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 第五会議室にいる約十名が、それぞれの机の上に置かれたリンゴとにらめっこをしていた。両手は握り締めて、机の上に置いて。銀の輪がついた「首輪」をして。机は、メンバーの様子が把握しやすいよう、円状に並べられている。  ググも、皆と同じように真っ赤なリンゴとにらめっこをしている。  リンゴは、百円均一の店に並んでいるようなチープなレプリカでもなく、ちゃんとスーパーや八百屋で売っているような紛れもない本物だ。プラスチックや紙粘土などのレプリカのそれとは違って、リンゴは手にもってみたとすればまるで自分にプレッシャーをかけてくるかのように手のひらの上でずっしりと重い。  もう、この会に参加するのは何回目だろう。  首輪をし、椅子に座り、拳を作り、目と鼻の先にある、机に置かれたひとつの赤いリンゴをじっと見つめる。これを、飽きるまで。諦めるまで続けるのだ。  ググや、他のかれらはただリンゴを見ていたくてこうしているのではない。リンゴに変化をもたらしたくて、こうしているのだ。  指一本触れずに。  変化というのは、なんでもいい。  ほんの少しでも動けばいいし、倒れたっていい。ヒビが入ったり、割れたりしたらもっと最高だ。  ただ今日も、何十分やってみても、ググは――かれらは――リンゴをどうすることもできなかった。  アホか。  声には出さなかったものの、態度には出た。  外して、普通に机に置くはずだった首輪は、叩きつけられるようにして置かれた。「やってられるか」とも言いたかったが、首輪が叩きつけられた音にすら反応しないくらい集中している他のメンバーには気の毒なので、ググは何も言わず、ただそっと第五会議室を出た。  『無能者開発研究会』。  それが、第五会議室で行われている会の名称だ。  新世2000年4月。  と、言えば、ググが幼稚園を卒業し、小学校に入学した年と月だ。  ググが生まれ育った「第二 新《釜山|プサン》」は、「第一 新《首爾|ソウル》」には当然ないような大きな港湾があり、その港湾は「第一新釜山」まで繋がっている。  他に第一新首爾にはなさそうで第二釜山にはあるようなものといえば、釜山を一望できる大橋、これまでのこの国、それから海外までもの歴史における資料などが展示された歴史館、赤や青、金などできらびやかに装飾された荘厳な寺、国内一位の広さを誇る、特になにもないが海が見える公園など。  平たく言えばググの生まれ育った地は田舎、ということになる。  新世2000年の4月の一ヶ月前、3月には、もうすでに第二新釜山のあちこちに植えられた桜が咲き始めていて、そこらへんの道端にシートに座り込んだ年寄りたちが酒を飲みながらのんびり花見をしていた。  3月はまだ小学校に入学もしていなかったが、3月のある日、ググはある用事のために母に連れられ、入学予定の第二新釜山の小学校へと足を運んだのだった。  花見をしている年寄りたちの姿を一瞥してから、ググは母に入学式でもないのに小学校になにをしに行くのかとたずねた。  すると母は「テストをするの」とだけ答えて、気まずそうにググとは顔を合わせなかった。母は、ググをその「テスト」とやらに連れて行くのにどうも気が乗っていないようで、それは当時入学前のちいさな子供にすぎないググにさえもなんとなく伝わってきた。  テストとやらの内容はあまり詳しくは記憶にない。が、ぼんやりとは覚えている。  まず、簡素な部屋に通されて、一人ではなく四〜五人でグループ面接のようなことが行われた。数名の教師に、淡々とと名前を聞かれたり、誕生日を聞かれたり、ごくごく簡単な内容だった。他には、最近見た夢の内容は? など。特に回答には困らなかった。  それからは別の部屋に通された。そこからは、集団ではなく個人でのテストだった。  一枚の木製のドアの前に立たされる。  教師なのか、なんなのかはわからなかったが、白衣を着た女性に、「ここにいてください」と指示をされた。ここにいろ、と言われただけだったが、予めテストだと知らされてここにきたので、ググはなんとなくただここにいるだけではなくこのドアを開けることを要求されているのではないか? ということに気づいた。気づいたのは、たしか数十分後くらいだったか。 「すみません」  数度、まだ小さい手でドアをノックした。  こん、こん、と乾いた音がする。しかし、向こう側からはなんの返事もない。  今度は、錆がついた金色の丸いドアノブに手をかけ、回し、ドアを押そうとした。  が、ドアは開かない。  ガチャガチャとドアノブを強引に扱っても、もちろんドアはググをその先のどこかへと招き入れるために開くことはなかった。  どうすればいいのかわからず、またそこで数十分立ちんぼになっていると、先程の白衣の女性が戻ってくる。 「テスト終了です。お疲れ様でした」  当時まだただの子供にしかすぎないググの目に映る白衣の彼女の表情はあまりにも冷たく、口角はピクリとも動かなかった。マネキンのほうが、まだマシな表情をしているだろう。  ググは彼女に何も言わず、廊下を走って学校を飛び出した。  校門を抜けると、テストから帰ってくるわが子を待つ他の父母に混じり、母が校庭の桜をぼうっと見つめながら立っていた。  ググをみるなり、母は「帰ろっか」と彼に微笑みかけて言う。  てっきり、「どうだった?」とか、テストに関することが第一声になるかと思っていたから、かえって母のことが不安になってしまった。 「僕、駄目だったみたい」  まだ結果をきいたわけではなかったが、ドアは開かなかったし、いや、《開けなかった》し、それになによりあの白衣の彼女の表情を見れば察しのつくことだ。 「大丈夫」母は少し悲しそうに言った。「わかってたことよ」  わかってた? わかってたって?  はじめから僕に失望していたということ?  もちろん、そう母にきくことなどできず、ググはただ俯く。きいて、もし母がそうだと肯定したら。俯いたまま泣くことになっていただろうから。  母はしゃがみ、ググと頭の位置を合わせて、ググの顔をのぞき込む。 「大丈夫だからね」  その時の母は、もう悲しそうな寂しそうな表情はしておらず、今度は優しい笑みを口元に浮かべていた。目尻がいつもより下がって、瞳は潤んでいた。  母はググをそっと抱きしめた。  その母の行動が、ググを慰めているわけではなかったということに気づくのは、彼が成長してからの話だ。
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