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真夏の、わかりやすいほど晴れた日。 昨今では、朝の気象予報でも熱中症予防を喚起する声は聞きなれたフレーズで、最高気温が35°Cを下回らないほどの猛暑日が続いていた。 携帯の気温表示を見た限り、今朝聞いた値よりも2°Cくらい上がっている。 この暑さでは、ニュースの情報が誤りかどうかなんて、イマイチどうでもいいことではあるが、本日の最高気温は36°Cという優しい嘘を小さく呪った。 肺いっぱいに吸い込んだ熱気を、火を吹くような勢いで吐き出した。 呼吸をするのが辛いなんて、人の生きる環境にあるまじきことだ、太陽に文句の一つでもを垂れたくなる。 額から流れる汗が頬を伝うのを拭いながら、自販機のボタンをよく見ずに押してみる。 やかましい音をたてながら缶ジュースが落下してきたのを無造作に掴んで、プルトップを開ければ小気味のいい音がした。この音が結構好きだ。 その中身を一気に飲み干すと、今日1日置き去りにしていた生きた心地みたいなものが、全身に戻ってくるのを感じた。 特にこだわりもなく選んで買ったつもりだったが、今時どんなものを選んでもそこそこイけることに少し感心した。 ラベルを見て商品名を確認してみるが、今後買う気になるかと言われれば微妙なところだ、すぐに忘れると思う。 喉が潤って、程よく体が冷えたのを確認してから、肩にかけていたリュックと自らの体をベンチに放り投げる。 呼吸を整えながら、空になった缶を少し手で弄んでみる。 つまらない…数秒で飽きて、缶をゴミ箱に放り投げた。 瞬間、指先から離れる缶の軌道を大雑把に予測して、入らないんだろうなあとぼんやり思いつつ、天を仰いだ。 体感2秒後、ゴッ、と鈍い音が鳴るのに続いて、缶の転げ落ちる音が空しく響いた。 蝉の声が、僕を責め立てるみたいに大きく聞こえてくる気がした。 バツが悪くなった僕は、目を伏せて知らん振りをしてみる。 セミ相手に何やってんだよとか下らない葛藤を心の中で繰り返しながら、地面から立ち上る熱をただ浴びた。 無駄だなぁ…これまでの動作を振り返ってみて、不意にそれを意識した。 真夏の昼下がりは、僕の時間を容赦なく蝕む…病だ。 無駄な思考、行動を、こんなふうにたっぷり時間をかけて噛み砕いていると、それだけで数分でも数時間でも際限なく時が過ぎる。 病熱にでも浮かされているみたいに、振り払えない気だるさとか虚無感に抗えず、怠惰な日々を過ごしてきた。有限の時間を、無限にあるかのような使い方で消費する僕の夏は、言うまでもなく、空虚たるものだった。 夏は、もっと眩しいものだと夢想していた。 実際に頭の中で思い描く夏はもっと、弾けるような刺激に満ちていて、淡く切ない物語を生んだり、どこまでも遠く広がる透明な青空に心を震わす壮大な体験の連続、そんなイメージが人々をつき動かす季節。僕が有する夏への憧れは、多分人並み以上であったと自覚している。 夏が、僕の退屈な日常を破壊する何かをつれてくるのではないか、そんな期待感もあった。 無論、そんなに都合良くいかないのは承知していたけれど、意地になった僕はそのうち諦めがつかなくなって、すがるように願った。何かが来る、その時を。 今では願望を抱く自由さすらも、日々を過ごすごとに擦り切れて無くなっていったみたいで、あのころの感覚はもう僕の元にはない。 このまま、無意味に夏を終わらせていくのは怖いが、それとも、僕の青春ってやつはとっくに味がないガムを噛み続けるみたいに、始終無駄な作業でしかないのだろうか。 味のないものを味わうことは、もう出来ないのに。延々と、噛み続けては顎がだるくなっていくように、次第に生きていることがだるくなっていく。 そうやって僕は、停滞した自分を不味そうに噛み締めながら、一生を終えるのだろうか。 自嘲気味に笑ってみても、蒸した空気が暑いばかりだった。 目を開けて、空き缶が校門前の坂に向かって軌道を取っているのが見える。 一度傾斜に乗ったが最後、空き缶は小石につまづきながらスピードを上げ、そのまま薮にでも突っ込んで姿を消すだろう。 何だかそれは、今の僕を象徴しているような気すらするのだ。 このままでは、転がり落ちてしまうのも時間の問題だ。 もうすぐ、僕も下り坂に……いや、もしかしたら今、下り坂はここなのかもしれない。 ならば何かが、誰かが僕を、下り坂から引っ張り出してくれやしないだろうか……このつまらなくて仕方ない夏をぶち壊しにやってきて、僕を連れ出してくれないだろうか。 情けない願望は宙を舞って、やがて消えた、何処と明言出来ないところに。 「空き缶の不法投棄。」 缶が坂に乗るのを見届ける寸前、白い指がひょいと、空き缶をつまみ上げた。 僕の視線は自然と、空き缶からその女に移っていた。 「感心しないなぁ…不良生徒の椿つばきくん。」 凛…と、涼しい風が吹き抜けるような声の響きを奏でる彼女は、どこか浮世離れしていた。 黒い髪を肩より下まで垂らしていて、一見暑苦しそうにも見えるそれは、風に吹かれた風鈴の短冊が揺らめくようにしてなびいている。