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「それでは最後の曲です、ありがとうございました」  そう言って、バンドリーダーであるソプラノサックスの二年は、同じくドラムの三年の方に体を向けて、左手を小さく振って、ドラムにテンポを伝える。それに合わせてドラムはハイハットを刻む。どうやらファスト・スウィングの曲のようだ。  スネアドラムの音を皮切りに、ドラムソロによるイントロが始まる。示し合わせていたのだろう、八小節目の最後にハイハットを八分で踏んで、それを聴いてほかのメンバー、鍵盤の三年と、エレキベースの一年は、一斉に演奏を始める。  ジョン・コルトレーンのマイナーブルースのMr. PCだ。  速いパッセージで流れる激しいメロディ対して、鍵盤は歪ませたエレピ、つまりエレクトリック・ピアノの音色でこれまた叩きつけるように和音を鳴らす。こういう音色もいいなあ、一度くらいはエレピの音色を取り入れた編成でやってみたかったなあ。  エレキベースの一年も頑張っているが、速いテンポについて行くのが精一杯のようだ。時々、ルート音だけになるところも見受けられる。しかし、このテンポについていけているのは和音の概念も理解できなかった初心者が、およそ一年でこれは後々が期待できる。普段から真面目に練習していたからなあ。  そうこうしているうちにテーマが終わり、サックスソロに入った。コルトレーンの曲を選んだものの、彼女は特別、コルトレーンが好きというわけではなかった気がするなあ、ソロも若干おぼつかない。さて誰が好きだったんだっけ。ああ、この前の曲はデクスター・ゴードンのFried Bananasだったなあ。きっとそうだ、そうに違いない。  では、この曲は誰が提案したんだろう、と考えていたら、エレピソロに入った。  やはりエレピの彼は流れるようなソロをとるなあ。左手の伴奏が少ない分、スリリングに聞こえるのもいい。しかし彼はわざと音を外したり、リズムを崩すから、他の奏者が曲を見失わないかが気がかりだ。 「しかし、ここまでくるとギターだね……」  隣に座っていた、トランペットの同期の《三川|みかわ》が苦笑いする。 「そんなことないよ、全然違うよ、よく聞いてみ?」 「いや~、わからないや」  そう言って、彼は笑う。  そんな会話をしているうちに、曲はドラムソロに入った。どうやらベースソロは無いようだ。そろそろ準備した方がいいんじゃないか、と三川に言おうとしたら、彼の足元にはすでにケースが置いてあった、準備したほうがいいのは僕の方か。  僕は控室になっている隣の教室に移動して、出番に備えることにした。  教室に入ると、そこにはピアノの同期の《皆川|みながわ》さんと、コントラバスの同期の《樋口|ひぐち》がデュオでセッションをしていた。  入った時にはすでにベースソロだったのでテーマは聞いていないが、ピアノの伴奏を聴くに、おそらくチャーリー・パーカーのConfirmationだろう。同じ進行の曲もあるが、それはあまり演奏されない。そもそも、彼女たちは知らないかもしれない。  僕は、ギターアンプの上に座って、しばらく二人の演奏を聴きながら、演奏する曲の構成を確認することにした。ギターを取りに行きたいが、それには二人の間を突っ切って通るしかないし、どうせそろそろ終わるだろうし、待つことにした。  案の定、僕が入ってワンコーラスしたら、ベースソロは終わってテーマに戻った。やっぱりConfirmationだ。そして演奏は、特別なエンディングのフレーズなどが差し込まれることなく、終わった。 「ねえ、そこ通っていい? あと、もうすぐ出番よ僕ら」  僕がそう言うと皆川さんが席を立った。 「ごめんごめん。せっかく最後のライブだし指暖めておきたくて。あ、でも君は最後じゃないか」  彼女は樋口の方を見てけらけらと笑うと、樋口は、酷いなあと言って苦笑いする。彼は一年休学していたので、今年は卒業できないのだ。  僕はその間を突っ切ってギターを取り出す。 「そういやお前、結局ハコモノ買わなかったよな、しかもヘッドレスギターって……変態かよ」  僕のスタインバーガーの廉価ブランドのギターを見て樋口は笑う。  