、それとも呪いなのだろうか、毎回、おなじ現象を合図に夜が明け始める。時計の示す通りなら、いまは午前3 時ということになる。  午前3 時の意味するところは何か― ― 地球上に多くの国家が存立していた時代、基督教徒の中に午前3 時の意味を知らない者はなかったろう。歴史によれば、救世主イエス・キリストは午前9 時にゴルゴタの丘で十字架にかかり、午後3 時に息を引き取ったという。午後3 時の逆は午前3 時になり、それはイエス・キリストに敵対するサタンの蠢く時刻になる。  時刻の意味に気づいた3 人は、辺りに憎悪のみなぎる霊気が漂い、暗い窖の底の方から鼻をつく異臭が吹き上げてくるのに一瞬たじろいだ。探検を断念して引き返したところで、異界に迷い込んでしまった今となっては、脱出できる見込みは限りなくゼロに近い。  死を恐れていたのでは何もできないし、何も識ることができない。それとも気づく間もなく、死の世界に嵌まり込んでしまったのだろうか? 四輪駆動車で森林地帯を、心霊スポット目指していて、車に何かがぶつかりフロントグリルが潰れた。正体不明の物体がぶつかり、直後に何かが起こったとするなら― ― 。  朧気に見えはじめた風景の中に、何かの一部らしい尖塔が斜めに突きだしているのを見つけた彼らは地獄を覗いた想いだった。その尖塔は、この世に恨みを残して死んだ者の表情を想わせた。実体は分からないものの、尖塔の大きさから、大部分が砂の中に埋もれた巨大な邪神を祀る中世期の寺院か病院に偽装した監獄を連想させた。その尖塔の周囲には、強烈な憎悪を伴った霊気が漂い、餌食が近づいてくるのを待ち構えているようだった。  運悪く死んでしまったのだとするなら、どうして3 人だけが死後の世界を彷徨いているのか。他にもこのような世界があるのか、それともこの窖の奥に悪鬼どもが潜んでいるのだろうか。キョウイチを先頭に、シンノスケ、コウジロウと続き、彼らは真っ暗な中へと石段を降りていった。  先頭を行くキョウイチだけが足許を照らし、後続する2 人はバッテリーを保たせるためにライトを消した。キョウイチが振り向いたとしたら、しんがりを務めるコウジロウの表情に、恐怖が表れているのに気づいたことだろう。  「シンノスケ、コウジロウ、石段を降りるには、ちょっと大変かもしれないが、しばらくは我慢してくれ。あるていどの時間がすぎたら、先頭を交代するから」  「先頭はキョウイチに任せるよ。まったく視えないってほど酷くはないからな」  「振り向いたら、第五列の一小隊が《随|つ》いてきてるってことになりそうだぞ」  「おいおい、脅かさないでくれよ。こんな真っ暗闇で振り向きでもしたら、奈落の底に真っ逆さまってことになりかねない。気配を感じたとしても、振り向いたりするものか。キョウイチの灯りを手がかりに、ひたすら降りて行くだけのことだ」  「冗談だよジョーダン。いま以上に悪くなりようはないだろう。楽観は禁物だが、怖がっていたのでは自分を追い詰めるだけだ」  「それを聞いて、少しは気が休まったぞ。びくびくしていたのでは、精神衛生上よくないからな」  手すりのない石段を降りて行く途中で、少しでもバランスを崩したら、真っ逆さまに転落してしまいそうだ。急峻な石段を降りるのは、運動神経のよい3 人にさえ容易ではない。ちょっとした気の緩みが命とりに― ― そう思うだけで緊張感は何倍にも跳ね上がった。  暗闇の中を降りていく彼らの、その緊張感が湧き上がってくる恐怖心を抑えていた。しかし、恐怖心より厄介だったのは、下へ行くにしたがって強まる異臭だった。腐臭とか死臭とは異なる、これまでに体験したことのない臭い― ― 無機物の分解して行く時に発するだろう未知の臭いだ。吐き気を催させる臭いなら経験から大体見当ついたが、これまでに嗅いだことのない臭い、神経を逆なでする臭いだった。  有機物や無機物が腐敗し、分解する臭いには、共通点がないでもない。物質世界には植物や動物の死骸がはなつ腐敗臭の他に、分解する金属のような異臭をはなつ有機物がある。人間の嗅覚が臭いを勝手に動物臭、金属臭に分類しているだけであって、本来は臭いに有機物、無機物の違いはないのだろう。  臭いが想像を刺激し、在りもしないユートピアを夢見たり、慄ましい地獄を幻視したりする。人間が病んでいるのか世界が病んでいるのか― ― 。 六  先頭を行くキョウイチはもちろん、後続するシンノスケやコウジロウも、声に出しはしなかったが、内心では石段に終点がないのではないかと不安を募らせていた。その場に立ち止まって態勢をととのえ、同時に頭上を見上げた3 人は危うく転落しそうになり悲鳴を上げた。  頭上はるか彼方から、黄金の光を放つ複眼が、立ち止まって見上げる彼らを凝視していたのだ。ぐらつく態勢をととのえた一同は愕きのあまり、しばらく無言のままその場を動かなかった。上下が逆転するのではないかと畏れながら、誰もが一言も発することなく、いつ終わるとも知れない降下を再開したのは大分たってからのことだった。  単にそう見えたにすぎない― ― 降下途上で冷静になって考えた彼らの結論は、監視ロボットのセンサーではないかということだった。実験材料になる生物が罠に嵌まったのを、待ち構えている監視ロボットが確認するのかもしれない。複眼から黄金の光を放つ巨大な昆虫が、物質世界に棲息しているなどということがあり得 るだろうか。  