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現在編・士官三日目―夕焼け色の中で①  牧村に特例の許可を出し、代わりの者を見回りの配置に入れ、諸々の指示出しを終え。  悟が《北方殿|ほっぽうでん》へ向かっていると、途中で《御典医|ごてんい》と擦れ違った。  話を聞けば、診断は低血糖との事。  意識混濁の一歩手前だったらしいが、今は口内摂取と点滴、それから傍に守る者がいる事で、大分落ち着いてはいるらしい。  礼を言って悟が頭を下げると、《御典医|ごてんい》は片手を振って待機部屋へと戻って行った。  士官してから、まだ三日程度しか経っていない。  低血糖なんて症状を出すとは、緊張性の、単なる一過性のものとは思えない。  幾らでも、予測しえるだけの理由は、ある。  今一度だけ息を整えてから、悟は食事用に使われている広間に入り、中続きの襖を開け、《国主|こくしゅ》の自室へと入ってから、きっちりと襖を閉めた。  目が合った《夜霧|やぎり》は、指を一本だけ唇に当て、声を《潜|ひそ》めるよう合図をすると、直ぐ様視線を下へと向けた。  彼は普段通り、書類がうず高く積まれた《文机|ふみづくえ》の前にいたが、珍しく座椅子には座らず、畳の上で正座している。  その膝上に、右上腕部に点滴の《管|くだ》を付け。  泣き腫らした目を閉じて、すぅすぅと寝息を立てている少女の頭を乗せて。  小さく丸まった体勢で、赤い髪紐を握り締めている、彼女の柔らかい《金糸|きんし》を、何度も何度も優しく撫でながら。 「俺が見つけたのが昼休憩の終わる間際。ようやく本人も少しは落ち着いたみたいでね。本当に、迷い猫みたいな眠り方をする」 「…………」 「この子自身は、まだ何も話をしていないよ。俺も無理に聞く事は一切していない。ただ、この子が廊下の片隅に一人でいて、俺の袖を握って涙を零したから、この子の中でも限界だったのだろうと思った。それで此処に連れてきた。  俺が許可した者しか入れないから、いくら泣いても、俺以外は誰も分からないからと、繰り返し教えて。流石に見知らぬ大人の、かつ異性の《御典医|ごてんい》には過剰な反応をしていたけれども、この人も君が嫌がる事は何もしないからと俺が《宥|なだ》め続けて、《御典医|ごてんい》にも出来る限り早めに処置をさせて、どうにか眠ったばかり」 「…………」 「俺に言いたい事が、既にあるって顔をしている。聞くよ、悟」  正座した膝上で整えておいた手を、悟はほんの少しだけ力を込めて握る。  感情全てを表情に乗せて見せはしないが、それでも今の少女と、かつて自分の指を必死に握って、死の淵から戻ってこようと、生きようと必死になっていた、あまりにも幼い姿が重なる。 「こうなる事を、貴方が予見していなかったとは言わせません」 「今日は最初から全力の直球で攻めてきたね。将棋なら飛車角狙いみたいだ。さて次はどう指すのかな」 「前回の事はともかく、今回は貴方だって幾らでも予想出来たはずだ。前例のない《突然変異体|とつぜんへんいたい》の城内士官第一号、それはゆくゆくの雇用に関する新しい規律を作る為の前準備に。そう貴方は、国民に向かって伝えたけれども。  貴方は《国城|こくじょう》という独特な閉鎖空間の中で、先に実験してどんな経過を辿るか見てみたかっただけだ。皆が異物と認識しやすい餌を、当たり前の日常の中に組み込んで、目の前にぶら下げてみて、どんな人間が、どんな反応を見せるのかを」 「反応を見て、俺が何かをするとでも?」 「《昔日|せきじつ》と変わらない。《昔日|せきじつ》は、腐敗した《先王|せんおう》という明確な理由があったけれども。今度は自分に歯向かう可能性の高い異分子を、この子を餌に使って炙り出して、自分の膝元から、まずは《国城|こくじょう》から根絶やしにするつもりだ。その為に従順な駒が一つ欲しかった、違いますか」 「まるで俺が、この子を手駒に使いたいから、今回士官に合格させたみたいな言い方をするね。合格したのは、間違いなくこの子自身が努力した結果だよ。俺は、人事部の裁定には一切口を出していない。配属先も、適任と思われるから、《間宮|まみや》の文書管理部に配属になっただけで」 「それすらも、結局は自分の為に利用していますよね。最終的には、この国が長年抱えている『集落』への今後の対応問題も含めて、国民へ《突然変異体|とつぜんへんいたい》への意識改革を促すように繋げていきたいのでしょうけれども。  人の心は、《性根|しょうね》は、そんな《早々|そうそう》には変わらない。それは貴方だって十二分にご存知のはずでしょう。早急に変わらない事に対して、まだ世間もろくに知らない無知で純粋なこの子を《表立|おもてだ》って使う事自体が、そもそもこの子自身は幾らでも周りに攻撃されても構わない、最悪吊し上げられても構わないと、|暗《あん》に言っているようにしか見えませんが。  