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過去編・悟① 【注>文中に性的発言及び暴力行為を匂わせる表現を含みます。閲覧時にはご注意ください。】  幼少期の記憶は、後から幾らでも美化出来るというが。  あの古ぼけた花屋敷で過ごした何年かは、自分にとって幸せな時間だったのだと、今でも言い切れる。  母は花屋敷お抱えの舞妓で、芸名を『《杏果|きょうか》』と名乗っていた。  自分が産まれる前から肺を病んでいて、長時間舞う事は出来なかったが、流れるように舞う母の姿は、幼心にもとても綺麗だった事を覚えている。  母も含めて、花屋敷の舞妓や芸妓達は、皆が皆、本物の家族の様に寄り添い。  実の息子のように、自分を可愛がっては、躾けてくれた。  流石に舞や芸を仕込まれるような事はなかったが、持ちうる限りの知識を、語り聞かせ、教えてくれたおかげで。  自分が四つの時に、寺子屋で学ぶであろう学問のほとんどを覚え。五つの時に、所作の立ち振る舞いから、礼儀礼節に至るまで身につけられたのは。  まず間違いなく、母親代わりに等しい、彼女達の存在があってこそだと思う。  母は、父についてほとんど語らなかった。  屋敷の主人を除いて、周りに女性しかいなかった環境だったからか、敢えて自分から、その存在を問うような事も、しなかった気がする。  毎晩寝る前の《御伽噺|おとぎばなし》の〆にだけ、母は、繰り返し繰り返し。 「貴方のお父様はとても遠くにいらっしゃって、とても偉い方でいらっしゃるのよ。簡単にはお会い出来ない方なの」と、寂しそうに笑いながら。  だから、母が拗らせていた肺の病でこの世を去った時。  六歳の誕生日も迎えていなかった自分の、血の繋がる者は。  名も姿も知らぬ、父だけとなった。  母が遺したのは、衣服や装飾品の数々を同僚の皆に譲るという旨の走り書きと、積み立てていた自分名義の貯金と、一通の《文|ふみ》だけ。  《君原智|きみはらさとし》。  《文|ふみ》の宛名には、そう書かれていた。  母が亡くなって数日経ち、無事に葬儀も終わった頃。  花屋敷の主人が、いつになく硬い表情で自分を呼び出し。 「本家からの召還状が届いた。故に、君原の血を引く男子であるお前は、この召還に応じなければいけない」と、短く告げられた。  それまで、自分の世界の全てだった花屋敷を出る日、見送りに来てくれた者達はこぞって自分を抱き締めては、さめざめと涙を流し、似たような台詞を口にした。 「神様、どうか、お願いだから、この可愛い子を、長く永く、幸せに、生きながらえさせてやってください。また、私達とこの子が生きて会えるように、どうか可愛いこの子を、お守りください」                ──────────  《君原|きみはら》本家の屋敷は、この小国における南方の大半を独占している。  国の中にもう一つ、新たに国を作ったかのような、広大な領地と《聳|そび》え立つ屋敷の大きさが、まざまざとその権力を隠しもせずにおおっぴろげに見せつけているかのようで──────初めて見た時から、肌に合わない不快感しかなかった。  広い広い屋敷の中を、下男に連れられ延々とぐるぐる歩かされ。そうして通された、無機質な空気だけが《蔓延|まんえん》する、だだっ広い広間の上座で。  中年にさしかかった男が一人、豪奢な作りの長椅子に寝転ばって、こちらを見ていた。  下男が差し出した《文|ふみ》に一瞥をくれた時も、遥か下座に座する自分に一瞥をくれた時も、男はただ寝転がって、全てを見下すかのような目をして、にたにたと気色悪い笑みを浮かべて。  その笑みのまま、何の感慨もなく、呟いた。 「何だ死んだのか。勿体ない。死ぬ前にもう一度ぐらい抱いておけば良かった。処女の時から何度も何度も俺が犯して、何度も何度も《蹂躙|じゅうりん》したにも関わらず、あれほど可愛く鳴いていた女は滅多にいない。  ああ、よく見れば、お前の目だけはあいつに似ているな。