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「はい、ぶっ倒れて」 「え?」  俺の指示に、ウィータが薄目を開ける。反射で瞑っていた目は、恐る恐るといった風情で俺の手元に流れた。  電話機は寸止めの状態で、ウィータのこめかみに迫っている。その距離と何かしらの実感が湧いてか、すとんとウィータの腰が落ちた。 「び……っくりした」 「はは。悪かったな、驚かせて。でも要はこういう体でいくから。くれぐれも目を開けるなよ」 「どういうこと? ずっと寝たふりしてろってこと?」 「寝てる時よりぐったりしろ。俺がお前を仕留めたってことにして相手さんの本拠地に乗り込むんだから」  しれっと何でもないことのように言えば、ウィータの顔色が変わった。 「乗りっ、そ、そんな無茶する気かよ」 「言うほどの無茶じゃない。ちょーっと敵の懐に潜りこんで、ちょーっと待ち合わせするだけだから。俺一人でドンパチする訳じゃない」 「誰が来るんだよ……って、特公? さっき電話でちょっと言ってた」 「そうそう」  ちゃんと聞いてたな、と返しながら、俺は電話機を置いた。出来れば破壊されている方が徹底できて好ましいのだが、さすがに人の文字通りの商売道具にそこまでは出来ない。  代わりに、手近の泥水を掬ってきて、難しい顔をしているウィータの顔に塗りつけた。 「うわっ、何するんだよ」 「じっとしてろ。綺麗すぎると怪しまれるから、演出だ演出」 「演出?」 「そ。お前は、部屋で伸びてるあいつを相手取って、見事に本懐を果たしたって役どころだからな。多少の汚れは勲章ってことで」 「……マオは? 俺を囮にして、その後は?」  じっ、とウィータに見つめられると、僅かながら罪悪感が芽生えてきた。  それでも、姉を助けるためには何でもする、と言った彼の言葉を買うなら、ここで下手な気遣いは裏目に出るだろう。そんな直感があって、俺はウィータと視線を合わせる。 「安心しろ、お前を抱えていくのは俺だ。連中の仲間のふりして、お前を見つけたってことにして入り込む。お前がしなきゃならないのは、身動き一つせずに、俺に運ばれること。そしたら自然に姉ちゃんの近くまで行けるようにしてやる」  そこから後は、俺にとっても不確定要素が多い。先の電話でサジャとの合流を取り付けたは良いが、それがどの場面になることか。  疑われることなく、怪しまれることなくウィータを運ぶまでが第二関門で、これはそう難しくないはずだ。ウィータの部屋を占拠していた男の様子からして、連中はそう統率された集団ではないと踏んでいる。見知らぬ顔の一人や二人、潜入は容易いだろう。  だが問題はそこからだ。 「ただ、十中八九だが、敵のお頭は銃を持ってるはずだ。それは電話で聞いてたろ?」 「うん……」  ウィータの表情も曇り、そっと血の気の失せた唇を噛み締める。  俺が通信で手に入れた情報は、標的が根城にしている場所の確かな座標と、主な装備だ。連中が武器取引に手を出していないのは確認が取れたものの、護身用とばかりにお頭御自らが銃を携行している。かといって一丁きりの取引というのも不自然な話だから、自分で使うための銃を複数調達した上で、部下にばら撒いている可能性は捨てきれない。  潜入の段階で下手を踏まなければ交戦の心配はないが、いざ本番――捕り物に入ってからはそうも言っていられない。 「人身売買の取引期日は今日だからな、お頭と商品は同じ部屋にいると見ていいはずだ」 「じゃあ、すぐに姉ちゃんと会えるわけ?」 「会えるが、安全じゃない。俺の理想としちゃあ、安全圏にお前らを逃がしてから本題に入りたいんだけど、そりゃ多分無理だ。連中に商品を傷付けず場を切り抜けようなんて知性は期待できない」  犯罪集団の皆さんをそれとなく別室に誘導して確保、というのも考えないわけではないが、必ず一人は商品を人質にしようと考える輩が現れるだろう。  手近で、抵抗する力のなさそうな。  