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1-3-1  皿を食器が撫ぜる音。折り重なるそれらに混ざる匂いが、眠気の抜けていない鼻を刺激する。  常より少しばかり大人しい食堂の端で、オレは食事を摂っていた。  匙で野菜の煮汁を掬い、口に含む。  少しばかり強い塩気を飲み下し、沈む蒸かし芋を突く。  柔らかいそれを崩せば、割れ目から白い湯気が顔を出した。  片割れを乗せた小匙が唇を通過し、舌へと至る。  優しい温かさに、ほ、と吐息が漏れた。  不味い…………。  そう思うのが早いか、空いていた左手は既に額を押さえていた。  料理は悪くないのだ。そう、彼らに非はない。  形の不揃いな根菜も、仄かな酸味を持った葉野菜も、それ自体が塩で出来ているのではないかと疑いたくなる加工肉も、すべて、すべていつも通りなのだから。  だというのに、今朝の食事は、こんなにも味気ない。  理由は周囲に蔓延る空気。  オレは食卓から目線を上げ、目の前の背中を見る。  頑なにこちらを見ようとしないカナタ。彼は早朝からずっとこの調子だ。 「ぽー、元気ない?」  隣の席に座るメロディが、心配そうにオレの顔を覗き込んでいた。  元気がない――今のオレは、そう見えているのだろうか。だとすれば、なぜ……?  視界の隅で背中が強張る。  オレはそれを勤めて考えないように、喉を震わせた。 「そんなことは、ない……はず。ありがとう、心配してくれたんだな」 「んー?」  そう言って寝癖の目立つ髪を梳く。  メロディは肩口に切り揃えられたそれを揺らして目を細めた。  上流を目指してゆらゆらと、思考の船が記憶の川を辿り始める。  どうしてこうなっているのか、自分でも分からない。こんなことは、今までなかった。  それを解く鍵は、きっと過去にあるはずなのだ。だから、思い出さねば。  なぜ、なぜ? なぜこんなにも、オレは、揺れているのか…………―― 「――あ、おいポプ…………って、これはまた」  天幕の入り口から、オレを呼ぶ声が聞えた気がする。  そちらを見れば、スイートがこちらに歩いてきているところだった。眉を顰めながら。  一目で見破るその観察眼に脱帽する。彼は、こういうことにだけ察しが良い。 「なにかあったか?」 「いや、なにかって……どうしたってんだよ?」  カナタの背中を遮って座ったスイートが、机にもたれる。  その動作ひとつで、花畑の只中に立っている錯覚に陥りそうになった。  喉元まで来ていた言葉を呑み込む。喧嘩か……珍しいな、とのスイートの言葉で。  オレは両手を挙げて答えの代わりにした。  仲間外れにされたと思ったのか、メロディが脹れる。 「むーっ、ごはんの時はしゃべっちゃだめって言ったのは、すーなのに……」 「や、俺はまだ食べてないだろ? な、メロディ?」  慌てたように言い繕うスイート。  しかし、オレに張り付いたメロディは、まったく聞く素振りを見せない。  二人のやり取りは、まさに親子のそれ。彼らの間には、見ているこちらが和むような不思議な空気が流れていた。  緩みかけていた頬に引っかかりを感じる。  なぜか無性に、彼の言葉が気になった。  オレは見るからに弱っていたスイートへ声をかける。 「食事はどうした? 防衛は常備の仕事だ。いくら小隊長だからといっても、食事が出来ないほど忙しくはないはず」  オレの言葉でスイートが動きを止める。忘れていたものを思い出したかのように。 「いや、な。シェフを捜しているんだが……見てないか――」  取り落とした小匙が器を鳴らす。  彼が語った内容は、オレの脚を駆り立てるのには十分すぎるものだった。  複数の足音がオレの後を追っている。 「――待てって、ポプリ! 何度も言っているだろうッ奴らもシェフを捜しているんだ!」 