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 識別タグ五〇-Z、俗称を〈末端衛星〉。その地下深くに、病巣は蔓延っている。  犯罪の見本市とまで揶揄されるこの星には、その名に違うことなく古今東西の犯罪が身を寄せ合っていた。しかし、そこにも歴然とした階層主義は残っていて、絶対君主のような顔でふんぞり返る一大組織というのがあった。  この星で生きていくなら、手堅い職業を見つけるよりも、その組織に属する方がよっぽど楽だとは、あながち間違いとも言い切れない噂だ。そうして着実に勢力を広げ、以前にも増して影響力を付けていく。  本来なら気の弱い若者をも取り込んでいく様は、まさに病原体に近いものがある。  そんな組織が腰を据える本拠地――人目に触れない、出入り口も一つきりの密閉された地下空間は、今日はいつになく大所帯だった。 「次、東地区。ノルマには達したのか」 「どうなんだ――おい、あいつは」 「見てないぞ。スラム街で女連れ込んでるとは聞いたが」 「ったく、色ぼけやがって。誰か居場所割り出して引きずって来い! 迎えの船まであと二時間もねえんだぞ!」  一際大きな怒号の後に、慌てた足音が複数、地上へ戻る。  その動きにも舌打ちをして、怒号の主――この組織を束ねる男は苛立たしげに、今まで座っていた椅子を蹴飛ばした。その派手な音に、この広い部屋の隅に集められた人影の塊は身を竦ませる。  その正体は、いずれも心細げに視線をさ迷わせる女たちだ。中には、子供と言うほかない少女も混ざっており、大きな物音や男たちの往来に泣き出す寸前だった。  その怯えを睥睨しても、頭目の男は溜飲が下がらない。 「特公の連中が嗅ぎ回ってるって噂もあるんだ。せめて今回の稼ぎが出ねえと、高飛びも出来やしねえ」 「一斉摘発、って本気っすかね? 現行犯で押さえる気でしょうけど」  傍らの男が相槌を打てば、頭目は懐から何かを取り出した。それは、反射防止の加工が施された黒い小箱のようで、投げ渡されたそれを受け取っても、札束より軽い程度だ。 「これが何か?」 「今朝、ターミナル地区の連中が撒き上げてきたらしい。特公の携帯端末だ」 「とっ……嘘でしょ」 「解析班にセキュリティを破らせようとしたが無理だった。うちの解析班がだぞ。そんな防御システム、連中以外に使う奴がいるか?」 「それはそうですけど」  特公――特別公安警察の名は、頭目の男にも薄ら寒いものを感じさせる。もちろん、犯罪に手を染めている時点で追われ逃れる関係だが、理由はそれだけではない。  頭目の男は過去に一度だけ、特公の人間と遭遇したことがあった。その男はいかにも人畜無害そうな雰囲気で、出会ったのも〈末端衛星〉より治安の良い星にある大衆酒場だ。  その日は仕事が予定よりもずっと上手くいって、機嫌が良かった。  部下にも適当に金をばら撒いてやって、自分は一人で酒場に入った頭目の男に、その男から声をかけてきたのだ。  初めは何ということはない世間話といった体で。  何だか嬉しそうですね、お仕事が上手くいったんですか、この不景気にうらやましい。  その治安の良い星で酒場に出入りするということは、確実に酒を嗜める年齢な訳だが、まるで子供のように目を輝かせて人の話を引き出す男だった。  頭目の男も、酒も手伝って気前良く話してやり、多少はその真相を零しもした。  ――俺はな、あの犯罪の見本市を牛耳ってるんだ  その、酔いに任せた自負を。 「へえ。その話、後は取調室で聞こうかな」  待っていましたとばかりに、男が。  握りこんでいたナイフと共に突き出された拳を避けたのは、ただの反射だった。犯した罪の数だけ、頭目の男も修羅場を渡ってきていたのだ。  