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 俺が君に剣を向けることをためらったのは。  正義なんて不確かなものを掲げて君を殺すことが怖かったからだ。  俺が君に剣を突き立てたのは。  あんなに優しかった君が誰かを傷つけているところを見ることが怖くなったからだ。  俺は、ただの臆病者だ。 「むかーしむかし」  十八歳くらいの女の子は小さな子供たちに、ある絵本の朗読を始めた。 「花都《かつ》と呼ばれた国に、一人の少女がおりました」 「かつって僕らが住んでるくにのことでしょ!」  女の子の言葉に幼い男の子が得意げに反応する。女の子は、にっこり微笑むとゆっくりとした動作で頷いた。春は桜、夏は紫陽花、秋は彼岸花、冬は梅が咲き誇るとても美しい国、それが花都だ。 「その少女は不思議な力を持っていました。少女は死後の世界から流れ出てくる闇の力を浄化することができたのです。その力は国の人々にたいそう喜ばれ、重宝されました」  女の子はそこで言葉をきると、本のページをめくった。子供たちはきらきらとした顔で絵本の続きを待っている。 「国のあちこちを旅する生活を続けながら、少女は綺麗な女性へと成長していきました。そんな彼女が久しぶりに故郷に帰ってきたとき、少女は一人の鬼の青年と出会います。少女と鬼の青年は、互いに恋に落ち、ほどなくして一人の男の子を授かりました」 「この人が成宮さま?」  先ほどの男の子がぐっと手を伸ばして、絵本の中の赤ん坊を指さして首をかしげる。女の子がまたにっこり笑って頷いた。子供たちは目を輝かせて赤ん坊を見つめる。 「その男の子は成宮と名付けられ、大切に大切に育てられました。男の子が十歳になったとき、男の子の体に不思議な力が宿っていることが分かります。それは、少女から受け継いだ闇を浄化する力と、鬼の青年から受け継いだ赤鬼の力でした」  女の子はそこで言葉を切ると、子供たちの顔を見つめてからページをめくった。 「大きくなった成宮は両親から授かった力を使って、数年前から現れるようになった闇の怪物を退治するようになります。その様子を見ていた町の人々は、こぞって鬼との子を授かり、闇の怪物に傷をつけられる人は次第に増えていきました。その人々は鬼士と名付けられ、闇の怪物を討伐する組織が出来上がっていきました。これが、今の警衛隊の始まりと言われています」  女の子が、絵本を閉じると子供たちは思い思いに体を動かしたり、絵本の感想を言いあったりし始めた。 女の子がそれを目を細めて見つめていると、がらがらっと扉が開いて、女の子より少し年下の男の子が入ってきた。金蓮花《きんれんか》の刺繍が入った袴を着ている少年をみて、子供たちはびっくりしたように固まった。  袴は、警衛隊に所属している証だった。袴に入っている刺繍は階級を表していて、金蓮花は下から二番目の階級であることを示していた。その上は西洋薄雪草《せいよううすゆきそう》、その次は立麝香草《たちじゃこうそう》。一番上が雛菊《ひなぎく》、一番下が花浜匙《はなはまさじ》となっている。 「樹希、訓練は?」  女の子は立ち上がって入ってきた少年のもとに駆け寄った。女の子は顔を綻ばせながら、柔らかい声で少年にそう問いかける。 「さっき終わった」  樹希は疲れた様子でそうつぶやくと、部屋の隅っこに座り込んだ。女の子はふふっとほほ笑むと、その隣に腰かけた。その様子を見て、驚きから覚めた子供たちがざわざわと騒ぎだす。 「お疲れ様」 女の子からの労いの言葉に樹希は、少し口角をあげた。 「ねぇ夏夢ちゃん」  朗読をしていた女の子に、幼い少女がそろそろと近寄ってきて遠慮がちに声をかける。 「どうしたの?」 「この人、けいえいたいの人?」  夏夢は、小さな声で話す少女の言葉に自慢げに頷いた。 