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1-1-1  思考が磨り減り、感情が前へ前へとオレを責めたてる。  白く熱を持った吐息が、視界を掠めた。  夜の帳がまだ重く垂れこめている中、冷気を混ぜ込むように全身を躍動させる。  振り下ろした魔剣、その感触が手の中から霧散した。  軽くなった右手を呑み込む黒い魔力。  右足を軸に身体を回し、左手の魔剣で横一閃。  左腕の軌道をなぞる右手が、魔力の中で柄に触れた。  虚空から引き抜いた魔剣で幻影を切り裂き、オレは訓練を止める。  足音のない死神が火照った肌を撫ぜた。優しく、まるで我が子を慈しむかのように。  冬はまだ始まっていない。しかし、野原に活気はなかった。  野原には、だが。  遠く、東の空から響く駆動音。  闇夜を切り刻む騒音が近づいてくるにしたがって、滑走路のあたりが俄かに騒がしくなった。 「飛行、機……?」  闇を滑る影に、喉が知れずと蠕く。  いつからか、機械には苦手意識を持つようになっていた。  扱うことが出来ないから。更に言えば、魔力も使わずに動く理屈が分からないから。  澄んだ星空のただなかに、国家の徴を持つ機影。あれはまさしく自軍のモノ。  なにを気にしていたのだ。馬鹿馬鹿しい。空は己の領分ではないだろう。  冷たい風がオレを追い越していく。体温はこの短い時間で奪いつくされていた。  剣を振ることに随分と熱中したものだ。  遠くに見える外套が、途中で脱ぎ捨てた状態のまま風に煽られている。  だがまぁ、これで―― 「――少しは寝ることができる……」  汗を流してから部屋に戻ると、一月前から増えた騒音に出迎えられた。  あまりの煩さに思わず眉をしかめてしまう。 「――いいご身分だな」  気持ちが漏れてしまい、天井を仰ぐ。  しかしそれもすぐに掻き消されてしまった。副官のいびきによって。  迷惑な話だ。部屋は狭くなり、夜は騒がしくなった。このまま眠れない日が続けば、業務に支障がでるかもしれない。  その時は部屋割りの変更を申し出よう。  きっとあのヒトは驚くのだろう。キミが何かを求めるなんて、と。  ひとまずはこれを何とかしよう。これでは寝れたものではない。何のためにオレは寒空の下、身体を動かしたのか。  机の水差しが目に入る。手には湿り気を帯びた手拭。  導き出される答えはただ一つ。  俺は手拭をさらに濡らして少年の顔に被せた。 「んぐ――」 「……………………」 「…………んがっ……ふすー」  幾分かマシになった音に満足し、イスに座る。  目の前には、月明りに照らされる見慣れた光景。  それらすべてを見るようにして、浅く座り直す。  壁は紙に覆われ、明かりを浴びることが出来ていない。  無秩序に張り付けられた情報は、地図、他国の新聞の切り抜きに軍の資料と、よくもここまで集めたものだ、と自分でも思ってしまう量。  とりわけ目立つのは、中央に並ぶ六枚の写真。  その全てに帝国軍人が映っており、うち二つには大きなバツ印を付けている。  最後から二年もの間、印の数に動きはない。しかし、不思議と昔のような焦りはなかった。  鼓動が、常と変わらぬ拍子を繰り返す。  契約の――おかげなのだろう……こうしていられるのはきっと――そういうことなのだ。  朧げな意識が、赤子の慟哭を聴く。  怒り、願うことしか出来ない子供が、自らの無力を嘆き、血の涙を流していた。  生まれたばかりのオレが、暗い水溜まりの中で、必ず成し遂げると叫び、吼えている。 「あと…………よっつ」  ――まだ二つ。  霞む視界が歪んだ。写真を睨みつけて、歪む。 「かならず……かな、らず…………」  あぁ、明日は――物資の受取り、と――分配を、しなくて……は……。 「――? ぽー! 起きる。めーのご飯がおそくなる!」 「う……ん?」  舌ったらずの声とともに頭がぶれ、目が覚める。  