「おいかけっこー!?」 「ならなぜそいつらはウチの隊舎に来ないんだ? 第一に疑いがかかるところだろう。なのに誰も、少なくともオレはその姿を見てはいない」 「…………」  昨日の夜から、オレも彼女のことを見ていない。  あの時彼女は聴取を抜け出してきていた。しかし、別れた後に戻ったはずだ。だというのに……。  周囲の音が常よりも大きく、そして鮮明に聞こえた。  基地内はあまり変わり映えしない。  違いがあるとすれば、兵士の間に緊張の糸が張っていることだろうか。  前線基地であれば、どこにでもある風景。  それが更に、オレの鼓動を煽った。  逃亡者が出たにしては、あまりにも静かすぎる。まるで―― 「何も起きてないみたいだ……」 「!?」  いつの間にか並走しているカナタが言ったその言葉。  それに答えるべきか迷っていると、進む先に目的の建物が見えた。   「おいおいおいッ冗談だろ!?」  後方からスイートの裏返った声が聞えた。  西部司令部。なんの飾り気もない混凝土造りのそれが、今では怪物の住処にすら思えてくる。  ああ、やはり…………。  吸気と共に、魔力を奥底から呼び起こす。  入口に立っていた二人の衛兵。彼らが向けてくる眼差しは、味方に対するものではない。  装填音が空気を叩き、ここにまで届いた。  魔力の虚に右手を突き込み、呼び出す魔剣を指定する。  万難を排すため、その身を砕いた一振りの両手剣。手段を選ばぬ守護者の剣。 「【狂い咲け、イリス】」  引き抜いた魔剣には鍔から先がない。  千々となった剣身は、既に、指し示されたへ向けて散っている。  聴く者を酷く不快にさせる金切り声。  オレに狙いを付けていた衛兵の手から、突撃銃が跳ね跳んだ。  背後から聞こえる制止の声、目前だから見えた彼らの動揺。  その場に氾濫する情報を振り切り、オレは拳を振るった。 「――どうするんだ? 規律違反どころの騒ぎじゃないぞ、これ」  俄かに騒がしくなり始めた屋内と、地面でのびている兵士を交互に見ながら、スイートがそう零す。 「武器を向けてきたのなら、それは敵だ。あのヒトなら、そう言う」 「そうは言ってもな…………」  渋るスイートを無視し、薄暗い廊下を奥へと進む。  何事か、とオレ達を訝しむその他大勢の視線。  それに紛れていた一部の軍人が銃をもって、何度も行く手に立ち塞がった。  オレは切り伏せて進んだ。他の士官すらも驚いた、その凶行を。  階が上がるにつれて、推測はオレの中で確固たるものへと変わった。  ここに至ってやっと理解が進んだのか、スイートは沈黙を纏った。  この階段を上れば、司令官の居る――  三階と二階の狭間。その踊り場にオレが足を踏み入れようとした、その時。  銃声が鼓膜を襲い、床板が爆ぜた。 「ッ!?」  壁を背に息を呑む音。  やはりそこに居たか…………。 「隠れてないで出てこいッナーメン・ローゼ! そこに居るのは分かっているんだッ!」 「中尉」  スイートの眼差しに視線で応え、オレは敵の前へ身を晒す。  既に魔剣は戻していた。何も持っていないオレの両手を、彼は照門の間から満足そうに見ている。  ただ殺すだけでは意味がない。こいつからは彼女の居場所を聞き出さねば。 「私に反抗の意思はありません。ここを通してはいただけませんか? 司令官に用があるのです」 「フョードルのことか? 残念だがそれは無理だ。お前は少しばかり、来るのが遅かった」 「……何を」  空気を求めた鼻が、硝煙の中から血の匂いを嗅ぎつけた。  敵が段上で笑みを深める。男の服は、返り血で点々と汚れていた。 「奴は戦場で凶弾に倒れ、俺は戦火に巻かれて生死不明となる――」 「…………」 「――手土産が必要なんだよ。魔女と上層部の首に、この基地。だが、まだ足りない。俺がのし上がるには……まだ」 「彼女をどこにやった……」  魔力を迸らせる。