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1-4-1   「薄汚い手で触れるな……虫唾が走る」  イザベラが吐き出した言葉は硬く、それがより男を愉しませた。 「ヒハッ、私の言葉が理解出来なかったのですか? そのような行いは――」  粘ついた声が広い室内で木霊する。  場を傍観していた冷たい空気が、痛快だ、と舞う男の手で乱された。  二人の間に訪れる束の間の空白。  次の瞬間、イザベラの視線がぶれる。乾いた殴打の音とともに。 「――逆効果だと!」  嗜虐的な行為が男をそうさせるのか、彼の視線に支配欲ともいえそうな熱が籠る。  それでも気丈に振る舞おうとするイザベラ。  張り倒された彼女は、手足を丸太に縛り付けられ動くことが出来ないでいた。  堪らない、と男は瞳で語り、更に情欲を色濃くさせる。 「いい――いいですよ。その意気です。そうでなければ、遣り甲斐というものがありません」 「…………」  忌々し気に、憎悪を籠め、イザベラの瞳が歪む。溢れんばかりの感情を湛えながら。 「おや……沈黙してしまうのですか? 残念です。私は期待していたのですよ――」  男がイザベラの顔を覗き込み、彼女の頬に右手を這わせた。  男の声が止むと、空間から温度がなくなっていく。  さわ、と柔らかく動いていた男の手が止まる。 「イザベル、イザベル・ルクス・ヴァーナルグ……いえ、あえてここではこう呼びましょう。今は亡き、ルキウスの不老王、その息女――イザベラ、と」  そう言って男は右腕を振るった。聖職者とは思えない剛力が、シャツの留め具を引き千切る。 「これはこれは……処女雪の肌。先程も言いましたがやはり、戦場に身を置いているとは思えませんね。まるで時が止まっているかのようだ」 「――どこでそれを、耳にした…………ッ」 「聞いたんですよ。地位しか見えない愚か者から、傾国の魔女と、そう呼ばれる所以を」  彼は小鼻と腕を連動させながら、気のない返事を返した。会話を続けるつもりは、最早ないように見える。  丘が形を変え、押し殺された呼吸が跳ねる。 「あなたを持ち帰れば、本国はさぞ喜ぶことでしょう。聖戦の口実、共和国は魔女を飼っていたのだから。ただ――」  男の舐めるような吐息がイザベルの腹部を、撫ぜる。  眦に浮かぶ一滴の光。  男はそれを凝視して、笑った。楽しくて仕方がないとばかりに、愉しくて、もうどうしようもないというように。 「ッ――ふ、ぐ…………」  イザベルは必死に堪える。口端をきっと引き結び、漏れ出てしまわないように呼吸すら抑えて、耐えていた。  覆いかぶさる鼻息が、浅く、早く、勝利を渇望して繰り返される。 「――渡すだけでは面白くありません。私がこの手をもって、信仰の種を植え付けてあげましょう……助けに来る仲間はここに居ません。さぁ、良い声で鳴きなさい」 「…………ク、ククク――クハ、アハハッハハハ!」  獲物の心を砕かんと発せられた囁き声が、掻き消される。  男は苛立ちを隠そうともせずに、右手を振り抜いた。  瞬きの間、揺れる哄笑。  それでもイザベラは嗤うことを止めなかった。  振り乱れる銀糸が、狂気を孕んで舞い広がる。  彼女は手足に荒縄が食い込むことも厭わず、嗤い続けた。我慢の限界はとうに超えたかのようなその姿。 「やめなさい……例え演技とは言え、狂った様相は私の好みではありません」 「おお、そなたには見えていないのか。眼光が尾を引き、恐怖を冠するあの姿がっ!?」  空虚な空間を狂気の声が満たしていく。  乱れる空気に混じりこむ、頬を打つ音と男の舌打ち。 「ッ何を馬鹿なことを――」 「教国の下僕、哀れな蓄音機よ。耳を澄ませば聞こえてくるだろう、あのお方の息遣いが」 「何度でも言いましょうッあなたに助けは来ない! 今頃共和国軍は我が軍の手によって――」  必死に繰り返される否定の声。  それを喰いちぎるように、イザベルは身を跳ねさせ男を見据えた。  吐息が入り交じる距離で彼女の狂気が、男の視線を絡めとる。 「ならば見よ……耳目を震わせ怯えるがいいッ――彼の者は戦を統べる王、私の愛しき……魔王だ!」  石造りの扉が悲鳴をあげる。  男の視線の先で、切り離された扉が宙を舞った。取り残された上半分が自重に絶えられず崩れ落ちる。  砕け散った粉塵が、静寂を辺りに振り撒く。  その中で炯々と輝く一対の朱。  