フォントをダウンロード中
ページの左右でマウスを左クリックします。
または、 キーボードの左右の矢印キーを入力します。
ページ上で指先を左右になぞると、 前/次ページへ移動します。
メニューはページをタッチすると現れます。
× ヘルプを閉じる
 ろくな舗装がされていない景観は、裏を返せばライフラインが剥き出しということだ。  素人目にはただの悪路だが、少しの知識と技術を持ち合わせていればこれほど都合の良い狩り場もない。 「しっかし、何でまた使いもしない電話なんか持ってた。お前は出来ないんだろ? コレ」  率直な問いを投げると、ウィータは難しい顔で電気線の束を見る。太さも様々、どこから来てどこへ行くのかも分からない無機質な蛇を見るその目は、扱いきれないものを見るそれだ。 「姉ちゃんが仕事で使ってたんだ。日が暮れたらここまで持ってきて、ずっと電話を待ってた」 「……なるほど」  つまりは、そういう仕事だった訳だ。  自分で客を取りに行かないのは、表通りに近ければ縄張り争いが起きる事を知っているからだろう。だったら手取りが安くなるとしても、どこかに籍を置いて指名を待つ方がうまい。  それもまた、弱い立場の人間が取る手段としてはある意味正しい道だ。 「その間、お前は何してたんだ。まさかずっと傍にいた訳じゃないだろ?」 「うん、でも家にはいられなかった。姉ちゃんの仕事って、家でやるから」  脳裏を、さっき見た室内のベッドがよぎる。  スプリングも飛び出した、使い古しのベッド。それが、あの殺風景な部屋の中でやけに浮いて見えるとは思ったのだ。  しかし、理由を聞けば何ということはない。  あれは元から、身体を休めるための物ではなかったのだから。 「……あいつ。あのでかい男も、そうだと思ったんだ」 「刺青の? 客だったのか」 「初めは。でも、終わる頃に戻ってもまだ居て、何か姉ちゃんと言い合ってた」 「何かしら無茶を言ったんだろうな。女遊びの粋を分かってない馬鹿のやりそうなこった」 「それで、姉ちゃんを殴った」  ぎゅ、と。  服の裾を握りしめ、ウィータが絞り出すような声になった。 「生意気だとか、逆らうなとか。俺、その通りだと思った。あんな見るからにおっかなそうな奴、俺らみたいなのが立ち向かっちゃいけないって」 「――……」  その自嘲とも自虐とも取れる回顧を、俺がとやかく言うべきではない。  この時ばかりはそう判断して、続きを待つ。こうして手を組んでいたところで、俺たちの価値観がいかに違うかは分かりきった話だ。  俺は俺が経験したことでしか語れないし、この子供は彼自身が経験したことでしか想像できない。  それを責めるのも、宥めるのも、きっと今すべきことではなく、したところで俺の役目ではないはずだ。 「だけど姉ちゃんは違った。おっかないくらい諦めなかったんだ」  その証拠に、姉のことを語る時のウィータは驚くほど真摯な眼差しになる。顔も知らないその女性を、俺は素直に尊敬した。 「俺、自分が弱いんだって思った。強い奴に立ち向かっていくなんて、姉ちゃんが強いから出来るんだって。俺とは違うから、仕方ないって思って、震えてた」  ああ、きっとそれも正しい。  電気線を手繰りながら、俺は知らず頷いていた。  自分より強いものに守られることを、ただ受け入れる。それはそれで勇気がいる選択だと。 「後悔してるか、姉ちゃんを助けられなかったこと」 「……分かんない。あそこで俺があいつを刺したって、同じことは起きたと思うし。俺に何が出来たか、今も分かんないんだ」 「お前は正直だなあ」  きっとウィータの姉は、彼女なりに弟を守ろうと必死だったのだろう。そしてウィータは、そこで出しゃばらないことがある意味で一番良いと悟っていたのだろう。  だからこれは、この悲劇は、単に巡り合わせが悪かっただけだと。  そう思うから後は、そろそろ手を差し伸べる誰かが現れたって良いと思うのだ。 