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 与吉は初陣ながら石見守政之の御首を取り返し、それだけではなく敵の兜首を挙げたことを主君長政に評価され、父源助や村山与助と大木長助も含めて小谷城に仕える事が許された。  ただ多賀常則は全てを辞退し、亡き政之の御霊を弔いたいと暇を乞い犬上へ退いた。  この時既に横山城は敵の手に落ち、木下藤吉郎の居城となっていた。また磯野員昌の佐和山城は丹羽長秀らによって囲まれており、落城は時間の問題であった。それでも長政は隙を見て兵糧を送るよう下知している。  そして八月になると摂津方面へその織田軍が行軍した。この行軍で信長は、木下藤吉郎が守る横山城へ滞在し労をねぎらった。  敵の大軍が間近に迫り小谷城には緊張が走る、長政はすぐさま越前へ援軍を乞い、朝倉義景は老将の山崎吉家を援軍に派兵したが幸いな事に戦闘は起きず緊張は解けた。  ところでこの山崎吉家は土木の才があり「この小谷城にはまだ心許ない所もある」と、連れてきた千の兵を使い北国脇往還を見下ろすことができる尾根に曲輪を築きはじめた。与吉たちに与えられた最初の仕事は、その小谷城の増強普請であった。  与吉と長助は奉行の指揮のもと土を運ぶ、掘っては運びまた別の場所に土を盛る。この繰り返しだ。若い二人にこの作業は単純すぎてつまらない。 「与吉よ、一体ここを掘ったり盛ったりしてどうなるのじゃ」  長助は思わず愚痴をこぼす。 「知らんわい。たぶん何か砦になるのではないか?」  与吉は推察する。しかしまあ埒が明かないことにはやる気が上がらないので、休憩時間に奉行へ尋ねることにした。  山崎長門守吉家は朝倉家で主に外交を担っていた。外交はそれまで一門の長老・朝倉宗滴が担っていたが、死後は宗滴に鍛えられた吉家が引き継いだ。  また加賀一向一揆との戦闘で鍛えられた勇猛さは、ここ近江でも聞こえるほどだ。  そんな猛将が目の前に居る、若い与吉たちは心が奮えた。 「何じゃ小倅共、遊んでおる暇は無いぞ」 「恐れながら、それがし浅井家家臣の藤堂与吉と申します。こちらは同輩の大木長助と申し、我ら殿より此度の普請を手伝うように命じられておりまする」 「しかしながら、我ら普請について知らぬことが多く、一体何を作っておるのかわからずじまいで」  与吉と長助は思い切って山崎吉家に聞いてみることにした。しかし彼の傍らに立つ若い男に遮られた。 「無礼者! 戯言はやめて早く持ち場へつけ!」 「ははは! 小七郎よ、そこまで言うこともあるまい。減るものでもないし、この城はまだ守りが薄い故、小倅共もこれから何度も駆り出されるであろう。その時こ奴らが浅井殿の役に立つのならそれで良い」  与吉たちは跪いて頭を下げた。  吉家は甥の小七郎を交え縄張り図を二人に見せた。二人は縄張り図というものを初めて見るので興味津々で、与吉は気になった事をどんどん質問する。吉家もはにかみながらその全てに対し的確に答えた。                 *  佐和山城を囲む陣に、先の合戦で功を成した桑山重晴が居た。彼は一度岐阜に戻っていたが此度、弟の市兵衛を伴い出陣していた。  しかし戦らしい戦も起きないと言うことで主の長秀は、 「佐和山城の磯野丹波を孤立させるために、この周辺の土豪共を調略しよう」  と決めた。  坂井直政は元々越前の国人だったが、故あって美濃の斎藤家や足利将軍家に仕えていた経歴を持つ。 だからか、近江から畿内には見知った顔が多いという。  桑山は早速坂井に頼み、顔見知りの近江国人三人を呼び出してもらった。 「犬上から大工の甲良左衛門殿、商人の林《次郎兵衛|じ ろ べ え》殿、そして山科から桜井林左衛門殿にございます」 「おいおい坂井よ、山科は関係無いではないか」 「まま、修理殿。全て物事は枝葉の如く連なっておるのです」 「まあ坂井がそこまで言うなら信ずるとしよう。で、三方は此方に従うという事で良いか」  三人を代表して林次郎右衛門が答える。 「はあ、大工も商人も、織田ならば更に儲けが増えるかと考えての事で」 「して桜井殿は。申し訳ないが山科方面は、丹羽の扱う所に非ず。何の役にも立たぬが」  桑山は自分より歳が上と見た山科住人にそう告げた。 