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現在編・士官研修修了―ともだち②          ────────  夜の《北方殿|ほっぽうでん》は、《人気|ひとけ》もなく、かつかなり薄暗い。  昔から《国主|こくしゅ》一族の居住区に使うためにあるらしいが、今は《国主|こくしゅ》一人しか住まわない場所。  更に現在では、《国主|こくしゅ》が許可した者しか入れない場所。  外に照らす灯りは、深夜も警護につく《隠密|おんみつ》のために、最低限のものだけなのだと説明された。 (こんなに暗くて静かな所に一人だなんて、しかも夜なのに、余計に淋しくはならないのかな、《夜霧|やぎり》様は)  ふと、そんなことを考えてしまう。  結局、《古月|こつき》は自室には戻らなかった。  正確に言えば、『戻して貰えなかった』が正しい。  あの会話の後すぐ、《夜霧|やぎり》は腕を離して距離を取ってくれたが、いざ《古月|こつき》が部屋に戻ろうとしたら、首を横に振られたのだ。 「悟の事だ、《捕物|とりもの》は瞬時に片をつける。もう手は決めてあるだろうし、今回は相手が相手だから、吐かせるのも早いだろうしね。それに今の状態の《古月|こつき》を一人で部屋に帰したら、また一人でこっそり泣いていそうな気がするから、帰さないよ」と、顔は笑っていたが、言葉は《否|いな》を許さなかった。  点滴も《御典医|ごてんい》が時間を見計らって外しに来るからと、更に言い含められて。  悟が再度現れた今の今まで、なし崩しで《夜霧|やぎり》の自室にいた。  その間、特に会話はなかった。  《夜霧|やぎり》は自分の仕事を片付けると言い、《古月|こつき》に金平糖の入った小さなちりめん細工の箱を渡し、更に詩集を貸してくれた。  その詩集は、この間ほんの少しだけ、《古月|こつき》から話をした作家の、金平糖の挿絵が載っている《希少本|きしょうぼん》で。  あんなに些細なことを覚えていてくれたのかと《古月|こつき》は驚きながらも、やっぱり仕事に向かう背姿も直視出来ずに、とくとくと煩い心臓のまま、広い部屋の中で詩集を眺めていた。 「…………ねぇ、悟」 「何だ」  最初に手を取ってくれた時から、変わらない温かい手が、きちんと結んだまま、暗い廊下を先導してくれる。 「《夜霧|やぎり》様と、喧嘩でも、したの? 怒っていたって、《夜霧|やぎり》様が仰っていたから、それなら、その」 「互いの個人的見解を話し合っただけだ。喧嘩になどなっていない。それから《古月|こつき》、続きは想像が《容易|たやす》いから口にするまでもないが。お前に謝られる事など俺は何もしていないぞ」 「で、でも、わたし、その、あの、色んな人に、いっぱい、迷惑かけちゃったし」 「第三者である他人が迷惑ととるかそうでないかは、お前が決める事じゃない。少なからず俺に関しては、城内風紀維持の職務の範疇だ。《夜霧|やぎり》様にも、お前は迷惑と言われたのか」 「…………言われて、ない」 「詩織を通して最初に伝えたはずだぞ。溜め込みすぎるなと。お前は一人で考えすぎる《節|ふし》がある。そして勝手に一人で、悪い方へと結論を出すのもお前の癖だ。お前が思っている以上に、周りの人間は、さもたいした事無く、至極当然の事として済ませてしまう事もある。今回もそうだ、お前一人だけが迷惑をかけたと思い込んでいるだけで、関わった者達にとっては仕事の一環だったりする。それだけの話だ」 「…………」 「たしかに、中にはお前の事を《好|この》まない者もいるだろう。だが前回の怪我の件も、それから今回の件も、間違いなくお前は被害者側であって、決して加害者側ではない。この立場の違いは優劣の違いではないぞ。その容姿だから、《貶|とぼし》められる《蔑|さげす》まれる《疎|うと》まれる、それを当然としてお前が受け入れてしまったら、屋敷を出る前から何一つ変わっていない。お前はそんな自分を変えたくて、外の世界に出てみたくて、それで此処に来たんじゃないのか」 「…………うん。