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 学校の帰り道、人通りの少ないところで鳥が地面に落ちていた。  鳥はスズメくらいの大きさで、クチバシを細かく震わせている。耳を澄ますと、か細い声で泣いているのが聞こえた。鳥の羽の色は見たこともないくらいに綺麗で、薄汚れたアスファルトに映えている。全体的に紅色をしており、胸元だけが真っ白だ。その胸元に、じんわりと羽の色と違う赤色が見えた。血が滲んでいた。俺はハンカチで鳥をそっと包むと、近くの動物病院に向かった。診察代が高校生の財布に痛かったが、幸い怪我は軽いものだと言われた。  自宅に戻ると、外はすっかり暗くなっていた。鳥は体が収まるサイズの紙箱の中で静かに眠っている。俺は勉強机に紙箱を置くと、少し離れたベッドから勉強机を見た。鳥にストレスを与えないように、なるべく覗き込まないようにした。  元気になっていたら、明日にでも自然に返してあげよう。そう思っていると瞼が重たくなり、うとうとし始めた。ここ最近、ゲームに夢中で夜更かしが多かったからだろう。すると、どこからか鳥の鳴き声が聞こえていきた。よく通る高い鳴き声だ。不思議と心地よいものであった。 「危ないところを、ありがとうございます」  辺りには何もない。俺はどこでもない場所にいた。前に、紅色の着物を着た女性が立っている。 「ぜひとも、あなたにお礼をしたいと思いまして」  女性は姿かたちが美しく、白い肌を持っていた。俺はこれらの色に見覚えがあり、目の前の女性はあの鳥だと直感的に思った。つまり『鶴の恩返し』か、あるいは『蜘蛛の糸』だろうか。  そう思っていると、女性は静かに言った。 「私はそれがどういったものか知りませんが、あなたの願いを叶えます。なんなりと」  淑女のようにうやうやしく、女性は小さく頭をさげる。俺は目を瞬く。思っていることが伝わるとは、この鳥は神様か何かだろうか。どうやら、凄いものを助けたようだ。驚くしかない状況で、女性は言った。 「なんでも結構ですよ」  いきなり願いと言われても、早々に思いつかない。しかし、これはどうせ夢だ。鳥が人間になるはずがない。ましてや、恩返しなど童話の世界である。ならば、どんな内容でもいいだろう。  俺は腕を組んで考えた。女性は先ほどから、ずっと笑みを浮かべている。その妖艶ともとれる笑みを見て、ふと彼女の顔が思い浮かぶ。 「振り向いて欲しい人がいる。けど、彼女はすでに他人のもの。それでも叶うのかな」 「ええ。その願い、承りました」  女性は一礼すると、鳥になって優雅に飛び去っていった。俺はそれを見送りながら、惨めさが込み上げてくるのを感じた。あのような願いを言うなんて、いつまで俺は彼女のことを引きずっているのか。  失恋が決まってから、もう一か月近く経っている。立ち直っていると思っていたが、どうやらそうではない。俺は「さっきの願い事は冗談半分で言った」と自分に言い聞かせた。真剣なものではない、決して。しかし、夢の世界でこんな気分になるということは、目覚めたときはもっとろくでもない気分だろう。  翌朝、目を覚ますと陽が昇っていた。紙箱を見ると、そこには鳥はいなかった。不思議な夢だった。ひょっとすると鳥を拾ったところから、すでに夢だったかもしれない。しかし、紙箱に落ちていた一枚の綺麗な羽が、これは夢でないように思わせた。俺はその羽を生徒手帳に挟んでおいた。  あくびをかみ殺しながら登校をすると、《上野健|うえの たける》と下駄箱で出会った。 「よう。おはよう、《聡志|さとし》」  茶髪がかったくせ毛が、視線の少し上に見えた。健は歯を見せて笑う。そんな爽やかな笑顔をまき散らすものだから、いつものことながら眩しい。中学からの親友だといえども、朝から胸焼けがしそうだ。だが、健は俺の気も知らず、にこにことしながら俺を見ている。  今日はやけに見てくるな。顔に何かついているのだろうか、それとも寝ぐせでもあるのか。家を出る前に鏡を見たはずだが。俺は上履きに替えながら、自分の様子を思い巡らした。 「そういえば藤田は? 今日はいないのか?」  健がいるということは、どうせ近くに《藤田紗季|ふじた さ き》もいる。ふたりでワンペアの彼ら。本当は夢のこともあって、あまり藤田の名を口にしたくなかった。しかし、普段と違う光景に違和感があるものだから仕方ない。 俺がきょろきょろと辺りを見ると、健は声に出して笑った。 「どうして俺が藤田と? 何の冗談だよ。聡志ってば、寝ぼけてるのか?」 「健こそ、どうして彼女のことをそんな他人みたいに呼ぶんだ? なんか変だぞ、お前」  どうにも合わない会話をしていると「おはよー」と快活な声がした。 「聡志、こんなところにいたの?」  