付け加えれば、貴方が《古月|こつき》を見て気に入ったから、傍に置きたかっただけでしょう。お気に入りはすぐ傍に置きたい。それだけは、貴方の変わらない性質なのだから」 「…………相変らず、自分から口を開くと容赦ないなぁ、俺の側近達は」  《夜霧|やぎり》がそう言って苦笑を浮かべた事で、悟は口を閉ざした。 「言い訳がましく聞こえる事は、先に言っておく。確かに、実験的に試してみたかった思いはあった。その為に、君の言う通り、まずはこの狭く独特な閉鎖空間に限定した。  流石に三日程度で、こうもあからさまなものが始まるとは思いもしなかったけれども、俺は別にこの子を痛めつけたいんじゃない。それだけは勘違いしないで貰えると嬉しい」 「利用している事については、否定されないんですね」 「今更口先だけで否定してみせたって、どうせ信じないだろう?」 「…………」 「この国は、そもそも昔から、国民の中に根強く《突然変異体|とつぜんへんいたい》への差別意識がある。出来る限りで調べたら、かなり昔に単なる土地争いをした事が《発端|ほったん》の原因らしくてね、俺からすれば馬鹿馬鹿しい話でしかないけれども。  今の代はそんな事を《露|つゆ》とも知らずにいるというのに、結局子は親を見て育つから、子孫に差別意識は刷り込まれて、脈々と引き継がれていっているのが現状だ。容姿だけが自分達とは違って産まれてきてしまう、ただそれだけの事なのにね。《××××|化け物》なんて《蔑称|べっしょう》まで生んだ経緯が、確かにこの国の過去にはあるんだ。  今までの《国主|こくしゅ》達が、《表立|おもてだ》って規律や規則を作ってこなかった事から《鑑|かんが》みても明らかだ。自分達とは違うものだから触れたくないと、《国主|こくしゅ》すら避けて通ってきた話題。祖父の時代にせめてもと『集落』を作り、彼等の生活の場として維持する規則は残したけれども、租税緩和は他国民の敵対意識を更に《煽|あお》るだけだからと、今に至るまでも実行出来ていない。  学ぶ事も出来ず、職にもつけず、《赤貧|せきひん》の暮らしを《強|し》いられている者もいる。《表立|おもてだ》って仲良くすると、自分まで仲間外れにされるかもしれない。そんな子供じみた価値観と、知らずに埋め込まれた差別意識で出来上がっているこの国の根底を変えるには、今回が良い機会だと思った。  とてもずば抜けた容姿を持つ、硝子細工よりも《脆|もろ》く綺麗で可愛いこの子は、《突然変異体|とつぜんへんいたい》の中でも、誰も彼もの目を嫌という程、必ず惹きつける。《間宮|まみや》の遠縁という姓もそうだ。この子を初めて見た時、この子を象徴に据えて前に進む事を、俺は決めた。これから先、この国の意識が、悟や《間宮|まみや》の者のように、変わっていく事を考えてね。  まだ初手、ただの一歩目だ。最初から上手くいくなんて、元から考えてはいない」 「その為になら、《古月|こつき》がどれだけ泣いても、傷ついても、ですか」 「久々に悟が怒っているのが、俺でも分かるなぁ。最初にこの部屋に来た時から、随分と腹に《据|す》えかねていたみたいだけれども。それでもきちんと話が通じる時点では、君らしいと言うべきか」 「俺は、人を道具としてしか扱わない事は不快としか思わない。道具として利用すると言う事もそうだ。ただそれだけの話です」 「自分の二の舞になる者がいるのは嫌だって顔をしている。十二年も付き合えば、無表情無感情仮面の下も何となくは分かるよ、悟」 「おはっ、お話中、失礼致しますー!!」  静寂を切り裂いた元気の良い声に、《夜霧|やぎり》は失笑を浮かべ、悟は溜め息をついて、仕方なしに中から襖を開けてやる。  ぴょこんと正座していた者に、ほんの僅かな《悪気|わるぎ》もないからだ。 「若本。お前はいつも元気で良いが、《国主|こくしゅ》の自室だぞ。中で話し中と自覚しているのならば、尚更声を《潜|ひそ》めろ」 「は、はい! 次からは気をつけます、《長|おさ》!」 「付け加えると、眠っている者の前で大声を出すな」  二度続けての悟の言葉に、若本は慌てて口元を押さえた。 「あーらら、わかさんに先を越されたかー。それ、梨花ちゃんからの贈り物っしょ。わかさんが照れずに話せる女性は、《姐|あね》さんか梨花ちゃんぐらいだもんねー。わかさん《如|ごと》きがこの俺を出し抜くとは、いい根性をお持ちでー」  続いて現れた牧村は、声を《潜|ひそ》ませ、猫のようなしなやかさで、音もなく室内にするりと入ってくる。  有無を言わさずに若本の関節を後ろから締め上げると、若本が横に置いていた《文箱|ふみばこ》と自分が手にしていた報告書を、悟へと差し出した。  速読で報告書に目を通し、《文箱|ふみばこ》の中身も改めると、悟は二人へと向き直った。 