自分で、ちゃんと、前を向けるようになりたいって、だからお城で働いてみたいって、お屋敷から出たいって、《間宮|まみや》の皆にお話をした。その気持ちは今も変わっていない」 「なら、俯くな、下を向くな、出来る限りで良いから前を向いて歩け。下ばかり見ていると己の狭い世界しか見えてこない。新しい事を知りたいのならば、相手を知りたいのならば、きちんとお前が前を向いて向き合え。これから話をしにいくのは、そもそもお前を好ましく思っていない者達だけだぞ。話したい事があるのなら、まずはきちんと相手の顔を見てする事だ」 「………うん、頑張る」  そこまでで会話は打ち切られ、《南方殿|なんぽうでん》三階に辿り着くまで、終始無言の時が続いた。  《南方殿|なんぽうでん》二階に《文書管理部|ぶんしょかんりぶ》はあり、三階は経理部と人事部しか部署はないはず、と《古月|こつき》は地図を思い出しながら記憶を辿る。  士官試験の際、人事部の口頭試問に使われた部屋も、たしかこの階だ。  既にどの部署も業務外な時間、三階でも明かりがついているのは、一部屋だけだった。  その部屋の襖の前で直立不動で立っていた大男が、こちらに気付くと、深々と頭を下げた。 「《長|おさ》、お帰りなさい。お話されたいと仰られたのは、そちらのお嬢さんですか」 「ああ。《古月|こつき》、こいつは《長|おさ》代理の《野呂|のろ》という。俺との付き合いも詩織と同じく長い。見た目は寡黙な巨漢だが、《兎角|とかく》面倒みの良い奴だ、何も怖がる必要は無い」 「先にご紹介に預かりました、《野呂|のろ》と申します。どうぞお見知り置きを。《長|おさ》、既に粗方吐かせ終わっています。これ以上つついても何も《真新|まあたら》しい事は出ないだろうと、牧村が」 「そうか。なら俺だけで中は事足りる。《折|おり》を見て迎えを一人寄越してくれ。他の皆にご苦労だった、明日に備えてゆっくり休めと伝えてくれ」 「分かりました、伝えておきます。迎えもお送りします。調書はこちらに。では自分は、お先に失礼します」  去る前に頭を下げられ、《古月|こつき》も慌てて頭を下げる。  悟は渡された調書を速読しているからか《野呂|のろ》が消えても頭も下げず、その場で黙ったままだ。  髪を束ねている赤い髪紐に触れて、《古月|こつき》は深呼吸をする。  大丈夫。大丈夫。  怖くない、相手はわたしと同じぐらいの歳の女の子達。  ちゃんと、お話出来るはず。  わたしが思っていることも、その子達が思っていることも、知って欲しいし、知りたくて、此処に来たんだもの。 「《古月|こつき》、中に入るぞ。相手はお前と同じ新人士官の少女三名。抵抗する素振りがない為に拘束はしていない。対面式の机に並んで座っている。俺も入口前で基本は待機だ、お前が全員の顔を見て、切っ掛けは自分で作れ」  《古月|こつき》が小さく頷くと、先に悟が襖を開けた。  廊下とは裏腹なまでの明るさに、思わず《古月|こつき》は目を細めたが、座っている少女達は悟を見て肩を《竦|すく》ませ。  《古月|こつき》に気付くと、《項垂|うなだ》れて視線を合わせようとはしなかった。  全員は知らないが、一人だけは顔も名前も知っている。  《古月|こつき》は反対側に置かれている椅子に腰を下ろし、悟が襖を閉めたところで口を開いた。 「こんばんは。えっと、あの、まずは、夜遅くにお時間を頂いて、ありがとうございます。その、知らない方もいらっしゃるので、先にご挨拶しますね、わたしは《砂城古月|すなしろこつき》と申します。あの、田中さんは同じ部署なので存じているのですが、えっと、並んでいらっしゃる御二方のお名前を伺っても宜しいでしょうか?」 「…………私が《佐伯|さえき》、右の子は《白石|しらいし》よ。士官したのはあんたと同じ試験から。所属は全員違う。でも、昔からの馴染みだし、それで今もつるんでるの」  左端に座っている、一番着物が派手な少女が、短くも説明した。  この子が三人のまとめ役なのかな。  大分疲れた顔をしている。  全員、綺麗な着物に、お化粧もきちんとしているのに。  