その一撃で相手の正体を見破り、後は命からがらで逃走した。それが上手くいったのはただ奇跡だとか、運が良かっただとかの理由でしか説明できない。  男はその時、特公に目を付けられることの恐怖を、ようやく我が身に刻んだ。  それだけ特公は常軌を逸している。  今更、人の命を踏みにじることに感慨は湧かないが、特公だけは別だと。彼らと相対するくらいなら今すぐ命を投げ出したいくらいだと、頭目の男は身震いを堪えた。  部下の手前、これ以上の弱音は許されない。ただ、必要以上とも思えるくらいの注意が必要なのだと訓辞を垂れるつもりで、男は唇を噛み締めた。  それを察しているのかいないのか、部下の男は呑気に携帯端末を弄っている。 「はあ……でもまあ、少なくとも今日うろついてたっていうそいつは大したことなさそうですね」 「何でそう思う」 「だって、こうやってみすみす端末どころか身ぐるみ一式剥がされてるんですよ? いいとこ雑用で立ち寄ったような下っ端じゃないですか?」 「……それもそうだな」  確かに、少し過敏だったかもしれない。  ふ、と頭目の男が息を吐き出すのと、つい先刻、足音が消えた出入り口の方から一人が駆け戻ってくるのは殆ど同時だった。 「頭! 東地区で厄介な事に」 「何のザマだ、そりゃあ……」  弱音を振り払い、頭目は再び威圧的な雰囲気をまとう。息せき切って戻ってきた男はたじろいだが、自分の使命を果たすために踏みとどまった。 「東地区を預かってた奴が、スラム街のボロ部屋で伸びてたんですよ。それをどうも、こいつがやったみたいで」  一息にそこまで言い立てると、男はそれまで脇に抱えたままだった何かを床に下ろした。  その場に集まっていた構成員の眼差しが、ぴくりとも動かないそれに注がれる中、頭目の横に立っている男が唸る。 「何だ? 子供じゃねえか」  その一言を皮切りに、様子を見守る周囲もさざめきのように何事かを囁き合った。中には、報告に戻ってきた男を馬鹿にするような言葉も混ざる。  ただ、その中に異質な声が混ざった。  その声がした方を見た頭目は、その視線の先に一際震える女を見つける。その女がどんな経緯でやって来たかを思い出そうとして――隠せない喜色が、いかついその顔に貼りついた。 「おい、お前」  びくり、と。  いつの間にか近寄ってきた頭目に見下ろされ、その女は気丈にも視線を返した。その食い縛った唇と、震える肩がいよいよ男の嗜虐心を刺激する。 「こいつの知り合いだよな? お前、東地区のスラム街から運ばれてきただろう」 「――何が言いたいの」  女の返事は、怯えも媚びもない。それは長らく歯ごたえの無い女ばかりを相手にしてきた男にとって新鮮ではあったが、それよりもっと愉しめる趣向のことが頭の中を占めていた。 「いや、娼婦のルールを破った訳でもないのに妙な話だと思ってたんだよ。だが、これで疑問が解決した。なるほど、弟を庇ってここまで来たのか」  ぐい、と男の手が遠慮なく女の顎を掴む。苦しさに顔を歪める女を眺めて、ふいに頭目は笑みを深くした。 「見上げた愛情だな。大したもんだ、お前は解放してやるよ」 「え……」  男の表情とは対照的に、女は戸惑ったような声を上げる。そこに畳み掛けるように、頭目は言葉を継いだ。 「だが、お前の弟は駄目だ。姉ちゃん返して欲しさに一矢報いたってところだろうが、快進撃はここまでらしい」 「なっ、待ちなさいよ、その子は」 「関係なくないぞ、お嬢さん。うちの人間に手を出したんだ。まさかここまで来て無事に帰れると思ってたのか」  それは、おそらく女にとって最後通牒に近かっただろう。今まで一度も取り乱さなかった彼女が力無く首を横に振り、そして吠えた。 「――めて、やめて、やめなさいよ! 何が犯罪の大シンジケートよ、ただの馬鹿の集まりのくせして! 