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 大陸歴一七八六年、十二月十日  パチリ、と目が覚めた。青梅桜子ことエレイン・ディクスンは天蓋付のふかふかベッドから起き出し、サイドテーブルに置かれた洗面器と水で顔を洗う。タオルでしっかりと水気を拭き取り、鏡台の前に立ち、ついでに髪型を整える。  顔をむにむにと触ってみた。今日も子供のもっちもち肌だ。クローゼットの前でシルクのパジャマを脱ぎ、エプロンドレスに着替える。  いつもの慣れた行動だ。そして、右手甲の星の痣を隠すように、ぶかぶかの手袋をはめる。  ここユーファリア連合王国一の《大魔道師|マグナス・マギ》である祖父が言うには、魔道師学校マギアスコラに通える年齢——十二歳になるまでは、星の痣を隠しておくように、とのことだった。下手に騒ぎになると、孫娘の教育に良くないと考えたのだろう。なんて心配性なおじいちゃんなのだ。  エレインは寝室を出て、食堂に向かう。広い屋敷だ、六年間住んでいるが行ったことのない場所が山ほどある。まるでおとぎ話のお城のようで、窓から見える庭園などは毎日一流のガーデナーたちが整えている。  廊下でメイドとすれ違うと、「おはようございます、お嬢様」などと言われる。「うん、おはよう」と無邪気な子供を演じて返事をするのだが、食堂に着くまで何度あったか分からない。  やっと辿り着いた食堂には、すでに父と母、そして祖父が着席していた。 「おはよう、エレイン。今日も一人で起きられたんだね」 「おはようございます、お父様。エレインは立派なレディですので」 「ほっほっほ、可愛らしいのう!」 「あらあら、この子ったら」  そんな和気藹々とした会話が続く。前世では考えられなかったことだ。冷凍の惣菜をチンして一人でむしゃむしゃ食べるだけの前世とは違い、家族団欒の食卓を囲む食事。しかも美味しいものばかりひとりでに出てくる。万歳、今世。  桜子は辛い記憶をなるべく思い出さないようにしていた。あまりにも今世の出来事が楽しいことばかりで、虚しくなるからだ。それに、前世の記憶を思い出している最中に誰に顔を見られると、一体どうしたのか、何か悲しいことがあったのか、と必死の形相で問い詰められる。  ——多分、そのときの私の表情は、六歳児がする表情じゃないんだろう。人生に疲れ、幸運なこともなく、ただ無為な時間を過ごした経験——そんな経験のある人間は、少なくともこの城にはいなかった。  スクランブルエッグを食べ終え、食後の紅茶を飲むと、エレインは父母と祖父に挨拶をし、食堂を出ていく。次に向かうのは図書室だ。《大魔道師|マグナス・マギ》である祖父が集めに集めた魔道書から図鑑、歴史書、おとぎ話の話集までもが、天井まで届く本棚に埋め尽くされている。  ——まずは、この世界のことを知らなければならない。桜子であるエレインは、熱心に読書に励んだ。元々読書は好きだったし、勉強も得意だったことから、苦にはならなかった。  この世界はどうやら天動説が主流らしい。平らなお盆のような大地に、海の水が満たされていて、太陽や月、惑星はその周囲を巡っている、という考え方だ。そしてここ、ユーファリア連合王国は大陸の西の端にあり、バラジェ魔王国と隣接している。  コンコンコン、と図書室の扉をノックする音が聞こえた。  エレインは返事をする。 「はぁい、どうぞ」 「失礼いたします、お嬢様」  そう言って現れたのは、頭に黒いヤギの角を生やし、顔や手に紋様のような痣のあるメイドだった。 「そろそろ魔法のお勉強の時間です。お庭でお稽古をしましょう」 「うん、分かったわ、エリス。エリスの教え方が上手いから、毎日上手になってるのが分かって楽しいわ」 「そのようなことは……すべて、お嬢様の努力と才能の賜物です。私めなど、魔族の端くれとして魔法を使えるにすぎません」  エリスは謙遜をする。魔族とは、エリスのように角を持ち、全身に紋様のような痣のある人種のことだ。バラジェ魔王国の人口の大部分を占める。ユーファリア連合王国とは一定の交流があり、こうして出稼ぎに来るエリスのような魔族もいる。  