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 しゃきっとできたのが十五分前。記憶力の悪い男の小言を聞き終えたのが十分前。人間の哲とすれちがいざまに《どあほう》といわれ、靴を脱いで乗る背の低い車へ乗せられたのが五分前。 「あああああ、耳かゆい。振動でさらにかゆさアップ!」  ものをいったら舌を噛みそうな縦揺れに見舞われはじめたのが三分前で、ほんのちょっと前におれは脳天を思いきり天井へ打ちつけていた。 「さっき蚊に食われてたな」  頭をさすりながらいう。 「どんな蚊だった?」 「縞々のじゃなかった」  耳たぶを引っぱったり広げたり丸めたりしている啓太。そんな真似をしても余計にかゆくなるだけだ。 「なんで教えてくんなかったんだよ!」 「蚊だって生きてんだ。飯食わなきゃ死んじまうだろ」  前の席でハンドルを握っている男と助手席の女=弘毅と美希が笑った。蚊の餌がおかしかったのか、ほかのことで笑ったのかはわからない。啓太が前のほうへ体を乗りだしてふたりと話をはじめる。おれはドアの出っぱりをしっかりとつかみながら右へ体をねじり、後ろへ流れていく夜の都会を眺めた――切れることなく続く街。このあたりもまだ渋谷なんだろうか。地図を開いて調べたかったが、ダサいだのなんだのと笑われそうな気がしてやめた。  二十分前に起きたことを思い返す。おれはチームから追いだされる覚悟で蚊男=新見に逆らった。だけどそうはならず、弘毅に頭を一発引っぱたかれただけで済んでいる。新見のほうは拳で三発もぶん殴られていた。 〈きをつけろ〉  意味のわからない警告。笑いあふれる乗り心地最低の車のなかで、なにをどう気をつけろというのか。《顔なし女|ばけもの》はときどきでたらめなことをいう。啓太が後ろの席へ戻ってきて口を開いた。 「一日に二回もぶちのめされるときついだろ」  正確には三回だが、話を長くしてもしかたがない。おれは血の味がしている口のなかにペンギンガムを一枚放りこんだ。 「そうでもない」 「丈夫だな、おい」  本当にそうなら赤い小便は出ない。できれば内臓にも皮ふ並みの回復力が欲しいところだ。  カセットテープが逆まわりに切り替わる。時間よ止まれ=矢沢永吉。頭を同じところへまたぶつけた。どうせなら揺れのほうを止めてくれって話だ。 「おれがぶちのめされてる間、どこへ行ってたんだよ」  体が飛び跳ねないように気をつけながらいった。 「水槽探しに行ってた。ドンブリじゃ逃げだしちまうだろ、《哲|あいつ》」  そんなものをあの時間のセンター街のどこから持ってくるというのか。 「金魚屋の知りあいでもいるのか」 「いねえよ。《家|うち》へ探しに戻ってた」 「家?」 「ああ。オレんちNHKの裏だから」  NHK=一チャンネルと三チャンネル。不良の集まる街にある、くそまじめなテレビ局。笑える。 「で、あったのか」 「なかった。哲はだからでっけえ鍋に入れて本部へ置いてきた」 「誰かに煮て食われちまうぞ」 「そんなやついねえから」  おれよりもひと足先に安全な暮らしを手に入れたさすらいの亀。三百人もの不良の本部で留守番をやるのも大変だろうが、宿なしに比べたら百倍マシだろう。おれは啓太にこの車がどこへ向かっているのかを聞いた。 「行けばわかる」 ――そりゃそうに決まっている。 「集会か?」 「ダンパさ。土曜の夜の恒例」  ダンパ=ダンスパーティー――啓太の説明。踊れないおれには地獄の集まり。しかもそれが毎週ときた。やっぱり拓也にきちんと話して、ほかのチーム――新見のところ以外のどこかへやってもらおう。<  聞こえていた曲が終わり、ギターのうるさいイントロに変わる――ロックンロール・ウィドウ。低い声=虎の唸り声みたいなそれが本当のメロディーをかき消していく。 〈きんぱつびじんのぐる~ぴ~〉  顔なし女がさらに歌をぶっ壊す。化けものにまでファンがいると知ったら、さすがのトップスターもびっくりだろう。 「ひどい歌。演歌みたい」  おれも同じことを思っていた。ただ、そいつを本人の前で口にする勇気は持っていない。 「ロックもポップスもパンクも日本人が歌えばみんな演歌だ」 「そんなのはじめて聞いた」  美希からしても弘毅は年上だろう。それでこの口の利き方はずいぶんとなめているように思えた。ふたりはいつもこんな感じなのか。 「んじゃ、覚えとけ」  横目で左を見る――頭をかくつかせながら耳を引っぱっているあほ面。ふたりのやり取りはつまりこれが普通。相手がえらくてもそうじゃなくても、美希はいつだって生意気ってわけだ。 「百恵は俺の青春だった」 「今度はなに?」 「ほう。続きが気になるってか、美希」  女の名前はまちがえない都合のいい脳みそ。 「別に」 「そうか。じゃあ教えてやる」 「だからいいってば」  おかまいなしにしゃべる弘毅。あきれ顔の美希。耳たぶに爪でばってんをつける啓太。そしてまたしても頭を天井にぶつけるおれ。生意気女と鏑木兄弟は乗り心地の悪さを屁とも思っちゃいない。 