燃え、昂るその視線が、イザベルを一瞥し男を貫く。 「撫でつけられた頭髪……他を見下し歪む双眸――」  煙の中から姿を現したのは血塗れのポプリだった。  彼我の区別なく混じり、乾いた血糊が、無数の傷口から彼の命を吸い取っている。   「【来い、ラスタフール】」  黒染めの言葉が呼び出すは、一振りの魔剣。それは命を切り貼りする形をしていた。  男の儀仗剣が放つ鋭い音。  ポプリは徐に魔剣を首筋に宛がうと、躊躇することなく己の血肉に埋め込んだ。   「な――」  異様な光景に男が言葉を無くす。  自らの傷を補填したポプリは、無傷の素肌から小剣を抜き捨て、代わりに一揃いの魔剣を握る。  気を漲らせた吐息が、小さく、空気を揺らす。 「やっと会えたな……キィィィスッ!」  歓喜の声を置き去りにして、ポプリが男に肉迫する。  相手の虚をついた必中の斬撃。  彼はその不可解な手応えに身を強張らせた。  男――キースが反撃の剣を閃かせる。  刹那、身を重ねる剣閃と人影。  すぐさまポプリは距離を取る。彼の胸には新たな傷が刻まれていた。  彼の眉が歪む。そこには、たったいま起こったことが理解出来ないとはっきり書いてあった。 「見(まみ)えたことはない筈ですが……共和国の魔剣士――そうか、お前が悪魔か」  言葉の端に憎悪を滲ませて、キースがポプリを追う。  下段からの追撃。迎え撃とうとし、音もなく弾かれる魔剣。  ポプリは苦し気に息を吐くと、ソニンを捨て回避を選んだ。  移ろいゆく戦闘。  それを見ていたイザベルに酷く焦った声がかかる。 「い、イザベルさん。今縄を解きますから、そしたらすぐに、ここから離れ――」 「あぁ勇者君――それにはおよばないよ。ほら、見給え」 「え……?」  彼女の言葉に奏汰は疑問を持つ。  すっと上がった彼の瞳が、一条の視線に釘付けとなった。  その元には鼻筋に深い皺を刻む聖職者。  男はポプリの攻撃を一顧だにせず、忌まわし気に言葉を吐き捨てた。 「後からわらわらと涌き出て――私の邪魔をするなァッ!」  キースの声とともに魔力が膨れ上がる。 「おいおい、冗談だろ――なんだこれ?」  未だかつて感じたことのない感覚に、奏汰の背筋が粟立つ。  キースを根源に光弾が放たれた。それは目にも留まらぬ速さで奏汰たちの下へと飛来する。  着弾、後に爆音。二人が居た場所は床が捲り上がり、破砕の後が天井高くまで撒き上げられた。 1-4-2 「これで分かったでしょう。無駄な足掻きはやめなさい、悪魔風情が」 「…………」  これは、まずい――。  垂れ流しとなる荒い呼吸に、オレは焦りを覚える。  男の下卑た笑みに、その思いが加速した。  ――手詰まりだ…………。  男が聖剣を振り上げ、一足跳びに迫ってくる。 「いつまでそうしてるつもりです! ぇえ!?」  オレは防御すらも選択から外し、回避のみに専念した。  手から離れると、自ら墓地へと還るヴォルドー。  奴の余裕は一向に揺るがず、対するオレの思考は血汗に塗れ滑り続けている。  原因は最初から分かっていた。男が加護と呼ぶ、聖剣の権能。  しかし、なぜそうなるかが分からない。  何が間違っている? どの要素を外せば正解に辿り着く? そもそも奴に、攻撃は通るのか?  空いた左手に魔力を纏わせる。 「もう一度だ……【アレク】【目を覚ませ】――」  ――無理を通した身体が、魔術で補強される。  僅かな間とはいえ高速戦闘下でヴォルドーを振るうのは間違っていた。  身体中の部位という部位が悲鳴をあげている。オレは歯を食いしばり、それを捻じ伏せた。  気休めではあるがこれで―― 「――まだ、闘える……ッ!」  それを見ていたキースが苛立たし気に眉を顰める。彼の足音は疲れを知らないのか、静かなもの。 「往生際が悪いですね……私は異教徒を改心させねばならないのです。忙しいんですよ……だからさっさと、くたばれ!」 「フッ!」  突き出される切っ先を避け、キースの脇を駆ける。  アレクが空気を裂く、奴の腹に食らいつく。  っ――駄目だとは分かっていたが、なんとも妙だ。  左腕が覚える反発力。魔剣は敵の服にすら届かず、キースの腹を撫ぜるように空間を滑った。  背筋が粟立つ。  身体の前後を入れ替え、聖剣を迎撃して、オレは間違いを犯したと、瞬時に理解する。  聖剣が眼前に迫っていた。噛み合う音すら立てず、魔剣を押し退けて。  