どうやら寝台にも入らずに寝ていたようだ。  身体に走る痛みが、それを証明してくれている。  被った覚えのない毛布から顔を上げれば、愛嬌のある大きな瞳と目があった。 「ラッパはまだ鳴って……?」 「ずっっっと前になった! ぽーが、寝てる!」  早く早くとメロディに揺さぶられ、頭の靄が晴れてくる。 「す、すまな――」 「いつまでも座ってないで早く起きてあげろよ。なんなら手伝ってやろうか? 準備をさ」 「――ッ!」  憎たらしい声と僅かな金属音に視線が釣られ、頭に衝撃が走った。  身体が跳ね上がり、右手が宙を走る。 「ッおわ!? なん――」 「コレに触るな!」  魔剣を奪い取って、感情のままに喉を鳴らす。  埃っぽい空気は一度大きく震えると、死に絶えたように静まり返った。  黒髪の少年が、悪びれもせずに肩を竦める。その、仕草は、なんだ。 「ったく、そんな怒ることか? せっかく渡してやろうとしたのによー。どう思う、メロディちゃん?」 「……しらない。ゆーしゃ、きらい」 「え、えぇ……」  溜息で気持ちを切り替え、上下一体となった野戦服に足をいれる。  統一規格の衣服は身体にあわない。  しかたなく今日も袖をベルトの位置で結び、いつもの格好に落ち着いた。  両足を裾もろともブーツに突っ込めば、自然と身体に力が入る。 「さぁ、メロディ……カナタ。行くぞ、今日も忙しいからな」 「ごっ飯っご、は、ん!」 「寝坊した奴が何を言ってんだかなっと」  メロディの歩幅に合わせて進む。カナタのぼやきを、置き去りにして。 1-1-2  ただ食べるだけが食事ではない。これには二つ、切っても切れないものがある。  それは用意と、片付けだ。 「うぅうぉぉぉぉおおおお!!」  料理とは、食材が勝手に変身するものでなければ、食卓に突然出現するものでもない。  それでは御伽噺の魔法か何かになってしまう。 「今日は、絶対に、勝ぁつ!」  ましてや汚れた食器等が、自分達で風呂に……いや、これは流石にないな。  空想を鼻で笑う。  これを聞かされたら、どんな劇作家でも耳目を潰して逃げ出すだろう。それくらい酷い。 「おいおい、いいのかよポプリ? おててがお留守だぜ!?」  逃避していた思考が現実に引き戻される。ここは我が中隊の天幕、その中の一つ。  水湧き泡踊る戦場に、傍迷惑な声が轟いていた。  カナタは、いつものように一人で盛り上がっている。  黒い瞳に闘志を滾らして。  オレが付き合わないことは知っているだろうに、よくもまぁ……飽きないものだ。  溜息はとうの前に枯れ果てている。  部下達も、最初こそ哀れみの視線をオレにくれたが、一月もすればもう慣れたのだろう。  今では笑顔を忘れた神父のように、ただただ静寂を纏って作業にあたっていた。  部下の順応性にならって、オレも食器の塔を崩すことに専念するとしよう。 「あーぁ、嫌だ嫌だ。ここはむさくるしくて敵わない」 「……彼らには清潔であるよう徹底させている。毎日の清拭、三日に一度の湯浴み、それでも足りないか?」  あぁ足りないなと、花の香りを纏う声にオレは手を止める。  振り返った先で、一人の美丈夫が白い歯を見せた。 「男が群れているだけで罪だ。それは世界の常識であり、心理でもある」  男が面白がっているのは、火を見るよりも明らかだ。  オレははしばみ色の瞳を見つめ、思考を回す。  思いついた言葉を舌に乗り、喉が震えた。 「お前達、どうやらスイート少尉は他の部隊に転属したいらしい。何か知恵があるものはいるか?」  オレに人事権はないからなと続ければ、男達が大声で笑う。 「よしてくれポプリ。考えるだけでぞっとする。俺はお姫様達と離れるなんてまっぴらごめんだ」 「男性蔑視が過ぎるぞ。どこで何があるか分からないんだ――」  気を付けろ、と言う前にオレは言葉を遮られた。  スイートが両手を広げる。一つに束ねられた長い金髪を揺らして。 「それは違うな。