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1-2-?  灯りの乏しい部屋で響く。激しい息遣いとか細い声、発条の悲鳴、殴打、嗚咽。  俗人はきっと耐えることが出来ないだろう。この空間で息を吸うことを。  それほどまでに凄惨な光景が、薄闇の中で蠢いていた。  営みと表現するには余りにもねじ曲がっている行為。  その行為に終わりを告げたのは、男の深い呼吸だった。  どこか満足げで、達成感すら窺える切れ長の瞳。  その眼光が音もなく立ち上がり、横たわるものを見下ろした。  男は祈る。饐えた臭いを身に纏って、祈りを捧げる。  その手には装飾の施された剣が収まっていた。  およそ実戦では使えそうにない儀仗剣。細く、造りばかりが派手なそれ。  彼は剣を掲げ―― 「儀式はつつがなく終了しました。喜ばしい事です。貴女の不浄は滅され、その魂を神は拒むことはないでしょう……きっと」  ――突き刺した。奪うことに対して、何も思うところはないかのように。  不安定な灯りの中に男の裸体が浮かびあがる。  その白い肌は傷一つなく、均整の取れている肢体は美しさすら帯びていた。  部屋の片隅で、小さく短い悲鳴があがる。  男が流し見たその先。光が届かない暗闇に居るのは、拘束された女たちだった。  彼女達の視線は寝台に突き立つ長剣、その下へと注がれている。 「祝福なさい。彼女は神の身元へと旅立ちました。異教徒であったにもかかわらずに、です」  なんと寛大なことでしょう、と男は瞳に炎を宿した。  彼の言葉を気にする者は居ない。  そのような余裕は誰にもなかった。そう、この場に居る者には―― 『いつまで醜態を晒すつもりだ救恤(きゅうじゅつ)の。定時は既に過ぎているぞ』  部屋の中に新たな音が生まれた。備えつけられていた化粧台が仄かに輝きを強める。  男は驚いたように身を捩ると、相好を崩す。そこに羞恥の色はない。 「醜態? 意味が分かりかねます、団長。これはれっきとした――」 『枢機卿だ。法王から賜ったこの位、それを蔑ろにするのであれば、幾ら貴様といえ――」 「……私の間違いをお許しください。猊下」  声音の強弱で光り方が変化する鏡面。  男は平伏したような声をだすものの、その在り様は謝意を表している者のそれではなかった。  押し殺された感情が、彼の瞳を歪める。男は鏡の向こうを、射殺さんばかりの眼光で睨んでいた。  数人の女が息を殺して、その様子を見つめる。  奇妙なことに、鏡面には怒りに染まる男の顔しか映っていなかった。 「それで、本日はどちらに? 常ならば対の鏡をお使いになるでしょう」 『ミノンにて思想解放を謳う者と、賛同する集団が存在した。今日は始末をつけた後だ』 「商業都市!? 北も北、国境沿いではありませんか。そのようなところにまでだ……」  言葉に詰まった男の声に鏡が硬質な応えを返す。 『もはや一軍とも呼べる勢力。我が一撃をもって壊滅させる必要があった』 「左様で……」 『こちらのことはもういいだろう。報告を、剣の具合はどうだ?』  明滅する魔力光に男の笑みが深くなっていく。堪えきれないかのように。 「彼は勤勉ですね。与えられることに満足せず、自ら外に赴き、民に救いを施しているようです」  男が席を立ち、物言わぬ剣を撫でる。愛おし気に。  女達は震えながら彼の動向を窺い、次の瞬間恐慌をきたした。  剣が引き抜かれたことにより、女を、男を、調度品を血で汚したからだ。  絶望が奏でられるその様と肌を這う僅かな温もりに、男は血を滾らせた。 『首輪は付けてあるんだろうな?』 「ご心配には及びません。それよりも……あれを揃えるのは可能でしょうか。彼らさえ居れば、態々私がこのような――」 『馬鹿を言うな。対価が大きすぎる。あれ一つ作るのに、いったい何人、使ったと思っている』  御冗談を、と男が皮肉を込めて嗤う。 「勇士旅立ち、ユウキの御許で眠る。それらも本望のはず……構わないでしょう?」 『彼らも信者だった。軽はずみな発言は止すんだ……』  事務的ながらも、どこか耐えているような唸り声。しかし、それが男の感情を逆撫でした。 「信者? 聖戦に身を窶した猊下のお言葉とは思えませんね。それではただの羊飼いだ」  男はそう吐き捨て、血染めの身体を掻き抱く。  彼は、畏怖の視線も鏡台の声すらも気にすることなく、身体に赤を塗った。  女達は限界まで身を寄せ合いながら、降りかかる飛沫に耐える。 『もう十分だ。次はそちらから報告を寄越せ、くれぐれも部下の手綱を離すな』 「承知いたしました。――猊下、御身に勇者の加護があらんことを」 『チッ…………その身は輝く光の中に』  それを最後に部屋の明かりが一段、落ちた。  男は剣から血を払い、視線を尖らせる。 「力に酔った狂信者め……神にも及ばぬ身で私を否定するか」  ですが、と溢しながら男が立ち上がった。その口元に歪な笑みを張り付け、続ける。 「――いずれ許しを請う機会をあげましょう。お前の正義を足蹴にした、その時に」 1-2-1  不鮮明な殻の中で揺蕩う。  耳に届くぼやけた声は、鳥のものだろうか……。  窓から差す光を瞼の裏で感じ、その弱さからまだ夜が明けていないことを察する。  頬を刺す冷たさもそれを肯定した。  ラッパが鳴るのはもう少し先のことだろう。 「う、ん……」  布団を肩から目元まで引き上げる。朝の寒さは酷く、これからもっと厳しくなっていく。  だからだろうか、一晩かけて温めたこの場所から出るのが億劫で仕方なかった。  まだ、まだ寝ていても問題はないだろう。  逃避した身体が縮こまる。そばにあった温もりを抱え込むように。  温もりを抱きしめていると、滞っていた血液が巡り始めた。  次第に意識が輪郭を取り戻していく。五感が、正常に機能するようになった。  触覚。温もりと称したものは柔らかく、触れ合う肌は温かさどころか、熱いとさえ感じる。  繰り返す呼吸から、嗅覚が常とは異なるものを感じ取る。自分のものとは違う、どこか甘い香り。  渇きを覚えた舌が唇を這う。味覚は、なんてことはない塩気を覚えた。  寝返り、なのだろう。起こした覚えのない衣擦れの音とともに、んう、と吐息が首元を擽る。  異物と断じ、瞼を跳ね上げる。  未だに身体は微睡の中を彷徨っていた。しかし、オレはそれを意思の力で叩き起こす。   「う……む、ん…………ぽぉ……」 「メロディ――」  寒気を覚えたのか、メロディが身を摺り寄せてくる。それはまるで親の腹で蹲る幼い獣。  悪寒に急き立てられ、現状の把握に視線が走る。  ここは――オレの部屋。  カナタの姿は見えないが、見慣れた光景がそうだと教えてくれる。  床に取り残された毛布を見つけて、今に至るまでの経緯を大まかにだが理解した。  寝惚けて女性の宿舎に迷い込んでしまったなどという最悪の事態は、それで否定できる。 「メロディ、メロディ? 起きたほうが良い。このままだと嫌な予感しかしない」 「ん、んー。ぽぉ?」  声をかけ強めに彼女を揺すると、少女は僅かにだが動きを見せた。  良かった。これならすぐに目を覚ましてくれるはずだ。 「ああオレッ――!?」  急な衝撃に言葉が詰まる。上体が倒れ後頭部が枕を打つ。  視界にメロディの姿はなく、無機質な天井がただ、温もりを享受する二人を見下ろすのみ。  どこにそんな力が……さっきまで寝起きで瞳もぼうっとしていたというのに。 「メっ――離れるべきだ……カナタが来るときに約束しただろう? ちゃんと一人で寝るって」 「うー、やー!」  オレの言葉を拒否したメロディが、体温をせがむように呼吸を繰り返す。  こうなっては彼女の好きにさせるしか他ない。  カナタが着任する少し前、シェフに引きずられながら泣き叫んでいたメロディを思い出す。  彼女は時折、こうしてオレのベットに忍び込むと頻りに匂いを嗅いでいた。  親元から引き離された過去を鑑みれば仕方がないと、オレは今でも思っている。  しかし、これからのことを考えれば、きっと良くはないのだろう。メロディにとっても……。  だからカナタの存在がいい機会となった。  そうしてシェフが周りを巻き込み『子離れ大作戦』の指揮をとったのだが―― 「うーい。やっぱ鍛錬は早朝だよなー! 寒さも相まってバッチリ目がさめ……」  部屋に戻ってきた副官と視線が交錯した。空気が更に冷え、凍り付いた気すらしてくる。  もう少し遅ければ、何事もなく終われたというのに…………。  カナタの眦と唇が戦慄く。震える指先はオレとメロディの間を行ったり来たりしていた。  誤解は解かねばならない。言い訳がましいが、オレは思考の中から言葉を選び出す。 「これは――」 「お前もロリコンかぁぁぁあ!」  怒りに染まったカナタが詰め寄ってくる。吊り上げられた眦は鋭く、まるで血に飢えた剣のようだった。  オレはメロディを抱えたまま上体を起こす。起き抜けの意識が彼の声で揺れた。  カナタは他人をよく小児性愛者と呼ぶ。  まったく、勘違いも甚だしい。  彼女のこれは親愛から来る行動。そこには疚しい気持ちなど欠片もない。彼女にも、勿論オレにも。  毎回そうやって過剰な反応をする方が、むしろおかしいと思わないのだろうか? 「目を離した隙に、お前! そんなあられもない恰好のメロディちゃんを、つ、つれ……」 「気にするな、いつものことだ」 「いつも!? いつもそんなことしてんのか! オメ――えぅ?」  目の前にあった彼の顔が、上体ごと下に沈んだ。  メロディがカナタの首元を掴み、引き下ろしている。  オレからは彼女の後頭部しか見えないが、漂う気配と引き攣るカナタの顔を見れば、状況を察することが出来た。  これは不味い。 「……ゆーしゃうるさい!」 