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現在編・士官三日目―見える悪意② 「──────……」  じっと膝を抱えて、座り込んで目を閉じていれば、そのうちぼんやりしてきて、身体の感覚の何もかも忘れられる。  それは、あの女の人と過ごした時に、自然と身につけたことだ。  だから今日も、お茶だけをお腹に入れてから、《最早|もはや》定位置となった、《東方殿|とうほうでん》と《北方殿|ほっぽうでん》の境にある、廊下の片隅に座り込み。  《古月|こつき》は移動時間を差し引いて、残り時間はじっとしていることに決めていた。  段々と、昼間でも眠気が強くなってきた気がする。  それから、上手く考えがまとめられない気もする。  眠気のせいで、思考が《鈍|にぶ》っているのかもしれない。  顔色が悪いと口々に皆に言われているし、ついさっきまでの研修内容も、何をしていたのか、よく思い出せない。  手帳に書く時も手が震えてしまっていたから、後できちんと書き直しておかないといかない。  それにしても、眠い。  起き上がるのも、《億劫|おっくう》すぎるぐらいに。  でも、もうすぐ動かなくちゃ。  仕事が、始まっちゃう、もの。 「相変らず隠れんぼが好きなのかい。《古月|こつき》は」  耳に届いた声に、《古月|こつき》がのろのろと顔を上げる。  視界の中でゆらゆらと揺れている《夜霧|やぎり》が、足早にこちらに近付いてきた。 「《古月|こつき》、寒い? それとも暑い? 汗が大量に出ているし、加えて震えているよ。それに俺の事も、眼球の動き的に《歪|ゆが》んで見えているんじゃないのかな。ちなみに俺の事が誰だかは分かるかい、《古月|こつき》」 「…………」  名を呼ぼうとした舌も震えて、上手く声にならない。  今更ながら、全身が冷や汗だらけで震えていることに気付き、《古月|こつき》は指先だけを必死に伸ばして、豪奢な上着の袖口を握った。  ぽろ、と、涙の一雫が零れ落ちたのは、その時だった。 「《坂上|さかがみ》、《御典医|ごてんい》を部屋まで呼んできてくれ。それから悟に『例の特権の使用許可』の言伝を。牧村を直ぐにでも動すようにと」  《畏|かしこ》まりましたと屈強な青年が去っていく中、二人きりになった場で。  《夜霧|やぎり》は《躊躇|ためら》いもなく膝を折ると、《古月|こつき》の涙を指で拭ってから、頭を撫でた。 「ほら、こうすれば、俺以外の誰も見ていないから、《古月|こつき》がいくら泣いても、他の誰にも分からない。他の誰にも何も言われないし、何も嫌な事はされない。《古月|こつき》、場を変えようか。少しの間だけ、失礼するよ」  《古月|こつき》が返事を返す間もなく、俗に言う、お姫様抱っこの体勢を取られる。  国主様に、そんなことをさせるわけにはいかない  一士官に膝を折らせるなんて、そんな大変失礼なこと  ぼんやりとした思考の中で考えつつも、《古月|こつき》はすぐ傍にある熱に、何故か無性に安堵して。 「《古月|こつき》、もう少しだけ目を閉じていてごらん」の言葉に、大人しく目を閉じた。                 ────────── 「はい、たしかにお預かりです。今日の荷馬車に頼むので、明日には届くと思います。ただ最近、物騒な物を持ち込もうとした《輩|やから》がいたので、先に警備部に危険物かどうか、中身は改めて貰いますけれど。構いませんよね、見る限りただの手帳だし、特に何も出ないと思いますし」  あたしは最大限の営業姿勢と営業用の笑顔で待ち構えて、例の集団の一人が持ってきた手帳を受け取り、普段通りに処理をした。  少女は手帳と自分の名前を書いた封筒を残し、そして料金を支払うと、”さも当然”みたいなあたしの嘘はころっと信じて、そのまま受付から去って行った。  