「よし、繋がった。一応ちょっと離れとけよ。久しぶりだから感電しないとも保証できない」 「う、うん」  ウィータが俺の背に隠れ、遠巻きに電話を眺める。  それを確認してから、電源を入れた。静まり返ったスラム街に、電話機がちりちりと電気を吸い上げる音が割って入るのは、ちょっとした音楽のようだ。  電話機の画面が明滅したと思うと、苔色の文字表示が現れる。電話帳なんて上等な機能はないらしく、いかにも前時代の遺物らしく通話機能だけに特化した代物だ。この潔さはある意味であの携帯端末にも見習ってほしい。  しかし、電話はくさっても電話。それも、この宇宙時代を生きる逸品だ。  例えスラム街の劣悪な電源だろうが、資料館に収蔵されかねない骨董品だろうが、使う人間が使えば、この通り。  支給のセキュリティコードを打ち込んで、盗聴対策を施せばいよいよ本題だ、というところまで漕ぎ付けて、ふと妙な考えが湧いた。 「……ウィータ、しっかり話を聞いとけよ。出来れば話の全体像を掴んでるくらいが望ましい」 「え? あ、分かった」  小さな頷きに、俺は少し笑いかけてやる。我ながらこれは奇策だと思うのだが、上手く嵌まってくれれば御の字だ。 「さーて、誰が一番良いかなっと。いやいや、ここはやっぱり」  出来るだけ声の大きい相手を思い浮かべて、選定を済ませたら二十四桁の数字を打ち込む。まどろっこしいのはやめだ、この際だし使えるものは全部使ってしまおう。  何を隠そう、平和主義者の俺だが、仕事の出鼻を挫かれて相当に鬱憤が溜まっていたのもまた真実だからだ。  * 『サジャ=ブラヴィノフ、聞こえているな? 私だ。今すぐ応答しろ!』  その入電は、彼が待ち侘びているというか、速やかに連絡を寄越すよう再三言ってもだんまりを決め込む同僚からのものではなかった。むしろ、それ以上に厄介な相手からと言っても差し支えなくて、サジャは相手から顔が見えないのを良いことに、盛大に眉根を寄せた。 「――嫌な予感しかしない」  ついでに、受話口に出ていないのを良いことに偽らざる本音も口にした。  しかし、速やかに応対しなければもっと嫌な展開になるのも目に見えていて、サジャは非情な現実に頭痛すら覚える。  大方、想像はついている。  先遣隊として〈末端衛星〉――五〇-Zに到着しているはずのマオ=カヴァニスが唐突に消息を断った件についてだ。いや、唐突というのは少し違うかもしれない。  訓練生時代から付き合いのあるサジャにとって、マオは隙あらば厄介事を拾い上げる天才だ。そんな歩く台風の目を、よりにもよって単独で〈末端衛星〉に送り込んだ。それだけの条件が揃って、何かが起きない訳が無い。  どうせ今回のことだって、上陸早々に現地の荒くれに身ぐるみを剥がれて文無し、何だったら携帯端末も奪われて途方に暮れているといったところだろう。  この程度の推測を、特殊な能力の持ち合わせが無くとも容易に想像できるのが、マオという青年の体質が秘める恐ろしさだ。  ただ、そこまで最悪の事態を想定していて尚、胸騒ぎが収まらない。その事が、通信機を取り上げるサジャの胸中に暗澹たるものを持ち込んでいた。 「はい、ブラヴィノフ――」 『マオ=カヴァニスから連絡はあったか? 無いな? 先に言ってしまうが、入電は諦めろ。あの馬鹿たれ、あれだけ注意したのに』 「端末を奪われたんですね? 分かりました、自分が現場に合流します」  はあ、と嘆息混じりに答える。上司の言葉を遮るように告げたのは、それ以上を聞きたくないという無言のサジャの抵抗だ。  無論、そんなものは悲しいほどに意味が無いのだが。 『待て待て、先走るんじゃない。頼むから、お前くらいは私の指示を――』 「あの馬鹿、他にまだ何かやらかしてるんですか?」 『残念ながら、盛大に。自力で連絡手段を確保した所までは褒めてやったのに、よりによってあの能天気は』  通信の向こう側では、上司が深い息を吐いている。  