「メロディちゃ――」  オレが止める前に、幼さの残る細腕が唸りをあげた。  カナタの身体が一度振られ、宙を舞う。 「うおわぁぁぁあああ!?」  それを機に彼の言葉は叫び声へと変わる。  派手な音を最後に、部屋の中はまた静かになった。  メロディに流れる魔術は恐ろしい。  相手はまだ少年とはいえ、倍の背丈もある質量を投げ飛ばせるのだ。片腕だけで。  その両腕がオレの胴体を抱きしめる。  のびているカナタから戻した視線が、揺れる茶色に絡めとられた。   「行っちゃうの……?」  分かってしまった。彼女がなぜここでこうしているのか。  メロディは聞き分けのいい子だ。いつもであれば、一度駄目だと言われたことを繰り返すことはしない。  だから気付けなかった。震える彼女の声を聴くまでは。 「哨戒任務を終えたマーチが今日帰ってくる。次はオレの番だ。それはどうしようもない」 「でも、今は――」  心配をしてもらって、眦が緩むのが分かる。オレは感謝を伝えるために、メロディを抱きしめた。 「カナタ一人では、もしもの時に対応できないだろう? あいつは魔力を扱えないんだ――」  彼女が始める無言の抵抗。納得できないという意思が、触れ合う肌から伝わってきた。  オレは言葉を重ね続ける。メロディに理解してもらえるように。 「―― 一週間。うちの小隊がそんなに長い間居なくなったら、困るだろう?」 「……うん」  返事が返ってきて安堵する。いつの間にか、窓から見える空が白くなっていた。  そろそろ起床のラッパが鳴るはず。  終わりにしようと小さな肩に手を置き、メロディを離す。  彼女は名残惜しそうな眼をしていたが、抵抗するようなことはしなかった。 「先ずはカナタに謝ろうか」 「う…………」  オレの言葉にメロディの瞳が強張る。  時間差はあったが、二対の視線は出入り口のある方向へと向かう。  そこには、天地を逆にして壁にもたれかかるカナタの姿。  気を失うほどなのだ。きっと並々ならぬ衝撃だったはず。  しかし彼ならば大丈夫だろう。魔術にて対応が出来なくとも、大丈夫だろう。なぜならカナタは人一倍―― 「――頑丈だからな」 1-2-2  食事中の天幕は明るく、各テーブルでは談笑が絶えない。  オレはそれを聴きながら、野菜をのせたパンを口に運んだ。  子気味の良い音をたててパンが口内で弾ける。塩気が舌に触れると、口の中が喜びで溢れた。 「軍人は腐るはずなのに……この世界の女性は違うのか……? いやでも年齢が――」  対面に座るカナタとスイートの視線は対照的だ。 「こらメロディ、はしたないぞ。食事中に鼻歌を歌うのはよくない」  煮えたぎる鉄と春の日向。どちらも熱がこもっているものの、その差は歴然だろう。  二対の視線を辿ると、満開の笑顔に迎えられる。  オレはそれに促されるように、食事を飲み下した。 「どうかしたのか、メロディ?」 「――? んーん、なんでもない!」  そうか、と咲き誇る笑みに言葉を返す。なぜか食事中の一角が俄かに騒がしくなった。  気にも止めずに食事を続行する。弾力のある腸詰を断ち切れば、甘い油が宙を奔った。 「ねぇねぇ、ぽーはいつまで居られるの?」  突然の問いかけにフォークが行き場を失い、皿の上を漂う。  この言葉はあれだ……。額面通りに受け取ってはいけない類のものだ。  困ったような溜息と粘度の増した視線を受け流し、オレは言葉を選ぶ。 「マーチが帰還したら、すぐにでもここを発つ――」 「そうなんだ……」  言い終わる前にメロディが萎れる。  降霊魔術が発動中であれば、耳と尻尾が力なく垂れていそうだ。  困った。まだ話の途中なのだが……。 「――だから、手伝ってくれると嬉しい。まだ出立の準備が出来ていないんだ」 「するっ! ぽーの手伝い、頑張る!」  息を吹き返したようにメロディが笑う。その頭を撫でると、茶色の瞳が細まった。  騒がしい外野は放っておく。   「出てこいナーメン・ローゼ! ヴァーナルグ少佐の居場所を教えよ!」  開け放たれた垂れ幕が揺らぎ、不躾な朝日が差し込む。  尊大な言葉に静まり返った天幕の中、オレは目を細めた。陽光を背にする三名の影をみるように。 「ここに……。少佐は不在ですが、何用でしょうか?」  居住まいを正しながら立ち上がり、テーブルの間を進む。  驚きはしなかったものの、逆光が治まった入口に居たのは大層な面々だった。  一番最初に目が行ったのは包帯を巻いた男。  腕を吊り、顔の大半を負傷しているように見えるが、その佇まいは負傷者のそれではない。  次に厭味ったらしい中尉。  常から嫌な男だと思っていたが、今日の笑みはいつにも増して悍ましい。  最後は恰幅の良い男性。  立ち位置や肩に並ぶ階級、胸元の徽章を見て、中尉の尊大な態度の理由が分かった。  お会いしたことはないが……司令官殿を連れ出すとは…………。   「お前が副官か?」 「はい司令官殿――」  司令官が一瞥した。刺繍のないオレの胸元を。 「名無しの分際で失礼だぞ! フョードル様に向かってなんて態度だ!」  オレが名乗るべきか迷っていると、横やりが肩に当たる。  見るれば、一歩前に出た中尉がそこに居た。小鼻が膨らみ、まさに自慢げといった表情だ。  背後の熱気が、僅かにだが、高まった気がした。 「失礼いたしました。隊の者からはポプリと呼ばれています。司令官殿はどのようなご用件でこちらに?」 「……少佐が居なければ仕方があるまい。ここの者が我が部隊の隊員に暴行を行った、と報告を受けている。どういうことだ?」  指し示された包帯の男と背後で起こった物音で合点がいく。 「この恥知ら――」  だから、先んじて部下の言葉を遮ることが出来た。  使命を果たした右腕を下ろす。こちらに向く三対の視線を見ながら、オレは脳内で唇を舐めた。  さて、この場での正解はどのようなものか、と。 「……申し訳ありません。事態の詳細を、私は把握出来ていないのです。もしよろしければご説明をしては頂けませんか? 中尉殿」  水を向けられた中尉が粘り気のある笑みを浮かべた。  この男は何処まで醜悪な表情を作ることが出来るのだろう?  軍人が作るべきではないその悪意。  まるで、弱者(おもちゃ)を見つけた子供のようなそれ。  「ハッ――これは傑作だ。報告を受けていないと来た。機械も扱えない蛮族だとは常々思っていたが……それが集まったところで頭がこれでは、烏合の衆よりなお質が悪い」 「返す言葉もございません……」  腰を折ったその時、遠くから音が耳に届いた。一糸乱れぬ半長靴の音が。 「いいだろうっ教えてやる! 昨夜、うちの曹長が暴行を受けた。貴様が監督すべきはずの女にだ! 骨を折られただけではなく、肌は焼かれ、内臓には少なからずとも損傷を受けている! 彼はしばらくの間、前線に立つことができないだろう。嘆かわしい……これが戦役を共にする、仲間へすることか!!」  この地に居ればいつでも聞ける。なんてことはない行進の靴音。しかし、オレはこれの主を知っている。 「事実に反します! 彼はうちの隊員に――」 「黙れ女ッ! 発言を許した覚えはないぞ、身を弁えろ!」 「――ッ…………!」  一喝された一兵卒の女性がイスへ乱暴に座る。憤懣やるかたないといったていだ。  大丈夫、オレは知っている。彼女達がそんなことをするはずがない、と。  この部隊は、シェフへの絶対的な忠誠心でできている。だから――  下種につられて進み出た負傷兵へ向けて、オレは唇を唸らせた。 「彼は何処で怪我を? まさか自室で奇襲をうけた――なんてことはないはずです」  強張る片眼と愉悦に歪む一対の視線。  この手の追及は想定済みなのだろう。しかし、部下への指導は徹底されていないようだ。  行進の調べはとうの前に絶えて久しい。  居もしない神に感謝の念を送る。正直なところ相手の好きにさせるしか、オレに手立てはなかったのだ。 「ああ、自室というのであれば同じようなものだろう。以前の、ではあるがな。彼は貴様が所属する部隊の宿舎に足を踏み入れた。しかし! 彼は酔っていたのだッ当時の彼に、責任を負う能力は無かったと言ってもいい!!」  持論をひけらかす中尉に影が差した。  彼らの中で一番最初に異変を察知したのは、司令官殿であろう。  他の二人は背後の存在に気付いてすらいない。 「見給えよ、ナーメンローゼル・ポプリ。彼の痛ましいこの姿を、如何に間違いを犯したとはいえ、この仕打ちはあんまりだとは思わないか――ね?」  中尉の腕が側(かたわら)へと差し伸べられ、空を切る。  疑問の眼差しに映ったものは、宙を舞う部下と、大きな拳だったはずだ。 「軍紀を乱したのならば罰するに値する。無法者には厳罰を、規律を重んじる軍では常識だ」 「なっ!?」  大柄な男が負傷兵に歩み寄る。靴音に気が付いた負傷兵は、必至の形相で後ずさった。吊られていた腕で頬を抑えながら。  鈍色の瞳がそれを見下ろす。そこには慈悲も、一切の恩情もありはしない。 「神の……鉄槌…………」 「私のことを知っているようだな。彼の方からマーチの名を頂戴した者だ」  震える階級章にマーチの視線が突き刺さる。 「曹長。知っての通り、私は虚偽と妄想が嫌いだ。それを踏まえて答えろ……」 「――ひっ!?」  小さな悲鳴が天幕の端に辿り着いた。その目の前にマーチがしゃがみ込む。  逃げ場を失った男に覆いかぶさる影。屈んだにも関わらず、巨体の存在感が変わることはない。   「答えろ曹長。お前は、いったい何をした」 「お、俺は、ただ……」 「貴様っそれいじょ――」 「おっと、あなたの出る幕はありません。それともなんでしょう、何かやましい事でもおありですかな中尉殿?」  軽薄な態度でスイートが中尉の前に立ち塞がる。  それを機にオレも動く。先程から傍観を決め込む司令官の前へ、身を滑らせた。 