悟達の仕事は詳しくは知らないけれども、常に悟の視線を感じてはびくびくしているから、これは相当こってりと、《隠密|おんみつ》の人達に絞られたに違いない。  特に、黙っている時の悟って、とても怖く見えるらしいし。 「わ、私は悪くないもん!」  突然の大声に、《古月|こつき》は驚いて、反射的に身体を震わせてしまった。  田中という同僚の少女は、《俯|うつむ》いて膝上の拳を固く握っている。  悟が動く気配は微塵もないので、暴力に訴える等の実害はないとの判断だろう。 「だって、折角、折角、あんなに頑張って勉強して、《寺子屋|てらこや》だって、一番の成績で卒業したのに! 周りの皆は良く出来たって褒めてくれたし、今回みたいな倍率高い中でもちゃんと合格したのに! でも、実際に働きだしたら、誰も私の事なんて褒めてくれないし、怒られたり、愚痴愚痴と! そんなのばっかりなんだもん!」  涙目ではぁはぁと荒い息をついている田中は、それまで握り締めていた右拳を、ぶんと勢いよく床に叩きつけるようにして、丸めた紙を放り投げた。  そのまま、しゃくりあげながら机に突っ伏してしまう。 「《千鶴|ちづる》、別に見せてもいいよね?」  微かに頷いた田中の肩を、《白石|しらいし》が優しく撫でている。  この光景だけ見たら、わたしが詩織さんにして貰っていたものと、全く同じものだ。 「《砂城|すなしろ》さん、だっけ。貴女は、自分の士官試験の成績ってもう見てる?」 「いえ、その、あの、見られることも初めて知りました」 「所属部の部長は勿論知っているけれど、個人での希望者は、本人の同意があれば人事部に開示して貰える。筆記試験と口頭試問の点数と人事評価の全部。それから、筆記だけは科目《毎|ごと》に総合順位も書いてあるの」  《佐伯|さえき》が立ち上がり、投げ捨てられた紙を拾い上げる。  そして丁寧に皺を伸ばすと、《古月|こつき》にも見えるように机上に置いてくれた。  筆記の科目自体は、《古月|こつき》も試験を受けたから内容は分かっている。  文学に歴史学、算術に論文、それから諸々含めての合計十科目だったはずだ。  広げられた紙面の右上には田中の氏名、希望部署を書く欄が三つ。その下にずらりと各科目の点数と順位、中央に口頭試問での点数。  そして一番下に、人事評価が連なっている。 「《千鶴|ちづる》、自分でも言ったけどさ、この子うちらの周りじゃ一番頭が良いんだよね。ちっちゃい頃からそう、千鶴は頭が良い、頭が良いって、親にも相当期待されてきたし、周りの大人にも散々褒められてきた。でも、その分、本人がかなり頑張ってるのも私達は知ってる。今回の士官試験も千鶴は合格して当然だと思ったし、本人の所属希望は花形の外交部か、上位成績者しか入れない経理部だから、千鶴の成績なら、誰もがどちらかは必ず通ると思ってた。でもね」  色を塗られた爪で示された箇所を、つられて《古月|こつき》も見る。  《古月|こつき》自身は所属希望部署は全て空欄にして提出したが、上から順に外交部・経理部と記載されている。  三番目が無記入なのは、それ以外を彼女は選びたくなかったという現れなのだろう。 「経理部は言わずもがな算術の高得点必須で、加えてどの筆記も九割以上が合格条件、外交部は逆に論文と口頭試問で適正ありと判断されるかどうかが、選抜の主な合格観点なんだって。さっきまでこの部屋にいた、別の男の人が説明してくれた。それで、千鶴のを見ると」  算術は総合三位。他の筆記試験も軒並み一桁だ。  今回の試験受験者は百人以上は軽くいたはずだから、その中で一桁を取るのは相当凄いと、《古月|こつき》は思う。  しかし。  す、と指された先、論文の点数を見て、それまでの科目との余りの落差と順位の低さに、声が出なかった。 「これが千鶴にとってはね、自分の今まで頑張ってきた事全部を否定されたようなもの。夢見た事も、このせいで完全に潰されちゃった感じ。結局士官出来ても、千鶴の親は千鶴の事を褒めなくなったし、周りの大人は好き勝手にあの千鶴ちゃんがねぇ偉い所に行けないなんてねぇ、なんて事ばかりを、毎日聞こえるように言うのよ。城に士官出来た、それだけで褒められて良いはずなのに。