しかし、その正体が未知の知的生物の視覚器官なのだとしたら、彼らが被験体の心理テストを目的とした、一大プロジェクトの網に引っかかった可能性はありうる。  鳥の啼き声とともに夜が明け始め― ― 《恰|あたか》も、大天使の奏でる喇叭とともに、なにかが起こる旧約聖書「ヨハネの黙示録」の世界のようだ。この巨大な実験施設の運用者は、強情な運命論者か度しがたい狂人なのかもしれない。最悪なのは、その狂人が地球上の狂った集団の一員ではなく、深宇宙から飛来した異星生物の可能性だ。地球に住む人類をはるかに超える、知性と残忍性を持った異星の狂人だとしたら、3 人の命運は盡きたも同然だ。  キョウイチが唐突に立ち止まり、後続の2 人は危うくぶつかりそうになりながら踏みとどまった。ライトを点けた2 人の悲鳴に近い愕きの声が洞窟内に反響した。  「石段が終わっている。ここから下がどうなっているのか、ライトで照らしてみてもまったく見えない。無の世界が続いてでもいるようだ。地球上の何処にも、これと似たような洞窟はないな。我々の感覚を試すつもりなのか… … 」  「こうなったら、とことん突き進むしかないぞ。ザイルを垂らして降りられるだけ降り、いちかばちかで飛び下りるしかないだろ」  「そうだな、銘々のリュックからザイルを出して繋ぎ、一方を石段に固定し他方を垂らしてみよう」  「ザイルが地上に達しないとしたら… … 地上に激突してしまってからでは後の祭りだが、パラシュートに最後のチャンスを賭けるしかない」  「特性リュックが威力を発揮するか、幸運を祈るしかないだろな」  「ザイルを固定するためのフックを石段の隙間に打ち込んでみよう。我々の重量を持ちこたえてくれるのを祈るしかない」  キョウイチが引き続き先頭を行くことになり、おもむろにザイルにぶら下がって降下を始めた。フックが石段の隙間から抜けてしまいはしないか― ― シンノスケ、コウジロウと続き、揃って仲良くあの世行きになるか。 幸いにしてフックもザイルも持ちこたえ、落下の恐怖から免れることができた。死の恐怖と隣り合わせの状況の中、3 人は持ち前の楽天的な性格が幸いして、パニックに陥ることもなく黙々と降下して行った。  フックやザイルが体重を支えてくれると識って安心したのも束の間、別の心配事が持ち上がった。両腕がいつまで体重を持ちこたえてくれるか。いよいよになったら、その時にはいさぎよく落下しながらパラシュートを開くしかない。  運悪く開かなかったら― ― いまさら心配してもどうなるものでもない。最後に呑んだ酒の味でも憶いだしながら、死を迎えるのも悪くはないだろう。肉体は死滅しても霊体は残る― ― となれば、なにも畏れる必要はない。死ぬということは、制約が多く厄介な肉体を脱ぎ捨てるだけのことだ。  近くで誰かが大声で何かを伝えようとしていた。「はやく紐を引け紐を。激突してからでは遅いぞ」キョウイチ、シンノスケの怒鳴り声に我に返ったコウジロウは、慌ててリュックの右脇に垂れた紐を引いた。ザイルから手を放したコウジロウが、2 人を巻き込んでしまったのだ。3 人は、次々にパラシュートを開いた。落下が停まり、顎に舌を噛みそうな衝撃があった。  落下しながらキョウイチは、安堵の吐息を漏らすと同時に、落下速度の余りにもゆっくりなのが気がかりになった。まるで、湖中に浮遊する微小生物か塵芥が、徐々に沈下して行くようだ。大気密度があり得ないほど高いのか、引力が小さすぎるのか― ― いずれにしろ、一度も使ったことのないパラシュートが開いてよかった。開かなかったら、3 人そろって目出度くもあの世行きになっていただろう。  パラシュートなしでは― ― いくら落下速度が遅いとはいえ― ― 地上に到達した場合の衝撃は致命的に違いない。そう思いながら降下して行くうちに、やがて不覚にも寝入ってしまった。あまりにユックリな降下が眠りを誘い、3 人は着地するまで気づかなかった。  接地した瞬間の衝撃が想像以上に強く、両足の裏に電気ショックでも受けたようだった。辺りを見渡した彼らは、靄でもかかったように見える、大広間の真ん中に着地したのに気づき、反射的に立ち上がると、パラシュートを手際よくリュックの所定位置に収納し終えた。  「このパラシュートは、《釦|ボタン》を押すだけで開いたり閉じたりする、折りたたみ式雨傘のようだ。発明者は、雨降りの日には雨傘を差して散歩し、好天の日にはスカイダイヴィングを楽しんでいそうだな」  「雨降りの日には、いつもの何倍も才能を発揮できるタイプなのかもしれない」  「ダイヴィング中にぼんやり考え、着地寸前にとつぜん閃くのではないかな」  「もしそうなら、その閃きを、記憶に留めていられる記憶力は並ではないだろ」  「このパラシュートのお蔭で、我々は滞りなく、なにはともあれ目的地に辿り着けたんだ… … 感謝、感謝」 「なんといって、感謝の念を表わしたらよいか分からないほどだな」  「発明者に直接、お礼の言葉を伝えるのもよいかもだ」  「リュックのメーカーに問い合わせてみたらどうだろ」  「無事、ここから脱出できたら実行しようぜ」 七  パラシュートを収納してリュックを背負い、あらためて周囲を見回した3 人は、その異様に見える様に息を吞んだ。