「牧村、お前は郵便部の《小村|こむら》さんに容姿の詳細確認並びに犯人達の所属部署確認を済ませた上で、厨房の犯人を取り押さえろ。お前のやりたいように、大袈裟に騒ぎ立てて構わない。若本、お前は坂上と一緒に、《文書管理部|ぶんしょかんりぶ》が《空|から》になってからの時間帯に見張りにつけ。動きがあったら、すぐにでも捕まえろ。今夜中に三人とも現場確保で取り押さえると、併せて《野呂|のろ》に伝えてくれ」 「だーってさー、残念だったねーわかさん、梨花ちゃんと仲良しこよし出来なくてー」 「べ、別に、梨花は幼馴染みなだけですっ」 「ほーほー先輩に逆らうとは良い度胸な。ほれ、ここが良いんだろ? ほれほれほれほれほれほれほれほれ」 「いだっ! いだっいだ、いだー!! 牧村さん、それ本気で関節技決めてますから!! いだいー!!」 「二人とも」  悟が短くそれだけ言うと、二人はぴたりと動きを止め、互いに顔を見合わせると「あいあいさー」「了解ですー!」と揃って退室して行った。  後ろで《夜霧|やぎり》が笑いを《堪|こら》えているのが分かるが、《腹心|ふくしん》にしてからというもの、この二人の関係や立ち位置や振る舞いは、何年経っても変わらないのだから、今更取り《繕|つくろ》っても仕方がない。 「今回の《捕物|とりもの》に関しては、変わらず悟に全てを任せるよ。城内風紀維持も君の仕事だからね。ちなみに、俺はもう少しだけこの子を傍で見ていたいのだけれども。それすらも、君は許さないかい?」 「《古月|こつき》は気を許した者の前でしか眠れません。それだけ伝えておきます」  背中越しに受けた声に、悟は立ち上がり、そのまま襖を閉めた。  追いかけてくる視線も言葉もない事は、分かっている。  何ら包み隠さず、彼が本心を口にしたのだ。  これ以上、続きを語って自分に聞かせる気は、今の彼には毛頭ないだろう。  他国では《突然変異体|とつぜんへんいたい》は、そもそも人間として扱われていない国もある。家畜と同じ扱いをされたり、一生を奴隷以下の最下層で過ごす者もいる。  この国は、まだ恵まれているとは言っても。  差別意識は間違いなくあるし、中には自分達が上だと誤認して、権力を振りかざし、暴力を振るう者もいる。  実際、少女もそうだ。  あの日、あの時、ほんの少しの偶然が重なって、見つけられていなかったら。  実の母親に存在全てを否定され続けて、家庭内暴力と育児放棄を受け続けた挙句。  鍵のかかる納戸に厳冬の中を放置され、命の《灯火|ともしび》を消す寸前だったのだから。  結局、これ以上、自分の前から、命が《零|こぼ》れていくのを、単に自分が見たくなかっただけかもしれないけれども。  《間宮|まみや》の屋敷に預ける事で、それで少女が何の不自由もなく、地に足をつけて、少しでも幸せと感じて生きる事が出来るならばと、過去に決断した結果が、これだ。  生き方を決めるのは、《最早|もはや》彼女自身。  《庇護|ひご》する歳は、とうに過ぎた。  だから、彼女がこれから先も城に士官し続ける事を望むというのなら、己の世界を広げて行きたいと、そう選択するのなら。  自分のする事など、決まっている。 「──────《千夜|せんや》、いるか」 「此処に」  《北方殿|ほっぽうでん》の誰もいない廊下で、唇だけを動かし、悟が音なき声で呟くと、耳元で即座に返事が返ってきた。 「今動けるのは誰がいる」 「自分と《百|びゃく》は直ぐにでも。《十|とお》と《壱|いち》は《君原|きみはら》の屋敷付近におります《故|ゆえ》、戻すには多少の時間が必要かと」  何も無い虚空、それでも確かに、首筋に柔らかい腕を絡めて話す《女声|にょせい》。  悟は変わらない足取りで歩きながら、ほんの僅かだけ思考の速度を上げた。  今夜の《捕物|とりもの》終わりまでの盤面を予測し、最終的な譜面までの流れを、一気に組み立てる。  余程の事がない限り、可能性として考えた、一歩ずらした局面まで《縺|もつ》れ込む事はないだろう。  仮に、”彼女達の存在”に気付いているとしたら、《腹心|ふくしん》の中では術の源泉が近い牧村だけ。四人とも、《如何|いかん》せん牧村の事だけは妙に毛嫌いしている《節|)ふし》があるので、自分達から安易に近付く事はないだろうが、これ以上彼女達の正確な正体を見破られるのも、何かにつけて揉め事に発展させるのも、どちらも得策ではない。 「《千夜|せんや》、《国主|こくしゅ》の動向を見張れ。《百夜|びゃくや》は金髪の少女を。残り二人は現状維持、追って指示するまでその任に。報告だけは常に怠るな」 「《御意|ぎょい》」  するりと首筋から消えていった腕の感触と、息をつく間もなく消えていった気配に、そのまま何事もなかったかのよう、悟は歩き続けた。
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