男が嫌いなんじゃない、俺は女性を愛しているんだ」  役者のようにセリフを謳う同僚。無意識に左手が額へと伸びる。  背後の温度が下がったこともそうだが、頭痛の種は至る所にある。 「お前の隊は訓練をしているはず、持ち場を離れて何の用だ小隊長?」  そう言って指の隙間から覗き見ると、彼は待っていましたとばかりにセリフを続ける。 「――ん、随分な言いようだな。やってるぞ、自主訓練。うちの姫達は得意とするものが違うからな」 「それは最早、休みと同義だろう……」  スイートは金髪の束に触れ、否定はしないと笑った。 「おい……要件を言えよ、色男」  おや、とスイートの視線が背後へ向けられる。  額にやっていた手が震えた。何故か古傷が痛みを発している。 「これはこれは……挨拶が遅れてすまない。話は変わるが、時に少年。男の嫉妬は醜いと知ってるか?」 「っんだと――」  バカが馬鹿な事を口走る前に組み伏せる。なおも喚き散らす馬鹿。 「お前は少し黙っていろ」  カナタのこれは目に余る。どのように育てればこうなるのか、一度親から話を聞いてみたいものだ。  場所が場所なら、銃殺刑なのをこいつは知っているのだろうか?  部下達が馬鹿の拘束を代わってくれた。  あぁ……そうだ。縛り上げて、その辺に転がして置いてくれて構わない。 「少尉殿はお優しいことで」 「ムムガッ!?」 「……それは、どういう意味だ?」  さて? と、はぐらかすスイート。露骨すぎるその様は、どこからか口笛が聞えてきそうなものだった。  頭が痛い。医者に診せればきっと鎮痛薬を処方してくれることだろう。  居住まい正したスイートに意識を向ける。 「伝達! ポプリ少尉は至急、中隊長(シェフ)の元に来られたし!」 「シェフが……用向きは聞いているか?」  ざわつく左胸に手を当てる。嫌な予感しかしない。  前にもこんな事があったと、静かにしているカナタへ視線をやる。 「俺は訓練場で言伝を頼まれただけ、そこまでは知らないな。きっと今頃は――」 「十一時の方向、多分酒保あたりにでもいるのだろう」  繋がりを辿っていると、何か言いたげな奏汰と視線がぶつかる。  オレはそれを避け、部下達に向き直った。 「すまないがここを離れる。この仕事が終わり次第、昼食の用意と洗濯に取り掛かってくれて構わない。適宜休憩を挟むことも忘れないでく――」  言葉の途中で、部下の態度に違和感を覚える。  遠くを見やる者が居れば、何か納得したように頷く者もいる。それを終えた者は、皆一様に温かな視線をオレに向けてくるのだ。  花の香りに振り向くと、スイートが申し訳なさそうに頬を掻いていた。 「ここに来ることは伏せた……はずなんだが、すまない。どこからか情報が漏れたみたいだ」 「まさか……前のからまだ一月と経っていない。今朝だってそんな素振りは――」 「――――ッ!」  遠くから音が聞こえる。  スイートが道を空けると、今までその身体で隠れていた土埃が――遠くで土埃を巻き上げる何かが見えた。  傍らで彼が微笑む。 「女性は神秘的だ。そんなところも素敵だとは思わないか?」 「――聞いたかお前等? なら分かるな? 憲兵を呼べ! ここにロリコンがいるぞ!!」  カナタの号令が天幕を揺るがす。 「「「応ッ!」」」 「なっやめろ! 近寄るなっお前達、上官に逆らうとどうなるか知っているだろう!?」  溜息をその場に残し、大捕物が繰り広げられている天幕を抜け出す。  いつの間にカナタは自由になっていたのだろうか? どうでもいいな。  どうでもいいことだが、いい天気だ。昨日と違って日差しが温かい。  穏やかな風が、視界の隅で赤髪を揺する―― 「ポォォォおおおおお!!!」  音が意味をなす。土埃をあげる点が人影へと変わる。  出会ってから二年。これまでも幾度となく同じことがあった。 「今日は一段と、激しくなりそうだ……」 1-1-3 「――ぐほっ!」  腹部を突き抜ける衝撃。  身構えたのにもかかわらず、鈍い痛みは重い鉛となって腹に居座った。  