ソニンを手放すのは不味いッ!  手首を無理に稼働させ、再びの回避。  オレは斜め前方に転がりながら、更に敵との距離を取る。  考えろ。このままではそう遠くない内に殺される……何が、必要だ? 奴の防御を抜くには――防御? 「余所見とは……随分と舐められたものですねぇ!?」  悪寒に突き動かされ、膝を基点に身体が沈む。  削ぎ落される感覚が髪を通して頭皮に伝わる。  オレは集中した。舞い散る赤髪、その一本一本の動きが追えるほどに。  キースは聖剣を振り終えていない。  その僅かな隙を、オレは突いた。  ソニンの魔術があるのにも関わらず、身体が重い。まるで水底で闘っているかのよう。  ゆっくりと動く世界で、魔剣が奴の顔面に迫る。   「むぅぅぅぅぅぅぅぅだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――!」  キースの右肩に力が入る。右から聖剣による切り上げがくるのだろう。  オレは構わずに左腕を突き込んだ。  その切っ先が触れそうな、奴の眼球を一心に観察しながら。  両刃の切っ先が聖剣の守りに阻まれた。眼球を滑るように左に逸れ、こめかみへと流れる。  キースの視線はオレの瞳を捕まえて、離さなかった。  視界に異物が入り込んでるにも係わらず、獲物であるオレから一瞬たりとも目を離そうとしなかった。  偽物との違いが、一つ。  右下から迫りくる聖剣。  腰から下の力が抜け、目線が下がる。  ソニンの剣身、オレはその刃のない部分に腕を当て、眼前に掲げた。  阻むものを許さない斬撃がまっすぐに進む。  湾曲した刃を滑るそれに押し込まれながら、オレは回避を成し遂げた。  世界が流れる速さを取り戻す。  視界の端で、聖剣が執拗に輝く。 「どうした、どうしたどうしたどうしたぁ? さっきからそればっかりじゃないか!?」  勢いの増した斬撃に押し込まれる。  振り下ろし、薙ぎ払い、切り上げ、突き出される聖剣。  オレは紙一重のところまで身を反らし、その隙間に魔剣を指し込むことで、身を守り続けていた。  依然として反撃の目途はたっていない。  分かっていることはただ一つ。  この聖剣の権能は、攻撃を追い落とす偽物とは比ではないほど凶悪であるということ。  偽物は仕手の技量を格段に向上させたが、実際のところ、その膂力に依存していた。  だから、|尋常ではない重さの一撃(ヴォルドー)で仕留めることが出来たのだ。  だが、こいつはどうだ。防御どころ話ではない。オレのやること成すこと、全てを拒絶している。  鋭い斬撃を解き放ち、男が勝利を確信したかのように嗤う。 「諦めろッ悪は正義の前に屈する定め!」  慢心が垣間見える言葉とは裏腹に、男の闘い方には隙という隙が存在しない。  研ぎ澄まされた連撃が、回復する間もないオレを脅かす。  血反吐が出るような時間を経て、オレは何とか距離を取ることが出来た。  両手が負けを認めろと痙攣する。ゆっくりと近づく男の足音が、やけに大きく聞こえた。  考えろ、考えろ考えろ考えろ! 思考を回せッ! 回路が焼き付こうが構いはしない!  悲鳴にも似た鼓動が耳元でがなりたてている。身体が万全に動けるのは、もってあと半刻。  なにが正解だ? この状況を打開するにはいったい何が必要なんだ!?  可能性の低いものから、手段を否定していく。  男の魔力切れは待てない。こちらにはそのための継戦能力がない。  敵の油断を誘う。そんな希望的観測をもてるほど馬鹿じゃない。  試行錯誤の上で通用する魔剣を捜す。これも現実的ではない。  一足一刀の間合いで、男がその歩みを止めた。  彼は両手で聖剣を掲げると、瞳を閉ざし何かに祈り始めた。  悪辣な笑みは鳴りを潜めている。その姿はまさに敬虔な信徒そのもの。 「天に召します我らが大神、創世神ジーンよ! 私めに更なるご加護をっ! この身は神の僕、誓いましょうッ貴方様の愛に私は必ず応えると! ユウキ・シシガミに代わり、正義を司るキース・ エバンジェリスト ・ラインがこの悪魔に神罰をッ!!!」  祈りが終わるとともに、莫大な量の魔力が聖剣に流れ込む。  オレの沈黙を良い意味に捉えたのか、男の表情がより一層凶悪なものへと変わった。   「大人しく、裁きを受ける覚悟が出来たようですねぇ、んん?」 「ふざけるな……シシガミ教なんざ糞喰らえ、だ…………」  オレの言葉にキースは引き攣った声を漏らす。