時間はあまり残されていない。  オレの様子を見て男は高笑いをあげた。 「どこ? どこにだって? 分かり切っていることを訊くなよ、ナーメン・ローゼ……」  勿体点ける言い方に、苛立つ。奥歯が砕けそうなほど軋み、音をたてた。  早く、早く動き出すべきだ。イザベラが帝国の手に渡る前に……。  魔力を制御下に置き、指先に魔力の虚を形成させる。  ここでの最適解はどれだ……速度か、防御か、それとも――  研ぎ澄ませていた思考が、途切れた。微かにだが、空気を切り裂く音が聞こえる。  聞こえるはずのない音だ。まず発射音がなかった。それにこいつが、まだここにいる。  男の唇が裂けた。喉が震え、今まさに声が言葉へとなろうとしているのだ。  それより先に、音が炸裂し足元が大きく揺れ、る。 「――なにっ!?」  狼狽えたような声が、階段を転がり落ちてくる。 「ぽー!」 「ポプリ! 出るぞッ屋内に居るのは危険だ!」  手を引かれて体勢が崩れる。驚いて見れば、先を急ぐスイートとカナタの背中があった。  避難するべきなのだろう。ここは今、敵から攻撃を受けている。しかし、まだ―― 「何故だ!? 話が違うぞッ俺が合流してから始めるのではなかったのか! これでは、これではぁぁぁぁ!!!」  メロディの手を握り返し、左胸の刻印に魔力を流す。  オレが使うことを許されたたった一つの魔術。  イザベラから預かったつながりを辿り、迎えに行こう。  鼓動が熱く、その間隔を狭める。  大丈夫、大丈夫だ。オレはここに居る。だから、彼女が死ぬことはない。絶対に。 1-3-2  砲弾が雨あられと降り注ぐ中、襲撃を知らせていた警報が突如、こと切れたように沈黙する。   「ポプリッこれからどうする!?」  前を走るスイートの指示を仰ぐ声。  彼の気遣いにオレは一時呼吸を忘れる。  ここに至るまで、彼らに具体的な話をしていなかった。  オレ達は今、砲撃の嵐から遠ざかるために走っていた。イザベラの反応とは真逆の方向にだ。  仲間の視線がオレに集まる。 「まずは部隊の集結が第一目標だ。最悪でもマーチと合流しなくては……」  後方から地響きが伝わってくる。今や基地内は蜂の巣を突いたような有様となっていた。  スイートがオレの言葉に頷く。彼の視線は、その後のことも聴かせろと暗に言っていた。  左胸の熱を服の上から握り締める。 「集結後、オレ達は反転。シェフを取り戻すため、攻勢に移る」 「はぁっ!? どういうッシェフが帝国に!? なぜ――」 「説明は後だ。それより先にすることがある……曹長」 「ここに」  音もなく現れた女性下士官に、スイート達が驚く。  日頃の騒がしさを何処かに置いてきた彼女は、一切物音をたてずに走っていた。 「オレ達はこれから戦闘地帯へと向かう。部隊の参集、その伝達を任せた。それが終わり次第、うちの男どもと――」 「彼らは既に避難民の誘導と護衛にあたっています」 「そうか……武装及び戦闘行為の制限を解除する。カナタを連れて行け」 「ハッ!」 「――ちょっ!?」  信じられないとばかりに振り返ったカナタが、瞬時に移動した曹長と共に視界から姿を消す。  足を止めると、同じく立ち止まっていたスイートが、半眼で睨んできた。 「聞いてないぞ。お前のところの隊員は魔術が使えなかったんじゃないか?」 「彼女達は中央の肝いりだ。シェフとオレしか知らないことだが、聞きたいか?」  問答を打ち切るように、彼は両手を挙げた。  詳しく話すつもりもなかったオレはそれを見て、作業を開始する。 「止めておく……俺はお前と違って、余生を穏やかに過ごしたいんだ」 「めーにも、めーにもおしえて?」 「あー、メロディ? この世には聞かない方がいいこともあるんだ」 「むー!」  二人の会話を耳にしながら、野戦服の上衣を着こむ。