はてオレは今日、彼女の気に障るようなことをしたのだろうか?  いや、していないはずだ。増え続ける禁止事項を脳内で攫っても、なに一つ抵触した覚えはない。  確認のために再度呼びかける。 「メロ――」 「お腹すいた!」  くぐもった声を引き剥がそうとする。しかしメロディの腕は固く繋がれ、俺の腰を離そうとしない。  そうか、お腹が空いたのか。なら仕方のないことだ。ヒトの腹へ全速力で吶喊するのも。  なんたって、お腹が空いていたのだから……。 「手持ちには糧食しかない――」  瞬時に宙を舞う携帯糧食。  撥ね退けた本人はオレから離れると、その場で地団駄を踏み始めた。 「違うッそうじゃない! めーは、ぽーのご飯が食べたいの!」 「…………」  天幕から出てきたカナタが横に並んだ。  彼は一仕事終えたかのように、すっきりとした顔をしていた。 「作ってあげればいいじゃん。なんでそんなに渋るんだよ」  簡単に言ってくれる。この子は毎回、お前の三倍食べているんだぞ。  いったい何処にあの量が入るのか、その真実は誰も知るところではない。  額を拭った手を腰にあて、ふくれっ面のメロディを見つめる。   「駄目だ。これ以上、食費に予算は割けない」 「――ッ……」 「そりゃないってポプリ…………おい、どうすんだよ。メロディちゃん涙目になってるぞ」  視界を占領する平たい顔を押しやる。見ればメロディの顔に影が落ちていた。  予算の話は建前だ。ここで彼女の要求を呑めば、中央の支援部隊が黙っていない。  ただでさえうちの中隊は異色。指揮官にあっては上層部の頭痛の種だ。  身内から顰蹙を買うのは避けておきたい。ついでにいつものようなことも避けるべきだろう。 「勝負…………」 「だからな、メロディ。オレのお願いを――」  不穏な声音に、言葉が詰まる。  オレが訊ねる前に、声の主は真っ赤な顔で叫んだ。 「勝負するのッ! ぽーは負けたら、めーの言うことをきく! 分かった!?」  メロディが泣きながら私闘を持ち掛けてきた。  突き付けられた指先を見て思う。やはりこうなってしまったか、と。 「え? 何事? ちょっと意味が――」 「少年、出番が終わったなら引き下がるべきだ。分かるな?」  状況が理解できないと慌てていたカナタ。彼の姿が視界から消える。  振り向けば、並び立つオレの部下の元へ、スイートが彼を引き摺って行くところだった。 「おい何だよ!? は? なんでお前が、さっき縛ったはずだろ!?」 「他人の逢瀬を邪魔するのはいけないな少年。後学のために覚えておくといい。きっと役に立つ」  邪魔だったのは否定しない。しかし、逢瀬とはどういう意味だ……張り倒すぞ色男。 「【ほこり高き戦士、丘の輩(ともがら)よ】」  背後から魔力が吹き付ける。目を離していた隙に、メロディが詠唱を始めていた。  彼女がオレの了承を待たないのは、いつものことだ。これも仕方がない。  常とは違う厳かな声音。渦を巻く魔力が高まると、彼女の身体に異変が生じた。  折れてしまいそうな細腕には筋肉の筋が浮き上がり、その柔肌にヒトならざる体毛が生い茂る。 「【郷をおびやかす彼の者、それに抗うわれに爪牙(ちから)を】」  メロディが行使しているこれは、降霊魔術だ。丘の住人の血を色濃く引き継ぐ彼女だけが使える、希少な魔術。  ある期間に入ると狂暴性が増す。それを周りの者だけが知っている厄介な魔術でもある。  黄金色に輝く毛はその一本一本が硬く、通常の銃弾であれば弾くほど堅牢だ。  こちらを差し貫く獣の瞳に意を決し、オレも魔力を引き出し声に乗せる。  呼び出すのは二振りの片手剣。血の味を覚え、旅人の魂を喰らい続けた双子の魔剣。 「【目を覚ませアレク、ソニン】」  彼らは魔剣の特性を熟知し、それを活かして戦う二人組の盗賊だった。  剛性と筋力の上昇、二つの魔術を帯びて、オレは魔剣を構える。 「開始の合図は――ッ!?」 「UruaaaAAAAA!」  