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とある神社、その軒下。 僕はそこに逢着し、雨止みを待っていた。 羅生門ほど廃れてないが、境遇だってきっと下人ほどじゃない。 それでも心は、あの下人と同じくらい、終わっていた。 そんな、ある雨の日の出来事。 少女がそこに、立っていた。 年は多分変わらない、高二とか高一くらい。 ”その日は雨が降っていた” 少女は、消え入りそうな儚さを纏っていた。 今日ここで、人生を終わらせてしまおうかとでも考えていそうな、終末感が滲んでいた。 きっと、なにか辛いことでもあったのだ。 その程度のことくらいしか、他人の僕には想像できないが。 『お互い、大変だな』って勝手に共感したりして。 ''雨粒の起こす波紋は、二人の心の揺らぎを象徴している” 少女は、僕より少し離れた所に座った。 びしょ濡れで、小刻みに肩が震えていた。 透明色をしたその横顔は、この雨模様と静かに溶け合う。 ガラス細工に、純水を伝わせた時の艶めきが、鈍く、照らす。 少女に宿った、今すぐ握り潰せそうなひとひらの哀愁を、たまらなく愛おしいと思った。 俯いて、涙目で、みっともない姿は、誰に見せられたものでもない…そう思って、彼女は距離を開けたんだと思う。 目を逸らしたのは、横に在る、映し鏡に気づきたくないから。 ”雨音は高鳴り、音の壁が2人を、目に見えない境界へと閉じ込めた” どこにも、行けない気がした。 イヤホン越しの米津玄師だって、大声でそう訴えている。 ”どこへもいけなくて” 曇天、灰の空を突き抜けた先にはきっと、透明な青空が広がっている。 やがて雨は止む、灰の空は明け、青空は必ず、また地上を照らす希望になる。 けど、彼女にもそれは…降り注ぐだろうか。 けど、僕にもそれは…降り注ぐのだろうか。 幸せばかり、降ればいい。 豪雨みたいに、受け止めきれないくらいの幸福が、いつまでもいつまでも、降り続ければいいのに。 降ってくるのは憂鬱ばかり、厚い雲がそれに蓋をして。 憂鬱を詰めた瓶の中に、僕らは居る。 こんな屈折した気持ちで、心の晴れは来ないと思った。 諦観が、埃のように心を覆えば、灰色の、あの雲と同じ色の埃で、心臓は灰になる。 僕もそうだし、彼女もそうだ。 そう思うと、今ここで一人悩み続けても、助からないところまで来てるんじゃないか…不安になって、怖くて。 ならせめて、あの少女、助からないかな。 道連れとは全然違う、彼女が沈もうと僕には全く、関与してないことで、関係無い。 僕が終わってしまうのもきっと同じで、勝手に沈んだ僕は自業自得の責任を、自らの手で精算するだけのことだ。 二人が、お互いを助け合うことに、義務や責任は無い。 それでも、寒そうで、瞳は今にも死に絶えそうな呼吸をしている。 そんな彼女を、このままにして見過ごすことは、道連れとも同義の罪を負うことに思えた。 一滴の勇気を心に落とし、優しい言葉を選んで並べる。 「雨、憂鬱だね。」 そう言って、乾いたタオルを投げた。 少女目掛けて飛んだそれは、無意味な挙動ではためいて、虫の羽のような浮遊をしながら、彼女の肩に舞い降りた。 少女は、タオルの存在に、一瞬遅れて気がつくと、蝶が肩に乗ったことを喜ぶような純朴さで、浅く、あどけない表情で笑う。 その一瞬だけでも僕は、自分の心の中身を白馬の王子にすり替えることを許された気がした。 しかし僕には、重すぎる肩書きだ。 「うん、憂鬱だ。」 暗い仮面を半分取り戻して、彼女は応える。 表情を覆うように、真っ先にタオルで頭を拭く姿を、見ないようにした。 「憂鬱な日は…堪える。」 「そう…かもね。けど、それがいいとも思えませんか。」 思えない…と、いつもの僕ならそう一蹴しているところだ。 それでも、草陰にチラつく尾を追いたくなるような気持ちが、彼女の言葉の続きに飛びつく。 「と言うと?」 「雨が、肯定してくれている気がする。 こうやって、うじうじと悩んでいる自分。それは、雨の日でなくてもさして変わらない。 晴れでも雨でも、私は悩んでばかり。 だから雨は免罪符になる、悩む自分を正当化できる。」 苦しげな本音は、分かる気がした。 雨が降ってると皆、落ち込む。それに紛れて、自分が落ち込んでいたって何ら不思議ない。 