何様のつもりよ、誰の、誰の許しがあって弟に手を出すってのよ!」  聞くものの心を裂くような絶叫は、鈍い音で断ち切られる。  がくん、と男の拳に打ちすえられて、女の身体は力なく床に転がった。 「成る程、確かに気勢は立派だが、ちと生意気すぎる。どの道たいした値にはならなかったな」  せいぜい仕事前の良い余興にはなったが、と。  動けない女を足で転がすと、頭目は子供を連れてきた部下を肩越しに振り返った。 「おい、そのガキ連れて来い」 「へ……」 「この女の目の前で殺す。その後に手錠を解いて出してやれ。この星には二度と帰らねえんだ、放っといても怖くねえよ」 「は、はい」  頭目の視線に弾かれたように、男はもたもたと横たわる子供を抱え上げる。痩せ細った体躯が荷物のように運ばれるのを、女は置き上がれないまま悲痛な目で見ていた。 「だめ、だめ、嫌よ」 「姉思いの弟を持って幸せだったなあ。せめてその勇気に免じて、一発で済ませてやるよ」  懐から銃を抜きつつ、頭目はいっそ優しく言葉をかけた。  手の中で主張する重い金属。それが自分の生きる世界だと再確認できる、そういう瞬間は何度味わっても飽き足りない。  搾取される側ではなく、する側だという実感が、手の平から腕を伝って全身に漲るような。そんな充足感に鼻の穴を膨らませて、男は撃鉄を起こした。  定める照準は、項垂れるように下がった子供のこめかみだ。身体が崩れないように支えさせながら、後はこの指先に力を、込める、だけ―― 「……何の音だ」 「え?」  声は、男の口からだった。それは本当に無意識、いや第六感とでも言うべきもので、次の瞬間にはその正体に思い当たっていた。 「どうしてエレベーターが動いてる。今日は俺たちだけだろう」 「エレベーター?」  同じ言葉を繰り返すだけの部下に、男は怒鳴った。 「ターミナルに直結してるやつだ! 支払いの日でもねえのに、どうして『アイツ』がやってくる!」  ごうん、ごうん。  重々しい金属質の音は、次第に空間の天井を揺らして近付いてくる。  それが運ぶ中身を想像して、男は背筋に這い寄る嫌な予感に取り憑かれた。 「誰か、エレベーター見て来い。三人くらいだ、早く!」  男の切羽詰まった指示に、慌てて三人が部屋の奥へ消える。その手に拳銃があるのを確認しながら、男は苛々と足を慣らした。  出入り口は一つだが、その細い通路を突き当たれば二つの順路に行き着く。一つは北地区の酒場の裏路地から掘り進められた、開発当時の工事に使われた坑道で、組織の人間が使う。  しかしもう一つは全く異質だ。きちんと工事も済ませたエレベーターが、地上と地下とを一直線につないでおり、その先は男たちも滅多に出入りしない。使うのはもっぱら人目を忍んでここを訪れたい一人の我侭で、その来訪とていつも事前に知らされている。  つまり、予告のないエレベーターの駆動音は、男にとって緊急事態に等しかった。  中に乗っている人間が一人なら良い。  しかし、二人以上なら。  十中八九、厄介事に違いない、と男が息を呑んで、場も倣うように静まり返った。エレベーターから降りる人間の気配を逃すまいと、一秒たりと遅れまいと耳を澄ませる。  ――チン、と。  駆動音が止まり、軽やかな音が何者かの来訪を告げる。  その後に続いたのは。  銃声ではない。  かといって、耳が痛いほどの沈黙ではなく。 「おごっ……」 「ぎ……」 「てめっ……」  ちょうど三人分の、断末魔だった。  それで決まりだ。充分すぎる。  しかし、尚も男は彫像のように固まり、場は静まり返ったままだ。  そのため、一人分の足音が地面を踏みしめ、ゆっくりと、エレベーターよりもゆっくりと接近する音の一挙手一投足を、その場にいる全員が固唾を呑んで聞いていた。  