「失礼いたします」 「…………」  無礼者ッ、と中尉の叫びが無言の司令官との間を通り過ぎていく。  この人はなにを考えているのだろうか。一切正解が読めない。  彼は何をするわけでもなく、ただ息を吸っていた。  意識を僅かに残し、視線を背後からマーチへ移す。事態が動いたことを肌で感じた。 「……続けろ。これは命令だ」 「――っう!?」  大きな背中で筋肉が脈打つ。彼はその威容を思う存分に発揮していた。  マーチが男を締め上げていた。 「付け加えよう。俺は、気が長いほうではない」 「ぅあ――ま、魔が差したんだ! ここにきて長い……つい、魔が――」  それから一拍の間もない。  うなじを撫でた風に、身体が過剰な反応を示す。  オレが振り向いた先では、既に肉の上を複数の徽章が跳ねていた。 「私に恥をかかせたな、ヴィクス。覚えておけ、沙汰はニールを通して下す」 「フィヨルド様!? どうかっ大佐にだけは、どうか――」  縋りつく中尉を振り払い、司令官が天幕を後にする。  結末の良し悪しはどうであれ、喜劇はこれにて終幕……まずいな、シェフの言い回しがうつってしまった。  形容しがたいものを覚えながら、オレは男に歩み寄る。  マーチは、仕事は終えたとばかりにテーブルについて食事を待っていた。 「――……――」  這いずるような声に足を止める。振り返ると、立ち上がる幽鬼がそこには居た。  顔全体に影を落とす男。しかし、その双眸は、影の中にあっても分かるほど、暗い意思を灯していた。 「これで、いい気になるなよ。この……悪魔め…………ッ!」  言葉を吐き捨てて中尉は天幕から出ていった。  一々気にしていても仕方がない。オレは包帯の男に向き直り、言葉を選んだ。 「貴官には任地替えを勧めよう。どうなるにしろ、この基地には居辛くなるだろう」 1-2-3  窓から代わり映えのしない景色を眺める。車の稼働音を背景音楽に。  車内の空気は、とてもいい雰囲気とはいえない。誰もかれも押し黙っているからだ。  自分が原因であることは、勿論分かっている。  しかし、後ろで不貞腐れている副官の機嫌をとろうとは、到底思えなかった。   「――の? ――どの?」  勝手についてきただけではなく、咎めれば駄々をこねる始末。  出発前にはっきり伝えたはずなのに、カナタは物資に紛れて―― 「少尉殿、少しよろしいでしょうか?」  隣から声がかかった。オレは緑から視線を外す。いい加減に見飽きていたところだ。  新兵の彼女には悪いことをした。閉鎖空間で沈黙を強いられていたのだ。さぞ心労が溜まっていることだろう。  謝意も込めながら、喉を鳴らす。答えられるものであれば、極力なんでも話せるように。 「ポプリでいい。何か聞きたいことでも?」 「はい、ポプリ少尉。少尉は常にお一人で任務に当たっていると聞いていました。その理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」  会話の途中であっても、決して前方から離れないその目線に、彼女の気質を見た気がした。  下手な軍人よりも軍人らしい女性は稀だ。  魔力(さいのう)のある者は社交界(せんじょう)に足をかけ、なくとも彼女達が飢えることはない。  存在するだけで、女性が優位なこのご時世。男の集団に身を置く者は数少ないのだ。 「難しい話じゃない――」  向けられる二つの意識を感じながら、言葉を続ける。 「他の小隊とオレの任務は別物だからだ」 「別……だけど、出発前には哨戒任務って言ってたよな?」  息を吹き返したカナタが声をあげた。  それを察したのだろう、運転手が己の仕事に集中したのが分かる。  彼女には、後で礼を言うべきだな。 「表向きは、そうだ。しかし、オレが今までやってきたのは敵地の偵察。単独の方が都合のいいことは分かるな」  言葉を呑んだ二通りの吐息に、オレは目をつぶる。理解が進んでいるようで何よりだ。  共和国と帝国の間には不可侵条約が結ばれている。  戦争の火種であることは明らか、取り扱いには注意を要する。 「ッ少尉! 前方に黒煙が!」 「――!?」 「ハァっ? 嘘だろ!?」  緊迫した声に目を見開く。  前方を注視していた彼女だから、いち早く視認できたのだろう。  距離はまだ離れているが、確かにその先には黒煙があった。 「速度を上げられるか? この先には村が存在する」 「はいっ問題はありません!」  前線基地をでてから、まだ三時間も経っていない。帝国領まで五十キロ以上あるはずだ。  オレは逸る気持ちを抑える。今回の任務は一筋縄ではいかない気が、どこかでした。 「ここまででいい。最悪の事態を想定して、君はここから離れるべきだ」  車を急停止させた運転手が、信じられないとばかりにこちらを見た。 「しかし、少尉――」 「いいっていいって、エミリちゃん。ポプリが危ないって言ってるんだから、そうしなよ」  運転手――エミリの言葉を待たずに車を降りる。  開け放たれたドアと装填音に眉をしかめた。見れば、魔導小銃を片手に首を鳴らすカナタと目があう。  思わず舌打ちをしかける。その瞳には、ついていくと書いてあった。 「毎度毎度置いてけぼりはまっぴらご――」 「【アレク】、【ソニン】」 「――あっおい!?」  ついてくるなとは言わない。オレにそんな資格はないから。しかし、ついてこさせるつもりもない。  常人には耐えられない速度でオレは駆ける。この速さなら黒煙の下まですぐだ。  あり得る訳がない。帝国は現在、南部諸王国にかかり切りのはず。  いかに強大な軍事国家とはいえ、二国を同時に相手取るのは愚策。  それは万国共通の認識だ。それでも、その常識を信じられない自分が居るのも、また事実。   「違う」  そうじゃないだろ。  腰の魔剣が熱を持ち始めていた。  軍人の考え方は捨てろ。  帝国が攻撃をしない訳がないことを、 俺 は身をもって知っているだろう! 「…………」  だから、驚きはしなかった。辿り着いた先で、見覚えのある景色を見ても。 「――鉄と、硝煙……戦争の、香りだ…………」 「……カナタ?」  むしろ彼が追いついてきたことに驚く。確かに彼は勇者だが、一般的な――  思考がまとまらないオレを他所に、カナタが歩みを進める。  村だった地獄の中へ、彼は足を踏み入れた。  オレも遅れながら、男の死体に歩み寄る。ない。ない。ない―― 「ポプリッこの人、まだ生きてるぞ!」  致命傷を見て回るオレのもとへ、カナタの声が届く。  血だまりの中、彼は血に塗れることも厭わずに、村人を抱き上げていた。  見つけた。微かな吐息を漏らす男の胸に走る、一筋の傷を。 「手当を! 早くしないとこの人も――」  戦慄く口唇を指一つで黙らせる。村人の唇が動いていた。 「聴いている。だから、もっとはっきり……」 「――まと……子供……奴らに――」  肩を震わせるカナタは放っておいて、オレは男に集中した。僅かな動きも見逃しはしない。  揃って義憤に駆られるべきではない。今必要なのは、詳細な情報だ。  村の娘達も、と続く言葉を遮る。 「奴らは、どこに行った?」 「おいっ――!?」  喚くカナタを押しやる。邪魔をするな、彼は今、命を燃やしているんだ。 「聖騎士は――」 「帝国から、きた……村の――にしに…………頼む」 「承知した――あとは任せて、安らかに眠れ」  オレの言葉が届いたのか、男の眉間から力が抜ける。  それを見届け、オレは首を切り落とした。  重量物が地面を打つ音。爆ぜる灯りに照らされて、男であったものがぬらりと光る。 「オマエッ!!!」  赤く染まった両手が眼前に伸びてきた。それを払えば、カナタは体勢を崩し地面に膝を着いた。  見下ろした背中は、真っ赤に燃えている。 「なんで……なんで殺した!? まだあの人は息がっ――」 「そこを退け……これは命令だ」  立ち塞がるカナタをねめつけた。彼は血まみれの両手を広げ、反抗の姿勢を見せる。  邪魔だ。何故、理解出来ない。ここで感傷に浸っている暇はない。それは―― 「――お前も知っているだろう!」 「――ッ!」  森の静寂を引き裂く悲鳴。  カナタは息を呑み、オレは声のもとへと首を巡らす。  最早、言葉はなく、地を蹴る音が二つ、惨状を後にした。西へ、と。 1-2-4  急ぎ茂みを避けて行くと、女性の嗚咽が聞えてきた。 「――そうやって最初から大人しくしてりゃ、こんな風に痛い目を見ることはなかったんだぜ?」  なぁ、としゃがみこみ、女性に迫る男の背中。それを中心に状況を眺める。  居ない……聖剣を佩いた者はここに。  円になった男達は揃いの軍服を身に纏っている。  囲った女性達に、視線が釘付けなところもお揃いだ。  周囲への警戒を疎かにするとは、帝国はここまで――いや、どちらにも腐った者は一定数居るということか……。  頬を腫らした女性が目の前の男へ唾を吐く。 「惨たらしく死ね、下種野郎ッ! あんたの粗末なモノなんて引き千切ってやる!!」  男が立ち上がり、顔を拭った。  概測で一九〇センチ、かなりの大男だ。腰には拳銃、突撃銃は携行していない。  年若い複数の女性が、短い悲鳴をあげた。  男は一定の地位に居るのだろう。男達に銃を下ろさせたことから、そう類推する。  隣で歯が軋んだ。 「クズ共め……」 「下手な真似はするなよ――」 「……分かってる……」 「―― 一歩も動くなと言っているんだ。本当に分かっているんだろうな」 「…………」  返事がないことに苛立ちが募る。手足の自由は奪っておくべきか……。  墓地の門を開く魔術が中途半端に止まる。布地が裂ける、乾いた音が耳に届いたからだ。 「反抗的なのも悪くない。むしろこの手で躾けられることを思えば――そそるぜ……」  切れ端を持った男の言葉を、彼の部下が囃し立てる。  