天井から壁、床にいたる全面から、燐光を発してでもいるのか、青白くもやのかかった異形の世界が眼前に拡がっていた。床には使途不明の備品が散乱し、解剖にでも使用していたと思しい、材質不明の巨大な台が倒れていた。禁断の邪神を祀った寺院か病院あるいは監獄― ― 斜めに突き出た尖塔を、地上で発見した時に抱いた印象をほぼ立証していた。  「我々は、とんでもない処に迷い込んでしまったものだな。どうやら、地上に斜めに突き出た尖塔は、この建物の一部かもしれない… … 悠久の歳月を経て砂に埋もれ、倒壊が気の遠くなるほどゆっくり起こったのだろ」  「い、いったいこの寺院風の建物はいつ頃できたものなんだ」  「ひょっとしたら、地球上に存在したかどうかも怪しいものだぞ」  「もしそうなら、実体そのものは此処にはないのかもしれないな」  「見る者によってどのようにでも見えるってやつか」  「抱いている印象どおりに見せる… … まるで烏賊や鮹が偽装するように」  「ならば、なにが目的なんだろ」  「騙して思い通りに操るのではないかな」  「そうなると、我々は恰好な実験材料ってことだ」  互いに相手の声がくぐもって聴こえるのを変に思いながら、大広間を彷徨く中に、いつの間にか岩戸のある狭い空間に迷い込んでしまった。数分にも満たない短時間、何処でなにをしていたのか、シンノスケ、コウジロウにはもちろんキョウイチにも記憶がない。  唐突に、巨大な解剖台の倒れているのが思い浮かび、そして広大無辺な時間の海へと沈んでいった。眼前に屹立する岩戸の薄気味悪い手触りに、3 人は怖気を《慄|ふる》い、思わず飛び退いた。大広間の床に倒れていた巨大な解剖台同様、材質不明な見るも慄ましいその様にたじろぐ。  朧気に見える周囲の何処にも通路はなく、引っ返そうにも引っ返せないと分かった。この狭い空間から脱出するには岩戸をこじ開けるしかない。手分けして、岩戸の窪みを押したり引いたりしている中に、折り重なるように新たな空間に転げ込んだ。頭上から薄ぼんやりと光が差し、狭い空間に上へと続く石段があるのが見えた。  キョウイチを先頭に、シンノスケ、コウジロウと続き、大ぶりの石段を上がっていった。ヘルメットに装着したライトはバッテリーが切れてしまって用をなさず、頭上から差す弱い明かりだけが頼りだった。  コウジロウは体温が急激に上昇し始め、額から頬へと滴りおちる汗に閉口していた。バッテリーの切れたライトは不要になってしまったし、ヘルメットだってもう何の役にも立ちはしない。そう思ったら、ヘルメットを被っている理由はなくなった。コウジロウはヘルメットをその場に捨て、遅れを取り戻すべく先行する2 人を追った。何段か上がる中に、何かを蹴飛ばし、驚いてよく見るとヘルメットだった。見上げたコウジロウには、もう一つのヘルメットが薄闇の中に髑髏のように白く浮き上がって見えた。  前を行くシンノスケ、キョウイチもまた、滴りおちる汗に閉口していたのだろう。これでリュックをも捨ててしまえば、さらに身軽になって快適そのものだ。しかし、リュックを捨ててしまったら、自らに死刑を宣告するも同然、愚かな行為にしかならない。落下の恐怖を和らげてくれる最後の命綱、パラシュートを手放すわけにはいかないのだ。収納の仕方さえ間違えなければ、何度でも利用できるのだから便利この上ない。重力制御機構を内蔵したジャケットを身につけ、鳥のように空を自由に移動できたら― ― 。  コウジロウは、見上げた薄闇の中に、前を行く2 人の姿が見えないのに気づいて慌てた。数秒間、考え事に耽っている間に2 人は消えてしまった。いったい何があったのか。石段を急いで上がって行き、一歩を踏み出そうとして危うく悲鳴を上げそうになった。次の一歩の先には下に向かう急峻な石段が続き、黙々と降りて行く2 人の姿が浮かび上がってきた。  何かが2 人を通り抜け、コウジロウの方に向かって上がってくる。青く光る百足のような何かは、石段を這い上がってきて、コウジロウをも通り抜けていった。巡回ロボットの亡霊なのか、生物だけではなく無生物にも亡霊が存在するとしたら、奇妙奇天烈というしかない。  恐怖をいだく間もなく、百足は何事もなかったかのように、石段を這い上がって行くと見えなくなった――異臭を残して。転落を畏れて慎重に下っていったコウジロウは、前を行く2 人になんとか追いついた。身体全体が冷え切り、いつの間にか汗は止まっていた。薄気味わるい百足に遭遇してからは、寒気と恐怖心から全身に震えが起こっていた。  「我々を通り抜けていった、あの百足のような気色の悪いのは、いったい何だったのだろかな」  「百足だって? 無数の蜘蛛が三列縦隊にでもなって、通り過ぎていったのかと思ったぞ」  「全長2、3 0 メートルの獰悪な蛇が、鱗を立てて這い上がってきたようだった」  「3 者3 様に見えたということなのか」  「いずれにしろ、我々に用はなかったようで幸いだった」  「何らかの機能を具えた光の集合体が、洞窟内を巡回してバグ獲りをしているのかもしれないな」  「バグをエネルギー源にしているデバッガーか… … 」  「おたがい、冗談がいえるほどに恢復したのはよいことだ」  「気を確かにもって事にあたれば、精神に異常をきたす恐れはないだろ。なにしろ、我々は理系なんだからな。