それは徐々に高笑いへと変化していった。  その残響が赤熱するオレの延髄を冷やしていく。  狂気に燃える瞳が、オレを貫いた。 「我が加護の高みにすら及ばない身で何を言い出すかと思えば……ユウキ様を愚弄した罪、万死に値する――」  滅されよ、三流悪魔。と言い切り、キース・ エバンジェリスト・ラインは聖剣を引き絞った。  溢れかえる魔力に空間が呻く。  その中でオレは、彼女の声を、聞いた。  場面の転換を企図する、指揮者の号令を。 1-4-3 「――焼きつけたいんだ!」  濛々と立ち込める粉塵の中から、イザベラの声が届く。  どうやら、カナタも無事なようだ。  願うことが許されるなら、もう少しだけ静かにしていて欲しかった。  逸れた注意を繋ぎとめるため、キースに攻撃を仕掛ける。   「生きぎたない羽虫共めッ――」  苛立って、いるのだろう。さきほどよりも大振りの斬撃が空気を切り裂く。  反撃は意味をなさない。オレは防御とも回避ともとれる不格好な姿勢でそれを凌いだ。  通常ではありえない無音の剣戟。  焼き増しのような攻防の中、オレは男の言葉を噛み砕く。 『我が加護の高みにすら及ばない身で――』  加護とはつまり、この悪夢のような光景の原因。  それを切りつけ離脱し、間を置かずに反転する。  内容から打開策を推察するも、勝利は未だに確信できない。  相手の攻撃すらも利用して、戦闘を継続していく。  聖剣を超え、一撃の元に男の魂を刈り取る魔剣は存在する。しかし、それをもう一度振れば、オレの命は喰らい尽くされるだろう。  生涯(ふくしゅう)は未だ道半ば、たった三振りほどで力尽きることは、俺が許さない。  腰の魔剣が、己を使えと言わんばかりに熱を発する。  この分からず屋め……オレはお前を使わない、と何度も――  意識の中で火花が散った。普段なら考えもつかない発想に、思考が思わず停滞する。   「――ハッハァッ!」  好機を逃さん、と聖剣が宙で閃く。  両目の奥が鈍く痛む。またしても世界の流れが遅く見える。  そんなことが――そんなことをしても良いのだろうか? 復讐のみに生きると決めた、このオレが……。 『俺を、俺達を見ろ! お前の力になりたいと叫ぶ、みんなの目をッ!』  カナタは言った。自身を頼れと、彼はオレにそう求めた。  蟠っていた思考が、湧き上がる熱量に押し流される。  アレクを捨て、腰の魔剣を掴む。  考えている時間などもう、ない。今や敵の聖剣は肉を食み、骨を断たんと迫っている。  額に熱を感じた。奔り抜ける魔力で回路が軋む。  望むのならば応えよう。それが、オレだ――  頭上から浴びせられる衝撃と、左腕に圧し掛かる確かな重量に、知らずと頬が釣り上がる。  死に絶えていた空気が震えた。噛み合う鋼が、互いに唸りをあげる。 「ばッ――!?」 「――やっと捕らえたぞ……キィィィィィィスッ!」    この瞬間を待っていた。血だまりで生まれた、あの日から、ずっと。  突き抜ける快感に身を任せ、無手となった右手を襟元へと伸ばす。  あぁ、堪らない……信じられないと言わんばかりの、その表情。  限界まで開ききった瞳が、更にオレを昂らせる。  鍔迫り合いの向こうに見える顔が引き攣った。 「ありえない――こんなことがあってはならないッ正義の剣が阻まれることなど、断じて!」  剣にかかる重さがさらに増した。  キースは何がなんでも己の正義を押し通すつもりなのだ。  悠久とも思える短い時間を経て、指先が触れる。  勝利へと続く扉、その鍵に。  決してそれを離さないように、汗が滲む拳をオレは固く握り締めた。  キースの視線は、競り合う鞘と聖剣に釘付けとなったまま。  この好機を逃すわけにはいかない。  彼に悟られないよう、オレは野戦服の裏地から魔剣を剥ぎ取る。  それは突き差すことだけを突き詰めた隠剣――  キースはなおも喚きたて、口端から唾を散らせる。  オレはがら空きの胴体へ、諸刃の生えた拳を叩き込んだ。   「っぁゔッ!?」  呻き声を契機に、聖剣から重圧が霧散する。  漏れ出る温もりが赤く染めていく。男の華美な装束と、オレの薄汚れた袖口を、赤く、赤く。  男の両目だけが目まぐるし動いていた。   「もう、自由に動けないだろう?」 「ッ……ッ!!」  お前はこの権能を知っているはずだ。依然までは、これも神の加護と呼ばれていた。  ――嫉妬に狂った、司祭の魔剣。  