受付の下でこっそり手帳を開いてみたが、明らかに筆跡が違う。  封筒の署名には独特な癖があったが、手帳の字は、うん、これはかなり小さい時からきっちり《躾|しつけ》られている字だ。  最後の部分だけ手が震えたのか、文字が《歪|ゆが》んでいるけれども、流石にこれは、あたし以外の誰が見ても、別人の物と分かる。  あたしは受付近くに人がいなくなった事を確認してから、爺ちゃんが居眠りこいている、奥の小部屋に入る。  手近な紙に、少女三人の大体の容姿と話のおおまかな内容を走り書きした。空の《文箱|ふみばこ》を探し出し、書面と手帳と宛名の書かれた封筒を入れ、徴収した料金も糊付けした封筒に全額入れ、まとめて中に放り込んだ。  そうして何食わぬ顔で受付に戻り、狙いの人物が目の前を通るのを大人しく待って。  城内の見回りをしていた《隠密|おんみつ》の首根っこを、あたしは遠慮なしに、むんずと掴んだ。 「ふぁっ?! ふぇっ!?」 「はぁー、あんただけは何年経っても、いつまで経っても、ずえったい、精鋭揃いって呼ばれる《隠密|おんみつ》には見えないわねぇ、《健|たける》」 「り、《梨花|りか》! なんだー梨花かー、誰かと思ったよーもー」  にへらと情けなく笑うこいつは、あたしの古き幼馴染、正しく言うならば、完全なるお隣さんだ。  よくこんなのほほんとした奴が、国内最難関と呼ばれる《隠密|おんみつ》の試験に受かって、更に難関の外科医の資格持ちとは、見た目だけでは誰も思うまい。  実家は代々続く古い病院だし、ひい爺ちゃんと爺ちゃんは有名な医者だけれども、まさかこいつがねぇ。  あたしの中だと、こいつは暇さえあれば寝転がって《煎餅|せんべい》を齧っているか。鬼ごっことか氷鬼なら、最初に負ける部類の奴。  そして大概、あたしみたいな奴に使いっ走りにされると、昔から《相場|そうば》が決まっている。 「ほい、《健|たける》、これあげる」 「へ? なんでいきなり《文箱|ふみばこ》? それって梨花の仕ごもがぁ」  さっさと受け取らない事に《業|ごう》を煮やしたあたしが、最後は無理やりその口に《文箱|ふみばこ》の角を突っ込んだので、渋々といった感じで彼は受け取った。 「俺だって仕事中なんですけどー」 「あら、別に城内見回りしてるんだから、城内なら届け物に行ったって変わらないじゃない。基本的にあたしが此処から動けない事は知ってるでしょ、あんたなら」 「そりゃそうだけどー。それで梨花、これを誰に渡せばいいの?」  そうそう、こいつの良い所は、素直に何でも言う事を聞く所。  だから、あたしは出来る限り耳を近付けさせてから、届け先の名前を口にした。 「梨花、それってもしかして恋ぶ」  あたしが『休憩中につき不在』と書いてある札で思いっきり頭を殴った為に、彼は二回目も黙った。 「さー、これ以上ぶたれたくない前に、さっさと届けてくれるわよね、たーけーるーちゃーん」 「分かった、分かった、分かりましたよー。もー、梨花は人使い荒いんだか、はい、行ってきます!」  早く行けこのど阿呆と思いながら、あたしが札を殴る体勢にかまえると、彼は勢い良く駆けて行った。  よし、これでとりあえず、あたしの一仕事は終わり。  別に、正義の味方を気取りたいわけじゃない。  当の本人とも、まだ話した事だってないし。  けれど、なんかこう、ああいう奴らを見てると、背中が痒くて痒くて仕方ないのだ。  目の前でこうも、ぎゃーぎゃーがやがや騒がれていたら、あたしの暇で平和な毎日にも、たまったもんじゃないしね。  あたしは欠伸を噛み殺しながら、再度受付に頬杖をついて、いつも通り来るか分からない、次の客を待つ事に決めた。
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