出来れば子供が望ましい。 「それで、俺」 「そうなる。状況が動いたら俺が合図を出すから、お前は姉ちゃんのところに駆け付けろ。そっからは多分、お前が人質に取られる展開だ」 「何すれば良い?」 「大人しくしてろ。そしたら――」  言葉を切って、ぐしゃぐしゃとウィータの頭をかき回す。  ごわごわとした髪が乱れると、貧相というほか無くなるが、何故かウィータは照れくさそうな顔をする。  ふと。  胸の奥を、何か切ないものが掠めた後で。  俺はにんまりと。  * 「マオッ!」  入り混じる悲鳴と怒号。  その中で、変声期を迎える前の子供特有の、きんきんとした声が意識に引っ掛かった。  振り向きざまに向かってくる男をいなして転ばせながら声のした方向を探せば、お頭に抱え上げられて、ウィータが出口へ連れ去られようとしていた。  この乱戦の中で隙をついた人攫いの手腕は見事だが、思わぬ連携にお頭は目を剥いている。完全に意識を失っているものとして刷り込まれていた子供が声を上げたせいだろう。  その動揺だけで、充分だ。 「よっしゃ、任せろ!」  手早く周囲の男を片付けて、男への距離を詰める。  こういう修羅場で、相手の動きがゆっくりと見えるなんて話があるが、俺にも覚えはある。そのお陰で、相手の男を観察することが出来た。  人工太陽に焼かれた痘痕顔に、腫れぼったい口元。じゃらじゃらと身に付けた貴金属は、値段は張るだろうがどうも下品だ。せっかくの筋肉も、ろくな鍛え方をしていないのか、はたまた薬の恩恵か、総じてハリボテのような印象を人に与える。  その濁った目が落ち着きなく動き回った後、向かってくる俺を捉えて血走った。 「く、来るな、来るなァっ!」 「おいおい、アタマ大丈夫か? いや駄目か、そういや薬もキメてるんだったな」  そんな相手に遅れを取るほど、仕事を舐めてはいない。  ――油断してみすみす逃した、三年前とは違う。  停電の瞬間から、恐ろしく自分が冷静なのを感じていた。どうしてウィータに手を貸したのか、どうしてこんな回りくどい手段を選んだのか。 「おい」  男が拳を振りかぶる。見かけ倒しの筋肉とは言え、大人の腕力なら当たれば痛いだろう。  それでも、子供を小脇に抱え、思うように動けない中で構えられた腕ほど、見切りやすい攻撃もない。 「今度は逃さないぜ、大人しく――」  何発と数えるのも面倒なほど繰り出される拳を避けながら、男との距離を詰める。後方でサジャが何か喚いているが、知ったことか。  ウィータは振り子のようにぶん回されながら、ぎゅっと目を瞑っていた。男に連れ出されそうになったら一度だけ騒いで、後は大人しくしていろ。指示通りに待っている素直さが、こんな場面で少し可笑しかった。  ああそうだ。何でこんなことを、なんて分かりきったこと。 「来るな、あ、あああっち行け、俺をおお追うなッ!」 「観念、しろっ!」  男の懐に潜り込み、そのハリボテのような胸板に手の平を這わせる。そこに俺はただ、全身の力を込めた。  俺の遠い昔々の先祖たちが使った、拳法とかいう類の武術だ。  きっと辺境の星でふんぞり返る悪党風情が使える訳がなければ、防御も出来ないだろう。そんな予想通り、心臓と肺に衝撃を受けた男は、身体中の酸素を奪われたような顔で息を詰まらせ、遅れて赤いものの混じる唾液を吐き散らした。 「うえ、汚い」  それを躱しながら、ウィータを回収する。目を閉じているのに素直に抱きついてくると、その顔が得意げに綻んだ。 「すっごいな、マオ。本当にやっちゃった」 「何だよ、疑ってたのか?」 「まあね。追い剥ぎに引っ掛かるような大人だし」 「生意気言うな。ちゃんと約束しただろうが」  男が膝から順に崩れ落ちていく。浜辺の砂の城みたいだ、なんて感想を呟きかけてから、俺はそれよりも優先すべきことを口にした。 「良い子にしてたら、助けてやるって」  スラム街での言葉を繰り返すと、無邪気な子供が首元に飛び付いて来た。 