視界を細く、鼓動は遠くへと切り離す。  村人の言葉が頭の中で繰り返される。だが、オレにも優先順位というものがある。  ここに奴は居ない。ならここを離れ、その足跡を―― 「そこまでだッくそ野郎!」  近場で発生した叫び声。夢物語であれば勇猛とも思えるそれに、全身の筋肉という筋肉が引き攣った。  跳ね上げた視線の先には、カナタの背中。驚き銃を構える帝国軍人、その数、三個分隊。  勇むカナタが魔導小銃を振り回す。 「村を襲うだけに飽き足らず、彼女達を悪戯に辱めるつもりか! そんな非道、この俺が――」  ここでカナタを死なせる訳には行かないッ。  如何に体よく厄介払いさせたとは言え、本国の勇者と大魔導士の士気に係わる!  帝国軍人の目から戸惑いの色が褪せていく。照門を覗くためか、僅かに肩が動いたのが見える。 「――勇者 カナタが許さないッ!」 「……仕損じたガキかと思ったが、その服……共和国の豚か」  焦りすら見せない男が眉間に皺を寄せた。  それはお愉しみを邪魔されただけの反応とは思えない。帝国には勇者教徒が多い。  やはりと言うべきか、男の右手は胸元の典礼用具(ロザリオ)へと伸びた。 「神聖な勇者様を汚したな、異教徒。ああ、いいだろう。望み通り――」  錠のない門をこじ開ける。呼び起こすのは、三振りの魔剣。アレクとソニンを握り、残りは空の剣帯へ。 「――神の御元へ送ってやる……やれ」 「【舞い散れ、イリス!】」  僅かな重みを背中に、カナタの前へ飛び出す。  瞬時に削れる金属音と、舞い散る火花で辺りは埋め尽くされた。 「ポプリッ!? これは、その剣の魔法なのか……?」 「聞け! ここから、一歩も動くなよっ分かったか!?」  叫ぶ、柄のみの魔剣を指したであろう言葉は無視して。  この世に魔法なんてないと習わなかったのか!  お前は士官学校でいったい何を学んできたんだ!? 「チッ、まだ居たか! おいっ隊長に伝えろ! すぐにだ!!」  不味い。このままでは聖剣持ちを逃すことになる。  舞い踊る金属片、刃の三分の二を残し、オレは弾幕の只中へ走る。  順序は前後したが、ここで村人の願いを成し遂げる!  全力で回避行動を行い、イリスが削る弾丸を最小限に止める。  狙うは離脱を試みている敵の背中。眼前に迫る獲物に、右手のソニンが歓喜の唸りをあげた。  肉を食み、骨を砕く魔剣。その相反する振動を感じながら、敵の内部を蹂躙し、断ち切る。  まずは、一人ッ――  頬に痛みが走った。イリスが撃ち漏らした弾丸だ。  やはり三分の一では心もとない……せめて半分――いや、それではカナタが無防備になる。  一足跳びで横へ移動し、蜂の巣になる立木を横目に見る。  考えるのは止そう。残り三四、ただ繰り返すだけだ。  人を見ているとは思えない帝国人の視線。それを真正面から受け止め、再び駆ける。  眼前の兵士が瞠目していた。オレはアレクでその首を刎ねる。残り三三。  オレを見失った軍人。その心臓を背中から貫く。残り三二。  恐慌をきたした一兵卒を切り伏せる。残り三一。  口の半ばから上を切り落とす。残り三十 ――柄頭で頭蓋を砕く。二九――腸(はらわた)を晒す。二八――二七――二六――二五…………。 「と、止まれっ……この女がどうなってもいいのか!」 「…………」  男の声を聞いて立ち止まった。  仕留め損ないは居ない、問題はないな。残すのは女性に拳銃を突き付ける彼一人だ。  男は信じられないとばかりに目を剥いていた。  女性が眉を顰める。何度も銃口がぶつかっているのだろう。   「何をしている! 早く武器を捨てろっ化物ッ!!」 「分かった――」  両手から離れた魔剣がぶつかり、派手な音を立てる。  オレはそれを見届け、改めて男の両目を見つめた。 「――これでどうだ。もう彼女を人質にとる必要はないと思うのだが……」 「黙れ! そこから十歩下がれ、そうだ……そこで、跪け…………」  女性達の縋るような瞳から大分離れてしまった。カナタの吐息がすぐそこにまで感じられるほどに。  銃口が女性から、オレの眉間へと移る。  男は一歩、また一歩と後ずさっていく。頬を緩ませながら。 「ははっそのままで居ろ。下手なことは考えるなよ……その瞬間、お前の頭に風穴が開くんだからな……」 「ああ。オレは、何もしない――」 「……なに」 「――【集い、穿て】」  背中の柄に魔力を持っていかれる感覚。変化は瞬く間に起こる。  不可視の速度で、周囲を旋回していたイリス。  その欠片が集結し、ギラリと光ったその瞬間。  纏った速度はそのままに、切っ先が突き刺さった。男の額へ。 「あ、え……?」  一つの音が弾け、明後日の方向へ鉄片が飛んで行った。  男の腕が不格好に跳ね上がり、女性もろとも後ろへ倒れる。  戦いは終わった。ここまで派手にやりあったのだ。聖騎士はとっくに逃げおおせているのだろう。  しかし、焦ることはない。口実は手に入れることが出来た。今日でなくとも、いつか必ず―― 「カナタ……カナタ!?」 「は、はいっ!」 「上着を彼女に、このままでは基地に連れていけない」  胸元を押さえる女性を指して、そう伝える。血塗れの外套を着させるわけにもいかないだろう。  怒鳴るなよ、調子が来るだろ、とはカナタの言。それはこちらの台詞だ。誰のせいでこうなったと思っている……。  溜息を呑み込み、アレクとソニンを拾う。  一度、血を振り払った後に、死体で丹念に汚れを拭う。  魔剣を矯めつ眇めつ眺め、納得がいくまで綺麗になったことを確認し、送り還―― 「随分と騒がしいと思ったら……連れて行ってしまうんですか?」 「――ッ!?」  至極残念そうな声に、身体が急激な反応を示す。  女性達を背中に前方を睨めば、そこに痩身の男が居た。 「折角、苦労して捕らえたというのに……理由をお訊ねしても?」  返り血で汚れた眼鏡の奥で、柔和な瞳が弧を描く。  唇にも笑みを浮かべているが、切り裂かれたようなそれは、どこか禍々しさを感じさせた。  そして、彼の腰には、予想していた通り―― 「あぁ、やっと……やっとだ…………」  煮えたぎる願いが唇から迸る。視界は紅蓮に染まり、四肢は十全以上の働きを見せた。 「やっと見つけたぞ、聖騎士」 1-2-5 「やっと見つけたぞ、聖騎士」  魔剣と聖剣が、硬質な音を立てて噛み合う。  眼前の男は探し求めていた写真の主ではないが、オレの目的は変わらない。  聖剣を集め、捧げるのだ。あの日、苦しんだ家族へ。たとえそれが自己満足であったとしても。  鍔迫り合うアレク。ソニンを遊ばせておくほど、オレも馬鹿じゃない。  オレが魔剣の柄を握り直した。その時、聖騎士の瞳が歓喜で歪んだ。 「カカッ――」 「――ッ」  咄嗟に跳び退り、間合いを取り直す。  背筋を撫で上げる怖気。  僅かに感じた魔力の発露。しかし、呼吸を繰り返すも厄介な権能は目に見えない。  いったい今、何が起きた……? 「――いいぜぇ、今日は気分がいい……祈りを捧げてもいいぐらいだ。偉大なる主よッ天に召します我らが勇者よってなぁ!」  男が天を仰ぎ、叫んだ。その声は恍惚とした色を帯びていて、傍から見れば狂人にしか見えない。  何が起こるか分からない。オレは黙って次の行動に備える。 「オメェの言葉で合点がいった。やっぱ俺は間違っちゃいなかったてな。褒美はもう、目の前だ。なら応えてやらなきゃなぁ、神の試練ってやつによぉ」  聖騎士の視線を受けて思う。やはり間違ってはいなかった。こいつは、狂っている……。  再度、両の魔剣を握り締める。闘う意志を確かめるために。 「さぁ来いよ異教徒。神の僕、カイエ・セントブルクが相手だ!」 「言われなくともそのつもりだ。ここで死ね、聖騎士――」  返事を待たずに切りかかった。  鉄の擦れあう号令で、再び殺し合いが始まる。  ――何度となく剣戟を繰り返すも、どれも有効打には至らない。  やはり聖騎士になるほどの男。剣の扱いには長けている。 「遅ぇ! 遅ぇぞ異教徒ッ! ハエが止まったようにすら見えらぁ!」 「――チッ!」  空間は支配されていた、弾ける金属と荒れ始めた己の吐息で。  しかし、なぜだ。腑に落ちない。なぜこいつは攻撃をしてこない?  聖剣がアレクを阻む。相手の両手は塞がり、ソニンを防ぐ手立てはない。  つまり、必中。そう確信して右手を駆る。 「おおっと!?」 「ック!」  これを捌く、か。  両手の魔剣がほぼ同時に弾かれ、無防備な姿を敵に晒してしまう。  だが聖騎士の動きに鋭さはない。  聖剣が上段へ至る速度は、太陽が昇るそれと重なる。  オレは前髪の何本かを犠牲にしながら、敵の間合いを脱した。  心臓は早鐘を打ち、焦燥が頬を伝う。  対する敵は余裕の表情だ。笑みは崩しておらず、呼吸も乱れていない。  なんだ、この違和感は……。  手の平から物が零れ落ちる感覚。オレはそれを拾い上げていく。  勝利を確信して疑わない態度。  それを裏付ける絶対防御の剣技。  無駄が多く、かつ機を逸した攻撃――  オレは意識を思考の水面から引き上げる。敵はまだ笑っていた。  ――これでも攻撃はしてこないのか。  違和感の実態が、朧気ながらも輪郭をもつ。 「【イリス――」 「今度はなにを……」  聖騎士の視線が細くなる。  オレは再度、イリスに魔力を渡した。  違和感の正体を暴いてやろう。 「――狂い咲け】」  意思の乗った欠片が、男に襲い掛かる。 「無駄な足掻きをッ! ふっ、ハッ、ハァッ!」  咲き乱れる火花。泣き叫ぶ金切り声。  オレは集中する。聖騎士の一挙手一投足。その全てを見逃さないつもりで。 「諦めろッ、テメェはここでっ死ぬ定めだってよぉッ、なんで分からねぇ!」  男の勢いは衰えていない。  しかし、彼の技には綻びがあった。  聖剣は現在も叩き落し続けている。