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――  ある晴れた昼下がりのこと。臙脂は食料の買い出しをするためにぶらぶらと道を歩いていた。 「はーしかし最近寒くなったよなあ……」  時期はもう十一月の終わり。あと少しすれば今年も終わる。これから始まる京都の冬は長く、厳しい。とはいえ、今年の紅葉は遅く、道沿いの木々はまだ少し色づき始めたところだ。 「ん?」  臙脂の視界に不安げにきょろきょろと辺りを見回している少女が入った。正確には、少女の姿をした何か。 「おい、もしかして迷子か?」 「……はい……姉サマとはぐれてしまって」  灰に近い銀色の髪に緑と金のオッドアイ。ふたつの瞳が不安そうに臙脂を見上げている。 「そうか。どの辺りではぐれたのかわかるか?」  臙脂は会話の中で本能的に彼女が人間ではないと感じ取った。けれど昔から色々なものが「視える」彼には種族の違いなどどうでもいいことだし、困っていれば助けるというのが彼の信念だ。 「……たしか……井戸……の辺り」 「井戸……?そういや京都には冥府に通じてる井戸があるんだっけ?この辺だったよな」  臙脂は目線を低くして、少女にそっと手を差し出す。 「そこまで連れてってやるよ。大丈夫、すぐそこだから」 「……ありが……とう」  臙脂はそう言って少女を井戸に送り届けた。幸い彼女の「姉さま」とはすぐに合流でき、臙脂は予定通り買い出しへ向かった。  その頃、誰もいなくなった井戸の傍らで、少女は静かに口を開く。 「ネエ、姉サマ。真っ赤ナ髪ノアノ子ガ姉サマノ敵タチ?」 「だからボクは姉ではないんだと……ふう、もう治らないのかな。ボクがこんな格好だから仕方ないか……うん、敵だよ。金緑石がさっき出会ったのは、【桜導】の錦 臙脂……」  海松の瞳に冷たい光が宿る。 「ジャア、壊シテイイ?キリキザンデ食ベテモイイ?ダッテスッゴクオイシソウナンダモノ!」 「……まだ駄目だよ。あいつは最後でいい。まずはあいつの大切なものを奪い尽くしてやりたいんだ。ああいう偽善者がボクは何よりも嫌いだから。そうだなあ、【桜導】のメンバーならボクは紺が欲しい。閉じ込めて縛り付けて、綺麗な声で何度も何度も鳴かせて、その耳元で全部の真実を教えて――絶望させてボクのものにしたい」  その様子を想像して、海松は舌なめずりをする。 「でも、一番欲しいのは……兄さん……朽葉兄さん……」  そう呟く声は何故か酷く悲しげだった。  いつしかもう陽は西に傾いている。 「……さあ、食べに行こうか。金緑石。ボクらの時間だ」 「ハイ、ネエサマ」 赤く変わった瞳を持つ少女と海松はそう言って井戸を後にした。 ――  夢を見ていた。  遠い夏の夕暮れの記憶。死者がこの世に帰ってくると言われるお盆の頃。  僕は確かに、【弟】に会った。月が不気味に赤い夜のこと。言葉を交わすこともなく、月が雲に隠れてまた出た時には跡形もなく消えていた。【弟】はただ、悲しげに微笑んで、幼い僕を見つめていた。  僕には、弟がいる。ただし、この世に生まれてくることさえ許されなかった子どもが。うっすらと覚えている。まだ母が正気だったころ、自分の腹をさすっては嬉しそうにつぶやいていた。 「もうすぐ、生まれてくるのよ。名前はもう決めてあるの。海松」  しかし、彼は生まれてはこなかった。何かの呪いによるものとも噂される。母は、狂って、それから少しして逝った。 「どうして海松が生まれてこれなかったの……?どうしてあなたが生まれてきたの…朽葉」 「……僕はそんな名前じゃないよ……」 「いいえ、貴方は朽葉……朽ちていくだけの……いらない子……」  最期の言葉でさえ、母は僕を否定した。元々立場が微妙だったこともあり、僕への風当たりはますます冷たくなっていった。だからこそ、僕はその名前を受け入れ、そして力で認めさせようと思い、陰陽師になったのだ。 「――夢、か」  酷く嫌な夢だった。過去は僕にとって鎖のようなもので、ずっとそこから囚われて抜け出せずにいる。 「……くだらない……今の僕はもう無力な子供ではない……御蔭家の当主……御蔭朽葉だ」 ―― 「……通り魔事件?」  翌日、桜導専用の作戦会議室に瑠花たちはいた。机のスイッチを押すと同時に空間にバーチャルスクリーンが現れる。 「そう、数日前から冥府への井戸の近辺で通り魔事件が起きているんだ。被害者に共通するのは……しいていえば一般人というところぐらいかな。現場に血の跡は残っているけれど、被害者の姿はどこにもない。