「確かに桑山様の仰る通りにて、某も山科の事は何も申しませぬ。此度は坂井殿に犬上を知るならと、呼ばれましてな」 「桜井殿は犬上を纏めし頭領の類縁にございます」  聞くと桜井林左衛門と坂井は足利将軍家で見知った仲だという。 「そうか、では頭領について聞こう。甲良を治めし頭領は誰で、わしと話せる者か」 「藤堂越後守様にございます。されど病を得た後は婿の源助殿や一門の多賀新左衛門殿が差配をしております」  林次郎兵衛の言うことを聞き、桑山は面白いと思った。調略で一族の片方を丸め込むのは常套手段であるからだ。 「次郎兵衛殿、二人のうち最も早く会えるのはどちらになる」  岐阜に戻っている間、各地の暗雲を耳にしていた桑山は急いでいた。 「多賀新左衛門殿であれば、此方へ戻っておりますから今からでもどうでしょう。我らが案内致しますが」  重晴は「運が良い」と感じ急ぎ支度をすると、多賀新左衛門に会いに出た。  多賀新左衛門常則は藤堂村に隣接する下之郷村を領しているが、甲良だけに留まらず犬上の彼方此方に小さな屋敷を持っていた。  そして、ここ数日は多賀大社の近くにある屋敷で物思いに耽る日々を送っていた。  彼は六十が近づき頭髪に白い物が目立つ。与吉の父で次期藤堂家当主の源助虎高より五つ年上だ。彼は《吉|きち》左衛門と《勝|しょう》兵衛の二人の子を持ち、つい数年前に孫が出来た。そして姪が一人。つい先年まで甥も居た。  彼は姪の長男を殊の外可愛がり、元服の際は烏帽子親も務め己の名から一字を授けた。  それが与吉の兄藤堂源七郎高則であった。与吉に負けぬ大柄であったが、父譲りの頭脳を持ち聡明な若者であった。だからこそ、大河内城に於いて同じ様に可愛がっていた甥の新助良政と共に討死したのは堪えた。  沈痛の彼に様々な役目を与え立ち直らせたのが、浅井石見守政之である。 石見守は一見豪胆な男だが、非常に繊細な面があり一年弱という短い期間ではあるが互いに相談を交わし親しくなっていた。常則から見れば孫ほど離れていたが、石見守の底知れぬ器量を認め年下の兄として慕うまでになった。  だからこそ石見守の死は、彼の居場所を奪う事と同義であった。。   「新左衛門殿、御客人にござる」 「林左殿如何に。そは侍と見ゆるが、何処の者か」 「お初にお目にかかる。わしは織田方丹羽五郎左衛門が家臣、桑山修理と申す」    常則は実に驚いたがとりあえず部屋に通した。見るに自分より幾つか年下なのだろうか、怪訝そうな顔でこう言った。 「織田が者、何用か。戦の前にわざわざ挨拶か?」 「然に非ず、と言いたいが少しは合っている。我々は今佐和山城を囲んでおるが、少しでも早く落とす為、この犬上を貰いに来た」 「貰いに来た、とは面白いことを申される」 「左様、面白いことだ。城を落とすとき、城下の町家田畑を襲い焼き払い、刈田を行うのが常である。されども、これは落とした後元通りになるまで時間が掛かる。此度我らは城を落とした直後から、城下一帯を治める為にそれを行わない」 「まあ民百姓が何の害を被らずに、それまで通りの暮らしを送ることが出来るというのは理がある事だ」 「町を焼かぬから、佐和山の磯野丹波が敗れても町人商人は変わらず商売ができる。無駄な死人も出さず、城下を更に栄えさせる。我らも犬上の衆も悪いことではなかろう」  桑山は目の前の男は容易に丸め込める、と踏み更に迫った。 「どうやら多賀殿は話がわかる御仁と見た。では何故、我らが真っ先にこの多賀大社から連なる犬上を欲するか、解りますかな」 「それは今聞こうと思うてた所じゃ。ま、大方はわかる。京洛への道を確保する為に他ならぬ。浅井と手を結び一昨年、六角を滅した。されど此度浅井が離反し再度道が閉ざされた、だからこそ真っ先に閉ざされた道を確保したい。そういう事だろう」 「流石は多賀殿、その通りよ。ただもう一つある。峠だ」 「峠、とは」 「万が一に、横山城が落ち江美国境を敵に封鎖されたら、岐阜や尾張へ帰れぬ」 「峠で言えば、守山から伊勢に至る八風峠がある。大した問題とは思えぬが」 「否。八風峠が山崩れで閉ざされたら、野伏り共に封鎖されていたら、通り行くこと能わぬ。道は一つだけでは頼りない。道は何本でも確保しておいた方が良い」  多賀大社の奥を抜けると鞍掛峠がある。ここは北伊勢との国境であり、尾張にも近い。