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 私は屋上から駅を歩く人々の群れを見下ろし、ため息を吐いた。  気持ちが、悪い。  私は行き交う人々から目をそらし、空を見上げた。そこには星の輝きなどなく、ただの闇しかない。しかし、私はそんな空でも人間の群れを見るよりマシだと思った。  空は、良い。何も話さないし、何も感情を持たない。そこには「無」があるだけだ。何も考えずにいられる。いつだって、空は私の心のオアシスだ。  そんな私の癒しの空間を、壊す人物がいた。仕事仲間の、《秋山彼方|あきやまかなた》である。  彼は私の目の前へ来ると、さわやかな笑みを見せる。 「やっぱり、ここにいた」  私はいつもの作り笑いを浮かべ、彼に応える。彼の笑みは完璧すぎてどこか気味が悪い。何を考えているのか、いまいち読めないのだ。 「私に何の用?」  私は敢えて優しい声で言う。内心はプライベートに入ってきた彼にイライラしていたが、一応、彼を気遣ったのだ。  それが逆効果だったのか、彼は表情を少し強張らせる。もしかしたら、表情にイラつきが表れていたのかもしれない。私は感情が顔に出やすいらしいから。 「え、えっと、新曲、出来たから歌詞書いてほしくて」  彼が言いにくそうに言う。その様子が私のご機嫌をうかがっているように思えて、たまらなく腹が立った。  私の態度で相手の態度が変わるなんて、不快極まりない。私の機嫌なんて気にせず、自分の意思をはっきり伝えればいいだろう。 私はあからさま嫌そうな表情をし、彼に冷たく言い放った。 「仕事の話?ここでしなくてもいいじゃん。今、プライベート中なの。後にして」  しかし、彼はそんな私のつれない態度に臆さなかった。いつもはここで引き下がるのに、今日はまっすぐ私の瞳を見続けている。  私はそんな彼の瞳が苦手だ。いつだって真っ直ぐで、きらきらしていて、曇りがない。私にない輝きを持つ彼に見つめられると、自分が汚いものに思えてくる。  それなのに、彼は目をそらさず、真っ直ぐな瞳で私を見て言った。 「今の君の気持ちを歌詞にしてほしいんだ」 「は?」  私は彼の言葉に思わず首を傾げる。  今の気持ちを歌詞にしてほしい?今の気持ちってなんだ?  彼は私の疑問をくみ取ったように、言葉を続ける。 「君が今、街を見下ろして思ったことを書いてほしい」  彼の表情は真剣だった。  しかし、私は思わず空笑いを浮かべる。  私が街を見て思った事?それはつまり、街で生きる人間を見て思ったことを書け、というの?  そんなの、醜い言葉しか出てこない。何故ならば、私は人間が嫌いだから。人間嫌いの私が人間について書いたら、ひどいものになると想像できるだろう。 「あはは、何を期待しているのか知らないけど、歌詞にできるほど綺麗なものじゃないよ?」  私は彼に冷めた視線を送る。  綺麗な世界しか知らない彼にはきっと、この醜い気持ちは分からないだろう。  そう思っていたのに、彼はまるで私の返答を分かっていたかのように切ない表情で笑い頷いた。 「知っているよ。君が人間嫌いで、この世界を嫌っていること。だから、そんな君に、そんな君だから、書いてほしいんだ」  私は何も言わず彼を見つめる。そうして、彼の真意を探ろうとするもいまいちつかめなかった。分かりやすそうで分かりにくい。そんな彼が私は苦手だ。  彼はそんな私を知ってか知らずしてか、さらに言葉を続ける。 「この曲はね、僕が人間に失望して、この世界に絶望して、作った曲なんだ。だから、同じような気持ちを抱えているであろう君に、書いてほしくって。それで書いてもらうなら、その気持ちを強く感じている今がチャンスかなって思ったんだ」  私はしばらく、彼から視線をそらせなかった。  こんな綺麗な瞳を持つ彼が、失望や絶望を曲に?  私は俄かに信じがたく、彼の嘘を疑った。しかし、彼の様子からそれが嘘だとは思えない。 「今、僕が失望とか絶望を感じるなんて、信じられないって思ったでしょ」  私は図星をつかれて思わず目を丸くする。  そんな私に苦笑いをこぼすと、彼は私の隣へ歩いてきて街並みを見下ろした。その表情はどこか冷たく、少しゾッとする。 「僕はよくお気楽者に見られるけど、人並みに悩みは苦しみはある。それを表に出すと場の空気が悪くなるから、そういう負の感情を表に出さないだけ。僕が悩みを言っても、大体、本気にとられないしね。だから僕はいつも、ピエロを演じているんだ。言っちゃえば、皆が見ている僕は《ファンタジー》ってわけ」  彼はそう言いながら、口元に笑みを浮かべている。笑うことが癖になっているのだろうか。彼が自身のことを「ピエロ」という理由が分かる。  そんなことを思いながら、私はようやく彼を苦手としている理由がはっきりと分かった。  彼は、昔の私に似ているのだ。壊れる前の、私に。  そう気づいた瞬間、私は彼に親近感を抱いた。  彼も孤独に己を壊されそうな一人。誰にも理解されない自分に気付いてしまった、可哀想な人間。  私は彼に憐みの感情を抱きながらも、彼に微笑みながら言った。 「へぇ。あんたにも、そういう面があったとは驚きだ。ま、それを素直に吐き出せるあたり、まだ重症ではなさそうだけど」  私の軽い口調に、彼は口元から笑みを消す。 「君なら分かってくれると思ったからだよ。他の人にはこんなこと言わない」  彼の甘さに、私は心の中で苦笑いする。彼はまだ、本当に絶望していない。なぜなら、彼は私に弱さを見せられるのだから。  本当に絶望すると、何も信用できなくなる。私のように、自分の弱さを誰かに吐き出すなんて、出来なくなるのだ。  彼がまだ完全に壊れていないことに安心しつつ、率直な意見を彼に言う。 「でも、一人でも吐き出せる相手がいるっていうのはいいものさ。まだ、人間に希望を感じている証拠だね」  私の表情に、彼は私の方へと視線を向けた。その表情は悲しそうに見える。 「そうかな?それなら、僕にとっての希望は君なのかもしれない」  そう小さな声で言う彼は、今まで見たことがないくらい弱っていた。  私は元来、誰かの希望になれるような人間ではないのだが、今、彼を救ってあげられる人間は私しかいない。この機会を逃したら、彼は私と同じ道を辿る。  私は、彼からの依頼を引き受けることに決めた。もちろん、彼のためなどではない。壊れた私に、《誰かのため》なんて言葉はないのだ。すべては《自分のため》。世界を《壊す》ため。好奇心を満たすため。 「ふぅん。それなら、自分の都合の良いようにしか見ない人間共に、復讐するような歌詞を書いてあげよう。それがあんたのためになるかは知らないけど。それで良い?」  私は挑発的に言う。口角が自然と上がっているのが分かった。  彼はそんな私に、悲しそうな表情を一変させて、嬉しそうな笑顔を見せた。 「うん。君の言葉で、僕の世界を壊して」  私は彼の言葉に微笑む。  彼の今の世界を壊したら、彼は次にどんな世界を築くのだろう。  私は湧き出す好奇心を抑えつつ、彼とともに空の監視から姿を消した。
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