魔剣の選定も同時に済ませた。  魔力の発露に気付いた彼らへ視線をやり、唇を湿らせる。 「用意はいいか? そろそろ――」 「出来てるに決まってるだろ? 俺達はこの身一つで十分なんだからな」 「めーも! めーも!」 「それもそうか。なら、行こう【イリス】、【ソニン】……【アレク】」  イリスを剣帯の背面に差してから、空いた手でアレクを引き抜く。  前方は度重なる砲火で煙っていた。  まずはあそこを越えなければならない。 「ついてこい――」  音のない砲撃が基地を襲い、地面を捲り上げる。  他の戦場では見聞きしたことのない攻撃。シェフが見たら、無粋極まりないと鼻白むことだろう。  砲弾がその牙を突き立てんと、頭上から迫る。引き裂かれる空気が、悲鳴の和音を奏でていた。 「【舞い散れッイリス】!」  後方で鉄と炎の花が咲く。轟音で麻痺しかけた聴覚に届く、細かな切削音。  視線を切れば、基地内の至る所から黒煙が顔を出していた。  弾雨の中に榴弾が混じり始めている。敵が攻撃の指針を変えたのだ。  消しきることの出来ない一抹の不安が、心の中で燻っている。  熱気を孕んだ空気が喉を焦がす。度重なる爆炎が視界を焼いた。  不図、腰の重りにが気になり、背面へ視線をやる。  イリスは本来の姿を八割方取り戻していた。  射程距離の限界まで手を伸ばしていたからか、彼女の損耗は常よりも激しい。  一旦墓地へ戻し、補修に専念させるべきだろうか――いや、後のことを考えると、それは厳しい。  魔剣の柄を握り、魔力を押し流す。  酷使して申し訳ないが、今一度働いてもらおう―― 「ポプリッ!!」 「ッ!?」  喚起の声に、浅はかな思考から顔を上げる。  随分とゆっくりな世界で、迫りくる砲弾の、そのざらりとした弾頭に、オレは目を奪われた。  気付いた時にはもう遅い。起動しているイリスの破片は二割に満たないのだ。  このままでは、完全に防ぐことが出来ない――  まえ、と口から出した魔力は、目的を果たす前に立ち消えとなった。  音すらもなく咲き誇る煙火。  一枚のガラスを挟んでみるような、その光景。  身構えていたオレが答えを導き出す前に、回答が行軍の音を響かせてやってきた。 「……間に合ったようで安心した」  見上げるほどの大男、彼が引き連れる第一、第二小隊の面々は、顔に煤一つ付けていない。  小動もしない鈍色を見返し、詰めていた息を吐き出す。 「助かった。礼を言わせてくれ、マーチ」 「いやー一時は死ぬかと思ったぜ……ほんといい仕事するよなマーチは」 「めーは大丈夫だよ! ぽーといっしょだもん!」  戦場から隔離された空間に、弛緩した空気が流れる。  おかげで気を引き締め直すことが出来た。  スイートが第二小隊の編成を進める中、戦場を睥睨する鈍色がオレの横に立った。 「話は第三の少女から聞いている。シェフは今何処に」 「西だ。胸の刻印はこの先を指し示している」 「……やはり、これと無関係とはいかないのだろうな」  オレが頷きを返す前に、彼は後方を見やりながら魔力の流れを断ち切った。  たちどころに周囲は喧噪で満たされる。  マーチの視線を追えば、更に、更に先へと、後方を耕し続ける弾雨が見えた。  騒然とする世界に、金属が擦れる駆動音が差し込まれる。  スイートがそれを聞いて笑みを浮かべた。飄々とした日頃の態度からは考えられない獰猛なそれ。  部隊の編成を終えていた彼は、身体に魔力を漲らせる。 「さぁて、ここは俺達に任せてくれるんだろう副官殿? そろそろ働かないと、穀潰しの謗りを受けかねないからな」 「gU ru ru ru――」  臨戦態勢のメロディに先んじて、彼が歩き出す。粉煙の向こう、機甲部隊と思われる影の元へと。   「余力は残しておいてくれ、長引く可能性がある」 「分かってる。パッと終わらせるさ、こういうのは得意なんだ。