エレインは読んでいた本にしおりを挟んで閉じ、本棚に戻した。タイトルは『ユーファリア伝説集』。古の勇者が魔王を倒しただの、伝説の剣がユーファリア王城にあるだの、話半分で聞くような伝説を集めたものだ。  エリスの先導に従い、エレインは庭の広場に辿り着く。芝生にぽっかりと直径十メートルほどだろうか、土がむき出しになっている部分がある。 「お嬢様、今日は水の魔法を練習しましょう。『《水よ集え|アクア・コリゴ》』と発音し、目の前に水の流れがあることをイメージしてください」  エレインは頷く。水の流れるイメージか。そう言えば、この辺りには小川しかない。荒川や多摩川クラスの大河川があったらあったで大変だけど。 「『《水よ集え|アクア・コリゴ》』!」  目を閉じてイメージ、イメージ。荒川の河川敷じゃなくて。 「お、お嬢様! 一旦魔法を止めてください!」 「え?」  エリスの叫びに、エレインは目を開ける。目の前に巨大な球体の水の塊が宙に浮いていた。  ——……多分、荒川を想像したのが悪かったんだと思う。  エレインは巨大な球体の水の塊をゆっくり操作し、地面に付ける。するとパシャン、と大きな水飛沫が撥ね、周囲一帯が水浸しになった。  エレインもエリスも、水を浴び、服や髪から水がポタポタとこぼれ落ちる。 「ごめんね、エリス。またやっちゃった」 「いいえ、お嬢様は悪くありませんわ。お嬢様の才能、お見事です!」  エリスは少し興奮気味に話す。いつもこうだ、エリスに教えてもらった魔法を使うと、威力がとんでもないことになる。例えば、エレインが指先に火を灯す魔法を使えば、うっかり近くの木に燃え移るほどの大火となり、エリスが慌てて水の魔法で消火していたこともある。  ただ、エリスは決してエレインを怒ったり、否定したりしなかった。教師役として教えられることはあっても、叱られたことは一度もない。エリスは穏やかで、優しい女性だった。だからこそ、祖父はエレインの教師役にわざわざ魔族であるエリスを雇ったのだろうが。 「お嬢様、お召し物を着替えましょう。さあ、こちらへ」 「うん」  エリスは近くにいた別のメイドに声をかけ、タオルを持ってきてもらっていた。髪を拭き、強引にエプロンドレスを脱がされると、すぐに部屋のクローゼットから新しい服が用意される。エリスもまた、別のメイド服に着替えていた。 「今日のお稽古はもうおしまい?」 「そうですね。また明日にしましょう」 「そっか。じゃあね、エリス。後でね」 「はい、お嬢様。お疲れ様でした」  エリスは深々とお辞儀をする。桜子ことエレインは、何だか悪いことをしてしまった気分だった。 ☆ [*label_img*]  大陸歴一七九四年、八月十五日  桜子ことエレイン・ディクスンは、魔道師学校マギアスコラを十四歳で卒業した。  十二歳で入学し、わずか二年で卒業までこぎつけたのは異例の事態だったらしく、《大魔道師|マグナス・マギ》の孫であり、次代の《大魔道師|マグナス・マギ》である、と持て囃された。  エレインからしてみれば、魔道師学校で習ったことはすべて、自宅の城の図書室で見聞きした知識と、エリスや祖父に教わった魔法以上のものではなかった。二年もかかったのは、単純に一年間の単位取得制限があったからだ。とはいえ、魔道師学校に行くことで先天性の魔道師の証である右手の甲にある星の痣を隠さなくてもよくなり、やっと邪魔な手袋を外すことができた。何人か友人もできたし、上級生にも仲の良い学生が数名いる。相手は《大魔道師|マグナス・マギ》としてのコネクション目当てかもしれないが、エレインもまた高位貴族や上流階級にコネクションを作ることができて満足だった。  研究者としてマギアスコラに残らないか、という声もかかったが、エレインが選んだのは国立アカデミアへの進学だった。  国立アカデミア、日本で言えば大学に相当する専門高等教育機関だが、桜子だったころ専門としていた地方自治制度についてこの時代にどうすべきか、通用するのか、それらが知りたかったのだ。  この選択は祖父や両親に難色を示された。