「おいこら、誘拐罪でしょっぴかれたいか」 「ぎゃっ」  遠慮のない罵倒と共に、尻に衝撃が来る。振り向けば、俺の尻を蹴り飛ばしたままの体勢で、サジャが鋭い眼光を向けてきていた。 「勝手に丸投げやがって。ガキ一人の救出で功労者ヅラか」 「う、わーお。ご機嫌斜めですか」 「当たり前だ」  舌打ち混じりにサジャが懐を探り始め、すわ撃たれるかと身構える。しかし、その手に取り出したのは煙草で、火を点けるが早いか渋面で紫煙をくゆらせ始めた。  その背中越しに様子を窺うと、室内の制圧は終了している。俺が頭目に飛びかかる際に片付けたのが三割ほど。残りの七割方が一ヵ所に積み上げられている光景は、性質の悪いトリックのようだ。 「その割りには、けっこう楽しんだみたいで」 「ちょうど鬱憤が溜まっててな。単独行動で連絡不能に陥る間抜けとか、天敵の部署に情報横流す阿呆とか、無茶な突入作戦に巻き込む馬鹿とかに付き合わされて、まったく今回は散々だった」 「……お疲れ様です」  いちいち刺さる物言いが、いかに相棒がご立腹かを物語っている。  同期かつ同い年ということもあって、付き合いはかなり長いが、ここまで怒らせたのはそう記憶にない。せいぜいが片手で足りる程度だが、かなりの上位に食い込んで来ているのは確かだ。  この状況では、あと一つ判断を間違えた瞬間に臍の穴が増えていても不思議じゃない。  しかも、その心当たりがあるのが後ろめたい。 「あー……、サジャくん、実はですね」 「ウィータ!」  その、一世一代の勇気を振り絞った言葉が、女の声が割って入り掻き消された。サジャを突き飛ばしかねない勢いで駆け寄ってきたその人は、しなやかな両腕を俺の方に広げてくる。  彼女がここでろくな目に遭わなかった事は、想像に難くなかった。ほっそりを通り越して肉感のない白い腕には青痣が点々と浮いていたし、俺の腕からウィータを受け取ると、そのまま崩れ落ちた。その悲壮な有様を跳ね除けて有り余る美貌なんていう都合の良い物も持ち合わせているようではないし、この程度の顔なら掃いて捨てるほどいるだろう。  そんな、何の特別でもないような女性が、強張ったまま抱きすくめられているウィータに。 「このっ……、悪ガキ!」  涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、そう繰り返すのを、俺は綺麗だと思った。ウィータも、呆けたような様子だったのが、次第に硬直が解れて、気が付けば年相応の泣き声で姉に縋り付いていた。  その様子をまじまじと眺めているのも無粋な話で、俺は黙ってその場から離れる。追うようにして並んだサジャは、相変わらずの渋面を引っ提げていた。 「確かに、上手くやったのは事実らしいな」 「そんな仏頂面で言われてもなー……褒められてる気がしないぜ」 「褒めてないんだ。勝手にリベンジマッチに付き合わされたんだからな」  ぎろり、と端整な顔が壮絶に凄んでくるので、俺は曖昧に笑って誤魔化す。俺がだんまりを決め込んだところで、聡いサジャなら勝手に汲んでくれるどころか。 「三年前だったか。お前があいつを逃がしたのって」  ――ご丁寧に、人の古傷を切開してくれるのだ。 「……ええ、まあ」 「あの時は笑って流しやがったくせに。意外に根深いな、お前は」  サジャの視線の先では、白目を剥いた頭目が伸びている。懐かしい顔と言えばそうだし、憎たらしい顔と言っても間違いではない。  向こうは向こうで、覚えていたようだし。  三年前か、と呟きを転がす。  相手が油断しているところを突けばすぐに終わる、と踏んでいた。白状するとも、見通しが甘かった。新人だった上に、連携するはずだったサジャは直前にリタイアしていたのにも関わらずだ。二人がかりの作戦を、一人で完遂するなんてぶち上げた。  結果は予想しうる限りで一番無様だった。  酒場に一人で無防備な標的に近付き、徐々に退路を潰す。犯罪取引に関わっていると言質が取れた時点で確保、のところまで追い詰めて、みすみす逃した。  