不合理な考えを受け入れるとあっては理系の名折れだ」  「ふむ、そうであって欲しいものだな、おたがい」  「おいおい、そう弱気ではこの先もたないぞ」  「結束して当たれば、この世に怖いものなしだ。そうだろ? 」  薄々感づいていながら、口に出していえないもどかしさに苛立ちが募る。三者三様とはいうものの、生まれから育ちまで似通った境遇の3 人には、相手の考えが手に取るように分かった。一人でも精神に異常をきたしでもしたら、この蟻地獄のような世界から脱出できる可能性は遠のくばかりだ。相互監視を強化して、一人も脱落者が出ないようにしなければならない。 八  石段を降りていくキョウイチの姿が、両脚から胴体、肩、頭部と徐々に消えていった。その一部始終を目撃した後続のシンノスケ、コウジロウは畏れおののき、その場に一瞬のあいだ凍りついた。気がつけば、脚が勝手に動きながら、消えてしまったキョウイチの後を追っていた。両脚が痺れ、その痺れるような感覚が上の方へと伝わってくるにしたがって意識が遠のいていく。  いつの間にか、倒れていたはずの解剖台に3 人はよこたわっていた。どんな罪を犯したというのか― ― これではなぶり殺しではないか。憎悪と嘲笑の渦巻く真っ只中で、声を出すこともできずに足掻いた。数体のフードを目深に被った亡霊が、解剖用の器具を手にして彼らを凝視している。両手両脚は束縛されてもいないのに、振り回すことはおろか身じろぎさえできない。  3 人は、何者かに捉えられた、運の悪い被験体なのだろうか。最凶の心霊スポットの実体は、深宇宙からやってきた異星人の心療実験施設か。四肢を切り刻まれる感覚に囚われながら、意識をなんとか正常に保とうと《抗|あらが》う3 人。しかし、どのように抵抗してみても、所詮は精神的に未熟な彼らには逃れる術はない。抵抗もむなしく意識が遠のき、解剖台から浮き上がっていく感覚が襲ってくる。  3 人のかすかな意識は深紅一色の液体の中で、あるはずのない四肢を動かしながら光の差す方向へと流れていった。深紅の液体が流動する導管の壁面に、嘲り笑う髑髏がびっしり嵌まっているのが見える。液体の発する動物性の臭気が、意識の完全なる消滅を抑制し、まるで悪夢世界にでも陥ってしまったかのようだ。嫌悪感、嘔吐感が絶え間なくまとわりついてくる。  吐き気をもよおさせる臭気が途絶え、それに替わって凄まじい騒音が襲いかかってきた。騒霊のたてる、硝子を叩き割る鋭い音、金属を引き裂く耳障りな音、壁を引っ掻き地面を擦る音、さらに毒気を含んだ悪鬼の喚き声― ― そういった夾雑物が空間を占有する。  破壊力を秘めた騒音は、肉体を構成する分子に触手をのばし、自己認識の源である精神をも《苛|さいな》む。いまや、彼らは自己認識の能力を、さらに存在感そのものをも忘れかけていた。何も見えず聴こえず、完全な無の世界に霊体の《残滓|ざんし》として浮遊していた。生はおろか死をも超越してしまった無の世界― ― 存在を拒否した世界に存在するその矛盾に彼らは同時に気づいた。意識を恢復した彼らの眼前に、見覚えのある巨大な岩戸が立ちはだかっていた。  岩戸を前にして呆然と佇む3 人に、岩戸から青黒い光が憎しみを伴った嘲りを浴びせてくる。複数の亡者が勝手気ままに喚きちらし、不協和音となって襲いかかってくる。自然界の雑音と異なり、聴く者に不快感を与えずにはおかない。不快感はやがて無力感に変わり、抵抗を諦め、亡者の軍門に降ることになる。  「コウジロウ、シンノスケ、亡者どもの《譫|たわごと》には耳をかすな。受け入れたが最後、こっちが抵抗しなくなるのを待って、八つ裂きにしようとするぞ」  「そうだな、外界の不協和音から耳を閉ざしておこう」  「我々の考えに先回りして、何かを吹き込もうとしてるようだな。誘惑するならもっとスマートにやれってことなんだが… … 」  「連中の問いかけに受け答えするのは危険だ。こっちの弱点につけ入って、一気に破壊しようとするぞ」  「3 人を引き離しておいて、八つ裂きにしようとしている。我々は結束しなくてはならない」  「各人は弱くても、結束したら、連中には脅威になるだろ」  「シンノスケ、キョウイチ、手をかしてくれ。念動力を試してみようかと思う。雑音をふりまくこの忌々しい岩戸を黙らせたい」  「よし、側面から応援するぞ」  「連中のぶつけてよこす不協和音を、2、30 倍に増幅して投げ返してやろう」  先行するコウジロウを押し上げるようにして、2 人は側面から念波を放射しつづけた。足許に激震が走って縦揺れ、横揺れを繰り返し、天地が逆転して旋風が荒れ狂った。天空に《罅|ひび》割れが生じ、死臭を伴う憎悪の念が降り注ぎ、唐突に狂乱怒涛の《騒擾|そうじょう》はおさまった。洞窟内に静寂がおとずれ、騒音の発生源と思しい岩戸は3 人の眼前から消え去った。  怪我もせず、死にもせずにいられるのは、精神世界の現象だからだろう。物理的な現象とは、まったく異なる結果を現出したのがその証拠だ。物理的な破壊が起こったとして、それでは3 人の前に立ちはだかっていた岩戸や、天地が逆転した時に生じた瓦礫は何処へ消え失せたのか。不可解なのは、精神世界やら意識の世界やら に、肉体を具えた3 人が生存している事実だ。  霊魂の入れ物である肉体は、衝撃に弱く、なにかと制約が多い。にも拘わらず、各個の意識はそれを纏い、エネルギーを固形物や液体で摂取することを望んだ。