《大魔道師|マグナス・マギ》の孫として、魔法の研究に打ち込み、次代のユーファリア連合王国に仕える《大魔道師|マグナス・マギ》となることを望まれていたからだ。  だが、エレインは祖父と両親にこう説いた。 「魔法の研究はマギアスコラでなくともできます。それよりも、私は魔法をもっと広く人々の役に立てるため、幅広い知識を吸収したいのです。地方では未だ疫病や飢饉で苦しんでいる人々がいます、魔法さえあれば助かる人々もいます。私に《大魔道師|マグナス・マギ》になることを望まれるならば、まずは困っている人々を魔法で救うという実績を積ませてください。そうすれば、誰もが認める《大魔道師|マグナス・マギ》となれるでしょう」  さしもの《大魔道師|マグナス・マギ》も、孫娘のこの論理にはぐうの音も出なかった。自分もまた、若いころ魔法で人助けをして培った経験があってこそ《大魔道師|マグナス・マギ》の称号を手に入れた祖父としては、エレインの主張を否定できなかったのだ。  それに——腐っても専門高等教育機関、国立アカデミアだ。十四歳の少女が入学試験に合格する保証などどこにもない。きっと祖父と両親はそう考えていたのだろう。特別に、入学の九月に間に合うよう八月中に試験を開催してくれるところまでは、祖父が《大魔道師|マグナス・マギ》の権威を使ってやってくれた。  そして、今日が結果発表の日だ。  自宅の城に国立アカデミアからの使者がやってくる。仰々しい馬車で乗りつけ、玄関先で封蝋のついた羊皮紙を恭しく祖父に差し出す。  後ろで見ていた両親とエレインは、封蝋を破り中を見た祖父の顔色が変わる瞬間を目撃した。 「ご……合格、じゃと? 間違いないのか?」 「ええ、間違いございません。エレイン・ディクスン殿の国立アカデミアへの入学を認める、と国立アカデミア教授会は裁定を下しました」  驚く両親を尻目に、エレインはニヤリと笑う。あの程度の試験問題、W大学の試験問題に比べれば簡単すぎた。  こうして、晴れてエレインは国立アカデミアの一生徒となり、地方自治制度について最先端の知識を学ぶ機会に恵まれることとなった。 ☆  大陸歴一七九六年、八月一日。  史上最年少の十四歳での国立アカデミア入学者が、史上最年少の十六歳で卒業する日がやってきた。  もちろん、エレインのことである。エレインは卒業論文に『地方における魔法の活用の現状と地方自治のあり方についての考察』を提出し、国立アカデミア教授会を唸らせた。要するに、地方ではまだまだ書物による擬似魔法の使用が浸透しておらず、魔道師もマギアスコラに囲まれており存在しないため、発展が遅れている。また地方自治の観点から見て、地方の発展は治安回復、生産性向上など国全体の発展において必要不可欠である、と説いたものだ。  そう言えば、W大学での卒業論文はA をもらったな、と桜子ことエレインは思い出した。勉強は嫌いじゃない、結果が必ず出るから。面接は嫌いだ、人を悪し様に罵るから。  そして、エレインは《大魔道師|マグナス・マギ》である祖父とともに、現王城へ登城する機会に恵まれた。国立アカデミアを史上最年少で卒業した人間を見てみたい、という連合王国国王たっての希望により、登城を許されたのだ。  ユーファリア連合王国は四つの国から成り立ち、四王制という交代で連合王国国王を務める制度を採用している。現在の連合王国国王は西ユーファリア王国の国王だった。エレインの自宅の城があるのも西ユーファリア王国で、祖父と国王は仲が良い。  現王城へ向かう馬車の中で、祖父はエレインにこう忠告した。 「よいかエレイン、決して自らの手柄と思うでないぞ。陛下に失礼のないよう心がけなさい」 「はい、お祖父様。もちろんです」 「うむ。しかし、お前がここまで頭脳明晰に育つとは……やはり、次代の《大魔道師|マグナス・マギ》はお前しかおるまいて」 「そんな、お祖父様ったら。私はちょっと人より魔法の才能があるだけです。それに、まだ埋もれている才能は山ほどあると、マギアスコラで感じました」 「そうか、そうか。