ロングヘアをシュシュで束ねた女子、藤田だった。 「いつもみたいに、駅に待っていると思ったのに。置いていかないでよ」 藤田はそう言いながら、なぜか健ではなく俺の腕に抱きついた。服越しに藤田の感触。俺は驚いて、反射的に腕を強くふりほどいた。突然のことに胸が激しく鳴っていた。 「ど、どうしたの。聡志」  藤田はよろけたが、なんとか自分でバランスを取り戻した。 「藤田こそ、いきなり何を」  俺は動揺を隠しきれないまま、藤田を見る。きょとんとする藤田は、俺をいつもの「松田くん」ではなく「聡志」と親しげに呼んでいた。だが、藤田とは決してそのような関係ではない。むしろ、そのような関係であるのは健と藤田だ。 「お前らさ、何かあった? いつもと様子が、かなり違うけど」  心配そうにする健を見て、藤田は小さく首を振る。 「上野くん、私もよく分からなくて。何かあったの、聡志?」  健と藤田は怪訝そうに俺を見るが、まったく訳が分からない。ごく自然に腕に抱きつき、俺と親しげにする。これではまるで恋人みたいだ。それに、どうして藤田は健といつものように親しげに呼び合わないのか。  もしや、ふたりして俺を騙そうとしているのか。しかし、エープリルフールにしてはまだ時期が早い。  返事のない俺を見て、藤田は「先に行くね」と気まずそうに去った。健は腕を頭の後ろで組んで、首を傾げるばかりだ。当然、俺もまったく意味が分からなかった。 「何かあったのかよ」  教室でぼうっとしていると、ひょっこりとクラスメイトの《雅紀|まさき》が現れた。 「上野のところに行ったら、藤田が何か言ってたぜ。かなり真剣に話し込んでいたけど。一体、何をしたわけ?」  俺は頬杖をついて窓を見たまま口を開いた。 「上野と藤田は付き合っているだろ。なのに、どうして藤田は俺のことを『聡志』と呼んだりと抱きついたりするんだ? おかしいだろ。訳が分かんないよ」  言ってみたが返事がなかった。 雅紀に向き直ると、彼は目を丸くして俺を見ていた。 「……なんだよ、その表情は」 「藤田が上野と? 夢でも見ているんじゃないか。お前ら、一体どれくらい付き合ってるんだよ。一年以上も付き合っていて、何を言ってるんだよ。俺を笑わせる冗談にしても、つまらなさすぎるって。ギャグセンス低すぎ」  雅紀が腹を抱えて笑うなかで「夢」という単語が引っかかった。まさかと思い、俺は慌てて生徒手帳を取り出す。そこには、今朝に挟んだ綺麗な羽があった。きらきらと眩しいくらいに未だ輝いている。  ふと、紅色の着物を思い出す。もしかするとあれは夢ではなかったのか。ともなれば、俺の願いは実現したということか。しかし、そのような夢みたいな話があるはずがない。  そうは思うが、周囲の様子を見ているといつもと違う。  俺はすぐに健と藤田がいる教室に向かった。ふたりは雅紀が言っていたように、真剣な表情で話し込んでいた。 「あのさ。私、何か悪いことでもしたのかな」  藤田が俺に気づき、すぐに駆け寄ってきた。 「悪いことはしてないけど……」 「でも、いつもみたいに接してくれないじゃん。ひょっとして彼女失格かな」  どうやら、夢は本当だった。藤田は健とではなく、俺と付き合っていることになっている。しかし、この状態を見ているとあの紅色の鳥の話をしたとしても、おそらく誰も信じないだろう。 「彼女失格というか……その……」  何と言っていいのか分からない。藤田は俺の顔を見るのもつらいようで、ずっとうつむいている。とても落ち込んでいる藤田を前にして、俺は困った。どうすればいいのか分からず健を見ると、彼は俺に合図を送った。どうやら教室ではなく、外に出て話し合えと言っているようだ。ここでは、人の目があるからだろう。 「外に出よう」  藤田は小さく頷いた。教室を出るときに、健とまた目が合った。心配そうに俺らを見ていた。元気に溢れていて、めったなことで落ち込まない健。彼のそんな目を見ると胸がちくちくと痛んだ。本当は藤田と付き合っている健にフォローをされるのも、決して心地よいものではない。望んだことを叶えてもらったにも関わらず、俺は惨めだった。校舎裏に行く最中、俺は後ろをついて来る藤田の顔をとても見ることができなかった。 「ねえ。なんでいつもみたいに、紗季って呼んでくれないの?」  渡り廊下で、藤田は俺の服の袖を掴んだ。 「藤田だなんて聡志らしくないじゃん……やっぱり何か怒ってる? 私、何か気に障ることをしちゃった?」  訴えかける藤田の顔は、いまにも泣き出してしまいそうなものだ。俺はこれほどまでに、悲しげな藤田を見たのは初めてだった。 「ごめん。久しぶりに徹夜をして寝不足で……つい昔の癖が出てしまったのかも。だから、別に何も怒っているわけではなくて……上野にも心配をかけたな。