綺麗なものを乱すのは、な」  こちらを振り返りもせずにスイートが片手をあげる。それを機に第二小隊が方々へと散開した。  彼の姿が煙に紛れた途端、様々な光が影を色濃くさせる。  悲鳴、爆裂、瓦解。  瞬く間に、血と鉄の香りが空間を支配する。  特に合図は決めていなかったが、オレとマーチの足音が重なった。  それに第一小隊のものが加わる。 「奴らが何に手を出したのか、思い知らせなければな」  隣の靴音が、一際大きく戦場に響き渡った。 1-3-3  ぴんと張りつめた緊張の糸。オレはその上で、彼方からやってくる破壊の音を聞く。  敵の前線を突破してから随分と進んだのにも関わらず、未だに帝国の砲声は聞こえない。  どれほど遠方から投射しているというのだろうか。  帝国はそれほどの技術力をもっているのだ。勇者を迎えた我が国の軍部も、いずれ前方で働く敵のように闘う日が来るのだろう。  国境付近に設置された敵の指揮施設は簡易的なもの。  深緑の天幕に無数の機械――武装した者など数えられるほどだ。  構築中と思われる塹壕の奥には四台の輸送車両が待機していた。  オレはそれを見て、敵部隊の規模は中隊以下と推察する。  ……何も心配することはない。魔術などなくとも、この場だけならこちらの優位性は揺らがない。  右隣で細かな枝葉が擦れ、我慢しきれないとばかりに、嗤う。 「ここは俺の小隊が受け持とう。お前達はここで待機していてくれ」 「……いや、全力で叩く」  オレの言葉に、腹這いのマーチが顔を上げる。彼の瞳に不可解の色が浮かんでいた。 「現状はとても厳しい。今はまだ消耗を抑えるべきだ。俺の魔力量は常人より多いが、決して無限ではない。ましてや彼女達は――」  マーチの言うことは道理に適ったことだ。しかし、それは悪くないだけで最良ではない。  突破が目的であった先程と違って、ここにはシェフが居る可能性がある。  彼が提言した内容では時間がかかり過ぎてしまう。 「波状攻撃で短期決戦に持ち込む、ボレロ攻勢ハ長調」 「…………」 「いいな、それ。奴らには派手に踊ってもらうとしようか」  今まで黙っていたスイートが、愉快気に口端を上げる。  マーチは腹這いにならなければ藪に隠れられないその身体から、無言で力を抜いた。  こうしている間にも、敵は奇襲の譜面をなぞり続けている。  オレは唇をゆっくりと開いた。焦げ付く吐息を周囲に悟られないように。 「第一はこの場で横隊に、第二はここから十時の方向にて展開。合図の後に制圧を開始する」  小さな了解の言葉を背中で受け、オレは所定の位置へ向かった。  部隊から離れ、独り。仲間達の息遣いから遠ざかると、今までぼやけていた情報がその輪郭を取り戻す。  ざわつく指揮施設、間隔の短くなった地鳴り、跳ね回る己の鼓動。  ……焦りは、あまりよくないものだ。ずれた歯車は周囲の動きを阻害する。落ち着け――  溢れかけている感情を奥底に押し込め、両手の魔剣を握り締める。  ――楽しむんだ。この状況を……血に狂い、闘争を崇拝していたこの、二人のように。  仲間に伝わるよう魔力を迸らせる。  戦場を後方から動かす環境は、それを合図に急変した。戦闘の舞台へ、と。  変化に気が付いたのは歩哨の男だった。 「てっ!? てき――」  乾いた銃声が、叫ぼうとした男に穴を開ける。  空気の抜けた人影は声も出せずに倒れ込んだ。  それを皮切りに、第一小隊の一斉掃射が始まった。  まだ、まだ……オレ達の出番はまだ先だ。  魔力の乗った礫が、布を、肉を、鉄を、蹂躙していく。  風に乗った僅かな血の香りに、二振りの魔剣が震えるのが分かった。  はたと戦場が静かになる。弾倉が空になったのだ。  十一時の方向で魔力が大きく揺らぐ。それと時を同じくして、オレは木立から飛び出した。  