街中を駆けずり回って、逃げ先の手がかりも掴めないまま幕切れだ。  ただ、それ以上に性質が悪かったのは。  俺が、それも仕方ないと。開き直ったことだ。  そのツケを支払うのが誰かなんて、考えもしなかった。  一体、何人が。こうして肉親と引き離され、身を裂くような悲しみに突き落とされるかなんて。  この、人の不幸で飯を食っているような男をのさばらせたせいで。この三年を、平穏に送れたかもしれない時間を奪われたのは、一体どれほど。  だからウィータから事情を聞き出した時、好機だと思った。三年前の借りを返せる、絶好の。  何より、姉を呼んで泣く子供の姿。  自分がしでかした失敗を、今更になって突きつけられた気がしていた。  かといって、そんな後悔を、事細かに語り聞かせてやる義理も権利も無い。だからと言って代わりと言う訳ではないが、俺はせいぜい茶目っ気たっぷりに笑いかける。 「自分のケツは自分で拭くって決めてるの。良い男だろ?」 「しつこい男はもてない」 「即答たぁ、さすが色男は意識が高えわ、ああ!?」 「みっともないから噛み付くなよ――ん、入電だ」  言外に黙れ、と告げられ、今度は俺が仏頂面を浮かべる番だった。  後から聞いた内容によれば、こちらに取引に向かっていた相手の密輸船も、サジャの手引きで張っていた摘発の網に引っ掛かり、この件はまさしく一つの解決を迎えたとのことだった。 「じゃあ帰るか。お前を待ってるやつだっている事だし」 「え、何だそれ初耳」  サジャがそんな事を言い出したのは、〈繭〉からの増援が到着して更に少しの時間が経ってからだった。  意識が戻ったばかりで、一様に足元の覚束ない男たちが連行されるのを眺めながら、相棒は何でもないことのように言う。その中にやたらと年を食った老人が混ざっていたが、それが共犯の悪徳役人だったのだろう。既に多くの女性たちは保護され、順を追って治療や故郷への送還が開始される手筈になっている。  その幕引きを眺めている、少しの達成感と充足感とに包まれているところで、思わず色めきたった俺にサジャは続ける。 「携帯端末の紛失、離反行為すれすれの単独行動、作戦内容の漏洩。その他諸々に関しても一つずつ始末書だろうな。事務作業が山となってお前を待ちわびてるだろうよ」  全く喜ばしくない待ち人に、舌打ちを我慢する理由はない。 「けっ、何だそりゃ、期待させるだけさせやがって!」 「よく甘い展開なんざ思い描けるもんだな。結果的に摘発が成功したから良かったとして、情報部に喋ったのだけは余計だったろ。作戦部との仲が険悪なのはお前だって――」 「あれ? 漏洩って、そっちのか?」  サジャの言葉を遮るように言ったのがまずかったのか。  いや、おそらくはどんな時を見計らったところで、まずかったろう。 「……そっち、てのは。一体どういう了見だ」 「あ、いや」 「その口ぶりだと何か? 他にも、情報漏洩の心当たりがあると?」  満場一致で美丈夫と評されるサジャの端整な顔が、壮絶な凄みを伴って殺気を孕む。  ああ、失敗した。どうも俺は最後の最後、肝心な詰めばかりを誤りやすい。 「いやね、そう大した話じゃない。そうだろ、だって情報部に作戦横流しする以上に厄介な水漏れなんて」 「いいからさっさと吐けや! お前の御託はロクな内容じゃないって決まってんだ」 「ひ、酷い言い草……」  わざとらしく顔を覆ってみるものの、やはりわざとであるからには通用しない。同期の中でも頭一つ抜き出た秀才を騙すなら、テロ組織の交渉役辺りにでもお願いするしかないだろう。  要は、この場で何とか誤魔化そうっていうのが無駄な行為だ。  それに事の転びようによっては、〈繭〉に戻ってからの口裏合わせに協力して――くれたら、御の字ってところか。 「いや、この作戦中にな、俺ってば不慮の事故でお前と連絡取れなくなったろ? お陰で土地勘もねえ星に放り出されて、もうどうにもならないって状況になったわけですよ」 「――……」  無言の睥睨が、自業自得だと雄弁に物語っている。  