そして、その旅路にも終わりは訪れる。  通路の暗がりから、足音の主は姿を現した。彼は、自分が注目されていることに気付くとやや面食らうような表情をしたが、名乗りを上げることに逡巡はしなかった。  「特別公安警察だ。そこのお前、銃を下ろせ」 「――!」  ぞろりと、頭目の背筋を撫でる悪寒。それは戦慄と呼べるようなものでもなく、純然たる恐怖の記憶、数年前の夜の再現だった。  しかし、その元凶を男が辿るよりも早く。  地下空間を照らす電灯管が、一瞬にして全て沈黙した。  *  話は少し遡る。  ターミナルに公用船を停留させると、サジャは二人分の装備を背負って下船した。突然現れた〈繭〉の人間に係員は目を白黒させたが、サジャが見せた身分証に泡を食って上官を呼びに行った。  その何ともとろい一挙一動にサジャは舌打ちを堪えきれない。  この星に足を運んだのは久しぶりだが、前にも増して治安が悪い。空気が澱んでいる。 「お待たせしました、ブラヴィノフ捜査官。私がこちらを預かっている――」 「能書きは結構。こちらは極秘任務ですので、時間を無駄にしたくない」  ややあってから、もたもたとした足取りでやって来たのは初老の男だった。  その名乗りを邪魔され、柔和なしわの刻まれた表情もさすがに強張るが、サジャの地位を頭から吹き飛ばすには至らなかったらしい。失礼しました、ともごもごと答えながら、気を取り直したように揉み手をする。 「それで、どのような御用件でしょうか? 定期報告でしたら洩れなく上げているかと」 「洩れなく? それは妙ですね」  ふ、と。端整な顔立ちの分だけ、サジャの表情は迫力を伴う。まるで作り物めいた凄みに射すくめられ、今度こそ初老の管理役は言葉を失った。  それはそれで、サジャにとっては都合が良い。回りくどく言葉尻を捕らえ、目的の言質を引き出すのは確かに彼の性に合っている。しかし、こういう急を要する場面では矢継ぎ早に畳み掛けたほうが良いのも経験上、承知していた。 「今日こうして俺が伺ったのはですね、管理役。このターミナルの地下空間の用途について不明瞭な報告しか回さない貴方に、犯罪組織との癒着の疑いがかかっているからなのですよ」 「は――」  男の顔から、血の気が失せる。音が聞こえなかったのが不思議なくらいだな、と無感動な感想を抱きながらも、サジャは続けた。 「貴方がこのターミナル地下に資料庫の建設を申請したのが四年前。勢いを増す犯罪組織に関する調査資料の保管が間に合わなくなったからという理由でした。ですが、こちらで使っている紙の量が特に変動した様子はない。ただ、やけに電力は消費なさってますね。ここまで来ると照明というよりは――空調かな」 「……っ、ええ、ここは星の位置そのものが太陽の当たりにくい場所で」 「まあ、ここよりよっぽど太陽から離れた星よりも消費電力が倍は多いっていうのは、いささか皆さんが贅沢をし過ぎているような気もしますが」  いいでしょう、と。  話題を切り上げるような口ぶりに、管理役が救われたような顔をする。それを、完璧な微笑で。 「麻薬栽培なさってますよね。分け前は四割ってところか」  叩き切るようなとどめに、管理役はがくりと膝をついた。  そういう芝居がかかった仕草に用はないのだが、これで自白は取れたに等しい。そう判断して、サジャは管理役の横を素通りした。 「あれ、捜査官殿。管理役でしたらそちらに」 「もう終わった。さっさと本題を済ませさせてもらうぞ」  高圧的な、というよりは彼本来の堂々とした物言いに、〈末端衛星〉に居を構え凶悪犯罪者たちを隣人にして長い係員は言葉を失う。  その棒立ちになった隙を突いて、サジャはターミナルの建物内に踏み込んだ。腐っても公の行政施設と言うべきか、最新の機器が忙しなく駆動音をがなり立てている空間で、サジャの目当ては一つしかない。  