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 馬が去っていくのを見送るかのように、子供を連れた農夫が木陰に戻ってきた。 「おや、あの旦那さんは一足先にお帰りに?」 「ああ」と玄徳は応じて、「まあ、夕刻までには帰れるだろうさ。おお、坊主、蜻蛉捕まえたかい?」 「にげちゃった!」と子供は元気に答えた。 「はっはっは、逃げちまったか。蜻蛉もお父つぁんお母さんに会いてぇのさ。どれ、こっちに来てみなよ」  玄徳は子供を膝に乗せるとゆさゆさと身を揺らした。 「おお、結構重いじゃねえか! 大きくなって、お父つぁんに孝行してやんなよ」  農夫はにこやかにその様を見ている、が、やがて目を上げた。 「おや、殿様……」 「うん?」  玄徳も農夫の視線の先を見やり、そして表情を緩めた。畦道の向こうから駆けてくる二つの騎馬の男たちの姿。 「さあ、坊主、おじちゃんもそろそろ家に帰ぇる頃合いだ」と言いながら子供を立たせて父親に預けると、自分も立ち上がった。 「藁をありがとうよ、楽しませてもらったぜ」 「こちらこそ、息子に大層な馬を!」と農夫はにこやかに笑った。 「はっはっは!」と彼は快活に笑い、馬を引きながらゆるゆると畦道を進んだ。しばらく行くと二騎の男たちが走り寄り、彼を取り囲むように馬を止めた。 「玄徳殿!」と血相を変えて子龍が馬を降りる。「お怪我はございませんか?」 「へへ、そんなものがあるように見えるかい?」  憲和も馬を降りると、 「大ぇ変だ、親分、雲長兄貴からの伝言だ! なんでも劉平とかいう野郎が親分を狙って刺客を雇ったとか……」  玄徳はにっこりと笑って見せた。 「さすが雲長だなあ」とのんびり応じる。「で?」 「へぇ、国境を見回っている時に、劉平の屋敷の近くを通りかかったんで、変わりはねえか様子を見に行ったんだそうで。そしたら野郎、妙にそわそわしやがるんで、兄貴がちょいと問い詰めたら、ゲロしやがって」と憲和は早口で捲し立てた。「例の説客、ありゃぁ、間違ぇねえ、刺客でさぁ!」 「あぁ、知ってる」としれっと玄徳は頷いた。 「へぇ?」と憲和。子龍も同じく呆気に取られた。 「はい?」  二人は瞬き数回分ほど動きを固まらせ、次いで互いの顔を見合わせた。 「知ってるって、親分……!」 「捕らえなくては!」と子龍は叫んだ。「どちらへ逃げましたか?」  慌てる二人を後目に玄徳はのんびりと、 「なぁに言ってやがる。殺さねぇ刺客なんぞいるもんか。刺客は殺すから刺客、俺はこの通りピンピンしてるじゃねえか。だからアレは刺客なんかじゃねえよ!」 「そ、そうは行きませんっ!」と子龍が食い下がる。「必ずや縛して……!」 「その必要はねえって。……それよりも子龍さんよぉ、どうしたい……?」 「……?」  子龍は動きを止めた。憲和も驚いたように彼の顔をじっと見ている。 「は?」と彼は息を呑んだ。慌てていたのと、感情が激したのとで彼はだらだらと涙を垂らしていた。だがまだ本人はそれに気付いてはいない。 「泣くなって、ほれ、これやるから」玄徳は懐から先程作った藁の馬を取り出し、子龍の手にねじ込んだ。 「は? えぇ? 泣く?」  ようやく彼は自分の頬に幾筋もの涙が滴っている事に気付いた。が、まだ呆気に取られたまま、涙を拭うことも忘れて手にねじ込まれた藁の馬と玄徳とを見比べる。玄徳はもう一つ懐から出すと、 「そら、憲和、お前にも」と馬を手渡した。  憲和はそれを見て笑った。 「へへ、こいつぁ大した賜り物だぜ、なあ、子龍さん?」 