「俺はあの日、《霊南坂|れいなんざか》へ乗りこんでいって、やつを《殺|や》っちまうつもりだった」  あの日=去年の今頃。レイナンザカ=山口百恵が結婚式を挙げた教会。やつ=《三浦|みうら》《友和|ともかず》――美希への説明。 「《つもり》ね。結局なにもしなかったってことでしょ。ヒロさん、口だけ。格好ばっかり先走りってやつじゃないの」  歌の文句を使って澁聯のボスをからかう美希。それでも一応は『さん』づけで呼んでいるあたり、線引きはしているんだろう。相馬だけは『先生』と呼んでやっていたおれの感覚に似てないこともない/いる気もしなくはない。 「そこはちょっとちがうんだわ、美希」  信号を守る暴走族の車。東京にしては暗い景色が窓の外に広がっている。 「あのときやつを殺れば俺の気は晴れただろうよ。けど百恵はそうはならねえ。悲しむだろうし、俺を恨むだろうし、へたすりゃ後追いしちまうかもしれねえ。どのみち拝まなきゃならねえ涙なら、嬉しくて流すそいつのほうがくそほどマシだからな。そんなわけであの野郎は生かしといてやってる」 「馬鹿みたい」  弘毅のいい分は通っている。おれには美希のほうが馬鹿に思えた。 「ああそうだ。けどその馬鹿がいいって、何人もの女がベッドの上でいうんだわ」 「それはそれは」 「確かめてみるか」 「遠慮しとく」 「つれねえな。服でも時計でもなんでも欲しいもん買ってやるぞ」 「お金しかいらない」 「それも悪くねえ。いくら欲しい?」 「後ろ見てからいったほうがよくない?」  腰から上をねじる。おばさんの乗るような赤いバイクがぶつけるぞといわんばかりに、この車の後ろギリギリをふらつくようにして突っついてきている。 「あの野郎、パッソルごときで俺の《C二〇|ジャパン》あおってやがんのか」  おい、こら――窓を開けて怒鳴る弘毅。おばさんバイクが車の脇へすっとつけてくる。 「親衛隊っすよ、親衛隊」 「だったらもっとそれらしく走れ。目障りでしょうがねえ」  おばさんバイクが離れていく。 「お前らつきあってるのか」  弘毅が窓を閉めながらいった。 「まさか」 「拓也先輩と美希先輩、すっげえ似合いなんすけどね」 「冗談やめて」  ふたりは恋人同士だとばかり思っていたおれ。驚いた。 「だったらひと晩ぐらい俺につきあったってバチは当たんねんじゃねえか」 「タイプじゃないもの、ヒロさん」  後ろに目をやる――相変わらずのふらつき運転。拓也はふてくされた顔をしていた。それでもおれと目が合うと口もとだけで笑い、左手の親指を突きだしてきた。そうされた意味はわからない。 「ねえ」 「なんすか」 「啓太じゃないよ。新入りのボク」  かちんとくる呼ばれ方――無視をした。 「ねえ、ボ――」 「岡島亨だ。ボクじゃない」  美希の顔がこっちを向く。長い指には毒の棒が挟まっていた。 「そう。じゃ、火貸して」 「持ってない」 「やっぱりボクじゃない」 「会長に借りればいいだろう」 「生意気」  お前にいわれたくない――心のなかで毒づく。 「着いたぜ、亨。六本木だ」  斜めの揺れとともに左へ曲がる車。窓の向こうの景色が変わる――光の海。道脇にはタクシーが、歩道には人があふれていた。 「よし、お前らここで降りて先に店へ行っとけ――おい、《新宮|にいみや》はいるか!」  道の真ん中に堂々と止められる車。クラクションは聞こえない。啓太がドアを開ける。美希はとっくに車を降りていた。    §  背中と肩の筋肉がこわばっていた。揺れた車のせいなのかテストのせいなのかはわからない。いずれにしろ寝て起きればこんなものはすぐになおる。だからどうでもよかった。  茶色いビルの一階の店。楕円形のテーブル――七、八人は着ける席のやたらと高さのある椅子へおれは腰かけていた。正面には啓太。顔はこっちを向いているが、目線はおれを飛び越えている。  細長いグラスに注がれたコーラで自分の喉をかわいがり、それから頬づえをついた。《昨夜|ゆうべ》のやりとり=橋の下でのそれをふと思いだす――顔を支えるときに使う腕の問答。右だったが、これもこれでどうでもよかった。 〝サンキュー、エビバデ!〟  歓声につられて首をねじる――一段高くなったところで歌っているやつのかけ声。楽器を弾いているやつもパッパパッパいってるやつも全員が全員赤い服を着て、トンカチ顔負けのリーゼントをしている。カラフルな横浜銀蝿を見ている気分だった。 「オーライ。次は骨盤グイグイでよろしく。《冷たくしないで|ドンビークー》!」  英語の歌詞。店へ入ってきたときからずっとそればっかりだ。意味なんかちっともわからない。そのわからないのに合わせて、拓也が美希の体をくるくるまわす――息はぴったりでもつきあっちゃいないふたりの踊りはフォークダンスの何倍も難しそうだった。 「啓太は踊らないのか」  痛くなった首を戻しながら聞いた。 「へたくそだからな」  取っ手のついたでかいグラスで牛乳をぐいっとやる啓太。おれもグラスに口をつける。しゃりしゃりの氷が味と炭酸を見事にぶっ殺していた。テーブルにグラスを置き、今いる店の名前を聞く。 