悲しいかな、否定できない。 「で、そういう時に有力な支援者となるのが、現地の人間というか、何というか」 「まさか、丸腰の子供を連れ回した挙句に現場まで同行させたなんていう、俺だって一度だけ想像して、やっぱり有り得ないって打ち消した想像が事実だなんて」 「言いますね、申し訳ない」  ない、を言い終わるよりも早く、首元を冷たい風が吹き抜ける。まずい、と思って咄嗟に腰を屈めると、先ほどまで俺の頭部があった辺りをサジャの肘鉄が、鋭く空を切って通過した。 「っぶね、殺す気か!」 「そのつもりだったわ! 長官にどう説明する気だ、あろう事か民間人、それも未成年に作戦筒抜けだったなんて始末書で済むか! つうか早く言え、あの子供をこのまま帰す訳に――」  おそらくは一瞬で沸点を突破し、そしてものの数秒でそれが鎮静されたのだろう。  は、としたような表情で、サジャは頭を庇うようにしてしゃがむ俺を見下ろした。そしてその顔が、すぐに苦々しげなものへと染まる。 「それが目的って訳か。お前、どこまで」 「いやあ、同僚を救うと思って! それに、そんな俺が入れ込みすぎみたいな解釈は違うぞ、全く以て違う」 「じゃあ何だって」  言うんだ、と苛立たしげに吐き捨てるサジャの剣幕は、確かに怒り心頭で殺意は満タンだし、隙あらばまた俺の脳髄を狙ってくるだろう。それでも、その主軸がもはや別の思考へと切り替わっているのは明らかだ。  目の前の問題をどう切り分けるか――どうしたら一番、穏便に済むのか。それを考えるのは俺よりもサジャの得意分野だった。  だから後はもう一押し。  何だかんだいって面倒見の良いこの男に、厄介事を背負い込ませるには、それだけでいい。そして、それを見つけるのは、サジャよりも俺の方が圧倒的に上手い。  * 『はいはい、情報部。番号を間違えてるんじゃないかい? 作戦部の流星、カヴァニス君』 『流星、って小っ恥ずかしいですね。そっちこそ人違いじゃないですか。何はともあれ、お久しぶりです、カダヴル長官』 『そんな畏まらないでよ。どうせ、これから無理難題吹っかけようってんだからさ。心証の良し悪しなんて些末な問題だよ?』 『お見通しですかー。でも、そんなに悪い話じゃないと思うんですけどね。いま俺、極秘任務で〈末端衛星〉にいるんです』 『……だと思った。ここのところ、どうもサエジマが大人しくて気味が悪かったんだ。ああそう、成る程ね。それで、その先って僕が拝聴していいようなコト? 察するに、情報部には絶対隠匿の、S級案件じゃないかなあ』 『ご明察。話が早くて助かる』 『何が目的? 言っておくけど、うちから大っぴらに援軍は出せないよ。情報部は君ら作戦部と違って、治安の維持が本分なんだ。座学でうんざりするほど叩きこまれたろ?』 『維持の為には、末端で辛酸舐めてる弱者は切り捨てっすか。相変わらず、無駄のない』 『そっちこそ手厳しいね。さすがに耳が痛いよ』 『褒めたんですよ? 作戦部が理屈抜きに突撃する、情報部がその帳尻合わせをする。それは何も作戦の後とは限らないってだけで、宇宙の平和を守りたいって志は同じじゃないですか』 『帳尻合わせ、ね……そこまでご理解頂けてるなら、ついでに説明の一つは賜りたいもんだ。いや、本当はサエジマにお願いするべきところなんだろうけど、あいつって俺に対してはやたらと口が重いんだよね。嫌われてるってのは勘違いじゃない?』 『紛うことなき事実かと。多分、今こうして長官に連絡を取っているって事も露見すると停職処分モノですね』 『それで?』 『口裏合わせにご協力頂けるなら、作戦部に一級の貸しを作る機会を。恐らく、当分は良い手綱になると思いますよ』 『――本当に、作戦部にしておくには惜しいくらいだな。俺を相手に、上等な交渉をしやがる』 『お気に召しませんでしたか?』 『まさか。それこそ、褒めたんだよ。良いぜ、乗った。そういう悪巧みは大好物だ。