あの男は、他を容認できず、縛り、引きずり下ろすことを選んだ。  その闘い方は何処までも陰湿で、彼は敵が弱り切るまで決して隙を見せることはなかった。  不可視の鎖が、音もなくキースの身体を這いまわる。  この剣(おとこ)は妬ましくて仕方がないのだ。対象の覚える五感が、対象に芽生える感情が、自分では生み出せないもの、その全てが。  だから縛る。対象からそれらを切り離す。  さぁ、舞台は整った。幕を下ろすとしよう。欲深い男の復讐劇、その一幕に。 「見えているんだろう!? カナタッ! オレはお前の期待に応えたぞ!」  だから、と――男の瞳に映る自分を見つめて言葉を続ける。  とても醜い顔だった。誓いを反故にした、男の醜悪な笑顔。清々しいほどにまで外道な感情の発露。  ――使え、オレのために―― 「想像しろ! その魔剣は願いを具現化する! 銘は――」 1-4-4  濛々と渦巻く土煙に紛れて、苦し気な呻き声が聞える。  その中で蠢く二つの影――片割れの奏汰が身を震わせた。 「いったい何が、起きたんだ?」  彼の言葉に応える者は居ない。ただ辺りに届くのは、空を薙ぐ空しい音と喘ぐような男の呼吸。  彼の求めに答える者は居なかった。ただ、その瞬間までは。  煙が超常の力で撒かれる。その中から薄っすらと見え始めた人影に奏汰が身を竦める。  影は愉快気に言葉を躍らせて、笑った。 「無事で何よりだよ勇者君。どうだい、身体に痛むところはあるだろうか?」  声の主が姿を現す。彼女はイザベル・ルクス・ヴァーナルグ。  その姿が、常の優美さからかけ離れたものとなっても、その声は変わらず優雅に響く。  身を挺して奏汰を庇ったのだろう。露わとなった白い素肌に無事な箇所などなく、抉り取られた傷はぼこぼこと、元の形に戻ろうとしていた。  奏汰は頬を染めながら動いた。彼の上着が何も纏っていないイザベルの肩へと移る。 「……着てください。僕は、大丈夫ですから…………」 「ありがとう、礼を言うよ。なにせ魔術を行使しながらでは、両手も満足に使えないんだ」  私にも魔術の才はないからね、と彼女は頬を緩ませた。  そんなことは分かっているとばかりに、奏汰が目を逸らす。  イザベルの額には玉の汗が浮かんでいた。  魔術を用いるのに多大な集中がいるのだ。彼女の両手は仄かに発光しながら震えている。  奏汰は自分達を覆い隠す土煙を見て、膝をついた。 「……やっぱり来るべきじゃなかったんだ…………力になれるって、思ってたのに――」  彼の眉間に深い皺が刻まれる。  奏汰は悔やんでいた。鬱々とした雰囲気を辺りに漏らしながら。  このまま放っておけば、そう時も経たぬ内に自らの身を傷つけてしまうだろう。  土煙の向こうを一身に見つめていたイザベルが、肩を揺らす。   「勇者よ、立ち上がろうとはしないのかい?」 「ッ!? 出来るわけがないじゃないですか!」  奏汰は双眸を歪ませて、自らを見ようともしない背中へ、叫んだ。 「無尽蔵の魔力があったってどうしようもない! 俺には闘う力がないんだッ邪魔にしかならないのなら、いっそ、このまま――」 「私は最初にこう言ったはずだが?」  己の言葉を遮った声に、それが纏った情動に、奏汰は言葉を失う。  イザベルの頬は釣り上がり、歪な弧が描かれていた。  艶然とした彼女の声は粘着性を帯びていて、聞く者の意識を絡めとり、放そうとしない。 「――彼の手を取りさえすれば自ずと道は拓ける、とね」  いつの間にか、彼女達の周りからは音が遠のいていた。  まだそれに気が付いていない奏汰が、瞠目する。 「イザベル、さん……あなたは俺に――俺達に何をさせたいんだ…………」  くはっ、と彼女の唇から愉悦が零れ出す。  奏汰の問いに我慢の限界が来たのだろう。イザベルは肩を抱いて笑い出した。  不自然な土煙に綻びが生じる。 「何を……何を、か。簡単なことさ、私は見たいんだよ。作品が完成する――」 「完成…………」  奏汰の呟きを受けて彼女は、身体を解き放ち、両手を掲げた。まるで歌いあげるかのように。 「そうっ! 完成するその瞬間を、この目に焼きつけたいんだッ!」  二人を取り巻く世界に、音が戻ってくる。 「この――汚い羽虫ど――!」 「そこには勇者、君も含まれている。私は楽曲(さくひん)に名を付けてきた、その意味がわかっているだろう?」 「俺に出来ることが、あるとでも……無駄に魔力があるだけの、この俺に? そんなもの――」 「あるとも。