慢心せず、精進しなさい」  などと当たり障りのない会話をしていたら、馬車は現王城の門をくぐり、車寄せに到着した。  馬車に乗りながら現王城の門をくぐれる身分の者など、国王と《大魔道師|マグナス・マギ》くらいなものだ。それほどまでにこのユーファリア連合王国において《大魔道師|マグナス・マギ》の権威と存在は大きい。  二人を出迎えたのは、人当たりの良さそうな赤毛の青年だった。 「ようこそお越しくださいました。僕はアラステア・グランと申します」  アラステアは会釈をする。腰には剣を差し、様装は王城の使用人ではなく騎士服に近い。  祖父はジロリとアラステアを睨み、こう言った。 「貴様か。勇者アラステア・グランよ」  ——勇者?  ——ファンタジーやおとぎ話のあれ?  エレインが目をパチクリさせていると、アラステアは愛想笑いを浮かべた。 「はい。国王陛下がお待ちです、こちらへどうぞ」  勇者が何者なのか聞きたかったが、エレインは我慢した。祖父がいつになくピリピリしていたからだ。  二人はアラステアに誘導され、王城の中央庭園に出る。 「僕の案内はここまでです。どうぞ、ごゆっくり」 「ふん。どうせなら貴様もおればよかろう。のう、エレイン?」  ——えっ、こっちに話を振るの?  エレインは少し考えたのち、こう答えた。 「そうですね。ぜひあなたのことも伺いたいです」 「だそうだ。アラステアよ、来い」 「……分かりましたよ、《大魔道師|マグナス・マギ》」  渋々、といった表情で、アラステアは二人についてくる。  中央庭園には、すでに連合王国国王らしき老人が座り、茶を飲んでいた。 「陛下、ご機嫌麗しゅう」  祖父がそう声をかけると、やっと気付いたらしく、国王は立ち上がって祖父の元に来る。 「おお、《大魔道師|マグナス・マギ》よ! てっきり来てはもらえぬのかと思っていたぞ!」 「陛下の思し召しとあらば、この老体を押してでも参上仕りますとも。こちらが我が自慢の孫娘、エレインでございます」  エレインはスカートの端を掴み、貴族風のお辞儀をする。 「エレイン・ディクスンと申します。陛下におかれましては、ご壮健であらせられ何よりでございますわ」 「うむ、うむ! さあ、座られよ。我が《大魔道師|マグナス・マギ》と、国立アカデミアを最年少で卒業したという才女殿に、茶を出さねばな! おお、忘れておった、勇者アラステア! お前も座らぬか」 「僕は大丈夫です。周辺を見回っていますので」 「これ、アラステア。陛下のご命令じゃ」 「……分かりました」  どうやら、アラステアは祖父に頭が上がらないらしい。  一方、ハイテンションな国王陛下は矢継ぎ早にエレインを質問攻めにする。  卒業論文はどんなものだったか、何を研究したのか、その知識はどこから得たのか。  エレインも嫌な顔一つ見せず答えていく。これは面接ではない、ただの雑談だと自分に言い聞かせて。  エレインが『地方における魔法の活用の現状と地方自治のあり方についての考察』について話し終えると、国王は打って変わって静かに顎髭を撫で、こう言った。 「ふむ、ふむ。なかなか興味深い研究だ。確かに地方は貧困に喘ぐ地域も少なくはない、農民が貧しいことを当たり前と思っておる輩さえおるのだ」  ——お、この国王陛下、若干思想が柔軟だ。 「我が西ユーファリア王国も、地方に行けば貧しい農村が当たり前のようにある。そして領主はそれを改善しようともせぬ。稀に農民たちを手厚く保護する貴族や領主もいるにはいるが、数が圧倒的に少ない。そしてそれを余は憂いておる。我が《大魔道師|マグナス・マギ》よ、お前の孫娘は天稟を持っておるようだな」 「お褒めに与り、光栄でございます、陛下。自慢の孫娘にございますゆえ」 「うむ、自慢する気持ちはよく分かるぞ! そこでだ、エレインよ。貴殿に領地を一つ任せたい」  しばしの沈黙が場を包んだ。  祖父は目を見開き、口を金魚のようにパクパクしていた。  アラステアは驚いた表情のまま固まっている。  そして、エレインは——。
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