飛来する魔剣の全てを、正確に。  なぜ、今まで気が付かなかったのだろう。  不自然な手足の運び、隠しきれていない体軸の動揺。まるで、剣に振り回されているかのような、それ。  そうと分かれば、これを続けることに意味はない。イリスでは軽すぎる。 「【形を成して】【還れ】」  身に纏う三つの重量が消える。  魔剣が姿を消したことで何を思ったのか、男は片頬を吊り上げて嗤う。 「ヒハッ!? ようやく――」  可視化した魔力、空中に生まれた黒い虚をみて、想う。  広大な墓地、数えきれない罪、その中の、一振りである魔剣を。 「【求めに応えよ――」  それは飾り気のない片手剣。忠義に身を捧げた、騎士の魔剣―― 「――ヴォルドー】」  彼の闘い方は、決して華麗なものとはいえない。  しかし、主君を背にして闘うその一撃は重く、それでいて何処までも、真っ直ぐだった。  衝撃と轟音が、オレ達を揺さぶる。   「ッ!! なにをしやがったぁ!?」  男の求めに応える気はなかった。このままでは更に沈んでいきかねない。  オレはヴォルド―を引き抜き、ひび割れた地面の上で確かめるように振った。  腕が伸びたと思っても違和感のない感覚に、目を細める。  これならば、聖剣を打倒しえる。 「無視すんじゃねぇ! 俺は聞いたぞ――」 「――応える義理は、ない!」  鋭さのなくなった世界を、駆ける。  一つ一つの動作がとても遅い。  原因はソニンの送還。  しかし、何一つ不安に思うことはない。ヴォルドーが、オレのことを主と認めてくれたこの魔剣が、手の中にあるからだ。  大地の悲鳴が響き渡る。  寝物語の巨人が実際に居たとすれば、きっとこのような足音なのだろう。  右腕が、聖騎士の左肩へ迫る。  この一撃に、駆け引きなんてものは存在しない。  魔剣の重量、己の体重、筋肉の瞬発力。それらを乗せて、ぶつけるだけ。  真っ先に聖剣が動き、それを男の手足が追従。瞬く間ではあるが彼の眼球は出遅れる。  敵の反応を見て、推測が確信へと変わり――オレの中で勝利は確固たるものとなった。  金属音、右腕を伝う忠義の声。  変わらなかったものは、一つの過程。 「む、ぅおッ?」  変わったものも、たった一つの結果。  魔剣(オレ)と聖剣(あいて)。停滞していた均衡が崩れる。  強引に跳び退った聖騎士へ追撃。  仕手の態勢は関係ないとばかりに、聖剣が跳ね上がる。  身に刻みこまれた動作で、それを打ち落とす。  欲が満ちるまで、あと数手。 「ポプリッ――」  赤熱する思考に不純物が混じりこむ。  なん――お前は、そこで何をやっている。  視界の端へ、視線が吸い寄せられる。  カナタは右手を真っすぐ、何かを求めるように、伸ばしていた。  意味が、意図が、理解出来ない。なぜ、どうして、なんのために…………。 「――俺に力を!」 「しぃぃぃねぇぇぇえええやぁぁぁああああ!!」  オレは愚かな罪を犯してしまった。  聖剣がそれを断罪せんと地面から這い上がる。  聖騎士との間に、魔剣と身体を指し込む。  硬質な衝撃が内臓を駆け抜けた。  凪いだ心の中で、ぽつりと溢す。あぁ……また、間違えた、と。  一歩も動かなかったオレに対し、聖剣を弾かれた男は、その反動を余すところなく利用して剣の間合いから離脱する。  脱兎の如く走り去る聖騎士。遠のいていく背中。  オレは、それをただただ、見ていることしかできない。  心が制御下から離れる。思考に細波が起こった。身体が、どうしようもなくそれに反応してしまう。 「ポプリ! 大丈夫か!?」 「っさわるんじゃねぇ!!!」 「ッ!? ポプリ、お前、泣いて……」  震える呼吸も、溢れる感情も、何一つとして制御することができない。  きらい――嫌いだ――大っ嫌い――  やめろ。こんなのオレじゃない。  ――嫌――や――やだよ―― 「勝手なっこと、いうな……」  ――ダメ――こんなんじゃぜんぜん――だめ―― 「ッ、今頃……オレがどんな思いで…………」 「――りッおい! ――ポ――」  ――俺は、たおすんだ――あいつらを―― 一人残らず、殺―― 「ッ、ぅあっ、――――ッ――――――――――――――――!」  不快だ。ぐちゃぐちゃで、ぐずぐずで、どろどろ……もう、わけがわからない、よ。 1-2-6  革帯の具合を入念に確かめる。  使用者のことを考え、特注で幅広に作らせた革帯。  一つとして同じ形のないそれらを手に取り、罅割れや摩耗がないか目と手で確認していく。  乾き、日に日に冷たくなっていく夜風が、並び立つ天幕の間を吹き抜ける。  騒々しいとまでとは言わないものの、辺りは音に溢れていた。  電球が寿命を燃やし、金属が擦れて起こるそれら。  物音が支配する異様な空間で、他の小隊の者達が黙々と武装の点検を行っていた。 「ポプリ少尉。これで最後となります」  差し出された備品を受け取る。  腕に巻きつけるためだけに作られた、縦に長く、分厚いもの。  これが作戦の成否を決める要となる。時間をかけて事細かに見ていくべきだろう。 「きー! なに、なんなのあれ!? なんで我が物顔で、わたしのッ隊長の隣にぃぃぃいいい!」  天幕の向こうから、この場には不似合いな奇声が転がり込んできた。  しかし、それに構う者はここには居ない。  周囲の温度が低くなる。  最早気にすることすら億劫だ。  あれから、事態はその進行速度を急激に加速させた。  近くにまで来ていた部下の手により、衝突地点から引き上げる。  任務の中断を余儀なくされたが、仕方のないことだった。  帰投後に薄暗い兵舎で報告を行う。  夕闇に沈む部屋の中、シェフの瞳だけがギラギラと強烈な感情を放っていた。 『彼女達への気遣いは怠らないでくれ給え。私は所用を片づけておく』  所用が片づくまでに、そう時間はかからなかった。  オレ達と中央とを繋ぐ秘匿回線。その受信音が、今でも耳に残っている。  火が、点いたのだ。  帝国が安易にもたらした種火によって、一度は焦土と化した西部戦線。  それが七年の月日を経て、再び燃え上がる。  あの日聞いた、音色を伴って。 「……戦争が、始まる…………」 「……? ポプリ少尉。今、なんと――」 「――ァーナルグッ!」  叫び声が騒々しい靴音を伴って、天幕の沈黙に踏み込んでくる。  拘束具の外観に異常はない。次は細部にわたって点検していく。 「なぜ居ないッ。答えろ! 貴様らは何をしている。なんのために武器を手に取っているのだ!」  端末に三つ並ぶ金具。それと革帯の結着部分に解れはない。  よし、何も問題はない。変化は環境音が一つ増えたぐらいで、後はシェフの合図を待つのみ。 「キぃサぁマぁラぁぁぁあああ!」  最後の一つを並べようとした時、よく磨き上げられた靴が視界に入りこんだ。  次いで首元へ伸びてきたのは男の太い腕。オレの目線が強引に引き上げられる。 「副官ッ! 私の言葉が理解出来ないのか!? 私は言ったぞ、答えろッと、何をしているんだッと! 私を誰だと思っている、貴様らの上官、この戦線の司令官なんだぞッ!」  吹き付ける唾に不快感を覚える。  真っ赤に血走った瞳が見え、オレの中で幼い反抗心が芽生えた。  瞬時にそれを切り離そうとし、失敗した。オレには必要のないものだと、土壌ごと抉り取ることが出来なかった。  亡羊とした意識に理解が走る。  あぁ、司令官。務めを果たさねば、オレは、求めに応えねばならない。  彼の唇が苛立ちに震える。  それを知った俺が嗤った。声高らかに、正面の男を馬鹿にして。 「ワタシ達は今、上の命令で動いています――」  オレの言葉に司令官の眉が歪む。  それもそうだろう。この男に知らせは行っていないはずだ。  彼は、撃鉄をあげる権利を持っていない。 「――これで満足でしょう。では、お引き取りを……オレにはないんです。これ以上、貴方の相手をする余裕なんて」 「……ッ!」  上手く言葉が出てこなかった。それは火を見るよりも明らかだ。  右手に持つ革帯が、硬い感触を返してくる。  男の顔から表情が抜け落ちる。その後ろで、拳が引き絞られていた。 「おやぁ? 随分と騒がしいと思えば、そこにいらっしゃるのは司令官殿ではありませんかな?」  ぼやけた肌色が鼻先で止まる。視界の奥で、お道化るように白金が煌く。  辺りがやけに明るくなった気がした。今なら夜の暗闇すらも見通せそうだ。  オレは逸る気持ちを静めようと、腰の魔剣を握る。 「ヴァーナルグ、今までどこに――」 「久方ぶりですなフョードル司令。ご健勝そうで何より。藁山からの眺めは大層良いようで」 「……なに?」  無言の視線がシェフに注がれる。男達に囲まれた紅が大きな弧を描く。  それに相対する、司令官の背中が強張った。 「これはこれは、分かってらっしゃらない? 本当に? いや、理解したくないと言ったところでしょうか? ならば私が教えて差し上げましょう。終わったのですよ。あなたの役目は――」  音の消えた世界でシェフ……イザベル・ルクス・ヴァーナルグが歌い上げる。  視界から彼女以外の存在が薄くなっていく。  その時、一陣の強い風が天幕の間を吹き抜けた。  まき上げられた髪が、光輝く。まるで、彼女だけに光が当てられているかのように。 「戦時下において、烏合の衆より害悪なものは存在しない。この意味はお分かりでしょう――あぁ結構、結構です。語らずともそのことは、口よりもご立派な腹部が物語っておりますゆえ」 「――ッ!?」 「き、貴様ッ! 言うに事を欠いて、フョードル様を愚弄したな! このことは軍法会議にぅおッ!?」  不躾にも舞台へ躍り出た男を、女優自らが蹴り落とす。  呆気にとられる男は、あの中尉だった。  彼女は男を見ようともせず、寸劇を続けた。  高貴色の瞳が細まる。