フォントをダウンロード中
ページの左右でマウスを左クリックします。
または、 キーボードの左右の矢印キーを入力します。
ページ上で指先を左右になぞると、 前/次ページへ移動します。
メニューはページをタッチすると現れます。
× ヘルプを閉じる
 がやがやと騒がしい居酒屋の十人までの小上がり座敷席。先まで予約席と掲げられていたそこも、今では喧騒に一役買っていた。  男女八人、人数比は一対一だ。会の始まって二時間が経過していて、何人かはアルコールが回っていた。年齢は種々わかれるが三十歳以下の合同コンパである。  そのうちの一角、上座に近い位置に座る男女が、隣り合い向かい合い、酒を片手に語らう。モテるでしょう云々と男から吐かれるのを、女はそんなことないですよと謙遜する。実際のところ、モテていれば、あるいは継続して付き合える異性の居れば、合コンなんてものに来る必要がないのだから事実であった。 「でもほんと、ミキちゃんに会えてよかったよ、話も楽しいし」 「ほんとですかぁー、嬉しー」  ミキと呼ばれた女によって許容量よりすこし多くアルコールを入れられた男はすでにベロベロと云われる程度に酔っていた。ろれつは回っているし意識も鮮明のように外側からはみえるが、いざ立ち上がらせれば千鳥足もびっくり、生まれたての子鹿も同然だった。 「でもー、お礼なら、あの子に言ってあげてくださいねぇ」  ミキが指差すのは下座、店員に水をピッチャーで用意してもらうよう頼んでいる女性。ダークブラウンのセミロングヘアに、線の細い銀縁眼鏡。ビジネスカジュアルではない黒スーツに身を包み、外見では近寄りがたい雰囲気のある彼女は、けれどもこういう飲み会、懇親会のような場で率先して料理の注文をまとめあげ、必要があれば飲み物の追加オーダーもし、話題が切れないように場をもたせるという、言ってしまえば、損な役回りを率先してやる人間。  彼女が居る合コンや飲み会はほとんどの参加者が満足し、交際に至るカップルが何組も現れると噂が流れるほど。眉唾と思っていたミキも、今回のコンパに参加して、事実だったのだと認識を改めていた。 「ああ、あの子ね。清潔感あって、盛り上げるところと引くところを見てるいい子だよね」  そうなんですよぉー、と《配合酒| カクテル 》の入ったグラスを握ってミキは拾う。 「でもぉー、いい人はいっつも居ないみたいなんですよねぇー」  不思議ですよねぇー、と女が笑うのを、男も一緒になって笑う。その噂の女が、その一挙手一投足を、遠巻きながらに、すべてを把握していないまでも、察知し、観察していることを知らずに。  解散、あるいは有志で二次会へ、という段になって、黒スーツの女──《深雪| みゆき》は、家で猫が待ってるから、と運転代行車に乗ってそそくさと退散していった。彼女は今回もひとりで夜の街を抜けていく、というのを知っているものは、深雪本人以外に存在しない。そもそも飲み会という場が好きではないことも、彼女以外に知らない。知る由もない。  《外倉|とのくら》と表札の入ったマンションの一室には照明がすでに入っていた。深雪がシリンダーに鍵を差し込み回すと、玄関口には一足のパンプス。テレビドラマ由来らしき人の会話も聞こえてきて、深雪はほう、と息をついた。  揃えられたパンプスと対照的に脱ぎ捨てられた靴もそこそこに、深雪はリビングに足を踏み入れる。先に帰ってきていた千佳が、テレビから目を離して、おかえり、と声をかけるのを、深雪は犬のように駆け寄って抱きつく。 「ちかぁー、つかれたー、おなかすいたー」 「おー、おつかれ、おつかれ。なに食べたい?」  カルボナーラぁー、と深雪が泣くように叫ぶのを、おっけー、と千佳が立ち上がろうとする。 「ドラマ、観てたんじゃないの」 「先週観てないし内容よくわからんし、いい」  ちょっと待ってて、お姫様──千佳が深雪のおでこに口づけて、台所に消えていく。その後姿から、深雪は目が離せない。  背中が完全に消え去った、と思えばすぐに千佳の顔がひょっこりと出てくる。作ってる間に、着替えておいでね、というのに深雪は、はぁーい、と間延びした返事を出した。  着替えとメイク落としを済ませた深雪がリビングに戻ると、ちょうど良いとばかりに千佳がテーブルに皿を並べていた。安いレトルトパウチのソースに、すこし食材を足したカルボナーラ。あたしはこっち、という千佳の手には缶の発泡酒と、解凍されたばかりの枝豆。ソファの隣に千佳が座るのを捕まえて、そのまえに、と深雪が口づける。発泡酒のそれとは別の、独特の味が舌を通じて脳に伝わる。 「たばこだ」  宿題をやり残しているのがばれた小学生のような、渋い表情を千佳が見せる。酒を飲んでいると、どうしても吸いたくなってしまって……などと言い訳をするのを、深雪は半ばにらみながら、けれど、換気扇の下でしか吸わない、においを極力分散させないようにしてくれるその気遣いには感謝をして。  なにより、食事を作ってもらったばかりで、ゼロ収支、どころか深雪のほうが負債を背負っている状態で、それ以上はなにも言えなかった。 「いただきます」  召し上がれ、の声のかわりに、千佳はぷしっ、と缶をあける。真横に居る恋人の、喉の鳴る音が鮮明に聞こえてくるのを、深雪は聞き入ってしまった。  今日は合コンだったんだっけ、と千佳が言うのを、深雪は咀嚼しながら、ん、と肯定する。いつものだ、とくつくつ笑うのを、深雪は愛らしく感じる。居酒屋での会話とは雲泥の差で、静かで落ち着いた会話。 「やめたらいいのに、合コン奉行」 「やめたら千佳みたいに無限注文機関ができるでしょーが」  つん、とした表情で言う深雪をみながら、千佳は豆をぷっぷっと口に撃つ。すこし塩が足りないと思いながら、口では「なにそれ」と笑っていた。 「それに、みんなが楽しかったらそれでいいの、私は。どうせ余っちゃうんだし」  憮然とばかりに表情筋の穏やかな深雪に、欲がないなあと缶に口をつける千佳。 「引き立て役、もしくは……名脇役、かねえ」 「なんとでも言いなさい」  ぴりぴりしてるなあ、と言葉には出さずに、千佳は喉だけで笑う。くつくつ、くつくつと。  まあでもさ──そんなあんたは、あたしにとっちゃ主役なんだよ、《恋人|マイディア》。
1
15
シリーズ一覧
感想を送る
作品を紹介
ブックマーク
しおりを挟む
作品情報
使い方
登録が完了しました!
確認事項
戻る
実行