周りが本物の千鶴を見ないで、それぞれ自分勝手な理想の千鶴を押し付けてきたから………だから本人だってそれに《応|こた》えようとして、あんなにあんなに頑張ってきたのに! 掌返しも良い所よ、今の千鶴自身はこんなに苦しんでるのに、私達以外は誰も分かってなんてあげようともしてないんだから!」 『今回の論文の課題は【この国に《於|お》ける《突然変異体|とつぜんへんいたい》に対する国政の在り方について、今後各々が取り組む課題を仮想設定し、取り組み方と予測される展望を述べよ】であったが、内容を見る限り課題に沿った解答とは思えない。類似した質問を口頭でも問うたが、本人からは意図せずとも、差別意識が見えて透ける。これでは外交部への配属は即可とは言えない。経理部部長からも、合格基準に満たない科目有りの場合は採用は不可との判断故に、所属は要職会議にて決定の事とする』と、人事評価には書いてあった。 「…………悟。わたしの成績表も、おそらくはさっき貰った調書の中に入っているんでしょう? 本人の同意で見られるのなら、わたしは今この場所で、わたしの評価もこの人達に見て貰いたい」  襖の近くにいた悟が近付いてくると、音もなく机上に同じような紙面を一枚滑らせ、無言のまま、また元の位置に戻って行った。  《古月|こつき》が確認すると、右上の氏名は間違いなく自分のもの。  筆記試験はどれもこれも、全然点数も順位も低い。  人事部の評価も、自分から見れば、極々並だと思う。  あんなに毎日、義母からの山のような課題を、自分の中ではそれなりに、身につけるためにやっていたつもりだったけれども。  それより遥かに努力して努力して努力し続けて、努力してきた人が、今、わたしの目の前にいる。  ────────この人は、こんな所で泣いていたら、駄目な人だ。 「田中さん、凄いなぁ」  思わず自然と口をついて出てしまった《古月|こつき》の言葉に、顔を上げ、泣き腫らした田中と目が合った。 「あの、その、身につけるための勉強をしなさいって、わたしは散々言われていたはずなのに、えっと、わたしの点数とか順位をこうやって改めて見ると、わたしはまだ全然だなって思います。田中さんは、本当にきちんと、その、あの、自分の身にするための勉強を沢山沢山なされてきたから、試験でもちゃんと点数として、結果に現れたんですね。だから、凄いなって思います。  論文対策をしてくれた義母が言うには、ええと、あの、寺子屋や私塾では基本的に一般教養に重きを置いてそのまま巣立たせるから、論文は特に触れない、良くて読書感想文程度のものを書かせるぐらいだと。城内士官者は、改めて論文の対策をしなければならないから、その、あの、慣れなければとても大変だとも言っていました。ええと、何の課題が出されるかも、その場にならないと分からないみたいですし、わたしも論文の課題を見た時に、何を書いたら良いんだろうと時間の半分ぐらい悩みました。  付け加えると、わたし、あの、その、話をするのも、とても苦手で。えっと、人事部の方の質問にも、他の方よりも物凄く時間をかけてお答えしてしまいましたし、今思えば質問の意図に沿っていない変な回答も沢山したと思います。あの、その、わたしの人事評価でも、その点は指摘されていますし、さっき悟にも似たようなことを言い含められたばかりです」 「…………でも、あんたは褒められてるじゃない。私の隣で研修しながら、担当に褒められてるじゃない。私は怒られたり、愚痴愚痴言われてるのに、あんたは」 「それは、その、わたしが、お城で働けるって決まった時に、どの部署に配属になっても、どんなお仕事になっても、わたしの知らない新しい世界のことは、あの、ちゃんと知ってみたいと思ったからです。だから、えっと、そのために出来ることをしていこうと思ったから、その、話すのが苦手でも、まずはせめて担当の人には分からないことは聞こうって、最初にそうしようって決めました。  まだ全然、担当の人とも、部署の人とも、それから田中さんとも、上手くお話は出来てないんですけれども。その、あの、いつかは必ず、自分で直さなきゃなって思っていて。