ジャズにおいては、ボディ内部が空洞のフルアコやらセミアコが一般的だが、僕は小柄なので小さいこのギターを好んで使っていた。 「変態とは失礼な。これでもいい音じゃない」 「まあ確かにそうだね。見た目は弁当箱なのに。それに演奏も変態とは程遠いしな」 「そりゃあ現代的なのにも憧れるけど、ああいうの難しいからね。このギターにはそういうのが似合っているけど」  そう返しながら、僕はギターのチューニングをする。 「いやあ、しかし悪いねえ、わがまま通してもらっちゃって」  そう言うと、皆川さんは笑った。 「ほんとだよ、練習厳しかったし!」 「ごめんて、でもあなたのわがままも通ったじゃん」  そこで樋口は口を挟む。 「でも《右代|うしろ》お前、Interplayのイントロ、最初リズムがガタガタだったじゃん」 「それはすまないと思っているよ、シンプルだからいけると思ったけど、シンプルだからこそ難しいのがわかったよ」 「四年目の最後にしてようやくか」  皆川さんが笑ったところで、さっきまで演奏していたソプラノサックスの子が入ってきた。 「皆さん、出番ですよ」 「ん、ありがとう。ごめんね、最後あたり見れなくて、どうだった?」  皆川さんは手を合わせる。 「いえいえ、最後、すこし失敗しちゃったので、見られていなくてよかったです」  そう言って彼女は微笑むと、皆川さんはあらー、と声を上げる。 「そっかー、でもあなたはまだ二年生でしょ、楽しめればいいさ。私たちがこの後失敗したら目も当てられないよ」  けらけらと笑っているけど、それは笑えないなあ……。  そう思っていたら、樋口がコントラバスを抱えて部屋から出る。 「そろそろ行こうよ」 「そうね、行きますか。右代くん、先どうぞ」 「あら、ありがとね」  皆川さんは、樋口が開けたドアを押さえていてくれている。  僕らはライブ会場の教室に入った。  会場の中は最小限の明かりだけで、薄暗かった。  後輩たちの雑談に添えるかのように、ピアノトリオのバラードが流れている。これはなんの曲だったかな。 「ねえ、皆川さん。この曲なんだっけ? 皆川さんピアノトリオでこんなのやってなかった?」 「うーん、そうだったっけ?」  彼女は、ステージの正面の椅子に座っている、先程まで演奏していたドラムの後輩のところへ行く。 「ねえ、《佐倉|さくら》くん」 「なんですか?」 「この流れている曲、なんだっけ?」  佐倉くんは十秒ほど考えてから答える。 「たしかアレですよ、Smileだったはずです、チャップリンの」 「ああ、そうだった。ありがとう佐倉くん」 「いえいえ、右代さん、去年やっていましたよね?」  佐倉と皆川さんは僕のことを見る。ああ、今思い出した。やったわ。 「ほ、ほら、僕がやった時はバラードじゃなくて、ちょっと速めのテンポでやったから……」 「にしても、だよ。右代くん」 「まあまあ、右代さん色んな曲に手出すし、仕方ないんじゃないですか?」  ふたりは呆れたように笑っている。  僕が気まずい気分になっていたら、三川がやってきた。 「そろそろ時間だろ。準備したかあんたら?」 「僕は大丈夫よ。樋口はそこで音出しをしているし、皆川さんは楽譜だけだし……って《宇佐美|うさみ》は? ドラムのところにやつのスティックケースは置いてあるけど」  僕がそう言うと、三川は煙草を吸う真似をする。どうやら他の後輩たちと煙草を吸っているらしい。 「佐倉、僕らの出番まであとどのくらいだっけ?」 「えーと、あと十五分くらいだったと思います。煙草しにいくのですか?」 「うん。呼びに行くついでにね」  僕はギターをアンプに立てかけて、喫煙所へと向かった。  サークル棟を出て、少し歩いたところにある、雨除けと灰皿だけの喫煙所で、宇佐美と後輩たちの三人が煙草を吸いながら談笑していた。彼はこちらに背を向けていて、それに後輩たちが向かい合っている状態だ。 「あ、右代さんじゃないですか、お疲れ様です」 「おう、《田島|たじま》もお疲れ、午前にやってたYou And Night And The Musicのアレンジ、エヴァンスのだろ? かっこよかったよ」 「ありがとうございます! やっぱわかりましたか」  後ろから声をかけて宇佐美を驚かしてやろう、と思ってこっそり近付いたが、その目論見は三年の田島によって阻止された。 