「コースターに書いてあんだろ」  いわれたものがどれだかわからないでいると丸い紙=グラスを置くための敷きものが目の前に滑ってきた。『ROPPONGI CENTAURUS』と印刷されている。 「Cより後ろが読めない」 「ケンタウルス」  《敷きもの|コースター》と《CENTAURUS|ケンタウルス》――知らないことをふたつ知った。礼をいうと、手相らしきものがほとんどない手のひらが鼻っつらに伸びてきた。 「チャージ、ニーゴーな」  いわれていることの意味がまるでわからない。ちゃんと説明をしろといった。 「席代みてえなもんだよ。ほら、二千五百円」  そんな話は聞いていない。 「やたら硬くて座りづらい椅子と席で水みたいなコーラ飲まされて、その金額を取られるのか」 「どこのライブハウスでもだいたいそうだぜ」  踊っているやつらに目を向ける啓太――手のひらの位置は相変わらず。 「まあでも、六本木はちょっと高けえかもな」  六本木、ライブハウス――おそろしく金のかかる街と店。吉野家なら五回は行ける金額を目障りな手のひらに乗せてやる。いいたいことはあったが、文句を並べたところで代金が負かるわけじゃない。馬鹿げたところへ来ちまったからには、ばかばかしいと思いながらもそのルールに従うほかない=体に染みついたおれの考え。 「亨はこういうとこ、はじめてか」  得意顔がしゃくに障る。 「当たり前だろ。踊ったこともねえし、踊ろうと思ったこともねんだから」 「ま、そりゃそうだよな。だけどこれからは――」  ばかばかしさに堪えられなくなりそうな予感。せっかくつながった首をここでぶっちぎるわけにはいかない。 「みんな、いくつなんだ」  言葉をさえぎり、無理やりに話題を変える。 「あ?」 「年だよ、年。おれたち以外の」  残りのROCKATSのメンバーは全員高校一年。つまり《十五才|じゅうご》か《十六才|じゅうろく》。新見が《十八才|じゅうはち》。で、こいつの兄貴が《十九才|じゅうく》――ちょっとあてが外れた。普通はグループで一番年上のやつがボスに収まる。仮にそのしくみでいくなら澁聯には二十才を超えた大人が誰もいないって話だ。まいった。 「《張|チャン》《龍強|ロンチャン》は四十五才だったかな」 「誰だ、それ」 「宝龍苑のおっさんだよ。オレ、前にあそこでバイトしてたこともあっから」  バイト=アルバイト=働き口。弘毅から聞かされた話を思いだした。 「なんでやめたんだ」 「なんでって……あの店、料理があれだろ。賄いもだからくっそまじいんだよ。三日ともたなかったぜ」  もったいない話。それにいうほどあそこの料理はまずくない――まあ、そう思っているのはおれだけみたいだが。 「今は弁当屋で働いてんだろ」 「まあな」  よく稼ぐ啓太。ひょっとして奴隷とまではいかなくても、少し前のおれと似たような暮らしをしているんだろうか。 「親、いないのか?」 「はあ? いるよ、ちゃんと」  はずれ。気を取りなおして推理。NHKの裏に家があって、親もいて、こづかいもいくらかはもらっているにちがいない男がなんの目的で働いているのか。 「学校でいじめられてんのか」 「ぶっ飛ばすぞ、てめえ」  お得意のポーズ=中指を突き立てる啓太。 「じゃあ、どうして金に困ってる」 「困ってねえよ! さっきからなにいってんだ」 「なにって、常識で考えたら中学生は働けねえだろ」 「生活指導のまわし《者|もん》かよ、ったく」  耳慣れない言葉。生徒相談みたいなものか。 「でも実際そうだろう。なんか事情がなきゃ――」 「そんなもん、こづかいだけじゃ間に合わねえからに決まってんだろ。ここだっているだけで二千五百円だぞ」 ――なるほど。 「金持ちそうだけどな、啓太んちは」 「馬鹿いえよ。水槽ひとつねえ《家|うち》が金持ちなわけねえだろ」  そこはちがう。武田の家にも水槽はなかった。 「それに貯金だってしとかなきゃ、後でいろいろ困る。貧乏じゃハイティーンの青春を楽しめねえらしいからな」  年の離れた兄貴のいる不良の意見。見あげたもんだ。かっぱらった金でいい気になっている自分がちょっと恥ずかしくなった。 「あのさ、啓太」 「金なら貸さないぜ」  ふざけるな。おれは――大金泥棒のおれはお前なんかよりずっと金持ちだ。 「そうじゃない」 「ん? じゃあ、なに」 「おれもその弁当屋で働け――」 「無理」  コンマ五秒で断られた頼み。 「なんでだよ」 「亨、中坊だろ」 「自分だってそうじゃねえか」 「オレは頼みこんで特別にバイトさせてもらってんだ。店長だってふたりもガキの面倒なんかみてくんねえよ」 「だめもとでいっぺん、聞いてみてくれ」 「弁当屋なめてんのか」  頼みこむおれ。首を振り続ける啓太――くそ、けちめ。 「おれだって金を稼ぎたい。いっただろ、貧乏なんだって」 「ほかで探せばいいだろ」 「どうやってさ」 「どうって、そりゃ……誰か先輩に聞くとかよ」 「聞いてくれ」 「自分で聞けよ」  新米メンバー……いや、東京すらはじめてのおれにどこの誰がタダで親切にしてくれるというのか。 「……じゃあ、宝龍苑はどうだ!? あそこなら――」 「悪り。