どう考えても人間の仕業ではなさそうなんだよ」  桜導の最高責任者――月輪 真赭が深刻な顔で口を開いた。 「更に言うと現場には漆黒の羽が落ちていた、それも必ずね。だから羽を持つマヨイゴの仕業ではないかと」 「……漆黒の羽……オレの石妖は鴉天狗だけど、例えば鳥の羽みたいな感じ?」 「そうだな。現物を見せてもらったんだが、鳥の羽だった」 青磁の問いに白花は頷く。 「……鳥の……羽……」  銀朱は真剣な顔で少し考えた後、重い口を開いた。 「……私、そういうことをしそうな存在に心当たりがあるんだ。そして私はずっとそいつを追っていた。福岡からこの京都に来たのは、奴を【狩る】ためなの」 「…かつて鵺という妖が平安の都の脅威となった。いわゆるキメラのような姿を持つとされ、一説にはトラツグミという鳥が元になったとされる妖」 「あれ、でも鵺って倒されたんだよね?で、この都のどこかに埋められたんじゃ…」 紺の問いに銀朱は首を横に振る。 「……そうよ。だけど、鵺は封印されただけ。当時の人間たちには石妖の力も鎮めの力もなかったから。強力な陰陽師や当時の石守の民、<闇吸い>……たくさんの人々が全力でかかっても封印するのがやっとだった」 「……やはり、封印が解けていたんだね?」 真赭の問いに銀朱は頷く。 「はい。鵺が封じられたとされる場所をいくつか巡って調べてみました。私の石妖は闇を感じられるから。だけど、既に抜け出たあとだ、ということぐらいしかわからなかったんです」 「……銀朱さんの言葉で確信したよ。鵺の封印が解かれたということは恐らく一連の事件の犯人は鵺だ。しかし、もっと悪いのは……鵺を使役、つまりは石妖として契約して契約者になった者がいることなんだ」 「……先輩、前から気になっていたんですが……貴方は石妖や契約者のことをどれだけご存じなんですか? 考えていたんですよ、ずっと。貴方は僕たちを石妖と契約させようとしているのではないかと」 鴇の瞳に鋭い光が宿る。 「……僕たちを鵺と戦わせるためですか?……確かにそれほどの強敵であれば強力な力は必要でしょう」 「……そういう認識で構わないよ、今はね。石妖についてはそれほど多くを知っているわけではないんだ。 だけど、これぐらいは明かしてもいいかな。僕も白花も君たちと同じ、<契約者>だ。僕の石妖は<辰砂>という。多くの知識を持った竜で、石妖の探知能力に優れている」 「……だから鞍馬山でオレが天河石と会うことがわかったんだ……なるほど、ね」 青磁が納得した、といったふうに頷く。 「私の石妖は<天青石>。好奇心が旺盛な猫又の石妖だ。どちらかといえば戦闘向きだな」 白花も短くそう告げた。 「なるほど。とりあえず目下の目標は鵺を倒す――もしくは封印して、その契約者を拘束する、といった具合ですか?」 鴇の言葉にふたりは頷く。 「理解が早くて助かるよ、鴇くん。桜導の最重要任務は当分の間<鵺の再封印および契約者の確保>とする」 「わかりました」  こうして方針が定まったところで、黙っていた臙脂がおもむろに口を開いた。 「ひとつ質問なんですけど、鵺ってキメラみたいな姿なんですよね。で、そんな姿のまま歩いてたら当然目立ちますよね? だから、俺思うんですけど、鵺って多分昼と夜で別の姿をしてるんじゃないかって」 「うわ、珍しくまともな意見」 青磁の言葉を無視して臙脂は続けた。 「石妖はその名の通り鉱石と関係してる。それは仲間の石妖のこと聞いてわかったんですけど。そして、なんとなく鉱石のサイトとか見てみたら…載ってたんです。昼と夜で色が変わる石…赤と緑に」 「……金緑石……アレキサンドライト……」 「……なるほど。貴重な意見だ。覚えておこう」 臙脂は更に続ける。 「俺、会ったんです。井戸の近くで。金と緑の瞳を持つ女の子。もしかしたらその子が…鵺なのかもしれないって」 ――  呼んでいる。井戸の中から。この世ではない場所から。 「兄さん……」  耳を塞いでも、こびりついて離れない、声。 「……み……る……」  無理矢理に目を覚ませば、汗まみれの体に長い黒髪が張り付いていた。 <美しい兄弟愛だこと> 「冗談を言うな、砂漠薔薇。境界が崩れたらどうなるかわからない。マヨイゴどころの騒ぎではなくなる」 <井戸に向かわれますの?> 「ああ。陰陽師のひとりとして…見過ごすわけにはいかん。狂華酔月のリーダーとしては一般人がどれほどマヨイゴに喰われようと構わないが」  朽葉はそう言うともう秋の終わりだというのにじっとりと濡れたシャツを脱ぎ捨てた。窓の外には冷たい色の満月が浮かんでいる。 