メロディは合図も待たずに突っ込んできた  鼻先で空を切る鋭い爪。  緊急回避により体勢が崩れる。しかし、それは空振った少女も同じ。  オレはがら空きになったメロディの脇腹へ蹴りを叩き込む。  質量差からその身体は少ない抵抗で飛んでいった。  ここでの正解は何処だ――どうやったら彼女に負けを認めさせられる?  オレは体格の差を強みに、間合いのそとから攻撃を仕掛け続ける。  切りつけ――と見せかけた柄頭での打撃。揺らいだ矮躯を掬うように放つ蹴り。  メロディはそれらを難なく避けると、目にも留まらぬ速さで爪を振るう。  胸元に走る痛み。彼女の右手を見れば、鉄をも裂くその爪が血で濡れていた。  昂っている少女の姿が視界から消える。  これは前兆。  超人的な速度でしゃがみ込み、力を解き放つ突進の前合図。 「Uuu――GUuuuu!?」 「フッ!」  迫りくるメロディに、握り込んだ拳を叩きつけ、オレは彼女から距離を取る。  メロディは顔を押さえながらその場で狼狽えていた。  仕切り直しといこうか……。  もともと少ない魔力を魔剣に持っていかれながら、思考を回す。  いつものことながら勝ち筋が見えない。今回は|上司の呼び出し(じかんせいげん)もあるから余計だ。 「L――AaaaaaaAAAAAA!」  またしても彼女が消えた。  脇腹に覚える鮮烈な痛み。  依然と比べて、メロディは一段と速くなっている。  彼女の成長に、眦が綻ぶのを押さえられない。  本当に、子供というものは、あっという間に大きくなる。  まるで我が事のように喜びながら、オレは少女を殴った。蹴った。打ち付けた。  意識が昂ぶっていくのが分かる。どれほどの間こうしていたのか。最早、傷の数など覚えていない。 「Uuuu――ううううう」  どうしたというのだろう。動きを止めたメロディが呻くと、猛り狂っていた魔力がその勢いをなくした。  異変を感じ、オレも構えを解く。  始まる前よりも鮮明に見えていた獣毛が、四肢の先から順に消え―― 「いっつもそう! ぽーはッめーのことをちゃんと見てくれない!」 「――な……」  ――そこには、瞳いっぱいに涙を溜めた少女が居た。  突然のことに、オレは言葉を失い、呆然と立ち尽くす。まるで天に聳える大樹のように。 「なんでッ? なんでちゃんとしてくれないの!? ぽーは我慢してばっか! めーはそれがやなの!」 「待て、なんのことを言って――」  癇癪を起こしたメロディの頬を涙が伝う。  彼女はオレの言うことも聞かず、嫌々と首を振りながら叫んだ。 「|腰の魔剣(それ)を抜いてよ! めーと本気で――ひぅッ!?」  鼓動が早く、呼吸は浅く、視界が、紅に染まる。  これは現実で何かが起こっているわけではない。それを俺は知っている。  幻影が現実(しかい)に這入りこみ、重なる。  山となった死体に、血の海、悍ましい笑顔。  剣を取り落とした両手が震えていた。  あぁ……これは、記憶。  五対の爪が皮膚を食い破る。  オレは声を、魔力を絞り出した。 「【来い……ラスタフール】」  視認できるほどの濃密な魔力の虚。  呼び出した小剣を握り締め、左手が唸る。己の太腿を目指して。  オレはそこから注がれる魔力を取り込み、震える。  削り取られた血肉が魔力で埋められていく。  オレは魔剣(アレク)に手を伸ばした。 「自分が何を口にしたか、分かっているんだろうな」  魔術を再び纏い終えた時、視界が加速する。  歯の隙間から漏れ出た言葉は置き去りとなった。   「ぽ――ぉ?」  互いの吐息が眼前で交わる。  オレはメロディを押し倒していた。  映し出される一対の自分を睨みつけ、唸る。  尋常ではない力が籠り、右腕が悲鳴をあげていた。  彼女の喉が鳴る。切っ先に触れた肌から血の露が顔を出した。 「あの言葉が何を意味するか、お前は知っているはずだ」  頬を流れる涙は止まることを知らず、むしろ、震える瞳からの勢いは増す一方。 