こないだ《親不孝下北|よそのチーム》のタメに紹介しちまった。今働いてんよ、そいつ」 「どっかひとつぐらいないのかよ」 「オレは紹介屋じゃねえ!」  全滅。しかたがない。働き口についちゃ一旦棚あげだ。おれはコーラの香りがする水で喉をうるおし、それから店のなかを見まわした。 「そういやトサカの先輩見ないな。帰ったのか?」 「どっかそのへんにいる……と思うけど、村尾先輩に聞いても無駄だと思うぜ」 「だろうな。なんとなくわかる」 〝お久しぶりですね、啓太さん〟  覚えのない声に振り向く――くるくるした髪の、フランス人形みたいな服を着た女。しかもこの時季に半袖。バラだかなんだかの詰まった変なかごも腕に提げている。啓太が椅子を蹴飛ばすようにして降りた。 「《瑠佳|るか》さんじゃないすか!」  誰だよ――無視。啓太は風のようにおれの脇を過ぎていった。 「マジ久しぶりっすね! 旅行でもしてたんすか?」 「ええ、マドリードのほうにしばらく」  給食でよく出た袋入りの黄色いジャムが頭に浮かぶ。 「アメリカっすか!」 「ふふふ、スペインです」  マーマレードがスペインの食いものとは知らなかった。 「オレ、めちゃんこ寂しかったっすよ。瑠佳さん、元気してたんすか!」 「はい。啓太さんもお元気そうで」  互いに『さん』づけの関係。どういう知りあいなのか。フランス女のほうはおれたち――いや、啓太と同い年にはとても見えない。 「もう全開でゴキゲンキっすよ。瑠佳さんの顔見たら超馬力出てきちゃいました」 「まあ、口がお上手ですこと」  久しぶりを盛りあがるふたり。まぬけ面全開男の鼻の下が伸びに伸びる――パラダイスの真っ只中にいる啓太。馬鹿丁寧な言葉をしゃべるフランス女は、格好からするに澁聯の人間じゃないだろう。おれはテーブルの反対側へまわり、ふたりとその向こうでくるくるくねくねしているやつらをいっぺんに眺めてやった。 〈きをつけろ〉  またしても意味なしの警告――というよりはちゃちゃ。馬鹿の退屈しのぎにつきあうつもりはない。おれはあたりに目を走らせ、二十才を過ぎていそうなやつらを、無駄かもしれないと思いながら探した。 〝監獄ルァック!〟」  歌が変わる――さっきよりも賑やかな演奏。踊っているやつらの動きも派手になる。赤、青、黄色、緑の光が、いかれた信号みたいに《瞬|またた》きはじめ、天井から吊るされたピカピカの玉がそいつをあちこちへ跳ね返した。これじゃガキと大人の区別もつけられない――くそ。 「はじめまして」  振り返る――いつの間にかおれの後ろへ移ってきていたふたり。フランス女のほうは深々とお辞儀をしている。背が百五十四センチ以上ある女のつむじを見たのはさきおととい以来だった。 「あの……お名前をお伺いしても――」  お辞儀をやめた女がいう。 「こいつっすか。今日からウチのチームに入った亨っつうんすよ。オレとタメのくせにマブいケンカやるもんだから先輩たちが気にいっちゃって」  どうでもいいことをペラペラやる啓太。紹介するならほかにもっといいようがあるだろうが。 「この顔に珍しいものでもくっついてるか」  フランス女にいった。啓太がくっちゃべっている間も今も、こいつは瞬きひとつしないでおれをじっと見つめてきている。なんだか気味が悪い。 「あいすみません」 ――またお辞儀。 「そうしましたら……亨さんとお呼びしても、よろしいですか」 「好きに呼んでくれていい」 「怒ってらっしゃる?」  質問の意味がわからなかった。 「すいません。この野郎、口の利き方なってねんすよ――おい、亨。瑠佳さん先輩なんだから、ちゃんと敬語使えよ、敬語」 「次までに勉強しとくよ」 「あ?」 「馬鹿だから知らねんだよ」  ただでさえ使いたくない敬語を大人ならまだしも同じ十代の、それも女相手にやるなんて冗談じゃなかった。 「お前ちょっといってることおかしくねえか。兄……会長にはちゃんと――」 「かまいません、啓太さん。だから大きな声は……ね?」  これだけのどんちゃん騒ぎのなかで大きな声もくそもない。 「だめっすよ、瑠佳さん」 「本人がかまわねえっていってんだ。別にいいだろう。いやなら口を利かなきゃ――」  嗅いだことのない香りが鼻の穴に飛びこんでくる。 「そんなことおっしゃらないで」 「……て、てめ! 亨、おい!」  この女はなにをしているのか。会ったばかりのやつに抱きつく馬鹿をおれは見たことがなかった。 「やめろ」  いって、おかしな女を突き飛ばす。軽くだ。よろけた体は啓太がやさしく受け止めた。 「あんた、変だぞ」 「ごめんなさい」  ちっとも反省していない顔つきで謝ってくる抱きつき女。ぶっ飛び具合がどこか真奈美に似ている。 「てめえ!」 「おれに怒鳴るな。おかどちがいだ」 「だからって突き飛ばすことねえだろ!」 「加減はした」 〝あんたたちなにやってんの〟  知らぬ間に灯りが落ちていた店内。歌もゆっくりしたものになっている。テーブルへついた美希に啓太が事情の説明をはじめた。 