地面に身を投げ打ったままの鉄兜を割る。  動揺する男の首を削ぐ。  オレはそうしながら、鉄臭い道を切り拓いていった。 「イザベラ――」 「はっはぁー! 死にたくなくば道を空けろ! 少しばかりだが長生きできるぞ!」  乱戦の最中にスイートの声を聞く。  視線をやれば、魔力を両手に纏わせた彼と目があった。  スイートが敵の身体を撫ぜれば、その部分が燃え、爆ぜる。  熱に浮かされたような彼の頬が釣り上がった。 「ご機嫌か!? 血煙纏いし愛しの君!」 「冗談は匂いだけにしろ。お前の闘い方は明日の献立に響く」 「そそるの間違いだろ、なぁメロディ!?」 「u N a a a A a a a!!」  第二小隊が近接魔術戦で敵を屠っていく。  系統は違えども、敵の身体に損傷を負わせるのは誰もが一緒だ。  地獄のような魔術の波とすれ違った後も、オレは道を作り続ける。  敵の天幕を突き抜けて反転。  帝国軍人達は一時の動揺から既に立ち直りかけていた。  彼らの顔に浮かんでいるのは、激怒と恐怖。  濃度にはばらつきがあるが、皆、自らの意思に従って行動を始めようとしていた。  そこに水を注す弾幕。  第一小隊の銃弾は反抗の芽を摘み取り、逃走の機を砕く。 「この調子ならあと二、三、繰り返せば十分……」  銃声が止むまでの間に移動する。通った道をなぞることがないよう、角度を変えて。  嵐が収まった。再び乱戦が始まる。  噎せ返るような匂いに知らずと頬へ力が入っていく。  第二小隊と交差。後に反転。掃射。蹂躙―― 「――落ち着け! 敵に五体満足な者など最早誰一人として居はしないッ状況は既に終了した!」 「ッ!?」  空気を打ち、響き渡る怒声に、はっと息を呑む。  周囲を見回せば、オレと同じように立ち竦む第二小隊の面々。  視界の端で、前髪から血の雫が一滴、滴り落ちる。  迫りくる大柄な人影。  マーチに胸ぐらを捕まれた。間近に迫る鈍色は、珍しく感情を露わにしている。 「気を抜くなポプリ。ここにシェフは居ない。指揮代行のお前がそれでどうする」 「…………あぁ、すまない」 「まぁまぁお二人さん、説教はそれぐらいにして――」 『随分と手入れが行き届いてますね……戦場に身を置いていたとは思えません――』  今後を窺うスイートの言葉に、見知らぬ声が紛れ込む。  戦場には場違いなほどの、緩みきった声。  辺りにヒトの気配はない。  仲間達が瞬時に臨戦態勢を取る中、オレは死体の下敷きとなっている無線基地局を見ていた。 『綺麗な髪だ。明けの空色、白金――あぁ、そんな風に睨まないでください。私にはまだ、あなたに手をあげるつもりはありませんから』 「――?――!?」  うなじを、何かが掠めた。  そんなことは今、どうでもいい。  オレの神経が鋭敏に、たった一つの器官へと集中する。  誰かとの会話。そう聞こえるくぐもった音、無線から漏れ出るその声に、オレは心を奪われていた。 『しかし、奴もたまにはいい仕事をするものです。丁度、手持ち無沙汰だったんですよ』  邪魔な死体を蹴り飛ばし、揺れる針とその目盛を凝視する。  それが一際大きく動き出した。先程よりも透き通って聞こえる、男の澱んだ声。 『私は一人でも多くの方達を救済したいというのに、無益なことばかりに時間を取られ――』 「イザベラッ! イザベラはそこに居るのか!? おいッ――」  基地局を死体の中から引き摺りだし、届くかどうかも分からずに問いをぶつける。  オレは受話器がぶら下がっていることに遅れて気が付いた。  しかし、触れた時に魔力が流れてしまったのか、機械は針が振り切れたまま雑音を吐き出している。 「ぽぷり!? ――どうしたってん――いっおい!?」 「なにがおきて――せつめいをする――ぽぷり――」 「――?」  イザベラが敵の手に落ちた。そうならないよう動いていたのに、もう遅い。  