だから君はここまで来れた」  間髪なく断言されて奏汰が瞠目した。彼の視線が向かう先、イザベルの背中の更に向こうで、ポプリが闘っている。  決して切り結ぶことのない、三振りの剣。  一目でポプリの劣勢が見て取れた。  奏汰の瞳が揺れる。ポプリが間一髪で敵の攻撃を避けた。  同じものを見つめていたイザベルが、息を吐く。 「ポプリは復讐譚だ。目的に執心し、そのために生き方を歪めた。しかしそろそろ手詰まりだろうね……」 「あいつは強いです。限界が来ているとは思えません」 「いいかい? 勇者、彼はその強さを求めるのに、己の中にのみ目を向けた。ポプリがもう一段階高みを目指すためには、余力が足りていない」  意地を張るような奏汰をイザベルが諭す。こればかりは仕方がない、と諦めているかのように。  しかし、言葉の内容とは裏腹に、彼女の瞳はどこか期待するような光を帯びていた。  行く末を見守っていた奏汰が息を呑む。ポプリの動きが止まったのだ。  結末を迎えるには決定的すぎる瞬間に、奏汰立ち上がりかける。  その時、彼の目前で魔力が渦を巻いた。  それにいち早く気が付くイザベル。彼女の頬に赤みが差す。この瞬間を待ち望んでいたとばかりに。  可視化するほど濃密な魔力が空間に虚を形作った。 「これは…………」  ふと、漏れ出た言葉をどちらのものなのだろう。二人はどちらも同じ表情をしている。  しかし、内在する感情はかけ離れていた。片方は驚愕、もう片方は純然たる疑問。  得てしてそれは現れた。剣身どころか、柄頭に至るまで漆黒で形作られた魔剣。  それを見ていたイザベルが身を掻き、抱く。彼女は爆発的に膨れ上がる情念を抑えきれないでいた。 「半身とも呼べる魔剣を託すなんて、そんな…………君はいったい、彼に何を――」  思わず出てしまった声をイザベルは咳払いで取り繕う。彼女は奏汰が見ていないことを良いように、再び役柄に袖を通した。  魔剣と奏汰との間に、痛いほどの静寂が流れる。  呆然としていた奏汰が立ち上がった。  その目には、固い決意の念が見て取れる。 「これを俺に……使えっていうのかよ。お前は――」  奏汰の手が漆黒へとのびた。  魔力が高まり、幻の陽炎を纏う魔剣が、震える。  今まさに、魔剣を手に取ろうとした奏汰のもとへ、ポプリの声が届いた。 「――想像しろ! その魔剣は願いを具現化する! 銘はローランッ間違い続けた、男の剣だッ!!」 「願い…………俺が求めるのは、最強の力――」  奏汰が魔剣を握り、虚空から引き抜く。  それを見ていたイザベルは、時は満ちたとばかりに言葉を紡ぎあげた。 「さぁ謳うんだ勇者(カンタータ)! 剣の音色を伴奏に、身の程知らずの願いを吼えよッ!」  魔剣が奏汰の願いで生まれ変わる。莫大な量の魔力を対価にして。 「――Ex(エクストラ)ッカリバァァァァァァアアアアアア!!!」  勇者の叫びを和音に、荒涼とした広場は破壊の極光で満たされた。 1-4-5  破壊の残滓が辺りに降り注ぐ。  その中でオレは、瓦礫に囲まれた聖剣を見ていた。  どのような物を願ったのかオレには分からない。  しかし、カナタの一撃で天井は崩れ、満天の星空が顔を覗かせている。   「ガッ――ハ、グハッゲッホ、えお……」  離れたところからキースの苦しそうな声が聞える。オレは声には出さずに安堵した。  死んでもらっては困る。今は、まだ……。  仕手から離れた聖剣へ向けて、オレは一歩踏み出した。  周囲を掻きまわす風の唸り声、それを押し退けるように甲高い音が響き渡る。  オレを拒んでいるのだろう。だからといって、お前はそれをどうすることも出来ない。   「【業を背負いし、この身は咎人】」  あの日の誓いを口ずさみ、奥底に眠る魔力を呼び起こす。  軽くなった腰の剣帯を一瞥する。  ローランはカナタの手に渡った。  力が無くなることを恐れて肌身離さず携帯していたが、どうやらそれに意味はなかったようだ。  魔術は、今もオレの中に息づいている。 「【学ばず、認めず、我が身は原罪刻み建てる】」  穢れなき剣を手に取る。すぐさま黒が腕を伝い、青金の装飾を侵し始めた。   「や、めろ――」  砂埃の中から声が聞えた。見れば、そう離れていない場所でキースが横たわっている。  半身が消し飛び、絶えず命を溢し続ける、その息も絶え絶えといった様を見て、心が躍った。  