色素の薄い、薄氷のような目だけは」  その当時は、意味すら分からなかった言葉ではあったものの、生涯決して、この台詞だけは忘れはしまい。  《国主|こくしゅ》すら鼻一息で見下す、我が物顔で、傲慢で不遜。  《御三家|ごさんけ》の一角を担うというのに、この屋敷では国の規律は存在しえない。  当主である男が、全て。  男の言動が、この屋敷では絶対であり、遵守すべきもの。  そんな男にとっては、母は気紛れに過ぎず。  ただ単に、自分の性欲を満たす為だけに、好き放題《弄|もてあそ》んでいた、数多もの名もなき《妾|めかけ》の一人。  心底吐き気がした。  この男とは、未来永劫に《相容|あいい》れる事はない。  六つにもならない自分がそう思っていたのだから、きっとこれから先どんな事があったとしても、この男とは決して分かり合える日など、来ない。              ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈  屋敷の北側、陽が全く当たらない、たった三畳の部屋。  手の届かない高所にある、鉄格子が嵌められた隙間風吹き込む窓と、同じく外からしか開かない鍵が掛けられている分厚い金属扉と、薄っぺらい布団が一組。  《暖|だん》を取る事は、期待出来ない。  だからせめてもと、小さい身体を更に小さくして、次にその扉が外から開くのを、ただひたすらに数を数えて待った。  《君原|きみはら》の屋敷に来て、指折り数えて三日。  ようやく外からその重い扉が開くと、下男が首をしゃくって、室外に出された。  広い屋敷の中をまた延々と歩かされて、そうして通された広間には、自分を含めて二十人いた。  年齢も体格も全く違う。  顔つきは似ている者も、そうでない者もいる。  同じなのは、”全員が男子”という事だけ。  その中でも一番小柄な自分は、廊下にほど近い場所に座るように指示され、その通りにしていると、密やかな声が耳に届いた。 「ああ、あれがそうだよ。何処かの舞妓か芸妓に産ませたっていう、まだ五つか六つぐらいの餓鬼だ」 「たまたま男子だったからこの場にいるだけで、何も知らないんだろうな。その方が、俺にとっては都合が良いけれどもさ」 「俺は同じ場にいるってだけで嫌気がさすね。薄汚い《妾|めかけ》の血の駄犬が、本家の俺達と同列で括られるなんて、たまりゃあしない」  途切れ途切れの言葉を組み立てると、一筋の道が見えてくる。  今この場にいる者は、全員が『父親だけは同じ、義理の兄弟』だという事。  そして自分がこの中でもほぼ最下層に位置する────彼等の言葉を借りるなら『薄汚い妾の血の駄犬』だという事。  母は、薄汚くなんてない。  心の中だけでそう《反駁|はんばく》し、膝上に置いた拳を血が滲むほど握り締め、どうにか怒りを抑え込む。  自分の一挙手一投足を見張っているような視線に、ほんの僅かでも、隙を見せたらいけない。  それは最早、本能からの警告に等しかった。  相変わらず下卑た笑いを浮かべる男が、だらしなく着崩した浴衣のまま広間に現れ、上座の長椅子にごろりと寝転ばると、場の空気は一気に張り詰めた。  そうして────────自分の人生を決める一言が、にたにたと、にたにたと、笑う男の口によって下される。 「君原の血を引く我が息子達に告げる。今回の兄弟は総勢二十人。己が存在以外の者を、その持ちうる力の全てを持って、殺して殺して、殺し尽くせ。これは君原の男に生まれた者の宿命であり、決して逃れる事は出来ない不変の《運命|さだめ》だ。生き残りたいならば──────自分以外の者を、その手で殺せ。数多もの同胞の屍の上に立ち、同胞の血に染め上げたその身にだけ、我が名誉ある『君原』の姓は授けられる」  《後|のち》に、男の言った言葉の意味を。  自分はその身を持って、全てを知った。  知らざるを、えなかった。
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