「そうだよ」  夏夢の返事に、子供たちのざわめきがより大きくなる。警衛隊は、子供たちにとってあこがれの職業の一つだ。国の人々を悪い怪物から守ってくれる鬼師は、花都の国では英雄的なあつかいをうけている。子供たちに誇らしげな視線を幼馴染が向けられていることがうれしくて、夏夢にまにまとほほ笑んだ。 「なー、けいえいたいって大変?」  朗読中も元気いっぱいだった男の子が、樹希に尋ねる。その目は幼いながら真剣で、樹希は姿勢を正すと大きく頷いた。 「人を守る仕事だからな」  樹希は子供の目を見つめて、はっきりとそう告げる。男の子は、その目を受けて少し不安そうに口を尖らせた。 「僕でも、なれるかな」  樹希は、その問いにすぐに答えることができずに言葉に詰まる。鬼師になるには鬼師養成学校の試験に合格し、たくさんの試験で及第点をとり、国家試験に受かることが必要になる。その門は狭く、警衛隊が作られてから何十年とたった今でも、鬼師の人数は鬼の力を持つ人々の三割にとどまっていた。 「みんなには、鬼の力があるんだから。努力次第でどうにでもなるよ」 夏夢の声がしんとした室内に響いた。優しく、強いその声は男の子の胸にじんわりと染み込んでいく。男の子の顔が、ゆっくりと笑顔に変わる様子を見て樹希は、ほっと小さく息を吐いた。  実際には、体に流れる鬼の力の濃度で鬼師としての実力はかなり決まってしまう。努力ですべてがどうにかなるような優しい世界ではないことを、樹希も夏夢もよく知っていた。いつか、この幼い子供たちがその現実を突きつけられる日が来ることも。でも、だからこそ、夏夢は夢を見られる時間を大切にしてあげたかった。樹希も優しくて残酷な幼馴染の気持ちを汲み取り、何も言わずに目を細める。 「ぼく、がんばるから見ててね、夏夢ちゃん」 「うん、頑張ってね」  柔らかな空気が流れだした室内に午後四時を告げる鐘の音が鳴り響いた。それを聞いた子供たちは各々に帰る支度をはじめ、それから少しすると仕事を終えた大人たちが次々と迎えに来る。最後の子供を見送って、夏夢と樹希も帰り支度を始めた。  商店街のざわめきを感じながら、樹希たちは家に向かう。どこからか漂ってくる夕飯の香りが、二人の空腹を誘った。生暖かい風が夏夢の長い髪をさらう。潮の香りをはらんだその風を胸いっぱに吸い込んだ樹希は、柔らかい表情であたりの景色を見回した。幸福そうな人々と豊かな自然にあふれたこの街を守る決意を、噛みしめる。 「どうかした?」 「いや、なんでもない」 「この街、好きだなーって思ったの?」  樹希は自分の気持ちをそのままあてられたことに驚き、目を見開いた。その様子を見て、夏夢はおかしそうに笑う。笑われたことに、むっとして小さく唇を尖らせる樹希に、夏夢はさらに笑顔になった。  夏夢の笑い声と、それに抗議する樹希の声が、西に傾いた太陽を抱えた空に吸い込まれていく。彼らとすれ違う人々の顔にも幸せが満ちていた。いつも通りのなんてことはないけれど、樹希にとってはなによりも大切なそんな日常を壊す影は、着実に彼の背後に迫っていた。まるで捕食者が気が付かれずに獲物の近くに忍び寄るように、静かに、確かに、彼の喉元は危険にさらされていた。 「さあ、パレードの始まりだ」  狂気に満ちた笑顔を浮かべる男が人里離れた小さな小屋の中でつぶやいた言葉も同じように空に届く。男の部屋には、ごく一部の人間しか閲覧することのできない貴重な”あの日”の文献の写しが散乱し、部屋の壁には大きくバツ印をつけられた写真が二枚貼り付けられていた。男は机の上に置かれた手紙を大切そうに、手に取ると歯を見せて笑い、どこかへ向かって歩き出す。傾き始めた太陽が、彼の行く道を明るく照らした。
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