時間がかかっても、どんなにゆっくりでも、直そうと思っています。  えっと、わたし、《私塾|しじゅく》の卒業はしましたが、通いはせずに、課題だけ頂いてずっとお屋敷で一人で勉強していたんです。その、毎日毎日一人でお部屋に閉じこもって。あの、その、こんな変わった姿だから、外に出るのも嫌でした。皆にひそひそ言われるのも、じろじろ見られるのも嫌でした。だからお屋敷だけが、わたしにとっては嫌な思いを何もしない、平和な世界だったんです。えっと、その、今考えたら、本当に狭い世界にしかいなかったと分かるんですけれども、嫌な思いをしたくないから、ずっと見ないふりをして来たんです。  でも、こんなわたしにも、外に出てみてごらんって言ってくれた人がいたんです。その、あの、外は君が知っているよりも、もっともっと広くて、これから先の君の人生をそんな狭い所に閉じこもってばかりでは損だよって。沢山沢山色んな出会いがあって、その中でわたしのことを好きになってくれる人がいるかもしれないのに、ずっとお屋敷で一人でいる気なのかいって。だから、その、あの、わたし、怖くても、外に出ることに、決めたんです」  《古月|こつき》は、そっと髪紐に触れる。  初めて会った時の、夕焼けと同じ色。  切っ掛けをくれて、優しく笑ってくれた時の、夕焼けの色。  いつだって、わたしの後押しをしてくれる、大切なお守りを手に、わたしは決めた。  自分で、これから先、どうしていきたいかを。 「あの、田中さん。今の田中さんが、えっと、その、どんな風に周りの人に言われているかは、わたしには分かりません。でも、あの、わたしは、わたしより田中さんは凄いと思いますし、わたしもお城で働くことを辞める気はありません。だから、その、あの、田中さん達がわたしに、お仕事を辞めてお城から出て行ってって意味で、今回のことをしたのだとしても、えっと、わたしの気持ちはお話した通り、変わりません。  まだ、わたししか、《突然変異体|とつぜんへんいたい》は城内では働いていません。でも、あの、外では同じように働いている人もいます。えっと、わたしは他の突然変異体の人達にも、お城で働ける切っ掛けがあるんだよって、わたしが働くことでその人達にも、その、少しでも勇気を持って貰えたら、外に出てみようかなって気持ちになって貰えたらって、そう思っていて。だから、わたしは、これからもお城にいます。その、あの、どんなことをされても、わたしは、辞めません」  言えた。  ちゃんと、自分の口で。  この人達には、もうとっくに、嫌われちゃっているかもしれないけれども。  わたしがしたいこと、ちゃんと口に出来た。  自分の口から、お話出来たよ。  《夜霧|やぎり》様に話したら、喜んで、くれるかな。  また笑って、頭を撫でてくれるかな。 「牧村は最初の試験の話しかしなかったと仮定して話すが」  それまで無言だった悟が口を開いたことで、全員が視線を向けた。 「通常の城内士官であれば、研修期間は全員があくまでも研修生扱いだ。その部署に適性があるかどうかを見極める為にある。それ以上でも以下でもない。そもそもの振り分けの元となっている要職会議は、お前達の目の前にある、たかが紙一枚で部長達が各々人員をなるべく均等にと割り振っているだけだ。中には公平でない部もあるがな。研修期間後に本人が希望し、上長との面談の上で認められれば、再試験の後に人員入れ替えが幾らでも有りうる」  悟なりの優しさから来る助け舟だと、聞いていて《古月|こつき》は思う。  本人は言い終わると、普段通りにさっさと黙ってしまったが。 「……そ、れって」  田中の掠れた声に、肩を揺すっていた《白石|しらいし》の動きが大きくなる。 「千鶴、千鶴、再試験出来るって! あんたなら、次は絶対に外交部か経理部に行ける! 上長に言って、再試験受けてやり直しなよ! あんたの人生だよ、これからもずっとうじうじしてるなんて、そんなの千鶴らしくない!」 「千鶴、受けな。これで受かったら、あんただって自分のやりたい事が出来て仕事に張り合いも出るし、うちらだって千鶴がやりたい事してた方が嬉しいよ。周りだってまた掌返しで褒めに来るよ。