地上二階、地下八階。合計十階層分の施設と言う事は、エレベーターが必ず設置されている筈だ。サジャが〈繭〉で予め調べてきた建物の図面にも、その存在が明記されていた。しかし、仮にも表沙汰には出来ない『副業』が、そう素直に直結するものか。  その点も抜かりなく、ちょうどエレベーター一基分に相当しそうな不自然な隙間も、サジャはここに来るまでの航路で割り出していた。  そしてそれは正しかったのだろう。大股で闊歩していたサジャが、ある資料庫の扉の前で足を止めると、呆けていたはずの管理役の男が飛んできた。 「そちらは関係者以外の立ち入りをお断りしています! 決算資料でしたら二階に保存して」 「分からん男だな。こっちは査察じゃなくて捜査に来てるんだ。それとも令状の判子を拝みたいのか? いつも押してもらう方だからな」 「だとしても強引に過ぎる! そもそも、我々がこんな所に犯罪者の出入りを許していれば、今まで露見しないことの方が不自然だ! すなわち、この施設と犯罪者どもの関与は無い! 中央の捜査官だからと言って、これ以上は越権捜査で訴えるぞ!」 「たかだか地方公務員相手に、越権もクソもないと思うが……」  サジャが吐き捨てても、男の気勢が削がれる様子はない。その必死の形相が全てを物語っているようなものだが、これ以上は進ませまいという決意だけは固そうだった。  いよいよ舌打ちを我慢するのも馬鹿らしくなり、サジャは遠慮のない眼光を男に向けた。 「勘違いしているようだから説明して差し上げるが、こっちはお願いしてる訳じゃない。いかに犯罪者と結託して私腹を肥やすクソ役人とはいえ身内だから、口頭で命令してるんだ」  ざり、とサジャが床を踏みしめて詰め寄れば、男の禿げ上がった額から脂汗が滑り落ちる。それも無理からぬ話で、彼が今こうして対峙しているのは、捕り物に出張ってきた特公の現役捜査官なのだ。  役人とは言え、地方に飛ばされた文官風情が相対したことのない迫力を前に、男は一呼吸にすら命の危機を感じた。 「だからって、あまり可愛い駄々を捏ねるなよ。手元が狂いそうだ」  それがとどめだ。  男はゆっくりと、サジャの右手が腰に提げた黒いグリップ――もはやアナクロと言っても差し支えない銃に掛けられているところへ、濁った視線を滑らせた。  宇宙開発も頭打ちが近付き、ほとんどのシステムが電子回路に外注される現在にあっても、その効果は変わらない。  無重力空間の宇宙に、わざわざ重力制御装置を等しく配置し、例え〈末端衛星〉といえどもその点検を怠らない理由。それはひとえに、弾丸の威力を正しいままに射出させるためだ。  遠い過去の故郷と等しい重力の制限を受ける時、今や弾丸は最も人を脅しやすい。その記憶は当然、男の中にも既成概念として刷り込まれていた。  何故脅しやすいのか。  威力があるからだ。  重力があるからだ。 「俺を地下の秘密基地まで案内できるな? 管理役殿」 「――……」  かくん、と糸の切れた人形のように。項垂れた男は黙って、資料庫と掲げられた部屋の扉を枠ごと押した。  忙しない駆動音の中に、一際重々しいそれが加わると、部屋があるはずの空間から何か大きな塊が横へ滑ってくる。扉は単なるギミックに過ぎず、サジャにちらりと見えた扉の向こうは、部屋というよりは巨大な漆黒の吹き抜けだった。  その目の前へ扉と入れ替わりに滑り出てきた塊は、チン、と軽やかな音と共にその口を開ける。中は素っ気無い操作盤を青白い照明が照らしているだけで、サジャは思わず棺桶か何かを連想した。 「先に乗れ。操作は任せる」  サジャに顎で示され、男は無抵抗にエレベーターへ乗り込んだ。ちらりと扉が閉まる寸前に見えたのは、今まで知りもしなかったエレベーターの出現に右往左往する職員たちで、つくづく平和ボケしているとしか言いようがない。  