地味だが抑えるべき要所である。 「時に、新左衛門殿は仏教についてはどうかね」 「や、わしが信ずるは多賀の神々のみ。ああいう一揆の者共は忌み嫌っておる方だと思っている」 「それならば話が早い。今、北伊勢方面に暗雲がある。これは丹羽家中でも限られた者しか知らぬ事だが、新左衛門殿を見込み話そうと思う。どうも北畠に近い連中が、一向門徒共と連携を図っておるとの由」  常則は北畠、という言葉を聞くと目の色を変えた。桑山はそこを突く。 「見るに北畠とは何ぞ遺恨ありと」 「先年の大河内攻めで痛い目に遭いましてな。浅井が北畠や一向の連中と組むとしたら、わしは織田を選ぶ。奴らにこの多賀、甲良、犬上の地を踏ませてはならぬと」  桑山修理は微笑んだ。十二分に手応えあり、王手であると踏んだ。  常則は桑山の帰り際、気になっていた事を解消すべく問うた。 「桑山殿は何故に、わしに会おうと思われたか」  桑山が多賀の家名を聞いて、会いに来たと思っていたのだ。 「何故に、と。それは、そなたが此処に居たからに過ぎぬ。それ以外に理由はない」 「では此度、わしがもし居なかったら桑山殿はどうされるおつもりであった」 「此度そなたに会えなかったら、この土地は大工と商人の持ちたる地と成っておりましょうぞ」  桑山はそう言って笑った。常則の想像とは大きく異なる、単純な答えだった。    桑山が帰った後、常則は件の三人と夕食を食べながら様々話し合った。 「次郎兵衛たちはこれで良いのか」 「良いも何もお考えくだされ、佐和山城が落ちれば小谷との道は寸断され我らの商いに差し障りまする」 「まあそうだな」  甲良左衛門も桜井林左も同じという顔だ。 「そもそも我ら元は京極家にて」 「左様、浅井より京極の方が関わり深し。いま京極家の若君は織田が質。ともすれば、正統性は保たれましょう」  次郎兵衛の申すことに一理ある、常則はそう考えると次の様に続けた。 「町人や商人は、織田に与したほうがより儲けられるという事か」 「大工も同じく。各所に城屋敷を築く、これは大きな儲けの匂いあり。戦が終われば、荒れ果てた社などを再興する余裕が生まれ、我ら宮大工本来の働きができるという物にございます」  さすがは甲良左衛門だ。相当な説得力がある。  確かに信長の父信秀は、荒れ果てた伊勢の神宮に寄進をしたことで有名であり、多賀大社にも同様の寄進は期待できる。  それでも常則は気落ちしているだけあって、 「されどわしには統べる力はない」  と弱気に呟いた。  それに反応したのが三人のなかで一番年長で、常則とはあまり年の変わらない桜井林左衛門であった。 「何を仰る。越後守殿は既に病に臥せ、源助殿に与吉殿は小谷城。一門の太郎左衛門殿や駿河守殿に主馬殿は代官としては良いほうだが、上に立つ力は皆無。吉左衛門殿や勝兵衛殿しか頭領に適う者はおりませぬぞ」 「それか亡き新助殿の忘れ形見。ご幼少だが立てようと思えば立てられましょうが、何方にせよ名代として誰ぞ統べねば」  常則は林左と次郎兵衛に詰め寄られた。勝兵衛は越後守の養子で、順番で行くと藤堂家でも次男と言える。新助も養子で此方も順番で行くと三男と言える存在であったし、新助の父は常則の弟であった。 常則は言葉に詰まった。 まったくもって埒が明かない。  苛々する甲良左衛門は、徳利を呑み干すと思い切って切り出した。 「病身の越後守に代わり村を纏める事能うのは、其方しかおりませぬぞ新左衛門、いや、多賀伊予守殿! わしゃ、其方を豊後守様の生まれ変わりじゃと思うておる」 「多賀伊予守、ねえ」  常則は酔に身を任せ、深く考えた。  豊後守高忠は京極家の生まれだが多賀家へ養子に出された。そして成長すると文武両道の知識人として実家の京極家を支え、京都所司代を二度も務めた。  しかし争乱の時代、豊後守もご多分に漏れず一門の謀反により本領である甲良下之郷城を追われていまい、京へ退去。それからしばらくして病により六十年の生涯を終えた。  豊後守の一族たちは京極家や幕府の計らいにより高島に知行を得て、今も同地を領している。 甲良に残った残党の一人が興したのが伊予守家で、他にも下之郷を守った土佐守家などがあった。  
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