悪いけど、そう言っといておいて欲しいんだ……紗季」  嘘になりきれていない嘘。俺はまた苦しさを感じ、ぎこちない笑顔を作る。藤田は「そうなの?」と少しずつ顔に明るみを取り戻した。 「そうだよね。付き合うまではずっと、聡志は私のことを藤田って呼んでいたもんね。でも、徹夜だなんて何かあったの? あんまり無理しないでね」  藤田は安心したようで、俺の手をとって「帰ろう」と言った。上機嫌な藤田に引っ張られながら、俺は階段を上った。ずっと前から慕っていた彼女を触れているが、嬉しさの欠片もなかった。ようやく親しくなれたというのに、それを活かそうとも思えなかった。あるのは、気味の悪い感情だけだ。 「なぁ、紗季。告白をしたのはそっちからだったよな」  階段の途中で止まると、俺は言った。藤田は振り返って、こちらを見る。本当は告白のことなど知らない。しかし、健は藤田から告白されたので一か八か言ってみた。 「そうだけど。どうして?」 「どうして、俺を選んだんだ?」  手が離れ、藤田は視線を斜め上に移動させる。俺は藤田の言葉を待った。 「……直感かな? 聡志がいいって、心のどこかで聞こえたの」  笑う藤田は、何かを誤魔化すかのように見えた。 「上野くんが私たちのことをすごく心配してたの。彼、聡志のことをいつも何て言っているか知ってる? 『あいつは難しいところもあるけど、人を思う優しい奴だ。藤田を必ず幸せにするよ』って言うんだよ。聡志は素敵な親友を持って幸せだね」 「そう。分かった」と俺は彼女の手を取った。温かく柔らかい手。そこに感じるべきはずのときめきが、まるで蒸発したかのようになくなっていた。  俺は曖昧に笑うしかなかった。健の思いが胸を深く刺す。俺は健が言うように『人を思う優しい奴』なのだろうか。あんな願い事を言った俺は、ふたりの仲を裂いた存在でしかない。いつも見ていた健と藤田の当たり前の姿。妬いてしまうほどの仲の良さが、いまは恋しかった。  俺は家に帰ると、あの綺麗な羽を手にして眠りについた。 「どうですか、願いが叶った感想は? 幸せでしょうか」  願ったとおり女性は現れた。美しい笑みを浮かべて、そう尋ねた。 「悪いけど前の生活に戻して欲しいんだ」 「それはまた、なぜ。あなたは彼女のことを好いていたのではないですか。ようやく仲が深まったのですよ」 「藤田の隣には健がいるのが一番なんだ。俺ではダメだ。俺では彼女を幸せにできない。それに、健の心配そうな顔を見るのはつらいんだ。親友から奪ってまで、幸せになりたいとは思えないからね」  浮かぶのは、今日見た健や藤田の姿。俺は、ただつらいだけだった。 「まぁ、人間というものは難しいですね。謙虚と言いますか」 「神様には分かりはしないだろうな。人間の複雑さは」  藤田は健と付き合ったとき、彼に対していくつもの言葉を並べていた。それは聞いているものを辟易させるくらいのノロケであった。しかし言葉だけではない。見れば、誰もがふたりは幸せなのだと分かった。それだけ、藤田も健も幸せに満ちていた。 「しかし、あなたは……その彼をずっとうらやんでいたのは?」 「何でも見通しってことか。確かにずっとうらやましかった。長い間、みにくい嫉妬をしていたよ。でも、あいつは良い奴なんだ。人を思いやる奴だ。だから藤田は健を選んだ」  俺は今日の出来事を思い出す。 「以前のふたりを思い出すと、胸が痛くなるばかりだ。俺は彼らの仲を壊してまで、自分勝手な欲求を叶えたくはない。今回で切りがついた。あいつはあいつで、俺は俺だ」 「分かりました、では、戻しましょう。どうぞあなたもお幸せに」  そう言い残すと、女性はまた消えていった。  翌朝、起きると羽は手元から跡形もなく消えていた。俺はいつものように身支度をする。部活に遅れそうだったので、人が行き交う廊下を走った。 前に手を繋いでいるカップルが見えた。後ろ姿ですぐ分かった。健と藤田だった 「おはよう。今日も一緒に仲良く登校か? おふたりさん」  俺は追い越しざまに声をかけた。 「おはよう、松田くん。もう、からかわないでよ」 「いいじゃん、紗季。聡志、前を見てないと危ないぞ」  藤田が照れ、健は笑う。見慣れた光景に、俺はもう何とも思わなかった。 隣にいて幸せだと言ってくれる子が、俺にもいつか現れるだろうか。いつまでも人をうらやむよりも断ち切って、真っ直ぐに歩きはじめる方が何倍も幸せで楽しい。 心地よい気分で、俺は教室を目指す。鳥のさえずりが、窓の向こうから聞こえた。俺は足を止め、振り向く。暖かな陽が優しく差し込むのを感じながら、あの鳥に「ありがとう」と呟いた。
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