頬の血糊が渇き、罅割れる。  その感覚を身体の至る所に覚え、オレは動けなくなった。  眩暈がする。どうする? どうすれば―― 「やっと追いついたと思ったら……いったい何がどうなってんだ?」  顔を上げると、肩で息をするカナタがそこに居た。  いつもと同じように、ここに居るのが当たり前と言わんばかりに。 1-3-4  風すらも鳴りを潜める沈黙の中、奏汰の無遠慮な声が辺りに響く。  むっと立ち込める命の残り香は、彼の言葉を良く通した。  不信感が限界を迎えたのか、奏汰が立ち竦むポプリへ歩み寄る。足場の悪さなどものともせずに。  焦点の合っていないポプリの瞳が揺れた。 「おい――」  奏汰の腕がポプリの肩へとのびる。  不意に彼の声が、止まった。奏汰が己の腕を掴む青年を睨みつける。 「……これ以上は、止してくれないか。少年」 「…………退けよ、色男」  それは出来ない相談だ、と青年は掴む力を強めて目を伏せる。  削れ、砕けるような不明瞭な音が、どこで鳴った。  奏汰の瞳が、スイートやマーチ、周囲の魔術師――闘うことの出来る者達を見回し、信じられないとばかりに感情を爆発させる。 「なんなんだよ……何なんだよお前等ッ! おかしいだろ、どこからどうみても! 今のアイツはッいつも以上にぶっ壊れてるだろうが!」  なのにお前等は――と、並べたてられる言葉。  それは怒りから来るものなのか。  今や泥濘となりかけている血の沼に、新たな雫がぽたりと、落ちた。  静まり返った森には、奏汰の怒声のみが響き渡る。 「なんで何もしないんだ! 仲間なんだろ、なんで黙ってるんだッ!? 答えろよ! なぁ……なんで、俺を止めるんだよ、スイっ!?」  スイートが吠える。奏汰の言葉を血の滴る拳で乱暴に振り払って。 「お前に何が分かるッ!? たった一ヶ月しか居ないお前に、いったい何が――」  彼は飄々とした空気を脱ぎ捨て、ただ、一人の男として気炎を上げた。  スイートの襟元へと二つの腕がのびる。今度は奏汰が彼の言葉を堰き止めた。 「知ってるんだよ! 俺はッ! ああなった奴がどうなるか……嫌になる程、元の世界で見てきたからなァ!」 「ッ!」  奏汰の感情に触れて、スイートが目を見開く。  沈黙が更に深く、その香りを色濃くしていく。  まるで辺りにいる全てのものが、言葉の続きを待っているかのように。  奏汰が発したものではない声が、そこに紛れ込んだ。  すっと短く空気を吸い込む、理解に至った者の音。 「――かのじょがいないと、せいけんが、とおのく――」  ぽつり、生まれたうわ言の下へ視線が殺到する。  そして、彼らは見た。  爆発的に生まれ、集う、黒い魔力。  コマ送りのように、ポプリの手へと収まったアレクとソニン。  彼が重用する、身体強化の魔術をその身に宿した二振りの魔剣。  ポプリが意図することは、目に見えて明らかだった。 「あっおい!? 待て――ポプリッ!」  その場の誰よりも早く動いたのは、奏汰だった。  二人の距離は成人男性の三歩分。  彼は体勢が崩れるのもお構いなしに、めいっぱい手をのばしてその差を何とか埋めようとする。  しかし、残る僅かな差が埋まることはなかった。  奏汰の目に、前傾していくポプリの背中が映る。  無慈悲にも迫りくる地面を目の前にして、その瞳がきつく歪んだ。  言葉にならない感情が表出するかのように、強く。 「――ッ――」  ポプリの爪先が地面を抉る。  今まさに彼が駆け出そうという、その時。奏汰の身体に異常な速度で変化が起きた。  瞬時に血走る黒茶の瞳。指先に至るまでのたうつ太い血管。  次の瞬間、彼の四肢から夥しい量の魔力光が溢れだした。  転びかけていた奏汰の手が地面を打つ。 「――だらっしゃぁぁぁああああ!!」  どんっと大地から離れた彼の上体が、感情を推進力に滑空する。