じゃ、話せ』 『はい。今回、作戦部が〈末端衛星〉の摘発に乗り出したのは、情報部が囲ってる情報が洩れたからです。具体的には、中央から左遷された役人が人身売買の組織と癒着して麻薬取引に力を貸しているっていう』 『ふうん。続けな』 『じゃあ、どうして情報部がこの件を伏せていたか? 簡単でしょう、そんな一大スキャンダルを公にする訳にはいかないからだ。特公撤廃論者にしてみれば格好の餌だってのは火を見るより明らかでしょうし。その上、幸か不幸か事が起きてるのは悪名高い〈末端衛星〉だ。特公全体の利益――つまりは宇宙の最大幸福を考えるなら、このままやり過ごして老いぼれた役人がくたばるのを待った方が割りを食うのは〈末端衛星〉近辺の人間だけで済む。結果、長らく地方役人の不正は黙認されて来たわけですよね』 『……そこまで掴んだから、動いたわけか、サエジマの奴。抜け目ないな』 『ええ。サエジマ長官は、先に隠匿したのは情報部の方だ、と糾弾する気でいます。その機に乗じて敵の首魁を挙げていれば、見過ごされた犯罪を一掃した正義の徒としての信用と、情報部に対する圧倒的な優位を手に入れられるのが今現在の青写真です』 『ただ、その全容が今こうして俺に開示されてしまった訳だが。さあ、そこから先は?』 『俺が任務中に、貴方に連絡を取ったことをサエジマ長官に伝えてください。計画が露見したことも含めて』 『良いの? 停職は免れないんじゃなかったっけ?』 『そこはそれ、俺って元々優等生ではないんで。それでですね、その時に俺は既に敵の本拠地に乗り込んでる、って体で話してもらえますか』 『……自分が本部に見捨てられない立ち位置と分かってて言うかよ、それを。君を回収しなきゃ戻れない作戦部としちゃ、文字通り引き返せない状況になるんだな』 『はい。本来なら一斉摘発のような大規模作戦には、作戦部と情報部の合議が必要ですから。その暗黙の了解を破って先行した作戦部としては、結果を出さなきゃ一方的な言質を与え続けることにもなりかねない。どうあれ、やるしかなくなるんですよ』 『全く、おっかないなあ。――でも、良いぜ、乗った。こっちに旨みがあるのは事実だし、俺個人は全面協力しよう。作戦部が独断で敢行した作戦中に、君が敵地に潜入して? そのまま窮地に陥ってるってのをサエジマに嫌味ったらしく伝えれば良いんだろ? その敵地ってのは分かってるわけ?』 『あーっと、やっぱりそこ聞きますよね……全く、見当が付いてるって程度で、潜入方法はこれから考えようかと』 『それじゃかなり無駄足食うだろうな。良いよ、面白い話に誘ってくれたお駄賃に、情報部秘蔵の座標を開示してくれてやろう』 『大した大盤振る舞いですね。情報の鬼が随分と丸くなったもので』 『よく言うよ。どうせ初めからそこまで見越してたくせに。しかも、まだやらかす魂胆だろ、君。つくづく敵には回したくない男だよ』 『何を仰るやら。敵も何も元から俺たち、宇宙平和の志を同じくする大事な仲間じゃないですか』 『……全く。この先ずっとそうであることを願うよ』  *  ウィータは、自分を取り巻く動きの目まぐるしさに、瞬きさえ忘れそうだった。  ターミナルに近付くだけで自分を追い払い、偉そうに踏ん反り返っていた役人の男が肩を落として連行され、あんなにも恐怖の象徴だった人攫いの手練たちが、抵抗らしい抵抗も見せずに移送船へ乗り込む。  この汚泥のこびりついた〈末端衛星〉で、そんな犯罪組織の一つや二つが検挙されたところで大した意味はないだろう。じきにまた何事も無かったように犯罪と汚職が我が物顔でのさばるのは目に見えている。  それでも今、目の前では確かに、ウィータの世界に清浄な空気を取り込むための、尊い風穴が空けられたのだ。  その驚きは、ウィータ一人のものではない。ずっと彼の肩を抱きながら、姉もどこか手品でも見せられているような面持ちで、成り行きを見守っている。彼女と一緒に誘拐の危機に遭っていた者たちは殆どが自分の住まいへと帰って行った。