それは、雨のせいだから…そう言い聞かせて。 雨が、損な憎まれ役を買ってくれる。 そんな優しい雨を、心から憎むことが出来ない。 彼女の言い分を、そう解釈した。 でも…そうか、この人は。 雨、嫌いじゃないのか。そうとも言ってないか。 「雨、好きなの?」 僕は嫌いだ。晴れ以外はみんな嫌いだ。 曇り空が憂鬱で、降ってくる雨は濡れるし寒いし、偶に吹く風なんか雨とのコンビネーションが異常に良くてムカつく。 いい事なんてひとつとしてない…僕は、そう思うのに。 あんな、僕より悲愴な顔をしていた彼女の方が、この雨のことを好いているなんて、信じられなかった。 「ううん、嫌い。」 やっぱ、そうだよな。 安堵の気持ちが、全身に充満する。 何故…安堵? 理由は分かっていたが、分からないふりをしようとする。 少女はそんな僕を、淡いハイライトの灯った目をタオルの奥からのぞかせて、近寄ることも無く、遠巻きにして見ていた。 若干の親しみが篭もったその目に浮かれていいものか、縮まない距離をもどかしく思うべきか。 揺れている僕はわかりやすいようで、彼女は答えるべきか、迷っているようで。 半端な距離感をどう縮めることもなく、自分を制し、大人しい態度をした。 彼女は安堵のため息をついた。 何故安堵したのか、こっちの方はわかりやすい。 「なんか、あったの。」 知り合いみたいな口調で聞いた。 赤の他人に、そんなこと話せるのかとも思ったし、赤の他人だからこそ、気兼ねなくその内容を、案外すんなり打ち明けるかもとも思った。 返答待ちの僕は、自分のずるさに浸っていた。 「ないよ、なんにもない。」 捉えかねた…本当に、何にもないのに落ち込んでいるのなら、おかしい事だ。 だから、何かがあったんだろうって、僕は勝手に思っていた。 その論法で彼女の言葉を捉え直すなら、 『何かはあるのに、他人に話せるような内容じゃない、嘘をついて誤魔化した。』 それが自然だ。 自然だから、僕だってそれに、納得してなきゃおかしいくらい、真っ当な理由。 なのに僕は、少女の言葉を嘘と捉えることが出来なかった。 何も無いのに落ち込んでいるという論を、根拠も無く支持している自分がいた。 「そっか… 。」 そう言った後、沈黙に黙らされそうになった。 重すぎる…通りすがりが気づいていい事じゃない気がした。 「僕、雨好きだよ。」 自分でも驚くことを口にする。雨が好きなんてお前…一度でも思ったことあんのか。 いつかの自分に問いかけてみても…そんな記憶は微塵も残ってない。 なのに、雨が好きなんて、口にしたのが不可思議で、混乱していた。 次の言葉も僕だった。まるで他人が喋っているかのように口が滑る。 少女の表情は、怖くて見れなかった。 「だって、さっき君も言ってたけど、許される感じがするから。 こんな、クソッタレな雨の日なら、馬鹿なことやったって、何やったって、壮絶な雨音は全部かき消してくれそうで、雨粒が洗い流してくれそうでさ…君と、ほとんど同じ。」 的外れで、何一つ、少女の言葉とは噛み合わない発言だった。僕は、笑っていた。 あんまり突飛もない発言するものだから、自分で自分が可笑しくなった。 ふと、少女の方を向いてしまう。 意外なことに…少女もそこで、笑っていた。 クスクスと、温かい笑みを零し、肩を震わせ笑っていた。 「全然、違うね。君と私、全然違う。 噛み合ってないのに…可笑しいね。こんなにも、似ている気がするよ。」 少し、明るさを取り戻した彼女は、タオルを肩に持ってきて、顔を顕にした。 そして、遠方から、耳打ちするようなボリュームで、何かを言っている。 その口の形の移り変わりは、1カットずつに割られながら、頭の中でスクリーンのように、縦向きに流れていく。 ”あ め は き ら い” ”は れ も き ら い” ”み ん な き ら い” 雨は嫌い、晴れも嫌い、みんな嫌い…僕と違うのは、晴れすらも呪ってしまっていること。 ”で も ね” 声のない、無音の上映が続く。 数秒の記憶から彼女の声を脳内再生。 アテレコみたいに喋らせて、彼女の訴えをより丁寧に咀嚼し、吟味する。 ”で も ね” ”せ か い は こ ん な に” ”う つ く し い” 文言の矛盾は、気にならなかった。 ”そんな世界を恨む自分が…汚い” って。 