その隙間から漏れた光が、彼女の純白の肌から滲む汗を煌めかせる姿は、価値の分からない名画なんかよりもよっぽど、それだけで完成した芸術作品じみて見えた。 彼女は夏を纏っている。一目でそう感じさせて疑いようがないほど、透明に彩られた少女の姿が、そこにはあった。 僕は、その少女を見た瞬間に抱いた素直な感想を、少し歪めて伝えた。 「君はいつ見ても心臓に悪いよ、真澄さん。」 この女の名前、真澄ますみ 鈴りんという。 一応、中学が同じらしいが、あんまりよく覚えていないのだ。 こんな印象深い女のことを忘れるわけもない気はするのだが…ともかく、こいつと僕が大した仲で無いことは確かである。 「おだててるのならやめてほしいな……私すぐ嬉しくなっちゃうから、そういうの。」 真澄はそう言って、いたずらっぽく笑いかけてくる。多分、本人にとってはなんてことない冗談のつもりなのだろうが、この言動ひとつで一体何人の男を落とせるのだろうかと想像した、100人いたなら8割くらいはオトせた筈だ。 なんて、我ながらゲスな思案を頭から振り払った。 「でも、それとこれとは別ね。ゴミくらいちゃんと捨てなきゃダメだよ、空き缶なんて転がってきたら危ないじゃん。」 僕は別段おだてたつもりも無かったから、それもこれもないとは思うのだが…話を拗れさせるよりは素直に従っていた方が都合が良い。 へいへいとボヤきながら、僕は空き缶を受け取って、そのままゴミ箱へ放り投げる。 「あ、こら。」 「痛っ…。」 頭を拳で小突かれる。 後頭部を抑えながら恨めしそうに真澄を見上げると、真澄は露骨に眉をひそめて僕を睨んでいた。 「ノーコンの癖して妙なことしないの。また入らなかったら無駄じゃない。」 無駄、というワードが胸に突き刺さる。 僕だって分かってはいるが、無駄なのはわかっているが、僕は死ぬほど時間を持て余しているから、別に多少の無駄なんて、大した問題じゃない。 頭で言い訳を並べてみるが、どこまで連ねても、最もらしい言い分なんて思いつくはずもなかった。 そうなったらもう、卑屈な僕は不貞腐れるしかなくなる。 「僕は不良生徒だからね、無駄なことだって好んでやるさ。」 肩をすくめながら反論する。ほとほと、自分の卑屈さたるや呆れる他にないと思う。 だが、反論は止まらない。 「それに、今度はちゃんとゴミ箱に入ってる。」 確かに、空き缶は綺麗にゴミ箱へと投入されていた。 けど、それは真澄が言いたいこととまったく関係ないことくらい分かっていた。 真澄はどうも納得いかないと言いたげな顔をしている…当然だ。 自然と目を逸らしていた、空気が重い。 僕は思い切りよく立ち上がって、自分が作ってしまったどうしようもない空気を断とうと試みた。 それに、目的地はどうせ、同じだ。 僕は何も、自販機の前で死にかけの半ミイラになるために、ここまで来たわけじゃない。 さっさと目的の場所へ辿り着き、やりたい事をやりたい…なので、そういうふうに話を持っていくことにする。 「さ、行こう。どうせお前も、書きに来たんだろ?」 わざとらしい元気さで振り返って、真澄に視線を促す。真澄は何か言いたげに僕をひと睨みするが、すぐに関心が冷めたようで、視線を逸らしてポケットの中を探り始めた。 とりあえず空気を変えれたことにホッとしていると、彼女はおもむろに、ポケットからその中身を取り出し僕に笑いかけてきた。 そしてチッチッと指を振って、前振りの仕草をするのだが、その古風で安っぽい前振りに、彼女のセンスを疑う。 「私は、描きに来たんだけどね。」 彼女の中指にぶらさがっていたのは鍵、キーリングにかかっているプラスチックのタグに、美術室と書いてある。 それを見て、僕は彼女が笑いかけてきた意味を確認した。 どうやら今日も、こいつと僕の目的地は同じようだ。 その笑顔に答えるように、彼女の軽口を鼻で笑い飛ばしてから、リュックを持ち上げた。 真澄のムッとした顔が視界の端に映ったのに気付かないふりをしつつ、校舎に向かって歩みを進める。 僕の足取りは重い、水分はある程度足りていると思うが如何せん体力に難がある。 「足が重いぞ少年、しっかり歩きたまえ。」 真澄がそう言って、僕の背中を強く叩いた。 見れば、彼女はさっきのお返しだと言わんばかりにクスリと笑って、僕を追い越していく。 軽やかなステップで階段を踏み超える真澄は、心做しか興奮しているようにも見えた。 1段、2段、宙へ舞うような足取りで階段を昇る彼女に、鳥が翼を羽ばたかせ、空を飛び往くような自由さを見た。 1歩前へ足を送る度、1個階段の段差を飛び超える度に、彼女を地に縛り付けるたくさんのものが、たちまちのうちにこの世から消えていくようで、僕はそれを羨ましがって眺めていた。 眺めていれば嫌でもわかる、彼女はやっぱり僕とはとことんまで違う種類の人間だと。 不意によぎった劣等感が、僕の足をさらに重くした。
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