人間や他の動物が望んだからこそ、何者かが霊魂の入れ物である肉体を創り、口から栄養を摂取できるように創ったのだ。その何者こそ善であり悪でもある、唯一絶対神あるいは神の使いなのかもしれない。結局、生物はことごとく、神あるいは神の使いの掌上で踊っているか、フラスコ内で進化するか退化する宿命を負っているにすぎないのだろう。  人間以上に優れた生物が、地球上には棲息しているともいうから、人類は万物の霊長類などと自惚れてはいられない。善と悪の両輪が、円滑に回らずに一方に偏ってしまっては、世界は正常に機能しなくなってしまう。善と悪の均衡がとれていなければ、この世には悪が蔓延り、醜悪な生物が増殖するだけだ。際限のない欲望に自らがんじがらめになり、前進はおろか後退するもならず、愚昧の無限ループに嵌まってしまっても気づかない。  気づいたときには、すでに修復不可能な状態に陥っていて、ただ漫然と生きるにすぎない生ける屍になってしまう。世界を変えるのが不可能なら、己れが変わらなければならないのに、愚劣・低劣に堕していてはそれができない。ただ死ぬのを待つだけの役立たずでは、善人だろうが悪人だろうが滅亡するだけだ。 九  岩戸の消滅した後には、ブラックホールさながらに、一切の物質を封じ込めた真っ暗闇が拡がっていた。呆然と佇むいまの3 人に、その真っ暗闇に飛び込む勇気はなかった。だが、背後には頭上高く垂直に近い岩壁が立ちはだかっている。ロッククライミングの要領で壁をよじ登るか、ブラックホールに飛び込むか、餓死覚悟で事態の好転を待ちつづけるか― ― 直面する窮地から脱するには想念を変え、眼前に拡がるブラックホールに飛び込むしかない。  いちばん臆病なコウジロウが早々と決断し、何も見えない空間に向かってダイヴを試みた。それを見ていたシンノスケが、驚いた仕種をしてキョウイチに頷くとコウジロウに続く。腕を組んで仁王立ちしたキョウイチ、おもむろに前進していって暗闇に一歩踏み込んだ。一瞬だったが、自己を認識する感覚がありながら、存在感を完全に喪失してしまった― ― 有にして無、無にして有とはこのことか。静寂の重圧に、いまにも圧しつぶされてしまいそうだ。  感電したように全身に不快感が拡がり、肉体を構成する分子の崩壊していく感覚が襲ってくる。静寂の中にじわじわ押し寄せる騒音が、ばらばらになった肉体に浸透し、無数の虫が這いずり回るような不快感となって全身を覆い盡くす。  眼窩から飛びだした眼球が飛び交い、憎しみのこもった嘲りが空間を揺さ振る。死の世界にいながら、さらなる死に直面することになろうとは、経験のない3 人には想像を絶する事態だった。肉体が崩壊しても意識は存在しつづける。彼らはいま、現実か虚構か分からないまま体験していた。  足下に堅い地面を触知した彼らは、おぼろに見える周囲を見回し、そして声にならない絶叫を上げた。下にあるはずの地面が上方にあり、空間が下方にある逆転世界にいたのだ。留まることのない眩暈と嘔吐感が、感覚、知覚を制御不能にし、狂乱状態からの脱出を不可能にしていた。  欺瞞の罠に嵌まってがんじがらめになり、肉体のみならず精神までもが、修復不可能なほどに四分五裂し、残るは不快感だけだった。罠と識りながら抵抗もできず、襲いくる吐き気と眩暈を払拭できない― ― 安酒を吞みすぎ、宿酔いを味わっているようだ。  真っ赤な眼をした悪鬼が、髪振り乱し牙を剥いた凄まじい形相で喚き散らす。立ちこめる消毒臭を掻き分けるように響く金属音に混じり、有象無象のざわめいた呟きが行き交う。亡者の行き来する足音に、摩滅した車輪の軋り音が被さり、耳障りな音となって四壁に反響する。  フードを目深に被り、大鎌を手にした複数の亡者が、近づいてきて解剖台に横たわる3 人に死を宣告する。それを聴いていたキョウイチが笑い、横にいたシンノスケが笑い、コウジロウが笑った。3 人の笑い声は、解剖台を取り巻く亡者に伝播し、洞窟内の岩壁に反響して、悪意のこもった不快な響きに変わった。その不快な笑い声は、いつの間にかすすり泣きに変わり、さらに滝壺に向かって落下する水の音に掏り替わった。  噴き上げてくる熱風のもたらす激烈な痛みに、彼らは呼吸が停ってしまって絶叫を上げる間もない。落下していく水は途中で沸騰し、肉体はおろか意識をも粉砕してしまう破壊力を振るう。  「本来なら、激痛でショック死しても当然なんだが、まだ意識だけは残っているな。シンノスケ、コウジロウ、そうは想わんか? 」  「そうは想うけど、いつまでこんなことが続くんだろな。我々をいくらいたぶってみたところで、何もなりはしないだろに。何者かしらないが、単なるサディストではないのか」  「単なるサディストにしては度が過ぎてるよな。当人が狂っていることに気づいていないのだろ」  「諦めのわるい狂人が、我々がいつまでも存在していることに苛立っているんだろ」  「汝、呪われたる者よ… … ってところかな。狂人が己れの狂いっぷりに、哀れにも気づかず、永遠に苦しむの図だな」  「サディストなんて奴は、元々狂ってるんだろ。同情の余地もない哀れな存在だ」  「劣等感が精神を歪め、正常な精神が異常になるんだな。劣等感がサディズムを生み出すのだろ」  罰を与える意味でもあるのか、3 人のありもしない肉体を激痛が苛む。