「おお、右代もきたか。てことはもう時間か?」 「あと十分ちょっとかな、僕も一本くらい吸いたいから来たんだよ」  僕はポケットから黄緑色のアメスピと安物のライターを取り出す。 「そっか、アメスピは吸うの時間かかるんでしたっけ。なら一本しか吸えませんね」  一年の《井上|いのうえ》はそう言って微笑んだ。 「そうなの、燃えるの遅いのよこれ。つかお前、煙草吸ってたっけ?」 「いや、吸いませんよ、未成年ですし。今日は最後だしドラマー同士、宇佐美さんと話をしたかったので」 「なるほどね、邪魔しちゃったかな」 「いえいえ、僕ら先に行きますね」 「ああ、少ししたら行くって皆に伝えといて」  田島と井上はサークル棟に戻っていった。  僕は煙草に火を点ける。 「なあ、右代」 「なんだい?」  宇佐美は吸っていた煙草を灰皿でもみ消す。 「あー、いや、やっぱいいや」 「なんだよ」 「なんでもないってわけはないけど、今は黙っていた方が面白いから内緒な」 「気になるなあ……」  気が付けば煙草は随分と短くなっていて、スマホを見てみるともうそろそろ時間のようだ。それに気付いた宇佐美は僕を急かす。 「そろそろだぞ、大学生活最後の演奏だ」 「ああ、わかってるよ」  僕らは喫煙所を後にした。  樋口のソロが終わって、彼と僕は、同じベースラインを弾いて、三川と皆川さんは、ユニゾンでメロディを演奏する。十二小節、つまりメロディを一周したら、三川はメロディを吹くのをやめた。そしてさらに一周して、今度は皆川さん、次は僕と、演奏をしていくごとにひとりずつ抜けて、最終的に樋口と宇佐美だけになって、二人は同時に演奏を終えた。  会場は一瞬、静寂に包まれて、ワンテンポ遅れて拍手が巻き起こった。僕は三川のために立てられたマイクをスタンドから取り外す。 「ありがとうございます。二曲目はI’ll Never Smile Againで、さっきの曲はInterplayという曲でした。両方ビル・エヴァンスのアルバムのInterplayからアレンジを拝借しました。このアルバムは、かっこいいからぜひ聞いてくれると嬉しいな」  そこまで言ってから僕は後ろにいるバンドメンバーたちになんか喋るか聞いたが、皆が皆、今は喋る気がないようだ。仕方ない、このまま演奏入っても、時間余るだろうし、僕はもう少し喋ることにした。 「えーとですね、皆喋りたがらないので、代わりに僕が喋ります。まずは卒業ライブを運営して、準備してくれた皆にお礼を言いたいと思います、ありがとうございます。君らの演奏も楽しく聞けました。これからの君らの成長も楽しみです。なので、時間のあるうちに、沢山練習していただければと思います。あ、でも単位はしっかりとってね」  観客席に座る後輩たちは笑いを上げる、多分何人かは苦笑いしているんだろうなあ。 「じゃあ、これ以上は喋るネタがないので最後の曲いきます。これは皆川さんが持ってきたIf I Were A Bellです。皆川さん、なんか喋る?」  皆川さんは喋る決心がついたのか、椅子から立ってマイクを受け取る。 「えっと、皆さんお疲れ様です。このまま右代くんに喋ってもらうのもアレかなと思ったんで喋ることにしました、ざっくりいうとこの曲は恋の始まりを歌ったものなんですよ。曲名を和訳するなら『もしも私が鐘なら』って感じですかね? 歌詞を見てみると、あなたを思うと変な気持ちになるの、ランプだったらピカピカ光っていて、旗だったらバタバタはためいている、鐘だったらゴーンゴーン鳴っているわ! って感じだったはずです。いやー、どっかの鈍感な分からず屋が、こんな状態になっているのを見てみたいですね!」  彼女は一瞬こっちを見た気がするが気のせいだろう。宇佐美はなんかニヤニヤ笑っている。というかメンバー皆半笑いみたいな表情を浮かべている。なんだこいつら。彼女は気が済んだのか、マイクスタンドにマイクを差す。 「じゃあ始めようか」  皆川さんはそう言って、鍵盤に向かいイントロを弾き始める。それは学校のチャイムの鐘の音だった。それに合わせてドラムとベースが入ってくる。  それは最後の演奏の始まりを告げる音だった。
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