「……行くか」 彼は窓に踵を返すと、外出のための支度を始めた―― ――  冷たい月が浮かぶ井戸の淵に、燃えるような赤い髪の青年が佇んでいた。 空を流れていく雲が月を隠したその瞬間、鋭い爪が、彼の背に突き立った。 「……かかったか……」  青年はくるりと体を翻して後ろを見る。そこに立っていたのは銀色の髪に緋色の瞳、虎の毛皮と尻尾、そして背に鳥の羽を生やした妖怪。 「……昼間の女の子。やっぱり君が鵺、だったんだな」 「ワア、ミタメトチガッテカシコインダ。ソウダヨ。アタシガ金緑石。姉サマノ石妖。ジャア、タベルネ」  鋭い爪で鵺が青年に襲い掛かる。青年は飛び上がって避ける。しかし背中の傷のせいか、既に動きが鈍く、顔色も悪い。 「っ……!」  攻撃の第二波は青年に当たることなく、焔の盾に弾かれた。焔は優しく、彼を包み込むように揺らめく。そして臙脂の傍に寄り添うように、角を生やした褐色肌の少女が現れる。 <兄さまには指一本触れさせません!今度こそ……喪ったり…しない!> 「臙脂!大丈夫!?」  続いての攻撃も刀による斬撃で弾かれる。冷たい月の光の下で舞うのは金色の髪。 <……貴方は……!>  少女は紺を見ると驚いたように目を見開く。 「……紺、助かった。ナノカ、もういい。傷、塞いでくれ。本気でいく……と、君は……?」 <……わたしは……柘榴石。臙脂兄さま……貴方を助けにきました。力になりたいんです……どうか……契約を>  柘榴石が差し出した契約石のガーネットを臙脂は迷いもなく受け取る。 「よろしくな柘榴石。じゃ……紺、合わせろ!」 「わかってる!」 「「焔舞桜閃っ!」」  紺の斬撃に臙脂が炎の力を纏わせ、焔の斬撃が金緑石の翼を焼いた。 「……もういいよ。休んで。金緑石」  不意にそう冷たい声がして、黒髪の人物が姿を現した。性別は見ただけではよくわからない。 「……初めまして、桜導のみなさん。ボクは出町柳 海松……といっても苗字はないと不便だから、だけど」 「……お前が…あの子の……鵺の契約者か」 海松は小さく頷く。 「錦 臙脂。そして隣にいるのが……九条 紺か。思った通り綺麗だね。頬を伝ってるその血の赤まで美しい…」 「紺、お前また怪我して……」 「……邪魔だよ。君」 海松が手で空を切ると同時に周辺に凄まじい重力が発生する。 「な……!?」 「もう動けないでしょ。隠れてる桜導のみなさんも同じだよね。じゃあひとりずつ……殺してあげる」 海松はナイフを取り出す。 「一番厄介なのは誰だろ?……そうだなあ…朽葉兄さんの敵の陰陽師かなァ?」 「……させ……るかっ!」 白花は真赭を庇うように動かない身体を引きずって、彼の上に覆いかぶさる。 「……君は……なーんにも知らないんだよね……梅小路の当主……白花」 「知らないままで……逝きなよ」  海松が白花の背にナイフを突き刺そうとしたその時、代わりに海松の首にナイフが突きつけられた。 「はい、そこまでー」 「!?」 青磁の明るい声とともに重力は嘘のように消える。 「……隙だらけだよ、キミ。背中ががら空きだ……」  いつもとは違う低く冷たい声。本気の殺意を感じ取り、海松はびくりと体を震わす。 「……お前……なんなの……?」 (忍びの末裔だからって、いくら何でも気配がなさすぎる……!そもそもどうやって重力を無効化したんだよ!?) 「……何だろうね?忍びの末裔?うーんただの高校生、かな」  その時、遠くでコケコッコーと鶏が鳴いた。 「う……あ、朝か……ここは……退こう……ああ、兄さんに会うつもりが最悪の夜だ…」 海松はそう言うと煙のように消えてしまった。  地平線が少しずつ、色づいていく。夜が明けたのだ。 「……とりあえず、帰ろう。みんな体を休めて欲しい。僕は少しだけこの辺りを散歩して帰るよ」  真赭と別れ、瑠花たちは帰路に着く。その姿が見えなくなった後―― 「……久しぶりだね…朽葉」 「真赭……」  人通りのない朝の道で銀の髪の青年と黒髪の青年が出会った。 「……単刀直入に言うよ。鵺の封印が解かれた。しかも君の名前を知る者に」 「……知っている。鵺と契約したのは【生まれなかった】僕の弟、海松だ。境界が揺らいでいる。お前のことは大嫌いだが……陰陽師として、この事態を放っておくのは難しいだろう」 「……同じ意見だ……それじゃ」 ふたりは踵を返し、それぞれの方向へと歩き去っていく。 ――鵺の封印の崩壊。その裏で更に大きな闇が動き出していることなど、この時桜導も、朽葉も、海松さえも知らなかった。
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