役者に次の展開を求めるように。   「……認めぬ…………」 「ん? 聞こえませんな? もっと大きな声でないと、他の者に伝わりませんよ?」  骨太の肩が震える。先程まで大きく見えていた背中は丸まり、一回り小さく見えた。 「認めぬといっている! いくら独自裁量権が与えられているとは言えっ貴官の行為はあまりにもおうぼぅボァあ!?」  飛んできた巨体を避ける。木箱が砕け散る大きな音。  見ればその背中があった場所に司令官の姿はない。  代わりに居るのは、手首の調子を確かめるシェフただ一人。その所作は上官を殴り飛ばしたとは思えないほど、軽い。  女優が観客を睥睨し、腕を振り払った。  その動作は激しさを伴っており、オレ達に劇が佳境へと至ったことを知らせる。 「立ち上がれ同胞たちよ! 武器を手に取り我に続け! 敵は極悪非道の帝国、奴らは我らの国土に火を放ったのだ! ――」  肩から上着が落ちたことも構わずに、シェフが奏者へ檄を飛ばす。  奏者達はマーチやスイートを筆頭に、男達を天幕の前から押し出した。  オレは温かくなった革帯の上下を確認し、シェフの背後へ歩み寄る。  なおも彼女の言葉は続く。 「――最初の一音は既に鳴り響いた! 撃鉄を起こせ! 術式を起動しろ! 残すは譜面に従うのみ! 安心したまえ、勝利は約束されている! ――」  凛とした返事が空気を叩く。彼女達の目に、オレは映っていなかった。  隊員の瞳は余すことなく、指揮者の一挙手一投足を追っている。  振り上げられたシェフの右手に、オレは研ぎ澄まされた一振りの細剣を幻視した。 「――さぁ行くぞ! 君たちの雄姿を、この耳で、両の瞳で、そして肌で、感じさせ――あれ?」  彼女の右腕を引き下ろす。それを包むは先程の革帯。  シェフはそれを見て、目を丸くした。  関節を極められる過程を追っていた彼女と、目があう。  媚びを売るかのように、彼女の片目が閉じられた。  そんなことをする必要はない。なぜならば、既に答えは出ているからだ。 「駄目に決まってんだろ」 1-2-7 「――開演予定は今から半刻後。開幕の合図はマーチが行う。第二小隊はそれにあわるように」  月明りに照らされる場に、血の通っていないポプリの声が流れる。  平野にある帝国軍の施設を見下ろすように、彼らは崖上に陣取っていた。  独立魔装部隊(おーけすとら)の面々は、開幕の時を息を潜めて待つ。  周囲に音は少ない。  無数の呼吸と同数と思われる金属音。  ポプリを初めとする隊長格の話し声。  女性のくぐもった呻き。  奏汰が頻りにたてる衣擦れ。 「な、なぁ……」 「作戦はソナタ……攻勢嬰ハ短調でいいだろう。いつも通りだ」 「むーっまあいあ、いううあー」  忌々しげなポプリの言葉が、奏汰の戸惑いを切り捨てる。  奏汰は眉尻を下げて、イザベルへ視線を向けた。 「ううあ、ああく、こえおおくんだ!」 「えぇ……」  複数のベルトで拘束されたイザベルが、地面で身を悶えさせながら何かを奏汰に訴える。  崖下から這い上がる夜風。強い困惑の念が、雫となって奏汰の頬を滴った。 「――各自、装備の点検を怠らないでくれ……」  ポプリが仕事は終えたとばかりに溜め息をつく。  振り向いた彼の視線が、横たわるイザベルへと向けられた。  彼女の瞳が輝く。呻き声に勢いがついた。  二人の間から音が退いていく。ポプリの足音がやけに大きく響いた。  彼の両手が革帯に触れる。そっと、優しく、慈しむかのように。 「シェフ……」 「ほふい、たのうおっこえあなあおおいあ!」  イザベルの後頭部で金具がカチャリと音をたてる。  彼女を抱き込むようにしていたポプリは、一息に、弛んでいた拘束を締め上げた。 「駄目だと言ってるのが分からないのか――」 「んーッ!?」 「ちょっ!」  ポプリは二人の反応を無視し、他のベルトに緩みがないか確認を始める。  彼の視線が揺るぐことはなく、点検を行う金具に固定されていた。 「――戦場を歩き回る指揮官がどこにいる? いくら不死身と言われてようが、オレ達は気が気じゃないんだ。いい加減に諦めてくれ」  確認を終えた手が、自らの外套へと伸びる。  ポプリはそれをイザベルへと被せた。まるで彼女の視線から逃げるかのように。 「カナタ」  奏汰のもとに声が届く。  彼は大人しくなったイザベルとポプリを交互に見ている最中だった。 「は、はいっ――ッ!」  ポプリの身振りを見て、奏汰は口を押える。言外に声量を落とせと言われていた。  乾いた風がポプリの赤髪を乱す。  奏汰はそれに背中を押されるように、一歩、また一歩と足を進める。  乱れる髪もそのままに、ポプリは剣帯の確認に集中していた。  呼び出しておいて一向に口を開かない彼。  奏汰はそれに業を煮やしたのか、唇をきつく噛んだ。 「……なんだよ。言っとくけどな、俺は魔――」 「おまえにはシェフの見張りを任せる」 「…………は?」  少年の反応に、ポプリは装備から目線を上げる。  奏汰は彼の視線に後退った。  血赤の瞳はいつもより、いや、それ以上に昏く、乾いていたからだ。 「こ、ここまで連れてきて、俺は居残りなのか?」  奏汰が負けじと言葉を発する。しかし最初の一音は絞り出したかのように擦れていた。  あぁ、と奏汰から興味が失ったようにポプリは点検に戻る。 「シェフを一人にして行くのは気がかりだ。何をするか予想がつかない。あのヒトは過去に自走車で戦場に突入してきたことがある」 「だから、態々ああして連れてきたのかよ……」  奏汰のぼやきはポプリに届いていない。  彼は身体に仄暗い魔力を纏わせて、一つ、息を吸った。  小隊ごとにまとまっていた視線がポプリに集まる。 「オレは北西から攻める、以上だ」  先に行く、とポプリはそう残し、一人で木立の闇に姿を消した。   「なら俺達も行くとするか、なぁメロディ?」 「ん、ぽーのためにいっぱい闘う!」  第二小隊がぞろぞろと森の中に入っていく。  これから戦場に向かうというのに、彼等からは緊張感が感じられない。  散歩にでも行ってくる、と言わんばかりの態度を咎める者は居なかった。  最後に残るのは第一小隊。彼女達は微動だにせずに小隊長の言葉を待っている。  マーチが、呆然と立ち尽くす奏汰へ一歩近づいた。  奏汰の顔に影が差す。彼は二重の意味で驚いた。  眼前へと迫っていた大きな手。  しかし、咄嗟に構えた奏汰に訪れたのは、温かく、優しい感触。 「焦るな……まずは知ることだ。力を示すのは、その後でいい」 「…………」  そう言ってマーチが部下達に向き直る。  多分に熱の籠った視線をその身で受け止め、大男は言う。 「肩の力を抜け。平常心を心掛けろ。戦場は、乱れた者から命を落とす場所と知れ」  行くぞ、と歩き出した背中を一糸乱れぬ行進が追う。  奏汰の前髪を夜風が弄り回す。未だに風は強く吹いていた。 「んッむーっ!」 「はぁ……いい加減諦めたらどうですか? ポプリも――ああ言ってましたし」  奏汰は言葉の途中で苦虫を噛み潰したような表情をした後に、遅れて気が付く。  イザベルの様子がおかしいことに。 「いやいやいや、ダメですよ。そんな顔したってダメなものは……」  首を横に振り、自らの意思は固いと奏汰は示す。  しかし彼の視線は、イザベルの瞳に釘付けとなっていた。  何かを懇願するようなその瞳。潤み、月明りの中で瀟洒に輝く白金のそれ。 「――ふむっん、うぅー!」 「……イザベル、さん?」  上気した頬、苦しそうな彼女の吐息に、奏汰の手が吸い寄せられていく。  数度、金具の擦れる音が闇の中で生まれる。  自由となった口から、湿った息が吐きだされ、小さな声がそこから漏れ出た。 「……後生だ、勇者君。お花を、摘みに行かせてくれないか…………」 「――は? 突然なに、を…………」  一瞬、理解出来ないといったものになった奏汰の顔が、瞬きの間に赤く染まる。  イザベルの瞳は、狼狽える奏汰を離さなかった。照準器を覗き込む射手のように。  限界まで溜めこまれた涙が溢れそうになっている。 「まずい。まずいぞ……このままでは、このままじゃ……もし、そうなったら――崖から飛び降りた方がましだ…………」 「わーっ! 分かりました、分かりましたからッだからもう少し我慢してください!」  奏汰の頬で汗の雫が光る。  俄かに騒がしくなった薄闇の中で、細枝が折れる乾いた音がした。   「もうちょっと……もうちょっとですよー! あと少しですからねッ!」  もたつきながらも、奏汰の手がイザベルの拘束を外していく。  はやく、はやく、と彼女に急かされ、その手が一際大きく震えた。  革帯が完全に外れるよりも早く、奏汰はその場から飛びずさる。  固く閉ざされた両目。強く耳に押し当てられた両手。屈む姿は路傍の石のよう。  だから、すぐに気が付くことが出来なかった。  発条のように跳び上がる肢体や、地面が力強く蹴られる音に。  彼が気付いた時には、もう遅い。   「――え?」  辺りに轟いたのは、奏汰が想像していた水音ではなく、高所から重量物が打ち付けられる時のものだった。  振動を不審に思った彼が周囲を窺うも、付近にイザベラの姿はない。 「しまっ――」  その時、不思議な出来事が起こった。崖下で強い光が発生したのだ。  切り取られた地面の際まで恐る恐る、近づく奏汰。  彼が見たものは、闇の中で乱暴に塗りたくられた黒。  その中で蠢くナニか…………。   「ひッ――!?」 「――甘い、君は考えが甘いよポプリ! いつも同じじゃ退屈していしまうじゃないか!? 強く! さらに強く! とても強く! 好き勝手にやらせてたら良い指揮者(シェフ)にはなれないものだよ!」  悲鳴を喰いちぎった奇声が、藪を鳴らしながら遠のいていく。  彼の思考が現実に追いついた時には、イザベラの姿はもう見えなくなっていた。  