「ここ外国じゃないよ、瑠……」 [*label_img*] 留佳、目の下にほくろつける(真奈美から移動) 「ちょっと、あんた人の話――」  花かごから取りだされ、意味不明に差しだされてきたカラフルな渦巻き飴――美希の小言なんか一ミリも聞いちゃいない歩く駄菓子屋。ガキじゃあるまいし、そんなものをもらったところで嬉しくもなんともない。 「なんだよ、これ」  ご機嫌取りの菓子を指でつまむようにして持つ。 「キャンディーですの」 「そんなのは見ればわかる」 「お嫌い?」 「お嫌いだね」 「では、どのようなものがお好み?」 「金」 「てめ、ふざけんな!」  がなる啓太の脇で美希が吹く。しらけたおれはテーブルを離れ、まともな話ができそうなやつらを探しに歩いた。    §  まともな話ができそうなやつはいたが、先につながる話は誰ともできなかった。理由ははっきりしている。こっちがガキだからだ。 「金はあんのにな……くそ」  背中から首筋にぶるっときた。いくつも重ねた灰皿を持って歩いているやつに便所の場所を聞く――入口の脇。ここからだと正反対の位置だ。  体を縦にして歩いた。それでも人にぶつかる混雑ぶり。途中で新見に名前を呼ばれた。しらばっくれた。がなられた。もっとしらばっくれた。蚊に刺されるのは好きじゃない。最初に着いたテーブルへ目をやる。椅子へ腰かけ、グラス片手にタバコをふかしている美希と、花かごがよっぽど大事なのか、両腕でそいつを抱えて突っ立っているフランス女が、互いにそっぽを向くかたちでどこかを見ている。啓太やほかのやつらの姿はない。    §  便所には先客がいた。髪に櫛を入れている。おれは小さく深呼吸をした。 「あの――」  小豆色の背中に向かって話しかける。タイル張りの壁がおれの声を跳ね返してきた。 「袋叩きのときは助かりました。ありが――」 「礼なんていい」  鏡を見つめたまま金髪の先客がいう。おれは口を閉じ、ふたつある小便器の奥側を目指しながら、礼以外の言葉を探した。 「踊り、うまいですね」  キャンディーを脇の下に挟み、底に氷が敷き詰められた小便器へかぶさりながらいった。 「ウチは踊り屋だ。たりめえだろ」  桃色の小便で氷を溶かしながら、話題選びに失敗したことを反省する。 「ところでおめえ、ケンカのときはいつもあんなやり方してんのか?」  あんなやり方=三角スタンドを振りまわしたり投げつけたり。いつもじゃない、というよりあれはあのときがはじめてだった。 「決まったやり方はないですよ」 「そうか。けど、普通はいきなりあんなもん振りまわさねえわな。おもしれえもん見せてもらった」  人をぶん殴るときは大抵せっぱ詰まっている。最近の相手には特にそれがいえた。まともにぶつかって勝てそうもないやつには、へんてこキテレツな手を使うしかない。 「余裕がないんですよ。考えてる暇がないっていうか。不良品なんで、脳みそ」 「ほんとに余裕がなきゃ動けねえよ」  そこはちがう。強い拓也にはわからないかもしれないが、生きものは弱いほど往生際が悪い。ひたすら無駄な抵抗を繰り返し、敵いっこない相手にわずかなダメージでも与えようとする。ハツの畑のミミズはおれに体を切り刻まれながらも、息絶えるまで鉄のスコップに挑んできていた。 「まあ、ケンカにルールなんてねえからな。あれはあれで、ありだ」  あいまいに返事をし、タイルの目地にまたがった《蝿捕|はえとり》ぐもを爪で弾く。 「けどな、亨」  チャックを戻しながら拓也のほうへ顔を向ける――アンダースロー。こっちに飛んできたなにか。左手でキャッチ。と、同時に床へ落ちるキャンディー。たぶん割れた。 「腕っぷしも大事だが、格好とか《髪型|あたま》とか、そっちにもちったあ気ぃ使え。床屋は嫌れえか?」  この旅をはじめるまで、着るものに気を使ったことなんてなかった。髪だって伸びてくればハサミで適当に短くしていた。床屋は好き嫌いの前に、それをどこで判断するのかがよくわからない。もちろん行ったことぐらいはある。が、それも友だちの散髪が終わるのを待たせてもらっていただけで、《でん》としたあの椅子に腰をおろしたことはない。 「週明けにでも行ってみます」 「月曜は休みだぞ、床屋」 「じゃあ火曜日に」 「そうしろ。今のまんまじゃ、まるっきり小学生だ」  後半の言葉に戸惑うも焦りを顔に出すことはしない――もと奴隷の心得。おれは手洗い台――拓也の右脇へと移動し『柳屋』と書かれた白い瓶のふたをひねった。ふわっと広がる床屋の香り。小豆色の背中がおれから離れていく。 「男はやっぱりリーゼントですか」 「その髪じゃ無理だな。アイビーかオールバックがいいんじゃねえか」  アイビー、オールバック=はじめて耳にする言葉たち。おしゃれの世界も大変だ。 「どんなのですか、それ」 「あ? なんだって」  拓也の体が小便器をまるごと隠した。おれや啓太じゃああはいかない。 「いや……じゃあ、あの、たとえばオールバックとか」  ごつい指が金髪を指す――すべてが後ろへ一直線。わりと硬いうえに自由な生え方をしているおれの髪に同じ真似ができるだろうか。 「先輩みたくなりますかね」 「ウニやハリネズミじゃなきゃ大丈夫だ」 ――そのおそれは充分にある。  