ああ、なんてお似合いの末路だろう、と。 「それは、お前の様な……下賤の者が触れてい…………いものでは――ゆるされない」  はっ! 笑わせるな。赦されない? ――どの口が言っているんだ。  彩度の増した世界を一歩、また一歩と進む。  彼の表情は歪んでいた。何が彼をそこまで駆り立てるのか、分からない。分かりたくもない。  キースの瞳はオレ――ではなく、オレが持つ剣(つるぎ)を見ていた。  つい先程まで神聖を纏っていた黒塗りの剣。  それを穴が開くのではないかと思えるほど強い感情をのせて、睨んでいた。  もはや問答は必要ないだろう…………。  オレはキースの左胸にそれを突き立てる。 「【我、強欲の名においてこれを鋳造す……罪人キース・エバンジェリスト・ライン――】」  右腕を這いまわる魔力が、聖剣の輪郭を噛み砕き、熔かし、貪る。  あつい……。  露わになった肌は冷気で引き裂かれそうだというのに、流れ込んでくる感情が、記憶が、思想が、オレの内側を焼焦がしていく。 「【……自らの非を認められぬ弱さ】」  男は涙していた。努力を否定される悲しさを、それを認めぬ世界の残酷さを、嘆き、涙していた。  いつしかその涙は枯れ果て、彼の中には乾ききった感情のみが残る。 「【己が欲望を正義と騙り、驕り高ぶる振る舞い……】」  記憶の中で、女が涙を流していた。あの時は見えなかった彼女の瞳がオレ(キース)を貫く。  その瞳で燃える炎は、理不尽な世界を呪うものか……それとも――  背後に隠した我が子を命に代えても助けるという、決意の表れか。  今のオレには分からない。 「【汝がこれまでに犯した罪過、その命をもって償え】」  男がわらう。神に選ばれた己の幸福を、声に乗せてわらう。  自らが下してきた敵を、縋り寄ってきた肢体を、怒りに歪んだ顔を、キースは並べて嗤っていた。  彼が他に何を成してきたかなど、オレには関係ない。  しかし、この男は死んで然るべきだと理解、出来た。 「【権能発動――贖罪ト成ス剣…………】」  キースの全てを呑み込んだ黒が、凝縮し、剣の輪郭を形どっていく。  先程の熱が嘘だったかのように、心は凪ぎ、身体が痛みを訴えていた。  黒の魔力が染みこみ、灰の地金がその表情を露わにする。  今ここに、新たな魔剣が誕生した。  あの日から七年。いつ何時も願って止まなかった魔剣、その一振り―― 「全てを否定する宣教師の魔剣、キース……それがお前の銘(な)だ」  そう言い終わるのが先か、世界はその角度を急激に傾けた。  極度の魔力枯渇状態。  鈍い痛みすら遠のく世界で、はっきりと聞こえた。オレを拒絶する男の声が。  知れずと頬が釣り上がる。  それでいい―― 「――それが、お前達への復讐だ……オレの糧となれ、キース」  地面が垂直となった視界で、眼前の魔剣、その豪華な装飾が震える。  地面に虚が開いた。キースの意思など関係ないとばかりに、黒い魔力が魔剣を引き摺りこむ。  原罪の墓地にまた一つ、新たな墓標が打ち建てられた。  薄れゆく意識の中で、オレはその情景を想起する。  残り、あとさんにん…………。  ☆★☆★☆  くぐもった音が聞こえる。  意図してそれを聞こうとしても、水底のようなここでは鮮明に聴きとることが出来ない。  ここは…………?  何処だろうと、更に深く、意識は記憶の中へと潜り込んだ。  思い出したのは一振りの魔剣。華美な装飾を残した、灰色の儀仗剣。  あぁ、そうだ。そうだった。オレはまた一つ復讐を成し遂げることが出来たのだ。  男の自由を奪い、カナタの力を借りて、そして……その後――  浮かび上がる意識の中で、感覚が目を覚ます。  ふんわりとした肌触り、瞼に差し込む熱、それ程強くはない花の、香り。 「――ッ」  身体を動かそうとしたら、激痛が高らかに歌いながら四肢を駆けずり回った。  声は出ないどころか、指一本、満足に動かせそうにない。  その時、力の入らないオレの右手を温もりが包み込む。  痛みに怯えつつオレは瞼を震わせ、隙間から滑り込んできた陽光に、思わず眉を顰めた。 「ようやくお目覚めかな? 私の――ポプリ」 「――ぃ……ぁ……え、ラ?」  やっとの思いで声を絞り出すと、握られる力が強くなった。  交互にやり取りされる体温に、心の中で何かが弾ける。  身体が痛む? そんなものいつものことじゃないか―― 「おやおや……私の副官は大層な寝坊助さんらしいね。