それは何も不思議な話ではなく、それだけの時間が経過したという意味だ。  ウィータがこうしてターミナルから立ち去らないのは、一人の男の姿を探しているからだった。最後に見たのは地下の密輸港で、姉との再会を喜んでいる間にどこへともなく姿を消していた。あの時やって来たのが、どうやら彼の仲間で自分たちを助けてくれる人間だという事は遅れながら理解しているものの、ウィータとて事の全容を把握している訳ではない。  ただ確かに分かるのは、じきに彼はこの星ではない何処かへ旅立つだろうということだ。 だから、せめてもう一度。本当は何度言っても足りない言葉を、もう一度だけ告げたくて、ウィータは彼を待っている。それに付き合う姉も、この一件でかなりの疲労を強いられたはずだが、律儀にターミナルを見据えていた。  群青の革コートに、稲穂のような頭髪。  その僅かな特徴を逃すまいと、ターミナルを出入りする人間を見続けていた二人は、背後から声を掛けられるまで、その男の登場に気付かなかった。 「失礼。ウィータ、という少年は君で合っているか」 「マオ……?」  男に名を呼ばれ、ウィータの声は期待で上ずった。  しかし、振り返った視線の先に立っていたのは、どこか疲れきったような佇まいながらも飄然とした面持ちの男だった。それは、およそマオという男には似ても似つかない容姿だったが、唯一その革コートだけは同じ意匠のものだ。  彼が、密輸港に後から登場した男だと気付いたのは、姉の方が早かった。 「助けていただいて、ありがとうございました。本当に何とお礼を言っていいか……」 「いえ、俺は仕事ですから。ということは、貴女が彼の姉でよろしい訳だ」 「はい。その、私たち……」 「マオは? 俺、マオにもう一度会わなきゃ。兄ちゃん、マオの仲間だろ? もう一回で良いから、マオに会わせてよ」  懇願とも言えるウィータの形相に、男の疲労感が増す。 「そうしたいのはやまやまだが……申し訳ない、先にこちらの謝罪と要請を聞いて頂けますか。二人とも、同様に」 「要請?」  男の言葉に、ウィータの姉が表情を曇らせる。それは、力の強いモノに命令され続けてきた事への憤りや不安を隠さない、純然たる警戒だ。  それを、男は穏やかに首を横に振って否定した。 「というのは建前で、本当は菓子折りの一つでも持参して頭を下げるべきなんだが……事が事だけに、あまり時間を掛けていられないのも事実でしてね。単刀直入に申し上げるが、我々と一緒に〈繭〉まで同行して頂けますか。絶対に外せない私物などがあるなら、取りに戻るだけの時間は融通できます」 「待って、同行っていうのは犯罪者として? 確かに娼婦としてあこぎな商売はしたけれど、弟は関係ないわ」 「姉ちゃん」  毅然とした姉の返事に、彼女の身体で覆い隠すようにされながらウィータは声を上げた。  それではまた姉と引き離される。この際、犯罪者扱いでも良いから、一緒にいたい。その決意を口にしようとして、それを遮ったのは男の深い嘆息だった。 「どちらかと言えば、用があるのは弟さんの方でして。ウィータ、君には機密漏洩の関係者として嫌疑を掛けなきゃいけない」 「き、機密……?」  思わぬ方向から引き合いに出され、上げかけた声は尻すぼみになる。思わず、一層強く姉に抱き込まれながら、ウィータは揺れる瞳で男を見上げた。 「俺、捕まるの?」 「させないわ、絶対に」 「――くそ、俺はてめえのケツ拭き係か」  三者のそれぞれの声が洩れて、場は一時静まり返る。依然として移送船を核とした人々の往来は激しいが、不自然なほどにこの三人の取り合わせに注目する者はいない。  まるで、そのやり取りを目撃することが不利になるかのようだ。  例えば、流れ聞こえる会話の内容も、年若い姉弟の姿も無かったことにするようにと、指示があったかのような。 「……失礼。言葉が足りないのは承知だが、こちらも身内の恥だからな。あまり大声で言えた話じゃない」  ごほん、と咳払いをしてから、男は再び切り出す。  