1-2-8  肌に細かい擦過傷を負った奏汰はそれを見て、一言も発せずにいた。  彼の視線の先には、隊列を組んだ第一小隊の背中がある。 「なんだい、戦争は初めてではないのだろう――」  何かに気付いたイザベラへ、奏汰が困惑を吐露する。 「共和国軍はどこもこんな……これじゃまるで…………」  虐殺だ、との言葉に彼女はかぶりを振った。  何も言わなくなった白金が、音と光が入り乱れる戦場へと注がれる。  時間が経過するにつれて、雑音の中から銃声が目立ち始めた。  単発で、長く尾を引く音。よく狙って撃ったと思われるそれ。  連続して点滅する光点が、一つ、また一つと消えていく。  言葉を失っていた奏汰の瞳が、答えに行きつく。  ぼうっと仄かに明滅する膜。それが第一小隊の前方に展開されていた。  これで説明がつく。高らかに鳴り響く靴音も、流血のない戦場も。 「これが魔術さ……どうだい、圧倒的だろう?」  奏汰の視線に気付いたイザベルが、先程の答えだがと続ける。 「我が部隊を除いて、魔術を使うものなど共和国軍には居ない。それは戦乙女の専売特許だというのが、この国に蔓延る間違った通念さ」  的外れな擲弾が付近で炸裂する。  即座に身を投げ打った奏汰。迷うことなく実行された動作は、身体に染み付いたものを思わせる。  イザベルはそれを気にも留めず、両手を広げた。  戦闘の明かりを受けてもなお暗い瞳は、外界に向けられているようには見えない。 「あぁ、ああ馬鹿らしい、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。嫉妬と諦観に凝り固まった思想も、僅かばかりの優位性を掲げ、驕り高ぶる心理も……理解しようとすら思えはしない――」  顔のみを起こした奏汰の表情に戸惑いの念が浮かぶ。  彼の瞳には、逆光の中で舞うイザベルが映っていた。   「――そういえば、勇者君。戦乙女は知っているだろう? キミの友人もあの部隊に所属していたはずだ」 「……はい」  奏汰の声は小さく、爆散する地響きに呑みこまれた。  降りかかる砂塵をものともしない演者は、そこに含まれた心情に気が付かない。  戦場の旋律、その主役が変わる。乱れ撃ちから統率の効いた銃声へと。 「我が部隊は寄せ集めでね。魔術が使えない者か、使えても彼女達の基準に達しない者しか居ない」  彼女の言葉が帯びた喜悦につられて、奏汰は上体を起こした。  遠くの炎が空気を揺らす。またしても乱れる光点。抉じ開けられた防衛線。攻城の一幕が終わりを迎えていた。 「それがどうだい……道具一つで戦場は変わる。馬鹿はそれをッ――認めようとしない!」   空間が嗚咽をあげるのとイザベルの声がぶれたのは同時だった。  傾注していた奏汰の頬へ、弾けた温度が飛び散る。  跳ね起きた彼の右腕が、イザベラの手を曳いた。 「なにしてるんですか! 早く伏せて――ッ!?」  血に塗れた軍服、複数の孔から覗く真白の肌、うねる真新しい傷口。  それらを目の当たりにして、奏汰は絶句する。  彼の瞳は、理解を拒むように見開かれていた。  これも魔術だよ、とイザベラがその手を振りほどく。 「さぁ、次へ行こうか。演目はまだ、始まったばかりだよ……勇者――」  歩き出した明るい笑みを、奏汰はただ、見ていることしか出来なかった。 「私の傍から離れないようにしたまえ」  …………徐々に開いていく間隔も気にせず、奏汰はイザベラのあとを歩いていた。  彼の肌からは血の気が引き、周りが見えているとは思えないほど瞳は虚ろになっている。  彼らは二つの戦闘を鑑賞し、次の会場へと向う最中。  空中で弾む足音が止まる。イザベルだ。彼女は振り返って微笑みを浮かべた。 「どうした、足取りが重いぞ勇者! 早く、終幕はもうすぐ間近さ!」  危機感のない声が建物の間で木霊する。だが、彼女の言葉に反応する者は何処にも居ない。  鉄臭い沈黙が二人の間に漂っている。  奏汰はそれを知ってか知らずか、その場で立ち止まってしまった。 「…………なんなんだよ。意味が分からねぇって……俺は、なにを――」 「――それは分かっているはずだろう? 前に一度言ったじゃないか、願いを叶えたいのなら彼に認められることだ、と」  驚愕した奏汰が身を仰け反らせた。瞳の焦点は眼前で笑うイザベルに合っている。  ねがい、と彼の口が言葉にならない声の形になった。  それを見た哄笑が、奏汰の手を引き、誘う。 「そう、闘いたいんだ……キミは。力を手に入れて見返してやりたいんだ……あの勇者を――」  暗闇を駆ける足音が複数、それが徐々に加速していく。  己の言葉を反復する声に、イザベルは笑みを深くする。 「――ならば、見るんだ。知るんだ。聞くんだ、彼の考えを――」  細く繋がった二つの影が、建物の陰から月明りの下へと躍り出る。   「ッ…………!?」 「――参ったね、ここは既に通った後みたいだ」  広めの道に敷かれていた暗褐色の絨毯。ぬらりと光るそれは、真っ直ぐ基地の中心部へと延びている。  それを一目見たイザベルは駆る足を更に速めた。  彼女は一顧だにしない。奏汰が絶句した景色に飽き飽きしているのだろう。  先を急ぐその様は、まるでその先に何が在るか知っているかのよう。  だが、奏汰は違った。強張る彼の瞳は、その一つ一つをしっかりと辿る。  歪な通り道。そこら中に散らばる肉塊。その一つは引き攣った表情のまま転がっていた。  彼は知っている。誰がここを通ったのかを、誰がこの惨状を成したかを、知っている。 「うッ――!?」 「吐くのは構わない。でも足は止めるな、遅れてしまう。どうやらポプリは相当逸っているみたいだ」  なんたって二年ぶりだからね、との言葉に、奏汰は濁った音を返すことしか出来ない。  二人がなぞる血路は、次第に薄れていく。  次の瞬間、奏汰の顔が跳ね上がった。彼の耳に剣戟の音が届いたのだ。  それは二人が進むにつれて大きくなっていく。  イザベルの手に力が入り、彼の骨が軋む。奏汰は眉根が歪んだ。  そして見ることになる。上気した彼女の耳の、その向こう。無数の火花を纏う二人の男を。 「――悪魔…………」 1-2-9  遠くの空が白み始めたその時、彼の静かな動揺が、辺りの空気を揺らす。 「――悪魔…………」  つい、と動いたイザベルの瞳に、瞠目する奏汰の顔が映りこんだ。  彼女の頬がつり上がる。 「おや、その呼び方はどこで知ったのかな?」  奏汰は答えない。血赤の髪を追いかける彼の視線からは、思考の余裕すらないことが窺える。  まあいいさ、とイザベルはその先を見る。 「答えは自ずと分かるからね」  彼女の吐く息は白く、熱気を多く孕んでいた。  血塗れの魔剣が吼える。敵手を斬獲せん、と。  対する聖剣は、仕手の力不足を嘆き、弾けた。  その事象から、二振りの間には絶対的な重量の差があると知れる。 「ク、ソッオォォォおおお!」  苦悶の声が身を捩り、魔剣から逃れた。  男の身体に傷のない部位などなく、纏う衣は血で斑に染まっている。   「――シッ――」  黒く乾いた唇から漏れる短い、呼気。  昏く濡れた血赤の隙間から、ポプリの瞳が覗いた。  昂り、夕日のように光る、それ。  踏み出した足を軸に、もう片方の魔剣が唸る。  闇夜に尾を引く黄昏色。  それには最早、勝利へ続く道しか映っていない。  敵を追ひ撃つ剣。  濁り、捩れた音。  悲―― 「ッぐ、ガァア!? ああぁぁぁあぁぁぁあああ!!!」  ――鳴。  魔を迎える剣。  衝突、鉄の残響。  ポプリは左腕の魔剣で聖剣を縫い留めると、男の懐に潜り込んだ。  装飾のない魔剣が跳ね上がる。  主が望むのであれば――  敵の体側を這い、脇へと向かう。  ――それを成すのが騎士の務め。  ズッ、と短い音が夜の帳を揺らす。  その後に聖剣は、男の腕もろとも宙を舞った。 「ッ――――――――!!!」  欠落したものを手探る男の手。彼が求める物はそこにはない。  赤い噴流に抗えず、彼の手は押し戻される。  血煙のただ中で、ポプリは全ての魔剣を送り還した。  彼の視線は最早男に向いておらず、地面に横たわる聖剣にのみ、注がれている。  泥濘の音を重ねるほどに、それは火勢と鮮やかさを増していく。  切り落とされた腕が、聖剣を握っていた。  すでに意思など、かよっていないというのにだ。  醜く歪んだ腕は、男の強い執着心を物語っているように在る。  邪魔な物を剥いだポプリは、聖剣を透かし見ながら男のもとへと歩き出す。  剣身のみならず、鍔、握り、柄頭にいたるまで、聖剣には魔力が流れていた。  まるで、魔力で織られたかのような在り様に、ポプリは喉を震わせる。 「答えろ聖騎士、七年前のことだ。なぜお前等は、あの村を襲った?」 「うッつぁ、ァ――ァァァ、――」  白く剥き出しとなった瞳に、突きつけられる聖剣は映っていなかった。  男の声に気を悪くしたポプリが、切っ先で彼の体表をなぞる。  一呼吸も経たないうちに、男は鋼で地面に縫い付けられた。 「オレの言葉が分からないのか!? オレは言ったぞッ答えろと! 言えッなぜだ、なぜ!?」 「――アアアッァァァ!? ――――じらない! じらないんだ! なんのごどだが、おれにわあアアァァァ!?」  傷口を広げられ、男の言葉から意味が消失した。  聖剣を捻じったポプリは埒が明かないとばかりに瞑目する。  その時、夜が、明けた。  遠く、地平の彼方から差し込む光を背に受けて、ポプリの瞳が外気に触れる。  彼の輪郭が、黒く、淀みのような魔力で滲む。  影によって塗り潰された中、赫奕たる一対の意思はなにを思うか。  ポプリの魔力は、今この時をもって最高潮に達していた。 「今一度、名乗れ。お前の名を、今、ここで」  潮が引くように、男の叫びが小さくなっていく。  