フォントをダウンロード中
ページの左右でマウスを左クリックします。
または、 キーボードの左右の矢印キーを入力します。
ページ上で指先を左右になぞると、 前/次ページへ移動します。
メニューはページをタッチすると現れます。
× ヘルプを閉じる
少年二人は半壊した、屋根の無いソリの中に居た。生憎の曇天のため、夕日が見えず正確な時間が分からない。レオナルドが父親に貰った懐中時計は騒動の最中に壊れてしまったらしい、どれだけ長く見つめていても針が動くことは無かった。 「あー、畜生……お前今どんくらいだか分からねえか?」 「日が落ちるくらいでしょ。今日はここで寝るのが良さそうだ」 サイロはそう言うと、天井を見つめた。暗灰色の空に明かりは無く、少しずつ動いていく雲が見てとれた。晴れる兆しは無さそうだった。 「野宿、するのかよ……」 「さっき言ったじゃん、覚悟しなよって。いい機会だから言っとくけど、君は色々直した方がいい」 そう言いながらサイロは先程荷物を詰めた麻袋の中を漁り始めた。がらがらごろごろと物が動く音がする。 「何だよ、あーお前まだ漁ってない荷物貸せ。お前よりは中身把握してるから」 「んー」 サイロの生返事に、レオナルドはもう抗議しなくなった。息を全部吐き出して、レオナルドは立ち上がろうとした。が、立ち眩みに襲われて座り込んだ。 「あー……くそ…………サイロ、荷物取ってくんねえか? 大分長く水飲んでないから、しんど…………」 確かにレオナルドは化け物の襲撃からほとんど水を飲んでいない。一度堪えきれずに綺麗な雪を選んで三回程口にしただけである。正直に言えば、雪を食べるという行為に対してレオナルドはかなり抵抗があった。それでも、口一杯に雪を詰め込んだ時のひんやりと口全体が冷たくなり、身体の熱が治まっていくのは心地よいと感じたようである。 「水? 雪でも食べてればいいじゃん。解かして水にすれば?」 レオナルドの葛藤なぞ知らぬと言わんばかりに、小馬鹿にした顔でサイロはそう言う。流石にかちんときた。 「あのな、普通そんな飲み方しなかったんだよ今まで! いきなり慣れろってか? 無理だっつの!」 「だから覚悟しろって言ったのに。それより、このよく分からない食べ物開けておいて、すぐ食べられるようにしておいて。三人分出しておいてよ。僕はこれからまたすることがあるから」 レオナルドの主張を聞き流し、ちらりとこちらを一瞥し要件だけ言ったら、サイロはひらりと身を翻して暗い曇天が写ったような雪原へと消えていった。声をかける暇も無い素早さに、レオナルドは思わず舌を巻いた。 「あいつ…………勝手過ぎるだろ………………」 レオナルドは怒りよりも、呆れや脱力感を感じずにはいられなかった。自分の要件ばかりを優先させるのは、レオナルドの父親に似ていた。ぐっと胸につまる物があったが、レオナルドは気付かない振りをして何も出さないように努めた。何故か出したら負けだという気がした。 レオナルドはする事も無く、手持ち無沙汰だった。だが、すでにサイロの指示に従うのは何となく癪にさわるので、食事の準備ではなく荷物の整理を始めた。 サイロが麻袋に移していない物には共通点があった。サイロが欲していた物がレオナルドに読み取れる程、はっきりとした線引きだった。サイロが必要だと判断した物は食べ物、水筒、布、燐寸、灯り等の旅に欠かせない謂わば日用品であった。彼からすれば、貴重な資料だったとしても必要の無い、どうでもいいものなのだろう。 レオナルドの頭に、ふっと何かがよぎった。が、それを彼は自覚していない。遠くで狼のような、犬のような遠吠えが聞こえた。 荷物の整理をすると言っても、大してする事が無いので、仕方なくレオナルドが食事の準備を始めた頃、雪を踏む音が聞こえてきた。ふい、と顔をあげると黒いぼさぼさの頭が見えた。 「何やってたんだよ。