分子をことごとく分解し、擂り潰してしまう巨大なビーム兵器の攻撃にでも遭ってしまったのだろう。しかし、如何に強大な破壊力を持つ兵器だろうと、意識を繋ぐ超微小な粒子を粉砕することはできない。地球の人類を支配下におき、思い通り操ろうと画策する狂った異星人には、霊魂を死滅させるほどの力はない。  異星人の苛立ちが憎悪となって彼らに襲いかかり、八つ裂きにしようとするが、所詮、狂人の支離滅裂な攻撃には限界がある。たとえ高度なテクノロジーを持っていようと、よこしまな考えが逆効果となり、連中の思い通りにはならない。  狂的につのる一方の苛立ちは、極限を超える寸前に攻撃の矛先を己れに向ける。狂乱状態は自壊作用を起こし、狂った異星人は自身をも標的にし始めた。  攪拌機の中の実験材料のように、洞窟全体が高速かつ縦横無盡に揺れ動く。振動は激しさを増し、物質を構成する原子の結合力を破壊、さらに洞窟の内部崩壊へと変わっていった。群がり集まった亡霊や悪鬼が、右往左往し牙を剥いて暴れ回る。宇宙そのものが発狂し、自壊作用を起こし始めた。3 人は、混濁する空間の狭隙に逃げこみ、洞窟内に渦巻く狂乱怒涛を避けた。  背後から邪悪な想念が触手を伸ばしてくる気配を感じ、ぎょっとして振り向くコウジロウの眼前を何かが一閃した。フードを目深に被った死霊が、大鎌を手にして襲いかかろうとしている。コウジロウの悲鳴に驚いたシンノスケ、キョウイチは振り向きざま、コウジロウの腕を掴んでその場から逃げ出した。超弩級の恐怖感に、2 人は本能の命ずるままに咄嗟の行動をとったのだ。  彼らはからくも、狂風が渦巻いて吹き荒れ、地面が大揺れに揺れる洞窟から逃れでた。眼前には、白一色の凍結した空間が拡がり、方向感覚を麻痺させてしまう死の世界があった。振り向いた先には、狂乱怒涛の嵐が渦巻き、とぐろを巻いて破壊の限りをつくす洞窟が口を空けていた。キョウイチは、白一色の世界に一歩を踏み出し、前と同じ動作を繰り返しているのに気づいた。  以前は何も見えない暗黒の世界に、いまは見えていながら見えないも同然の白銀の世界に。シンノスケ、コウジロウが足許を確かめるかのように、おそるおそるキョウイチに随いていった。  「あの大鎌を構えて近づいてきたのは、それまでの亡霊や悪鬼の類いとはまったく違ってたな」  「一、二年交際って別れた、相手の表情が重なって見えたから余計に怖かった」  「やっぱりそうか。コウジロウの相手って交通事故で亡くなったんだったな」  「そうなんだ。そういうキョウイチは? 」  「ああ、同様に前の交際相手の貌が二重写しになって見えた。震え上がったな」  「シンノスケも同じか? 」  「そう、二年目の暮れに喧嘩わかれしてしまった。後悔しても遅すぎるんだが… … 」 十  一撃で粉々に砕けてしまいそうな凍てついた白銀世界、何処ともしれない最果てを3 人は《彷徨|さまよ》っていた。天空から地上まで繋ぎ目なく続く氷原を、ゼンマイ仕掛けの人形のようにぎくしゃく歩く。思考力そのものが凍りついてしまったか、ただ自動的に脚を動かし、先へさきへとゆっくり歩き続ける。全身に寒気が浸透し、歩いている実感はまったくなかった。電気が切れるまで動く機械のように、両脚が前後、上下に動作を繰り返す。  何処からともなく、聴き憶えのある鳥の啼き声がきこえてきた。鳥が囀った直後、足許に生じた罅割れはまたたくまに天空にまで届いた。天空から氷片に混じって、白骨化した無数の死体が音もなく降り注ぎ、氷結した地面を貫いて落下していった。  前を歩いていたキョウイチが視界から消え、次にシンノスケが消え去り、コウジロウだけが残った。ふるえおののくコウジロウを、何者かが鉤爪に力をこめて掴まえ地中に引きずりこむ。  コウジロウは百足や《蚰蜒|げじげじ》が、這い上がってくる感覚に囚われ、悲鳴を上げるが声にならない。白骨化した死体の取り囲む中で身動きが取れず、声にならない絶叫を上げ続けた。髑髏が軽蔑のまなざしで睨み、フードを目深に被った亡霊が嘲り笑い、悪鬼が牙を剥き、髪振り乱して喚き散らす。嵌まりこんでしまった発狂世界から、なんとか抜けだそうとしている中に意識が遠のいていった。  キョウイチが腕組みをして、凹んだフロントグリルを仔細に観察している。傍にいたシンノスケが、天を仰いで頭を抱え、声にならない愕きの声を上げた。キョウイチが振り向き、怪訝そうな表情をしながら話しかけてくる。一体どうしてしまったんだろう― ― 揃いもそろって、車の前に呆然と立ち盡くしているなんて。何かが車にぶつかり、ヘッドライトをぺしゃんこにした上に、バンパーを内側に押し潰していた。  「ぶつかった瞬間の衝撃は、ハンドルを握る掌に伝わってきたのは確かだ。しかし、こんなに酷く凹んでしまうとは参ったな。ぶつかる寸前には何も見えなかったぞ」  「確かに… … 話に熱中していたことはしていたけど」  「とにかく、何時までも思案していたって暇潰しにもならない。暗くならない中に、少しでも目的地に近づいておこう。車がうごくかどうかだが… … 」  「なんだが気分が悪くて吐きそうだ。すぐ戻るから、ちょっと待っててくれないか」  キョウイチ、シンノスケの2 人がそれぞれ叢の中に消えて行った。残ったコウジロウは、車の前に独りたたずみ、損傷程度を観察していた。日が陰って辺りが暗くなり、そうこうする中に月が上がってきた。  