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 大きな世界の話をしよう。  広くて暗い、宇宙の話だ。  そこは人類という種そのものにとって、絶え間なく夢物語のキャンバスで在り続けてきた。まだ見ぬ景色も、まだ知らぬ音も、全ての可能性が無数の好奇心という絵の具で色鮮やかに描かれてきた。  しかしそうして描き上げられた絵画が美しいのは、それが夢物語に過ぎないからであり。  数多の科学者たちが予想したよりも遥かに速く実現されたそれは、もはや理想の到来ではなく、未来の汚染に近かった。技術がつつがなく磨き上げられ、まばゆい宝石となって人々の目を眩ませる水面下では、大国同士によるパワーゲームが繰り広げられていたからだ。  二十二世紀終末、莫大な費用と物資とを投じて完成したのは、巨人の国際宇宙ステーションとでも呼ぶべき代物だった。従来との間に横たわる最大の違いは、それがさながら宇宙に浮かぶ繭のような形状をしていることだ。その内部の長辺を縦に貫通するように階層構造を持ち、各階から壁面へ回廊が四方に伸びる。その回廊が物流や交通を繋ぎ、無機質な繭に繊細な生命の血管を浮かび上がらせるのだ。  それまでの宇宙開発の歴史を一挙に塗り替える功績は、人々の喝采をもって受け入れられた。巨大な白亜の建造物が宇宙の闇の中にぽっかりと浮かぶ様は、神秘的とまで称えられたのだ。  この〈繭〉を拠点とした人類の宇宙進出は、安っぽい映画のようでありながら、その実この上ない現実だった。  新たな人工基地の設営も、管理も、あらゆる作業がこの〈繭〉を起点とし、ここを通らずに宇宙へ繰り出すことはまず不可能になった。全ての宇宙船は一度、〈繭〉を経由しなくてはならない。それ以外の航路を取ったものは二度と、どの星の土も踏むことが出来ないと言わしめるほどに。  〈繭〉を宇宙空間へ打ち上げるに当たって、地球では次のような共通認識を作り上げた。  ひとつ、壊さない。  ひとつ、争わない。  この不可侵にして絶対の盟約は、連合に名を連ねる各国首脳たちによって調印され、現在では〈宇宙条約〉と呼びならわされている。〈繭〉での新たな利権争いを防ぎ、宇宙開発が停滞する懸念材料を予め排除する聖文だ。図らずもこの条約は、宇宙空間における人種差別の軽減を促進し、人々に明るい未来を想起させる材料となった。  〈繭〉は自由だ。  犯罪行為、あるいは〈宇宙条約〉に抵触する振る舞いには、国籍に準じた刑罰が課せられることとなってはいたが、その仕組みも地球の総人口のうち九十八パーセントが移住を終える頃には風化していった。  というのも、〈繭〉の打ち上げを契機に、人類の宇宙開発は急速に進められたのである。近隣の惑星を調査して、開拓の余地があれば技術者を派遣し、空気の汚染が酷ければ全自動の作業ロボットにシェルターを建造させた。そうして点々と宇宙の暗闇に穿たれていく人類の拠点を、〈繭〉に拠点を置く総会が数字とアルファベットでタグ付けし管理する。  時の各国首脳によって組織された総会は、当初その役目を、万民に対して忠実に果たそうと努めた。点在する第二、第三の拠点を管理し、時折発生する犯罪に適用する刑罰の裁量も一手に引き受けた。しかしそれらがパンクするのも時間の問題であり、いつ手に余るかと総会が危機感を抱くのにそう長くはかからなかった。  現に、宇宙に移住する人口が増えるほど犯罪率は上昇し、管理体制の穴も目立つようになった。ちょうど移住開始から五十年を数える頃を、人は宇宙の暗黒期と呼ぶほどだ。肥大化する宇宙の人口に対して、首脳にさえ置き去りにされる形となった地球の人間たちは統率を失い、見る間に荒廃していった。宇宙の方も、広がり続ける勢力圏は人間の手を離れ始め、漠然とした不安が〈繭〉の周辺を覆っていた。  