「――っうぅ、ひっぐ……ごめ、なさ――」  輪郭のぼやけたオレは、酷く醜い顔をしている。  背後から香る花の匂い。  強い力で襟が喉を圧迫する。 「っ!?」 「やり過ぎだッそれ以上は私闘の域を超えるぞ!」  仰向けとなり呆然とするオレに、語気の荒い言葉が降りかかった。 「立てるな。怪我は――あぁ、血が……おい、メロディ。分かるか?」  膝を汚すスイートが、表情をなくしたメロディを抱き起している。  オレの理解が及ぶよりも先に、彼女の感情が溢れ出した。  堰を切ったように出る大量の涙。 「ぅぁぁぁあああああ! すぅぅぅっ。ぽーに、ぽーにぃ――嫌われちゃったぁぁあぁぁああああ!」 「……あー、ほら泣くな。メロディは副隊長だろう? 大丈夫。ポプリはヒトを嫌いにならないから」  さっきまで獣だった少女は、棒立ちのまま、天に向かって吼える。  男はその涙に狼狽えた。それでも彼女に寄り添い、励ましの言葉をかけ続ける。  それを見てオレは、己が何をなしたのか、やっと理解することが出来た。  怒ってしまった……もう、何も求めないと決めたはずなのに……怒ってしまったのだ。 「メロディ。なんでポプリに嫌われたと思うんだ。その理由を俺に教えてくれないか?」  スイートの視線が彼女とオレを行き来した。  オレに向けられたそれは、非難と要求を多分に含んでいる。  少女のたどたどしい言葉が宙を揺蕩う。中天に向かう太陽は白く、まるでオレを責めているようだ。  求められたのなら応える。それがオレ。  事の成り行きを見守っていた二振りの魔剣を送り還し、立ち上がる。 「――だから、ぽーは、もう……」  落ち着きを取り戻していた吐息が、スイートの視線に釣られて振り返る。  膝を汚す同僚にならってオレも地面に膝を着いた。地面に落ちる目線と目を合わせるために。 「謝らなければならないのは、オレの方だ。申し訳ない、メロディ。オレの考えが足りなかった」 「ぽーは、めーのこと……好き? 嫌いになってない?」 「ああ、勿論だとも。嫌いになったことなんて、一度もない」 「っぽー!」  耳元を擽る茶髪を指で梳く。抱きとめた温もりを感じていると、呆れたような溜息が聞えた。  目を開ければ、腰と額に手をやるスイート。彼は首を一つならしてから口を開いた。   「ったく。いいところばっか持っていきやがって」 「感謝してるさ。それだけじゃ足りないか?」 「――尊い…………」 「足りないな。もっとこう……何かないもんかね?」 「あぁ、あぁ、溢れんばかりの親子愛……尊いですぅ。パパにメーたん。そしてママは――」  何もないくせによく言う、と明け透けな笑顔に苦笑を返す。  離れようとしないメロディを抱き上げ、溜息を一つ。  そろそろ部下を止めるべきだろう。彼女の尊厳のためにも……。   「――子供を望めなかった二人にとって、メーたんは天使っ。やっと、これでやっと……二人の愛は報われ――」 「いつまでそうしているつもりだ曹長……報告があるんじゃないのか?」 「――ハッ!? し、失礼いたしました! ……報告しますっ! 一分隊 総員十名ッ事故二名! 事故の二名にあっては対象の警備! 以上十名ッ任務を終え、隊長の指揮下に戻ります!」  女性の下士官を筆頭に、我が小隊の部下達が建物の陰からバタバタと現れる。  分隊長の報告が終わる前に、彼女達は整然と並び終えた。  先程までの浮ついた空気はどこかに落としてきたようだ。十対の瞳からは熱意と真剣さが伝わってくる。 「ご苦労。次の仕事に取り掛かって構わない」 「はッ! 失礼します!」  曹長の号令とともに女性だけの分隊が歩き出した。  日頃の訓練の賜物だろう。彼女達は一糸乱れぬ動きで天幕を後にする。  だが、統制が取れていたのは隊伍の最後尾が建物の陰に消えるところまでだった。 「申し上げますっ会長、あんた何も分かっちゃいないわ! ポー / スイ でしょう! 