薄闇の中にたたずむコウジロウの周囲にざわめきが起こり、警官が2 人、コウジロウを突き抜けて車の前に仁王立ちになった。一方の警官が車のフロントグリルを懐中電灯で照らし、他方の警官がタブレットにデータを音声入力し始める。  「いったいぜんたい、この四輪駆動車は何時ごろから此処に放置されてたんだろな。ぺしゃんこになった前面には苔が生え、座席はボロボロ、むき出しのフレームは腐食してしまってるし、ホイールだけで此処まで辿り着けたはずはなかろし… … 」  「まあ、業者が不法に投棄した廃棄物じゃないのかな。ナンバープレートなんて、とっくの昔に廃止になってるってのに、ご大層なプレートがバンパーごと車体にめり込んでしまってる。廃棄物回収専用機を呼び出して回収させよう。鑑識が何か面白い事実を発見するかもしれんな」  「やけに今夜は冷えるじゃないか。夜も更けてきたことだし、早いとこ片づけて署に戻ろうぜ」  「ああ、そうだな」  2 人の警官はそこいら中に散乱する、苔むした複数の白骨に気づかず、叢に駐機させておいたパトロール機に乗り込むと飛び発った。  キョウイチとシンノスケが、叢を掻き分けて戻ってきた。なんだか、2 人とも色青ざめ痩せさらばえてしまって死人のようだ。そういう自分はどうなんだろう― ― コウジロウは自問する。誰だって自分のことは、他人を識るほどには識らないものだ。  「此処まできて引っ返すのもなんだけど、今回は中止ということにしよう。月が昇ってきたにしては暗すぎるし… … 。目的地まであと僅かにしろ、山道をいくのは無謀のような気がする」  「残念だがしようがないかな。ヘッドライトなしで走行したのでは、その中に崖下に転落だってしかねないしな」  「また気分が悪くなる前に引っ返えすとするか。G P S システムの示すデータを保存しておいて、次回に役立てることにしよう」  3 人は車に乗り込み方向転換して、真っ暗闇をパトロール機が飛び去った方角を目指した。車の喘ぐようなエンジン音が不安を誘い、暗闇に潜む邪悪な存在に3人は怯えた。遠のく意識にしがみつく3 人には、還る方向が一本の線になって見えていた。もう路面に埋め込んだチップを当てにしなくとも、暗闇に浮かび上がった光の筋が帰路を教えてくれるのだ。  四輪駆動車はエンジンを停止したにも拘わらず、天空に向かって延びる光の誘導路上を光速で疾駆していった。喘ぐようなエンジン音はもう聴こえないし、彼らの息づかいはおろか、亡霊、悪鬼の喚き声も聴こえてこない。最凶の心霊スポットに潜む、悪霊どもの勢力圏外に脱出できた証拠だ。キョウイチは顔をハンドルに押しつけ、シンノスケは驚いたように天を仰ぎ、コウジロウは頭を抱えて下を向き絶命していた。  年代物の四輪駆動車は、管轄内を取り仕切る警察を差し置き、中央の暇な警察の有能な鑑識班に、恰好な試料を提供することになった。2 人のパトロール警官が見落とした三体の苔むした白骨は、地元の立派な生体研究所に収まり、D N A 検査を待つばかりになっていた。  それから間もなく、息子の安否を気遣うそれぞれの家族に訃報が届いた。誰しもが真っ先に想ったのは、遺体がなぜ遺跡同然の状態だったのかということだった。  学院側は、3 人と親しかった学生数人と面談、心霊オタクの間で大人気の、「最凶心霊スポット」探検を禁止する声明を出した。一部には「最凶心霊スポット」の存在を否定する者もいた― ― いかがわしいサイトを識っている、わずかなユーザが騒いでいるにすぎないというのだ。 十一  絶滅危惧種と揶揄されるようになった地方の一新聞社が、住民の眼を惹く記事を第一面に載せた― ― 「一週間前、当地に長年居住する三家族から、当社に不思議な体験が寄せられた。本名は、個人の居住権を侵害する惧れがあり、仮名として公表することを理解いただきたい。ことの発端は… … 」。  記事には作り話めいたところはなく、心霊オタクに限らず、ある程度の信仰心ある購読者に考えさせる内容だった。三家族は別々の地域に居住しており、また職業も異なっているために面識はなかった。にも拘わらず、それぞれの家族の長男、次男、三男( いずれも同年代、低学年。それ以上は、当該家族の特定を避けるためか明記していない) が、同日、同刻に行方不明になり、一週間後の同日、同刻にひょっこり還ってきた。  電鈴がいつになく大きい音をたてて鳴り響き、驚いた住人が急いでドアを開けたところ、玄関にずぶ濡れ状態で一人の少年― ―余りの変わり様に、咄嗟には我が子とは判断できなかった― ― が佇んでいたという。寒さに全身を震わせている息子の様子に、両親は急遽、風呂場に連れていって、衣服の上から躊躇うことなく熱い湯を浴びせた。  それから、衣服をはぎ取り湯船に入れた。数十分後に、どうにか何時もの息子に戻った様子に安心した両親は、一人では食べきれないほどの料理を食卓にならべた。黙々と食べる様子を見て、この一週間なにも食べていなかったのではないかと、思えるほどだったと両親は語っている。さらに驚くべきなのは、食べ終わると同時に、昏睡状態に陥ってしまったことだ。  父親が二階の寝室に運んでいって寝かせたところ、夜中に夢遊病者のように二階と一階を毎晩、何度も行ったり来たりした。それから一週間後、夢中遊行はぴったり収まった。