この治安が最悪の星で、よくもそんな余裕があったものだが、サジャは男の操作する手元を観察するだけに留めた。  予定通り、現場への潜入には成功した。上司に指示された刻限ちょうどにマオと合流出来ると踏んで、後の首尾を想定する。  このエレベーターの行き先は、地下空間で間違いなく、そこがこの〈末端衛星〉を牛耳る犯罪組織の本拠地であることも確かだ。  そこからどうやってマオと合流するかに関しては不確定事項が多い。何せ、肝心の携帯端末を持ち歩いていないのだから、連絡が取れない。  互いに五体満足で合流した暁には、マオは開口一番に、上司の通信一本でここまで漕ぎ付けた自分を褒め称えるべきだ。半ば本気でそう思いながら、浮遊感と共に下降していたサジャ――その視界が不意に反転した。 「――!」  下手人は明らか、というか一人しかいない。  これまで背を向けていた男が、振り向き様にサジャの襟首を掴んでそのまま引き倒したのだった。明らかに素人の動きで、公務員が共通して受ける戦闘講習そのまま、といった腕前だ。それでも不意を突かれ、勝手に焦点をずらされた視点はサジャの判断を鈍らせる。 「この野郎、この野郎っ!」  悲鳴のような罵声とともに拳が降ってくるのを何とかやり過ごし、サジャは素早く身体を起こそうとする。しかし狭いエレベーターの中は、小柄な管理役ならともかく、一度倒れたサジャには身動きが取りづらい。  一発、まともに頭に食らい、視界が揺れた。続けてもう一発、今度は口の中に血の味が広がる。 「――っ、の、舐めるな!」  別段、この程度の反撃で沸点を突破するようなことはない。  しかし、どこまでも往生際の悪い男への苛立ちが勝って、サジャは圧し掛かる男の身体を足で強引に跳ね除けた。ごん、と小さな箱の中で吹き飛ばされ、呻く男は頭をしたたかに打ったらしい。  自分の父親くらいの男が転げ回っている様は苦々しく、落ち着いて立ち上がるサジャの口の中で、血の味と共に広がった。元々が左遷にも等しい〈末端衛星〉の管理役で、その職務すらも真っ当に果たせなかった男だ。この先、いいところ停職か免職が関の山だが、公務員というなけなしの自尊心まで傷付けられた末路は想像に難くない。 「つくづく、神経逆撫でしやがって……!」  ぎり、と奥歯を噛み締めるのは無意識だったか。しかし、互いに二撃目の機会は訪れなかった。 「――!」  エレベーターが動きを止める。一瞬、緊急停止かと身構えたサジャだったが、階数表示は確かに目的地と数字を掲げていた。  そして、扉の向こうには何かがいる。  派手な音だったからな、と体勢を低くしたサジャの頭からは、一切の雑念が削ぎ落とされた。思考は切り替わり、足元の男さえ意識の外へ追いやられる。  大規模な交戦は避けろ。  上司の命令だけが反響して、陸上競技の走者のように扉が開く瞬間を待った。  そして響く、チン、という音。それが合図だった。  扉が開いてまず、横並びに待ち受ける男たちは、その視線の高さに誰もいないことで戸惑ったらしい。一瞬の間を置いてから、全員の目が下がる。その頃には、弾丸のような鋭さで飛び出したサジャが、真ん中に立っていた男の胸倉を捉えていた。  たった先刻、自分がやられたことの意趣返しではないが、最小限の動きと速さで体躯を引き倒す。全体重が乗った一撃に、背中を打ち据えられた男は息を吐き出す出口を失ったように口を開閉した。 「おごっ……」  ようやく洩れた声も聞き逃さない。  その眉間へ駄目押しとばかりに拳を入れながら、サジャの目標は既に次へ移っている。  慌てたように左右の男が銃口の照準を定めようとするのを、素早く片方の男の懐に潜り込むことで盾にし躱す。  