千鶴の愚痴は幾らでも聞くけど、やっぱり普通の他愛ない話もしたいよ、私。だって私達ずっと友達だもん、嬉しい話も皆でしたいじゃない」 「う、うん、うん……うん! 私、今度こそちゃんと希望の所に行けるように、もっともっと頑張る!!」  泣き笑いながら肩を寄せあっている三人を、《古月|こつき》は見つめながら、同時に眩しくも思った。  『友達だもん』。  そんな言葉を、いつか自分にもかけてくれる人が、現れるのだろうか。 「《砂城|すなしろ》さん。貴女のご飯をずっと捨てていたのは私。手帳も盗ったのは私。だからこの中で、一番罪が重いのは私だと思う。千鶴は本当に何もしてないから。うちらに泣きついてきて、愚痴って話しただけ。それを聞いて、千鶴を楽にしてあげようと思って、勝手にしただけ。ね、《由紀|ゆき》」 「《由紀|ゆき》が私よ、《砂城|すなしろ》さん。私も千鶴が愚痴を毎日零しているのを聞いて、この子が少しでも楽になればって思って、協力した。貴女の指名欄を塗り潰したのは私。それから千鶴が疑われないように、なるべく私が千鶴と一緒にいるようにしていたの。だから、私も実行犯。千鶴はね、何もしてないよ」 「違う、二人とも違う、私が頼んだの。私がその、貴女の事、その、何でほにゃららなのに、お城にいるのよって、貴女が褒められるのを聞く度に、まるで私が責められてるみたいで、単に私が貴女を気に食わなかったから。だから、私が二人に貴女がいなくなればいいのにって、毎日愚痴ってた。それで二人が私の言う事を聞いて気を利かせてくれたの。だから、二人は悪くない。あと」 「はい」 「正直に言う。同じ人間だって、考えれば分かるはずなのに、でも、周りの皆から今よりも私が《除け者|のけもの》にされたくなくて、だから、私は逆に貴女を《除け者|のけもの》にしようとした。別に、貴女に何か嫌な事をされたわけじゃない。でも、思っちゃうんだ、貴女と仲良くしたら、今度はお父さんもお母さんも、周りの優しかった人達も、私の事を余計に見なくなるんじゃないかって、私が何処かおかしくなったみたいに言われるんじゃないかって。そう思ったら、私」 「私も悪いけど、基本は千鶴と同じ。貴女はきっと、今話した限りだと、悪い子じゃないんだと思う。でも、ごめんね、うちらの仲間には入れてあげられない。今回の件はどんな罰も受けるけれども、貴女の邪魔は今後しないって誓うけれども、うちらもやっぱり、貴女と同じで、仲良しの子達には《除け者|のけもの》にされたくないって気持ちがある。士官しなかった子達にも、似たような事を考えてる子はいるから。だから、貴女にはもう何もしないし、挨拶ぐらいは顔を見たらするけれど、千鶴達みたいに、同じように馴れ合うのは、ごめん、無理。他の友達への、裏切りになっちゃうから」 「はい。その、あの、わたしはまだお友達がいたことはないので、よくは言えないのですが。御三方はきっと、昔からとても仲良しさんなんだなっていうのは分かりましたし、皆さんの口からもお話を聞けましたし、わたしも言いたいことは言いました。  それから、わたしからは皆さんに、今回のことで、どうこうしてくださいってことは、特にないです。えっと、そうですね、しいて言うなら、《突然変異体|とつぜんへんいたい》も皆さんと同じく生きている人間だから、笑うのも泣くのも悩むのも、同じだよって、その、あの、これから思ってもらえれば、それで、良いです」  空気を読んだかのように、襖が音もなく開いた。  これでこの場は解散、との合図に違いない。  皺だらけだった用紙を丁寧に直してから田中に差し出し、自分の成績表を手に取ると、《古月|こつき》は深々と頭を下げてから立ち上がった。 「《間宮|まみや》氏が開示する事は立場上ないから言っておくが、《古月|こつき》、その成績表、間宮の奥方には間違っても見せるなよ。お前、論文に苦しんだとは自分でも言っていたが、他の科目でも苦手科目は丸分かりだ」 「う、うん」  唇を動かさずに悟に囁かれてしまい、《古月|こつき》は成績表を折り畳んでこっそりと襟元に挟む。  たしかにこれを見せたら、義母からはまた、山のような課題が送られてくるに違いない。 