「え? あの?」とまだ子龍は要領を得ない。 「親分、こいつぁ困ったぜ、子龍さんは藁のお馬じゃ不満みたいだぜ?」とその様子を見て憲和がからかう。 「えぇ? そうかそうか、じゃあ、こうしようぜ? 趙子龍は見事説客に変装した刺客からこの俺を守ってくれた、と、そういうことにしよう! 早速、伯珪に便りを出そうじゃねえか」 「そ、そのような……!」と子龍は叫んだ。「まったく…… まったく、あなたという方は!」 「えぇ?」と玄徳。 「心配したのですよ! 刺客とわかっていたのなら、どうして、どうして……!」  またもや感情が激したのか、彼は涙を溢れさせる。 「腹が立つやら、悔しいやら! どうして、あなたはご自身の身の安全を省みないのですか? どうしてわかっていながら、刺客と出歩いたりしたのですか? そもそも、いつ、あの男が刺客と気付いていたのですかっ?」  矢継ぎ早の子龍の問に玄徳は思わず気圧された。 「んん、ええと、最初から怪しいと……」 「でしたら、どうして私を頼ってくださらなかったのですかっ!」  どうやら子龍が怒っているのはその部分らしい。憲和はにやにやしながら玄徳に耳打ちした。 「こいつぁ親分が悪ぃぜ」 「黙ってろって」と玄徳は小声で憲和に返し、次いで子龍に向き直った。「……済まなかった」  子龍は無言で洟を啜り上げた。 「最初から気付いていたってぇのは、ちょいと違うかな…… あの男、まるで読めなかったんだよ。どんな悪い奴にだって、過去はある。でも、あいつにはその気配がなかったんだよ。だからといって、木の股から生える人間なんぞ、いやぁしねえ。……俺は奴に興味を持っちまった」 「……」 「そして奴も俺に興味を持った、だからすぐには殺らずに俺を観察した……」 「危ねぇ真似しやがる……」と憲和が呟いた。 「今日、畑に連れて来たのは、まあ、賭けみてぇなモンだ。奴の中になんとなく…… 俺と同じ匂いがある気がしたんだよ。……奴も俺と同じく農家の小倅だった。地味な畑いじりが嫌で家を飛び出したクチだとさ。……あいつはもう、人殺しなんぞしねぇと思う」 「……」  玄徳の言葉に子龍はだが、納得したようには見えなかった。玄徳はちらりと笑みを見せ、それから真顔になった。 「すまねえな、子龍さんよ。あいつがサラの真人間になるとは思っちゃいねえ。犯した罪は犯した罪だ、そいつぁわかっちゃいるけどよ…… でも……」  子龍はまだ不機嫌ながらようやく自分の目元を手の甲で拭った。 「救いたかったと、そう、おっしゃるのですか?」 「そんな大袈裟なもんじゃねえよ……」玄徳はちらりと苦笑を見せる。「すまねえ、本当にすまねえ。もうこんな真似は二度としねえよ。何かあったら、アンタにも相談するからさぁ、心配かけて済まなかった……」  子龍は小さく吐息を漏らした。 「子龍さんだけじゃねえよ、親分、アンタはわかっちゃいねえよ! アンタにもしものことがあっちゃぁ、俺たち、どうすりゃいいんだよ、全く!」と憲和も愚痴る。「まあ、わからねえでもねぇけどな…… 俺や益徳もアンタに救われたクチだからな……」  そんなことを言われてしまっては玄徳も照れ臭くなったようだ。ぼりぼりと懐を掻きむしると、 「ほれ、お天道さんも頭の真上だ。腹も減ったし、家に帰って何か食おうぜ、なぁ?」と言いながら馬に跨った。しおらしく家に帰る風を装われては流石に二人も馬に跨り、玄徳に続く外なかった。 終
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