いくらか髪を濡らしたほうがいい――アドバイスに従いながら、さきおとといの記憶=教室でのそれを思い返す。 「《柳屋|これ》と《MG5|エムジー・ファイブ》って似たようなもんですか?」 「《資生堂|しせいどう》に電話して聞いてみろ」  瓶に詰まった緑のゼリー。《MG5|あっち》はどうだったか。かっぱらっちゃ売りつけてを繰り返してきたくせに、おれはその中身を一度も確かめたことがなかった。 「櫛もいいですか」  拓也の尻を指で指す。 「おお、使え使え」  黒いジーンズの尻ポケットから銀色をしたそいつを抜き、鏡の前へ戻る。ゼリーを指ですくい、緑まみれにした手のひらを髪という髪にこすりつけた。ここまではたぶん合っている。問題は次。武田の手際でいくと櫛を使うときの両腕はけっこう複雑な動きをしていた気がする。 「ったく、見てらんねえな。貸してみろ」  小便を終えた拓也に櫛を取りあげられた。 「べたべた塗りたくりゃいいってもんじゃねえ。ほら、前向いとけ」  手洗いなしではじまる髪型工事――慣れた手つき。いんちき十四才の目が鏡のなかで吊りあがる。頭の皮がひんやりしてきた。 「今日のGメン、なんだったか知ってるか」  おれにも兄弟が――拓也みたいな兄貴がいればよかったと思った。もしそうなら、どこかでなにかが変わっていたかもしれない。 「《望月|もちづき》《源治|げんじ》ですか」  改めて考える――ほかのチームへやってもらおうかどうか。 「誰だそりゃ」 「《蟹江|かにえ》《敬三|けいぞう》ですよ。立花警部補のライバルで斧が大好きな」  拓也はおれの頼みを聞いてくれた。どこのどいつかもわからないガキを仲間として認めてくれた――本当はメンバーを増やしたくなかったにも関わらず。  父さん以外で力の強いやつがおれにやさしくしてきたことはない。おれもおれでおれより弱いやつにやさしくしてやった覚えはない。そういう意味じゃ拓也は変わっているといえた。 「ああ、あのおっかねえ顔したやつか」  やめた。今はこのチームでいい。踊るのはいやだが、そこらへんは啓太がなんとかしてくれるだろう。おれはこの男を気にいっている。おれのこともそして同じに思ってもらいたい。 「今日のはだけどそっちじゃねえ。《香港|ほんこん》麻薬シンジケートのほうだ。ドラゴンのやつよ、ドラゴンの」  つじつまが合っていないのはわかっている。誰かの子分になり下がるなんて今だってまっぴらだ。だけどそれも拓也に限っていうなら悪い気はしない。この男みたいにおれはきっとなりたいんだと思う。 「ところでお前、踊れねえって話はマジか」 「マジです」 「自信満々にいってんじゃねえよ」  白い歯を映しだす鏡。まだら顔のほうは《額|でこ》まで全開のせいで、痣のひとつひとつがひどく目立っていた。 「明日から啓太が先生で特訓らしいです」 「やめとけ。あいつの腰振りはどれも微生物みてえだ」 「なんですかそれ」  目の端でなにかが動く――クモ。さっき爪でぶっ飛ばしたあいつだ。 「なんだお前、微生物見たことないのか」 「肉眼じゃあんまり」 「あたりめえだっつうの。学校でやんだろ。望遠鏡じゃなくて、ほら……」 「顕微鏡」 「それだそれ。ぞうり虫とかアメーバとかぼうふらとか――」  ぼうふらは蚊の子供。拓也は理科があまり得意じゃないみたいだった。タイルの壁に目をやる。蝿捕ぐもが二匹に増えていた。 「あとミジンコとかよ。そんなのがガラスの上でぴょんぴょん跳ねてんだろ」  はじめにその名前を出してくれたら一発だった。そういう踊りをする男をおれはひとり知っている。 「それじゃちゃんとしたの教えてくださいよ」 「ガラじゃねえ。おい、ちょっと右腕あげろ」  いわれたとおりにする。拓也はおれの手首を睨みつけていた。 「十時半か……亨んち上野だっていってたな。今日はもう帰って明日の朝、原宿へ来い。みんなホコ天にいる」  原宿=渋谷のひとつ前の駅。ホコ天=歩行者天国。 「もしかして竹の子族、ですかね」 「馬鹿野郎。あんなものは踊りじゃねえ。いいか、亨。俺たちがやってんのはロカビリーだ。目立って喜んでるだけのあほどもとはわけがちがう」 「痛いです」  頭の皮にノコギリをする櫛の歯は立派な凶器だった。 「ああ、《悪|わ》り悪り」  真奈美が見たいといっていた竹の子族。そいつとロカビリーチームのちがいがよくわからなかったが、拓也が自分たちと関係ないほうを毛嫌いしているのはわかった。おれは額から汗を流している拓也にうちへ帰ってもしょうがないといい、朝になったらここから原宿へ行くといった。 「よし、こんなもんだろ」 「完成ですか」 「一応はな。けど横がどうしても立ってきちまう……しばらく両手で押さえとけ。かたまってくせがつきゃ寝て……」  耳をつんざく叫び。怒鳴っているに近い拓也の声が壁という壁に反射する。 「どうしたんすか!」  よそのチームのやつらがふたり、顔をのぞかせる。ひとりは知らない。手前の赤い横分け頭はさっきちょこっと話した《黒乱|こくらん》の、名前はたしか―― 「おお、ハリーか。なんでもねえ、なんでもねえ。ちょっとあれだ……おう、ほんとなんでもねんだ。