ここで注意を払わなければいけないのは、それが心労から来るものではなく、濃密な怒気によってであるという見極めだ。  ああ、あいつ死んだな、と。  その濃度を概算して、サジャの眼差しは遠くなった。  確かに青臭くて、たまに、否かなり頻繁に、底抜けの阿呆なんじゃないかと思うはた迷惑な同僚だった。しかし同時に、亡くすには惜しい人だった、くらいの社交辞令は口に出来る友人でもあったのだ。  それをまさか、本人の自業自得とは言え、自分より先に殉職するのを見送らなければならないとは―― 『来週末に予定していた、五〇-Zでの人身売買の一斉摘発、そいつを前倒しにする』 「は? 失礼、今何と?」 『お前にはカヴァニスと合流してもらうが、待機船に持ち込んだ装備レベルはいくつだ』 「レベル? 装備レベルは、ええと」 『現場ではD級を許可する。カヴァニスの申告では、奴は丸腰だ。お前の任務は、あれと合流して装備を補給した後、人身売買の主力組織を現行犯で制圧すること。カヴァニスに装備を渡すまでは大規模な交戦は避けろ。船を下りたら連絡手段は途絶えるが、何とか出来るな?』 「待ってください、摘発の前倒し?」  混乱というよりも、悪寒がサジャの背筋を這い上る。  五〇-Zで人身売買の摘発を行うのは、以前から決まっていたことだ。今回、マオが単独で赴いたのも、その準備にあたっての下見なのだから。  部署の中でも指折りで現場慣れしているマオとサジャが先遣隊として情報を収集するという内容だったが、サジャは良くも悪くも目立つ公用船と共に、二つ隣の星で待機している。  この摘発はそれだけ、全てを秘密裏に行う必要があった。  というのも、事前に露見するとまずい相手が、犯罪組織以外にもかなり近くで網を張っているからだ。その辺りの駆け引きは、サジャ一人にどうこう言える問題でもない。しかし、この通信の相手にとっては何より優先したい事項だとは知っていた。  そんな任務にあたって、サジャはいかにも民間人ではない雰囲気を垂れ流しやすい。彫りの深い容貌は人目を引くし、およそ事務仕事をしているようには見えない体つきをしている。その点では、人懐こい若者らしさが強いマオの方が、潜入捜査には適任だ。  そう判断しての割り振りが、どうしてこんな事になった。 『尚、この作戦に関する一切は他言無用だ。そして必ず今日中に片を付けろ。誰にも気取られるな』 「任務は請け負います。でも質問を一つ。どうしてそこまで切羽詰まってるんですか? 俺がただ奴を回収するんじゃ」  駄目ですか、と言いさして。  サジャは、受話口の向こうで膨れ上がる怒気に口を噤んだ。こういう時、自分の敏い勘はいっそ恨めしい。 『あの馬鹿、どこにどんな連絡を入れたと思う?』 「……さて、馬鹿の考えることはちょっと自分には」  誤魔化そうとしてももう遅い。  爆弾処理は導火線に点火するのが一番早い、というのがサジャの持論だったが、今回その先に繋がっていたのは地雷原だったようだ。 『上司命令で情報部に隠匿していた極秘の調査任務中に見つかりました、助けてくださいだと。そいつを、情報部の長官殿が嬉々として伝えてくれた』 「それはそれは」  ああ、あいつ来世も死んだなと。  通信を辞して、航路を設定すると、サジャは葬式に寄せる言葉を練り始めた。  *  通信を終えて、電気線から電話機を引っこ抜いていると、ウィータはおずおずといった風に口を開いた。 「ずいぶん、言ってたことが違うんじゃないの……? 任務とか、捕まったとか。ターミナルに通報してくれたのは助かるけど、今のじゃ嫌がらせか何かだと思われる。あそこ、そういうのしょっちゅうで気が立ってるんだ」 「ん? 通報?」  首を傾げそうになって、はたと気が付いた。  そういえばウィータには、肝心な部分の説明を省いたままだったのだ。 