確かに組織の規模は大きいが、好戦的な体質ではない。  それが、ここへ来るまでに目を通した資料からサジャが下した判断だった。こうして対峙しても、銃の構えも素人同然で、今まで威嚇にしか使ってこなかったことが一目で分かる。  だから、こうして動く的や不意の攻撃に易々と動揺する。  仲間を撃つまいと一人が迷ったところで、サジャは二人目の首に腕を回し、絞め落としにかかった。こんな接近戦を拳銃を持っている相手に仕掛けられる時点で、その力量が窺える。 「ぎ……」 「てめっ……」  がくん、と男の膝が落ちかけたところで、最後の一人へ上段蹴りを放つ。言葉が形になる前に、安全靴で容赦なく脳を揺らされた男は涎を垂らして倒れ込んだ。  手応えが無さすぎる勝利を収めてから、サジャは現在地を検める。  男三人が横並びになって塞げる程度の通路が真っ直ぐ伸びているが、相当に長いのか行き先は真っ暗な闇だ。しかし、それより手前に横穴の気配もあり、頭に入れてきた図面通りの構造に、サジャはまた一つの関門を突破した実感を得た。  足元の男たちは暫く目を覚まさないという確信がある。エレベーターの中で倒れている男も、意識はあるようだが身動きは取れまい。 「そこで待ってろ。変な気を起こすなよ」  動けるはずはないが、そう念押して、サジャは通路を進んだ。  辺りは静か過ぎるほどで、確かに目的地へ近付いているはずなのに、人の気配を探り切れない。これ以上の迎撃も無いのか、といっそ拍子抜けだ。  今の乱闘だって聞こえていておかしくない、と通路を曲がれば、突き当たりに明かりの灯った開けた空間が見える。  しかし、足を踏み入れてすぐ蜂の巣、などという展開は御免だ。  素人と言っても火力は馬鹿に出来ない、とサジャの足取りも慎重になる。警戒は出来うる限り、一歩一歩を踏みしめるように進む行程も、終わりはすぐに訪れた。 「――――」  開けた空間、といっても窓一つない地下では閉塞感が強い。ここに長く閉じ込められればそれだけで気が滅入るだろう、と視線を走らせた時にサジャは分析を弾き出していた。  その場にいるのはほとんどが男で、明らかに悪いことに手を染めています、という素性が顔に出ている。その奥で女たちが身を寄せ合って、その傍で男が一人、この場で唯一と言えそうな少年を挟んで拳銃を構えていた。  その人相と、傍らの部下に子供を支えさせている力関係からサジャはすぐ、その男が頭目だと確信した。  その場にいる全員が一様にこちらを見据えて待ち構えていたのは面食らったが、武器を持っているのはその男一人だった。 「特別公安警察だ。そこのお前、銃を下ろせ」 「――!」  ひ、と声にもならない音を洩らしながら、男が表情を歪める。  何をそこまで怯えているのか、と訝しみながらも、サジャが距離を詰めようと一歩を踏み出した時だった。  視界が暗転し、何かが動いているかどうかさえ捉えられなくなる。  サジャは、また何者かの奇襲を想像してから、舌打ちを堪えきれなかった。  ――あのクソ爺!  エレベーターに残してきた男が、電源を落とした。そんな直感が、図面と一緒に見てきた配電図と共に駆け抜ける。  直に予備電源に切り替わるはずだが、それまでの空白がサジャには空恐ろしい。  地の利は向こうにあり、同じ暗闇でもその優位は変わらない。主犯格から銃を引き離すより先にこの展開を迎えてしまったことが、サジャにはどこまでも痛恨だった。  目が闇に慣れるまで、あと数秒。しかし、サジャは片目を瞑って次の変化に備えていた。  この状況で予備電源に切り替わった時、再び視界を潰されれば今度こそ致命的だろう。  最後の最後までやってくれる、と腰の得物に改めて手を掛けた、時だった。 「配達ご苦労さん。判子いるか?」  気配は目の前だ。  足音もなく、開けていたはずの前方を塞がれる。  