この場にはいない男への悪態を詫びたのだろう。その潔さに、マオとは違った側面でウィータは羨望を覚えた。 「ウィータ、君が貸してくれた電話機のお陰で、作戦を終了する事が出来た。多大な協力を、改めて感謝する。マオの馬鹿からは暫く無理だが、まずは俺から礼を言わせてくれ」 「え……あ、うん……」 「ただ、その時に君がマオの横で聞いていた話の内容は、曲がりなりにも特公の極秘任務だ。それを一般市民に聞かれた、っていうのはマオにとっても君にとっても良い話じゃない。それは分かってもらえるか?」 「特公……? マオが?」  そうだ、と頷いて、男はウィータの姉に向き直る。マオが特公ということは、自然とこの男も同じ類の人間だと意味しており、彼女は静かに表情を強張らせた。  特公とは本来、そういう存在だ。科学の叡智を尽くして久しいこの時世に銃火器を取り回し、凶悪な犯罪者に対して常に抑止力たるということは。  それが例え多くの平和を救うことだとしても、強すぎる権力は人に恐怖に近い畏怖を抱かせる。特に、犯罪の温床としてそれらが日常の景色と化しつつあった〈末端衛星〉においては、彼らの死神としての一面が大きく取り上げられるのも仕方のない話だった。  その視線を、いたって冷静に受け止めながら男は頭を下げた。 「親族であるあなたには、謝罪のしようもない。大事な弟をこんな面倒に巻き込んだ。件のマオ=カヴァニスについては、追々で説明をするしかないんだが……今回、あなた達に同行してもらいたいのは、その詫びを兼ねての事だと言ったら、納得してもらえるか?」 「……よく、話が見えないことには変わりないです。でも、私たちに誠意を以て話してくれたことには応えます。謝罪と感謝であるなら、少なくとも痛い思いをする事は無いでしょうし――ここより寝心地が良いのは間違いないでしょう?」 「理解に感謝を。自宅に戻る時間は必要ですか?」 「いいえ、特に。私財と言えるような持ち合わせも――」  ウィータの頭上で、姉と男は言葉を交わす。どこか遠いところで通じ合ったような二人の言葉から意識を切り離したウィータは、ふと移送船に吸い寄せられるように視線を向けた。  こうして大人数を運ぶことに特化した船は、宇宙空間を航海するための堅牢な外装も相まって、さながら口を開けた怪獣のような様相だ。その口のような搬入路から、これもまた舌のように伸びた灰色のタラップは、悄然と肩を落とす犯罪者一味を呑みこみ、気忙しく確認作業に追われる革コートを吐き出す。  その、ちょうど舌の根とも言えそうな搬入口に背をもたれさせて。  こちらを見下ろす人影に、ウィータは思わず姉の手を振り解きそうになった。  それを思いとどまったのは、その人影がそっと口元に指を立てて見せたからだ。その仕草が、どうしようもなくこの距離を縮められないことを物語る。とうていウィータに理解の及ぶ話ではないが、今すぐ駆け寄って礼を言うことは出来ない事情があるのだと悟らせるには充分すぎるほど。  それがウィータの胸を貫いて、力無く立ち尽くす以外のことを忘れさせた。  初めは、誰でも良いからと縋った相手だった。少し見ない顔だったから、利用しやすいんじゃないかと。姉を救い出せた後には、身ぐるみを剥いでも構わないと。  そう思っていた相手に、言葉に尽きのないほど救われたと。  気付いたのに、伝えられないのだ。  それを理解して、それでも伝えたくて、ようやくウィータは『それ』に思い当たった。  ある男が、彼に約束したのだ。 『良い子にしてたら、助けてやる』  それは言葉通りに一度、守られた。  だから、少年はその返礼に。  とびきりの笑顔を、選んだ。  その子供らしい晴れやかな表情に、人影も僅かに相好を崩した気配がして。  稲穂の色の髪を翻しながら、群青色は鋼鉄の獣に呑み込まれて消えた。
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