フォントをダウンロード中
ページの左右でマウスを左クリックします。
または、 キーボードの左右の矢印キーを入力します。
ページ上で指先を左右になぞると、 前/次ページへ移動します。
メニューはページをタッチすると現れます。
× ヘルプを閉じる
 ——そう言えば、他人のために動いたのっていつ以来だろう。  酩酊状態のまま、青梅桜子はそんなことを考える。迫り来るセダン、キョトンとした男の子、チカチカと点滅する青信号。  火事場の馬鹿力というものなのか、桜子の足はいつになく速くアスファルトの地面を蹴り、男の子の元へと到達する。そして力のかぎり強く押した。  ——ああ、ごめんね。  何をされたか分かっていない顔の男の子は、次の瞬間、自分を押した女性の体がセダン車に派手に跳ね飛ばされ、地面に激突する光景を目の当たりにすることになる。  ——慣れないことをするもんじゃないや。  跳ね飛ばされてもまだ少しは意識があった桜子は、もうじき自分の命が尽きることを悟った。頭が割れて、肋骨は肺に刺さり、背骨は砕けてもまだ意識がある。しかし、風前の灯である桜子の命は、もう間もなく尽きようとしていた。  ——かわいそうに。  男の子が可哀想だった。助かったのはいいものの、ショッキングな場面を見てしまっている。トラウマにならなければいいのだが。  ——次生まれてくるときは、ちゃんとした人生だといいな。  桜子は最悪の一日を思い返す。  W大学政経学部卒業、そして就職先なし。臆病な性格が災いしてか、就活は面接で失敗を繰り返し全滅。絶望の中、日本武道館で開かれる卒業式に出席したのち、帰り道で昼間からファミレスで酒を浴びるように飲み、午後四時ごろ店を出た直後のことだった。  小学三年生くらいの男の子が青信号の横断歩道を手をあげて渡っていた。  それだけなら何ら興味をそそられなかっただろう。ウー、と鳴るパトカーのサイレン音に桜子は振り向き、一瞬で状況を理解した。  パトカーに追われているセダン車が、赤信号を無視してものすごい速度で迫ってきていることに。  目の前の男の子がやっとそれに気づき、足を止めた。止まっちゃあダメだ。桜子は走り出した。  走り出した桜子は、男の子を突き飛ばし、無事手から着地したのを見届けた後、信号無視のセダン車に跳ねられ、死亡した。 ☆ 「可哀想に」  上から降ってくるような女の美声。桜子はふと、自分が無事立っていることに気づいた。地平線の果てまで青い透き通るような空と、白い地面以外何もない空間に、たった一人で立っていた。  桜子の体は無事だった。どこも怪我をしていない。頭は割れていないし、肋骨も背骨も折れていない。 「ここは、どこ?」  桜子は誰に問うでもなく、独言する。  すると、光り輝く玉がふわりと桜子の前に現れ、白い地面に落ちる。  そこに現れたのは、目が三つ、腕が六本ある美女だった。下着のような衣を纏い、宙に浮いている。  その目は金色に妖しく煌めき、長いすらりとした足を組む。 「あなたの行い、私はこの目で見ていましたよ。酒に溺れながらも、他者を救うため、自らの命を顧みず行った善行。自らの人生に絶望しながらも、他者の人生の希望の灯を消させまいとする思い。私は大変、感じ入りました」  すっ、と美女は頭を下げる。  ——いやいや、頭を下げられるようなことはしていない。助けたのは事実だが、それは桜子が自らの意思に基づいて……たとえ酒に酔っていたとしても、行ったことだ。それを外様にとやかく言われるのは、どうにも腰が据わらない話だ。 「大したことじゃないよ。あのときは必死だったわけだし」 「そうですか……あなたは謙遜なさるのですね」 「謙遜? 違うよ、あのとき後悔しない選択をしただけ。私の人生は後悔の連続だったから」  思えば、生まれてきたこと自体後悔したことは幾度となく、金持ちの家に生まれながらも親の愛情を受けたことは一度もなく、なまじっか女のくせに頭が回ったため幼稚園から受験戦争に参加させられたものだ。  ——そして、トドメの就活地獄。社会に出るのはこんなにも難しいことなのか、と痛感した、皮肉にも成績だけは優秀だった私。  親にはなじられ、大学からは見捨てられ、友人たちの輪に加わることも許されず、人生最後の最悪の日を迎えたあのとき。  ——ああ、後悔しているさ。もっと早く楽になっておけばよかった、とね。 「でも、あの男の子が助かったんなら、あれは後悔しない選択だったって胸を張れる。それだけで私の人生は意味があるものだったんだ」 「では、あなたはこの世に未練はないのですね?」 「未練、か。ないわけじゃないけれど、あるとも言えないね」 「なるほど。では、最後に一つ。私はあなたを次の輪廻に迎え入れようと思います。しかしながら、今のあなたを無為無策に放り込んでも、同じ結末を招くだけ。ならば、あなたの善行と思いに免じて、私の加護を授けましょう。思い浮かべなさい、希望の未来を。私の加護はあなたの思いに応え、その力を才能として授けましょう」 「加護……才能……?」  ——希望の未来か。それは悪くない、見たことも聞いたこともなかった。  ——さて、私の希望は——。 ☆   星降る夜に産まれた子は、《大魔道師|マグナス・マギ》の運命とある。  今まさに、一人の赤子が産声を上げんとしていた。  夜空を埋め尽くす流星群は、まるでその赤子を祝福するかのように瞬き、散っていく。  イライラとした様子の髭を生やした初老の男性は、長いローブを引きずりながら、廊下を行ったり来たりしていた。その側には初老の男性の息子と思しき、少壮の男性が立っている。 