「ああいやいや、今の相手はターミナルじゃない。第一、連中じゃ何の足しにもならないだろ。明らかに荒事向きじゃない」  初めこそ、この〈末端衛星〉はそう捨てた星ではなかった。五〇‐Zという管理タグだって、単なる序列でしかなかったのだ。当時、最も後に開発され、最も中央の〈繭〉から遠い星、くらいの意味しか。  それが変貌したのは、悲しいかな完全に行政側の采配ミスだ。宇宙時代の黎明期とはいえ、ひっきりなしに開発を重ねるうち人手が物理的な限界を迎えてからはあっという間だったらしい。  公務員に憧れて就職したばかりの新人から次々に地方へ派遣され、彼らがまごついている隙に不届き者が乗り込んできた。それを押さえ込めるだけの権力も実力も持ち合わせていない雛たちはお手上げ状態に陥り、それを挽回する機会も訪れないまま今日に至る。  力関係はどちらが上かなんて、訓練生の例題にもならないだろう。 「それはそうだけど」  その証拠に、ウィータも渋い表情で頷いた。  表向きこそ法の代理人だが、現在のターミナルが何をしているかといえば、保身の一言に尽きる。荒くれ者たちがこれ以上に像長しないよう抑止策を練っている、と言えば聞こえは良いが、そこにスラム街で虐げられている住民たちの現在は織り込まれていない。  いかに傷口を広げないかばかりに執心して、傷薬を塗り忘れている。  その両立が難しいことは百も承知だが、今は置いておこう。  そもそも今回に関しては、その傷口が膿み始めていることを、俺は知っている。 「何事も、ちょっと頑張って手を伸ばしたら届く辺りがちょうど良い。目先の安物って長続きしねえんだよな」 「何の話か分かんないよ、マオ。それにさっき、全然姉ちゃんの話しなかったよね。うちに転がってる男のことだけで」  ややウィータの声が尖って、責める口調になる。  つまりは、無事に通話の一部始終を聞いたのだろう。第一関門は無事に突破した、と鼻歌が出そうになったところを堪えて、俺は彼に向き直った。 「姉ちゃんは助け出す、絶対だ。でもその前に、お前には知っておいてもらわないといけないっつーか、一番安全に事を済ますにはそれ以外ないっつーか」 「俺、馬鹿だから難しいこと分かんないよ。まとめて言って」 「くっそ、生意気な……」  これでも言葉は選んでいる方だ。  俺を尾行して来た件と、刺青男を退去させた件については、こうして電話機を融通してもらったことでチャラだ、不問でいい。  しかしそれはつまり、今現在の俺たちに貸し借りは無いということで、ここから先は俺がいたいけな子供を自分の仕事を巻き込むことになる。  その結果としてウィータは自分の姉を取り戻せるが、それが確実に遂行できるか、また見合う報酬かどうか。その自信が、俺には今ひとつ心許無い。  一応の保険として伏線は張りまくっているが、それが上手く行くより前に命の保証が―― 「姉ちゃんを助けられるなら良いよ。今度は俺、噛み付くだけじゃ足りないんだろ」 「ウィータ」 「マオの言ってること難しいけど、何が言いたいかは分かる。強いと思ってた奴が弱かったり、弱いと思ってた奴が強かったりしてた。俺も、俺が本当はどっちなのか知りたいと思ってる」  強い奴と弱い奴。どちらが誰を指しているかは、きっと俺の想像通りだろう。  それが見た目通りじゃないことを、ウィータは感じ取っていたらしい。見た目よりも、本人が思っているよりもずっと、こいつは聡い子供だ。 「一緒にやる。やれる事は全部やる。だから教えてマオ、俺、何をしたら――」 「ありがとな、ウィータ」  ふ、と顔に影が差したのを、ウィータはむしろ眩しそうに目を細める。 「そんじゃ遠慮なく」  それでも気丈に俺を見上げてくる子供に、俺は手の中の電話機を振りかぶった。
1
15
シリーズ一覧
感想を送る
作品を紹介
ブックマーク
しおりを挟む
作品情報
使い方
登録が完了しました!
確認事項
戻る
実行