「だが」  ぽん、と頭が撫でられて。  《古月|こつき》が視線をくれた先で、変わらない横顔は、ほんの微かに笑っていた。 「自分の口で話をしたいという、この場においては及第点だ。帰りは別の者に送らせる。ゆっくり休め。後処理は俺達の仕事だ」 「うん、悟、ありがとう。お話する場を作ってくれて」  一礼して襖を閉めると、《古月|こつき》は深く息を吐く。  廊下の反対側から、何やら駆けてくる足音がする。  きっと、迎えに来てくれた人なのだろう。  《古月|こつき》は髪紐に触れてから、真っ直ぐに前を向いた。  月が綺麗な夜だ。  貰った金平糖を食べて、借りた詩集を読んで、ゆっくりお風呂に浸かって、それからお布団に入って、今晩は眠ろう。  大丈夫、わたしは、明日からも、ちゃんと前を向ける。                 ────────  暇だ。  とにかく今日も暇だ。  新人士官達の研修期間は約一月。  そうして希望部署に配属でなかった者の再試験も先日行われ、今度こそ新人士官達全員が、正式な部署配属になったばかり。  ────────だというのに、郵便部には『また』誰も来なかった。  ついでに言えば管理職の爺ちゃんも、これ幸いと定年退職したから、残っていた唯一の部員のあたしが、郵便部部長に任命された。  ああ、本気で面倒臭い。  ずっとただの平部員のままで良かったのに、あたしは。  要職会議なんてものにも出なくちゃいけなくなったし、何かあれば時間関係なしに呼び出される。  お給料は、役職手当だとかで若干は増えるみたいだけれども。  結局、面倒臭い事極まりない。  あたしの毎日は暇で良いのだ。受付に肘をつきながら、お客をぽけーっと待っている、それで良いのだ。  だから《何の気|なんのけ》なしに、普段通り人の流れを眺めていたあたしは、見知った顔を見かけて片手を上げた。 「はいはい、そこのお嬢さん。お暇じゃないですかー」 「こんにちは、梨花さ……梨花さ……梨花さ……あう」 「うん、あんたの頑張りは今ので分かった。呼び捨ては徐々に慣れてくれればいいわよ、《古月|こつき》」  今日も普段通りの地味な着物に、桜色の紅だけの薄化粧。  金の髪を束ねる赤い髪紐が目立つ少女は、細腕に帳票の束を抱えている。彼女は正式に《文書管理部|ぶんしょかんりぶ》配属になったから、こうして業務中に城内を飛び回る役になったわけだ。 「ねぇ、あんた見たのこれで三回目ぐらいなんだけど。それ、残りは何処宛なの?」 「あとは経理部だけです」 「時間的に、あんたが行って戻ってきたら、お昼の鐘が鳴りそうね。あたし此処で待ってるから、早く届けてらっしゃい」 「え、でも、梨花さん、お昼は他部署の方も来るからって、ずらしていらっしゃったんじゃ」 「ふふーん、今やあたしの肩書きは郵便部部長よ。部員は誰もいないから、威張れないけど。部長権限であたしが摂りたい時にお昼に行くのよ。今日もあたしは暇で死にそうなの、だから友達のあんたが、あたしのお昼に付き合いなさい」  あたしの言葉に、《古月|こつき》の頬が、朱に染まった。  この子、まだ、友達って言葉に慣れてないんかい。  お菓子を食べた日から、あたしの気分次第で捕まえては、随分と色々話している気がするというのに、いやまぁ、うぶな事でして。  そういやあたしが新人だった頃は────────思い返しても、今と変わってないな、うん。 「あ、あの、梨花さん」 「んー? なにー」  帳票で顔半分を隠していた《古月|こつき》が、胸元に帳票を抱え直し、すぅと一息つくと。 「い、急いで届けて来るので、あの、その、ごめんなさい、その、待っていてください。わたしも、えっと、あの、梨花さんと、その、あの、お友達と、ご飯食べるの、とっても楽しみです!」  上階へと続く階段を、小さな背姿が駆け上がって行く。  あたしは笑いながらそれを見つつ、また受付に肘をついて、小さな友人が戻ってくるまで、流れる人を眺める事に決めた。
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