「父上、少しは落ち着かれてはいかがですか。まだ声も聞こえてきていませんよ」 「分かっておる! そうだ、外の様子はどうだった!?」 「見事な流星雨です。きっと、産まれる子を祝福しているに違いありません」 「そうか、そうか! まだかのう、早う将来の《大魔道師|マグナス・マギ》の顔を見たいのう!」 「落ち着いて鏡でもご覧になっていればいいのではありませんか」  少壮の男性は嘆息した。  何せ、ここユーファリア連合王国一の《大魔道師|マグナス・マギ》が、孫の顔を見たいがためにうろうろと息子の妻の寝室前の廊下を何百回と往復しているのだ。寝室の中では、産婆や医師、侍女たちが懸命に息子の妻の腹から子が産まれるのを見守っている。  対して、少壮の男性は、何と言うべきか、自分よりも落ち着きのない実父を目の前で見ているため、逆に落ち着いていられた。あとは、母子ともに健康に産まれてくれるのを祈るばかりだ。  そのときだった。  おぎゃあ。  人間が産まれて初めて発する声が聞こえた。二人は顔を見合わせ、寝室に駆け込む。 「産まれたのか!?」 「産まれたんだな!?」  そこには、へその緒を切り取られたばかりの赤子が、浅い湯船に浸けられ、体を清められている姿があった。  少壮の男性の妻は非常に疲れた表情をし、肩で息をしている。少壮の男性は妻の元へ駆け寄る。初老の老人は産まれてきた孫の元に駆け寄る。 「頑張ったな!」 「よう産まれた、儂の孫よ!」  産婆から強引に首の座らない赤子を取り上げた老人は、おぎゃあ、おぎゃあと泣く赤子を高く掲げ、その右手の甲に星のような痣があるのを見つけた。 「おおっ! やはりこの子は将来の《大魔道師|マグナス・マギ》だ! 星に祝福された子よ! よくぞ産まれてきた!」  今度は産婆に強引に赤子を奪い返され、赤子は無事母の元へと引き渡された。 「本当だ……星の痣がある」  少壮の男性は信じられないものを見たような目で、赤子の顔と手を交互に見る。可愛らしい女の子だ。こんなに小さな命が、星の祝福を受けて《大魔道師|マグナス・マギ》になる運命を背負っているとは、赤子の父親としてとてもそうは思えなかったのだろう。  赤子は間も無く泣き止み、母の胸の中でスヤスヤと眠りについた。  赤子の命名は、祖父と父親がその日一晩寝ずに考えた結果、エレインと名付けられることとなった。  大陸歴一七八〇年、十二月七日。エレイン・ディクスンはこの世に生を享けた。 ☆  ——信じられない。  ——血だまりから出てきたと思ったら、息ができるようになり、精一杯喚きながらお湯に浸けられ、体を洗われていた。  ——私、青梅桜子は、赤ん坊になっていた。  何かを叫んでいる祖父と思しき老人に高い高いされたと思ったら、母と思しき女性にぽいっと渡された。  ——何だか、とても眠い。  ——母の腕に抱かれるなんて、何年振りだろうか。物心ついたころには、自分で何でもできるようになりなさいと言われ、母に抱っこを要求しようものなら打たれた記憶がある。  ——今思えば、とんでもない母だったな、あれは。父も父で、普通の父親がやるような肩車など一度もやってもらったことはなかった。金に困ったことはなかったが、愛情に飢えていたな、私。  ——やはり、眠気が凄まじい。意識を保つので精一杯だ。  ——母乳を飲まされ、満腹になったせいもあってか、今なら一秒で眠れる自信がある。  ——そう言えば、あの青空と白い空間にいた六本腕の美女が言っていたな。次の輪廻に迎え入れる、とか何とか。そうか、私は生まれ変わったのか。きっと加護とやらのおかげもあって、青梅桜子の記憶と意識があるに違いない。  そこまで推察して、赤ん坊の桜子は眠りについた。  おそらく今世初の夢を見つつ。 ☆ 「青梅桜子」  ——まただ。青い空と地平線まで白い地面。そして六本腕の美女の美声。 「気分はどうですか?」 「悪くはないよ」 「ならばよかった。これよりあなたは、元の世界と異なる世界での人生を歩むこととなります。あなたの思い描いた希望、魔法の世界です。そこであなたは魔道師として大成するでしょう」 「保証付きなんだね。それは有り難いけど、どうしてそこまでしてくれるの?」 「言ったでしょう、あなたの善行に感じ入った、と。今のご時世、他人のために命を懸けられる人間はそうはいません。それに、あなたの人生には希望がなかった。誤解しないように、希望というのは他者から与えられるものです。あなたは自らの希望こそあれ、他者から希望を分け与えられることがない運命にあったのです」  ——なんて人生だったんだ。  桜子は嘆息する。  ——笑えるくらい、馬鹿な人生だった。最後の最後で善行を積めたのは幸い、そして救いが与えられたというわけか。 「救いなどと大層なものではありません」  ——心が読まれた。何だ、筒抜けということか? 「私は神の一柱に過ぎず、この目はすべてを見通せるわけではありません。青梅桜子、あなたはこれからエレイン・ディクスンという人生を歩みます。あなたに与えた加護は、才能は、きっとあなたの人生の役に立つはずです」  ——そりゃあ、ありがたい。  桜子は頭を下げた。 「ありがとうございます。馬鹿な私を救ってくれて」 「礼は必要ありません。では、今世ではあなたにとって楽しい人生となることを、天より見守っています」  美女は六本の腕をそれぞれ対で組み、金色の目を妖しく光らせる。  桜子の視界は白い光で包まれた。
1
15
シリーズ一覧
感想を送る
作品を紹介
ブックマーク
しおりを挟む
作品情報
使い方
登録が完了しました!
確認事項
戻る
実行