勝手に居なくなりやがって」 「はいはい。で、今どうなってるの」 「何がだよって……食事か。出来合いのやつがあるからそれだよ」 「そう」 サイロは短くこう答えると、樹海の方向へ向き直った。軽く口の両端で親指と人差し指を噛み、大きく息を吸う。 すきま風の音に似た者だった。静かな雪原に、低い指笛が風に乗って遠くでこだまする。 「お、おいいきなり何やって…………」 黙れ、と手で制されてレオナルドは黙りこくった。目に見えない何かで押さえ付けられたようだ。サイロの目は、蛇のような捕食者、というより強者の目をしていた。 (悔しいけど、こいつがやると俺よりもなんかこう……支配者って感じになるんだよな…………) 遠くで狼のような、犬のような遠吠えがした。既視感のようなものを感じて、レオナルドは考えを巡らせた。 一つ、二つと遠吠えが聞こえる。何かが吠える声が雪原を一気に不気味なものへと変えていく。レオナルドの背中を冷や汗がつたっていった。小さく地鳴りのような足音が聞こえた。 「な、なあ…………これって俺達まずいんじゃねえか!? おいどうすんだよ!」 「五月蝿いよ。黙って見てな」 怠そうに応えるサイロに、なら説明しろと言いたいのを唇を噛んで我慢した。この点では、レオナルドは今日この一日でかなり成長したと言えるだろう。 暗い雪原に吹く風は色々なものを連れてきた。地鳴りのような足音が近付いていた。足音の方向へ、よく目を凝らすと砂煙のよう雪が舞い上がっているのが薄く見えた。何かが近付いている。しかも、かなり大きいのではないか? まさか、あの化け物がまた来たのでは───? 交錯するレオナルドの思案とは反対に、サイロは真っ直ぐ前を向いて立っていた。凛としたその姿に、レオナルドは自分が情けなくなった。 (何なんだよ、この差……) 内心でレオナルドが剥れていると、何かに気付いたらしい、不意にサイロがソリの外へと出た。レオナルドが呆気にとられたのもつかの間、サイロを呼んで急いで彼を追った。 「おいサイロ! 危ねえんだから……」 「ご主人!」 「は?」 聞こえたのは男の声だった。おそらくこれは、レオナルドやサイロより少し年上のものだ。声の主をあたりを見渡して探す。レオナルドの視界の斜め上で、何かが跳び跳ねた。 「はあ!?」 影を視線で追うと、そこには大きな狼のような犬が居た。それ以外には何も居ない。消去法で考えると、声の主は一人(一つ?)しかない。 「ご主人、お呼びですか! 樹海の方の探索、してきましたよ!」 「あり得ねえ!!」 声を発していたのは、その大きな「犬」だった。何故かサイロをご主人と呼ぶその犬は大きな尻尾をぶんぶんと振っていた。一振りする度にぶおんと風が鳴った。 「お疲れ様、ノース。じゃあ食事をして、後はなんとかしよう。ああ、これ、今日から一緒に来るんだって」 サイロが軽くレオナルドを犬に紹介した。が、紹介とも言えないような雑さに少々呆れながらも諦めたのかレオナルドが改めて自己紹介をする。 「紹介雑だなおい! えーっと……ノース? だったっけか? 俺はレオナルド。ナクラの学者の息子だ。よろしく頼むぜ」 ノースと呼ばれた犬はかなり大きく、灰の混じった黒の毛で覆われていて、顔の部分だけが白かった。人懐こい色を浮かべた大きな瞳はくりくりと動き、嬉しそうに目を細めた。 「レオナルド! よろしく! 俺はご主人と一緒に旅してるんだ、仲間が増えた!」 ノースはそう言いながら飛び上がった。しかし、ひらりと着地した筈の所にノースは居なかった。ノースの代わりに居たのは、大柄だが顔立ちに幼さの残るレオナルドより少し年上に見える少年だった。「…………は?」 「どうしたんだ、レオナルド? ご主人、俺何すればいいの?」 想定外の事が重なりすぎた。レオナルドの頭の中は絡まってしまっている。仕方がないが、サイロとノースの空気を無視する力はなかなかのものだと言えるだろう。 