小隊長を見てれば誰だって分かるはず! それに――」 「貴様ぁッ言うに事欠いて、隊長を愚弄する気か!」 「誰かっ伍長を止めて! これ以上会長を刺激するのは危険よ!」 「やめるんだ伍長っ地雷原での舞踏会には付き合いきれないぞ!」  やんややんやの声がこちらにまで届いていた。青年の隊員数名が膝から崩れ落ちる。  それを慰める妻子持ちの先任達。そこに、今までどこかに隠れていたカナタが加わる。  大分時間を使ってしまった。これは一言――いや二、三、小言を言われるのも覚悟しなければいけない。  オレはメロディをあやしながら歩き出した。 1-1-4 「仕事を頼んだはずだが、なんでついてくるんだ……」 「そりゃ、俺はお前の副官だからな!」  返ってきた鬱陶しい声で、オレは思考が漏れていることに気付く。  こいつと一緒に居ると調子が狂う。  現に、言うべきではないことまで、口にする機会が増えていた。  オレが断らないことを知っているのだろう。 「なぁ、今はどこに向かってるんだ?」  先を行くカナタが、黒髪の間から見上げてきた。  オレは周囲の視線を感じながら、溜息をつく。  あぁ……頭が痛い。 「酒保だ。フーヅ基地はヒトが多いからな。シェフはそこで寛いでいるんだろう」 「売店で寛ぐ……ホテルでもないのに、どうやって?」 「なぜここで宿屋が出てくるんだ……まぁ、ここの酒保は特殊だからな。着けば分かる」  気のない返事をしたカナタが前方を見る。  その先では駐留部隊の男達が、思い思いに余暇を過ごしていた。  外れにある我が中隊の隊舎と違い、酒保は並び立つ隊舎の中央部に存在する。  正直なところ、ここには近づきたくはなかった。 「なぁ……さっきから――」 「ここからは無駄口なしだ。分かったな?」  異変を感じたであろうカナタの眉間に力が入っていた。  突き刺さる悪意の槍衾を抜けようと、オレは速足で彼を追い抜く。  そこで気付いてしまった。前方から来る集団に。  なんてことだ……。オレは額を押さえたい欲求に駆られる。 「これはこれは、ポプリ殿。今日はお一人かな? いつも女の陰に隠れているのに、珍しいこともあるものだ」  集団の先頭が大仰な口ぶりで悪意を振り撒いた。それに釣られて後続も哄笑をあげる。  無言でカナタを制す。俺のことは無視か……? と、口から火を噴きそうな勢いだ。  下卑た笑いを見つめ、考える。彼は何を求めているのか、それを頭の中から曳き擦り出す。  彼等に道を譲り、地面を見つめる。ここではこれが正解だ。 「はい、中尉殿。今から少佐を迎えに行くところです」 「はんっ、嘆かわしい。軍人ともあろう者が、女の尻に敷かれて文句も言えないとは」  男の双眸で炎が燃え上がる。  それは軍の中に蔓延る業火。魔術が使えず虐げられてきた男達の、嫉妬の炎。   「私は認めないぞ、女が軍に居ることなど。ましてや同じ基地に存在するなど……虫唾が走る」  すれ違いざまに吐き捨てられた言葉が耳から耳へ抜ける。  集団が見えなくなるまで、そのままの態勢を保つ。  するとカナタが、溜めこんでいたものを吐き出すようにして息を吸った。 「なんなんだあいつ!? えっらそうにしやがって!」 「止めておけ、あんなでも上官だ」  そう言い残して足を進める。なおも言い募るカナタは放置してもいいだろう。  人目も憚らずに感情を吐露する姿には脱帽する。オレには決して出来ない真似だ。  そのようにしないと決めたのも、またオレだが。  追いすがってくる声は依然として刺々しく、オレは額へ手をやるのを堪えるのに、努力が必要となった。 「――ちょっと待てよっなんで置いてくんだ!」 「もともとお前がついてくる必要はないことだ。呼び出されたのはオレで、お前ではない」 「そりゃそうだけど……さっきも言われたろ!? もっと頼れよ!」 「不要だ。現状に問題は起きていない」  前方に目的の人影を見つける。シェフは白金の髪を陽光に晒して、カップを傾けていた。  