ポプリの膝裏へと目がけて。  そして彼らは、ぬかるんだ地面で身を縺れさせた。  鬱屈した雰囲気が吹き飛び、代わりに別種の緊張感が辺りに走る。 「嫌……だ、めだ。このままじゃ――こんなんじゃ……届かない」  ぽつり、ぽつりと地面を這っていく声。  自身がどこに向けて放たれたかも知らぬ声は、暫しの間宙を揺蕩うと、跡形もなく霧散した。  縋りつく重みすら引き摺るようにして、ポプリが地面を掻く。  見ていられない、そんな空気が沈黙となって場に横たわった。  だからだろうか、少年が愁眉を寄せる。  奏汰の右手がポプリの肩へ、彼の視線は仰向けの男に注がれた。 「おいっ、おい!? どうしたんだよポプリッ! 情けない顔しやがって、嫌になるほど冷静な、いつものお前に早く戻れよ! なぁ!!」  必死の呼びかけが森に木霊する。  薄れていく声に反比例して、諦めともとれる無音が戻ってくる。  それでも、と奏汰が再び声を出そうとした、その時。  ポプリの瞳に光が戻った。 「ぽぷ――」 「邪魔だ、オレにはやらなきゃならないことがある」  奏汰の声を、温度のない言葉が押し退ける。  男が纏った仮面は罅割れ、その隙間から燃え立つ炎が垣間見えていた。  仰向けだったポプリの身体に力が入る。彼は再び起き上がろうとしていた。  それを邪魔する濁った水音。  押し留められたポプリの視線が奏汰を貫く。  そこにはただ純然たる疑問が浮かんでいた。何故――と。 「な……なんで――なんで一人で抱え込むんだよ! そんなに俺は頼りないか? なぁ!?」 「言っている意味が分からない。お前は……何がしたいんだ?」  ポプリは躊躇いながら、それでも分からない、と答えを奏汰に求めた。  奏汰の表情が輝く。彼はずっと、その言葉を待っていた。 「俺は、お前の力になりたい! 魔術も使えないこんな俺だけど、お前の隣で、闘いたいんだ!」 「……必要、ない。オレにはこれ以上求める権利なんて――」  ない、と視線を逸らすポプリ。  奏汰が彼の襟首を掴み、眼前まで引き上げた。 「お前に無くても俺にはある! 俺を頼れよ、ポプリ!」  奏汰は一度は外された視線を再び繋ぐと、思いの丈をポプリにぶつける。  余りにも一方的過ぎる願い。  それを身に受けて、血赤の瞳が揺れた。  奏汰は彼の服から手を離し、続ける。  最早、ポプリには誰の支えも必要なかった。彼は自ら起き上がり、奏汰の言葉を聞いている。 「俺はお前の――」 「「――、――!」」  二人の間に、遠くから声が割り込んだ。  いち早く全てを悟ったマーチが動く。 「敵が来る――七時の方向、第一小隊障壁魔術展開ッ強度を対歩兵に設定、迎え撃つぞ」  目を白黒させる奏汰を置き去りに、事態が加速していく。  第一小隊の女達が二列横隊の防御陣を形成、その後方に第二小隊が集う。  銃を構えたマーチの隣で、スイートが魔力を昂らせながら笑った。 「まぁ、そういうことだ。ここは俺達に任せて、先に行けよポプリ――」  徐に立ち上がったポプリが、転がっている二振りの魔剣を手に取った。  それを呆然自失といった体で見ていた奏汰へ彼の視線が向かう。  何処か居心地の悪そうな奏汰。  ポプリは言葉を選んでいるかのように黙ると、不意に笑みを浮かべた。 「頼りにさせてくれるんだろう? 何をしているんだ」 「お? ――おうッ! 任せとけ!」  高まる感情に同調して、奏汰の身体から魔力が漏れ出ていた。  折り重なる発砲音が森を赤く染める。  銃撃戦が始まった広場を、常人が出すことの出来ない速度で後にする二人。  その後方から、彼らの下へ花の香りが届く。 「ポプリは任せたぞ――カナタ!」  その声に奏汰は驚くも、振り向かずに片手で返事とした。
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