怯えた目をしていたから、そんな言葉を裏返しに含んでいたことを、あまりに容易に悟れた。 そんな、穢れのない、レンゲソウみたいな彼女に、羨望のような気持ちが湧く。 ─なんて、純真な子なんだろう。 諦めちまえばいいのに、世界を恨む自分を悔いるのなんて。 僕らの歳くらいのやつなんて、皆そんなのばっかりだろう。 周りとの境遇に、才能に、優劣に。 打ちひしがれて、自殺する奴だって沢山いる、こんな世界で。 汚れのない自分を望んで、泣く人─。 その在り方は、美しい物だと、信じた。 少女の忍耐に、賛美を、送りたかった。 彼女に、そんな彼女自身が抱いた崇高な意志を、諦めて欲しくないと思った。 世界が、恨めしい。 雨も、恨めしい。晴れも、曇りも、恨めしくて。 そんな世界で、恨めなくなるものってなんだろう。こんな憂鬱な世界で、一体何を愛せばいいのだろう。 雨空って、憂鬱な世界の体現みたいな所がある。 いい気分になれない世界を、分かりやすくする。 つまり、彼女が日頃見てる世界と、ここはある程度同じ境界に立つ場所なのだと言えないか。 彼女の心には、常に雨が降っているんだ。 それが晴れることはなくて、だから何を受け入れたりすることも出来ない。 彼女の目線が今、この雨という一時でのみ、大勢の人間との世界を共有していてくれるなら。 なら、憂鬱な世界を笑って受け入れた人を、僕は少し真似てやろうと思う。 青々とした晴れ空を、強く心に象る人を。 ジーン・ケリー…彼のように、上手くない。 きっと不細工な踊りになる。 舞台は廃れかけの神社で…全然、絵になる要素なんてこれっぽちもない。 それでも、雨に唄えばきっと…こんな憂鬱な日に、馬鹿みたいな踊りをしてみよう。 馬鹿をやるって、馬鹿みたいに面白い。 馬鹿な僕は、馬鹿をやるのだってすごく得意で。 こんな馬鹿馬鹿しい世界、馬鹿やって、馬鹿にして、生きてもいい。 彼女にそれを、変人気質な通りすがりが、気づかせてやれないだろうか。 立ち上がり、僕は豪雨の中へと歩んだ。 目に浮かぶ、背後で目を丸くする少女の姿が。 それでも、僕は進んだ。 雨の中に一人、豪雨に霞む景色の中、立っていた。変人にも、なりきって。 雨音に掻き消されないよう、なるべく透き通った声で、歌い始める。 不細工なタップダンス、酔っ払いみたいで、みっともないし。 泥濘に足を取られかけたり、散々になりながら、踊る。 歌も…あまり、上手くない。上手くない上に、腹から出る声は全然透き通らなくて、唸るように、ある意味憂鬱な空に慣らされた、マッチした音になって、響いた。 こんなの見せられて、何かが変わるなんて、おかしい、変だろうなって僕も思う。 ジーン・ケリーがやってたってそれはシュール極まる光景で…いい歳こいたオッサンが雨の中で踊ってる絵面なんて奇怪でしょうがないのに。 あんなにも、綺麗な、楽しそうな顔で歌って…そんな姿に、心を打たれた覚えがある。 僕も、そうなれたりしないかなって気の迷いから、今踊っている。 そう、気の迷いでいい、これは。 雨が洗い流してくれるんだろ?いいことだ。 馬鹿をやろう、人生何があったって、ハナから全部がくだらなくたって、それでも。 こうやって踊って、歌って、笑っていられれば、世界は勝手に色づいて、僕らをきっと拒まない。 モノクロの空は、モノクロのまま。 光のともらない雨は、鈍く煌めく重たさで無数に落下して。 あぁ…憂鬱なんだこんな世界。 それでも、僕は笑ってるだろ。 それでいいんだ、下手なことはたくさん考えなくて、いいんだって思う。 脳死状態で踊りまくった。雨と僕とのコントラストは淡すぎて、雨音と歌声の不協和音、観客がいたなら、その場のものというものを投げつけられて即退場させられてるだろう。 でもたった一人、たった一人の観客に、僕は意味を、届けたかった。 それは別に、大切でもなんでもない、通りすがりの可愛い人。 「凄いよ!君!」 それこそ、透き通るような声が、暗澹たる空にまで伸びて、雲間を裂き、青空をよびこんだ。 虹のかかる空の下、そこに居るのは至って普通の変人と、それに魅せられただけの、凄く変わった普通の少女。 雨は止んだ、憂鬱は遠くに、空の彼方へ押しあがっていった。
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