悪りいな、でかい声出して」  ハリーともうひとりがおれを見て眉をハの字にした。やめろ。そんな顔をされてもこっちだって困る。 「そのなんだ……あれがだめでよ」  誰にいうでもなく弁解をはじめる拓也。目線の先には壁があるだけ……じゃなかった。 「クモ、ですか」  鬼のケンカをする男が頷く。おれもハリーも知らないもうひとりも、拓也の意外な弱点に驚いた。 「皆殺しにしました」 「助かるわ」  蝿捕ぐも二匹と姫ぐも一匹を始末したおれへの礼。ハリーたちは『失礼します』といって便所から姿を消した。 「秘密を知られちまったな」 「誰にでも苦手はありますよ」  いって手を洗い、騒ぎの直前までしていたことをする。 「亨はなにがだめだ?」  生きものでだめなものはない。クモでも蛇でも毛虫でもカマドウマでもおれは平気だ――が、ここでなにもないといったら拓也の立場がない。 「……麺、類」  わけあって先週の金曜から嫌いになった好物。今じゃ見るのもおぞましい。 「メンルイってお前、そばやラーメンのことをいってんのか?」 「そうですよ。うどんとか焼きそばとかナポリタンの」  炊いた飯を嫌いなやつはそういない。それと同じぐらい麺類を嫌いなやつもいない。そばが苦手でもうどんやラーメンはいけるだろうし、スパゲティーがだめなやつには焼きそばがある。おれはそのどれもがだめになった。口へ運ぶことができなくなった。拓也は笑うだろうか。おかしなガキだと馬鹿にするだろうか。 「そうか」 「笑わないんですか」 「人の秘密を笑うやつは馬鹿だ。ろくなもんじゃねえ」  自分の目の確かさに嬉しくなる。この男は強いだけじゃない。弱い者の気持ちをわかっている。その心を理解している。さっきはそこを疑ったりもしたが、あれはおれの勘ちがいだ。啓太が憧れるのも無理はない。おれだって今はもう憧れている。 「ところでひとつ教えろ、亨」 「なんですか」 「お前、なんの目的で俺らに近づいた」  がら空きの左中間へ鋭いライナーを打ちこまれた気分。こんな質問が飛んでくるなんて思ってもいなかった。 「駐車場でいったとりですよ」 「さて、なんだったかな」  記憶のカセットをスーパー逆まわし――さっきのケンカ、しびれました。 「しびれたからどうなんだ」 「ああいうケンカができるようになりたいと思って」 「空手でも習いにいけばいいだろう」 「金があればそうしてますよ」 「ほかに理由は」 「ないです」  すべてまでは見破られちゃいない。だが、心の薄皮一枚のところまでは気づかれている。本当のおれ。本当じゃないおれ。岡島亨の狙いと沢村怜二の本性。肩と二の腕に力をこめる――こめかみより後ろの髪を寝かしつけるために。たくらみが頭の外へ漏れていかないようにするために。 「お前、美希のこと見てたな」  見てはいた。だからなんなのか。あのとき美希は拓也の後ろにいた。見ないでいるほうが難しい。 「全員見てますよ、ROCKATSの先輩たちは」 「ま、そういうことにしといてやるか」  いいたいことがほかにもまだあるような口ぶり。山ほどある心当たりのどれに拓也は気づいているのか。 「ほら、これ」  透明な袋のなかでバラバラになった渦巻きキャンディー――ごみを押しつけられた気分。髪を押さえこんでいた両腕を一旦自由にして受け取る。 「これもやるわ」 「なんでおれに?」 「もともとお前のだろう」  ごみはそう。もうひとつは自分のものだった覚えがない。 「こっちのはなんですか」 「見りゃわかんだろ。《ZIPPO|ジッポ》だよ、ZIPPO。迷彩柄の《G・I|ジー・アイ》・ジョーだ。お前にぴったりじゃねえか」  頭のなかにとぼけ顔のねずみが浮かぶ――トッポジージョとは似ても似つかない四角い鉄のかたまり。 「どうしたんですかこれ」 「戦利品だ。お前をぶちのめしてた連中が勝手に置いていきやがった」 「じゃあ先輩が使えばいいじゃないですか」 「ヤニは食わねんだよ、俺」  拓也のジェスチャーから意味を読む。 「おれもタバコは吸わないですよ」 「んじゃ、誰かにやれ。持ってると重たくてしょうがねえ」  それじゃありがたく――礼をいって、使いみちのないジッポをポケットへ。渦巻きのほうは備えつけのごみ箱へ捨てた。 「おい、なにしてんだ」 「ごみみたいなもんですから」 「そんなこというな。瑠佳ちゃんにもらったんだろ、それ」 「あの女嫌いなんですよ」 「今日会ったばっかだろうが」  人の好き嫌いを決めるのに時間はいらない。三分もあれば充分だ。拓也はいい男だが、女にはちょっと甘いのかもしれない。美希とのやり取りを見ていてもそう思う。強い男の弱点その二だ。 「わかんねえ野郎だな、亨は。かわいい子じゃねえか」 「啓太はメロメロみたいですね」 「ああ、イカれてる」  イカれてるなんてもんじゃない。あそこまでいくともう病気だ。 「先輩はあの女を彼女にしようとか思わないんですか」  両腕をあげ、髪の毛潰しを再開する。 「おいおい、あの女とかやめろ」 「メンバーじゃないですよね、ROCKATSの」  仲間じゃないやつは敵か敵の予備軍――おれの考え。 