それでも、サジャの心拍は次第に落ち着きを取り戻し、ふと吐いた息は普段の調子を取り戻していた。 「……一言目がそれか。一発目はお前に叩きこみたい気分だ」 「おっかねえこと言うなよ。お陰で迷わずに来れたろ?」 「どの口が」  およそ場にはそぐわない軽口を叩きながら、サジャは両方の目を瞑った。それを見計らったように、閉じた目蓋にも分かるほどの光量がまた室内に溢れ返る。  その変化に、自分の目が耐えうると判断してから。  目を開いたサジャの眼前は、さながら間違い探しのようだった。  ほとんどの男は、照明が落ちたことで呆けたような表情のまま。  怯える女たちは、一層身を寄せ合って顔を伏せている。  しかし最大の違いはと言えば、やはり『これ』に敵うものはあるまい。 「お前、何で……っ!」  引き攣れたような声で、頭目の男が呻く。その手に拳銃はなく、たった今まで照準を向けられていた子供は意識もしっかりした様子で、それを近くの女が当惑しながらも抱き締めていた。  その子供を支えていた男はと言えば。  サジャの目の前で、男に対しひらひらと手を振っている。 「部下の顔はちゃんと覚えておくこった。こうやってお巡りさんが紛れ込むかもしれねーかんな」 「てめえ!」 「サジャくん、こちらが密輸武器を不正使用した物的証拠です」  お納め下さい、とおどけて男――マオがサジャに差し出したのは、先ほどまで頭目の手の中にあった拳銃だ。  傷が目立ち、手に取れば重心の偏りが酷い、ただの粗悪品だ。実用性は低く、せいぜいが見た目のごついお守りといった程度だろう。  それでも、今や拳銃を所持していて良いのは宇宙広しと言えど特公の人間だけと決まっている。その条文は、〈宇宙条約〉に後から書き添えられた特別措置だが、その用途が治安維持と決まっている以上、誰も異論は唱えない。  だからこそ特公は、身内以外が拳銃を手にすることを断じて許す訳にはいかないのだ。 「確かに預かった。お前だと自分で使いかねないからな」 「そうそう、と言いたいところだけどもな。さすがにこんな室内じゃ撃ちませんて。跳弾こえーし、何よりこういうアナクロな現場は、これじゃねえと」  言うが早いか、マオは怒りと恐怖に震える男へ向き直る。その全身から力が抜け、一見してふざけているようにしか見えない。しかし、その実力を知るサジャにとっては、癪ではあるが頼もしい。 「それでは、お仕事と行きましょうや。ブラヴィノフ捜査官、礼状よろしく」 「言われなくても読んでやるよ――通達、〈宇宙条約〉第四十九条に基づき、特別公安警察の強制捜査を執行する」 「お前ら、たかが二人だろうが! 一斉に掛かって片付けろ!」  男が吠えると、硬直していた男たちに怒気が篭る。  女たちが悲鳴を上げるのも構わず、闖入者を排除しようと向かってきた。 「貴様らには人身売買取引の咎で礼状が出ている。大人しく頭の後ろで手を組んで、壁に向いて座れ。抵抗する場合は」  それでも、サジャの言葉は澱みない。  横合いから伸びてきた手は、その襟首を掴もうとしたが、叶わなかった。 「公務執行妨害で検挙対象だ。あまりお勧めしてはいないんだが、ところでお前ら意味は分かってるのか?」  丸太ほどありそうな太い腕に、マオの腕が絡み付く。そのまま、倍はある体躯の男を背負い落とすと、後に続こうとしていた男たちが下敷きになり一瞬で血の海になった。  何とか迎撃を免れた男たちも、その惨状に足踏みする。  マオは挑発するように笑い、サジャもふと表情を緩めると。 「捕まりたいなら掛かって来い、だ。命は大事にしろよ」  言葉の途中で向かってきた男を殴り倒した。
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