困るな、これでは私の机には書類が溜まるいっぽ――ぉうぇ?」  右腕を手繰り寄せ、落ちてきた温度を抱きしめる。  あまり力が要らなかったからか、想像していたよりも痛みは少なかった。 「――良かった……イザベラ、キミを助けることも出来ていた」 「ちょっ、やめ――やめるんだポプリッ。ここは聴衆が多い、いくら私が指揮官でもキミを庇いきることは出来ないぞッ!?」 「すまなかったと、思っている。キミを、助けるために、向かったというのに、オレは、怒りにの、ま……れ――て?」  彼女の言葉が耳に滑り込み、意味を成す。噛み締めるように白銀を梳いていたオレは、ふと手を止める。  聴衆…………? 「おや、やめてしまうので? 別に俺達は気にしませんよ? なぁメロディ?」  まるでこちらを茶化すような、花の香りが鼻をつく。 「むぅ……しぇふばっかり……ずるいっめーも、めーもなでれッ!」 「――ぐっ!?」「っきゃ――」  突如圧し掛かってきた重りに悶える。はっと息をのむ音を耳元で聞いた。  これは……どうやって誤魔化せばいいのだろうか――  ようやく輪郭を取り戻し始めた世界で、オレは見てしまった。  イザベラの真っ赤な耳と、ふくれっ面のメロディ、にやけるスイート、一人黙するマーチ。  部隊の主だった人物が、この病室に集まっていたのだ。 「お前達……」 「いや、みなまで言うな――」  オレの言葉を制したスイートが、分かっているとばかりに祝詞を紡ぐ。 「――お前の気持ちなんて、とうの昔に、な。しかしその道は茨の道だぞ? 特にそこの少年が立ちはだかるやもしれん……そこんところ、どうなんだカナタ?」 「うげっ!?」  ここで俺に振るのか、と隣のベッドから奇声が上がった。 「ば、馬鹿言うんじゃねーよ! 最初っからイ――シェフなんか興味ね――」」  そちらへ目線をやって、思わず目を細める。窓辺から差し込む日差しで瞳が焼けてしまいそうだった。  常日頃であれば、聞き流していた。しかし、なぜか、気に障る。 「なんか、だと?」 「――え?」「お?」  イザベラの肩に手をやり、目線でカナタに問う。  彼はわたわたと両手を動かし、見るからに戸惑っていた。  病室で、一本の糸が張りつめる。 「いや、ちょ……は? なんっ、え、えぇ……」  今度は声にして、もう一度問う。このままでは腹の虫が収まらない。 「それは、どういうい――ッ!!」  突如生まれた痛みで、言葉は最後まで言えなかった。黙り込んでいたマーチが片目を開ける。  わざとらしい咳払いが二つ。  見れば、シェフが頬を扇ぎながら言葉を探しているように黙していた。  先程までの緊張感は、既にどこかへといってしまっている。 「さてカンタータ。ここに配属されて、間もなく一月が経とうとしている。そろそろ慣れただろうか?」  イザベラが声を発した時、彼女は指揮者の仮面を完璧に被っていた。  紡ぎだされる台詞に、自然と周囲の耳目が集まる。 「……突然、なんですか?」  何かを抱き寄せる仕草をしたカナタへ、シェフは続ける。 「や、なに。ここは少しばかり特殊な集まりでね。女ばかりだというのもあるが、指揮官とその副官は身一つで戦場を渡り、歩く軍紀や色狂いと個性派ぞろいだ」  彼女の視線が室内を巡る。台詞に含まれた名詞が誰を指したものか、そんなことは明白だった。 「…………」  カナタが考え込むようにして黙り込む。彼の視線はシェフに注がれ、彼女に続きを促していた。 「馴染めないというのなら、引き留めはしない。キミの意思は尊重しよう」  そこまで聴いて、カナタは大きく息を吐いた。  病室に居る誰もが、彼の言葉に注目している。その中には勿論、オレも含まれていた。  静まり返った空間で、息を吸う音がやけに大きく聞こえた。 「分かり切ってること聞かないでください。意味なら既に、もらってます」  その言葉を待っていた、とシェフが大仰な動作で歓びを表す。  彼女の声は弾んでいた。言祝ぐように、歌いあげるかのように、盛大に。 「なら改めて――ようこそ勇者(カンタータ)、我らは異色の編成、独立魔装部隊(オーケストラ)。世界を塗り替える、始まりの一曲さ!」  俄かに騒がしくなる室内で、オレは目にする。  いつの間にかカナタが握っていた、彫金の施された黒の魔剣を。
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