「そうだけどお前、年でいきゃあ先輩なんだからよ。せめてさんづけするぐらいのことはしろ」  くそほどしゃくだが、アタマの命令じゃしかたがない。 「変わってますよね、あの……ルカ、さん」 「まあな。けどああ見えて、ジルバなんか踊らせたらなかなかだぞ」 「かご持って踊るんですか」  笑い声が響く。 「あの腕前なら器用にやりそうだ」 「さっきおれ、いきなり抱きつかれたんですよ」 「儲けたじゃねえか。ひょっとしたら亨に気があんのかもしれねえぞ」 「こっちはないです」  心のなかには真奈美がいる。首には呪いのペンダントがかかっている。おかげでおれは今でも真奈美が恋しい。 「啓太の恋、破れるか。ま、しかたねえっちゃしかたねえ」 「だから――」 「よし。お前、瑠佳ちゃんとつきあったら《ROCKATS|うち》へ引っぱりこめ」 「いや、だから先輩――」 「で、チームのマスコットガールをやってくれって頼むんだ」 「ちょっと待ってくださいって。だいたいおれ――」 「まあ聞け、亨。仮にそいつができりゃROCKATSはガンガンでかくなる。彼女目当てに入れてくれってのが増えるだろうからな」 「美希……さんがいるじゃないですか」 「あいつ目当ての連中はだめだ」  なぜだめなのか。いや、それよりなによりメンバーは簡単に増やさないんじゃなかったのか。 「瑠佳ちゃんはいいとこのお嬢さんだし、ウチの状況を知ればきっと――」  拓也が突然口をつぐむ。どうしたのか。 「だせえな、俺。人あてにしちまってるわ……」  ピンときたことがひとつ。気になったことがひとつ。先にピンときたほうから聞く。 「澁聯に払う会費っていくらですか」 「あ?」 「金に困ってんの、おれのせいですよね」 「誰がそんな話したよ」 「それぐらいわかりますよ」  渋い顔をする拓也。 「いくらあれば足りるんですか」 「うるせえ」 「このままじゃ解散――」  襟首を引っつかまれた。防御の姿勢は取らない。髪の毛潰しをしたまま拓也の目を見つめる。 「生意気いってる暇があったら、腰振りのひとつでも覚えてこい」 「わかりました。それじゃ話変えます。どんないいとこのお嬢さんなんですか、ルカさん」 「そんなの聞いてどうすんだ」 「もしかしたら惚れちゃうかもしれないと思って」  得意のでたらめを口にする。拓也の目が倍の大きさになる。 「一分前までは嫌いだっていってたぞ、お前」 「先のことはわかんないですよ」 「一丁前の口利きやがって」  不動産屋の社長のひとり娘。それも東京じゃわりと有名な会社。家はこの近所で、もともとは美希の知りあい――拓也から引っぱりだした金持ち女の情報。 「不動産屋ってなに売ってるとこですか」 「そりゃ家だろ。マンションとかビルとかアパートとか。あとはなんだ……そういうの貸したりもしてんじゃねえか」  驚いた。そしておれはついている。ツキをつかむタイミングはちょっとずれたが、慌てるほどじゃない。 「なんだ、おい。ぽかんとしやがって」  好きだった女を嫌いになることはあるが、その逆はない。だが、利用できると思えばどこの誰とでもおれは仲よくできる。金持ちも貧乏も関係ない。美人でもブスでもそこは同じ。運のよくないおれはいつだってこの方法でわずかな得を手にしてきた。《松本|あのガキ》のときにしたってそうだし、真奈美にも同じ手を使った。もっと昔にも似たような手口でいろんな誰かを得の材料にしてきた。そいつらと同じようにフランス女を――ルカを操ってやる。 「ここにいたんすか!」  ROCKATSの下っ端が駆けこんできた――拓也さん、会長が顔見せろっていってます。 「わかった。今行く」  小便器に唾を吐く拓也――沈んだ顔つき。たぶん、会費のことで気がめいっているんだろう。 「かったるそうですね」 「ああ、かったりいわ。なんだって新見の馬鹿までこの店にいんだよ」 「仲よく……はなさそうですね、先輩と新見、さん」 「たりめえだっつうの。お前だってあの《面|つら》見てたくねえから、俺んとこへだべりに来たんだろうが」  便所を便所として使いにきただけだったが、ここは頷いておいた。 「あと、あんなもんに『さん』なんかつけなくていい」  礼儀にうるさい拓也から特別許可がおりたところで、さっそく新見を呼び捨てにする。 「馬鹿もつけろ」 「新見のくそ馬鹿まぬけ野郎」 「上出来だ。んじゃ、ちょっくら顔出してくるわ」  明るい顔に戻ったウチのアタマ。髪を押さえたまま小豆色の背中を見送り、それから鏡へ向きなおった。 [*label_img*] 「悪くないな」 〝いい忘れてたけど――〟  別れて五秒の再会。どうしたのか。 「美希には手を出すなよ」  それだけいうと拓也は消えた。三度めに備えて入口を見つめる。十を数えたところで目を閉じ、なんのためかわからないため息をついた。 「なんだ。結局つきあってんじゃねえか、あのふたり」  美希が弘毅にほざいた言葉はでたらめ。女の口はいつだってあてにならない。おれと同じだ。
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