その責任を押し付けあう会合が連日開かれ、報道に大きく騒ぎ立てられ、さながら末世のごとく人々の不安を煽る。それにまた頭を抱える首脳、という図式が飽きることなく繰り返され、ここに〈宇宙条約〉は綺麗事に成り果てようとしていた。  それら全てを打開しようと総会が打ち出したのは、宇宙全体を取り締まる警察組織の構想だった。身動きの取れない首脳ら有力者に代わって、各拠点での犯罪取り締まりや治安維持に当たるための組織である。  その規模は地球における組織の比ではなく、人員も体制もより大きな舞台を必要としていた。その段になって、組織の発足には権力の分散や費用の工面を理由に反対意見が相次いだ。人類が宇宙に出てきた意味が失われると、某国の首相は総会で演説した。  しかし事態はとうに、そんな事を言っていられる状況ではなかった。地球では権勢をふるい、世界均衡の一翼を担っていた某国も、平等を謳う宇宙では一人の代表にすぎなかったのだ。シェルターの治安は悪化の一途を辿り、派遣された筈の担当者は不正書類を提出するばかり。  そして〈繭〉内部で起きたテロ事件を契機に、組織の設置が採択された。  〈特別公安警察〉、俗に特公と呼ばれるようになるその組織は、誰もが予想した通りにあらゆる権力を牛耳るようになる。シェルターの自治、交通の統制、犯罪の検挙。しかし幸か不幸か、彼らはその職務を忠実に全うした。あくまで宇宙の平和を守るため、という行動理念に口を出す人間など、途中でそれを投げ出した者の中にいるはずもなかった。  故に。巨大化した彼らが〈繭〉をその総本山としたことにも、反対意見など出なかったのである。各々、特公のお膝元にほど近いシェルターに余生を見出し、彼らに与えられる平和を享受することを選んだ。  そうなれば自然、特公を止める存在はいなくなる。その装備、設備はより強固に、堅牢になっていき、その網目を掻い潜ろうとして犯罪も凶悪化する。  相手が刃物を持つのならば、特公も刃物を出す。  相手が銃器を持つのならば、特公も銃器を握る。  まさにいたちごっこのやり取りの後、ふと人類が過去百数十年を振り返れば、凶悪事件の数が減った年などない。特公の発足以降もその数は増え続け、それに合わせて特公の規模も拡大される。  そして宇宙暦百五十四年――人類の宇宙進出開始から百七十三年の日、それまで総会が持っていた権限は全て特公のものになった。建て前は委譲だったが、その実態が多額の金銭の絡んだ契約であった事を知る人間は少なくない。  今度は不幸中の幸いと言うべきか。特公はその職務に忠実だった。  犯罪者に蔑まれ、市民に恐れられても。特公は己の職務を遂行するためならば暴力も辞さない。そうして守るべきものが守れるのなら構わない、という極めて簡潔な理由のために、実力行使はあっさりと容認された。  市民も、仕事を果たしている以上は特公に異議など唱えようもない。例えそれが独裁的な権力を有していたとしても、実際に行使されなければ関係が無いのだ。その結果、市民から特公に向けられる眼差しは、畏怖が半分と羨望が半分、といった所に落ち着いた。  人間はその身の丈に不似合いな世界へ飛び出したばかりに、どこに掴まっていれば良いのか見つけられなくなったのだ。  重力に縛られた場所を飛び出して、軽くなった身体をどこに落ち着けたら良いのか、それさえ見失ってしまった。きっと見つけ出すには、重力と同じくらい重いものを背負う覚悟が必要だろうから。無重力に甘やかされたまま、人間はいずれ目を瞑ってしまうだろう。  だからこれは、その間際に。  目蓋の重さを忘れられない連中の話だ。
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