夢中遊行の収まったその翌日、少年は思い出したように登校し、いつものように級友と談笑し授業を受けた。担任の教師から適切に説明があったためか、何があったのかを当人に訊くような、うかつな生徒は全校生徒の中に一人もいなかったという。  ある日、教室から教室への移動中、氷上を歩くようにしている様を、級友に見とがめられた少年は急に前の生徒を掻き分け、壁を突き抜けて何処かへ消えてしまった。その時の様子を、何人もの級友が目撃していたために、全校中に知れわたり大変な騒ぎになった。  さらに驚くべきなのは、授業中に突然きえてしまい、それから暫くして忽然とあらわれ、いつも通りに授業を受けるという不思議な行動をたびたびとっている。担任教師が何処へ行っていたのかと問い質しても、「何処へも行っていない」の一点張りだったという。  《件|くだん》の3 人はそれぞれ別の学校に通っており、他の2 人が同じ日の時間帯に、同一行動をとったかどうかまで、新聞社では詳しく調査しなかった。しかし、三家族の証言を照合した限り、似たような行動をとっていたのは確実だと担当記者は語っている。  授業を邪魔したり、他の生徒に危害を加えることもないために、学校側は問題視せず穏便にすませた。だが、不思議としか考えられないのが、学校側の対応だけではなく、全校生徒の中に少年を気味悪く思うとか、怖がるとかいった兆候が見られなかったことだ。  オカルティズムの研究家や専門家の眼から視たら、やはり何処かが何かがおかしい。一部のいかがわしい雑誌では、この問題をセンセーショナルに扱い、心霊オタクなる購読者を倍増させた。大方の見方は、集団催眠現象だろうということだった。  ごく穏便かつ正統な季刊誌に、大学生3 人の行方不明事件との、関連性を指摘する取材記事が載ったことがある。研究者や大学教授が読むような、学術誌の類いであったためか、それほど話題にもならなかった。しかし、物理化学分野で活躍する、新進気鋭の研究家数人が当該記事に瞠目した。3 人の学生は時空の乱れに遭遇し、時間を過去から未来へと往来した挙げ句、別次元の世界に旅立ったのだろうと― ― 。学生3 人の分身が3 人の少年に憑依した可能性は大いにあるともいう。  時空の乱れと憑依現象の関連性を説く新説は、学界に居座り、時代遅れの権威を振りかざす頑迷固陋な学者連に、冷笑をもって迎えられたのはいうまでもない。アイザック・ニュートンのような偉大な科学者が、ふたたび現れ出ないかぎり、こういった想像の飛躍を要求する新説は、気の毒にも科学の主流にはなり得ない。  行方不明事件の顛末を、キョウイチ、シンノスケ、コウジロウの3人が、別世界から視ていたとしたら大笑いしただろう。二流の学者なんて偉そうにしているだけで、自己顕示欲が強いだけの、保身に汲々とする能なしにすぎない。己れが生き残るためなら、なんの躊躇いもなく何者かに魂を売り渡し、天動説を支持しつづけるだ ろう。  異端審問が終わり、法廷を後にしたガリレオ・ガリレイの呟き、「それでも地球は動いている」が定説になるまでに、人類は途方もない時間を浪費してきた。宇宙の仕組みを理解するには、表面をなぞっているだけでは無理がある。一陣の風とともに進入してくる何者かの囁きを、無意識の中に受け入れ、気づかずに真実を語ったところで、世間から嘲笑を浴びるのが関の山だろう。  空想、妄想の類いと見做されて一件落着するにすぎない。霊魂の入れ物である肉体を、人は誰でも単独で占有しているものと錯覚する。学識者なる知識で肥大化した頭脳の持ち主にいわせるなら、多重人格者は精神障害を負った哀れな生き物にすぎない。還元主義から一歩も出られず、己れの貧困な想像力を認めたくない学者 こそ、哀れな生き物なのにそれを自覚できない。人にはそれぞれ、神から与えられた使命― ― 天命がある。  善と悪の両輪がバランスよく機能してこそ、宇宙は呼吸し無意識のうちに進化の階梯を上っていく。生命は神の神経であり、細胞であり、頭脳であり、手足でありつづける。善悪の均衡が崩れたとき、宇宙は崩壊に向かい死滅に向かって墜ちていく。  宇宙では、絶え間なく自己修復機能が働き、生成、消滅を繰り返す。人間の世界では、設計者はあらかじめ不具合が起こると仮定して機器をモデュール化し、故障部分を切り離しても支障なく稼働するよう設計する。  故障した場合には、当該部分を修復可能かどうか見極め、修復不可能なら廃棄処分にする。宇宙の設計者である神は、自ら修復作業を行なうことはない。宇宙に存在する万物には自己生成、自己修復の機能が備わっている― ― 神はそのように設計した。  地球の人類を創ったのが地球外、太陽系外の異星人だとしても、それではその異星人を創ったのは何者なのだろうか。鶏が先か卵が先かなどといった不毛な論争は、二、三流の科学者か想像力に乏しい考古学者にでも任せておけばよい。  驚異に満ちた自然界の現象を識れば識るほど、神を想定しない限り論理は矛盾に陥り破綻する。時間を遡って行けたとしても、無限世界に迷い込み結論に達することはない。科学の進歩に合わせるかのように、新しい素粒子はこれからも限りなく出現することだろう。学問や知識を如何に修めようと、一見したところ単純な自然界の現象を理解できるようにはならない。[完]
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