ヒトを呼びつけておいて、優雅なものだ。  歩みを速めると、後方から言葉を叩きつけられた。個人主義が過ぎるぞ、と。  そんなことはとうの前から理解している。オレは自分のためだけに、ここでこうしているのだから。  シェフがこちらに気が付いた。彼女はイスから立ち上がると微笑みを浮かべる。  それは見る者の溜息を誘発するような、魔性のもの。 「遅かったね? 待ってたよ。待ちすぎてイスに根が張ってしまうところだった」  まるで感動の再会かのように、シェフが両手を広げて待ち構えていた。  オレはその数歩手前で立ち止まる。  早鐘を打っていた鼓動が静まり、左胸の熱が引いていく。  咎めるような黄金の瞳を見つめ、言葉を選ぶ。 「悪かった。道中いろいろあってな」  先程までのことを思い出すと、眉間を揉みほぐしたい衝動に駆られる。  シェフはそんなこともお構いなしとばかりに胸を押さえると、過剰な所作で目元を拭った。 「私のことを一番に優先はしてくれないのかい? 悲しい……悲しいよ。胸が張り裂けてしまいそうなほどにね」  本職が役者と言われても疑わないくらい、迫真の演技だった。しかし、最後の笑みで台無しになっている。 「冗談はもういい、用はなんだ。ただ呼び出しただけなんて言わないでくれよ」  黄金に影が差す。彼女は問いかけには答えず、標的を変えることでもって返答とした。 「やぁ勇者君。今日は過ごしやすい良い天気だ。どうだい、一緒にお茶でも?」 「は、はいっご一緒させていただきます。イザベル・ヴァー――」  随分と畏まった背中が言葉を詰まらせる。その原因はシェフだ。  彼女は一度溜息をついて見せるも、活き活きとしたなにかを顔に張り付けて言葉を奏でる。 「違う違う、シェフでいいと前にも言っただろう?」 「相手を指揮者と呼ぶのは違和感が……でしたら俺のことも、勇者ではなく奏汰と……」  カナタの声はシェフに届いていない。彼女の瞳は、料理の一覧を眺めることに夢中になっていた。  ポプリはコーヒーでいいねと言われ、オレも仕方なく席に着く。  早く慣れたほうがいい。そう思いはしても口にはしない。  目を虚ろにして立ち尽くすカナタに言っても、どうせ無駄だろう。  シェフは変わっている。彼女はどこの誰がどう見ても変人だと、そう言っても。 「勇者君は何を飲むんだい? 遠慮はせずに言うといい。なにしろここの支払いはポプリが持ってくれる」 「…………」 「好きにしろ」  どのみち使う当てのない金だ。  毎月渡される給金だって大部分が右から左で他人の懐へ、残ったものは全て机の中に入っている。  敵意の籠った視線が隣のイスに座った。彼の口は短く、カフェオレとだけ動いた。  改めて対面の席に座るシェフを見る。彼女は給仕の女性へ注文をしていた。  着崩した軍服に肩掛けの上着、曇った階級章。  およそ女性が身に着けるものとは思えないそれらを、彼女は見事に着こなしている。  第一と第二の隊員はどこか服装に着られている印象が拭えないのだが――  シェフがオレを覗き込んでいることに気が付き、思考を取りやめる。 「そんなに熱心に見つめられると、恥ずかしくなってしまうな……」 「やっと本題か、と期待したオレが馬鹿だった」  オレの嫌味もどこ吹く風で、彼女は事もなさげに金糸を掻き上げ、耳にかけた。  一々取り合っていたらこちらが持たない。なんだカナタ。なぜ、そんな目でオレを見る。 「付き合うのはコーヒー一杯分――」 「叔父様から手紙が届いた」 「――ッ!?」  短い言葉にハッと息を呑んだのは、オレかカナタか。  シェフはそれに気を良くしたように微笑むと、続けた。 「ここに居る。キミが追い求めていた聖剣が、この緩衝地帯に――」  口の中いっぱいに鉄の味が広がる。痛みはない。しかし……。 「――存在する」  身体の筋肉という筋肉が軋みをあげていた。
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