「あり得ねえって! え、ノースお前獣人だったのかよ!? なら最初からそう言えっつの! 無駄に混乱したじゃねえか!!」 レオナルドが不憫に思えるのも仕方無かろう。 「そっか、驚いたのかー。ご主人、俺のことレオナルドに言って無かったんだな。じゃあもう一回言う! 俺は犬の獣人のノース! 名前はご主人につけてもらったんだ!」 サイロとは正反対の、愛想のいい獣人だった。人間の姿になっても残る耳はぴんと伸び、尻尾をしきりに振っていた。好青年という言葉がしっくりくる。サイロと正反対であるが、レオナルドとも全く違う少年だった。 「サイロが名付け親!? いやちょっと待て、あいつ化け物に鳥虎とか訳分かんねえ名前付ける奴だぞ? そんなちゃんとした名前、本当にサイロが付けたのかよ!?」 「そんな事言うな! 確かにご主人は適当に名前付けるし、俺も最初は犬男になるところだったけど、俺にとって大事なものになるからって、凄く沢山考えてくれた名前なんだよ!」 レオナルドは吹き出した。確かに不意討ちのように「犬男」と言われて笑わない人の方が珍しいだろう。いきなりレオナルドの喉から変な音が出て、ノースとサイロは驚いた顔をした。 「……なにその変な音。あと、食事何処にも無いんだけど」 「お前どこまでも……まあいいや。今日グェンで買った弁当があるんだよ、ほら本の下にあっただろ?」 「本? レオナルドは本読むのか? お前、字を読めるんだな、凄いことだ!」 怪訝そうな顔をしたサイロ、レオナルドが字を読めると分かり、尊敬するような視線を嬉しそうに向けるノース。レオナルドは困惑した。字を読めるのは彼にとって当然のことだ。ナクラでは小さな子供でも簡単なものなら読める。今までのレオナルドの生活には欠かせないものだったのだ。 しかし、この反応ではおそらくサイロもノースも字を知らない。読む必要が無かったのだろうか? いや、学ぶ機会に恵まれなかったというのが一番相応しいだろうか。 (こいつら、俺の想像出来ない人生だったんだ……逆に、今までよく生きてられたな) 「本………………」 尻尾を振り回すノースとは反対に、サイロは真剣な顔をして本を探していた。彼の様子から察するに、本の概念は知っているらしい。レオナルドはそれも不思議に思った。 「その袋貸せ…………ほら、あっただろ?」 レオナルドが取り出した弁当は注意書きの書かれた紙にくるまれた直方体の箱だった。何も知らないサイロから見れば、弁当だとは分からないだろう。 「……………………」 サイロは何も言わない。主人を案じるようにノースはサイロを見ていた。サイロの金の瞳は鈍い色をたたえ、写していて何も写っていないようにレオナルドには思えた。 「四人分あんだよ。全部食っちまわねえと悪くなるから、全部あけるぞ」 レオナルドは何も言わない方がいいと思った。何を言ったとしても誰も助からないと、何となく分かった。これの名前が「気遣い」だと、レオナルドは知らない。 「食事にするのか!? 弁当ってなんだ? 旨いのか?!」 「これは旨いぜ。グェンの家庭料理で、名前は……何つったかな。米と、小麦粉を水を練ったやつに茸と野菜を入れて蒸しながら炊くみたいな感じで作るんだ。かなり腹持ちいいから明日の朝何も食べなくても動けるぜ」 「ふうん……君、これ作れる?」 「無理に決まってんだろ」 「威張らないでくれる? 調理はやっぱり無理か、仕方ない……」 「ご主人、これ! 俺今までこんなの食べたこと無いよ!」 「早えなお前! 何時開けた!?」 「今!」 レオナルドが今まで経験した中で最も賑やかな食事だった。それがこれからのことだと思うと、何故か胸があつくなった。夜が少しずつ更けていった。
1
15
シリーズ一覧
感想を送る
作品を紹介
ブックマーク
しおりを挟む
作品情報
使い方
登録が完了しました!
確認事項
戻る
実行