一度合わさったが最後、彼はポプリの瞳から目が離せなくなっていた。  水気を帯びた男の目が、一度大きく揺れる。 「あ、ぅぁあ――」 「疾く」 「――ッ!? ぁ、カイエ……っ……セント――ブルク…………」 「【業を背負いし、この身は咎人――」  ポプリの言葉を契機に、黒が聖剣を侵し始める。  瞬く間に剣を塗り潰した魔力は、その食指を喘ぐ男に伸ばした。  行く末を見守っていた奏汰の声が震える。 「あいつ――ポプリは、なにをして……?」 「何って、魔術だよ。あれもね」 「魔術…………」  うわ言に、意味は乗っていなかった。食い入るような視線は、僅かたりとも男達から離れない。  聴いちゃいないか、と零したイザベルの眉が突如跳ね上がる。  空間を劈(つんざ)く剣の絶叫。  ポプリの眉間に深い皺が入る。それでも、彼は魔術を断行した。  膝をついた奏汰の隣で、イザベルが身を掻き抱く。 「こんな……こんなことは初めてさ。いったい、何が起こるっていうんだろうね……」  全てを呑み込んだ黒が、剣を締め上げる。その姿かたちすら支配せんとするように。  絶叫が臨界に達しようとしていた。 「――その罪、魂をもって贖え。権能発――ッ!?」  一陣の風が、駆け抜けていく。突然、世界は静かになった。  耳から手を恐々と離す奏汰。状況を把握できていない瞳は、呆然とイザベルの背中を追う。  悠々とした靴音が、戦場に響き渡る。  それに気が付いたポプリ。空間を染める魔力も、炯々と燃える瞳も、今の彼は持ち得ていない。  遺体を跨いだイザベルが、血の滴る彼の手を取った。 「砕け散ったように見えたよ。いったい何がどうなって――」 「贋作だった」 「――ん?」  ズタズタになった掌から、破片を取り除いていたイザベルは見ていない。  押し込められた彼の表情も。  衝撃に揺れていた瞳も。  血糊を濡らした一条の感情も。  それらを見ていたのはただ一人。離れて見ていた奏汰、ただ一人だけだった。 1-2-10  身を切るような夜風の中に身を置いても、頭の中の靄は晴れてくれそうにない。  懐の温もりを撫でながら、オレは基地の明かりを眺めた。  煌々と照らされた黒い人影が、蟻のように見える。彼らは国を守る兵隊蟻だ。  冷えた空気に乗って仄かな香りと、微かな息遣いがオレの耳に届いた。  メロディを起こさないように振り返る。身体の節々が悲鳴をあげていた。 「キミってヒトは……ここは気付かない振りをするのが甲斐性ってものじゃないか」 「イザベラ。キミがそう願うなら、オレは最大限努力しよう」 「よしてよ――」  溜息と共に彼女が呟く。 「私達は対等でしょ?」  善処しよう、と喉元まで出かかった言葉は役目を果たさずに呼気となった。  唐突に訪れた沈黙。木々の騒めきが、やけに大きく聞こえる。  もたれ掛かってきた体温は何かを耐えているかのように、震えていた。 「……スイートがメロディを捜してたわ。あなたもそろそろ戻ったら?」 「考えたいことがある……この子は、キミが連れて行ってくれないか」 「ダメ、私はまた戻らなきゃいけないの。きっとあのヒト達、血眼になって私を捜している」 「だいじょ――」 「ねぇポプリ……」  唇に触れた冷たく、細い指を、漏れた呼気が撫ぜる。  会話の主導権は彼女が握っていた。それが、酷く心地よい。  イザベラの瞳は星だ。それが弱々しく瞬いている。  オレは今にも消えてしまいそうな光を、一心に見つめた。  彼女が意を決したように、震えを抑え込んでいたから。 「――私を、王にしてくれる?」  言葉の後に唇から離れていく鋼の指。  オレはその手を取り、熱を捧げるように両手で包んだ。  イザベラの力になるためなら、どんなことだってしよう。  左胸が熱い。それがどんどん強くなっていく。 「契約の上に、重ねて誓おう。イザベラ、オレはキミの剣だ。如何に困難な道のりでも、必ず切り開いてみせよう……必ず、だ」  噛み締めるように聴いていたイザベラが、不意に立ち上がる。  吹き抜ける夜風が、左腕の温もりを奪い去っていった。  オレは黙ってその背中を見つめる。  振り返った白金は、先程とは打って変わって、強い光で煌いていた。 「さて私は仕事に戻るとするよ! なに、心配はいらないとも。演目の成否、その責任を負うのが指揮者の務め、だからね! クハ、ハハハッアーッハッハッハ!」  そう言って彼女は走り去っていった。  徐々に見えなくなっていくシェフの背中。  冷めることのない熱を感じながら、オレは腰の魔剣を掲げた。  夜空よりもなお暗く、僅かな月明りすらも吸い込むような黒い鞘。  こいつを抜いたのは随分と前だ。それでも、オレは思い出すことが出来る。満たされることのない漆黒の剣身。これはオレの罪だ。  温もりを求めた右手が、止まる。後方の気配。それはオレが予想していた人物ではなかった。 「やっと見つけたぞ……こんなところに居やがって、風邪でも引いたらどうするんだ?」 「気にするな。オレもお前も、そんなやわには出来ていない」  そうは言うけどな、とカナタが腰を下ろした。  二、三意味のない言葉を零すと、隣の熱は黙り込んだ。  居心地の悪さが伝染する。  オレを捜してここまで来たようだが、いったい何の用があってのことだろう。  言葉を練っていると、カナタが深く息を吸いこんだ。  これは都合がいい。オレは与えられる情報を待って、思考を取りやめた。 「俺は、さ……逃げたんだ。どうすることも出来ない現実から、一度だけじゃなく……二度も」  訥々と語られる音が、静まり返った空気を震わせる。  カナタはオレを見ていなかった。膝を抱えた彼の視線は、遠く、地平の彼方へと向けられている。  期待していたものとは違うが、まぁいい。  オレは確認のために、魔剣を呼び出した。  以前と比べて異変がないか調べる意識に、彼の声が滑り込む。 「――精一杯努力した。それでも越えられない壁――あの人達の期待から、俺は目を背けたんだ。だから今度こそ……」  カナタが提示した情報は、彼が召喚されてからここに至るまでの経緯。それも、オレが聞いていた話とはまるっきり違う内容の。  勇者は呟く、応えられなかった、と。それが見当違いにもかかわらず、だ。  身震いするメロディに、傍らの外套を被せる。  この話は長くなりそうだ。  何かを望んでいる瞳。  つい先ほどまで闇に注がれていた視線は、魔剣が出し入れされる様を見つめている。 「傲慢だな。それも酷く、独り善がりだ」 「――ッ……」  カナタは期待などされていなかった。もう一人が神剣に選ばれた、その瞬間から。  薄々、自分でも分かっていたのだろう。その証拠に、カナタは二の句を継げないでいる。  人並外れた魔力量がなんだ。気高い精神がどうしたというのだ。  ただ主張したところで、それに価値など生まれない。  他者ありきの願望など、オレは認めない。 「……お前は、どうなんだよ。お前はなんのために――」 「力だ」 「――は?」  粘り気のある感情が喉奥から這い上がってくる。  承認欲求の――そんな陳腐なもののために闘っていたとでも、こいつは思っていたのか?  オレは立ち上がったカナタを睨みつけた。言葉の粘度が増す。 「足りないんだよ。無力なままでは、奴等の首に手が届かない」 「お前、まさか…………」  カナタが酷く狼狽えたように後退った。彼の瞳は魔剣に刻まれた銘に釘付けとなっている。   「前々から、おかしいと思ってたんだ! イリス、アレク、ソニン。全部……全部、人の名前だろ!? お前は、今まで……そうやって――」 「だからどうした」 「――ッ罪の意識はないのか!? 復讐のためだからって、なんの関係もない人を殺しやがって!」  その一言が火元となった。  オレの中で淀み、溜まっていたものが、その火花を契機に激しく燃え上がる。  義憤に燃えるカナタの表情。彼の上辺だけの言葉が、オレの炎を更に煽った。 「お前に何が分かるッ!?」 「ッ!?」  オレの怒声に、カナタがたじろぐ。  罪? 罪の意識だと? そんな当たり前のことが、いったい何だっていうんだ!?  それらを背負ってでも、辿り着かなければならない場所があるということを、なぜ理解出来ない! 「オレは――オレにはもう、これしか残っていないんだッ!」  殺すためだけに生きている。  口にはしなかったその言葉で、内側が急速に冷めていく。だから、気付くことが出来た。  未だに眠気が抜けきっていない瞳。オレをまっすぐに見つめるその視線。  言葉を失うオレに代わって、メロディの唇が震える。 「……ぽぉ?」 「すまない。少し……熱くなり過ぎた――寒くないか?」 「ん……」  メロディが外套に首を埋める。  話は終わりだ、と視線だけでカナタに伝えて、オレは彼女を抱き上げた。 「おい――」  立ち去るオレの背中に、カナタの声がぶつかる。  それは、熱を孕んでいた。彼の顔を見なくとも、表情が分かってしまうほどに。   「――俺は認めないぞ……お前のことを…………それは、正義じゃない」  耳元を通り過ぎていく風に、足を止める。その言葉には聞き覚えがあった。  だから、ふと思ってしまったのだ。まるで昔の自分を見ているようだ、と。  五年以上の歳月を越えて、その時の言葉が蘇ってくる。  不思議そうに見てくるメロディへ、大事ない、と視線をおくる。  あのヒトは、あの時、こう返したのだ。 「『それは違うな。この世には最初から、正義なんざ存在しちゃあいない。あるのはただ一つ、強者が謳う寓話だけ』」  カナタに届いたかは分からない。しかし、これ以上言葉を重ねるつもりはもう、オレにはなかった
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